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          地下鉄の鳩
                                 すやまたけし


          ○
 会社の帰りに、地下鉄の駅のホームで、ぼくは電車を待っていた。
 地下鉄の階段をおりていく時に、階段をあがってくる人たちとすれ違った。彼らは電車からおりたばかりだったのだろう。ぼくがホームにおりた時には、すでに電車は出ていってしまったあとだった。
 ぼくは人影のなくなったホームを、ひとり、うしろのほうへ歩いていった。
 ホームの最後部で立ち止まり、振り返ると、もうすでに何人かの人たちがホームにおりてきていた。そして、今度は反対の電車が来るはずのトンネルのほうを見てみた。トンネルの奥は薄暗く、次の電車が来そうな気配は感じられなかった。
 その時、トンネルの奥のほうから何かが音をたてて飛び出してきた。
 鳩だった。白い鳩がはばたきながらトンネルから現われたのだ。その鳩は、驚くぼくの目の前をばさばさと音をたてて通り過ぎていった。
 なぜ、こんなところに鳩がいるのだろう、どこからまぎれこんだのだろう、とぼくは考えながら、その鳩を目で追いかけていた。
 ホームにいた人たちも、その鳩に気がついて不思議そうに見ている。指をさして、隣の者になにか話しかけている者もいる。
 白い鳩は、天井や壁にぶつかりそうになりながら飛びまわっている。どこに行くべきか迷っているようだ。やがてその鳩は方向を見定めたように、地上へ通じている階段のほうへ向かっていった。
 鳩が階段に消えていったのを確かめて、ぼくはほっとした気分になった。
 こんな狭い地下にいるよりも、地上に出たほうがずっと自由に飛びまわれるだろう。ぼくは、鳩がその階段を無事にあがっていくことを祈った。
 地上はもう日が暮れているはずだ。ぼくは、鳩がその薄暗くなった空を、白い羽根を広げて飛びたっていく姿を想像してみた。
 鳩たちはこの街のどこでも、好きなように飛びまわることができる。彼らは、ぼくたち人間よりもはるかに自由だ。おそらく、この街から人間がいなくなったあとも、彼らは飛びつづけることだろう。
         ○
 うしろに誰かがいるような気がして、ぼくは振り返った。少年がいて、ぼくに近づいてくる。いつのまにそこに来ていたのだろう。少年の向こう側はホームがとぎれていて、その先は地下鉄の深いトンネルだ。
「あっ、きみ、どこから……」
 ぼくがあわてて声をかけると、少年はぼくの前で立ち止まり、顔をあげた。彼は人なつっこそうに微笑むと、トンネルのほうを指さした。
「えっ、どうして?」
 少年は片目をつぶってみせた。ぼくはホームのほうを見てみた。電車を待っている人々は、突然に現われたこの少年に気がついていないようだった。
「いいかい、トンネルの中を歩くなんて危ないことをしてはだめだよ。電車にはねられるかもしれない」
 と、ぼくは彼に説教めいたことを言った。
 しかし、その少年には少しも反省したようすは見られなかった。
「平気です。ぼくは何回も通っていますから」
「ふうん、それはどういうことかな」
「ぼくはこの奥に住んでいるんです」
「まさか」
「信じなければそれでいいです。じゃあ、ぼくは用がありますから」
 彼はそう言うと、ぼくの横を通り抜けていこうとする。
「あっ、ちょっと待って」
 ぼくは少年の肩に手をかけて、彼を止めた。
「よし、わかった。信じるから、教えてほしい」
 少年は再びぼくを見あげた。
「何をですか?」
「このトンネルの奥のことを」
 少年は黙って、てのひらをぼくの目の前に差しだした。
「これ、何?」
「お金をいただけるなら、教えてあげます」
「冗談じゃない」
「じゃあいいです」
「待って」
 ぼくは仕方なく、彼に言われた金額を手渡した。
         ○
 ぼくは少年に導かれて、トンネルの中を進んでいった。
 もちろん、ホームから線路におりる時には、駅員や他の人たちに見つからないように注意した。
 少年は慣れたもので、トンネルの壁側にあるU字溝のコンクリート製の蓋の上を小走りにかけていく。ぼくは、遅れないように必死で彼のあとを追いかけていった。
 トンネルの中は、間隔をあけて明かりが灯っていて薄明るかった。その光を受けて輝くレールが、トンネルの奥にまでずうっとつづいている。
 少年が立ち止まって、手でぼくを制した。
「電車が来ます」
 ぼくは少しも気がつかなかったが、耳を澄ますと、かすかに電車の音が聞こえてくる。
 少年はトンネルの壁のくぼみにしゃがみこみ、言った。
「ここに来て伏せてください」
 電車の音が近づいてくる。ぼくは少年のうしろに身をひそめた。
 やがて、トンネル内にものすごい轟音が反響して、隠れているぼくたちの横を電車が通りすぎていった。
 そして、またぼくと少年は奥へ奥へと進んでいく。
 トンネルが緩やかにカーブしているところで、少年は歩みを遅くした。そのカーブを少し行くと、右側にぽっかりと穴があいている。線路の保守か何かの時に作業員がここから出入りするのだろうか。あるいは、非常用の通路なのかもしれない。
 少年が無言で入っていくので、ぼくもそれに従った。
 その通路らしいところを進むと、広間のようなところへ出た。コンクリートの打ちっぱなしのその空間に、四人の人間がいた。年をとった男と、中年の男と、若い男女が壁によりかかって休んでいる。そして、隅に六羽の白い鳩がいて、床に散らばった餌を思い思いについばんでいる。
「ここで、ぼくたちは暮らしているんです」
 少年を含めて、彼らはみな小綺麗な服装をしていて、見ただけではとてもホームレスの人たちには見えなかった。
 年をとった男がぼくたちに気がついて目をあけた。
「やあ、こんにちは」
「あっ、こんにちは、お邪魔します」
 彼は、少しもぼくに驚いたようすを見せなかった。
「この人、見学者です。お金もちゃんといただきました」
「そうかい、ごゆっくり」
「さっき、鳩が飛んでいったでしょう? あの鳩はその人の鳩です」
 少年が若い男を指さして言った。その男はぐったりと力なく、抱えた膝の間に顔をうずめている。
「今ごろ、街を飛びまわっているはずです」
「ああ、さっきの白い鳩のこと?」
「あなたも、鳩になって飛んでみたいですか?」
「そうだな、うん、できるならね」
「じゃあ、やってみましょう」
「何を?」
「あなたが白い鳩になる」
「まさか」
 ぼくは少年の話を信じていなかった。しかし、年をとった男の言葉がぼくの変な好奇心を揺り動かした。
「せっかく、ここまで来たんだ、やってみたらいい」
 彼の言葉には、冗談らしいところがまったくなかった。ぼくは少年に言った。
「よし、できるというならやってみよう」
 少年は、ぼくの前にまた手を出した。
「何?」
「お金ですよ」
「まったく」
 ぼくは、少年にいいようにされているのじゃないかと思った。年をとった男も笑っている。ぼくは覚悟を決めて、また彼に言われたお金を渡した。
         ○
 ぼくは、床に広げた新聞紙の上に腰をおろした。少年が命令すると、鳩の一羽がぼくの前に進みでた。
「いいですか、その鳩の目を見てください」
 鳩ははじめ、きょときょとと首を動かしていたが、ぼくが見つめると深い視線をぼくに返してきた。
 鳩の目がじっとぼくを見ている。鳩の目がしだいに大きくなってくるような気がする。
 ぼくの感覚が朦朧としてきた。
         ○
 ぼくは、ぼくを見あげていた。そのぼくは、がっくりと首をうなだれて眠っているようだった。横を向くと、少年と男が微笑んでいる。少年がぼくに語りかける。
「ねえ、鳩になれたでしょう」
 ぼくは両手を広げてみた。白い羽根が大きく開いた。
 年をとった男が、ぼくをうながした。
「さあ、飛んでごらん。街を見てきたらいい」
 ぼくは羽根を動かしてみた。ちょっと強く動かすと、ぼくの体は軽くなってふわりと浮きあがった。今度はもっと勢いよくはばたいてみる。するとぼくは高く舞いあがった。
 ぼくの脱け殻と少年と他の人たちを、ぼくは天井近くから見おろしていた。
 年をとった男が言った。
「さあ、行ってらっしゃい」
 隣にいる少年も大きくうなずいた。
         ○
 白い鳩になったぼくは、自分の体と彼らをその広間に残して飛びたっていった。
 通路からトンネルに出ると、ぼくは駅のほうへ向かって白い羽根をはばたかせた。
 途中、前から来る電車とすれ違った時には、ものすごい風圧で壁に叩きつけられそうになった。
 急に広く明るくなったところが駅だった。
 ホームで電車を待っている人たちは、ぼくに驚いているようだった。ぼくは誇らしげに彼らの頭上を通りすぎていった。
 地上に通じる階段はすぐにわかった。その狭い階段の天井をぶつかりそうになりながら、ぼくはあがっていった。
 地下鉄駅の出入口を飛び出ると、いつもの見慣れた街があった。薄闇の道路にライトとテール・ランプを灯した車が列を作っている。
 規則正しく並んだビルの窓にも明かりがついていて、ぼくはそれらのビルをかすめるように自由に舞いながら、いつも通る道を会社のビルに向かって飛んでいった。
 白い鳩になって、街を思うように飛びまわれるということは実に素晴らしいことだ。ごみごみしていると思っていた街も上の空間は広々としていて、どこへでも自由に飛んでいける。
 上から見おろすと、街もビルも人間も新鮮に感じられる。目の高さが変わるだけで、感じ方も、考え方もこんなにも変わってしまうのだろうか。
 あの地下に住んでいる少年や他の人たちも、こうして時々、白い鳩になってこの街を飛びまわっているのだろうか。
 彼らは、この鳩の目からこの街に何を見るのだろう。
 これからは、白い鳩を見かけたら、彼らのことを思い出すことになりそうだ。
 交差点を大きくまわって、ぼくは会社のビルに近づいていった。その八階に、ぼくの勤めている場所がある。
 最近建てられた新しいビルには、外壁と窓ガラスが真っ平らにつながっていて、鳩が止まれそうな縁などついていないものもあるが、その旧式のビルは窓の外に出っぱりがついている。
 ぼくは、自分の机に一番近い窓のへりに羽根を休めた。
 窓の中を見ると、残業中の同僚がカメラをいじっていた。彼はそのカメラのファインダーをのぞいて、いろいろな方角に焦点を合わせていたが、やがてぼくのいる窓のほうにレンズを向けた。
 彼はぼくに気がついたのだろう。カメラの向こう側からじっとぼくを見ている。
 ぼくもそのレンズを凝視する。
 そして、彼はぼくに焦点を合わせて、シャッターを押した。
 フラッシュがまたたき、ぼくの目がくらんだ。
 網膜が真っ白になって、ぼくの意識が薄れていく。
         ○
 ぼくは地下の広間で目を覚ました。少年が、ぼくの顔をのぞきこんでいる。
 ぼくは元の自分に戻っていた。ぼくは夢を見ていたのだろうか。
「どうしました? もう目が覚めましたか?」
 ぼくは、ぼんやりとした頭を振りながら答えた。
「うーん、ぼくは鳩になっていたようだけれど」
「鳩はまだ戻ってこないのに、どうしたんでしょう」
 年をとった男が答えた。
「うむ、何かアクシデントがあったようだ。あの鳩は迷子になったのだろう」
「そのようですね。もうこの人は完全に元に戻っています」
 ぼくは彼らの会話が理解できなかった。
         ○
 ぼくは彼らと別れて、一人でトンネルを抜けて地下鉄の駅のホームに戻ってきた。
 トンネルを歩きながらも、ぼくは鳩になった夢のことを考えていた。あの少年に催眠術でもかけられて、幻覚でも見たのだろうか。しかし、記憶としてはあまりにもはっきりと残っている。とても非現実のできごととは思えなかった。
 ホームをあがり、ぼくは鳩になって飛んでいった階段を登っていった。そうだ、もう一度会社に戻って確かめてみるのだ。
 街の風景は夢で見たものと同じだった。薄暗くなった道路に車がつづいている。
 ぼくはさっき、この街を上空から見下ろしていたのだ。そして、あのビルのあたりを飛んで会社まで行った。
 会社のビルに到着すると、ぼくはエレベーターに乗り、八階にあがった。
 自分の机に向かう。
 夢の中で見た同僚が、隣の席の椅子に座っている。彼に、窓の鳩を見たかどうか聞いてみよう。
 近づくと、彼は机に顔を伏せて、居眠りをしている。机の上にはカメラが無造作に放りだされていた。やはり、あの夢の中で見たカメラは現実だったのだろうか。
 ぼくは彼の肩を揺すって、起こそうとした。しかし、彼は熟睡しているらしく、起きてはくれなかった。
 しょうがない、とぼくは思って、机の上に転がっているカメラを手にとってみた。
 このカメラに白い鳩が写っていたらおもしろいだろうな、さっきの夢は本当だったことになる。
 彼はここからちょうどあのあたりの窓を……、ぼくはそのカメラをのぞいて、鳩になっていたぼくが止まっていたと思われる窓のほうにレンズを向けてみた。
 窓の外は暗く、向こう側のビルの窓の明かりが見える。
 ぼくはカメラの焦点を、こちらの窓に合わせてみた。窓ガラスの上のほうに、部屋の蛍光灯が映っている。
 その時、窓の左隅に、ちらりと何かが動いたのが見えた。
 ぼくはゆっくりとそれに焦点を絞っていった。
 白い鳩だ。さっきのぼくだ。鳩は窓から中をのぞきこんでいる。ぼくをじっと見つめている。
 迷子になったと言っていた鳩は、まだここにいたんだ。
 ぼくと鳩と目が合った。鳩の目を見ていると、また変な感じがしてきた。
 心の中から霧が広がってくるようなおかしな気分、そうだ、あの地下で鳩を見ていた時もこうだった。
 ぼくは反射的にカメラをはずし、鳩から目をそらした。
 いけない、あの鳩の目は見ないほうがいい。
 ぼくはあらためて、隣で眠り込んでいる同僚を見た。
 彼は、深い眠りの中で夢を見ているようだった。

[ おわり ]


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