トナカイよ、永遠に
すやまたけし
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町に新しくできた動物園に、若者がひとりやってきた。
彼は、あてもなく園内の動物たちを見てまわっていたが、やがて草食動物が放されている草原の柵のところにきて足をとめた。それぞれの動物が、あちこちに群れを作っている。
草を食んでいるものもいる。
柵に腕をあずけて、ぼんやりと眺めていた彼は、トナカイの群れが遠くのほうにいるのを見つけた。
彼はトナカイに懐かしさを覚えて、小さくあいさつをするように手をあげた。
群れの中の一頭が、それに気がついたかのように顔を向けた。やがて、彼のいるほうに向かって歩きだした。彼はなにかを思い出そうとして、それをじっと見ている。
トナカイは彼の前まで来ると、足を鳴らしてとまった。大きくて立派な一対の角が天をさしている。トナカイの澄んだ瞳が、若者の目をのぞきこむように見ている。
そのトナカイは、うなずくように首をたてに振った。
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何年か前に、彼は北の山岳地帯を旅したことがあった。
初夏の空気は冷ややかだった。斜面は岩肌が露出していたが、浅い緑が広がっている場所では、白や黄色のかれんな花が生き生きと短い夏を謳歌していた。遠い山稜には残雪が白く輝いていた。
彼はひとり用のテントを持って、道のない山地を旅していった。
ある日、彼は女性の自然保護官に偶然に出会った。彼女はその地区の動植物の調査をしていた。
眺めのいい台地で、ふたりが腰をおろし、のんびり休憩している時だった。
丘を数百頭のトナカイの群れが、列を作って移動していくのが見えた。
自然保護官が、それを指さして言う。
「彼らは、冬の間は厳しい寒さを避けて南下していましたが、この季節にふたたび、北に向かうのです」
黙々と、トナカイたちは用心深そうに進んでいく。
彼女は双眼鏡を目にあて、トナカイの数を数えはじめた。そして、ノートに記録していく。その手慣れたようすを見て、彼が聞いた。
「あんなにたくさん、よく間違いもなく数えられますね」
自然保護官は手を休めることなく、微笑んで言った。
「足の数を全部、数えて、四で割ればいいんです」
彼はおかしさをこらえて、言い返した。
「ぼくは、また、角の本数を数えて二で割るのかと思っていました」
「それだと、折れているのや角のない子供は数えられません。ほら、子供のトナカイもいるでしょう。この春、生まれたばかりです」
群れの中に、小さなトナカイがまざっているのが見える。遅れそうになるのを、大人のトナカイがかばうように見守っている。
彼は、ひとつ向こうの丘に、トナカイとは違う影が敏捷に動いたのを見つけた。
「あれは、狼じゃないですか」
丘の影からあらわれた狼は、小走りに、トナカイの群れを監視するように、距離を置いてつづいていく。狼の群れは、全部で十匹近くいるようだ。
「トナカイを狙っていますよ」
と心配そうに彼が言った。
「狼たちは、南からずうっとトナカイの群れを追ってきたのです。トナカイの中で、脱落したり、逃げ遅れたりするものを食料としながら。狼だって、生きていかなければなりません」
トナカイの長い列が、小石をはねながらゆっくりと進んでいくのを、ふたりはそこでならんで見送った。
最後のトナカイが過ぎていったあと、自然保護官は次の調査場所へと移っていった。ひとりになった彼は、その近くでテントを張ることにした。
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次の朝、彼がテントから少し離れたところを散策している時だった。
盆地になった草原に、トナカイの子供が一頭いるのを見つけた。
前日の群れからはぐれたのだろうか。小さくて、弱々しい。どこへ行ったらいいのか迷っているようだ。彼は驚かさないように、そっと近づいていった。親にも見捨てられたのかもしれない。
種族がより強く生き残っていくためには、弱い個体が切り捨てられていくのも仕方ないことだろう。
このまま放っておけば、このトナカイはのたれ死に、雨に打たれ、風に飛ばされ、土に帰っていくのだろう。その前に、狼の群れに見つかって、餌食になってしまう可能性だってある。
トナカイの子供は鳴きながら、不安そうにあたりを見まわしている。すっかり、お腹をすかしているようだ。
彼はテントのところへ戻ると、荷物の中からスープの缶詰めを捜しだした。そして、皿とともに、トナカイがいたところに持っていった。
スープを皿にあけてトナカイの前に差しだすと、はじめは戸惑うように匂いをかいでいたが、すぐに舌でなめはじめた。おいしそうにあっというまに平らげた。スープがなくなっても、いつまでも皿をなめるのをやめない。
前日、自然保護官が言っていた。
「わたしたちは、この自然に手を加えるべきではありません。自然の風景も、生態系も、あるがままにそっとしておくのがいいのでしょう」
彼女は遠い山頂を見ながら、穏やかな表情で話した。
「あなたのように自然が好きで、山歩きをしている人が、知らず知らずのうちに、自然にひっかき傷を残していることだって考えられます。町で暮らしていてくれたほうが、自然保護になるということだってあるでしょう。わたしがここにいることですら、自然にとって好ましいことかどうかわかりません。だから、わたしたちは自然に影響を及ぼさないように、できるかぎりの注意を払わなければなりません」
彼女の言っていたことを思うと、自分がやっていることは間違っているのかもしれない、と彼は思った。何もしないことが、自然にとって一番いいのだろう。しかし、目の前のトナカイを見ていると、やはりかわいそうになってくる。これくらいは許してもらえるだろう、と彼は自分に納得させた。
トナカイの子供は、元気を取り戻したようだ。北に向かって、前日の群れが進んでいった方角をめざして歩きだした。
彼はそのうしろ姿を見送りながら、無事に群れに追いつくことを祈った。
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若者には、柵の中のトナカイと、山で会った小さなトナカイとが重なって見えてくる。
じっと目を見ていると、目の前のトナカイは、どうしてもあのとき助けてやった幼いトナカイのような気がしてくる。あのあと、狼にも見つからずに群れに追いつくことができて、こんなに大きな角を持つまでに成長した。そして捕獲され、この動物園に運ばれてきた。彼はそう思いたかった。しかし、ここでの生活がトナカイにとって幸福かどうかはわからない。
てのひらを差しだすと、トナカイが大きな舌でなめてきた。暖かくて柔らかいその感触は、あの時、スープの皿を出した時になめられたものと同じだった。
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彼は、今もあの山にいる自然保護官に、手紙を書いてみようと思った。
[ おわり ]
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