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          エルドの斜塔
                                 すやまたけし


          ○
 エルドの町の北のはずれにある斜塔は、この町を訪れる人々が必ず立ちよる有名な観光名所になっている。
 エルドの斜塔はその円柱型の美しい姿を北に傾け、青い空にそびえている。そして、それを見る者にいろいろな感慨を与えるのだった。
 この斜塔にまつわる数々の言い伝えの中で、その悲劇性と神秘性から、人々にもっとも認められている伝説がある。それは、エルドの斜塔が建てられた中世にまでさかのぼる物語だ。
 そのころ、この地方は、この町に城をかまえていたゼラン王と、北に領地を持つマルテス王の、強大なふたつの勢力によって二分されていた。隣あう者同士は、いつの時代にも、どの地域でも、ライバル視しあい、反目しあうのがつねだ。つまり、隣が栄えれば自分のほうはみすぼらしく見えるし、隣の領地がこちら側に広がってくれば、こちらの領地は狭くなる、というように、隣同士の利害はいつも対立するものなのだ。
 ゼラン王とマルテス王の間にも絶えず理由のない小さないざこざが起こっていた。もともと、この種の争いは、どちらが善で、どちらが悪であるというような判断はできないものだ。
 ついに両者は険悪な状態になり、武力による衝突は避けられないものとなった。その時、ゼラン王に仕えるある賢者が、争いを避けるための名案を考えついた。ゼラン王は悩んだ末に、その案を採用して、使者をマルテス王のところへ送った。
 その争いを避けるための提案とは、それぞれの王の愛する子供を、お互いに人質として交換しあうということだった。そうすれば、両者は、相手国へ向けて無理に兵を送ることはできなくなるはずだった。
 マルテス王は、大臣たちと協議した結果、その提案を受け入れることにした。
 そして、ゼラン王のルタン王子と、マルテス王のミサリス王女が、それぞれ交換され、戦いは回避された。
 ミサリス王女は、このエルドの町に建てられていた塔の最上階にひとり幽閉されることになった。
 ミサリス王女は、まだ十七歳になったばかりだった。大事な人質として望むものは何でも与えられたとは言え、塔の最上階の部屋からは一歩も外へ出ることは許されなかった。
 ミサリスは、いつも塔の北側の窓から自分の国の方角を見つめ、嘆き悲しんだという。
夜になると、塔を守る衛兵たちの耳に彼女の寂しそうな鳴き声がかすかに聞こえてきた。
 両国の間の平安は無事に保たれていたが、ミサリスが閉じこめられていた塔には、ある異変が生じはじめていた。エルドの斜塔は、もともとは、まっすぐに建てられていたのだが、ミサリスが来てから、少しずつ北に向けて傾きはじめたのだ。ある技師は北側の地盤が弱いために、自然に塔が傾きはじめたのだろうと説明したが、衛兵のひとりが、これをミサリスの国を思う悲しみに結びつけてからは、しだいにこの説が市民の間に広められることになった。
 ミサリスが北の自分の国を懐かしく思い、その深い悲しみがこの塔を故郷に向けて傾けるのだといううわさは、急速に受け入れられていった。
 事実、日を増すごとに、ミサリスの悲しみが深くなるにつれて、塔の傾きは大きくなっていった。そして、塔の傾きが危なく思われるほどに大きくなり、ゼラン王がミサリス王女を別の場所へ移そうとした矢先に、悲劇は起こった。
 真夜中に、ついに寂しさに耐え切れなくなったミサリスが、北側の窓から身を投げたのだ。その知らせを受けたマルテスは怒り狂い、その後、両国は全面戦争に突入する。多くの血が流れ、両国は消耗して、結局、新たに力をつけてきた第三国によって、この地方は治められることになる。
 ところで、ミサリスがみずからその短い生涯を閉じたとたんに、塔の傾斜も止まったのは、実に不思議なことだった。それ以来、今日まで、エルドの斜塔は同じ姿を青い空にそびえさせているのだった。
          ○
「本当よ。あれは、確かに女の子の泣き声だったわ」
 ユリアは自信を持って、オーベルに言った。ふたりの前に、エルドの斜塔がそびえている。
「きのうの夜、おばさんの家から帰る途中にこの道を通った時、あの塔の上のほうから、悲しそうな泣き声が聞こえてきたのよ」
「風の音か何かじゃないの?」
「そんなのじゃないわ。ちゃんと、聞こえたわ。それに、塔の一番上の窓を見たら、人影があったのよ。わたしは怖くなって、かけだしたわ。それでも、わたしのあとを追うように、その泣き声は聞こえてきたわ」
「夜、この塔に人がいるはずがないよ」
「本当よ、本当にいたんだから。ああ、あの悲しい泣き声は忘れられないわ」
          ○
 その夜、オーベルは、ひとりでエルドの斜塔へやってきたが、半分は後悔していた。ユリアに強そうなことを言って、こんなことを約束しなければよかった、と思った。誰もいないエルドの斜塔は、月明かりに照らされて、寂しそうに立ちつくしていた。オーベルは、悲劇のミサリスの伝説を思い出し、ユリアの見たものが、ただの見間違いであることを祈った。
 こわごわ、オーベルが斜塔の北側へまわろうとした時だった。彼のほおを、そよ風がそっとなでていった。そして、かすかに泣き声が聞こえてきた。オーベルは、身震いをして緊張した。
 まさか、とオーベルは思いながらも、勇気をふりしぼって北側に出た。上のほうで、誰かが泣いている。悲しそうに、寂しそうに。
 その声のするあたりを見あげると、オーベルは「あっ」と声をあげ、思わず息をのんだ。
一番上の窓のひとつから、誰かが顔を出して遠くを見ている。長い髪の女性のようだ。そして、すすり泣いているようだった。女の子の悲しそうな泣き声が、彼の心を震わすように聞こえてくる。オーベルは青ざめた。まさか、あの伝説のミサリスの亡霊じゃないだろうな、と思った。亡霊でありませんように、と彼は胸に十字を切った。
 オーベルが見ていると、その窓の人影の顔のところで、きらりと光るものがあった。そして、その小さな輝くものは、その高さから落ちてきて地面ではねて光った。
 オーベルは、柵を乗り越えると斜塔の窓の下に近づき、その小さく光るものを捜した。
それは石畳の上で輝いていた。水滴型の透明な宝石だった。彼は、それを指先でつまんで、夜空にかざしてみた。それは、星の光を集めて美しく輝いた。
 オーベルは、その美しい宝石を落とした人影のいる窓を見あげた。彼女は寂しそうに泣きながら、窓から身を乗りだしている。
 オーベルが危ないと思った瞬間、その人影は宙に身をおどらせた。飛びおりたのだ。オーベルに向かって落ちてくる。オーベルはその黒い影が自分にぶつかると思って目を閉じた。しかし、何事も起こらなかった。彼は恐る恐る目を開けて上を見たが、何も落ちてきてはいない。窓の人影も消えていた。
 オーベルは、今、目の前で起こったことが現実なのかどうか自信が持てなかった。彼はふと右手の中に何かが握られていることに気がついた。ゆっくりと開けてみると、そこには輝くものがあった。それは、のちに「ミサリスの涙」として新たに伝説につけくわえられることになる美しい宝石だった。

[ おわり ]


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