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          水への帰郷
                                 すやまたけし


          ○
 カミユラは丸木舟を湖に浮かべ、乗りこんだ。櫂をこぐと、すべるように波紋を引きながら、岸から離れていく。
 湖は深く、青く、静かに岸辺の木々を映していた。
 数日前に、カミユラは湖にひとりでやってきた。彼はテントを張り、丸木舟に適した大木を切り倒すと、斧でくりぬきはじめた。少しずつ、小舟は形を整えていった。そして、彼が乗るのにじゅうぶんな丸木舟が一そう完成した。
 午後の太陽は傾きはじめた。やがて、遠い山の端に沈んでいくのだろう。
 湖のなかほどまで進むと、カミユラはそこで丸木舟をこぐ手を止めた。
 水面が落ち着くのを待って、彼は深い湖底をのぞきこんだ。澄んだ水を通して、水底の暗い影がぼんやりと見えてくる。
 ここはどのあたりだろう、とカミユラは考えた。
 まわりの山の稜線の形を確かめて、記憶の風景を重ねてみる。このあたりに、彼の村が沈んでいるのは間違いないはずだ。
          ○
 ダムと大規模水力発電所の建設が決まり、熱帯林が切り開かれ、建設工事用の道路が作られはじめると、このあたりの環境は一変した。作業員の宿舎ができ、大型の建設機械を載せたトレーラーがつぎつぎとやってきた。
 カミユラの住む村も、ダムができるまでに、山を越えた新しい土地へ移らなければならなくなった。
 村は円形の広場を中心にして、各家族の家々がまわりを囲んでいた。
 村のはずれにある神聖な泉を守っていた呪術師のモアリモアリは、村を移すことに最後まで反対していた。
 彼らの言葉でモアリとは「水」のことだ。モアリモアリとなると複数形になって、「たくさんの水」という意味になる。ちなみに、カミユラは「山の頂き」という意味だった。
 モアリモアリは、カミユラに話した。
「わたしはここで泉を守る。それが、わたしの使命だから」
「でも、やがてダムができると、ここは湖の底に沈んでしまいます」
「ここが湖になっても、泉から清らかな水が湧きつづけることに変わりはない」
 しかし、頑固な彼もダム湖に住むわけにいかなくなり、ほかの者たちとともに、新しい土地へ引っ越していくことになる。
          ○
 山の向こうの密林を切り開いて、新しい村は作られた。機械力を使ったので、思ったよりもはやくできあがった。国からの援助金のおかげで、家は近代的で住みやすくなったし、ダムの水力発電所から電気も各家庭に送られるようになった。
 村人たちは、引っ越して、快適な暮らしができるようになった。とくに若者たちは、文化的な暮らしができるようになり、水力発電所での仕事にもありつけるようになって喜んだ。
 新しく森を焼いて開墾した畑でも、前の場所より多くの農作物がとれるようになり、村は裕福になった。
 ひとり不満だったのが、モアリモアリだった。新しい土地には泉がなかったのだ。
 ダム湖から給水管によって、村の給水タンクに水がひかれていた。おかげで、それぞれの家ごとに水道が使えるようになり、村人たちは便利になったが、モアリモアリの泉を守る仕事はなくなってしまった。
 泉に関する祭事は、村の祭りの中でも重要なもので、モアリモアリのもっとも晴れがましい役割だったのに、その必要はなくなった。
 モアリモアリは、収穫の祭りや、村人が病気になったときの悪霊払いで、なんとか自分の存在意義を保っていたが、本来の彼の名前にふさわしい仕事がなくなったことを寂しく思っていた。
          ○
 モアリモアリが日ごとに弱っていったのは、町から定期的に診療にくるようになった医者が言うように、心臓が悪かったからかもしれない。しかし、カミユラが思うのは、モアリモアリは、泉を守る仕事がなくなったから、元気がなくなったのではないかということだった。それに、診療に来る医者の存在も、彼の尊厳と誇りを傷つけることになったのではないだろうか。
 まだカミユラが幼かったころ、高熱で苦しんだことがあった。泥絵の具を顔や体に塗り、首飾りや羽根飾りを身にいっぱいまとったモアリモアリは、寝ている彼に薬草を飲ませ、悪霊払いをしたあと、森のなかへひとり入っていった。
 モアリモアリは森にいる黒い悪霊と戦った。そして、ぐっすり眠りこんだカミユラが次の朝に目覚めると、すっかり具合がよくなっていた。寝汗をぐっしょりとかいた彼を両親が見守っていた。彼らは、モアリモアリに感謝した。
 ところが今では村人が病気になると、医者が診察して薬をくれる。モアリモアリの悪霊払いは、形だけの儀式になってしまった。
 カミユラは、元気だったモアリモアリが勇敢に深い森の中で黒い悪霊と戦っている姿を想像しては、自信をなくしたような現実の姿を見て同情するのだった。
          ○
 湖の底をのぞきこみながら、カミユラは丸木舟を進めていく。そして、ふたたび舟を止めた。
 その下で、今でも泉が湧きつづけているのだろうか。モアリモアリの守っていた泉は、いつも清らかで、村の飲み水となり、村の繁栄と平安の象徴でもあった。
 ダムができて、モアリモアリは泉を守る使命をなくし、魔術の力も弱くしていった。そして、死んだ。医者が言っていた心臓の病気でだった。
 水の中を見ていたカミユラは、持ってきた皮袋の中から、大切そうに色鮮やかな首飾りをとりだした。
 モアリモアリは死んだあと、魂が体を離れるまで、村のしきたりどおり、死者の小屋の棺に横たえられていた。その時、カミユラは今日の日のために、首飾りをそっとはずしにいったのだ。
 モアリモアリは、新しい村の近くに作られた墓地の最初の埋葬者になった。カミユラは、彼を泉の近くに葬ってやりたいと思ったが、まさかダムの底に沈めるわけにもいかなかった。それで、せめて、彼の大事にしていた首飾りだけでも、泉の場所に沈めてあげようと思ったのだ。
 両手で首飾りを水の上に捧げ、目をつぶり、モアリモアリの元気だった姿を思い浮かべる。そして、ゆっくりと目を開けると首飾りをはなした。水の中を、首飾りは揺れながら沈んでいった。すぐに、それは見えなくなった。泉の場所に首飾りがうまくおりていったことを、カミユラは祈った。
 水面にさざ波がたってきた。風が吹いてきたのかと思って、岸のほうを見てみたが、木々は少しも動いていない。もう一度、水面を見ると、水がもりあがっている。湖の底の泉から水が湧きだしているのだろうか。
 波は大きくなり、丸木舟が揺れはじめた。カミユラは姿勢を低くして、丸木舟に強くしがみついた。波を受けて、小舟は後退していく。前後、左右に激しくゆさぶられて、カミユラは頭がくらくらしてきた。
 そして、彼は見た。水の湧きだす水面の中心に、モアリモアリが立っているのを。モアリモアリは、泉を祭る時の厳粛な表情で、カミユラを見ていた。顔には元気だったころの自信と余裕が感じられた。カミユラはその首にかかっている鮮やかに揺れているものを見つけた。それは、さっき彼が湖に沈めたあの首飾りだった。

[ おわり ]


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