トランジスター・ラジオ
すやまたけし
○
暖かい日の午後、ぼくはレイミとふたりでトランジスター・ラジオを聞いていた。
ひとけのない公園の芝生は午後の陽射しを浴びて輝き、木陰にいるぼくたちの横を透明な風がやさしく通り過ぎていった。
ぼくは芝生の上で横になり、レイミは膝を抱えていた。
その旧式のトランジスター・ラジオからは、軽やかなリズムの音楽が耳に心地よく流れていた。ぼくの持っているそのトランジスター・ラジオは骨董的な品物で、二十一世紀の現代に、そんな旧式のラジオを持っている者など、ぼくのまわりに見つけることはできなかった。
レイミが不思議そうにぼくに尋ねた。
「この古いラジオ、どうしたの? こんなのはじめて見たわ」
「珍しいだろ。これはね、おじいさんのワイダさんの形見なんだ。昔のラジオはみんなこうだったんだ」
「わたしも何かの写真で見たことはあるけれど、実物を見るのははじめてだわ」
ぼくはその古びたトランジスター・ラジオを、今は亡き祖父のワイダの家の屋根裏部屋で、がらくたの山から見つけたのだった。
そして、ほこりを払い、手入れをして、新しい電池を入れて、やっと聞こえるようにしたのだった。
それはたぶん六十年以上も昔、まだワイダがぼくくらいの年齢の時に買って聞いていたものだろう。最近のラジオに比べたら大きすぎるし、ずっと音質も落ちるのに、ぼくはその古めかしいデザインがとても気に入っていた。それに、その時代おくれの大きさと重さにも存在感が感じられた。
それは、ぼくのてのひらにしっくりとなじんだ。
「音はあまりよくないけれど、わたしはこのラジオ、好きだわ」
とレイミも同意してくれた。
レイミはそのトランジスター・ラジオを手にとると、珍しそうにいろいろと角度を変えて見ていたが、やがてダイヤルをまわしはじめた。
ダイヤルをまわすごとに、雑音と音楽と話し声の断片が切れ切れに聞こえてくる。
しばらくして、ダイヤルをまわしているレイミの手がとまった。
「あら、昔の音楽をやっている」
偶然に彼女がダイヤルを合わせたその局では、相当に古い時代の音楽をやっているようだった。
その曲のメロディー・ラインはシンプルで美しく、最近の音楽になれているぼくの耳にはかえって新鮮に感じられた。ぼくはその昔の音楽に聞き覚えがあった。
「この曲、ワイダさんが若かったころ、流行っていた音楽だ」
「そうね。わたしもおばあさんがこの曲を口ずさんでいるのを聞いたことがあるわ。とても素敵ね。じゃあ、この古いラジオで聞くのにはぴったりだわ」
「懐かしい時代のトランジスター・ラジオから流れてくる、懐かしい時代の音楽」
ぼくたちは、次から次へとかかる懐かしい音楽を聞いていた。その局からは、その時代の音楽ばかりが流れてくる。
それらの音楽のおかげで、ぼくとレイミのいるその場所はとても安らかで幸福な場所のように思えた。
そよ風が木々の葉を揺らして、こもれびが芝生の上に光のまだら模様を描いている。
まだ、ワイダが若かったころに流行っていた音楽、その古いトランジスター・ラジオが活躍していた時代の音楽が聞こえる。ぼくはその音楽を聞いているうちに、ぼく自身もその時代にいるような気がしてきた。
ワイダがぼくに話してくれた、まだ夢や情熱が人々の心に生きていた時代、その時代のことを思うとぼくの胸も熱くなってくる。
ぼくはその古いラジオと音楽を通して、祖父のワイダの懐かしい時代を心の中に感じとっていた。
もしかしたら、トランジスター・ラジオは時代を超えることのできるタイムマシンじゃないだろうか、とぼくは思った。現にこうしてワイダが若かったころの音楽が聞こえてくるし、ラジオを通してその時代を追体験することができる。
ぼくはそのころのワイダに、心の周波数を合わせているような気がした。
トランジスター・ラジオから流れてくるその曲が終わると、D・Jが話しはじめた。
「さあ、次はカイノ町のイリス通りに住むワイダくんのリクエスト曲……」
えっ? とぼくは思った。
「カイノ町のイリス通りのワイダ? 今、そう言った?」
「ええ、確かにそう言ったわ。カイノ町のイリス通りのワイダくんて」
「イリス通りのワイダっておじいさんのことじゃないか」
D・Jはなおもつづけた。
「ええっと、同じ町のミザワ丘に住むグラフさんへだ」
「おかしいなあ、イリス通りにはおじいさんの家の他にワイダなんて名前の家はないと思うけれど」
トランジスター・ラジオからはなおもD・Jの声が流れてくる。
「おっと、ワイダくんのメッセージがあった。ええっと、『グラフ、レコードを貸してくれてありがとう。ぼくもこの曲が気に入ったよ。だから、きみのためにリクエストをする。
それから、今度の日曜日に映画を見に行こう』。それじゃ、ふたりのために、今週の第四位……」
D・Jが紹介した曲がラジオから流れはじめる。それはワイダが若かったころに流行ったラブ・ソングだった。
「へえ、こんな昔の曲が第四位だって」
ぼくはその美しい曲を静かに聞きながら、さっきD・Jが読んだリクエスト葉書のことを考えていた。
ワイダという男の子がいて、グラフという女の子のために、好きな曲のリクエストをする。そのこと自体に不思議なことはひとつもない。しかし、イリス通りのワイダという名前が気になった。それに、こんなに昔のレコードを貸したり借りたりしている人たちが今の世の中にいるのだろうか? しかも、そのリクエストが今週の第四位?
やはり、おかしい、とぼくは思った。
レイミも耳を澄まして、その曲に聞き入っていた。
ぼくは変なことを考えてみた。さっきからこの番組は、昔の音楽ばかりやっている。しかも、この番組ではそれが当たり前のことのようなのだ。
この曲が流行っていた古き良き時代、そのころのトランジスター・ラジオから流れてくるオールド・ヒット・ナンバー。もしかしたら、この番組はその時代の番組そのものなのじゃないだろうか。そんな気がしてきた。そうだ、きっとそうだ。六十年前の昔の番組の録音されたものを、今、ふたたび流しているんだ。
ぼくはレイミに聞いてみた。
「ねえ、この番組、昔の番組の録音したものじゃない?」
「そうね、音楽も話題も昔のままだわ。でも、その古いトランジスター・ラジオにはちょうどいいんじゃない?」
そうだとしたら、さっきのイリス通りのワイダくんとは、祖父のワイダの若かったころの本人かもしれない、とぼくは思った。
確か、祖父のワイダは子供のころからイリス通りに住んでいたはずだった。
ワイダがまだぼくと同じくらいの年齢の時に、彼はミザワ丘に住むグラフという女の子からそのレコードを借りて、さっきトランジスター・ラジオから聞こえてきたようなリクエスト葉書を出したのかもしれない。
ぼくは、どうしてもイリス通りのワイダと言えば、祖父のワイダ以外の人間を思い浮かべることはできなかった。
しかし、ミザワ丘のグラフという女の子には心当たりがなかった。
トランジスター・ラジオから流れてくるラブ・ソングが終わり、またD・Jが軽快に話をはじめる。そのあとの内容を聞いてみても、やはりその番組は今の番組ではなくて昔の番組のようだった。
ぼくは首をかしげて、そのラジオを手にとるとダイヤルをまわしてみた。他の局は、いつも聞いている知っている局ばかりだし、みな現在の音楽と話題を流している。やはり、さっきの局だけが変だった。
ぼくは、ふたたびダイヤルをまわして、さっきの局に合わせてみようとした。しかし、どこに合わせても、あの懐かしい音楽を流していた局を見つけることはできなかった。
さっきダイヤルを合わせていたと思われる周波数のあたりでは、雑音が聞こえてくるばかりだった。
「あれ、さっきの局の番組、どこかへ行ってしまった」
「ちょっと、わたしに貸してみて」
ぼくはそのトランジスター・ラジオをレイミに手渡した。彼女は不思議そうにダイヤルをいろいろまわしていたが、やがてあきらめて言った。
「本当、おかしいわ、あの番組どこかに行っちゃった」
その番組は消えてしまっていて、どこに合わせてみても二度と聞こえてこなかった。
彼女の手のトランジスター・ラジオからは、相変わらず雑音だけが聞こえていた。
○
ぼくとレイミは、イリス通りの今は亡き祖父のワイダの家を訪ねてみた。その家には今も祖母がひとりで住んでいた。
祖母はいつものように、ぼくを笑顔で迎え入れてくれた。
ぼくたちは祖母のいれてくれた紅茶を飲みながら、あのラジオの番組でリクエストされた曲のことを聞いてみた。
「ええ、知っていますとも。その曲は、わたしたちが若かったころにとても流行っていた曲だわ」
祖母は輝くような微笑を浮かべ、懐かしそうに目を細めてそう言った。
「そんなに流行っていましたか?」
「ええ、みんな夢中になって聞いたものよ」
「おじいさんも、その曲を好きでしたか?」
「そうね、おじいさんも、好きだったと思うわ。確か、おじいさんもそのレコードを持っていたように思うけれど」
「えっ、本当ですか?」
とレイミも乗り気になった。
「そのレコード、まだありますか?」
ぼくがつづけて聞いた。
「そうねえ、なにしろ古いレコードですから。今はあんな昔のレコードをかけられるプレーヤーはありませんしね。もしかしたら屋根裏部屋にあるかもしれないけれど、さあどうかしら」
「また、屋根裏部屋にあがってもいいですか?」
「いいですとも、そのレコードが見つかったら持っていってもいいわ。他にも欲しいものが出てきたら、どうぞ。あのまま、あそこでごみになってしまうより、あなたたちのものになってくれたほうがいいと思うわ。そうそう、この前のトランジスター・ラジオはどうでした?」
「とてもよく聞こえています」
「わたしも、あのトランジスター・ラジオ、気に入りました」
「そう、それはうれしいわ」
「それから、おばあさんは、おじいさんの友達で、ミザワ丘のグラフさんというかたをご存じありませんか?」
「ミザワ丘のグラフさんねえ……」
祖母は一生懸命に過去の記憶をたどっているようだった。
「グラフさん……そうそう、その名前、おじいさんから聞いたことがあるような気がするわ。でも、ミザワ丘だったかどうかは……ちょっと。わたしはお会いしたことはないけれ
ど……おじいさんの古い住所録に書いてあるかもしれない」
「本当ですか? じゃあ、それも捜してみます」
ぼくとレイミは屋根裏部屋を捜してみようと、その席を立った。祖母は懐かしそうに、あるメロディーを口ずさみはじめた。
それは、トランジスター・ラジオから流れていたあの曲だった。
○
ぼくとレイミは屋根裏部屋にあがり、祖母から教えてもらった古い箱やトランクを手当たりしだいに開けてみた。
しばらくして、ぼくたちはその中のひとつから古いレコード盤を何十枚も見つけだすことができた。どれも、今では売られていない古いものばかりだった。それらのレコードは今のCDと違って、レコード盤の面に細かい溝がついている骨董品ばかりだった。
「わあ、こんなレコード、はじめて見るわ。珍しい」
ぼくたちは、そのレコードを一枚一枚、丁寧に調べていった。長い時間のせいで、ほこりをかぶっていたり、レコード・ジャケットが色あせたりしているものもある。残念なことに、変形して湾曲してしまっているレコードもあった。
それらのレコードはどれも、ワイダが若かったころに流行っていたものだろう。そのレコードをこうしてぼくたちが手にすることができるのは、奇跡のように思えた。
「あら、このレコードを見て」
とレイミが声をあげた。
そのレコードは、トランジスター・ラジオで聞いたあのレコードだった。
「これだ。やはり、ワイダさんはこのレコードを持っていたんだ」
「もし、トランジスター・ラジオのことが事実だとしたら、これはワイダさんが、ミザワ丘のグラフさんから借りたものかしら?」
「うん、そうだとしたら……」
ぼくは混乱した心を鎮めようとした。
「よし、今度はワイダさんの住所録を捜してみよう」
今度の宝さがしは、レコードの場合よりはるかに難しかった。
しかし、苦労の末にぼくたち名探偵はノート類の中から目的の住所録を見つけることができた。
そして、グラフの名前を見つけた。住所も、ミザワ丘……やはり……、ぼくの興奮度はその時、絶頂に達した。たぶん、レイミも同じだったろう。
「トランジスター・ラジオのことは本当だったんだ」
「ええ、信じられないけれど」
○
次の日曜日、ぼくとレイミはその古い住所をたよりに、ミザワ丘のグラフの家を捜しにいった。
ミザワ丘は海に向かった景色のいい場所で、なだらかな坂道がつづいていた。
その番地に、今もグラフの家はあった。
ぼくたちは勇気を出して、呼び鈴を鳴らした。
年をとったグラフは、ぼくたちが持っていたあのレコードを見ると非常に驚いたようだった。そして、ぼくたちを家の中に招いてくれた。
グラフの笑顔は美しかった。
○
窓から海が見渡せる部屋で、グラフとぼくとレイミの三人は旧式のレコード・プレーヤーの前に座っていた。
今では骨董品のその古いレコード・プレーヤーは、まるで、ぼくたちとそのレコードをずっと待っていたかのように手入れされていた。
「さあ、これでよし」
ぼくはそのプレーヤーの準備をすると、ふたりに言った。
「じゃあ、さっそく、このレコードをかけてみますね」
「何十年ぶりになるのかしら。それにしても、ワイダさんにお貸しして忘れたままになっていたレコードをこうして、また聞くことができるなんて、不思議な気がするわ。この古いプレーヤーも壊れていなくてよかった」
グラフは何かを思い出すように、ふと目をふせた。そして、つぶやくように言った。
「もし、ここにワイダさんがいたら、もっとよかったのに」
ぼくはターン・テーブルにその古いレコード盤を乗せて、針を持ちあげた。レコードがゆっくりとまわしはじめ、その表面の溝に窓からの柔らかい光が反射して、美しい縞模様が見えた。
ぼくは、慎重に、レコード盤の縁にそっと針を置いた。針の触れる音がスピーカーから聞こえて、レコードの溝を針がなぞりはじめる。
針もレコード盤もすり減っているのだろう。スピーカーからは雑音ばかりが聞こえてくる。ぼくは不安になって、針の先をのぞきこんだ。
その時、音楽がはじまった。
ぼくとレイミが公園で聞いた、あのトランジスター・ラジオから流れてきた美しい音楽。
ワイダがグラフのためにリクエストをしたあの曲。そして、グラフがワイダに貸したままになっていたレコードの音楽がはじまったのだ。
その古いレコード・プレーヤーから流れてくる音楽は雑音も多くて、音も悪かったが、それはまぎれもなくあの古き良き時代の懐かしい音楽だった。まだ、人々の心の中に夢や情熱が輝き、希望や憧れが満ちていた時代の音楽だった。
ぼくはその音楽を聞きながら、ワイダとグラフがまだ若かった時代のことを思い浮かべた。どうして、ワイダはこのレコードをグラフに返さなかったのだろう。ふたりには何があったのだろう。
ぼくは、目の前にいる年をとったグラフを見た。ぼくは、グラフにもぼくたちと同じくらいの年齢の時があったことを想像して、不思議な気持ちになった。
グラフはその懐かしい曲を聞きながら、遥かな遠い日を見つめているようだった。おそらく、ワイダのことも思い出しているのだろう。彼女の瞳は澄んで美しかった。
ぼくは窓の外の海に視線を移してみた。午後の陽を受けて、青い海は静かに広がっていた。ワイダとグラフも、昔こうして、ふたりで海を眺めていたことがあったのだろうか。
沖を大きなタンカーが行くのが見える。ぼくはそのタンカーを見ているうちに、自分がその音楽の流行っていた時代に戻っていくような錯覚にとらわれていた。
「ぼくは今、どこにいるのだろう。ぼくとレイミはこれからどこへ行くのだろう」
レコードの美しい音楽が、ぼくたち三人をやさしく包んでいた。ぼくは不安になって振り返った。
レイミが幸福そうに微笑んでいる。
そして、その隣……さっきまでグラフがいた場所に座っているのは……レイミと同じくらいの年齢の美しい少女だった。彼女はまぶしいほどの笑顔で、懐かしそうに遠い海をじっと見ているのだった。
[ おわり ]
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