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          ○・五光年通信
                                 すやまたけし


          ○
 きのう、きみの長い手紙が届いた。
 きみが二十数週間前に書いたその手紙を、ぼくは何回も読みなおした。
 きみは元気に暮らしているようだ。故郷は相変わらず美しく、きみはそこにとどまったことを後悔していない。それに、新しい幸福の予感すら感じているらしい。
 きみにはきみの生活があり、ぼくにはぼくの日々があるということだろう。
          ○
 きみの手紙から、きみの言葉によって、故郷の話を聞くことを、ぼくは毎回、楽しみにしている。しかし、遠く離れていくにしたがって、きみの手紙にいいようのない寂しさを感じるようになってきたことも事実だ。
 ぼくは、返事を書くべきかどうか迷った末に、やはり手紙を書くことにした。それは、はじめの約束でもあったのだから。
 これからも、きみが手紙を書きつづけるかぎり、ぼくも手紙を書きつづけることになるだろう。
 ぼくがこの手紙を書いて送ると、きみは正確に半年後にこの手紙を受けとることになる。
その時には、また、きみは変わっていることだろう。そして、ふたたび、ぼくが手紙を書いて送りかえす時には、ぼくはもっと遠いところにいることになる。その時には、ぼくも今のぼくとはまた違っていることだろう。
          ○
 電波の速度を、これほどもどかしく感じるようになるとは思わなかった。暗黒の宇宙を、電波がこの宇宙船を追って孤独な追跡をする姿を想像すると、あまりにもたよりないものに感じる。
 ぼくときみとの間には、恐ろしいぐらいの闇の深さと、真空の空虚さが広がっている。
そして、その距離を埋める方法はない。
 どれだけ長い手紙を、毎日のように書いたとしても、その時間と距離を縮めることにはならないだろう。言葉は、人間の想いのほんの一部しか相手に伝えることはできない。過剰すぎる言葉は無意味だ。あるいは、それよりも沈黙のほうが、多くの想いを相手に伝えることができるのかもしれない。それを考えると、この手紙は言葉を重ねるだけ無駄な気がしてくる。きみも同じようなことを考えたことはないだろうか。
 闇の中を連なり、たどる言葉の列を想像すると、細い糸よりも弱々しく見える。
          ○
 どんなに親しいふたりであっても、長い時間と遠い距離がふたりの間に横たわってしまえば、心と心は離れていくということを、今では実に一般的なことだと思える。それは、数年の間、会わないでいる場合にも、容易にあてはまることだろう。ましてや、ぼくたちの場合には……。
 しかし、きみと別れる時には、そうは思わなかった。ぼくは永遠性というものを信じていた。どれだけ遠く離れていても、変わらないものがあると信じていた。あの時、きみはぼく以上にそのことを信じていたはずだ。
 たとえ遠く離れていても、たとえ長い時間がふたりの間に横たわったとしても、通いあえるものがあると信じていた。
          ○
 今からちょうど五年前、ぼくたちは宇宙港の待合い室で最後の言葉をかわした。
 ぼくは、衛星軌道上で待っている恒星間宇宙船へ向かう宇宙バスに乗りこむところだった。きみは、ぼくを見送りに来ていた。
 そもそも、ぼくたちの考え方には、それ以前から根本的な違いがあった。それは、お互いの心の奥に秘められた意志と世界観の違いだったのだろう。どちらが正しくて、どちらが間違っているというような問題ではなかったのだと思う。
 ぼくは子供の頃から、遠い未知の星をめざし、地球から飛び立つことを夢見ていた。そして、大きくなるにつれて、それはただの夢や憧れから、現実的な願いへと変わっていった。
 ぼくがそのことをきみに話したとき、きみはそれを無謀で無意味なことだと言った。
          ○
「どうして、地球ではいけないの? あの空の奥には何があるというの?」
 きみは青い空をじっと見つめ、ぼくに言った。晴れた空には昼の月が小さく消えそうに浮かんでいた。青い空、その澄んだ濃い青さの奥には、ぼくがめざす宇宙空間の闇が広がっているはずだった。
 ぼくは、何と答えていいのかわからず、きみの見つめる空を黙って見つづけた。
 きみは不思議そうに、ぼくの顔を見て聞いた。
「なぜ、地球では幸福になれないの? あなたは、何を求めているの? わたしは地球を離れることはできない。それでも、あなたは行くの? あの空の向こう側へ。わたしをここに、ひとり残して」
          ○
 ぼくは、うまく自分の考えをきみに説明できなかったと思う。
 ぼくは自分に対して説明するように、思っていることを話した。
「大航海時代に、新大陸をめざして船に乗りこんだ人たちがいた。もしかしたら、船は途中で嵐に遭い、海のもくずと消えてしまうかもしれない。嵐に遭わなくても、新大陸にはたどりつけないかもしれない。しかし、彼らは船に乗りこみ、大海に出ていったんだ」
 きみの反論は、いつも現実的で、また明快だった。
「海と宇宙とは違うわ。海はこの地球にあるのよ。船乗りたちは、この地球から出ていこうとは思わなかった。彼らのまわりには、いつも大海原と広い空があったし、柔らかい風を頬に感じることができた。どこまで行ったとしても」
「うん」
「それに比べて、宇宙には虚無があるだけだわ。その闇は冷たくて、人間をよせつけない。
そこには、絶望と、哀しみが満ち満ちている。どこまで行っても、同じだわ」
「時代が違うんだ。彼らにとっては、海は危険で未知の世界だった。海の果ては滝になっていて、奈落の底へ落ちていくと思われていた時代だってあった」
「でも、その人たちは、また帰ってこられたわ。帰れない人たちもいたかもしれない。けれども、帰れる人たちもいたわ」
          ○
 そのことに関しては、彼女のほうが正しかった。太陽系内の惑星行きの宇宙船であれば、何年かのちにまた地球に帰ってくることができる。しかし、ぼくが乗ろうとしていたのは恒星間宇宙船だった。帰ってこられないどころか、ぼく自身はその目標の恒星系に、生きてたどりつくことはできないのだ。
 冷凍冬眠法が確立していない現在、百年単位の恒星間航行をつづけるには、巨大な宇宙船の中で、何世代にもわたる世代交代をつづけなければならない。つまり、めざす恒星系に到達できるのは、ぼくたちの何世代もあとの子孫ということになる。
 やがて何年かたち、ぼくが大人になったら、ぼくはこの宇宙船の中で、もっとも遺伝的に適当と思われる相手との間に、元気な子供をもうけることになるだろう。そして、その子供たちは、ぼくたちのあとを引き継いで、遥かな星をめざして旅をつづけていくことになる。
 ぼくはこの宇宙船の中で、目的地の星を自分の目で見ることもなく一生を終えることになるだろう。
 そのことをわかっていながらも、ぼくはこの宇宙船に乗りこむことをためらいはしなかった。
「それでも、あなたは行くの?」
 と、きみは重ねて聞いた。
 ぼくは、もう一度、自問してみた。
 ぼくはいったい何をしようとしているのだろうか? 暗黒の宇宙を飛びつづけ、目的地へも到達できないで宇宙船の中で死ぬための旅。ぼくの旅は帰れない旅なのだ。
 しかし、昔の船乗りたちと違って、死んでも水葬にされるわけではない。恒星間宇宙船の中で死を迎えたもの、宇宙空間に捨てられたりはしない。宇宙船の中は自立した生態系を維持できるようにできていて、酸素も水もくりかえして使われる。人間も循環する生態系の鎖の一部を担うことになっている。
 ぼくという物質は、この宇宙船の中で転生をくりかえし、姿、形を変えて、結局は目的の恒星系にたどりつくということになるのだろうか。そして、ぼくの遺伝子を受け継いだ子孫が、無意識の中にぼくの夢と記憶を秘めたまま、その星を目にすることになるのだろうか?
 それがどういうことなのかはわからない。
          ○
「それでも」
 と、ぼくはきっぱりと言った。
「ぼくは行くよ。心の中の何かがぼくをかりたてるんだ。それが何であるのかはわからない。大航海時代の船乗りたちの冒険心や、野心や、開拓者精神と同類のものであるのかどうか。それはわからない。でも、ぼくは行くよ。いつの時代にも、フロンティアをめざす人間がいるのだとぼくは思う」
 きみは残念そうにぼくの顔を見て言った。
「わたしは、あなたのように大きな夢は持っていない。勇気も持っていない。わたしは未知の宇宙をめざして旅立とうとは思わない。わたしは平凡かもしれないけれど、この地球にいるだけで満足しているわ」
「ぼくにはぼくの考えがある。きみにはきみの考えがある。そして、ぼくたちにとって、このことだけがどうしても根本的に重なりあうことができなかった」
「他のことでは、とてもうまくいっていたのに」
          ○
 きみが、「わたしも一緒に行く」とひとこと言えば、ぼくたちの関係はそれまでと同じようにつづき、この恒星間宇宙船の中で同じ人生を生きることができたのだと思う。
 この巨大な宇宙船の中では、ほとんど地球と変わらない生活がつづけられる。外が暗黒の宇宙であることを忘れることができれば、何もかも地球にいる時と同じように、毎日を過ごすことができる。きみも、もしこの宇宙船に乗っていれば、案外、適応して、ここの人生を楽しむことができたのかもしれない。
 そうなればよかった、と今でもぼくは思っている。
          ○
 きみは考えた末に、ぽつりとぼくに言った。
「わたしは、やっぱり、この地球に残る……この美しい地球、ここの自然が好きなの……人口爆発、食糧危機、環境汚染、いろいろなことがあるかもしれないけれど、この地球が好きなの」
 たぶん、きみはぼくと逆のことを考えていたのだろう。
 きみは、ぼくが、「わかった。ぼくは宇宙に出ていかない。きみと、この地球で暮らすことにするよ」と言うことを望んでいたのだと思う。
 ぼくにとっても、それはそれでよかったのかもしれない。そうすれば、ふたりは何の疑問もなく、地球で幸福に暮らしつづけることができたのかもしれない。
 しかし、ぼくはそう言わなかった。やはり、ふたりの意志にはどうしてもまじわりきれないものがあった。
 ぼくは、決意を持って言った。
「ぼくは行くよ。さよなら。きみに対する気持ちに変わりはないけれど。これは仕方がないことなんだ」
 きみも、ぼくの目をじっと見て言った。
「わたしもよ。寂しいことだけれど。あなたは、あの空の向こう側を選び、わたしは、あの空のこちら側を選んだということだわ。本当に残念だわ……さよなら」
「さよなら」
 きみはうなずくと、ぼくに小さく手を振った。ぼくはきみと別れて、宇宙バスへつづく動く歩道に足を乗せた。
          ○
 ぼくの乗った恒星間宇宙船は、地球を離れていった。
 望遠カメラが映しだす、小さくなっていく地球を見て、あらためてぼくはその美しさにみとれた。青い宝石、それはこの暗黒の闇の中で唯一、生命観を感じさせる美しい星だった。
 青く輝く水圏と、白い模様を作っている大気圏の雲が、美しかった。ぼくが生まれた故郷、きみが暮らしつづける惑星。ぼくはその映像を、瞳の奥にしっかりと焼き付けておこうと思った。
 ぼくは、死ぬまでその美しい姿を忘れないだろう。ぼくはその美しい星で生まれたことを、いつまでも誇りに思うことだろう。
 どれだけ遠く離れようとも、ぼくと地球の間には、断ち切ることのできないきずなが存在しつづけるのだろうと思った。ぼくの心の奥底は、その遠い地球と永遠につながっている。
 そして、ぼくときみの間にも……?
          ○
 この宇宙船は、光の速度の十パーセントという驚異的な高速度で飛びつづけている。一年間に○・一光年ずつ地球から遠くなっていくことになる。
 はじめの約束どおり、きみはぼくに手紙をくれ、ぼくもきみに手紙を書きつづけた。ぼくたちの手紙はデジタル信号に変換されて、電波となって宇宙を往復する。
 しかし、宇宙船が地球と離れていくにしたがって、手紙が届くのにも時間がかかるようになった。一年がたち、地球と○・一光年離れたときには、手紙が届くのに○・一年かかるようになった。二年後には○・二光年の距離ができて、手紙が届くのに○・二年かかるようになった。
 地球を出て五年経過した現在、ぼくときみの間には○・五光年の距離が横たわり、ぼくが書いてるこの手紙は、半年後にきみのもとに届くことになる。
 そして、きみがこの手紙を読むころには、きみの心の中のぼくの存在は、また少し、遠く、小さくなっていることだろう。

[ おわり ]


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