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          彫金師と少年
                                 すやまたけし


          ○
 雨雲は低く海辺の町にかかっていた。雨の季節にはいってから晴れた日はほとんどなく、海は鉛色に澱み灰色の空と遠くの方で溶けあって見えた。夏には賑わうこの町も今の時期は人影も少なく閑散としている。港から続く石畳の坂道は雨に濡れ、家々の窓の明かりをうつして光っていた。
          ○
 金や銀の装飾品、置き物、食器などがまぶしいばかりに並んでいる店の中に若い男女の客がいた。そして金の指輪を二つ選ぶと、店の主人に名前を彫ってもらうように頼んだ。
主人は愛想よくひきうけ、ベルを取り上げて鳴らした。奥の方で、はいと返事がして少年が出て来た。
「ヨーヨー、この指輪をひと走り頼んだよ。これがお名前だ」
 ヨーヨーと呼ばれた少年は指輪を大切そうに茶色のバッグにしまい肩にかけた。
「はい、わかりました。行ってきます」と元気よく答えると、傘をさしバッグを胸に抱き雨の町に出て行った。濡れた道に気をつけながら小走りにかけて行き、ある家の前で立ちどまった。
「グールトさん、ぼくです」と少年はドアを叩いて言った。
 グールトは机に向かい銀のスプーンに飾りを彫っているところだった。青いエプロンを膝の上にひろげているのは仕事中に出る金銀の切り屑を集めるためだ。それらは細工の手間賃よりもいいお金になる。しかしグールトは律儀な職人気質を持っているし、わざと深く彫って切り屑をふやそうとはしない。あくまでも自分に満足がいくように美意識を持ち繊細に几帳面に無駄なく彫っていく。
「おはいり」とグールトは顔を上げずに答えた。
「こんにちは、グールトさん。今日ははじめてですね」とヨーヨーは言ってグールトの仕事机の横にやって来た。
「これをお願いします。お客さんが、お待ちです」
「ほう、エンゲージ・リングだ。ヨーヨーも今に買う時がくるな。名前は……と」
 少年は恥ずかしそうにして、名前が書いてある紙も渡した。
「はやくして下さいよ、お待ちなんですから」
 グールトは慣れた手つきで器用に文字を刻んでいく。少年はその手先を感心してじっと見つめていた。ちいさな声でグールトがつぶやいた。
「お母さんの許しがあれば私のところへ来てもいいんだよ」
「ううん、他にもやりたいことがあるし、まだわかりません」
「はい、できあがり。ええと文字数は……この伝票も頼んだよ」
「グールトさん。どうもありがとうございました」
 ヨーヨーはまた大事そうに指輪をバッグに入れると元気にとび出して行った。
          ○
 その夜、グールトは銀の皿のふち飾りを彫っていた。雨の音だけが聞こえてくる静かな夜だった。ドアを叩くものがあった。グールトはこんな時間に誰だろうと思いながら鍵を開けた。暗い玄関にぽつんとヨーヨーよりいくつか年上で金色の髪の毛の少年が立っていた。
「こんな遅く何の用だい」とグールトはこの町で見かけない少年に尋ねた。大きな板のようなものを抱えた少年がちいさく口を開いた。
「腕のいい彫金師がいると聞いたんです。これを彫ってもらいたいんです」
 包みを解くと輝く純金の板が六枚あらわれた。グールトは驚いてチェリー色の頬の少年の顔を見た。
「理由は聞かないで下さい。こちらが下絵です。お願いできますか」
 やさしい笑顔をして下絵をグールトに手渡した。風を切って海原を走る海賊船、勢いよく跳びはねるイルカ、車のついた大砲を引っぱる象、剣を振りかざした鎧兜の戦士、翼のあるドラゴン、巨大な飛行船、六枚の絵はどれも精巧で美術的にも美しいものだった。グールトは見ているうちに興味が胸の底から湧きおこってくるのを感じた。
「ううん、素晴らしい。やらせてもらおうかな。だが店のほうに頼まれている仕事も多いので……そうだな、これだと三週間はみてもらいたいな」
 少年は少し考えて、大丈夫、まにあうな、とつぶやき、言った。
「それじゃあ、お願いします」
 グールトは少年の空想力に応えて丁寧に美しい作品に仕上げてやろうと思った。毎日、あいまをみて金の板に少しずつ下絵どおりの線を細かく刻んでいった。熱中しているうちに真夜中になってしまうこともあった。店から使いで来るヨーヨーもこれらの絵に魅せられ、来るたびに出来上がり具合を横でじっと見ていくのだった。グールトは腕のふるいがいがあったし、ヨーヨーは船乗りの夢をかさねたり、伝説の英雄に憧れたり、青い空に飛行船が浮かぶのを想像したりした。
          ○
 三週間が過ぎた。夜になると雨があがり南側の窓が強い風でガタガタと鳴った。南風が吹くと、長かった雨の季節が終わり、明るい夏がはじまるのだった。グールトは最後の仕上げを施していた。数日前にすでに完成していたのだが、約束のその夜まで気になる部分をよりきれいになるように手をくわえていた。ドアを叩く音がして例の不思議な少年の声がした。グールトは満足そうにドアを開けにいった。
 少年は頬を紅潮させて言った。
「今晩は、出来ましたか」
 グールトは微笑みながら招き入れ椅子をすすめた。
「きっと気にいると思うよ。私もいい仕事をさせてもらったことを感謝したいね。余った時間で念入りに仕上げさせてもらったし、代わりばえのしないいつもの飾りやアルファベットと違って心をひかれるものだった」
 少年は渡された六枚の金の板に彫られた絵を丹念に調べながら言った。
「やはり評判どおりです。これだけ美しくしっかり彫られているなら大丈夫、きっとくっきりと浮かび上がるでしょう」
「えっ、何が浮かび上がるんだって」
 グールトは疑問に思って少年に尋ねた。
「ええ、皆さん確かに驚きますよ」
「えっ、誰が驚くって」
 グールトは少年が帰ったあと、手間賃に受け取った数枚の金貨を大切そうにしまうと、何かおかしな気分になって笑いだした。
「私もヨーヨーやあの少年のような頃があった。机に向かってこつこつと仕事をしている今とは、比べようもなく世の中のことを知らなかったかわりに、世界は希望や憧れに満ちていた」
 その夜、グールトは暖かい眠りに包まれた。
          ○
 きらきらと海は金の屑をまき散らしたように光り、空は青く澄んで水平線も明瞭に見えた。
 何日かたった朝、グールトはヨーヨーに起こされた。
「グールトさん。きのうの夜、見ましたか」
 ヨーヨーは興奮気味に言った。
「いや、疲れて早く寝てしまったけれど。何かあったのかい」
「星が凄くきれいだったんです。それがまったくへんてこりんな星座だったんです。前にグールトさんが金の板に彫っていた絵、あったでしょう。あれなんです、それらの星座は。海賊船にイルカに飛行船、象に戦士、それにドラゴン。金色で美しいあの絵が夜空に描かれていたんです」
 彼は微熱があるかのように一生懸命、前夜の奇跡について説明した。
 グールトは半信半疑に聞いていたが、あの少年のしわざに違いないと思った。そして、その夜、空に彼の作品がどんな具合に仕上がっているのか自分の眼で確かめてみようと思った。

[ おわり ]


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