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          漁船の沈む日
                                 すやまたけし


          ○
「あの船、廃船にすることになったぞ」
 父親が、ぽつりとコージに言った。
 コージは寂しそうな目をして、父親の言うことを黙って聞いていた。
「島の向こうの漁場に沈めることになった。あの船は、ちょうどいい人工漁礁になるだろう。それが、一番いい。おじいさんもきっと、喜んでくれるだろう」
          ○
 次の日、コージは漁港に一人でやってきた。コージの祖父のモリオの残した漁船は、漁港につながれたまま、静かに揺れていた。コージは遠い海を見る。外洋の荒い波が防波堤で白くくだけちって、しぶきが陽の光をあびてきらめいている。防波堤の突端には、白い灯台があった。防波堤に囲まれた漁港は、おだやかに静まりかえっていた。その日の漁に出る漁船が、機関を鳴らしながら波紋を残して進んでいく。
 コージは思う。この船だって、祖父のモリオがいたころは、みんなの先頭をきって漁に出たものだ。この船は、船足も速かったし、波をけたてて進むその雄姿は、いま思い出しても胸がわくわくする。しかし、いまはモリオはいないし、この船はもうじき廃船になってしまう。コージは残念でしかたがなかった。コージの父親は役場に勤めていて、漁業をつぐつもりはなかったし、コージはまだ漁師になるには子供すぎた。それに、この町では新しく漁師になろうという若者などいなかった。みんな、もっと割のいい仕事についている。年をとった、前の時代の男たちだけが、ほそぼそと漁業をつづけていた。
 モリオが大切にしていたこの船が、廃船になるのもしかたがないことかもしれない、とコージは思った。
 コージは、モリオにつれられて漁に出た懐かしい日を思い出してみる。島の向こうの漁場で網を入れると、おもしろいように魚がとれた。たくましいモリオの日焼けした太い腕とは、くらべようもなく細い非力なコージの腕に、獲物のあふれる網は重すぎた。だが、コージはその手ごたえを心地よく感じながら、モリオに負けないように重い網を船に引きあげた。船が魚でいっぱいになると、モリオはポケットから大事そうに防水の懐中時計をとりだし、パチンとふたをあけて時刻を見る。そして、「もう、こんな時間だ」とコージに言い、帰りじたくをはじめる。
 海に生きるモリオの力強い姿をまじかに見ていて、コージは自分にもこれだけ自信と情熱を持てる仕事を見つけることができるだろうかと思った。苦労の多い、また危険といつもとなりあわせの漁師という仕事を、長い間つづけているモリオをコージは畏敬の目で見ていた。
 あの日、モリオは船の上でコージに話しかけた。
「私もすっかり、年をとってしまった。いつまで、漁師をつづけられるかと思うと不安にもなる。外からはわからないが、実は、私の身体はもうぼろぼろなのだ」
 彼はそれまで、愚痴や弱音を吐いたことがなかったので、コージは奇妙に感じた。
「私は海に生まれ、海とともに育った。そして、もちろん死ぬ時も海で死にたいと願っている。陸の上で死に、暗くて冷たい土の中に眠ることを考えるとぞっとする。私は死んだら、海に帰りたいのだ。長いこと、私は漁をつづけ、数えきれないほどの魚をとってきた。
それは、すべて海が私に与えてくれたものだ。そして、私はその海に帰る。それが一番、自然なのではないだろうか」
 モリオは、波間を見つめながら言った。
「私の遺体を。魚がエサとして食べてくれたらいい。何万匹もの魚が、私を食べつくしてくれたら、どれだけ幸福で清らかになれるだろう。そして、魚に生まれ変わった私は、この大海原を自由に泳ぎまわることができる。それを想像すると、私は生命の永遠性を感じることができる」
 魚影が、さっと船の近くを走っていった。モリオは、それを指差して言った。
「あの魚は、海のある限り、形を変えながら永遠に生きつづける。それは、うらやましいことではないだろうか」
 モリオは熱っぽく話しつづけた。コージは、いつもと違うなと思いながら、彼の話を聞いていた。そして、モリオがコージに懐中時計を渡した時には驚いた。
「この懐中時計は、きみにあげよう。私が持っているよりいいだろう」
 コージは、はじめは遠慮していたが、あまりにモリオが強くすすめるので最後は受けとることになった。その時、コージは言葉にならないある予感を感じていた。
          ○
 モリオが漁に出て、行方不明になったのはそれから間もないころだった。
 モリオの船が海上を漂っているのが、他の漁船によって発見された。モリオは波にさらわれたか、足をすべらせたかしたのだろうと言うものもいたが、コージは別のことに確信を持っていた。しかし、誰にもそのことは話さなかった。
          ○
 モリオの漁船を沈める日がやってきた。
 島の向こうの漁場に、モリオの漁船は引かれていった。コージと父親は、他の漁師たちとともに、モリオの漁船を引く船に乗っていた。モリオの漁船の船底には、重しのためにセメントが流しこまれていた。操舵室の舵輪には、モリオがコージにくれた懐中時計がぶらさがっていた。コージは考えた末に、こうするのがいいと決心したのだった。永遠の時とともに海に深く眠るモリオのために。
 目的の場所にくると、漁船をつないでいた綱を解き、モリオの漁船の船底に穴があけられた。その穴から、どっと海水が漁船の中におどりこんでくる。コージたちの見守る中、モリオの漁船は、みるみるうちに海の中に沈んでいく。コージは悲しさをこらえながら、しかし、また永遠に海に生きつづけるモリオに、彼の愛する漁船を返してあげるのだと自分に言いきかせた。
 漁船は、船首を残して沈んでいく。船のまわりには渦が巻き、海水が泡だっている。そして、ついにモリオの漁船は、その姿をすべて海の中に没した。コージたちは、それをおごそかに、黙したまま見送っていた。
 その時、異変が起こった。漁船が沈んだ海面に、魚の群れの影があらわれたかと思うと、その数はすごい勢いで増してきた。コージたちは驚きながら、その何万匹もの漁群を見つめた。魚は、海面からあふれるほどに次から次へとふえつづける。銀輪がきらめき、水面からたくさんの魚がはねおどる。
 彼らは、これだけ多くの魚の群れを見たことがなかった。コージはモリオの言ったことを思い出した。モリオは海に帰り、魚に生まれ変わる。それも、何万匹もの魚に。今、目の前にいる数えきれないほどの魚の大群は、モリオの新しい生命の姿なのだろうか。
 魚の群れは海面からもりあがり、空中に飛びはね、しぶきをあげた。そして、奇跡が起こった。  沈んだはずのモリオの船が、ふたたび浮かびあがってくる。無数の魚たちにかこまれて、幽霊船のように海水をしたたらせて、海上に浮かびあがってくる。やがて、モリオの漁船は、そのもとの姿を魚群の中心にすっかりとあらわした。
 コージたちは息をのんで、その奇跡を見守りつづけた。そして、もう一度、モリオの船が青い海の中に、ゆっくりと帰っていき、そのすべてが彼らの目の前から完全に消え去るまで、誰も言葉を発しなかった。

[ おわり ]


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