銀色の船
すやまたけし
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少年はその岸壁によくやってきた。コンクリートの上に腰をおろすと、膝をかかえ、じっと沖を見つめた。そこから少し離れた彼の家の窓からも、ビルや工場の向こうに、広い海が見えたが、彼はその誰もいない岸壁にくると、もっとも落ち着くのだった。
その一帯は、造船所や機械工場が密集している。しかし、その工場群が稼働していたのは、遥か昔のことだ。
造船不況で工場は閉鎖され、現在ではどこにも人影を見ることはできない。
廃墟になった工場や倉庫群は、無気味に黒い影をおとし、静まりかえっている。
少年は壊れた塀をくぐって、その場所にやってくるのだった。
鉄骨だけになり、風雨に身をさらしている工場。
博物館の恐竜の化石のように、立ちつくしている何体ものクレーン。それらは、長い首を思い思いの角度にもたげて、凍りついている。
少年はその墓場のような造船所の岸壁に一人で座り、水平線を見つめた。
遠くを貨物船が行く。ある時は、白いクルーザーや帆をはらませたヨットが通り過ぎていく。
しかし、それらの船がこの工場に隣接した港にたちよることはない。昔はいつでも、何隻かの貨物船が停泊していたその港も閉鎖されたままだった。
少年は過去の活況のある港を想像してみるのだが、そこにはただ重い波がうちよせるばかりだった。
少年のいる岸壁の足もとにも、暗い色の海がうねり揺れていた。
そして、廃船になった貨物船が、埠頭のかたすみにつながれたままになっていた。スクラップにされることさえ忘れられ、今ではすっかり塗装もはげ、赤錆が浮いている。その貨物船を見ると少年は悲しくなった。大海原を行くその雄姿を想像しては、目の前に亡霊のように浮かぶ黒い影に失望するのだ。
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ある日、少年がその岸壁にやってくると、いつもは静寂に満たされているのに、工事をしている音が聞こえた。
そのあたりでは、もっとも大きい造船工場で、何か始まっているようだった。
資材を運ぶトラックやトレーラーが、次々とやってきた。鉄の骨組みだけのその巨大な工場には、ヘルメットをかぶった技師や作業員がとりついていた。
それからは、少年が来るたびに造船所は変わっていった。
クレーンがすえつけられ、屋根に資材が運びあげられていく。溶接の火花が鉄骨のあちこちで散っていた。
リベットを打つ、かん高い連続音がその一帯に響きわたった。
少年は静かさを打ち破られ、自分だけの安息の場所をおかされるような気もしたが、それ以上にその工場に関心を持つようになった。
工場の屋根と壁が張られ、やがて全面がおおわれ、中はまったく見ることができなくなった。鉄骨だけの古い工場は、今では巨大な白い美しい箱に生まれ変わった。
その巨大な白い工場の中では、作業が進んでいるようだった。
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何ヶ月かがたったある日も、少年はその岸壁に来ていた。
少年が遠くの海を眺めて、その海原を帆に一杯の風を受けて進む帆船を、夢見ている時だった。少年に声をかけた者がいた。
背の高いその老人は、品のいい服装をして帽子をかぶっていた。
「きみは、いつもここに来ているようだね。私はその造船所から、きみの姿をよく見かけるよ。きみは海が好きなようだし、造船所で何が作られているのかにも、興味を持っているようだ」
彼は少年の横にならび、海を見ながら言った。
「私は子供の頃、やはりきみと同じように海をよく見に来た。そして、いつか自分で造った船に乗って海の向こうの知らない国へ行くことを夢に見た。私は大人になって必死に働いた。小さな工場を持ち、昼に夜にそれこそ人の何倍も働いた。幸い景気の波に乗ったこともあって、事業は次から次へと拡大していった。そして、きみも知っている大きな企業グループを築きあげることができた。私がここまで来られたのは、努力や才能や運もあっただろうが、もっとも大きかったのは、子供の時の夢をもちつづけたということだ」
彼は、白く輝く工場を指さして言った。
「そして、ついに夢をかなえる時がきた。私は閉鎖されていたこの造船所を買いとり、夢の実現のために、資金を投入した。そして、ついに完成した」
少年はそれを聞いて、胸が高なった。
「この造船所で、どんな船を建造していたのですか?」
「それは、明日になったらわかるよ。朝、ここに来てごらん。進水式をするから。この捨てられた造船所から、何十年ぶりかで生まれる私の船を見てくれ。そして、きみも今持っている夢を私のように将来、形にしてみたらいい。それは、不可能なことじゃない。私だって、きみと同じだったのだから」
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次の日の朝、少年は実業家に言われたとおり、早起きしてやってきた。例の白い巨大な造船所が、海に向かっているのを眺められる岸壁に立った。
作業は前日までに、すっかり終わっていた。造船所は朝の光と静寂の中に、どっしりとそびえていた。その中ではきっと、実業家と関係者たちがならんで、進水の時を待っているのだろう。
進水式にはつきものの、はなやかな音楽隊のファンファーレはなかった。それは突然、静かさの中でおごそかに始まった。
造船所の海に面した大きな扉が、左右に開きはじめた。少年はそれを、息をのんで見守った。彼のいる場所からは、造船所の奥まで見ることはできなかったが、中で人々の拍手や歓声がするのが聞こえた。
扉が少しずつ開くとともに、朝の光が工場の中に差しこんでいく。
そして、扉が完全に開かれた。少年はまばたきをするのも忘れて、口をきつく結んだまま、その開口部を見つめた。
音もなくそれはゆっくりと、造船所の建物から出てきた。海面から高さをたもったまま、それは巨大な船体をあらわした。なおも進むと、いっそう姿がはっきりとしてきた。少年は岸壁の縁まで足を進めて、それをじっと見つめた。そして、背中がぞくぞくするのを感じた。
それは、ジュラルミンの銀色の肌に、朝の光を反射させて美しく輝く、巨大な飛行船だった。
スマートな船体の下部に船室をかかえ、その中に何人かの人影が見えた。やがて、飛行船は造船所から離れ、充分な距離をとると、船体の下側に四基取りつけられたエンジンとプロペラを始動した。
静かな朝に、その低いエンジンの音が響いた。飛行船は生命をふきこまれたように、動きはじめた。
飛行船は、船尾の昇降舵と方向舵を操作すると、高度をあげて旋回しだした。そして、ゆっくりと少年の頭上をかすめて通過していった。
その時、船室の窓で手を振っているのは、間違いなくあの実業家だった。
[ おわり ]