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          推薦文




メルヘン作家はそのたましいの最も奥深いところに、彼の幻想の王国の鼓動を伝える、彼自身の小さな時計を持っている。つまり、すやまたけしにおける「火星の砂時計」がそれである。すやまたけしの世界は、それによって息づき、それによって華やぎ、それによって悲しみ、それによって流れる。
彼がその内に持つ時計が、ものうく振子をゆらす柱時計でもなく、コチコチと機械的に時を刻む置時計でもなく、砂のなだらかな崩壊をそのまま時の流れとする砂時計であることは、その意味でかなり重要である。砂の流れを川とし、砂の量を海とする作品があるように、彼は砂時計のささやくかすかな、しかし確かな時間の手触りを通じて、彼自身の世界を確かめている。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−別役実





  まばゆい空の雲のように
すやまたけし君は23才までは人並み以上に健康な青年だった。
 飛行機が大好きで航空力学に興味を持つ明るいスポーツ青年だった。
 在る日プールにとびこんで首の骨を折った。それ以来首から下は全く動かなくなりベッ
ドで寝たきりの生活を送ることになる。
 普通ならここで絶望してしまう。
 ぼくなんかは健康だったのにしょっちゅう安易に絶望していたのは本当に恥ずかしい。
 なぜ、すやまたけし君はメルヘンをかきはじめたのだろう?
 メルヘンをかくというのは不安定で報いられない仕事だ。
 ほとんど文学的市民権が日本ではない。
 むしろ、ノン・フィクションの方が評価されるだろう。
 しかし、すやま君はメルヘンを選んだ。
 彼のメルヘンには一点の暗さもない。
 まばゆい砂漠の空を飛ぶ白い雲のように軽くて自由だ。
 そして、こぼれおちる砂時計の音のように繊細でよく乾いている。
 べとついた感傷と甘さがない。
 はじめには硬質でぎこちなく、作品は輝きを秘めながら未熟だった。
 1985年10月号の「霧笛」でひとつの境地がひらけた。
 運河にひびきわたる霧笛が胸にしみる佳作だった。
 しかし、本当のことをいえば、真実の傑作がかけるのはこれからだと思う。
 すやま君は口に割箸をくわえて、ワープロのキイを打つ。
 その時に彼の心が飛びはじめる。
 飛ぶことを夢見た青年の翼は深く傷ついた。しかし、幸いに心が傷つかなかった。
 ぼくはそのことに感動し、神に感謝している。すやま君! もっと心を飛ばしてくださ
い。
                             −−−−やなせ・たかし



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