春のおとぎばなし
すやまたけし
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満開の桜の花が散り去ってしまいそうに風の強い春の日の午後だった。
ふたりは目の前に広がるチューリップ畑を見ていた。
全体の三分の一、百個以上の花が咲いているだろう。赤、白、黄色、オレンジ、ピンク、紫、色とりどりのチューリップの花が風に揺れていた。早く咲きはじめて、すでに、しおれているものもある。今、開いたばかりのもの、まだ、蕾のもの、背が低いままのもの、ばらばらに咲いている。
それを見て、彼女は、「ああ、格好悪い」と言った。
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二月の末、彼女は手術を受けた。数時間で終わると思っていたものが、八時間にも及ぶ大手術になった。開腹してみたら、思ったよりも悪かった。
彼女は自分の病気が軽くないことを、前から気がついていた。手術は失敗するかもしれないと思っていた。それを、彼には言わなかった。
自分の中では覚悟するものがあった。彼女は遺書を書いた。そして、冬の間に、チューリップの球根を三百個、買ってきて、植えたのだった。
手術が手遅れで、もうどうしようもなく、生きて帰ることができなかったら、春になって、彼がこのチューリップ畑を見てくれる。そこには、チューリップの色の違いで、メッセージが浮かびあがるはずだった。
彼には、チューリップの球根をいっぱい植えたから、退院して元気になったら、一緒に見にいこうとだけ言ってあった。
全身麻酔で手術を受け、丸二日間、彼女は昏睡状態だった。手術は成功したが、あとは、意識が戻るかどうかだった。
二日後の昼、意識が戻った。医師はこれで大丈夫だと言った。彼女が目が覚めたときの第一声は、「ああ、おなかがすいたー」だった。
「ほんとうは、おなかなんてすいていなかったけれど、まわりの人間を安心させるために言ってみた」と、あとで彼女は笑って言った。
そのあと、一番にしたことは、彼に、携帯電話のメールで、「お誕生日、おめでとう。無事に手術が終わったよ」と告げることだった。
彼女は彼の誕生日に、この世に帰ってきたのだった。それが偶然だったのかどうかは誰にもわからない。
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手術後、全身麻酔のための気管挿管で喉と声帯を痛めた彼女は、声が出ず、話すことができなくなっていた。退院後、彼と会ったときも、かすれた小さな声では意思が通じず、もどかしい思いで、ノートにボールペンを走らせ、筆談をした。喉に巻いた湿布の包帯と患部を保護するコルセットが痛々しかった。おぼつかない足取りで、ものに掴まりながら歩いていた。
それが、会うごとに、声が出るようになり、歩けるようになり、少しずつだが、食事ができるようになった。その順調な回復ぶりに、医師をはじめ、みんなが驚いた。
そして、一ヶ月があっという間に過ぎ、元気な姿で、チューリップを見に来ることができるようになった。
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「チューリップは、みんな、一斉に咲くかと思っていたら、咲く時期がこんなにずれるとは思わなかった」
チューリップを前にして彼女が言った。
「こことここに、名前が浮かびあがるはずだった。全然、名前になっていない」
彼女が黄色いチューリップの一群を指でたどると、彼の名前になっているような気もする。しかし、彼女の名前となるはずの白いチューリップは、まだ、咲いてもいなかった。
「しかも、それを生きて、目にするなんて、格好悪い」
チューリップの花は美しく、風に揺れていた。
「でも、格好悪くても、生きて帰られてよかった。こうして、チューリップの花を見ることができてよかった」
彼も同感だった。
「一緒に見ることができてよかった。自分だけ、格好つけて、美しく死のうなんて卑怯だよ。もしかしたら、生きていくことは、格好悪いことかもしれないよ」
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この世は幻、誰もが、ひととき、この地上に置かれ、時間が過ぎ去り、また、どこか知らないところへ帰っていく。どこから来て、どこへ行くのだろう。それは、はかない夢のようでもある。
しかし、生きている間は、この世界を、目で見、耳で聞き、鼻で匂い、口で味わい、体で触れることができる。自分は生きているという確かな意識、実感がある。それは、空虚な幻ではない。
この地球という世界は、空に雲が浮かび、花は咲き、緑の葉は揺れ、春の風は甘く、鳥は鳴き、川は流れ、楽園でもある。
チューリップの花はきれいに咲いている。葉のざわめく音がする。春の青草の蒸れる匂いがする。おなかもすく。風をからだで感じている。
自然と季節は、生きている人間とともに移り変わっていく。
冬の間、チューリップは、じっと球根のまま、地中に過ごし、春とともに芽を出し、花、開いた。チューリップの花は、生命の復活と再生の象徴でもある。
まわりの菜の花畑も鮮やかな黄色を際だたせ、風にざわざわと波のように揺れた。
ふたりは、チューリップ畑の前にいた。
山は穏やかで、空は青く、この世は美しかった。

「チューリップ〜命の炎」
Copyright(C) 2004 Minae Takada
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