「〜は〜が〜」構文について

吉川 武時
2003.11.30
12.15

は鼻が長い」に代表される いわゆる「〜は〜が〜」構文がよく議論されるのは、 西洋の言語に機械的に翻訳できないからだ。
「この文は、主語が2つあっておかしい」 とか「だから、日本語は特殊だ」などと言う人がいるが、 それは間違いである。 その人だって「この文主語2つある」 と言っているじゃないか。
「〜は〜が〜」構文は、日本語の主要な文型の1つである。 決して例外的な文型ではない。
学というものは、万国共通の普遍的なもので、 ある民族の特徴を持つものではない。 コンピュータ言語も、英語の国で発達したものとはいえ、 普遍的なものであろう。 その一つとして「スタイルシート(stylesheet)」を取り上げてみよう。 スタイルシートに
h1{color:red}
こう記すと、一番大きい見出しの文字の色が赤になる。 この記述は
「h1赤い」
と読めるではないか。
来「〜は〜が〜」構文で表されることがらは、 民族の別によらない普遍的なものなのではないか。 日本語ではそれを「は」と「が」で表現するが、 西洋の言語(コンピュータ言語でなく自然言語)では、 これを統一的に表す構文がなくなってしまった。 The elephant is nose is long. は非文 (正しくない文)となったのである。
「象は鼻が長い」にあたる一番 妥当な英文は The elephant has a long trunk. である。 イタリア語では L' elefante ha un naso lungo. となる。 have (持っている) で訳している。
コンピュータ言語のスタイルシート風に表せば、
Zoo{Hana:Nagai}
となろう。

「〜は〜が〜」構文の文の種類とその分類



日本語教育の初歩のレベルの例文から 形式的に「〜は〜が〜」という構文を取るものを集めて 分類すると、およそ次のようになる。
形式的と言っても 「父は 太郎がもうすぐ帰って来る言った。」 のように主述関係が2組 認められるようなものは除く。
「父」に対する述語は「言った」であり、 「太郎」に対する述語は「来る」である。
  1. 「AはBが〜」において、AとBとの間に なんらかの関係があるもの
    BがAの部分象は鼻が長い。うさぎは耳が長い。 きりんは首が長い。
    私は頭が痛い。私は歯が痛い。私はお腹が痛い。
    私はお腹がすいた。私はのどがかわいた。
    BがAの持ち物 花子は着ているものがはでだ。
    花子は飼っているネコが死んだ。
    BがAの生産物花子はかいた絵が売れた。
    花子は声がきれいだ。
    花子は字がきれいだ。
    BがAの側面富士山は高さが 3776m だ。
    その他山田さんは奥さんが病気だ。(親族関係)
    山田さんは部下が事故に遭った。

  2. 述語「〜」がガ格の対象[B]を取るもの
    欲求の対象私は新しいカメラがほしい。 私は水が飲みたい。
    すき・きらいの対象 私はねこがすきだ。 花子は犬がきらいだ。
    可能の対象花子はピアノがひける。 花子は英語が話せる。
    その他私は犬がこわい。(「こわい」対象)

  3. 上手・下手、得意・不得意の表現
    上手・下手の表現花子は歌が上手だ。花子は絵が下手だ。
    得意・不得意の表現花子は英語が得意だ。花子は水泳が不得意だ。

  4. Aが主題化変形されたもの
    ヲ格の主題化その仕事は私がします。
    時の主題化今日は雨が降っている。きのうは雪が降っていた。

  5. 所有の表現
    [所有者](に)は [所有物]が ある 私(に)はお金がある。
    花子(に)は自動車がある。

  6. 経験の表現
    〜は ……た ことが ある 私は北海道に行ったことがある。
これらの「〜は〜が〜」構文の文を西洋の言語に 翻訳しようとすると、一通りの方法では翻訳できない。 一つの公式を機械的に当てはめることができないのである。 特に、1「象は鼻が長い」は、先に述べたように The elephant has a long trunk. となるが、 この直訳は「象は長い鼻を持っている」、もう少し 日本語らしくしても「象には長い鼻がある」となるだけで、 「象は鼻が長い」を的確に訳したことにはならないのである。 だから、問題になるのである
これ以外は「〜は〜が〜」構文である という認識は少ないであろう。 それは、それぞれ的確で機械的な翻訳の方式が 決まっているからである。


解説と問題点


一般の読み物、新聞などには もっと多彩な「〜は〜が〜」構文の文が見られる。 それらを検討する前に、 上に述べたことの解説と問題点を考えてみよう。

1「AはBが〜」において、AとBとの間に なんらかの関係があるもの

AとBとのいろいろな関係を 典型的で分かりやすい「部分」から始め、「持ち物」 「生産物」「側面」および「その他」に分ける。 「部分」〜「側面」の分け方のヒントは高橋太郎先生から 得たものであるが、次の解説は吉川の責任によるものである。

1−1「部分」について

「象は鼻が長い」という文で「鼻」とは「象の体の一部分」 を指す。「象」と「鼻」との関係は「全体」と「部分」との 関係である。 つまり「AはBが〜」という文型において 「BはAの部分」という関係になっている。
この文に関して必ず学生に質問されるのは、 「象は鼻が長い」と「象の鼻は長い」とはどう違うのか、と いうものである。
前者はについてウンヌンするもの
後者は象の鼻についてウンヌンするもの
で全く違うものなのに、 西洋の言語で考えると、その違いがよく分からないのだろう。
「私は頭が痛い、私は歯が痛い、私はお腹が痛い」の類は 「象は鼻が長い」の類とは異なる。確かに、 「頭、歯、お腹」は「私」の体の部分であるが、上の文型とは 次のように異なっている。
「象は鼻が長い」では 「長い」は属性形容詞で、象の属性ではなく、(象の)鼻の属性を意味している。 これに対して、「私は頭が痛い」では 「痛い」は感情形容詞(もっと正確には感覚形容詞)で 「私」の感じる感覚を意味している。 「頭」はなにかと言うと、これは感覚を感じる部位 (これを箇所と言うことにしよう)である。 つまり、「痛い」という感覚形容詞は「箇所」を補語として 要求することばだ、と考えられる。
次に「私はお腹がすいた、私はのどがかわいた」の類はどうか。 「お腹、のど」が「私」の体の部分であるという点では 上と同じであるが、 「私は……すいた」「私は……かわいた」と、Bを省略して 言うことはできない。 これは「お腹がすく」「のどがかわく」の結びつきが強いからである。
Bが省略できる場合もある。BがAの代表的な部分の場合である。
花子は顔がきれいだ。 → 花子は きれいだ。
「花子は顔がきれいだ」は「花子は きれいだ」とも言える。 「花子はきれいだ」と言えば、普通は「顔がきれいだ」の意味である。 このように代表的な部分[この場合は「顔」]は省略できる
以上をまとめると次のようになる。
象は鼻が長い。「長い」は属性形容詞。(象の)鼻の属性を表す。
私は頭が痛い。「痛い」は感覚形容詞。「私」は感覚を感じる主体、「頭」は感覚を感じる箇所を表す。
私はお腹がすいた。「私は……すいた」とは言えない。
「お腹」と「すく」の結びつきが強い。
花子は顔がきれいだ。「花子は きれいだ」と言える。
代表的な部分は省略可能。

れまでの問題点は次の通り。
  • 属性形容詞と感覚形容詞の区別は この「〜は〜が〜」構文にとって有効な区分なのか。
  • 「結びつきが強い」ことはどう証明されるのか。
  • 「省略可能な代表的な部分」とは「顔」の他に何があるか。
      象は体が大きい。 → 象は 大きい。 この例では「体」も省略可能。

1−2「持ち物」について

「花子は着ているものがはでだ」という文で 「着ているもの」は花子の体の部分ではない。 「持ち物」である。この場合、実質的な所有権とは関係なく (つまり、借り物であっても) 文法用語としての「持ち物」である。

1−3「生産物」について

「花子はかいた絵が売れた」という文で 「かいた絵」というのは花子の制作したものという意味である。 「生産物」である。このような「生産物」は「持ち物」になりうる。
「花子は声がきれいだ」という文で 「声」は花子の部分ではない。声は 声帯、呼気などによって作り出されるものである。 これも「生産物」の一種である。
「花子は字がきれいだ」という文で「字」というのは 花子が書いた文字のことである。 これも「生産物」と考えられる。 「声」や「字」は「持ち」とは言えない。 この点で「生産物」というカテゴリーを設ける必要性があるのである。

1−4「側面」について

「富士山は高さが 3776mだ」という文で「高さ」というのは 富士山の部分でも、持ち物でも、生産物でもない。 このようなものを「側面」と言う。 「大きさ、重さ、面積、体積、温度」などは側面である。

1−5その他

「山田さんは奥さんが病気だ」という文で「奥さん」とは 「山田さんの奥さん」のことである。 この場合、夫婦の関係、広い意味では親族関係である。(持ち物ではない!!)
「山田さんは部下が事故に遭った」。 親族関係以外でも、このような文がある。
「山田さんの奥さん」「山田さんの部下」と言った場合、 その「奥さん、部下」は相対名詞の一種である。 相対名詞とは、基準が定まらないと指示対象が定まらない名詞のことである。 その基準とはこの場合「山田さん」である。
一般に「AのB」という言い方でBが相対名詞の場合、 その基準はAで示される。そして、この「の」は基準を表す「の」 と言われる。
この項の問題点
ここではBが相対名詞の場合だけを取り上げたが、 AとBとの関係はそれだけではないだろう。この他にどんな関係があるかが 大きな問題点である。


2述語「〜」がガ格の対象[B]を取るもの

次に、述語「〜」がガ格の対象[B]を取り、結果として 「〜は〜が〜」という形になるものをまとめる。

2−1欲求の対象

「私は新しいカメラがほしい」という文で 「(新しい)カメラ」は「ほしい」の対象である。 「私は水が飲みたい」という文で「水」は「飲みたい」の対象である。 「ほしい」「〜たい」(動詞のタイ形「飲みたい、読みたい、見たい」 など)は欲求を表している。 つまり、欲求の対象のガ格を取る述語とは形容詞「ほしい」および 動詞のタイ形である。
なお、欲求の対象をヲ格で表すこともある。
私は新しいカメラほしい。 私は水飲みたい。
英文法の知識が日本語の話し手の中に 浸透したせいか、目的語[=対象]は「を」で表すものだ、と いう考えの者が現れたからと思われる。 また、実際の文では「〜を〜たい」という言い方の方が 「〜が〜たい」という言い方より圧倒的に多い。

2−2すき・きらいの対象

「私はねこがすきだ」「花子は犬がきらいだ」 という文で「ねこ」「犬」はすき・きらいの対象である。 すき・きらいの対象のガ格を取る述語とは 形容動詞「すきだ、きらいだ」である。
なお、「〜 すきだ」 「〜 きらいだ」と、すき・きらいの対象を ヲ格で表す言い方も、上に述べた理由から、 最近よく見られる(聞かれる)ようになった。

2−3可能の対象

「花子はピアノがひける」という文で 「ピアノ」は「ひける」の対象である。 「花子は英語が話せる」という文で 「英語」は「話せる」の対象である。 「ひける」「話せる」は可能を表している。 つまり、可能の対象のガ格を取る述語とは 動詞の可能形(「ひける、話せる、見られる」など) である。
なお、上に述べた理由から、 可能の対象もヲ格で表される例が見られる(聞かれる) ようになった。
花子はピアノひける。  花子は英語話せる。

2−4その他

「私は犬がこわい」という文で 「犬」は形容詞「こわい」の対象である。 このようにガ格の対象を取る形容詞がある。 ガ格の対象を取る形容詞には「こわい」以外に どんなものがあるだろうか。
「こわい」は感情形容詞で人称制限がある。 三人称を主語とするときは動詞「こわがる」を用いる。 その場合、対象はヲ格で表される。
太郎は犬をこわがる。

この節の問題点
  • ガ格の対象を取るとされてきた形容詞、形容動詞、 動詞のタイ形、動詞の可能形もヲ格で言い表されることが 多くなった。このガ格とヲ格のせめぎ合いをどう考えたらよいか。
  • (再掲)ガ格の対象を取る形容詞には「こわい」以外にどんなものがあるか。

3上手・下手、得意・不得意の表現

この表現で用いられる述語は「上手だ、下手だ、得意だ、不得意だ」 という形容動詞である。 「花子は 上手だ」と言われると、「何が?」と問い返したくなる。 「花子は歌が上手だ」のように「歌が」を補わなければならない。 そういう意味で「歌」はある種の補語である。 「下手だ、得意だ、不得意だ」についても同じことが言える。
しかし、「歌」など補うことばを対象と言える かどうか。対象とは考えられない。 「花子は歌上手だ」などとは決して言わない。 つまり、これらの形容動詞は対象を取る述語とは考えられない。 それで、前項(ガ格の対象を取る述語)とは別に 1項目 設ける必要があるのである。

4Aが主題化変形されたもの

主題化変形とは補語の一つを主題として取り出すことである。 具体的にはその補語に「は」を付けて文頭に持って行く。 例えば「私がその仕事をします」という文で「その仕事」を 主題として取り出すとすると、「その仕事は私がします」となる。 「今日 雨が降っている」という文で「今日」を主題として 取り出すと、「今日は雨が降っている」となる。 この文では元々「今日」が文頭にある。 (詳しくは『日本語文法入門』p.12〜13) そうして、見かけ上は「〜は〜が〜」となる。

5所有の表現

所有の表現は 「[所有者] [所有物] ある」という構文を取る。 これを所有文と言う。
私にお金がある。
所有者を主題化すると、
私にはお金がある。
となる。 この「に」は時に省略されて
私はお金がある。
となる。それで、見かけ上は「〜は〜が〜」という文になる。
◎所有文と存在文との違い
「ある」を述語とする文には 事物の存在を表す存在文がある。 存在文では存在場所は「に」で表される。
公園にブランコがある。
存在場所を主題化すると
公園にはブランコがある。
となる。 存在文ではこの「に」は略されないので、 「〜は〜が〜」の文とはならない。 この点で存在文は所有文と異なるのである。
公園はブランコがある。
と言えないこともないが、こうなると、 これはもはや存在文ではなくなる。 「公園」は存在場所を表しているとは言えないからである。