ここはA室1−1です。
竹との出会い
下の写真の竹垣は、孟宗竹穂垣、あるいはもっと簡略に穂垣と呼ばれるものです。私はこの竹
垣に、20代も後半にさしかかった頃、京都の植木屋でアルバイトしている頃に出会いました。
それが、今も竹と関わっていることの直接のきっかけでした。(その他にもいろいろな事はあった
のですが、、) (写真は東京での制作。下に続く)
![]() |
![]() |
この竹垣が何故すばらしいと思うかを書きます。もっとも後知恵と言えるものも入っています。せっかくだから多少文学的?に書けばよろしかろう、とも思うのですが、なかなかそうはなりません。
1、無駄がない。竹の穂にこんな使い方があるとは、と驚きました。後で実際つくってみてもっと感心したのは、表にあらわれる枝は良い穂を選ぶのですが、中には、いわゆるアンコとして質の悪い枝の穂もたくさん使われる、ということでした。実にむだがありません。竹そのものが、エコロジーの観点から見直されていますが、さらにその先を行っています。
2、美しい。といってしまえば、それでお終いですが、竹の枝を編んだ模様に動きがあります。竹の節を、おおよそ揃えるのは、制作上の必要でもあるのですが、枝毎に右へ流れ、左へ流れ、波のような模様を描きます。ここらをいかにやわらかく、おおらかに見せるられるかが、腕の見せ所です。
あまり、きっちり作りすぎるとかしこまったものになってしまいます。それで植木屋さん(庭師さん)によっては好まれない場合もある。もともと庭師の仕事ではありますが。ざっくり(ざんぐり)と作るのも難しい。無造作に束ねたようで良い印象をあたえるような垣根を作るのも経験と技術でしょう。
そういう点からするとこの竹垣はやや作りすぎ、といわれるキライはあります。私は庭仕事も少し経験しましたから善い点ばかり見ているわけではありません。
3、手間がかかる。前述の観点からすると、無用な手間、と思われるくらいの手間がかかっています。
例えば上に見えるすべての枝は1づつ手が入っています。(煩雑だから何をとはいいませんが)。それから両端の親柱の竹は1本の竹を束ねたものですが、面の竹は2段に継いであります。これは2m以上もある、良い枝ばかりそろわないからです。ただこれら一連の準備は楽しい作業です。別に苦ではありません。少なくとも自分には。
4、殆ど工芸品である。前述しましたが全ての枝は節の間隔でふりわけられて配置されています。適当に組まれているわけではありません。よりによってある訳です。
5、最後はバランス。何でもそうですが、力ずくで押さえ込んだようなものは窮屈です。といって力をいれないでもできるようなものは、貧弱になる場合が多いようです。これは熟練者になるとそうでもないのですが、年に一度あるかないかの制作では、さりげなく、よくできました、となるには私には大変な力技ということになりますか。
このような手の込んだ竹垣を作れる人も少なくなったようです。もっとも私は教わった訳ですから京都には何人もいます。日本中で何十人か何百人か知りませんが。まあもっとも私ができるくらいだからそんなに難しいものではないともいえますね。
でもまた最後にいいますが決めてはバランス(センス)です。自分で言うのもなんですが。
この一点で、そんなに経験豊富と言う訳ではないですが、日本を代表して、この竹垣を作れ、といわれたら自信を持って引き受けます。