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権力と気候
昨年12月気候変動枠組み条約第三回締約国会議(温暖化防止京都会議)
がひらかれました。直後の報道ではまだ雲をつかむような話でしたが、ようやく政財界も(私も)問題の重大さに気づき始めたと言う所でしょうか。
当時の報道では特に私の印象に残ったのは欧州の大連合と言う新しい政治形態とアメリカとの政治的かけひきのなかで舵が壊れて漂流する議長国日本の困惑ぶりでした。あげく数字が上積みされたのですが何やら連想される状況は充分な戦力、戦略、情報収集なしに開戦にふみきった先の戦争の事です。
兵と民を置き去りにして敵前逃亡した無責任将校の話も想起されます。(この国は未だその大戦の後始末ができておりません。例えば中国に大量に放置してきた毒ガス兵器の後始末を早急にしなければならないのですから。)
現在のデフレ不況の克服とは、これらの過去の遺産(二酸化炭素や環境中に放出された化学諸物質を含めて)をいわば相続税としてこれらをどう支払いながら現代の生活を続けていくか、その生活設計を、時限で示し、実行しなければならない、という事なのです。いかに困難な道のりでしょうか。何か米国などは、日本ももっとコンピューターを買えば大丈夫などと言ってるようですが、そんな単純なものじゃないでしょう。
この問題の根は実に深いものがあるように思います。人間の富の蓄積は、まず食べ物を蓄えるところから始まったに違いありません。やがてそれがもとで人間は支配する人とされる人に別れます。数百万年の人類史をすっ飛ばして言う訳ですが、いわゆる南北問題は後者の、支配、非支配の関係の類でしょう。それに対して二酸化炭素等排出ガスの削減というのは、その元の富を産み出すありようにかかわることですから、いわゆる途上国の人が容易にのめる話ではありません。
逆にいうとそのように本源的な問題であるからこそ途上国も関われ、というのが最大の排出国であるアメリカの主張の背景のひとつでしょう。そうだとしても、あんたには言われたくない、というものでしょう。
そこで、この問題を詰めて行くと人間の支配、非支配のありようが変わって行く、と言う大変な変化が予想されるのです。
以下はややバランスを欠いた極端な結論になるのかもしれません。温暖化防対策が緊急なものとして、また思わぬなりゆきにうろたえて唐突に暖房温度を20度以内になどと言い出す政府にはまだ多くを期待できない段階での私たち個人の生活のありようはどちらを向いたらよいのでしょうか。
感覚でだけで言うことですが、多分、食、ではないでしょうか。敢えていうと食の自衛。
自分の食料は自分(たち)で守ろうということである。食にまつわる不安は人間の動物としての本能に根差すものであって、この不安が他の不安のタネになり、他者への依存と従属へとみちびく。温暖化防止の目的が日常生活の安定をめざすものであるから、
まず食へとつっこんで筋道をたててみようと考えたのですが、
そこから生活全般にわたって価値観が変わって行かないと、なかなかトータルにエネルギー消費量を減らすことはできないように思います。
今私が述べたようなことは、一部の若い市民運動家たちがもう20年以上前に考え指摘し、実践してきたことでもあります。それをこの国の大人たち、施政者たちは、どれだけ真摯にうけとめてきたのだろうか。
気候と食
気候
と食は、まわりくどく考えずとも直接に関係しています。
(もちろん先にのべた食というのは、食に含まれている毒や健康、充足感といった広い範囲のことです)
昨年は柿がどこでも豊作だったようです。ところが近頃は皆あまり柿を食べなくなっているんですね。これは果物として酸味にかけるところがあり他の果実もみな改良され甘さがましていることに加え甘い菓子があふれていること等が原因でしょうか。
また木に登って取る人も身近にいないといった状況でもあるようです。喜ぶのは鳥たちばかりで実り過ぎてかえって迷惑がられる始末。
そこでいろいろ柿の利用法を調べてみました。これは去年の話しです。
柿渋としての利用などというのが私の仕事などで関係することですが、やや特殊です。そこで堅いものは煮てみるととリンゴのような感じになりました。ジャムにするという手もあります。伝統の干し柿は世界に誇るドライフルーツであると言われるとなるほどと納得。
ここらがやはり正道のようですが、もう少し量を使えるものがないかと考えて酒にする方法はないかと調べてみた。すると手作り日本酒やワインといった本が何冊かあることが判り、片っ端から入手、読んでみた。
すると何と驚くなかれ、発酵酒は何によらず酒税法違反だと言うではないか。
そしてこの税法は明治時代、日露戦争の戦費調達のためにつくられたものがもとであるらしい。
前にふれたことにつながってくるが、かように権力者は食(飲を含めて)を通じて支配、被支配の関係を堅持してきたのである。
酒作りは難しいと言われる。確かに旨い酒をつくるのはむずかしいらしい。しかし仕組みは簡単である。
糖分の豊富な果汁は酵母をいれればそのままアルコールにかわる。
ブドウなどはブドウの皮に酵母がついていると言う。
米の場合はやや複雑で総合栄養食である米から澱粉以外を全部削ってしまう。それから麹で澱粉を糖化させる。ここに酒母(酵母)が入るとアルコール発酵して日本酒となる。
本には誰でも簡単にできますと書いてある。
ところで私は学生の頃ある講座の先生から酒造会社の職を紹介されたことがある。伏見の、玉の光酒造という醸造アルコール無添加のいわゆる純米酒を作っているまじめな会社であった。
その頃純米酒を作っている(売っている)メーカーは少なかったのである。
歩くアルコール検知器を自称するほどの下戸である私であるが伝統的な酒づくり、には興味をひかれるものがあった。しかし、面接をうけて聞いて見ると仕事は営業職で東京銀座の直営の居酒屋の店長見習いからということで、これは私には呑めない話しでした。
それでここには詳細は書きませんが柿酒(ワイン)はできました。私の作ったかぎりでは残念ながら、決して旨いといえる代物ではなかったですが。皮も使ったものは柿色の濁り酒に、実だけ使用したものは淡い柿色の酒になりました。度数はせいぜい10度くらいなものでしょうか。
度数というのは摂氏15℃のとき例えば100mL中に純粋アルコールが10mLあれば10度ということだそうです。
参考書のひとつに富山のヤミ米屋を自称し、
ひとり敢然と食管法にたちむかった川崎磯信氏の「正しいドブロク[役人ごろし]の作りかた」というのがありました。彼は今度は酒税法を戦っているらしいのですが、昨年12月12日東京地裁で酒税法違反で有罪判決がでたという新聞報道がありました。懲役四月執行猶予二年罰金四十万円だそうです。
また別の本にはかつては、どこでも柿酢が作られていた、と書いてありました。
酢というのはそもそもアルコールから作るものですからその前段階として柿酒があるはずです。誰かご存じのかたぜひお知らせください。干し柿は暖冬のせいで少しカビがきてしまいました。もし商品として作っているのなら大変な問題でしょう。
干し柿の一部は今も冷凍してあります。
そこで知ったことですが、干し柿は冷蔵庫の冷凍庫くらい(マイナス15℃くらい)では凍らない。これは驚きでした。多分糖分と繊維が過剰なためでしょう。
なお日本の柿はスペインあたりでも栽培されていて、KAKIとして通っている、と聞いたことがあります。
食と記録
スズメやシジュウカラ、家の周りでも次々と野鳥の子供たちが巣立っていきます。
もっとも野鳥、といっても街に適応しているので、最近では、都市鳥、というジャンルで観察しよう、という向きもあるようです。
ところで、野鳥の親と巣立って間もない幼鳥を見ていて感じたことですが、親鳥は子供に何が食べられるかと言うことを教える為にいきているんだなあということだ。ついでにそれで、野鳥の生活で、確かに楽しそうだと感じられるのは餌を自分達で採れるようになった子供達と一緒に飛び回るほんの一瞬ではないでしょうか。と今言いましたが、ホントにそんな期間が、あるものか。私は、ある、ように感じているのですが、ではどの位の時間か、といわれると、全然資料もありません。
こんな曖昧な感覚を頼りに論を立てるのも何ですが、(決定的な弱点は私が子供に餌をやる(!?)といった経験のないことです。)
そこを敢えて言うわけですが、仮に人間も似たようなものだとして、そういうことで私たちの全ての営みが説明できるでしょうか。
我々は、飯を食うという言葉を象徴的につかう。この言葉は複雑にシステム化された今の社会の様々な仕事、職業、生き方をふくめて使われる。それで飯が食えるのか、と。しからば具体的に私たちの生活の場面で行われていることは何か。
それは記憶するということ、あるいは記録するということである。何を覚えるのか何を記録するのか。つまり何が食えるものであるかということを、である。
例えば山に行きキノコを採ったとする。これが食べられるかどうか。写真に撮る。絵に描く。ビニール袋にいれて、バスや電車で持ってかえる。図鑑で調べる。電話で人にきく。一番いいのは詳しい人にみてもらうことである。文化の様々な過程をへて行き着いた様子は野鳥の親子の姿からそんなに隔たったものとは思われない。
分かりにくいだろうか。車の製造ではどうだろうか。車を牛馬とおき変えて考えればいい。人間にとって牛馬を飼うことは食っていくことに直結している。馬の飼い方という記憶と車の製造法と言う記録が対応しているのである。
生きると言うことが食うということであるなら、何が食えるものかを人に伝えようとすることは人間の生き甲斐と言えないだろうか。
やや唐突になりますが、故司馬遼太郎氏は、「人間には、教える、本能がある」という意味のことを言われていました。
同じ意味で、人間は何のために生きるのか、ということをあくまで個人側で完結する言い方をすれば、「私たちは記録するためにいきている。」
昔のことを調べるのも、要は人が何を食ってきたかを、文字通り、あるいは様々な社会関係として知るためである。知ってそれをまた記録することが我々の食べることにつながっているからだ。
1998年06月21日
(この文章は、八丁平通信38,39号の「遥かなる八丁平をたずねて」16,17回の文章の一部を書き直したものです。)