日記


2003-12-30- TUE  年末

いざ、帰省!

 


2003-12-27- SAT  仕事納め

本日は、仕事納めの日だった。

仕事は午前中で終わって、11時から納会というちょっとした飲み会が、毎年、

各階のロビーで行われる。ビールに日本酒、おにぎりやお菓子、つまみなどが、

用意されて、立食形式で雑談などをする。

去年は、女性の大先輩が一升瓶を片手に若手に酒を飲ませていたが、

今回はその被害に遭わないですむことができた。

上司に、お前はオープンのスポーツカーを買って黒いサングラスをして

街を走り回るんだ、としきりに車を買うように勧められた。

そんなことする必要があるんですか?と聞いたら、

わかってないなぁ、何かが変わるんだよ。と言われた。

正午に、納会が解散すると部署の先輩・後輩とラーメン屋へ。

最近、教えてもらったその店のつけ麺を食って、皆さんとお別れする。

今日は、「お疲れさまでした。」のほかに「よいお年を。」というセリフが

ついてくる。改まってそう言うのが少し照れくさい感じがするのは、

そのセリフの後ろには、「お祈りしています。」という言葉が省略されているからだろう。

たくさんの「よいお年を。」という声が聞けるといいし、言えるといい。

 


2003-12-25- FRI  ミチオ、カムバック

昼休みに会社を抜け出して、星野道夫の写真展を見にいく。

東京で開催されたときとは違って、地元ならではの運営ぶりだった。

星野道夫への手紙を書く場所(書かれた手紙は会場の文化会館の廊下に張り出されいた)が用意されていたり、

アンケートを配って回収したり、地元の協賛企業・商店のリストなども紹介されていた。

運営スタッフも、おばさん・おじさんが多くて、みなさんボランティアぽかった。=>http://www.ijc.jp/hoshino-michio/

今回は、場内が広かったのと以前よりぎゅうぎゅうに混んでなかったせいか、

他の客に気をとられずにその居心地の良い空間と写真を楽しむことができた。

熊が立ち姿のまま手をあげているでかい写真が二枚あって

(それぞれ、右手と左手をあげている)、それがとても印象に残った。

あんなのは東京のときもあったっけか?

もしかしたら、この半年で展示会で飾られる写真の中身や展示方法も洗練されていったのかもしれない。

などと思っていたら、自分と同様に東京と市川の両方の写真展を見に行った同期も、昨日、

そのようなことを言っていた。展示場が広くなったので、展示する写真を増やしたのかもしれなかった。

鷹とかふくろうの写真も飾り方が心地よいと思った。写真を見ながら床に座りこんで絵を描いている子供達を発見。

彼に宛てた手紙を書いている子供もいた。机には色鉛筆も用意されている。

最終日は5時にしまると前日に知って、あせったけど昼休み中に行くことができてよかったと思う。

ひさびさに意地を張った。

 

 

ちなみに、会場の文化会館は会社のすぐ目の前にあったりする。

 


2003-12-23- TUE  鎌倉幻想 その参  (11月23日の記)

年が明ける前にしめちゃいましょう。

 

銭洗弁財天でお金を洗い終える。3時くらいだったろうか。

けど、「鎌倉に行ってきた」と周りに言いふらすためにも

まだ行っておかなければいけないところがあった。

鶴岡八幡宮である。

たしか、鶴岡を制すものは、鎌倉を制すと歴史上の誰かが

言ったかもしれないし、言ってないかもしれない。

とにかく、鶴岡八幡宮に行きたかったので、

既にそこに行ったことのある同期を説得して、

目指すことにする。途中の源氏山公園にて、

源頼朝像の前で写真を撮る。同期は少しバテバテである。

ここから再び、山道へ。寿福寺というお寺の墓場の脇を

通って街へと下っていく。墓場の周りには鉄条網が敷かれてあり、

墓場をこんなに厳重に守るのはおかしいという話をしていたのだが、

あとで調べてみたら、その付近は、三代目源実朝、北条政子、

高浜虚子、大佛次郎の墓があるとのことだった。

やけに雰囲気のある墓場だったのは、そのせいか。

(山道脇に、ぼろぼろに崩れた祠のようなものが無造作にあったりした。)

先の方に進んでいったら、岩に囲まれたほんと狭い道でカップルがつかえていた。

このあまり整備されてない、登山者に不親切な山道というのが、

前近代的な感じがして、逆に好きだったりする。

その後、街に降りて10分ほどで鶴岡八幡宮に着く。

さきほどの寿福寺の寂しい山道とはうってかわって、

道路にはたくさんの人だかりがしている。

鳥居を抜けて、本殿の方へと向かう。

やぶさめ馬場の横を過ぎると前方にばかでかいイチョウの木が。

画面全体が緑なので、いまいちでかさが伝わらないけど、

数字にすると高さ30m、胴回り7mという大きさ。

3代目将軍の実朝はこの銀杏に隠れていた公暁に

殺されたという伝説もあるそうで。まぁ、とにかくでかいんですよ。

で、本殿でおまいりしたあとで、いちばんかわいかった巫女さんの

ところへ行って、おみくじを引く。たしか末吉だったかな。

やっと目的も達することができたので、帰りは小町通りという、

観光客向けの店が並んでいる道を通りながら、駅の方へ。

駅に行く前に、まっぷるに載っていた喫茶店に寄るはずだったのだけど、

通りで、せんべいとかまんじゅうを買い食いしていたら、そこに行く前に二人ともだいぶお腹が

満ち足りてしまった。でも、まっぷるの写真に写っていたそのケーキをずっと楽しみに

していたので、やはり行くことにする。実際に行ってみたら、人気のあるところだったみたいで、

店の席に座るのに、順番待ちだった。仕方なく外のベンチに座って待っていたのだけど、

どうも客層がマダムとか、若い女の子が多くて男二人がそこにいるのは、

場違いのように思われた。日も暮れてきたので、店内で食べるのを諦め、ケーキを持ち帰りにしてもらう。

ここに来て、またお互い腹が減ってきたらしく、駅に行く前にもう一度小町通りを逆走。

さきほど、諦めたコロッケを購入。食いながら駅へ行く。

外はもう薄暗くなっていた。

帰りは、絶対に座りたいという同期のリクエストにより、ゴージャスにグリーン席をとる。

独身男ならではの特権というべきか。

あとケーキは甘さ控えめで、まぁまぁなおいしさだった。見た目ほどではなかったけど。

 

今回は、鎌倉の一部しか回れなかったけど、

鎌倉には、今回の寿福寺の山道のように、

まだ整備しつくされていない場所が他にもあるのだと思う。

その無造作にある古いたたずまいっぷりに、

自分の鎌倉幻想ならぬ鎌倉妄想は

ますます、自分のなかで育まれたようである。

鎌倉にはまだ何かがある・・・・!

 

 


2003-12-21- SUN  軍艦島

なんじゃ、こりゃ!

 

http://www.ambixious.co.jp/g3/

 


2003-12-20- SAT  レベルX

東京写真美術館に行ってきました。

詳しい話は、近く写真コーナーにアップしたいと思います。

北の国から。いやぁ良かった良かった。

そういえば、今日はたいそう風が強くて寒い日でした。

最終話に合わせて、誰かさんが

北海道に近い臨場感を演出してくれたのでしょうか。

 

 


2003-12-18- THU  北の国から

フジでドラマの「白い巨塔」を見ようと思ったら、巨塔の代わりに「北の国からハイビジョンSP」をやっていて、

見ることができなかった。昨日もトリビアと水10が見れなくて、北をやっていた。

番組表を調べたら、火曜からやっていて今日が三日目。これが今週の土曜まで続く。

一日約3時間×5日だから、15時間北を続けて放送することになる。

年末のテレビ番組スペシャルの一環なのかもしれないけど、過去の遺産の食い潰しで15時間も

夜の時間(しかも8時から11時)を埋めるのは、ちょっと怠けてないか?

もちろん、仕事から帰ってきた疲れた体で3時間もテレビを見る気力はないので、

北は見ていない。あといまだに、ハイビジョンとそうでないものの、画像の質の違いがよくわからないんですが、

やっぱ違うんだろうか。というか、そんなにとりたてて強調するべきことなのかがいまいちよくわからない。

 

要は、トリビアはともかく水10と巨塔が見れなかったので、

フジテレビにやつあたりをしているわけで。「北の国から」自体には別に文句がないわけで。

そんでもって明日は忘年会なわけで。もう寝ようかと思っているわけで。

 

おやすみなわけで。

 

 


2003-12-16- TUE  おろそかに

なってしまいましたが、いつか書きます。

鎌倉旅行記の続き。

っつーか、あともう少しで一ヶ月経っちゃうなぁ・・・。

足りない記憶は、得意の妄想でカバーするとしますか。

 


2003-12-13- SAT  思いがけなく

サークルの後輩の引退式での話です。

一つだけ、思いがけない話を聞くことができました。

内容はここでは触れませんが、どうやらこういうことだそうです。

                 →吉野弘「生命は」

 

たぶん、そういったことに気づかされる話が、

場内で少なからず、聞かれたのではないかと思います。

思いがけない話も、時と場合によっては悪くないものです。

 

 


2003-12-11-THU  報告3

佐賀ではないですが、↓ここに泊まってきました。                                                                               

           地図

山あり、海ありの自然に囲まれた今福というところです。

 城山(梶谷城跡地)からの眺め

 

城山へ行く途中にあった、かつての民家

 

四人姉妹のいとこの家(こちらで泊めさせてもらいました。)

 

山に沈む夕日

 

長崎は坂の多いことで有名ですが、この今福というところも、

山のすぐそばに湾があって、海に向かって段々状に棚田(畑)が続いていました。

おじさんは昔、よくトラックの荷台に子供4人を乗せて、

車で5分くらいのところにある海水浴場に連れていっていたそうです。その話を聞いたとき、

今回、18年ぶりに会った4人姉妹(そのうち1人には会えませんでしたが)に関して、

当時6歳だった自分が覚えていた唯一の映像が、まさにそのトラックの荷台に4人姉妹が

悠然と座っている姿だったことを、改めて思い出して「やっぱりそうだったよなぁ。」と1人で納得しました。

関東の街育ち(当時は神奈川)の子供にとっては、トラックの荷台に座って気持ちいい風を受けながら

360度自在の風景を楽しんでいる彼女らが、はなはだ大胆不敵に見え、

また同時に、それがとってもうらやましくもあったのです。

もっとも今は家に車が5台あるらしく、大人になった彼女らがトラックの荷台に4人乗るという

姿はもう見ることがないと思われます。でも、かつて

トラックの荷台に乗って、ドライブを楽しんでいた4人姉妹の空間がそこにあった、

ということに思いを馳せると、本人達以外には覚えられていない楽しくて素敵な

空間がこの日本のいたるところで、太古の昔からかつてあって、

(もちろんそういった空間は今も存在していることなんだけど、そこはとりあえず対象外。)

ともすると、過去にあったその素敵な空間や時間というのは、

どっぷりと土地に染みついた記憶になっていて、そこを離れてしまった人たちにとってはさみしいことに、

本人たちにさえ、故郷を訪れたりといったきっかけがないと、思い出されることがないんじゃないだろうか、

といったことを考えたら、そのきっかけがなくて思い出されることのなかった屍同然になってしまった思い出たちが、

なんか不憫でならないような気がしてきました。

誰にも思い出されなくなってしまった、かつてあった人と人との素敵な関係性。

では、それを思い出すことなく往ってしまった人たちには

「おしい!ほんとにおしい。あと少しのきっかけと、往く前にほんの時間があれば・・!」

と口惜しい気持ちで見送るしかないのでしょうか。

でも、さすがにそれでは見送る側としてはつらいので、そう思ってばかりもいられません。

祖母の部屋には、アルバムが6冊ほど残っていました。

その多くが子供や孫から送られてきた写真でした。

70歳まで住んでいた土地(佐賀)を、引き払って千葉に来た祖母。

願わくば、祖母が心に強く残っている思い出だけでも、その写真を見ながら

ときおり思い出し、今を生きる力や喜びとして大事に丁寧に紡ぎ上げ続けていた、

と信じたいものです。いや、そう信じています。

それでももし、忘れられてしまった大切だったかもしれない出来事を、

不憫に思う気持ちが残ってしまうなら、生まれ育った土地を決して離れないか、

もしくは、写真をたくさん撮り続けていくしかないなと個人的には思っています。

ちなみに、いとこの4人姉妹(全員、自分より年上)は4人とも、

赤ちゃんから生まれ育った長崎の地に、住み続けているようです。

(それは、きっと小さい頃のトラックの荷台乗りの楽しさのせいだと

自分は思っているのですが・・・・!)

親が九州から上京、そして引越しをした我が家には、

各自のアルバム(家の分・姉貴の分、自分の分)が10冊ずつくらいあったりします。

もちろんそれ以外にもやりくちはあって、大切なことはずっと忘れずに覚えているという人もいるでしょう。

日記を欠かさずつけているというような人もいるかもしれません。

(そういう人ならば、土地に執着したり、写真とかを撮っていく必要もないと思われます。)

人や自分の記憶や歴史とどう向き合っていけばいいのか。

そういったことを考えさせられた長崎の地でした。

 

 

*余談ですがその後、千葉の田舎っぽい場所に移り住んでから、

遅ればせながら、友達の家のトラックの荷台に乗ることができました。

 

 


2003-12-10-WED  報告2

佐賀をさがそう。

 


2003-12-8-MON  報告1

吉田屋は発見できず。

 

むろん、吉野家も。

 


2003-12-4-THU  四十九日

明日の夜は、会社が終わってから九州へ上陸です。

準備もばんたん。あとは寝るだけですな。

十八年ぶりの、父親の田舎への訪問。

昔、遊んだ小川はまだ残っているのでしょうか。

梨畑には、まだ梨の木が植えられているのでしょうか。

もっとも、祖母の住んでいた家は今は更地になっているそうで、

子供達がよく木登りをしていた、柿の木だけが切られずに

残っているそうですが。

 

明日飛んで、日曜には帰ってくるというハードなスケジュール。

あわただしい週末になりそうですが、田舎の風景をよく見てきたいと思います。

 

 


2003-12-1-MON  鎌倉幻想 その弐  (11月23日の記)

のんびりしていたら、あっという間に12月になってしまいました。鎌倉旅行の続きです。

 

円覚寺を出て、お好み焼き、いなり寿司を食らうたのち、葉祥明美術館に入る。

「ようしょうめい」と読む。絵本作家さんですね。画面下いっぱいに、地平線を書いて

地平線と空の境界辺りに、ちょこっとした絵を描くのが特徴。もちろん、描かれている「ちょい絵」は、

絵ごとに色々と違っていて、それは例えば木に囲まれた家だったり、

灯台だったり、人だったり、動物だったり、自転車だったり、花だったりする。

画面のなかで空と大地の占める割合があまりに多いので、こんな「ちょい絵」でいいのか?

楽してないか?と思いながらはじめは見ていたんだけど、不思議や不思議。

絵を見ているうちに、小さく描かれた「ちょい絵」の持つイメージが、画面の余白いっぱいまで

じわーっと空気のように広がってきて、黙り込んで見入ってしまうようになる。

そのうち、それが画面の外までも少しずつ侵食してきて、

自分がまるで絵のなかの大地に立って、風景を眺めているような。そんな錯覚に落ちた。

 

次に美術館を出て、銭洗弁財天という神社を目指すことにする。

鎌倉は周りを小高い山に囲まれているため、山の尾根沿いに歩いていくハイキングコースが多い。

そのうちの一つである葛原ガ岡コースを、南下して30分くらい山道を進んでいくと、源氏山公園という

源頼朝の像がある公園に出る。そこから急なコンクリートの坂を下っていった途中に、神社があった。

入口は、岩山をくりぬいてトンネルのようになっている。

「やっと、今日一番に盛り上がれそうな場所に来たな。」

と同期は嬉しそうだった。

トンネルをくぐっていくと、岩山に囲まれた場所に神社が建てられており、

神社のさらに奥まったところに行くと、そこは霊水の湧き出る洞窟になっている。

なんでも、その霊水でお金を洗うと倍になるという信仰があるらしく、それがために、

神社の本当の名前は宇賀福神社であるにも関わらず、

今では銭洗弁財天の呼び名の方がメジャーになっているようだ。

霊水の流れる場所の横には、お金を入れるための小さいザルがたくさん用意されていた。

さっそくそのザルを借りて我々も、お金を入れる。小銭すべてと、1000円札一枚。

やっぱ、お札をぬらしてしまうんだからね。諭吉君も持っていたけど、夏目君が精一杯ですよ。

けれども、世の中は広いもので、ここの霊水がそうとう効くのか知らないが、万札を10枚くらいじかに、

水で洗っているおばちゃんがいた。そうとう切実な願いだったのだろうか。

銭洗い場は、まぁまぁな混み具合だった。

神社の看板には「水で洗い清めたお金はなるべく使うようにしてください。」

と書いてある。神社方がそう主張する理由は忘れてしまったが、これが、

みんな貯蓄しないでどんどん金を使って出費せよ、

と言っているのであれば、これはこれで世の中の景気回復につながる理屈になっている。

しかし、そうやって看板を立てておいた近くで神社のお守りや護符を売っているのは、どうもさりげなさに欠けている。

神社内の茶店もみやげはともかく、休憩所はにぎわいを見せていたようだったし。

こういったあまり邪気を感じさせないしたたかさというのは、嫌いではない。

もっとも、それも自分の勘ぐりだけで、実際にそこに計算はないのかもしれないんだけど。

 

 

 

またまた続きます。

 


2003-12-1-MON  ディス飲み (11月30日)

サークルで同じセクションだった先輩、51代、後輩、現役たちと飲んできました。

なんか、ゆるい大家族のような雰囲気がとても居心地よかったです。

さっそく、次の機会が楽しみになってきました。

 

 

 

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