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袴田事件、朝日新聞にでっち上げ糾弾の資格なし!

平成26年4月2日
主権回復を目指す会 西村修平

 <朝日に「捜査・検察当局」を糾弾する資格なし!
朝日こそ慰安婦強制連行のでっち上げをすみやかに正せ> 

1966年に静岡県で一家4人が殺害・放火された袴田事件で静岡地裁は27日、死刑が確定した元プロボクサー袴田巌氏(78歳)の再審開始を認める決定を下した。決定の理由は物証が捏造された疑いに加え、DNA鑑定などによる新たな証拠の提出などがある。

裁判並びに捜査過程の事実関係に触れない立場から、朝日新聞が袴田事件を終始一貫して「冤罪」だと報道するその姿勢を論じたい。

特に3月28日の朝刊1,2面のトップはこの事件で埋め尽くされた。社説では「過ちはすみやかに正せ」と題して、「無実の人を罪におとし、長年にわたり、死刑台の縁に立たせる。許されないことが起きたおそれが強い」と証拠調べにおける捜査機関の捏造を糾弾している。「死刑を決定づけた証拠がでっち上げだったとしたら、かつてない深刻な事態」だとし、捜査・検察当局に対して「何が起きたのか徹底捜査すること」を求めている。

袴田事件で問題とされていることは捜査・検察当局による物的証拠の捏造、でっち上げである。しかし、歴史認識、特に慰安婦問題などで最も熱心に力を注いで捏造、でっち上げ報道をしてきたのが朝日新聞である。その捏造の宗家に当たる朝日がこの度、「刑事司法に猛省を迫る」などと鬼の首を取ったような勢いだが笑止千万も良いところだ。

いちいち朝鮮人元慰安婦のデタラメ証言をここでは取り上げない。その代わりに、慰安婦報道が如何に杜撰を極めた報道だったかは、当の朝日新聞の重鎮が証言している。その重鎮とは人ぞ知る元朝日新聞の論説委員を務めた若宮啓文である。

慰安婦強制連行をめぐる発信元は、朝日新聞の捏造にある。 戦時中、山口県労務報国会下関支部動員部長を勤めたと自称する吉田清治の「韓国・済州島で女性をトラックで強制連行した」 との“証言”を、朝日などが平成3年から4年にかけ、勇気ある告白として報じた。本とは『私の戦争犯罪 ? 朝鮮人強制連行』(吉田清治 三一書房 1983年 昭和58年)だ。

その若宮啓文は平成4年1月23日付夕刊の論説委員室コラム「窓」で、「木剣を振るって若い女性を殴り、けり、トラックに詰め込む」 「吉田さんらが連行した女性は、少なくみても九百五十人はいた」などと最もらしく書いた。

これらが秦郁彦氏と済州島の新聞記者らの現地調査で、嘘と判明したことはとっくに知られていることだ。そのことで、吉田の本は日本国内の図書館から一冊残らず廃棄された。慰安婦強制連行は嘘、でっち上げだったのである。

余りのばつの悪さに、朝日の前主筆、若宮啓文は昨年出版した著書『新聞記者』で、「力ずくの『慰安婦狩り』を実際に行ったという日本の元軍人の話を信じて、確認のとれぬまま記事にするような勇み足もあった」とぬけぬけ書いているが、厚顔無恥を装う不貞不貞しさは相当なものである。これぞ捏造、若宮は吉田の証言を検証もせずに一方的に嘘を垂れ流したのだ。つまり、若宮自らが慰安婦強制連行は捏造と認めたのである。

慰安婦強制連行は日本国家と日本民族を強姦魔に陥れた冤罪事件、究極的な人権侵害に尽きる。えん罪事件とは意図的なでっち上げであり、慰安婦強制連行は我々日本国民に対する人権侵害、いや、人権問題ではなく無実の人を罪に陥れた犯罪事件に相当するのである。

わが日本国家と日本民族は朝日新聞に陥れられたのであり、歴とした犯罪被害者である。慰安婦強制連行はでっち上げの袴田事件と同列に位置づけられる。

朝日は慰安婦強制連行を「袴田事件」と同じく日本国家と日本民族を強姦魔に陥れた冤罪事件として認めなければならない。責任を持って、「過ちはすみやかに正せ」と題した社説を掲載すべきだ。慰安婦強制連行を「決定づけた証拠がでっち上げだったとしたら、かつてない深刻な事態」だとし、朝日新聞自らが「何が起きたのか徹底検証・取材すること」ではないのか。
http://nipponism.net/wordpress/?p=27038

いちゃもんを吹っ掛ける韓国に未来はあるのか?

平成26年年3月3日
歴史ナビゲーター 井上政典

 先週からフェイスブックで韓国人の男性と議論し、呉善花先生とそのいとこと一緒に過ごし、たくさん朝鮮半島の歴史について考える時間を持ちました。

 呉先生のいとこマイケルもそのフェイスブックの韓国人Kさんも幼いころ日本で育っています。いとこは小さい頃にB29が自分の住んでいた大阪に焼夷弾を落としているところを目撃したそうです。

 昨日書いたようにパーレビ国王からの絶大な信頼を受けてアメリカで生活を始め、爾来40年アメリカで生活をしています。

 かたやKさんは韓国に戻られて生活をされているようです。

 Kさんのことは全然知らないので、その考え方だけで判断しているので、実際は違うかもしれません。

 議論の中で一方的に日本が悪い、日本が植民地にした、日本が朝鮮の慰安婦を強制連行して性奴隷にしたと主張されます。

 さらに日本海は植民地にされる以前は東海と言っていたからその表記にするのは当然だという主張もされています。

 完全な歴史認識の間違いだと思うのですが、Kさんは一歩も譲りません。

 そこで呉先生のいとこさん(マイケル・70代後半)に感想を聞いてみました。
元韓国人で今はアメリカ国籍になっています。

 マイケルさんによると、李氏朝鮮時代に清国と戦争したことがある。その時の戦乱でたくさんの女性が清国に賠償として連れていかれました。

 しばらくしてそのうちの何人かが帰国できたそうですが、朝鮮の人々は帰ってきた朝鮮人の女性を非難し差別したそうです。

 非難されるのは、差し出した李氏朝鮮政府だし、連れていった清国であるべきなのに、その犠牲になった女性たちを非難したのです。

 果たして韓国政府が慰安婦問題を日韓の重要な課題にしているが、それが本当にいいことだろうかと言われていました。売春婦だったおばあちゃんたちにその恥ずべき過去を晒して別な意味での差別をしていると言われました。

 そこで私はふと考えたのです。

 慰安婦(彼らにとっては性奴隷)にするためにたくさんの朝鮮人の女性が日本軍に強制的に連れていかれたと主張する韓国ですが、連行された20万人の女性には家族はいなかったのでしょうか?

 済州島でも200人が連れていかれたというデマを吉田某がわざわざ本に書いて出版し、それを朝日新聞が喧伝しましたが、後の調査でそれが嘘とばれました。

 ある学者が済州島で調査したところ、「この島でそんな話は聞いたことがない。もしあればその家族が自分の命を犠牲にしてでも徹底的に抗議しただろう。でも、そんな形跡は全くないはずだ」という調査結果を出しました。

済州島でさえもそれが普通なのに、20万人も強制的に家族の元から連れ去られてその家族は何の抵抗もせずに自分は日本の外地としてぬくぬくと生活をしていたのでしょうか?

 日本人でも韓国人でも親子の愛情は変わらないと思います。

 もし、私が自分の娘や孫をそのようにされたら、徹底的に内外でその理不尽さを訴え、もしそれでも聞いてもらえないようならば、徹底的に戦うか、門前で割腹して抗議をするでしょう。

 それは、韓国人でさえも同じはず。でも、そのような抗議行動は20万人も強制連行された割にはまったく記録されていません。

 韓国人の男性は腰抜けでしょうか?

 いいえ違うと私は思っています。

 ならばどうして何も起こっていないのでしょうか?

それは、慰安婦の強制連行が嘘だからです。

 しかし、その嘘の一端を担いだのは日本人です。

 その巨悪の一人が河野洋平であり、福島瑞穂であり、村山富市であり、朝日新聞であり、日弁連なのです。

 こういう偽善的な売国奴が先人を陥れると同時に朝鮮人をバカにし差別しているのです。

 朝鮮も儒教国家であり、親子の愛情は日本人に勝るとも劣らないものがあると聞いています。

 ならば、20万人も強制的に性奴隷にされるために連れていかれたのなら、その親たち特に父親たちはなぜ立ち上がらなかったのでしょう?

 朝鮮人も誇り高き民族なのでしょう? 

 その誇りのためには、事実を捻じ曲げても強硬な主張をします。でも、この問題に関してはどう申し開きをするのでしょう?

 アメリカの地方都市に慰安婦の像を建立し始めています。

 自分たちは家族も守れない腰抜けの男しかいないだらしない民族だということをアメリカを始め世界に晒してなにを得ようとしているのでしょう?

 慰安婦には朝鮮人よりも日本人の女性が数多くいました。

 戦後進駐してきたアメリカ軍のせいのはけ口になった人もたくさんいました。そのままアメリカ兵と結婚してアメリカで生活をしたり、だまされ子供だけを産んで苦労された方もいます。

 その人たちは自分たちの過去を戦後一切口に出さずに一生を終えている人ばかりです。

 彼女たちは「恥」を知っていました。朝鮮人の慰安婦たちは「恥」を知らないのでしょうか?

 エリザベスサンダースホームという孤児院では米兵との間に生まれ捨てられた子供たちが育てられましたが、その人たちは周囲から温かい目と冷たい目の両方で見られて育ちましたが、たくさんの立派な日本人に巣立ったと聞いています。

 そのことを日本人は恥と思っており、その保障をアメリカ政府に求めたり、世界に訴えたりしたことはありませんし、そこを設立した沢田さんもそんなことは一切ないと思います。

 ベトナム戦争時に韓国兵が現地の女性を強姦して生まれてきた子供たちに関してベトナム政府は韓国に対して一切補償を求めたりしていません。

 ベトナムも恥を知っている誇り高き民族です。

 ドイツでは女性に終戦時にどこにいるかを聞くことがタブーだった時代がありました。

 ソ連国境にいた人はほとんど言っていいほど、ソ連軍の強姦の餌食になっていたからです。だから、終戦時に国境付近にいた方は悲しい過去を持つ人があまりにも多かったので、そういうマナーが生まれたそうです。

 現在の韓国の問題点は次のような話があります。

 慰安婦だった朝鮮人女性たちはある団体ががっちりガードして外部、特に日本人の団体と個別に接触するのを極端にきらうという話を聞きました。

 その団体は、慰安婦のおばあちゃんを利権化しているだけだとも聞きました。

 全世界に自国の恥の過去を晒し、自分たちがどれだけみじめな国であったかを言いあげて、その国の将来にどんな希望が持てるのでしょう?

 昨日の講演抄録でもありましたが、日本から韓国に行く人は極端に落ち込んでいます。

 しかし、韓国から日本に観光に来る人は増えています。

 韓国が自分の国でしか通用しない論理を主張すればするほど、自分たちの国際的な地位が下がり、外貨も投資をしなくなるので、昔の貧しい国へと逆戻りすることに気が付かないのでしょうか。

 日本は韓国がなくても一部の企業を除いては何も困りません。

 でも、韓国は国家的規模で日本がなければ産業自体が成り立っていかないのです。

 私の小さい頃は朝鮮人は差別の対象でした。それは朝鮮人はうそをつくし、怖いし、不潔だからでした。

 しかし、中年になるにしたがって韓国も高度成長をして発展したおかげでどんどん見直されていきました。

 朝鮮料理は辛いけど好きですし、一万円を両替すると12万ウォン(当時)にもなり、急にお金持ちになった気分が味わえました。

 そしてそのころから冬のソナタで韓流ブームが起こり、たくさんの日本人が韓国に旅行に行くようになりました。このまま日韓はより深い絆を結ぶのかと思われた矢先に、李明博の天皇陛下に対する発言によって嫌韓の火が付いたのです。

 しかし、それは民主党政権になってあからさまに韓国よりの政策を取り続ける民主党政権に国民が嫌気をさしたのと、民主党政権の土下座外交で図に乗りすぎた韓国政府の誤算も含まれています。

 戦後のGHQによって刷り込まれた自虐史観が韓国やCHINAの横暴ぶりによってどんどん剥げ落ちていっています。

 もしこの文章を読まれて、「そうだ!」と思われた方は覚醒している日本人であり、
「そうなの?」と思われた方は覚醒寸前の方です。

 「そんなことあるかい!」と思われた方はまだ自虐史観から脱していないかわいそうな人だと思います。

 韓国人でこのでたらめを思われた方はどしどしコメント欄に書き込んでください。

 きちんと儒教で教える礼節をもって議論に望まれるならば、反対意見であろうがきちんと掲載し、その反論を書かせていただきますが、感情表現だけの貧しい文章は掲載しませんのであしからず。

 議論を深めていくべき時に来ていると思っております。

田母神閣下は元気です!

平成26年2月16日
歴史ナビゲーター 井上政典

 ちょっと遅くなりましたが、木曜日に福岡に田母神閣下が講演で来られました。

 ある企業の連合体の講演でしたが、そこの理事と友人なので特別に参加させていただきました。

水曜日にそのことを聞きお願いして入れていただきましたが、木曜日の朝にも秘書の石井さんからも連絡いただきました。

 第1部と第2部構成で閣下の講演は第二部でしたから、控室には行けませんでしたが、一番前で講演をお聞きしました。

 福岡で講演されるときは、いつも舞台そでから聞いているので、正面で聞くのはとても新鮮でした。

 選挙戦が終わってすぐだったので、まだ選挙戦の後遺症が残っていました。

 あの寒風吹きすさぶ中、大声で叫び続けておられたため風邪をひいて声がかすれておられました。

 とても痛々しい声でしたが、講演している途中から元の声がだんだん戻ってこられ、最後はいつもの声になっておられました。

 きっと喉が痛かったはずですが、さすがに頑健な体です。

 講演の内容はどうして都知事選に出たのか、原発の話、そして石破氏のこと。

 あれだけ石破氏の批判をすれば、自民党から公認をもらえるはずがないと思うほどでした。

 今回は限られた会の講演でしたから、内容を書くのを控えますが、ぜひ皆さんに伝えたいのは、閣下はとても元気でした。

勇気も満々で、61万票とったので、マスコミも無視できなくなり、現在はインタビューや取材が殺到しているそうです。

 都知事選挙は敗れましたが、でも次につながる戦いができたと思います。ぜひ、次回の選挙は閣下を勝利に導くようにしましょう!

 「お力になれず申し訳ありませんでした」というと、うんうんとうなずき、力強く握手をしました。

 その後の懇親会も誘われたのですが、私が予定があり、
「閣下、私はこれで」というと、何度も振り返っていただき、お辞儀をしていただきました。

 今回はあまりお話しできませんでしたが、心が通じたひと時を過ごせました。

 やはり、田母神俊雄氏は素晴らしい人物です。