
戦後世代の台湾人からみた靖国問題
平成25年5月
「台湾の声」編集長 林 建良
靖国参拝についてシナや韓国が相変わらず騒ぎ立てているのですが、やっと日本政府が毅然とした態度を見せました。シナと韓国は靖国問題を外交カードとして日本を揺さぶり続けてきましたが、このカードを無効にしなければなりません。無効にするのに無視すればよいのです。参考のために10年前の下記原稿を再度掲載させていただきます。
一、八月の風物詩、靖国神社参拝問題
毎年八月に入ると、日本特有の社会現象を目にする。日本国総理大臣の靖国神社参拝の是非をめぐる大議論である。私はこの八月の風物詩を、いつも不思議に感じながら眺めてきた。まず、旗色鮮明な参拝賛成派と反対派のマスコミ陣営が議論の先導役となり、15日の終戦記念日が近づくにつれ、議論も白熱化し、最後に中国が参拝反対派の援軍として参戦してくる。
中国は、歴史問題と戦争責任という定番のカードを使い、高圧的な態度で日本に説教する。15日をすぎると、今度は日本の外交関係者が「関係修復」のために中国の機嫌を伺い、そしてあらゆる名目で援助が中国に巻き上げられる。この騒ぎは昭和60年8月15日、中曽根総理が靖国神社を公式参拝して以来、毎年繰り返されてきた。参拝反対派の論理がよほど日本国民に支持されているか、それとも中国がよほど怖いのか、参拝賛成派は負け続けており、日本の総理大臣は8月15日の靖国神社参拝を避けている。
私は日本に来るまで、靖国神社の名前は一度か二度新聞で見ただけで、詳しいことは全く知らなかった。日本のマスコミはよく、近隣諸国に迷惑をかけるとか、植民地支配の苦しみを受けた国に苦痛を与えるなどと言って、総理の靖国神社参拝問題に反対する。日本のかつての植民地だった台湾で生を享けた台湾人(台湾にいる中国人は除く)は、少なくとも靖国神社のことで困ったことも苦痛を感じたこともない。日本の総理大臣が国のために戦死した人々の霊が祀られている靖国神社に参拝することがなぜ問題になるのかは、戦後世代の台湾人として、理解に苦しむ。
世界のどの国にも国のために戦死した人々の慰霊施設があり、その国のリーダーが参拝して、霊を慰めることは必要不可欠の公務とされている。しかし、日本では、政教分離の問題、A級戦犯の合祀問題や軍国主義復活などの理屈で延々と議論が続いている。さすがに平和国家日本だと、台湾人の私は感心してしまう。なぜなら、日本以外の国でこんな理屈を並べたら、国民の怒りを買うに違いないからである。
古今東西を問わず、宗教的な色彩が帯びている国の公式行事は少なくない。例えば、クリスチャンであるかどうかに関係なく、アメリカの大統領は就任式で聖書を手にして宣誓する。しかし、憲法に記載されているか否かは別として、アメリカも政教分離の国なのだ。実際、政教分離条文の入っている日本国憲法を作ったのは、他でもなくアメリカなのだ。一国の指導者たるものは、国のために亡くなった人々の霊を慰めるのに、伝統文化に合う宗教的な色彩が帯びていることで批判されたら、それを一蹴する気概を持って欲しいものだ。
A級戦犯の合祀が問題になるのもおかしい話だ。A級戦犯を決めたのは、日本ではなく戦勝国のみで構成された東京裁判なのだ。戦勝国が敗戦国を裁くのだから、敵国の軍事責任者を戦犯として処罰したのは当然の結末であろう。A級戦犯に問われたのは、戦争を発動した責任者である。しかし、最近、アメリカが発動したイラク戦争に言及するまでもなく、有史以来、戦争は紛争解決と国益を守る一つの手段として公認されてきた。もし、戦争を発動しただけで罪になるのなら、欧米諸国にもかなりのA級戦犯が存在することになる。
A級戦犯とされた人々に責任があるとしたら、負ける戦争を始めたことであろう。日本国民がその責任を問うのならわかるが、戦勝国が彼等を裁くのは筋違いである。日本のA級戦犯ではないのだから、日本のために存在する慰霊施設のならA級戦犯問題は最初から存在しないはずだ。
中国が靖国神社参拝を戦争美化と軍国主義の復活だと批判するのは、日本からより多くの援助をふんだくるための言いがかりにすぎない。こんな理屈が通るなら、中国を含めた戦死者の慰霊施設を持つ国はすべて戦争美化と軍国主義の国ということになる。しかし、靖国神社参拝イコール軍国主義復活という中国の意図的宣伝に、日本国内にも同調者がいる。これは日本社会の寛容性を示しているが、日本を守ろうとする意志すら許そうとしない中国の謀略に加担することにもなるのだ。
国を愛せない人々には沢山の理屈が必要であるが、国を愛する人々に理屈はいらない。それは家族を愛するのと同様に、こころの奥から自然に湧き出る愛情だからである。靖国神社参拝は、国のために命を捧げた戦死者に敬意を表すごく自然な愛情表現であり、一国の総理がそれを行わないとしたら、無責任と言うべきであろう。
二、靖国参拝問題、中国の絶好の外交カード
靖国参拝問題を中国に外交カードとして与えたのは、他ならぬ日本自身である。
中国が8月15日に行う戦勝記念行事は、反日キャンペーンそのもの。言論の自由のない中国であるが、反日キャンペーンならいくら過激な言葉を使って日本をののしっても許される。それにうろたえる日本政府は、中国の絶好のカモになっている。靖国問題ほど、使いやすいカードはない。いくら無礼な態度で日本を攻撃しても、日本政府は謝るか弁解するだけで反撃はしない。なんの犠牲も払わずに外交得点を稼げるのだから、中国にとってこんなうまい話しはない。
更におかしいことに、中国に靖国神社はダメだと言われた日本政府は、別に慰霊施設を造ろうと真剣に検討している。なぜ、自国の魂のあり方について中国に伺いを立てるのか、台湾人の私にはさっぱりわからない。しかし、それで中国が満足すると思うなら、日本の指導者はあまりにもナイーブすぎる。中国にしてみれば、靖国問題はあくまでも外交カードの一枚にすぎない。このカードが有効である限り中国は切り続ける。
有効でなくなったら、別のカードを探す。これが外交というものなの。
このカードを無効にする方法はじつに簡単で、無視するだけでいいのである。反日キャンペーンをやった分だけ中国に対する援助を減らせば、もっと効果的だ。日本は得をするだけで、困るのは中国なのだ。もちろん老獪な中国は、そのことを誰よりも知っているはずである。だからこそ、2001年の夏に田中真紀子外相に唐家セン中国外相が小泉総理の靖国神社参拝をやめろと「ゲンメイ」したのである。
これが効いたのか、小泉総理は自分の公約である8月15日の参拝を繰り上げ、13日の参拝となった。小泉総理は屈服し例年のように中国の勝利で終わったのだ。
中国は日本の軍国主義を批判するが、日本には軍国主義の影さえ見当たらず、中国こそが軍国主義国家なのだ。中国共産党政権は銃口から生まれた政権だ、と誇らし気に自認し、軍歌の「義勇軍行進曲」を国歌に定めているのである。
更に、毎年二桁増加する軍事予算と近隣諸国に対する威嚇行為は、まさに中国の覇権体質の現れである。現に、中国は第二次世界大戦後、18回も対外戦争を起こしている。1979年2月に中国が発動したベトナムへの「処罰戦争」では雲南省国境に近いベトナムの村を焼き払い、非武装の村民を屠殺した。
これはベトナムに教訓を与えるための戦争だと中国は主張したが、実は期限切れの武器の在庫を一掃するために発動した戦争だった、と戦争に参加した元人民軍幹部が私に話した。そのせいか、武器の故障と不発弾が多く、まともにベトナム軍と戦えなかったと言う。そのこともあって、中国軍はベトナムの村民に当たり散らし、屠殺したのであろう。この中国の戦争犯罪は不問に付されたままである。
1996年3月、中国が台湾に向けてミサイル演習をした時、中国の軍指導者は「アメリカが動くなら、ロスアンジェルスまで核ミサイルを飛ばして、めちゃくちゃにしてやる(中国語:打得希巴爛)」と、下品きわまりないことばでアメリカを牽制した。しかし、アメリカは動ぜず、二空母艦隊を台湾海峡に派遣して、台湾を守る強い意志を示した。すると中国は、しっぽを巻いて退いたのである。
これが中国なのだ。一歩譲れば、十歩踏み込んできて取れるものを根こそぎ取っていく。弱いものは徹底的に蹂躙するが、アメリカのように強い姿勢で臨まれると、ささっと逃げる。靖国問題も、この中国人の本質を見抜かない限り、中国に利用され続けるであろう。
三、台湾人と靖国神社
靖国神社に、日本のために戦死した台湾人の英霊が2万7千柱あまりが祀られている。しかし、小泉首相の靖国神社参拝で精神的苦痛を受け、それはまた違憲であるとして、台湾の原住民枠で選出された国会議員の高金素梅氏と彼女に同調する日本人らが、首相と国に損害賠償を求める訴訟を平成15年2月17日、大阪地裁に起こした。
親日的と思われている台湾人が靖国問題で訴訟を起こしたことは、親台湾的な日本人を落胆させたに違いない。しかし、高金素梅氏は靖国神社に祀られている戦死者の遺族でもなければ、台湾人意識を持ち合わせている人間でもない。彼女の母親は台湾中部のタイヤル族原住民であるが、父親は戦後台湾に渡った中国人退役軍人である。歴史に翻弄された被害者とも言える中国人退役軍人は、台湾人に「老芋仔」(老いぼれ中国人)と呼ばれ、台湾社会では浮いている存在なのだ。そのため、人生の大半を台湾で過ごしながらも彼等は中国人意識が強く、彼等の子供たちも台湾人としての意識は薄い。
高金素梅氏は国会議員になる前、芸能人としてすでに全国的に有名になっていたが、その頃の彼女は原住民出身であることを隠して自分は漢民族で中国人だと主張していた。彼女と連携している政治団体は台湾内部の親中国勢力であり、パフォーマンスに長けた彼女は台湾の少数民族の代弁者に仕立て上げられたのである。彼等にとって、高金素梅氏を利用して靖国問題で攻撃をかけることは、大きな話題を呼ぶと同時に日本と台湾を離間させる一石二鳥の戦術でもあるのだ。
「遺族でもない高金素梅氏が訴訟を起こすのはおかしい」と、毎年靖国神社を参拝している元高砂義勇隊の隊員は憤慨しているが、彼女は親中反日勢力に動かされている一つのコマにすぎず、高金素梅氏は戦後世代の台湾人を代表しているわけではない。戦後世代の台湾人のほとんどは、靖国神社参拝問題を日本の内政問題と見ているし、それ以上の関心は持っていないのが実情だ。靖国問題で騒いでいるのは、中国と繋がっている一握りの政治勢力にすぎないのである。
日本植民地時代を経験していない戦後生まれの高金素梅氏が、日本の植民地統治によって苦痛を与えられたと主張しているのに対して、それを経験した台湾人の大半は親日派であり、靖国神社に台湾人の英霊が祀られていることを誇りに思っている。司馬遼太郎氏の『台湾紀行』に「老台北」として登場している蔡焜燦さんは、著書『台湾人と日本精神』に、靖国神社についてこう書いている。
「加えて、その靖国神社の神門が、実は台湾の阿里山の桧で作られていることも、台湾人と日本人の魂を結びつける一助となり、いまでも桜の季節には多くの台湾人が靖国神社を訪れ、両国の英霊に祈りを捧げていることをここで紹介しておきたい。
毎春、満開の桜が靖国神社に咲き誇るとき、かつてともに戦った台湾人元日本兵たちが「同期の桜を歌う会」の壇上で涙を浮かべて放吟する「台湾軍の歌」に暖かい拍手を送って頂きたいものである。」これこそが、その時代を経験してきた台湾人の生の声なのだ。
もっとも台湾人を代表する資格のある人は、「台湾の父」として敬愛されている李登輝前総統以外にない。彼は最近出版された著書『武士道解題・ノーブレス・オブリージュとは』の中で、靖国神社参拝問題についてこう述べている。
「2001年の夏、小泉純一郎首相が靖国神社に参拝しました。
就任当時から靖国参拝を公言していたのですが、結局反対勢力との妥協点で八月十三日という中途半端な日付を選びました。このとき私は、小泉首相の靖国神社参拝は当然のこととしてこれを支持する発言をし、それが日本の週刊誌に報じられています。ところが、2002年には、小泉首相は春に突然参拝を行い、八月には靖国神社を訪れませんでした。戦犯が合祀されているといった事情があるのはわかりますが、一国の首相が何もこそこそとすることはないのではないでしょうか。
戦死した将兵を祀る施設は台湾にもあります。忠烈祠という廟があって、政府の高官は春と秋にここに参拝するしきりがあるのです。戦争で亡くなった人を背を向けるようなら、その政治指導者はどうかしていると言えるでしょうし、国にはそれぞれしきたりがあるのです。昔のことにとらわれるあまり、中国や韓国の人が日本の問題にくちばしをはさむのは、間違いだと思います。私自身はクリスチャンですが、日本人として戦死した兄が祀られている靖国人神社には、当然参拝したいという気持ちを持ってきました。」
李登輝前総統の兄上李登欽氏(日本名:岩里武則)は、自ら志願して日本のためにフィリピンで戦死した元日本兵台湾人である。李登輝前総統は、兄上が靖国神社に祀られていることを誇りに思い、靖国神社に参拝したいのだ。この気持ちこそが、本当の台湾人遺族の気持ちであろう。
四、靖国、日本再生の原動力
戦後の日本社会は、平和を絶対善、戦争を絶対悪としている。しかし、平和を守れと叫びながら、国を守ろうとしない平和は、他国から恵んでもらう奴隷の平和でしかない。世界的なテロの横行を見ても、平和は欲しいが、平和を守るための力はいらない、という理屈が非現実であることは明白であろう。それは、健康は欲しいが、体を鍛えるのはいやだ、と言っているようなものだ。自分で自国を守る意志がなければ、他国に平和を守ってもらう属国となる以外に道はない。親中反日派が靖国参拝に反対するのは、日本の無力化を望んでいるからなのだ。
これは、日本民族の魂をつぶして、日本を滅ぼそうとする陰謀に違いない。実際、中国の李鵬元首相はオーストラリアの首相に「日本は後30年でこの地上から消えていく」と言った。
ある青少年相手のアンケート調査によると、日本に外敵が攻めてきたらどうするかとの質問に対し、降参するか逃げるかという回答が圧倒的に多かったそうである。日本の将来を担っていく若者の現状を見ると、親中反日派の陰謀は達成されつつあるのだ。靖国神社が国を守る意志の象徴の一つである事は、賛成派も反対派も認めてい る。靖国神社への参拝は、日本を守る意志の表現だから、反日国は日本の首相の参拝に反対するのだ。日本の首相なら、「不戦の決意で参拝する」などと誤魔化さないで、「国を守る決意で参拝する」と、堂々と宣言すべきであろう。それが国の安全を守る責任者としてのあるべき姿勢なのだ。指導者と国民に自国を守る強い意志があればこそ、国民は真の平和を享受し、幸せに暮らせるのである。
国民の代表である首相が、英霊に敬意を表し、公式参拝することは、国民全体の志気を高め、平和と安全に貢献することになるのだ。戦争を阻止できるのは、不戦の決意ではなく、国を守るためには命を投げ出すことも辞さない国民の強固な決意である。総理が堂々と靖国神社を参拝する気概が、日本の平和と安全に貢献することになるのだ。
もともと、日本は尊敬できる気概のある国であった。一般的に親日と言われている台湾人の親日感情の原点も、「日本精神」に対する憧れにある。台湾人が名付けた「日本精神」(ジッブンチェンシン)とは、私利より公益を優先する道徳感、自分たちの国家と伝統を守る気概なのである。しかし、残念なことに、台湾人が憧れている「日本精神」は、戦後の日本では失われたままになっている。
それまで善としてきた価値観は悪となり、伝統価値観の崩壊によって、日本人のアイデンティティも失われた。そのために日本は、虚無感の漂う無気力な国になってしまった。総理の靖国神社公式参拝が論争の的になったことは、日本人のアイデンティティが問題にされていることの現れでもある。靖国神社参拝がを他人事のように傍観している一般の日本国民のアイデンティティも問われているのだ。
国民の多くが自国の魂に無関心だから、親中反日勢力が跋扈することにもなるのである。反日勢力が執拗に靖国を攻撃するのは、英霊の魂が宿る靖国が日本精神を再生させる力を秘めていることを、彼等が直感的に知っているからであろう。ずばり言えば、日本再建の鍵は靖国にあるのだ。靖国は国を守る気概の象徴であると同時に、日本民族再生のエネルギーの源にもなるからである。
日本以外に、国を守る国民の意思の象徴たる施設への参拝が、論争の的になっている国が存在するであろうか。どの国でも、このような問題は論争の対象にはならない。国を守る必要があるかどうかという議論自体がナンセンスだからである。
国を守ることは、家庭を守ることと同じように、議論はいらないのだ。反日勢力の議論に乗ることは、靖国の原点を見失うことにもなりかねない。靖国神社は議論するための存在ではなく、参拝するための存在なのだ。論争はやめて、靖国神社参拝を国民運動として展開する方が、はるかに有益であろう。すべての政治家にも靖国参拝を要求し、参拝しない政治家に対しては落選運動を起こして、二度と当選できないようにする。国民がみな参拝するようになれば、靖国神社は日本を救う力となり、日本は再生するであろう。
強大な経済力を持つ自由民主国家の日本が、自信とアイデンティティを回復して、自国と東アジアの平和と安全を守る決意を持つようになれば、大いに世界平和に貢献することになる。一日も早く日本人が民族の魂を取り戻して、日本が世界に信頼される強力的な国家になることを、日本の友人として、心から願ってやまない。
【中国人の本質】「愛国」という中国人の仮面
平成25年4月
「台湾の声」編集長
林 建良
以下は6年前に上梓した単行本「日本よ、こんな中国とつきあえるか」の一部ですが、参考のために再度掲載させていただきます。
■ 「愛国無罪」と「抗日有理」の本当の意味
日本人は「中国人は愛国心が強い」というイメージを抱いているように見受けられる。しかし、これは中国人に対するイメージの中でもっとも事実と異なり、むしろ錯覚と言っても過言ではない。
これは無理もない話で、例えば二〇〇五年四月に起こった反日デモや靖国神社や尖閣に反対するデモなどの映像は、中国人のヒステリックとさえいえる反応を映し出し、それが国を強く愛している民族だというイメージを日本人に焼き付けているからだと思われる。
現在、日本にはマスコミで活躍している約百五十名の中国人学者がおり、彼らは文章力に長け、宣伝力にも優れている。その中の十名ほどはコメンテーターとしてよくテレビにも出ている。特に中国にかかわる事件が発生すると、中国の宣伝機関に成り下がった感のあるNHKは中国人学者にすぐコメントを求める。
もちろん中国人学者は、ほぼ異口同音に中国人の愛国心を強調する。どうしてそうなるかというと、百五十名の中国人学者はすべて中国大使館の監視下にあるからに他ならない。彼らは定期的に大使館と連絡を取らなければならない立場にあり、従って彼らの発言は統制された言論活動といってよい。
では、中国国内には国民自らの意思で行う庶民レベルの反日デモはあるのだろうか。当時、ユーゴスラビアの中国大使館に対するアメリカの誤爆事件があって、アメリカ大使館にも激しい反米デモが行われた。一般的には庶民が自らの意思で行っている愛国行動と受け取られたようだが、果たしてそうなのだろうか。
これは、二〇〇五年四月の反日デモの際の一枚のプラカードを見れば分かる。プラカードには「愛国無罪」とあり、「抗日有理」とあった。「愛国無罪」とは「国を愛することは罪ではない」という意味であり、「抗日有理」とは「日本に反抗することは道理にかなっている」という意味である。
かつて中国では「愛国無罪」「造反有理」というスローガンが叫ばれた時期があった。造反(反逆)することは道理にかなっていると、次々と貴重な文化財を破壊し、権力の地位にある者を引きずりおろした。文化大革命のときである。中国でのデモ活動は、実は庶民の娯楽になっている。なぜなら、言論の自由がない中国で唯一許されているのは「愛国」や「反日」に関してであり、デモは庶民にとっては日頃の鬱憤を晴らす絶好の機会として、愛国心の名の下であらゆる破壊活動をしているのが実態だからである。中国人の愛国心とは所詮この程度のものなのである。
なぜそう言えるのかというと、中国人の本質は自己中心的な民族であって、自分がいちばん大切なのである。その次が家族であり、そのまた次は宗族(信仰や血縁で束ねる部落)であって、それ以外の人間や組織は眼中にない。中国人にとって、自分の利益にならないことは大切だとは考えない。それ故、中国人の国民性からすれば、日本人がイメージする「お国のために」といような、愛国心に基づいた行動をとることはあり得ない話なのである。
■ エリート中国人学者の告白
私が一九八七年に日本に来たときにはまだ中国の開放政策ははじまったばかりで、外国に出られる中国人はごくわずかだった。留学という形で国外に出られるというのは、特権階級の子弟かエリート中のエリートに限られていた。
私は留学先の東大でいろいろな中国人に会い、彼らを家に招待して食事をしたこともある。そのときにもっとも多かったのは「どうしたら長く日本に留まることができるのか」もしくは「どうしたら中国に帰らないですむのか」という質問だった。
当時、非常に印象的だったのは、中国の武漢大学で講師をつとめていて東大に留学してきた朱さんの言葉である。すでに大学で教えているエリートの彼が、真剣な眼差しで「日本に残ることができるなら、皿洗いでも何でもして残りたい。そうすれば中国にいる家族をすぐに呼び寄せ、日本で暮らしたい」と訴えるように言った一言ことだった。
中国のエリート階級がこのような考え方をしているのであるから、一般の人々はなおさらである。つまり、中国の知識人から一般庶民に至るまで、人生最大の目標のひとつは国を出ることなのだ。国を捨てることなのである。中国人にとって、中国というところはほとんど未来のない居場所で、とにかく中国を捨てて出たいのである。これこそ中国人の真実であろう。
■ 嫌っているはずの日本の国籍を取る中国人
中国社会科学院の統計によれば、外国に出て行った中国人がどれくらい帰国しているのかというと、せいぜい二割で、八割の人間が帰国していない。だから、中国人は愛国心が強いというのは真っ赤なウソであるといってよい。
中国でアンケート調査をすると、どんなアンケートでも一番嫌っている国は日本と答える。しかし、日本では年間約一万人の外国人が日本国籍を取得しているが、実はその半数が中国人なのである。すべての外国人の中で、率先して日本人になろうとしているのが、日本を一番嫌っている中国人なのである。
しかし、この五千人というのは小さな数字だ。二十年ほど前、中曽根首相が十万人留学生計画を打ち出したが、今や中国からだけで十万人近い留学生が来日し、それよりはるかに多い密入国者が日本に入り込んでいる。彼らが犯罪の請負人になることも少なくない。未だ記憶に新しいのは、九州博多での殺人事件だ。ある中国人留学生がわずか数万円で一家四人を惨殺した事件だった。
中国人は日本にばかり来ているわけではない。中国と国境を接するロシアのシベリアにはすでに数百万人の中国人が流れ込んでいる。しかも、年間五十万人ずつ増えているという。生活環境が厳しいにもかかわらず、中国から脱出しているのである。
また、南米にもすでに一千万人以上の中国人が住みついていると言われている。南米は中国とは縁もゆかりもなく、文化もまるで違うにもかかわらず、それほど多くの中国人が中国を脱出しているのである。
■ 政府に操作される愛国心
私は栃木県に住んでいるが、ある日、近くのレストランに餃子を食べに行ったときのことである。その店のオーナーは中国人のお嫁さんをもらっていた。その店で手伝っていたのは奥さんの姪御さんだった。中国語で奥さんと雑談をしていると、突然、その姪御さんの旦那さんを探してくれないかという。初めて入った店で、初めて会って、単に言葉が通じるというだけでとんでもない依頼をされてしまった。
取りあえず私は「そういうことはよく分からないが、どんな条件の人がいいのか」と聞き返すと、その姪御さんは「条件などない。結婚して、日本に残れればいい」という返答だった。試しに「年をとっていてもいいのか」と聞いてみると、「どんなに年をとっていてもいい。日本に留まりたい」と真顔で訴えるのである。
つまり、結婚相手は誰でもいいから、日本に残るために結婚したいということだった。このような栃木県の片田舎の町にまで中国人が生活していて、ここに残ろうと必死になっている姿にある意味で新鮮な感じを受けたが、それ以上に、彼女たちに祖国への愛国心のかけらもないことに驚かされた。
中国人が国を捨てたいと考えているのは、先のロシアや南米の例でも明らかだが、中国人の高官はほぼ全員、子供を外国に送り出し、その中の大半は外国の国籍を取っている。中国人は外国に出たら絶対帰国しないということではないが、外国で国籍を取得したり永住権を取得した後で帰っている。つまり、いつでも中国から出られるという保障があってこそ、中国に帰ってくるのである。彼らが帰国する本当の目的は、勝手知ったる中国で商売することであって、国を愛して、国のために働くという意識からではさらさらない。
中国人の愛国心というのは、中国政府によって操作されているひとつの宣伝であり、もしくは中国人の大衆的娯楽にすぎず、中国人が国を愛することなどあり得ないと言ってよい。中国人の愛国はあくまでも仮面にすぎないのである。
参考:「中国ガン・台湾人医師の処方箋」林 建良著 並木書房 2012年12月出版
韓国の国際政治力・対外宣伝力は明らかに優れている。
平成25年3月
酒井信彦
2月12日のIOC理事会で、2020年のオリンピックから、日本が大いに得意なレスリングが外されたと言うので、このところ大きな騒ぎになっている。除外対象の種目は、レスリング・近代五種・ホッケー・カヌー・テコンドーの五競技であったが、レスリングが指定されたのである。レスリングの除外は、まだ最終決定ではないらしいが、注目されるのは韓国の、国際スポーツの世界における政治力である。
15日の朝日新聞によると、理事の一人は、世界テコンドー連盟の倫理委員長であり、1月には大韓体育会長が理事の多いヨーロッパを、残留を支持するようにロビー活動をした。また「韓国紙・文化日報は、投票した14理事のうち3人が韓国で名誉博士号を得るなど『半分が親韓派』と報じた」という。
同じようなことは何年も前に在った。それは日本開催が決定していた、2002年のサッカー・ワールドカップの開催地に、後から韓国が強引に割り込んできて、共同開催にしてしまったことである。その裏ではかなり実弾、すなわち金銭が飛び交ったことであろうが、韓国がこのような国際スポーツの場において、政治力が日本よりはるかに長けているのは、以前からすでに明らかなことである。
それはスポーツだけでなく、純粋な国際政治の現場においても同じである。実際に、国際連合の事務総長には、2007年から韓国人のパン・ギムン(潘基文)が成っており、一時は疑問視された二期目も継続している。このような韓国人の政治能力・外交能力は、シナとの冊封関係と言う隷属的な外交関係や、権謀術数に明け暮れた、王朝の宮廷政治の中で、養われたものかもしれない。
この国際的な政治力は、同時に対外宣伝力でもある。近年、日本はこの韓国の対外宣伝力に、一方的にやられ続けている。例えば、日本海の名称を韓国中心の「東海」に改称させようとして、執拗に運動している。その理屈自体が完璧に非論理的であるにも拘わらず、採用する国も出てきているようである。なぜ論理的に破産しているかと言えば、東海とは韓国から見た名称であって、これはあくまでも「東の方の海」という普通名詞であり、世界の人々が使う、地名としての固有名詞になっていないからである。英語訳すれば、「イースト・シー」であって、こんなことをしていたら、世界中に東海がいくらでもできてしまい、とても区別がつかなくなる。
こんな簡単なことが分からないのが韓国人であるが、それが多少とはいえ通用してしまうのは、今の世界が、特に欧米先進国と言われている国々のものの考え方が、かなりいい加減になっているからである。この点、日本人は欧米先進国を信じすぎる傾向があるから、十分注意しなければならない。
この欧米先進国もコロッと騙されている、韓国人のウソと言ったら、それは何と言っても慰安婦問題である。六年前の2007年、先の安倍内閣の時、首相の訪米に合わせるように米国議会に慰安婦決議が出されて、結局採択された。また同年にはオランダ・カナダ・EUの議会でも同様な慰安婦決議が行われた。そしてその後も、慰安婦関係では韓国の外交攻勢は、ますますエスカレートするばかりである。
また韓国では、歴史問題について研究し、対外発信をする国家組織を、2006年に作っている。この東北アジア歴史財団は、はじめ中共からの歴史攻勢に対抗するために作られたものであるが、現在は日本に対する攻撃を行う組織となっている。中共は高句麗や渤海を「中国」の地方政権とする歴史研究を「東北工程」として行った。韓国はこの二つの王朝とも、朝鮮人の王朝であるとしているから、脅威を感じてこれに反撃するために設けたものであるが、今や対日の方が中心であり、竹島問題で「独島研究所」という付属研究所を持ち、「東海」名称の普及活動も行っている。なお中共自身では、古くからこの種のシンクタンクとして、中国社会科学院がある。
日本が決定的に欠けているのは、この中共・韓国の歴史を利用した、卑劣な攻撃に対抗する組織が全くないことである。もう一つは、そこで研究されたものを、対外に発信する能力である。その点においても、日本の外務省の怠惰と無能は、まさに亡国的である。尖閣諸島をめぐる、日本と中共の紛争においては、中共の報道官が日本のニュースに表れて、中共の一方的な主張を日本の国民に、ひたすら垂れ流す。それによって日本国民は、直接中共政府によって洗脳教育されているわけである。
積年にわたる外務省の怠惰・無能は、それを許してきた自民党政治の責任である。
さらに言えば、それを傍観してきた保守運動の責任でもある。安倍首相がやらなければならないのは、遅まきながらではあるが、外務省に積極的に日本の主張を発信さることと、中共や韓国にならって、歴史問題のシンクタンクを設立することである。
柔道園田監督とAKB峯岸の責任の取り方
平成25年2月
井上政典
指導者は選手の信頼を失ったら直ぐに対処すべきであると誰でも考えると思います。
しかし、その対処をせずに15名の選手が直訴をした事件をここまでほっておいたことは、柔道連盟および園田元監督の潔さが足りなかった証左だと思います。
昨年の告発があった時点で、全日本柔道連盟と園田元監督はきちんと対処すべきであっのですが、しませんでした。熱心な指導は大切ですが、これは信頼関係があってのみ成立するものです。信頼関係が築けていない時に、強い指導をしても逆効果だと思います。
ただ、園田元監督も一度は世界を極めた男です。柔道に対する愛情や姿勢に対しての哲学はきちんとお持ちのはずです。それを中途半端な私やテレビのコメンテーターがとやかく言うことは野暮だと思います。
しかし、私も数十人の部下を持ったことがあり、成功もすれば失敗もしております。その経験からいうと、園田元監督は15名の直訴があった時点で責任を取るべきでした。給料をもらう企業人とは違うと思いますが、オリンピックに出るような高度なレベルでの競い合いは、指導者と選手の一体感がどれだけ重要で勝敗に左右するか、女子サッカーなどの他の競技の人間関係を見たら一目瞭然だと思います。
どうして潔く監督を辞任しなかったのでしょう。
メンツも自分の信念もあったと思います。強い指導でなければ選手を強くできないという思いが強かったのでしょう、その気持ちも十分すぎるくらい分かります。
園田元監督よりももっと厳しい指導をしていた先人もおられたはずです。でも、なぜ自分だけ?と思ったと思います。その時点で自分には何が足りないのかという疑問を持つべきだったのです。
日露戦争時に旅順要塞攻略のために、第三軍が組織され、乃木希典中将がその司令官として任命されました。当時の参謀本部は乃木の日清戦争時の旅順要塞攻略経験とその高潔な人格をもとに人選したと思います。
しかし、日露戦争時の旅順要塞は大陸軍国家である近代要塞に生まれ変わっており、新兵器であるマキシム機関銃がいたるところに配備されていました。当時は飛行機もまだなく、空からの偵察はできず、行ってみないとどうなっているかわからないのが実情でした。
それでも、当時の世界戦史上一門あたり最高の砲弾で砲撃し、当時の日本陸軍が持てる力を最大限で攻撃したのです。でも、大量のセメントで固めた要塞はその程度の砲撃ではびくともしませんでした。
しかし、この要塞を落とさないと刻々と迫り来るバルチック艦隊が到着すれば、日本海の制海権はロシア側に取られ、日本は敗北が決定します。そのためにもどうしても旅順港の背後の旅順要塞を到着前に攻略し、その港に籠っているロシア艦隊を撃滅しておかねばならなかったのです。
そのため日本陸軍は兵士の命と引き換えに堡塁(ロシア陣地)を一つづつ落としていきました。司馬遼太郎の「坂の上の雲」では愚将扱いされている乃木希典大将でなければ、その攻撃続行はできなかったのです。
私の尊敬する児玉源太郎満州軍総参謀長が28サンチ砲で攻撃させ、203高地を落とすことによって、旅順港内に潜むロシア戦艦を沈めたとありますが、その前に乃木軍が肉弾戦で一つづつ堡塁を攻略していたからできたことです。そして、203高地を攻略してもなお一ヶ月もロシアは頑強に抵抗し続けるのです。
乃木大将は、この作戦で6万人近い死傷者を出します。負傷と言っても戦闘における負傷ですから、片手がないくらいは軽傷扱いされると言っても過言ではないほどの悲惨さです。
もし、乃木大将が配下の将兵から信頼を持たれていなければ、これだけの損害が出ても攻撃を続けられたでしょうか。たった一つしかない命を差し出しているのです。無駄死にや無謀の作戦のためにいくら命令といえども簡単には投げ出しません。だから、指揮官はその戦闘の必要性や意義を部下の将兵に理解させるよう努力します。
しっかりとその使命が将兵の一人ひとりに理解できていれば、どんなに苦しい戦いでも次々に英雄的な行動をする兵士が出続けるのです。そしてその軍は目的を達成します。
話を元に戻します。
柔道の園田元監督はそれが選手と共有できていなかったのです。だから、自分は選手を強くしたいという思いが先走って高圧的な指導とみなされるようになったのではないでしょうか。あふれるばかりの愛情がうまく相手に伝わっていなかったのです。とても残念です。
ロンドンオリンピックが終了した時点で監督を降りるべきでした。そして自分に何が足りなかったのかをもう一度、学んで再登板すべきだったのではないでしょうか。これは全日本柔道連盟の任命責任問題だと思います。
篠原信一男子柔道の監督は、男子柔道の不振の責任を取って潔く辞任しています。この人は現役の時から言い訳をしない潔い人でしたが、自分から身を引くことでもう一度数年後に成長して帰ってくると思います。
AKBの峯岸丸坊主事件ですが、この事件でいっそうAKBのすごさがわかりました。
原則を破らない。互いに競争させることで切磋琢磨して、第一線を守っている集団だと見るようになりました。スター選手は全盛期の時に卒業させてソロでもやっていける環境をつくり、常に新しい魅力ある素人を入れてファンがアイドルを育てていく楽しみを常に提供するという手法には感心します。
投票券をCDを買った人しか、もらえないために、推しメンを上位に持ってくるために、大量のCDを購入し投票券だけをとってあとは捨てるような社会現象も起こしています。でも、こういう若者が切磋琢磨する姿を見るのは決して嫌ではありません。それは買うほうが納得していれば問題ないのです。
峯岸ちゃんが丸坊主にして謝罪をしたため、AKBの価値が上がったように思うのは私だけでしょうか。それだけ厳しい世界で生きている若い女の子がいるという事実をみんなが知ることで、トップを張ることも並大抵の根性では務まらないという現実の厳しさをぬるい平和ボケした多くの日本人に分からせたのではないでしょうか。
私がAKBのプロデューサーなら、峯岸ちゃんの髪の毛がもう少し伸びた時点でファンが望むなら、復帰させるとするでしょう。すると峯岸ちゃんの熱烈なファンがこの危機のために力になるような行動をするのでしょうか。彼女をもう一度スターの座につかせることを生きがいにするファンもいることでしょう。
私は、丸坊主の行動に出た峯岸ちゃんを支持します。
人間は弱い生き物です、だから過ちを犯します。でも、その過ちに気づいてなんとか取り戻そうと努力している人にはエールを送りたいと思っています。
柔道の園田元監督もこの問題で終わりではなく、また監督になれるように精進してください。あなたの前には安倍晋三という失敗から総理大臣に返り咲いたすごい存在がいます。
若くして女子柔道の監督に選ばれるような人物です。もっと人間を磨けばからなず帰り咲くことができるでしょう。やめるときは潔く、そしてその後の努力を暖かく見守り、ふさわしい人物になったらもう一度機会を与える。この優しさが日本人の気質に合うものではないでしょうか。
鳩山由紀夫や村山富市や加藤紘一そして野中広務などが前の過ちに気づけば、日本人も許してくれたのに、絶対に許されない行動をしてしまいました。いくら優しい日本人でももう許すことはないでしょう。
安倍政権の強気の姿勢を評価する。
平成25年1月
井上 政典
額賀特使が韓国を訪問しているにもかかわらず、CHINA人の靖国神社放火犯を条約に反して引き渡さず日韓関係に対して憤慨されている方も多いと思います。
でも、ちょっと見方を変えれば、安倍政権の韓国への強気な外交が見て取れるのです。
まず整理してみましょう。
今回額賀特使は時期大統領の朴さんに会いに行き、現職の大統領の李明博には会っていません。
これを元韓国人の有識者に聞くと、儒教を重んじる国にとっては、日本の首相からの特使が末期といえども現職の大統領に会わないということはとても失礼なことに当たるということです。
だから、額賀特使にVIP道路を使用させず一般道路を通行させたという決定は現職の李明博サイドから出ました。さらに日本が嫌がる靖国神社放火犯をCHINAへ送り返しました。これは李明博からの嫌がらせです。
安倍政権は明確に韓国に対し対話と圧力を使い分けているのだと思います。
朴新政権に対しては『これからは今までとは違うちゃんとした付き合いをしようね』というメッセージを出し、李明博に対しては『タブーを破ったあんたとは一切付き合いしないよ』という使い分けをしているのです。
そして朴新政権も日本の経済協力なしでは韓国の経済や収入格差の問題は解決しないということがわかっているために、今後は慎重な姿勢を持たねばならないと釘を刺しているのです。
いくら安倍政権ができたからといって、まだ就任前の朴次期大統領に会いに行って現職の李明博にあわないのは不自然だと思っていましたが、今回の訪韓で李明博に会わなかった確認が取れた時点で安倍政権の明確な韓国政策が理解できました。
儒教で面子を大変重要視する国で、現職の大統領である自分にはいっさい挨拶がないということは、李明博にとってとてつもない屈辱でしかありません。思いっきり李明博の面子を潰したのです。顔に泥を塗ったといってもいいでしょう。
恐れ多くも天皇陛下に対し暴言を吐き、建前上棚上げとなっている竹島に上陸するといった暴挙をやった李明博を一切相手せずという姿勢は、今後も日本に対して無礼なことをすればそれなりの報復が待っているということを就任ひと月目で見事に果たしたとしか思えません。
韓国はそこに対して怒らねばならないのですが、自分の顔に泥を塗られたことを公にしてはもっとメンツを潰すことになるので、何も言えず腹いせにただの放火犯を「政治犯」としてCHINAへ送り返すという国際法と国際慣例に反した愚挙を引き起こさせたのです。
これは、安倍政権の弱腰ではなく、見事なメッセージを持った訪韓特使だといっても過言ではないでしょう。
靖国神社に放火したCHINA人の引渡しを国際条約の慣例を破って日本へ送還せずに、CHINAへ送り返したという韓国政府の行為は国際的に見て信用を落とす「愚行」としかなりません。
これで日本が強硬策をとっても、世界は日本があれほど譲歩しているのに韓国政府は大人気ないと思うからです。
では、その強硬策とはなにか?
それがズバリ安倍談話です。その談話は、河野談話や村山談話を明確に否定し、日本の立ち位置を明確にするものだと思っております。それは戦後体制からの完全な脱却であり、日本の国際社会における尊厳ある立場を印象付けるものだと思います。
それにより、実際は強制連行で連れてこられていない在日特権の根拠を奪い、日本の子供たちに歪曲した自虐史観を押し付ける日教組という組織の存在理由を根絶せしめるものです。
だから、みなさん。安倍政権の一挙手一投足に反応せずに、「大義」を果たせるかどうかを見守りましょう。
私たちが安倍晋三氏になぜ期待するのかを考えれば、今の多くの日本人に入り込んでいる自虐史観を払拭するのは安倍さんしかいないと思うからではないでしょうか?
前回は、反対勢力の陰謀によってボロボロになり敗退しましたが、見事に復活し国民の期待を一身に背負っておられます。今回の選挙では、まだ「大丈夫か?」と懐疑的な見方で安倍さんを見ていた愛国者たちも、安倍総理の深慮遠謀が徐々にわかれば、きっと戻ってくるために次の参議院選でも圧勝することでしょう。
でも、いままでの利権を持っていた勢力はそれをなんとか阻止しようと、政権の獅子身中の虫である公明党への圧力をかけてくると思います。ただ公明党の議員の中にも、学会とは一線を期さないと日本国のための政治はできないと思い始めている方々も多数いることがわかりました。
以前の公明党とはちょっと違った動きになってくると思いますが、それも参議院選で自民党が単独でどこまで票を伸ばせるかにかかってきます。学会員の中にもだんだん自虐史観という魔法が解けてくれば来るほど「信仰」と「政治」を切り離して考える愛国者が多数出てくると思います。
平和と唱えているだけでは、平和は守れません。日本人としての尊厳を捨ててまでのんべんだらりと生きていくのがいいと思われる方は、どうぞ隣の韓国や北朝鮮やそしてCHINAへ移住してください。そうすれば、祖国日本がどれだけ素晴らしい国であったかがはっきりわかると思います。
山本太郎とかいう勘違いした二流の俳優がいましたが、もう日本を脱出したのでしょうか?

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