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日本は戦争のできる国?

平成26年7月7日
歴史ナビゲーター 井上政典

 日教組の教師たちによる組織的と思われる子供への洗脳工作がどんどん進んでいるように思えるのは私だけでしょうか?

 集団的自衛権を政府が憲法解釈で認めたから、徴兵制が復活するという時代錯誤の話をしていると以前書きました。今日はそれについての根本的なところを書き足したいと思います。

 まず、政府による憲法解釈の変更についてですが、これまでも度々行っているのが歴史的事実です。

 吉田茂首相は初めは自衛の戦争も一切認めないと言っていたのに、後に自衛の戦争は認めると言いました。つまり、憲法9条の解釈を当時の総理の一言で変えているのです。

 それはなぜかとみると、東西冷戦が激化し、日本やアジア諸国をアメリカ一国で守り切れなくなってきたからです。それは別な言い方をすると、日本を取り巻く環境が変化したら、憲法解釈も変えて対処したのです。

 ご存知に様に日本国憲法は制定以来一度も改正されていません。

 でも、公布当時とは世界情勢は刻々と変化してきました。だから日本政府は、憲法を変えるのではなくその解釈を変えることにより現実に対処してきたのです。

 だから、戦後70年間これほどの欠陥憲法であっても戦争は起きませんでした。

 憲法9条を厳密に守っていたら、とっくに日本の離島はCHINAや韓国にとられていたでしょう。

 竹島上空も以前は自衛隊機が哨戒していたと昨日田母神閣下から直接お聞きしました。その後大人の対応によって自衛隊が近づくなという命令がでて、行けなくなったそうです。

 そして現在は軍事基地化および観光地化しております。

 精強な自衛隊は、憲法9条を厳密に守っていたのでは生まれていません。ただ、わざわざ費用をかけて性能を落として航空機を配備するようなバカなことはしていましたが・・・。

 精強な自衛隊が存在すること自体が憲法解釈を時の政府が時代の変化に応じて行ってきたことの証拠です。

 それを安倍政権だけが無理やりしたというのはちょっとおかしいでしょう。

 国民も三分の二が今回の憲法解釈は周りの情勢を考えればそうせざるを得ないだろうと賛成しています。

 CHINAの広報官が、日本が戦後築いてきた平和主義を転換するのは云々と非難していましたが、お前たちが日本が侵略国家だと非難しながら、実際は自分たちがチベットやウィグルや南蒙古を侵略し、自国領へ現地の人たちの意思は無視して飲み込んでいったことは一切言いません。

 その事実に日本国民も気づき始め、さらに東シナ海に積極的に進出を始めてきたのにおとなしい日本人も危機感を持ち始めた結果です。

 こういう状況の変化に安倍政権は対応しただけですが、どうして左巻きは騒ぎ立てるのか本当に理解できません。

 彼らは日本国が侵略され、直接の被害を受ける同朋がいるにもかかわらず、自分たちさえよければいいという考えを持っているのでしょうか。

 不可解な出張を繰り返し、議員の活動費を不正に使用した疑いがあるあの絶叫県議と山本太郎をはじめとする国会前で大声で騒ぐデモ隊が重なるのは私だけでしょうか?

 大きな声を出せば自分の不正や都合の悪いことそして気に入らないことをごまかせるとでも思っているのでしょうか?

 集団的自衛権の解釈変更反対、原子力発電所再稼働反対、普天間基地移設反対と同じような顔ぶれが揃っています。国会議員の先生たちも同じような顔ぶれが支援しています。

 つまり、ここで支援している売国奴議員たちは、デモに参加するような人たちによって支持されて議員資格を保っていることがわかります。

 テレビのコメンテーターもデモを支持する人が多いのですが、そのほとんどのコメンテーターの過去の発言を見ると日本国よりも他国の利益のためにしゃべっていることが多くみられると思うのは私だけ?

 これらが密接に繋がっていることを普通の日本人も気づき始めました。これはネットの力は大きいのです。

 だから、彼らは日教組などを通じて教室というある種の密室で聞かざるを得ない子供たちに洗脳しているのです。

 皆さんのお子さんたちは大丈夫ですか?ぜひ、親子の会話で確認してみましょう。

 一人では決して対処しないでください。左巻きたちは平気でいじめを仕掛けてください。これを複数の親たちで協力し合ってしてください、それが集団的自衛ということになります。

 単独であるならば敵からピンポイントで攻撃を受けやすいですが、集団になると攻撃をかわせる可能性が高くなります。どちらが子供が先生からのいじめにあう可能性が高いですか?

 解釈の変更でどうにか荒波を乗り切ってきましたが、そろそろ限界が近づいています。

 日本が再び戦争ができる国になるというもっともらしい意見が現実味を帯びてくるのですが、ここで「戦闘」と「戦争」を明確に区別することが必要となってきます。

 すべての戦闘と戦争が同じものではありません。

 尖閣諸島付近でCHINAとの小競り合いは生じる可能性は大きくなっています。そこで日中どちらかに死人がでれば、なおさらマスコミや左巻きは騒ぎやすくなります。

 でも、これはあくまでも局地的な戦闘であり、戦争ではないのです。

 戦闘は現地の部隊の装備でも十分ですが、戦争となると準備、燃料や弾薬の補給、兵士の配置など莫大なお金がかかり、議会の承認がないとできないのです。

 以前北朝鮮と南の国境のヨンビョン島で北朝鮮からの砲撃がありました。そして南の民間人が砲撃で亡くなりました。

 これは戦闘です。それも不意打ちです。

 しかし、それから戦争に発展したでしょうか?

 前回も書きましたが、戦争をするということは国家国民にとってそれはそれはとても大きな負担になるのです。だから普通の指導者は戦争にならないように最大限の努力をするのです。

 集団的自衛権の憲法解釈もその観点により行われました。これにより、日本が戦闘に参加することがあるかもしれませんが、他国との戦争に参戦することはありません。

 自衛隊の丸腰の情報収集機にCHINAの戦闘機が異常接近してきましたが、今後は無くなるでしょう。なぜなら日本は本気モードに入ったよと憲法解釈によってメッセージを送っているからです。

 いままではどんなに挑発しても絶対に殴り掛かってこないとわかっていたから、無謀な挑発行動をしてきました。そしてそれが偶発的な戦闘になる可能性がとても高かったのです。

 でも、それが日本が普通の国になりつつあるとわかった瞬間から、CHINAは近づいてきません。なぜなら装備も練度も圧倒的に不利だということがわかっているからです。

 でも、あのしたたかなCHINAのことです、また挑発行動をしてくると思います。でもその時は日本側は冷静に大人の対応をするのではなく、国際法のルールに則った行動を粛々とするべきだと思います。

 そうしたら、10年はCHINAは挑発行動をしなくなるでしょう。

 現代の兵器システムは高度なものになっており、徴兵でかき集めてきた兵士では簡単に習熟できないようになっています。

 熟練工のように自分の階級を上げるのではなく、自分の腕を磨くことに生きがいを感じている古参の自衛隊員たちがいっぱいいるのです。

 そして国家を守ると熱い思いで入ってきている隊員たちは一般の日本人とは一味もふた味も違っています。数人の自衛官と話してみてください。ほとんどが素晴らしい顔つきをした人たちです。

 でも彼らは戦争も戦闘も本当は望んでいません。なぜなら最初に命が危険になるのは彼らですから。でも、自分たちの技術を磨くことにより、敵が攻めてこないということを知っているので、毎日激しい訓練に耐えています。

 50年以上前の歩兵が突撃!という号令のもとに塹壕を出て走り出すというイメージが多い左巻きが多いのですが、現代戦では相手を肉眼で目視することはまれであり、レーダーやコンピュータのディスプレイ上の点滅で敵を知る戦いが多いのです。

そしてやられる方はどこから弾やミサイルが飛んできたことも分からずに撃退されるでしょう。

 日本は幸運にも島国なので、歴史的に見ても地政学的に見ても、蟻のような歩兵の大群が押し寄せて来るというのはありません。

それよりも怖いのがマスコミやデモ隊による戦闘がどんどんエスカレートして戦争になるという反戦的な論調が高まる方が日本にとって怖いのです。これは民主主義国家の弱点です。

 武力的に有利な方が耐えたら、のちの外交交渉がやりやすくなります。

日本が普通の国になってきたということはCHINAや韓国にとって本当に嫌なものでしょう。

 さらにリムパックに参加しているCHINA海軍は、自分たちとの練度や装備の違いに恐れおののくことになるでしょう。これこそ、米海軍の大人の対応で安全保障を担保することでしょう。

 ぜひ皆さん、田母神閣下の本などを読んで真実の国防という知識を身につけましょう。それが戦争を回避する大きな判断基準となります。


日本国憲法はシナ人にとって最高の宝物

平成26年6月
酒井信彦

集団的自衛権が緊急の政治的課題として浮上しているために、今年の憲法記念日はことのほか、憲法問題で盛り上がった。とくに朝日新聞は広大な紙面を割いて報道し、五月四日には、皇后陛下のお言葉を使って、現行憲法の擁護に大わらわであった。護憲という目的のためには、あからさまな皇室の政治利用も辞さないわけである。

憲法については膨大な言説がなされているが、根本的に大事ことは、この憲法はすでに破産しているという事実である。それはこのような憲法が作られた土台である前文の文章と、中華人民共和国という国家の存在と、突き合せて見れば良く分かる。

まず注目されるのは、中段に出てくる「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」の部分である。これに基づいて問題の戦争放棄の九条が出てくるのであるが、この認識と決意は日本の現実には全く当てはまらない。

今から四十余年前の日中国交成立以後の、歴史を振り返ってみれば良い。中共は当初、日中友好の大合唱を演出しておいて、日本から巨額のODAを引き出し、インフラの整備に努めて、経済成長の土台を作る。さらに日本は資本と技術を大量に注入するが、第一次教科書事件以後、常に歴史問題で脅迫されて、もうからない商売をし続ける。経済成長をすぐさま軍備増強に結びつけ、富国強兵路線を驀進して、世界第二の経済大国・世界第二の軍事大国になりおおせる。同時に小平時代の穏健路線をかなぐり捨てて、とりわけ海洋で覇権主義を鮮明にする。

我が国に対しては、歴史問題における言葉の攻撃から、二十一世紀になると直接暴力を振るうようになり、二〇〇五年、二〇一二年には広汎な官製反日暴動を発動した。また尖閣諸島に関しては、核心的利益だと明言して、我が国の領土に対する侵略宣言を行い、侵犯行為を繰り返している。また歴史問題でも、虚偽の言説を国家元首自ら、世界に向かって発信している。つまりこんな国に「公正と信義」を期待することなど全く不可能である。

問題はそれだけではない。また前文では先の個所に続けて、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」とあるが、この認識は完全なる間違いである。そもそも中共はその成立時から、まぎれもない侵略国家であるが、偉そうな顔をしてのさばりかえっている。この中共による残虐極まりない侵略犯罪を、国際社会が告発し糾弾することは、現状において全くない。その意味で、正義は完全に踏みにじられている。

さらに前文の末尾近くに、「われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはらならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる」とある。他国を無視するどころか、他国を侵略の対象としか考えない、普遍的な政治道徳の法則に、完璧に違反している国家こそ、言うまでもなく中共である。

つまりこの前文は現実の世界を全く反映していない虚偽そのものである。したがって、この前文の思想に立脚した日本国憲法は、無価値を通り越して、極度に有害であり、危険である。

本来ならば、反戦平和主義者こそ、中共という国家に最も批判的でなければならない。しかし事実は全く逆である。憲法を崇め奉る日本人ほど、中共に卑屈なまでに融和的である。つまり彼らの護憲論は、まるで本気ではないのだ。単に憲法を振りかざして、反戦平和主義を呼号することにより、自分が善人であると自己確認がしたいだけなのである。私が常々指摘する、偽善である。しかも同胞の日本人を虐めまくるのであるから、虐日偽善である。

この東アジアの現実に完全に目を瞑った、盲目的・狂信的な反戦平和主義の日本における蔓延を、「中華民族の復興」のスローガンのもとに、膨張主義を推進する中共の支配者たちは、腹を抱えて笑って眺めているに違いない。日本人の愚かさが、シナ人の侵略意欲を、ますます亢進するのである。日本国憲法は、人類の財産だと主張する人々がいるが、日本国憲法こそ、シナ人侵略主義者にとって、最高の宝物である。日本国憲法が、シナ人の日本侵略を招きよせるのだ。

(月間日本6月号記事)

集団的自衛権が必要なのか。

平成26年5月
酒井信彦

ヘンリー・S・ストークス著、『英国人記者が見た 連合国戦勝史観の虚妄』という本がある。著者は一九六四年、二十六歳の時に『フィナンシャル・タイムズ』の特派員として来日し、以後、『ロンドン・タイムズ』や『ニューヨーク・タイムズ』の東京支局長を務めて、五十年に渡って日本に滞在している。

本書の最初に出てくるのが、アメリカに対する強い反感である。その原因として、ノルマンディー上陸作戦の際に、故郷の街を通過して行ったアメリカ兵の傲慢な態度が紹介されている。ただし、二つの世界大戦を契機として、イギリスから覇権国家の地位を奪い取っていった、アメリカに対する根本的な反感を、イギリス人は広く持っているのかもしれない。本書で言う「連合国戦勝史観」とは、言うまでもなく「東京裁判史観」のことであるが、東京裁判の虚妄を告発する視点の基礎には、この裁判を主導したアメリカへの反感があるのであろう。

また本書の中核をなしている部分は、三島由紀夫の行動の紹介であり、それによって東京裁判史観とそれに立脚した戦後レジームの虚妄を告発するという形になっている。著者には『三島由紀夫 生と死』と言う著作があり、その中の三島事件に関するかなり長い記述を引用して、「読者はぜひ私と一緒に、音読してほしい」と述べていることに、著者の思い入れが表れている。

三島の行動の紹介した後で、著者は次のように述べる。「日本はいまだに占領下に置かれている。日本が主権を回復しているとはいえない。アメリカの一部になってしまったか、卑しい属領のように見える。自衛隊は三島が檄で語ったように、アメリカの『傭兵』というだけでなく、アメリカ軍の補助部隊となってしまっている。実に、皮肉なことだ」。私が見るところ、これが本書の中で最も重要な一文である。

日本が主権を回復していないということは、私も常々考えてきたことであり、全く賛成である。その何よりの証拠は、軍事的主権は戦後一貫して喪失したままであることである。だから保守の人びとが、一九五二年に占領が終わったとして、毎年四月二十八日に主権回復記念の集会を開き、政府・自民党まで開催するようになったのは、極めて違和感を覚えてしまう。「記念」ではなく「祈念」であるべきである。

また著者は、「アメリカの傭兵というより、補助部隊になってしまっている」という。これは更に重要な指摘である。傭兵ということは「兵」であり、戦闘を行う軍人である。つまり現在の自衛隊はアメリカの傭兵ですらない。自衛隊の最大の弱点は、まさにこの点にある。具体的に言えば、訓練の事故によって多数の殉職者を出しているが、実際の戦闘を行って戦死者を出していない。したがって、憲法を改正すれば自衛隊は軍隊になり、現在の混迷した日本は魔法のように立ち直るという考えに、私は賛同する気になれない。

その意味で注目されるのは、現在問題になっている、集団自衛権の行使であろう。それによって、アメリカのために日本人が命を落とすのはいやだと考える人間は、保守の中にも多いかもしれない。しかし戦後七十年近くたって、実際の戦闘経験者が自衛隊の中に存在しないのだから、実戦を体験することは極めて重要である。更にそこで戦死者を出すことが、決定的に重要なのである。

現在、中共が軍事的膨張を遂げて、日本の尖閣諸島を核心的利益だと主張して、日本の領土に対する明白な侵略宣言を行っているのにかかわらず、「平和憲法」を守れという盲目的な反戦・平和主義はまだまだ根強い。朝日新聞は、四月七日の紙面で郵送による全国世論調査の結果を公表し、「集団自衛権について『行使できない立場を維持する』が昨年の調査の56%から63%に増え、『行使できるようにする』の29%を大きく上回った。憲法9条を『変えないほうがよい』も増えるなど、平和志向がのきなみ高まっている」と大喜びしている。このような現実を直視しない狂信的な平和主義こそ、極悪非道な侵略国家・中共による侵略を招きよせているのだ。

この虚妄なる精神状態を打破するには、アメリカの傭兵であろうが何であろうが、自衛隊が実際の戦闘に直接参加して、具体的に戦死者を出すことが最も有効な方策であろう。今やそのくらいのショック療法が必要なのである。そうすれば、いくら異常な憲法が存在していても、自衛官は軍人に、自衛隊は軍隊になれるというのが、私の考えである。

(『月刊日本』2014年5月号 羅針盤 2014年4月22日より)