05年10月3日・記
 
05年中盤 いろいろな人
 
 昨年の6月にインタビューをした亀岡偉民さんが、先の衆院選で見事、当選を果たした。おめでとうございます。これまで何度もチャレンジし、しかしいつも次点で涙を飲んできた亀岡さん。自民党の公認を受け、小泉改革選挙の追い風に乗った形ではあるが、まずはめでたい、そしてそのお人柄に触れた僕としては嬉しい当選である。これまで溜めに溜めた国政への熱意を存分にぶつけてほしいと願う次第である。
 
 さて、ここのところ、僕としては実に珍しいインタビューが続いている。
 まずは羽賀研二さん。『東京スポーツ』で月〜土曜の6日間連続掲載のインタビューである。第1回目は関口房朗氏で、第2回目が羽賀さんとなった。
 羽賀さんは、実に腰の低い人だった。取材中、最初から最後まで敬語。仕事の都合で少々遅れて取材場所に到着すると、何もそこまでというくらい、丁寧にお詫びをする。知人の保証人になったことで背負ってしまった2億以上の借金や、梅宮アンナさんとの恋愛でマスコミを騒がしたことなど、彼は長きに渡ってさまざまな苦労を強いられてきた。「ハッキリ言って、他のアイドルたちなんて問題じゃないと思っていた」ほどの“いいとも青年隊”での大ブレイクを経験していたから、なおのこと、精神的なダメージは大きかったようだ。「落ちぶれた、そう言われても仕方なかったと思います」と、羽賀さんも認めた。それを乗り越えたからこその、腰の低さだったのだろうか。
 また、羽賀さんは実にサービス精神旺盛な人でもあった。突然、矢沢永吉のモノマネを始めたり、下積み時代に渋谷や原宿の街角でストリートライブをやっていたころに演奏していた歌を熱唱したり、出演したミュージカルの一幕を演じたりと、こちらをひたすら楽しませようとするのである。活字にはほとんど反映しないのに(笑)。だが、そこに笑いを生み出そうという姿勢には、頭が下がった。
 それにしても、一時は熱狂的な人気を誇るアイドル、やはり間近で接すると、これが実にカッコいい。モテるんだろうなあ……。羽賀さんは「黒須田さんは絶対モテるはずだ」と言ってくれましたが、イケメン男の余裕の発言だよねえ。記念写真を撮ったのだが、羽賀研二と黒須田守、顔面の大きさが違いすぎます……。
 
 つづいて、サンズ・エンターテインメント社長の野田義治さん。元イエローキャブ社長、巨乳の帝王、そう言ったほうが通りはいいだろうか。羽賀さんと同じく『東スポ』の取材である。
 正直、テレビなどで拝見していたときのイメージは「怪しいおっさん」だったのだが、会話を交わしてみれば、哲学をきっちりと腹の底に携えたビジネスマン。“女の子を商売にしている”という、ともすれば女衒と言われかねない仕事に対するある種の真摯さは、実に爽快なものだった。野田さんが初めてプロデュースしたのは堀江しのぶさんだったが、彼女が病気で亡くなってしまったことは、今でも野田さんの心に傷を刻んでいる。同時に、所属するタレント(とその家族)を二度と堀江さんのような悲しい目にあわせないと心に誓い、ひたすら前進していこうという気概も持っている。やはり、どんな分野ででも成功した人の話には、含蓄と教訓がタップリ詰まっている。
 羽賀さん同様、サービス精神も旺盛だった。取材は、サンズ・エンターテインメントの事務所で行なったが、ひとつの話をトコトン話してくれるから、まだまだ質問事項は山ほどあるというのに「あ、俺、打ち合わせで出かけなきゃならないんだ」という事態に。思わず狼狽した僕だったが、すぐに「来週、もう一度やりましょう」と時間を割いてくれて、なんと二回にわたるロングインタビューとなったのだった。
 その二回目、六本木のアマンドで待ち合わせをしたのだが、お互い約束の30分前から野田さんが1階、僕が2階で相手が来るのを待っているという行き違いがあり、なんと1時間もロスしてしまうことになってしまった。事務所に電話して、マネージャーさんに連絡をとってもらったら、「1階で待っているそうです」。大慌てで階段を駆け下りて、平謝りするワタクシでありました。野田さんは、「あはは、そう?」と笑い飛ばしてくれたのですが。
 その最後に、野田さんは力強く言った。
「巨乳グラビアは、僕の原点。それ以外のジャンルにも手を広げてはいるけど、絶対に原点は捨てたくない。だって、自分を大きくしてくれた原点って、宝物でしょ」
 至言だと思う。
 
 つづいて瀬川亮さん。NHK朝の連続ドラマ小説「ファイト!」に出演し、劇団「第三舞台」に所属する若手俳優。「ファイト!」では、サイゴウジョンコという馬の厩務員役を演じ、プライベートでもバリバリの競馬ファンということで、取材をすることになった。
 で、実を言えば、「ファイト!」を見たことのないワタクシ、瀬川さんのこともよく存じ上げていなかったのでありまして、取材の場で初めてお顔を拝見したのでありますが、いやあ、さすがに男前でありました。26歳だというから、僕とは11歳違い。実際には、もっとお若い感じがしたのだが、それでも話をしてみると実にしっかりした好青年だった。何より、実に前向きで真摯なスタンスで役者という仕事に取り組んでおり、取材に応える態度も真面目そのもの。時折、「ああ、実はとっぽいところもあるんだろうなあ」という表情は見せるものの、初対面の取材者であるオッサンに対してきちんと向き合う姿勢には好感度100%でありました。
 あとは、彼なりの圧倒的な個性を身につければ、きっと大人気になるんだろうなあ、と思った次第。でも、どうなんだろう、俳優という“表現者”は絶対的に、年齢を重ねたほうが味が出ると思うのだが。逆に言うと、彼くらいのイケメンだと、それだけで売りになってしまうだろうと思うのだが、しかしその売りを封印してでも、年輪を重ねたほうが後々化けるのではなかろうか、と。役者の世界にはまったくのド素人であるワタクシが言うべきことではないかもしれないが、「『ファイト!』の仕事で日常も変わった」という瀬川さんには、その点でおおいに将来有望なのではなかろうか、と素人なりに思った次第であります。
 
 最後に、アイドルの若槻千夏さん。グラビアやテレビのバラエティで大ブレイク中の彼女に、フジテレビ「うまッチ!」(競馬バラエティ)の収録後、インタビューをしたのでありました。ようするに、瀬川さんも若槻さんも、競馬関係の仕事であります。
 みなさんが若槻さんにどのようなイメージを抱いているかはよくわからないが、実際に取材をした僕的には、想像以上に利発的で、聡明で、しかも気の利く「いいコ」。スタジオで写真撮影をしながら話を聞いているとき、視線を若槻さんに合わせるために中腰の僕を見て、「すいませーーん、椅子お願いしまーす」と僕のために椅子を用意しようとしてくれたのは、感動的ですらあった。楽屋に場所を移してのインタビュー本番でも、真っ直ぐに僕の目を見て、ひとつひとつ丁寧に言葉を発していく姿に、健気さすら感じたものであります。時折、言葉遣いが荒れるのは、まあ、テレビでも発揮しているキャラクター通りではあったけれども、それがちっともいやらしく感じないのは、取材という場における(テレビの画面の中における、と言い換えてもよい)プロ意識のなせる業だろう。アイドルとしての立ち居振る舞いは、完璧ということだ。
 
 
 
05年5月3日・記
 
05年 いろいろな人
 
 またしても滞りがちの更新で、申し訳ございません。2月以降のインタビューを駆け足で。
 
 ここ数年、もっとも頻度が多いのが、競馬道OnLineの「ジョッキーパラダイス」。2月以降は、藤岡佑介、松岡正海、柴山雄一と、未来のトップジョッキー候補が続いた。
 藤岡佑介は、インタビューの時点で18歳。僕が36歳だから、半分である。昨年は最優秀新人に輝き、年が明けてからも順調に勝ち鞍を重ねている、関西の最注目株である。さすがに初々しさを残しつつも、実にしっかりした態度には感心するしかなかった。
 もっとも印象に残ったのは、真っ直ぐなまなざしだった。きっちりと一点を見据えて、よどむことなく言葉を紡いでいく姿は、とても18歳とは思えない。トレセンのスタンドのベンチに横並びで腰掛けての取材だったため、視線はなかなか合わなかったが、揺るぎのない目の力は、すでに大物の風格を携えていたと言ってもいい。幼さの残る顔つきとは、ある意味でかけ離れた空気を発散できる男なのだ。
 松岡正海は、藤岡を上回る大物感を持っている男だった。すでに新・穴男なる異名をとっている彼だけに、それはすなわち「個性派の大物」である可能性も否定できないのだが、強気な発言とユーモアと礼儀正しさを同時に備えている彼は、このまま素直に伸びていけば、間違いなく既成の勢力を脅かすだけの存在感を身につけるはずである。ようするに、彼には強い芯を感じるのだ。弱冠20歳にして、なかなか持てるものではない。
 柴山雄一は、前記2人とはやや毛色が違っていて、今年、地方競馬の笠松から中央に移籍してきた男である。年齢も27歳と、藤岡や松岡よりはキャリアも積んでいる。驚いたのは、彼が名刺を差し出してきたことだった。騎手の名刺、初めてもらいました。トレセンでの取材の場合、名刺はかえって邪魔になることもあるので、様子を見ながら渡すか、時には渡さないこともある。ところが柴山の場合、彼のほうから名刺を取り出したので、慌ててバッグの中の名刺入れをあさってしまったのだった。恥ずかしかった。
 柴山は15歳で騎手を目指し、地方競馬の騎手養成課程に合格したのは19歳の時だった。20歳でデビューし、その年のうちに3度も規定重量オーバーをやらかしてしまい、周囲の信用をいっさい失った。中央に移籍していきなり勝ちまくっている彼からは想像もつかないことだが、柴山の騎手人生は挫折の連続から始まっている。一時は、廃業することも考えたそうだ。それでも、柴山は今、中央競馬という晴れの舞台に立っている。夢を諦めない……言うのは簡単で、しかも陳腐な言葉だが、柴山は苦しみの果てにそれを体現してみせている。快活な性格もあわせて、話していて元気が出た。
 ちなみに、この3人の師匠である作田調教師(藤岡)、前田調教師(松岡)、畠山吉調教師(柴山)には、取材のアポイントからセッティングまで、大変お世話になった。彼らにとって、弟子への取材依頼を捌くのは仕事でも何でもない。僕への厚意だ。それなのに、実にスムーズで快適な取材を、僕に提供してくれた。こんなにも好人物である方を師匠にしている3人だから、変な方向に道を踏み外すことは決してあるまい。
 
 騎手では、ミルコ・デムーロにもインタビューした。伝統の競馬雑誌『優駿』の仕事である。僕は13年前に3カ月だけ『優駿』編集部でバイトをしていたことがあり、いわば里帰り。感慨無量であった。
 デムーロには、昨年の5月にもインタビューをしている。「ジョッキーパラダイス」の取材だったのだが、約1年ぶりの再会で、デムーロは僕たち(通訳も去年と同じ方にお願いしたのだ)のことを覚えてくれていた。こういうのって、けっこう嬉しいものなのである。おそらく、珍しいイタリア語(デムーロの母国語)でのインタビューだったこともあって、記憶に刻まれていたのだと思う。昨年は、通訳さんがイタリア語を話し始めたとき、デムーロはちょっと驚くような表情を見せたものである。今年は、ごくごく自然に、通訳さんとのイタリア語の会話が始まった。僕はまったくチンプンカンプンなのだが、自然な話しぶりにリラックスしてくれている様子がうかがえ、それもまた嬉しかったのだった。
 
 久しぶりといえば、“フサイチ”関口房朗氏にも、約1年半ぶりにインタビューした。
 関口氏とは、すでにもう何度も会っていて、彼の著書のうち2冊は、僕が編集したものだったりする。スタッフの方々ともすっかり懇意にさせていただいており、昨年は氏の経営する(株)VSNの入社式になぜか来賓として招待していただいたりしている(横浜アリーナで行なわれたK−1入社式で、つまりは特別リングサイド)。目の前の席にフジモリ元ペルー大統領や山崎拓がいて、クラクラしたものである。
 それにしても、関口氏には、会うたびに元気をもらっているような気がする。その前向きな姿勢、失敗を恐れない強い心、爽快な大言壮語など、まさしく元気の塊なのだ。サービス精神も旺盛だから、笑いの絶えないインタビューとなり、時間もあっという間に過ぎていく。最近では、テレビ出演も多い関口氏だが、基本的にはあのまんまです。ただし、眼光は鋭く、笑顔のときの柔和な表情とはかなりギャップもあるのだが。まあ、大成功を収めているビジネスマンとはそういうものでしょう。
 ただ、今回はなんとなくお疲れの様子ではあった。前日、マスコミ関係者などを集めてパーティーを開いており、そのせいだろうか(僕もお呼ばれして、自腹では絶対に食えないめっちゃ旨いメシとか、飲んでも飲んでも悪酔いしない高級ワインとかをいただきまくったのでした)。
 
 
 
04年〜05年 いろいろな人
 
 久しぶりのインタビュー日記であります。前回更新が佐藤哲三……1年前の1月取材分じゃねえかよ、おいっ! 本当に申し訳ございません。この1年、誰にインタビューしてきたんだっけ……。
 というわけで、昨年分は駆け足で行かせていただきます。
 まずは、えっと……電話インタビューでしたが、杉本清さんから。これは、東京ウォーカー、関西ウォーカーに掲載されたJRAタイアップ記事で、春と秋、3回ずつ(だったっけ?)GTの告知を兼ねて、杉本さんが各GTレースの解説をするというもの。ウォーカー読者ということは、競馬ファンでない人も多数いるということで、したがって初心者向けの解説を「杉本競馬研究所長」が語る、というものだった。
 ということもあり、最初のインタビューはとにかくぎこちないものだった。「ダービーってのはどういうレースですか?」という質問に、杉本さんも「どういうレースかって……」。杉本さんにしても、僕にしても、もはや「ダービーとは何ぞや?」なんて考えることは皆無。だって、とっくに知り尽くしていることだからね。電話だったからだろうか、杉本さんも「なぜ、そんなわかりきったことを……」という感じだったし、僕も「質問しなくても、俺だって知ってるし……」みたいな感じで第一声を放っていたと思う。とにかく、初っ端はお互いにけっこう困り果てていたのだった。
 ただ、会話を重ねていくうちに、杉本さんも主旨を完璧に理解してくださり、「ダービーというのは、3歳クラシックの頂点で、東京芝2400m」などという、何をいまさら、みたいなことも自然に語ってくれるようになった。また、実は僕がけっこう競馬に詳しいということもご理解くださったのか、会話もスムーズになっていった。いやあ、気持ちのいい会話でしたね。あの杉本節が、受話器を通して聞こえてくるのである。そして、杉本さんならではの見解も、爽快なほどに飛び出してくる(一度、やや提言めいたことをおっしゃって、それを原稿にしたら、JRAから「ここは何とかしてもらえないか……」という懇願があったほど。ま、記事広告だから、仕方ないか)。回を追うごとに、杉本さんに電話をするのが楽しみになっていた。
 一回、大失態をしてしまったことがあった。編集者から指定されていた取材日を、僕が勘違いしていたのだ。「14日、月曜日」を、「14日、火曜日」と思い込んでいて、月曜日は電話をせず。火曜日にカレンダーを見て、「15」の表示に真っ青になって、平謝りで火曜日に電話をさせてもらったのだった。ところが、杉本さんは僕を責めることはまったくせず、「ああ、今日でもいいよ」と、いつもどおりに話を進めてくださった。大反省はもちろんだが、大感謝、大歓喜したものである。
 残念ながら一度も直接会うことなく、企画は終了してしまったが、また別の機会にぜひともお会いしたいものである。
 
 僕としては珍しい取材だったのは、亀岡偉民さん。亀岡さんは、作新学院野球部時代、江川卓とバッテリーを組んでいた人だ。『週刊現代』の「サラリーマンの放課後」というコーナーで(去年は3回ほど執筆させていただきました)、江川の高校時代を特集した際、キーマンとして登場していただいた。江川の全盛期は高校時代ではなかったのか、だったらそのボールを受けていた亀岡さんに登場してもらおう、というものである。
 亀岡さんは現在、福島県で政治活動を行なっている。義父が元衆議院議員で、それを後継しようと故郷の栃木から福島に移ってこられた。残念ながら、これまでの選挙はすべて次点に終わっており、大望はまだ果たせていないが、それでもそのスケジュールは国会議員並みに忙しい。地元の方の陳情を受け、それを実現させようと県内を飛び回っているのだ。というわけで、最初はこちらの依頼にも渋っていたのだが、「福島まで来てもらえるなら」と言われて、僕は猛ダッシュで新幹線に飛び乗り、福島駅前のホテルに駆けつけたのだった。余談だが、このホテル、10年ほど前に家族で福島に旅行したときに泊まったホテルで、思わず感動したりもしたのでした。
 そこで会った亀岡さんは、やはり超多忙の真っ只中で、僕はまず支持者の方の陳情の席に同席。食事をしながら、その方たちのお話を聞くと、一段落ついたところで、「じゃ、やろうか」と今度はこちらの取材に応えてくれたのだった。驚いたのは、食事をした中華料理屋に来ていたお客さんが、ほとんどすべて、亀岡さんと知り合いだったこと。席を立つ人立つ人、「その節は……」と挨拶していき、僕らの帰り際にはまだ食事をしていた人たちも、わざわざレジのところまで挨拶に来ていたくらいだった。馳浩と一緒に作った『国会赤裸々白書』(エンターブレイン)で、僕は馳から国会議員の仕事ぶりをいろいろと教わったが、亀岡さんの姿はまさしくそのまんま。おこがましい物言いかもしれないけど、次の選挙での当選を祈ります。
 さて、亀岡さんはガッチリとした体格に、爽やかな笑顔が印象的な方。江川の話が始まると、実に明快な語り口で、当時の話をしてくれたのだった。これがまた、面白い! 江川は、そのあまりの突出ぶりにチームメイトから反感を買っていた部分もあり、孤立していたとまで伝える文献もあるのだが、女房役の亀岡さんはまさに江川とチームメイトの橋渡し役。苦労も多かったようである。それでも、あの江川のボールを受けていたことは誇りでもあったようで、あの頃を振り返る作業は楽しいもののようだった。
「松坂大輔もすごいけど、やっぱり江川のほうが上だったと思うよ」
 亀岡さんは、そうキッパリと言った。リアルタイムで見られなかったことが悔しくて仕方なくなるような、力強い口調だった。
 
 インタビューというわけではないが、安藤勝己とも会った。田中工業で制作した『馬も泣くほど、イイ話』(東邦出版)で行なった、著者・村上和巳氏との対談である。村上氏は競馬ブックの記者で、もう10年来のお付き合い。そして、ウチのアルバイトスタッフである村上悠のお父上でもある。僕が競馬関係の仕事をしていくなかで、もっともお世話になっている方の一人であり、また競馬における考え方の先生でもあり、そして、年は僕の方が15歳ほど下だけれども、飲み仲間である。僕が栗東取材で前乗りした際には、いつも酒席に付き合ってもらっており、また僕の日本一好きなバーである、小倉の「なしか」は村上さんに教わった店だ。
 で、アンカツとの対談。村上さんとアンカツは、いわば盟友とでも呼ぶべき間柄で、だからだろう、アンカツも実にリラックスして会話を回していった。テレビや競馬雑誌では、もちろん過去に何度か僕がしてきた彼への取材でも、決して見ることのできなかったアンカツがそこにはいて、僕は感激のあまりクラクラした。てらいもなく、力みもなく、ただただ自然体で物事に対峙していくアンカツの姿は、あまりにもカッコいいとしか言いようがなかった。「計算して何かをしようとしたって、うまくいくことのほうが少ないんだから。計算したってダメ。焦ったってダメ」というのは、僕には人生訓にしか聞こえなかった。「ドバイで会ったデットーリは、本当にすごかった。オーラがあった。俺、デットーリに憧れたもん(笑)」とも言っていたが、同業者をなかなかこうは言えないもの。ましてや、我々から見れば、同じ領域で勝負しているように思えるトップジョッキーが言うのだ。村上さんは「あなたは自分のことがわかっていない!」と呆れていたが(笑)、僕も村上さんに同意して大笑いしつつ、これこそがアンカツの強さなのだろうな、とも思った。
 それにしても、アンカツの酒の強いこと! ビールを一杯飲んでからはウーロンハイに移行したアンカツは、僕と村上さんよりはるかに早いピッチでグラスを空けていき、しかしまったく乱れない。村上さんの顔が真っ赤になっても、アンカツはケロッとしたもので、取材ということで抑えて飲んでいた僕よりもしらふに近かったようにも思えた。
 ともかく、この対談はぜひ読んでいただきたい。ハッキリ言って、最高に面白い。この本自体、僕は素晴らしい本になったと自負している。競馬道OnLineの競馬ブックコーナーで現在も連載中のコラムをまとめたものだが、村上さんの競馬に対する愛情、物事の見方などは、普段お世話になっているということを完全に取っ払ったうえで、尊敬に値すると思っている。たしかに派手な本ではないけれども、絶対に損はさせない。いや、アンカツとの対談が収録されている分、さらにお得感倍増と断言しておく。
 
 このほかにもたくさん取材をした昨年でしたが、ここらで最新取材に行きましょう。今年1月26日。プロレスラーの小橋建太だ。
 これは、『スポーツYEAH!』(角川書店)に掲載されるもので、ウォーカー系と同様、JRAタイアップ。そう、これまた競馬の記事なのだ。
 プロレスといえば、僕にとっては専門分野のひとつのわけだが、小橋が競馬好きとは初めて知った。いや、いったいどれくらい競馬が好きなのだろうか……取材はちゃんと成立するのだろうか……、正直不安を抱えて、プロレスリング・ノアの事務所に向かった。
 杞憂でしたね。小橋、競馬にかなり詳しいです。今回はフェブラリーSの注目馬と2005年の注目馬がメインテーマだったのだが、話を聞いていると、競馬を長年見続けているのがよくわかる。「ナリタブライアンとマヤノトップガンが叩き合った阪神大賞典」などの言葉がスラッと出てくるのだから、筋金入りの競馬ファンなのだ。ちなみに、その阪神大賞典は1996年。少なくとも、10年のキャリアはあるはずである。
 だからだろう、取材時間は予想をはるかに超え、1時間近くの長丁場となった。この日は、ノアの役員会議があったらしく、それを終えての取材だったのだが、疲れも見せずにしゃべるしゃべる。注目している騎手に、関東の若手である大庭を挙げていたのだが、大庭についてあそこまで熱く語る競馬ファンを初めて見ました(笑)。とにかく、実に心地いい競馬ファン同士の会話になって、嬉しいやら不思議やら。
 それにしても、小橋への取材はこれが二度目なのだが、二回ともプロレス以外の話である。前回は『のあのあ』(メディアファクトリー)という、「Noah's ark」というテレビ番組の単行本で取材したもので、テーマはその「Noah's ark」とテレビ番組について。そして今回が競馬。『プロレス激本』を作っていたというのに、プロレスの話はまったくしたことがないのだから、やっぱり不思議なのであった。
 あ、小橋って、ファンがイメージするとおりの、好青年です。何しろ、インタビュー中、すべて敬語。僕の目をしっかと見据えて、真っ直ぐに話す。思わず身を乗り出してしまうほど、カッコいいのだ。
 
 
4月7日・記
 
1月 佐藤哲三騎手
『競馬道OnLine』ジョッキーパラダイス)
 
 佐藤哲三といえば、正直、中堅ジョッキーである。決して、トップジョッキーというわけではない。リーディング10位前後が指定席。GT戦線の常連というわけでもない。
 しかし、僕は佐藤哲三こそ、競馬をもっともっと面白くするのに欠かせない騎手だと思っている。理由はひとつ。彼には哲学があるからだ。
 ターザン山本は言う。「人間というのは、何かを感じたら、饒舌になる。感じれば、それを口に出して言いたくなるのだ。つまり、何も感じない人は、何かを語ることができない。何も語れない人は、何も感じていない」。同感である。
 佐藤哲三とのインタビューは、予想以上に長時間になる。この日も、調教の合間に取材が始まり、気付けば騎手控え室からは人影がすっかり消えていた。本来、佐藤哲三は仕事を終えて帰路についていたはずの時間を、僕との会話に費やしてくれたのだ。最後は、僕のほうが気を遣ってしまって話を半ば強引にまとめたほど、佐藤哲三は次から次へと言葉を紡いでいった。佐藤哲三は、常に何かを感じている。常に何かを考えている。だからこそ、彼は饒舌になる。どちらかといえば地味なイメージのある彼だが、本当は熱く、魂のある男なのだ。だから、饒舌になる。会話は、いつまでも止まないのだ。
 佐藤哲三というのは、不器用な男でもある。だから、群れたりもしないし、営業ということをあまりしないらしい。必然的に、そういうことが得意な騎手よりも乗り鞍が少なくなる。彼自身も、「今のような状況では、僕のやり方で飛躍的に騎乗馬が増えたり、勝ち鞍が増えたりすることはないでしょうね」と言った。惜しい話だ。何度でも言う。佐藤哲三こそが、競馬をもっともっと熱くするために欠かせない男なのだ。ハッキリと、彼は過少評価されているのである。
 彼は去年、タップダンスシチーとともにGTを制した。それを、脇役の意地と見る向きも少なくないかもしれない。しかし、そうではない。彼の騎手魂が具現化した、ごくごく当たり前の出来事なのだ。それが、あたかも稀少なことであるかのように見えることがおかしいのだろう。この男がもっともっと注目される競馬こそ、まっとうなのだと僕は信じる。
 
 で、この取材時、また飯田祐史にお世話になってしまったのであった。寒風の中で佐藤哲三を待っていた僕を、飯田は「そこ寒いでしょ。コーヒーでも飲みませんか?」と控え室の中に誘ってくれた。そしてしばし、世間話に付き合ってくれた。またもや、競馬の話はほとんどナシ。やっぱり、飯田祐史は最高だ。
 
 
1月1日・記
 
安藤勝己騎手
 
 『競馬道OnLine』で連載している「ジョッキーパラダイス」が、連載2周年を機にリニューアルされることになった。これまでは、2週間に1人のペースで(更新は毎週)、初登場の騎手には共通の10コの質問をぶつけるというものだったのだが、これからは1カ月に1人のペースで(更新はやはり毎週)できるだけ旬の人を取り上げ、折々の話題を突っ込んで聞いていくというスタイルとなった。
 その一発目が安藤勝己騎手。『KOL』の担当者とハナから「リニューアル初っ端はアンカツで!」と話し合っていたのだが、グッドタイミングなことに、取材日の3日前の日曜日に、アンカツはザッツザプレンティで菊花賞を制覇したのだった。しかも、「これぞアンカツ!」という好騎乗で。というわけで、話はいきおいそこに集中した。アンカツの表情は、実に晴れやかだった。
 さて、クラシック初制覇を果たしたばかりとあって、この日のアンカツは多くの取材陣に追いかけられていた(アンカツがトレセンに来るのは週に1日だけということもあって、みながアンカツを捕まえるのに必死になっていたのだ)。もちろん、厩舎からの追い切り依頼も殺到、慌しい朝を送っていた。僕は電話でアポイントを取っているし、すでにアンカツに挨拶を済ませてあったので、気楽に待つだけだったのだが、さすがにインタビューの時間を取るだけの余裕がアンカツにはなかなか生まれない。ジョッパラのインタビューでは、こういう長時間の待機というのはちっとも珍しいことではないので(最長5時間半!)、それほど苦痛でもなかったのだが、傍目からはそうは見えなかったらしい。というより、ある一人の男が、僕を見かねて声をかけてくれたのだ。
 飯田祐史騎手である。彼とは、このジョッパラでインタビューをして以来、すっかり顔見知りになった。拙著『ナリタトップロード 騎手・渡辺薫彦の栄光と苦悩』(廣済堂出版)の出版祝いで渡辺らと飲み会をやった際にも、彼は出席してくれている。
 飯田は一言で言えば、人格者。優しく気遣いを欠かさないのはもちろんのこと、的確な洞察力があり、知性も溢れている男である。初対面の際に、「黒須田さんって、花村萬月に似てますねえ」と言って僕を驚かせたという逸話もある(帰京して出版関係者に「俺って花村萬月に似てる?」と聞いたら、半数以上が花村氏の顔を知らなかったのだ。ちなみに、僕と花村氏、風貌はたしかに似てるかも)。
 その飯田が、手持ち無沙汰に見えた僕を気遣い、調教の合間に話し相手になってくれたのだった。会話の内容は、実に多岐にわたった。最近読んだ本の話や、映画の話(僕はまったく見てないが)、世の中の動向など、競馬の話以外のいわゆる世間話だが、騎手との会話とはまるで思えない深い話を、僕と飯田はトレセンの片隅で延々としていたのだった。
 そのなかで、ひとつだけ競馬の話があった。それは、飯田が「今日は誰の取材なんですか?」と質問して、僕が「アンカツさんです」と答えたときのことだ。飯田は「安藤さん、菊花賞は素晴らしい騎乗でしたよねえ」と返したのだが、それに僕が「ほんと、うまかったですね」と言うと、すかさずこう言ったのだ。
「ペリエが内に包まれたのは、安藤さんのファインプレーだと思いますよ」
 えっ? そうなの? あの菊花賞、ゼンノロブロイに騎乗したペリエは、レース後「僕のミスです」と懺悔している。3〜4コーナーで内に包まれて外に持ち出せず、それまで好位を進んでいたゼンノロブロイを後方にまで下げてしまったことを悔いた発言だが、その状況を作ったのがアンカツだと、飯田は言うのだ。
「安藤さんが3コーナーから一気にスパートしましたよね。それによって、後続もペースを上げていった。それによって、内にいたペリエの外に馬が殺到して、ペリエの仕掛けるタイミングを奪った。あれでゼンノロブロイは殺されたんですよね。安藤さんのファインプレーですよ。安藤さんが狙ってそれをやったわけではないかもしれないけど」
 へえ〜〜〜〜〜〜。それは気付かなかった。さすが、ジョッキーである。これはまさしく騎手にしかわかりえない視点ではなかろうか。そして、それを言語化できる飯田は、本当に明晰だ。僕は心の中で、「それ、(インタビューの質問として)いただき!」と指を鳴らしていた。飯田も、笑みを浮かべながら、「それ、安藤さんに聞いてみてくださいよ」と言った。それこそ狙ってそうしたのかは彼に聞いてみなければわからないが、飯田は僕に取材のヒントを与えてくれたのだった。いやあ、助かりましたよ、ほんと。そのヒントだけではなく、話し相手になってくれたのも、実にありがたかった。飯田祐史、最高である。
 もちろん、その質問はしっかりインタビューに使わせていただきました。KOLに入会されている方は、ぜひ突き合わせてみてください。実に興味深い回答でありました。……って、そういえば、それを飯田にまだ報告してないや。まあ、報告されることを求めて、僕にあの話をしてくれたわけではないだろうけど。
 
 

10月24日・記
 
金村義明さん&パンチ佐藤さん 
 
 思えば、プロ野球選手(ともに現役を引退されているが)のインタビューははじめてである。現在ではプロ野球にほとんど関心のない僕だが、子どもの頃は野球少年。リトルリーグ→中学野球と、一時期はプロ野球の選手に本気で憧れた時代もあった。中学では、長野県代表として中部日本地区中学校野球選手権大会にも出場し、今はなきナゴヤ球場のグラウンドも経験している(補欠で、試合には出られなかったんだけどね)。麗しくも埃をかぶっていた思い出が、ふわぁっと目の前に浮かび上がってくる取材でありました。
 あ、年内発売予定のプロ野球・外国人助っ人本のインタビューであります(東邦出版刊)。

 まず金村さん。残念ながら電話取材となってしまった、このインタビュー。テレビ出演などで実に多忙の金村さんがホテルに戻ったところをつかまえ、電話で話していただくことになったのだった。いやあ、まったくもって、残念極まりない。
 何が残念って、金村さん、実にサービス精神が旺盛なのだ。こちらがほとんど口を挟む余地がないほど、次から次へと言葉が飛び出す。飛び出すエピソードも数限りなく、それを軽妙に、ジョークを交えながら繰り出すのだ。時には下ネタも混じったりして。その声は、実に優しく、穏やかで、和やかなものだった。
 電話で話しているだけでも爽快なのだから、これが直接お会いしての取材だったら、もっと楽しかっただろうに。もっといろいろなツッコミができただろうに。実は、取材の依頼をしたのはこの当日。マネージャーさんがあれこれとスケジュール調整をしてくれた結果、「電話でなら」ということになり、「電話なのだから、今日やってしまいましょう」とおっしゃってくれたのだった。つまり、金村さんはその数時間前に取材の話を聞き、別の仕事を終えた直後にこの電話を取ってくれたのである。そんな強行日程にもかかわらず、当を得た、しかもツボを押さえたお話をしてくれたのだから、そのサービス精神は尋常ではない。30分ほど話して電話を切ったあと、気持ちがほんわかぁとして、気が抜けたようになってしまった僕であった。その後、「あぁ、会いたかった!」と悔しさが湧き上がってきたのでありました。
 パンチさんとは、六本木でお会いした。約束の時間に指定の場所に行くと、すでにパンチさんは先に来ていて、まずは恐縮。マネージャーさんを通じて取材依頼をしていたのだが、お一人で来られていた。どうやら、本来はすべての仕事が終わって、指定されたホテルで休息に入っていた時間だったらしい。その貴重なお時間をいただいたのであった。やはり恐縮である。
 パンチさん、テレビではひょうきんなキャラクターが印象的であるが、いざ会ってみると非常に生真面目な方だった。飛び出すエピソード自体は愉快なものが多いのだが、話しぶりは非常に丁寧で穏やか。きちっきちっと折り目正しく言葉を紡ぐ。もちろんサービス精神は旺盛で、僕を驚かすようなエピソードも次々と披露してくれるのであった。書けないことも含めて(笑)。
 ある質問をきっかけに、パンチさんは「プロ野球、かくあるべし」という持論を語り始めた。真摯で、熱い思想だった。それもまた、テレビなどで見るパンチさんとはギャップのある姿だった。そんなパンチさんに触れることができて、僕は素敵な拾い物をしたような気になった。こういう感想が適切かどうかわからないけど、僕はなんだか嬉しかった。
 
 野球選手って、なんか、いいっすね。
 あんまりな表現かもしれないけど、お二人にインタビューしてみて僕がまず思うのはそのことだ。はるか少年時代に、彼らに憧れていたことも関係あるのだろうか。
黒須田守
新・インタビュー日記
インタビュー日記
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