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2003年 4月 20日
さくら道270kmウルトラマラソンは、小野健一さん(1995年10月18日逝去)、酒井忠彬さん、海宝道義さんの3人が、志半ばで病に倒れた桜守、佐藤良二さんの「桜で太平洋と日本海をつなごう」という夢を走ることで引き継ごうと1994年に始め、毎年続けている大会である。 最初は3人で走るつもりだったとのことだが、一緒に走りたいという方々が多く、大会になったもの。 私も、この最初のさくら道に、迷わず申込をした一人である。 その後、この大会の魅力に取りつかれて、毎年参加をしている。 大会のスタイルは、一般的なロードレースとは異なり、自分で地図を見て長い長い道を辿り、自分の荷物は自分で持って食料調達も基本的に自分で、という本格的な走り旅である(食糧、着替え、懐中電灯、雨具等、必要と思われるもの全てを背負って走る)。 この大会、順位表彰が無い。 順位に拘るのも、拘らないのも自由。 参加するランナーが、それぞれの夢に挑戦することができるこの大会、「共走」という言葉が良く似合う。 また、さくら道では、他の海宝さん主催の大会同様、完走したいという意志のあるランナーが走り続けているかぎりゴールを閉めない。 海宝さんは、口では、「非常に迷惑な方々です」と言いながら、いつまでもランナーのゴールを待ち続ける。 そして、酒井さんは、黙って、いつまでも、兼六園下で待っている。 時間外完走の是非については、様々な考え方があるが、関門を作って収容するよりも何倍も勇気が要る行為だと思う。 さくら道は、太平洋側の名古屋から、日本海側の金沢まで走る、本州を横断する大会である。 濃尾平野を走って、そして、長良川をさかのぼっていき、水のきれいな郡上八幡を越え、佐藤良二さんの白鳥町を越え、鉄道の終点である北濃駅を左に見て、ここから源流まで、山道をゆっくりゆっくり上る。 長良川の源流は、蛭ヶ野分水嶺と言い、せせらぎが、二つに分かれていて、一つは日本海へ、もう一つは太平洋へ、というところである。 ここの水は、とてもきれいで、毎年、ボトルに汲んで、飲んでいく。 分水嶺を越えて、山道を、ずっとずっと行くと、御母衣ダム。 樹齢約450年の荘川桜が、出迎えてくれる。 白川郷から五箇山へ、峠を越えたはずなのに、五箇山では、行けども行けども登りが続く道。 3kmの長い長いトンネルを越えると一気に城端まで下る。 こんなに上ったり下ったりして、やっと石川県、と思う間もなく、さらに、こきざみなアップダウンが続く。 まるで人生のようなコースである。 たいらなところもある。 上り坂もある。 下り坂もある。 そして、簡単には、終点に辿り着かない。 気象条件は、毎年違っていて、そして、毎年極端である。 特に、昼が夏、夜の山中が冬という繰り返しになることもある(体感気温で昼は30℃、夜は0℃、道端には雪が残っていて、朝の畑には霜が降りていたこともある。 この年には、昼の暑さとの闘いで消耗した身体が夜の寒さに耐えられずにリタイアというランナーが多かった)。 私はあの歓喜のゴールの瞬間を味わうために毎年参加をしている。 自分でもあきれるくらい厳しい大会なのだが、あの、一瞬の歓喜が、一生の思い出になる。 あの一瞬の歓喜のために今年も走るのである。 そして、「歓喜」は、きっと、がんばったランナーすべてに平等に、訪れるのだ。 さくら道ウルトラマラソンでは、真の「共走」ができる。 私にとってのウルトラマラソンは、長い時間にわたって走ることだけに集中できるとても贅沢な遊びである。 毎日の生活のなかで朝から晩まで走っていられる一日というのは、あまり頻繁には作ることができない。 とても辛いが、それ以上に喜びがある。 完走をすることができると、走り終えて、あちこちに痛みのある身体をさすりながら、このうえもない幸せな気分に浸ることができる。 初参加(1994年)のときには、かなり厳しい状況になった。 さくら道を、100kmの延長程度に甘く見ていて、ハイペースで突っ走った結果、夜になって、身体も心も動かなくなってしまった。 一晩中雨に打たれ、体温もエネルギーも気力も奪われて、自動販売機横のベンチにうずくまって、奥歯をガチガチ言わせていた。 他のウルトラマラソン大会で、リタイア経験が無いわけではないし、やめてもよかったのだが、「この大会は完走しなくてはならない」という決定が、心の中で、なされていた。 白鳥のエードで町の方々や佐藤さんゆかりの方々に完走を誓ったことも大きかった。 朝になって、スタッフの方からポンチョを貸していただいて、とことこ歩いていて、とことこ走れるようになって、ときどきバス停で死んだように眠って、寒さで目が覚めて、またとことこ歩き出して、、当時のゴールは金沢駅前であった。 うれしかった。 涙があふれた。 涙を隠さずにゴールした。 雨が、涙を隠してくれた。 私は、「笑顔でゴール」にこだわっている。 1987年のサロマ湖100kmで、安達さん(2位)とのデッドヒートの末勝てなくてフィニッシュラインを踏んでから倒れ込むところがテレビで放映されて、仲間に心配をかけたことがあった。 その後、「途中はどうあれ、ラストだけは笑顔で!」と心に決めて実践してきた。 しかし、1995年のさくら道では、アキレス腱を痛め、歩いてとぼとぼの到着をしてしまった。走れなくなって、ラスト10kmを2時間かけて歩いた。 前年は涙のゴール。 この年はとぼとぼのゴール。 これが残念で、翌年からは、殊更に「笑顔でフィニッシュ」にこだわっている。 どんなに疲れていても、ゴールのときに、笑顔で駆け抜けるためのエネルギーは、残しておくことをモットーとして実践している。 夜を徹して走ることは、身体に悪い。 さくら道は、すごく身体に悪い。「なにがなんでも」というのは、本当に身体に悪い。 でも、私は、今年も走る。 今年は、昨年の反省点をフィードバックして、もう少し(技術的に)うまく走れると思う。 身体には悪いことだと思うのだが、何かに憑かれたように、私は今年も金沢を目指して走る。 しかし、さくら道に命を懸けているつもりはないので、だめなときには撤退をするつもりで参加をする。 身体が動く限りゴールを目指すが、脚や内臓に回復の見込みがないダメージを受けたときにはリタイアをする。 ウルトラマラソンランナーの最大の義務は、無事に帰ること。 これが、家族にとっては一番のお土産であると思う。 このごろ、さくら道に参加するために名古屋へ向かう私に、「がんばって」という人は少なく、無事に帰って、とか無理しないで、とか、気をつけて、とかの言葉の嵐である。 私が、がんばりすぎる性格であることを見透かされているような気がする。 でも、私は、人一倍臆病なので、大丈夫である。 臆病だと、ちゃんと練習をするし、ちゃんと準備をするのである。 そして、本当に自信が持てない時には撤退をする。 利和子さんは、最初のうちは心配をしていたが、最近では、どんなことがあっても、私は無事に帰ってくるんだと信じているようである。 少なくとも、表面では、まったく心配していない(もしかしたら、見放されているのかもしれないが)。 高い理想や夢を目指して走って行けば、無理をせざるを得なくなる。 頑張りすぎずに、頑張っていくことが大切だと思っている。 頑張りすぎ=無茶をする、ということだと思うので。 走り続けていて、 風のように速く走れる人、 ずーっとずーっと走り続けられる人、 人のために何日も力を惜しまずに働いてくれる人、 いろいろな出会いがあって、走りの世界は、さらに広いことを知った。 人間には、 自分にはできないけどできる人がいる。 自分にはできるけどできない人がいる。 今はできないけどできるようになりたいから、がんばる人がいる。 ということを、知った。 そして、「きょうそう」の意味を深く考えさせられた。 競争社会の中で共走を望むのが無理なことではなく、案外多くのランナーが望んでいるのではないかと思えてきた。 本当は遊んでいるだけなのだが、遊びでも、全身全霊をかたむけて行えば、感動を生み出すこともできることを知った。 そんな遊びの中に、深い人間性を見つけることができた。 さくら道270kmウルトラマラソンに参加して、最大の収穫は、多くの大切な友人を得られたことである。 |