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1994年 2月26日
何年生だったかは覚えていませんが、小学生のとき、50m走で、先生に「真面目に走れ!」 と怒られたことがあります。 あまりにもタイムが悪いので、ふざけていると思われたのです。 もう一度走らせられて、また遅いので、こっぴどく叱られました。 私は学校時代、運動会で 1等賞はもちろん 3位以内に入ったことが 一度もありません。 コンプレックスも手伝って、走ること(走らせられること)は大嫌いでした。 27歳になって 突然太りはじめました。 なにかスポーツをやって やせなくては、とグローブを買ってきて昼休みにソフトボールを 始めました。 しかし、最初のうちは相手をしてくれていた仲間も だんだん減って、やがて、一人でバックネットにボールをぶつけているようになりました。 私があまりにも下手だったのが、主な原因だと思います。 そのとき、幸運にもジョギングをしている友人がいました。 彼の助言を聞きながら、おそるおそる走り始めました。 初めて自分の意志で走りました。 工場外周約1.5kmを走ったあとの、あの、うれしかったこと。 人の命令でしか走ったことがなかったので、走る=走らせられる、だったのです。 それが、違うことに気づきました。 走ること、走れること自体がうれしいことなんです。 走れなくなったとき、あるいは身体が不自由で走れない人にとって、走ることは大きなあこがれになります。 目が見えなくても、足が無くても、走りたくてマラソン大会に出ている人を見て、この思いを強くします。 今、私の趣味は走ることです。 走っていると、「毎日大変だねぇ」 とか 「えらいねぇ」 と言われることが、度々あります。 やはり、体罰や訓練で 「走らせられ」 てきたことで、走ること=つらいこと、となっているのだと思います。 本当は 走ること、走れることは、とても楽しいことなのですが。 しかし、走ってうれしいという状態を越えて、走った感激を得るためには、努力が必要です。 努力する、しないは自由です。 でも、レースで楽しく走るためには、そしてゴールのあの感激を自分のものにするためには、努力が必要だと思います。 自分の意志での努力が。 走り始めて 15年、やはり、若い頃とは 疲労の回復力、体力が違ってきていますが、身体のいうことをよく聞いて、これからも 走り続けます。 「走れることは、うれしいことです」 と 言い続けながら。 |