RUN RUN JOURNAL
「ランランジャーナル」と読みます。
疲れたときや、走りの話題からそれたときには「ルンルンジャーナル」と読みます。
RUN RUN JOURNALは、たんだいが、走る仲間の情報交流誌として、1989年3月3日から1998年5月24日まで発行してきたミニコミ誌を、自分のホームページ開設に伴い、電子化したものです(今までは、B4版のコピーで読者に封書で郵送しているのみでした)。
RUN RUN JOURNAL では、皆様の投稿記事を募っています。 投稿の場合には、「投稿記事」であることを明記のうえで、たんだい宛MAILrunner.tandai@nifty.ne.jpにて送信をお願いします。
- 322. 沈まぬ太陽(2009.11.01)
丹代 政俊
- 午後遅くなって利和子さんと二人とも時間を作ることができたので、映画『沈まぬ太陽』を観にいきました。
- 沈まぬ太陽
- 逃げずに生きること。 信念を曲げずに生きること。 そして、仲間を裏切らないこと。 一度しかない人生、うまく立ち回るのではなく、良く生きること。 恩地元の生き方に心をうたれ、生きる勇気を得ることができました。
クレジットで、「映画『沈まぬ太陽』はフィクションであり登場人物、団体はすべて架空のもの。 実在の人物、団体とは無関係」という意味の注記が流れます。 また、これはパンフレットにも大きく書かれています(裏表紙と表紙を開いたページとの2箇所)。 でも航空会社の報復人事で10年近く海外(カラチ、テヘラン、ナイロビ)に飛ばされた労働組合委員長は実在し、520人が犠牲になった御巣鷹山での墜落事故は起きています。 『沈まぬ太陽』、私の中ではドキュメンタリー映画になっていました。
- 321. 第26回 黄金街道鶴岡100キロマラソン大会(2009.09.13)
丹代 政俊
- 膝の手術から一ヶ月。
まだ走れないのですが、行きたくて、鶴岡に行きました。
大会前日、上越新幹線でみやさんと一緒になりました。 気がつくとやはり膝のことを話していました。 開会式。 今年も故郷の方々があたたかく迎えてくれました。 全員スピーチのとき、「走れないので、明日は歩きます」と言いました。 宿は今年も湯田川温泉のたみや旅館。 美味しい食事と仲間との話がはずむ楽しい夜でした。
夜、早く寝たせいか夜中によく目がさめてしまいます。 3時すぎに大きな雨の音に驚きました。 雷鳴も聞こえます。 それから朝まで強い雨がずっと断続的にやってきました。 こんな雨が続いたら走るのもサポートするのもたいへん、などと考えながら眠りも断続的に朝まで続いていました。
9月13日朝、宿のマイクロバスがスタート地点の黄金小学校まで送ってくれました。 雨がスタート直前には止んでいました。 予定通り7時にスタートをすることができました。 みんなは走って行きました(当たり前)。 私は歩きました。 走路誘導・監察スタッフの方々とゆっくり話すことができました。 A、B、C、全部のエードステーションでゆっくり休んでいっぱい話しました。 歩くペースは12〜15分/1kmくらいです。 AステーションからBステーションの間で虹が見えて、しばしみとれていました。 しかし、それから間もなく雨になり、持っていた傘を開くのですが風もすごくて傘が役に立ちません。 傘に気をとられていたら、帽子が飛んで田圃へ。 でもうまく稲穂に引っ掛かって止まってくれました。 田圃に降りて帽子を拾って雨は気にしないで歩きました。 雨は間もなく止みました。 今度は強い日差しが照りつけています。 そしてまた雨はやってきました。 でも長く降り続かないのでたすかりました。 歩いていたら、初めて鶴岡100キロマラソンに参加したときからしばらく本部・スタート・ゴール地点だった旧黄金村役場や、Aステーションだった旧寿公民館や、Bステーションだった小さな広場に残っているブランコなどがしっかり目に入ってきて懐かしくて、カメラを持ってくればよかったと後悔しながら歩きました。 もう一周、カメラを持って歩きたいと思いました。 でもこれ以上みんなに心配をかけてはいけないし、なによりも膝にとって危険なので一周でゴールにしました。 今日の走行距離(正確には歩行距離)は10kmです。 立ち止まったり座ったりしている時間が長く、3時間以上かかりました。
ゴール後、着替えてからスタッフのうめちゃんに車で迎えに来ていただいてCステーションへ。 ずっと遊ばせていただきました。 ときどき嵐になる天気のなかでのサポートはたいへんだということを目の当たりにしました。 強い風でテントが浮いたり移動したり。 そのたびにテントを支えていたりする必要がありました。 ちょっと体重が増えていたことが少しは役に立ったようです (^ ^;
- 320. 膝の手術をしました(2009.08.16)
丹代 政俊
- 病院でMRIによる検査をしました。 左膝内側半月板が切れていました。 手術をしないと走り続けられない、手術をすればまた走れるようになる可能性がある、ということでした。 また走れるようになりたいので手術をすることにしました。
入院は初めてではなかったのですが、前回の入院が9歳のとき(虫垂炎の手術)だったので忘れていることが多く、不安だらけでした。 必要な書類を揃え、病院からいただいた入院案内(入院のガイド冊子)を見ながら必要なものをバッグに詰めていたら走る大会に行くときの荷造りに似ていると思いました。 ランニングシューズの代わりにスリッパ、ランシャツ・ランパンの代わりにパジャマですが。
8月12日の朝、入院しました。
担当医師や看護師や麻酔科医師や薬剤師の方々が手術のこと、日程のこと、食事のこと、麻酔のこと、投薬のこと等を親切に説明してくれました。 入院の日程、先生は二泊三日と仰っていたのですが、手術&治療の日程表を見ると退院の日が明記されていません。 手術の結果で退院の日は変わることがあるものだとのこと。 夜9時以降明後日の朝まで絶食(水も飲んではいけない)。 点滴が食事の代わりらしいです。
8月13日、関節鏡視下半月板部分切除の手術をしました。
手術中、眠らずに一緒に内視鏡の画像を見ながらの手術でした。 膝の中はまるで海の中のようで白い骨や靱帯や半月板が水の中に見えました。 内側半月板は切れて固くなっていたのですが、軟骨も膝のお皿の裏側もきれいに見えました。 手術は半月板の部分切除だけで済みました。
8月14日、朝になって、うがいをして水を飲んで8時に久しぶりの食事を摂りました。 そして午後、無事に退院。 これからは通院でOKとのことです。 退院して、帰りは松葉杖でと思っていたのですが、杖なしで歩いて帰ることができて本人もびっくりです。 ずっと痛かった左膝内側が嘘のように治っています。 まだおそるおそるですが、歩けます。 治してくれた先生はじめ病院の方々に感謝です。 入院中、みんなみんなやさしくて、ありがたくて、退院がちょっと寂しかったです。
さて、手術で、走れるようになるためのスタートをしました。 抜糸の後、創の治癒を確認してから走れる日を目指して筋力トレーニングと持久力回復トレーニングを始めます。 あせらずに慎重にコツコツとやっていきます。 復活大会、青梅30kmは申し込むことにしているのですが宮古島100kmウルトラ遠足は、まだ思案中です。
- 319. 青梅マラソン(2009.08.09)
丹代 政俊
第44回青梅マラソンの大会要項/申込書を入手しました。 来年は2月21日に開催されます。 参加申し込み受付期間は9月1日(火)〜11月30日(月)で、申し込みは今年も先着順とのことです。
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- 定員は10キロの部が先着5000人、30キロの部が先着15000人
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- 参加費は4000円(10キロの部の高校生は3500円)
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- 申し込み方法は郵便振替(専用振替用紙は大会要項書内)
またはインターネット http://www.ohme-marathon.jp
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- 問い合わせは下記『青梅マラソン大会事務局』まで
〒198-0036 東京都青梅市河辺町4-16-1 青梅市総合体育館内
TEL.0428-24-6311 FAX.0428-24-3090
毎月第1水曜日、土・日曜日及び、祝日と12月26日〜1月4日まで休みです。
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