アキラの事を簡単にではありますが私、アキラの兄ケイがご説明させて戴きます。一番下にアキラの友人、大石さん撮影によるアキラの画像、「アキラ写真展 IN バンコク」の模様があります。

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 昭和50年3月8日に・・。

 昭和50年3月8日、谷口 昭良、千葉県船橋市に生まれる。
小さい頃は、けっこう太めでした。当時の住まいは現在の実家から徒歩10分弱の所で今でも覚えています。小さい頃の昭良って、何でも食べる、とにかく食べる、お菓子は
絶対すぐ食べる。と言う感じで超食いしん坊でした。好き嫌いなく何でも食べてたので健康でしたね。


 小学校のアキラ

 小学校は自宅から徒歩5分の所で、すごく近所でした。
当時のブームは週間少年ジャンプに掲載された「キャプテン 翼」。当時の少年に多かった様に、昭良もサッカー部に入部して頑張ってました。でも、アキラって運動神経は、あんまり良くないんですよ。体力はあるんだけど・・。それでも、小学校卒業まで続けてました。


 中学生の時に・・。

中学校に通う時には現在の実家で暮らしていました。私が中3、アキラが中1の時に母親が病気で入院したんです。
ちょうど、クリスマス前で私は高校受験を控えていた時期です。母が入院したものだから、その年のクリスマスプレゼントは無いものかと思われましたが、アキラはちがいました。母から私がお金を預かりアキラと一緒に二人でクリスマスプレゼントを買いに行った事を今でもはっきりと覚えています。当時、父は単身赴任で札幌にいましたので、その様な事態になったのですが・・。当時、週間少年ジャンプで「キンニクマン」が掲載、流行っておりました。そのキンニクマンのゲームウォッチみたいなのを、アキラが
ほしがり寒い冬の中、我々兄弟二人はチャリンコこいで船橋のデパート街まで出かけました。年明けには母の療病の為、九州(母の故郷)に帰る事となり、また色々あったんですけど・・。その後、アキラが中2の夏休みの時に母がなくなり、我々兄弟は父のいる札幌へと引っ越す事となりました。この札幌の時は、もぉーメチャクチャ。男3人の生活って想像できますか?一升炊いたご飯が二食分ですよ!2日分ではありません。2食、すなわち朝と昼で一升のご飯が無くなるんです。家事は結局、長男である私がほとんどしてました。アキラは、まぁ自分の洗濯位はしてましたけどね。でも今思えば、あれはアレで、あの札幌での生活は楽しい思い出です。


 高校に入学したけど・・。

アキラは札幌の中学を出てから札幌の定時制の高校に通い、日中は市場で働くという生活を送っておりましたが・・。高校は一年も行かずに中退。翌年、春に千葉に帰る事となります。私は予備校へ通い、その後は千葉工業大学へ。アキラは服部調理専門学校に通いながら、小岩近辺のジーンズ屋さんでバイトしたり上野の靴屋さんでバイトしたり、色々ありました。服部調理専門学校を卒業後、アキラは一時期札幌に住んでました。そんなこんなで、この時期は私とアキラはそれ程つきあいが無かったんだけど・・。アイツは何をしたいのか?迷ってた時期じゃないのかなぁ?その後、再度千葉の実家に帰ってくるのですが、ここからは皆さんの方が詳しいんじゃないかと思います。この頃の思い出がありましたら、よろしければメッセージに書き込んでください。


 アキラが写真を始めた理由!?

ところで突然、アキラが写真を始めたか皆さんはご存知ですか?実の所、私もアキラの友人ルーさんから話を聞くまでは知らなかったんです。本当にビックリしました。まぁ、アキラらしいと言えばアキラらしいんですけど。旅先で一緒になったルーさんが持っていた一眼レフのカメラがアキラには格好良く見えてたんですかねぇ?ルーさんに、シャッターを押すよう頼まれたアキラは、生まれて初めて持ったであろう一眼レフのカメラに興味をもったんだって。それからがアキラらしいんですよ!その結果、現地ですぐに中古のカメラを買ったそうです。カメラを始めたキッカケは、本当に些細な事なんだけどアキラが今回の旅で撮影しようとしたモノ、アキラが何を撮影したかったのか?また、アキラが写真と言うモノをどの様にとらえていたのか、最後に旅に出る前に友人に宛てた手紙(メール)を掲載します。※原文をそのまま掲載してる為、長いです。
〜〜以下、アキラが友人に宛てた手紙です〜〜〜〜〜〜〜


突然ですがお詫びの手紙を送らなければなりません
けどね一方でこれは、決意の手紙でもあります。
その意はこれから先自分自身で創り上げる写真で証明するつもりです

まずお詫びを率直にいいます。
せっかく手伝ってもらえるという写真展ですが予定していた来年の2,3月
あたりというのは今回キャンセルさせて頂きたいのです
      
貴重な時間を僕のわがままで使わせてしまった事
労力に対して誤らなければなりませんね

本当に大変に申し訳ありません
そして、あたたかいココロ使いをありがとう



11月に某写真フイルムメーカーの写真展のギャラリー審査に東京で提出しようかと考えてインドの写真を最近,焼きなおしていました
僕は,自分の写真が好きです。正確にいえば出合った彼ら、彼女ら、また自然、
町並み、そこに暮らす人々の活気が好きなのです


話は少しそれますが先日セバスチャン・サルガドという写真家の作品を
観ました。
以前に彼の作品に関して知人の写真家から話を聞いたことがある世界的に著名である写真家で聞いていた写真家だと思い何気なく観にいったのですが僕にとっては必然に感じてしまうほどに彼の作品との出会いは大きなものでした

「国境を越えて」というその写真展は、何故・何を・今、伝えるのか?
この事を彼の写真は映し出し、写真が写真である事が利にかなっていました。

写真ってこんなに表現ができるんだ、
これが写真の表現なんだ・・・ 思った・考えた。というより感じたのです
彼の写真は、少なくとも僕にはココロの奥底まで響いたのです

すると自分の中のモヤモヤしていた物が見えてきたのです
それは、自分が伝えたいテーマです
今までは好きな物を撮っていたのです
「写真てすごいんだな」そう感じる一瞬がこの前の写真に出会った旅の中で
ありました・・・・
それは、タイで買った中古の一眼カメラをぶら下げて、もう随分と時間の
たった頃の事です

僕は長くなった旅に疲れを感じて帰国するか、悩んだ時がありました
たんに肉体的にも精神的にも疲れていた事からです
けど、その時に行くべきか迷っていたチベットに僕は向かいました

それは、インドで出会った亡命したチベタン達へのある思いからでした

命からがらに亡命したチベタンの親しくなった人々
いい音色の笛を毎晩街角で奏でて亡命先でも亡命政府の新聞を
手がけるおじさん

自分の信じ学ぶ仏教を罵倒され師であるラマをもけなされた経験を
思い出すことすら辛いのに事実に色づけせずに語ってくれた坊主

亡命者のチベタンが通う学校で出会った家族を置いて亡命してきた自分の経験や夢を語ってくれたチベタンの学生達

亡命した両親からインドで生まれながらもチベットを母国と疑わない女の子

もちろん、亡命者の中には群がってくるツーリストの女の子を口説く事に
夢中になったり、毎日ただただプラプラしたり
仏教ではなく英語の勉強に熱をあげる坊主といったチベタンもいました


けど、自分の国を失った彼ら、彼女らに ただの通りすがりのツーリストが
勝手に想像したイメージと亡命者の現実が噛み合わないくらいで何を
言えるでしょう 

ましてや亡命した彼ら、彼女らが自分の国に帰ることは命がけの事なのです

僕はただのツーリスト 
そして生まれたわけでも育ったわけでもないそのチベットという国に
行く事ができるのです

せめて写真くらい撮って見せてあげたい
そこは彼ら、彼女らの国なのですから

自分が住んでいたその土地を多くのアカの他人は通り過ぎる事ができるのです
そのアカの他人の1人位は節介がいてもいいんじゃないか、
彼らの国を写した絵くらいは彼らには、観る権利がある そう思ったのです

疲れた、そんな思いは消えうせ、自分の目でチベットを観たい、撮りたい・・・
その思いや好奇心がが強くなったのです

タイでカメラの中古レンズを買い換えてチベットへの道のりである通過点の
ラオスにまず入りました

新しいレンズは僕に それまで撮れなくて歯がゆい思いをしていた
気持ちから開放させてくれました
俄然撮る気が増してきた単純な僕は、今までよりも更に撮りました

そんなある時に道を行く孫の女の子の手を引いたおばさんの2人を
撮ろうと構えていたのです

女の子が振り向く、それが僕にはわかったのです
子供は好奇心が強いから見知らぬ男が手に見た事がない機械を持っているのですから それは、ごく自然な子供の撮る仕草にすぎませんが・・・

そして、その振かえった瞬間にシャッターを押した時に思ったのです

感じた事は、その瞬間であっても思いを巡ったのはその次点で1年を超えた旅路での多くの出会いでした 

僕は日本にいた時から人から大切な物を教わって生きてきました


やさしさや強さを持った人

センスのいい冗談をいつも言って楽しませてくれる人
驚くくらいに謙虚な人

賢さや優れた智識を持った人

下手なりに精一杯に物事を頑張る人

諦めた人

とにかく楽に生きようと考える人

意地悪く ずるい人

人からは学校の勉強では学べない多くの大切な事を学んできた気がします


色々な人と出会い、接して思ったのです
海の向こうではどんな人がどんな暮らしをして何を思うのだろう 知りたい

僕の旅の切っ掛けはそんな簡単な思いからです

その旅先ではツーリスト、現地の人、自然、乗り物・・・
出あった総てに何か感じて 
それまでに抱く事の無い思いを抱いたり
時には知り合った綺麗な瞳のまだ10年しか生きていない女の子の
エイズによる死という悲しみもあり、誰に対しても死は生の中にある
事実なのだと思い知らされ言葉を失った事もありました

今までに僕の知りもしない辛い現実の中で生きる人々の生きる地で
姿、形の似た同じアジア人と生まれた国や持っている金の違う僕が
まったく違う生活を知り、接する機会もありました

時には好かれて歓迎されて、時には無意識に傷つけたりもしました
その日々の中でツーリスト・現地の人、関係なく連絡を取り合い何か目に
見えない繋がり、絆が生まれたり 
再開して以前より親しくお互いをほんの少しだけ知る事ができたり

ほとんどが通り過ぎる関係かもしれないけど その中での
そういった出会いは、今思えば僕のそれまでの日本での暮らしを
人生を凝縮したような時でした


お互いの一生の中で1つ1つのその繰り返される初めての
出会いや別れの瞬間は、言葉にできないものです

これが旅なのかな なんて思いました

随分長くなりましたが ラオスでそのシャッターを押した時に
今僕のへたくそな文章にしたような事を感じたのです

そんな想いから僕は、そこで初めて写真ってすごいんだなあ
カメラってすごいんだな と感じたのです

僕はチベットでフイルムの本数を気にすることなく撮りました
尋ねた先々で自分の目で観てチベット仏教の宗派によって
寺や家の壁の塗り方が違ったり チベットにも地方や訛りがあるという
事を知り、厳格のある仏教徒や男らしいカムパ地方のチベタンと出会ったり
強い憎しみを持った人と出合ったり、どうしようもないアホな人と出会ったり
まずいバター茶、ツァンパ、チベット一の働き者のヤクとであいました

尋ねた街で風景を撮ろうとシャッターを押す時に、インドの亡命した
人々を想いこの町並みを懐かしむ人もいるのだろうとシャッターを押しながら
その地で亡命せずいつものように巡礼する人々を知り、またここに残った人々にも、その暮らしの中での現実があると改めて感じました

そんな思いで撮ったチベットの写真は今までの旅路で撮っていなかったような
写真も撮っていました


結局、チベットからネパール・インドと抜けて肝炎になった僕は
亡命した知人との再開は今回お預けになりました

そのチベットの写真においても今の僕にとってまとめよとすると足りない物が
あるのです そしてそれがわかったのです


僕の中で好きで撮った写真と伝えたいテーマが噛み合わない 
そして伝えるための写真をセバスチャン・サルガド、彼の写真展との出会いによって気づいたのです

気づいた今となっては動かずにはいられません
今の写真は並べて見ている分には自分では好きなのですが写真展として人に
みせて伝えるにしては中身が無いのです 

これから思いを新たに撮って創りあげていっても完璧という作品はないと
おもいます。今回のことに出会うまでに随分色々な事があり時間がかかった
ように又何かに気づく事でしょう

まだ先になってしましたがこれから先に伝える為の写真を撮って改めて写真展のお手伝いをお願いするかと思います
また、お金が必要なのでストリート写真展・即売会なるものをもしかしたら
ヘルプお願いするかもしれません。

もしこの未熟者に嫌気が差すことがなければそのときはお手伝いをお願いします

また、今回このように中途半端になってしまった以上は、今の僕の未熟さを
知る権利があると思いますので何枚かの写真をポストカードにして同封します
写真を観ていただければ観賞用にはなっても伝える何かがないという事が
理解頂けるかと思います 

もちろん、何も感じる事はない、中身がない、見ているぶんにはいい等
といった感想があれば言っていただけると幸いです

2002年10月30日           乱文で失礼しました


 アキラの画像

 大石さん撮影のアキラ
あの事故の前まで一緒だった大石さんが撮影したアキラです。
 アキラ写真展 IN バンコク
現在、タイのバンコクにて開催されております「アキラの写真展示会」
の模様を大石さんが伝えてくれてます。いつもいつも本当にありがとうございます、大石さん!


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