ここでは皆様へ今回の事の経緯を私、アキラの兄 谷口ケイが御報告します。

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 平成15年5月1日、夕方のこと・・。

その日、私は仕事中に父からの突然の電話を受けました。その時までは明日からの連休(ゴールデンウィーク)の事、仕事があと数時間で終わる事を考えながら、たまたま営業で外出する事もなく支店でデスクワークをそつなくこなしておりました。そんな中、私の携帯電話が鳴り響きました。親父がボソッと言いました。「おい、アキラが死んだぞ。」 何を言ってるんだ!?この親父は!しかし親父の口から出てくる続きの言葉を聞いてアキラが死んだと言う事は事実へと変わって行きました。「今日、仕事から帰ってきて留守電を聞いたらタイの領事館から何度か電話が入っていた。不思議に思い、電話してみるとアキラが4月29日に交通事故に遭い亡くなったと言っている」親父が言った。それから私は、すぐさまに帰宅し、家族を連れて、ここ長崎から実家の千葉は船橋へと向かいました。
会社からの帰宅時間が何と長く感じたことか、帰宅途中、私の目からは涙がでていました。「なんで、アキラが?なんでだ?嘘だろ?人違いであってくれれば・・。」頭に浮かんでくる想いはこんな事ばかりと記憶しています。夕方4時半に会社を出て、自宅に着いたのが6時前。それから急いで飛行機の手配をし、荷物をまとめ、長崎空港へと向かいました。空港に着いたのは予約した羽田行き最終便出発20分前位。そこから親父に帰ることを告げると「今日は帰ってくるな。一人にさせてくれ」帰ってきた返事は暗く重たく、どこか寂しげでした。尚更、今日中に帰らねば!と思いつつも長崎から羽田まで約1時間半のフライトが長く、そして辛く、更に悲しく、と感じられました。こんな事で千葉には帰りたくなかった、なんでアキラが・・。私の頭には繰り返し、幾度となくこの想いが浮かび上がり、そして最悪の事態を考えさせていました。空港に着くと従妹のサキコ、友人の前野夫婦が迎えに来ており千葉の実家へと直行しました。その日、船橋の実家に着いたのは夜12時近く。まだ親父は起きていました。その日はお互いに多くは語らず、いや、あえてアキラの事に触れずに翌日を迎える事を選んだのかもしれません。ただ、死んだのがアキラではないんじゃないか?不謹慎だが人違いであってほしい、そんな事を想い。


 翌日、5月2日のこと。

明けて、翌日。この日の朝、船橋の谷口家は思いのほかにぎやかでした。その理由は、チビちゃん二人がいたからです。アキラの甥と姪の広大(コウダイ)、美月(ミル)がいたから。この二人は朝からいつも通りに、お腹がへったら泣きまくり、ご飯をたべればご機嫌で、遊び疲れれば直ぐにグッスリ眠ってしまう。そんなチビが二匹もいたので親父はメソメソする暇も無く、つきっきりでチビ二匹を面倒みていました。お昼前に親父と私はJR西船駅前の市役所出張所へ。ここで本籍地記載の住民票を取り、親父はパスポートを作る必要があたのです。時間がなく一刻も早くパスポートセンターへ行かなければならないのに、ここでトラブル発生!出張所の駐車場に斜めに車を止めている方がいたのです。出張所に車を停めなおしてもらう様に言いに行ったが車の持ち主はおらず、私どもは車を止むを得なしに路駐したのです。親父は一人で住民票を取りに建物の中へ、私は車中で待っておりました。親父が建物から出てきた時、何とタイミングの悪い事か!例の車の持ち主が現れたのです。その男性は車中の私に片手を上げ、すまなそうな顔をして車に乗り込みました。その時です。親父が車に乗り込んだ男性に対して大声で怒鳴り上げていたんです。普段はあそこまで怒らない親父があんなに怒るのは、やはりアキラの事があるからなのかぁっと思い、私はあえて親父を止めませんでした。一時すると親父は何も無かったかの様に車に乗り込み千葉市のパスポートセンターへと車を走らせました。パスポートセンターに着くまでの約一時間、外務省の方から親父の携帯電話へ幾度となく電話が入りました。通常であるならば数日間はかかるパスポート発行を即日行う為に手配して下さっている事や、アキラの所持品・服装の問い合わせ等・・。千葉市内の100円パーキングへ車を停めると、直ぐ様にパスポ^ートセンターへ。受付にて事情を話すと、奥から担当の方が出てこられ手続き開始。13条特例とか何とかってやつで約1時間でパスポートは発行されました。その事を親父から外務省の役人さんに電話で伝えると、次の指示が!早急に旅行代理店へ向かい飛行機のチケットを自分達で手配しろと言うのです。「えっ、こういう時って、国が色々してくれるんじゃないの?」と私は親父に尋ねると、「いや、全部、自分らでしなければいけないらしい・・。」との返事。その場から近いJTB千葉支店へと向かいタイのチェンライ行きの飛行機を手配する事に。チェンライ行きの直行便、あるんです。JALです!しかし実際にはバンコクで乗換えなんですけどね。この時期はGWと言う事もありチケットが超高い!ビックリしましたよ、あの値段には。とにかく、そうの場で航空券をおさえて家に帰りました。途中で、親父と二人でラーメン喰ったんですけど、喉を通らないんですよ。それで家に着いたら夕方。その日は、バタバタして終わっちゃいました。その日の晩、親父の言った「本当にアキラなのかなぁ?間違いじゃないのかな?」という言葉に同じを想いで出発の準備をしました。


 平成15年5月3日〜8日までのこと

H15年5月3日。朝8時半に西船の家を私と親父、二人で出発。車で成田空港に向かう。明け方までアキラのパソコンをいじくったり、写真を眺めたりしていた私は途中から眠っていた。空港に着く前にコンビ二へと立ち寄る。前日に探し出したアキラの証明写真をカラーコピーで拡大。現地で写真が必要になったらと思い念の為に準備。ちょうど、この頃ってSARS騒動で空港はガラガラ。午前11時頃のチェン・ライ行きの便に乗り込んでからは二人とも、特に会話する事も無くBKK空港へ。そこで乗り換えチェン・ライへ。チェンライの空港に到着すると日本領事館の吉田氏とショウセコ氏(すみません、お名前をはっきり覚えてません)、現地の通訳ガイドのミスターウイナイと現地の運転手さん(通称、先生)が出口で私達の到着を待っていた。合流した私達は一言、二言の挨拶を交わすと直ぐに車に乗り込みホテルへと向かった。ホテルの部屋に入ると、直ぐに今回のアキラがあった事故の説明、事の経緯の説明があった。
  ※私達がその場にて聞いた事
アキラは4/29に友人ポン君の運転する車でチェンマイからバンコクへ向かう途中で今回の事故にあったとの事。5/1にBKKで行われる日本人ムエタイ・ファイターの友人の試合を撮影する為に車に乗せてもらっていたそうです。友人の運転する車が直線を走っていると後方より車に追突され前方を走行中の10輪車の後方に激突。その反動で反対車線側に飛び出し、そのまま道路際の崖に落下。アキラだけが亡くなり、運転していた友人は比較的軽症。後ろより衝突した車は、そのまま逃亡。近くに民家が全く無い所で事故の目撃者は、前方を走行していた10輪車の運転手以外はいない。ただし、この時点では、アキラを本人と断定するものはパスポートのみで頭部の損傷が激しく、本人とは断定出来なかった。アキラはミラーアートという山岳民族アカ族を支援するNGOの団体と交流があり、ポン君はそこのメンバー。数日前にBKKよりチェンマイにあるミラーアートの事務所に来ていたとの事。事故当時に所持していた荷物から財布、カメラ一台(旅には3台持っていていた)が見つからないので盗まれたのかもしれないと言う事。今回のアキラの旅の足取りを話された。
 以上が、ざっと説明を受けた事である。
説明後に領事館の人間は今回の件で私達に同行は一切しない事を私達に言った。この様な場合には当事者に「通訳と運転手、車の手配をするので、そっちでやってくれ」と言う事である。もちろん、通訳さんと運転手さん、車の費用等、実費は当事者の負担。何だか、日本領事館の対応の事務的な冷たさにいまいち納得しなかったけど、現地通訳のウイナイ氏と後日以降の段取りをし別れた後に、領事館の吉田さんと私達の三人でホテル内にある日本料理屋にて食事をした。私はこう言う時こそ、しっかりと食べておかなければ!と思う人間である。そんな私は「カツ丼」、吉田さんは「天丼」、そして親父は「ざるそば」を注文した。こんな時に食べるご飯って、なぁ〜んか味わう感覚が無いよね。とりあえず、俺も親父も食物を胃の中に詰め込む作業をたんたんとこなしたって感じですね。食事の最中も、吉田さんは気を使ってくれていたが、何を話したかは覚えていない。まぁ、覚えていないと言う事は、さほど重要な話では無かったのであろう。
 明けて翌日の5月4日。タイに入って2日目。ホテルのロビーにはガイドのウイナイさんがお迎えに来ていた。早速、車に乗り込むと向かった先はアキラの遺体が安置されている病院。アキラ本人であるかの確認をする為である。病院に着くまで、親父と何を話したのだろうか?たいした話をしてないのか、話しをするほど精神的に余裕がなかったのか?
病院に着くと、遺体の安置室へと向かった。日本の霊安室とは、かなり違う。気温が高い状況であるに関わらず、遺体を保管する冷蔵施設がないのである。通訳のウイナイさんが言うには冷蔵庫と言うのだが・・。失礼ながら、とても冷蔵庫とは呼べる施設・設備ではなかった。その為、遺体は、損傷が激しかったせいもあるのか傷みがひどく、顔は腫れぼったく、・・・。しかし、確かにアキラだ。親父が言った。「アキラだな。」もう、アキラとわかった以上、諦めよう。まぁ、仮にアキラじゃなかったら誰か別の人が悲しんだんだし・・・。火葬するにも警察の書類が必要なのだが担当官が出張である事、この日が日曜日か祭日かで病院の手続きも出来ない事からその日は一旦、病院を後にした。事故を担当した警察署まで行き、事故現場を聞き出し向かう。警察署には事故車両が停めてあり、事故の凄さを想像できた。事故現場に着くとまだ多くの遺留品が残されていた。見通しの良い直線で緩やかな上り坂、田舎なので外灯が無いが、こんな所で事故にあうか?という様な所ではあった。この日は、チェンマイのホテルに泊まる。
 タイ入国3日目の5月5日は朝から警察へと出向き担当官と会い、警察署にて厳重保管されていたアキラの荷物を受け取る。再度、事故現場をお参りし、骨壷を探しに出かけた。タイに骨壷というものは無く、ガイドのウイナイさんも苦労していた様子。何軒も焼き物屋を廻ったが最終的に大きさが手頃な縦長いふたつきの壷で妥協する事になる。その日は近くのお寺を廻り、気分転換をと考えたが出来るはずもなく、ホテルへ帰る。
 タイ入国4日目の5月6日、アキラの葬儀が執り行なわれた。勿論、タイ式で行われた。タイの坊さんが四人でお経読んでくれたんだけど、葬儀中だってのに一人の坊さんは携帯がなりっぱなし!携帯の電源、切っとけよ。マナー悪ぅ。葬儀には現地のNGO ミラーアート(タイの山岳民族アカ族を支援する団体でアキラと交流があった)の方々も列席してくださり寂しい葬儀ではなかったです。もし当日、親父と私だけの二人だけだったらチョット寂しいけど日本に帰ってから友人、知人、親戚集めて葬儀やればいいかなっと思ってたので、ミラーアートの皆さんが来て下さったのは嬉しかったです。
 タイ入国5日目の5月7日にはチェンマイからチェンライへ。領事館にて出国の手続きなどを全てすませる。
 タイ入国6日目の5月8日にはタイから日本へと帰国の道へと。


 帰国、そして「アキラを語る会」のこと

H15年5/8に帰国。西船の実家に着いたのは夜9時頃だったかなぁ。帰宅して、すぐに仮の祭壇つくったりして。結局、この晩、アキラのお通夜みたいになっちゃって。私と親父の二人は今回の旅の疲れもあったのか無口でありました。翌日には、あきらの友人ルーさん(日本人ですよ!)とマコト君が訪ねて来てくれました。色々とアキラの事を話し、アキラの事を聞き、アキラの事を想いました。それから約10日後に近くの集会所にて「アキラを送る会」を開きました。タイにて本葬している事、この後、福岡でも葬儀をする事を考え親父がココでは来てくださる皆さんに笑ってアキラを送って頂きたいという事から「アキラを送る会」となったのです。しかし、いざ会を開こうと考えても誰に連絡していいものなのか困りました。アキラってアドレス帳を持ってなかったんです。紙の切れ端にメモを書いた様なものが数多くありまして、片っ端から連絡をとって行きました。もちろん私と親父がタイに行っている間に従妹の咲子さんを中心に手紙、メール等で連絡を取ってもらってたのです。しかし交友関係が広く、連絡をとってもアキラとどの様な関係であったのかを聞く事から始まりましたので大変でした。中には海外にいらっしゃる方もいたり、アキラの事を聞いた外国の方が英語で電話してくる事もありました。親父は英語×。私はチョット×。
英語が話せるアキラの友人ルーさんに助けていただいた事もありました。「アキラを送る会」当日、会場には入りきれないほどの方がお見えになりました。海外からわざわざ帰国されて来られた方もいらっしゃいました。古くはアキラが調理の専門学校に通っていた頃からの御友人、上野の靴屋さんでバイトをしていた頃の職場の方々、プロバイダーの会社で働いていた頃の職場の方々、そして旅先で出会った多くの友達、写真を通して知り合った多くの方々がお見えになりました。私と親父は、このとき初めてアキラの交友関係を知ったような気がしました。「アキラを送る会」はお昼前から始まり、終わったのが夕方過ぎ。かなりの長時間にかかわらず最初から最後までの間、多くの方が
アキラの事を話してくれました。会が終わった後も、親父はアキラの友人と西船駅前の居酒屋へと場所を移して遅くまで呑んでました。
   


 アキラの本葬、福岡にてのこと。

「アキラを語る会」の一週間後、福岡県鞍手郡小竹町にてアキラの本葬がとり行われました。アキラの本葬って、これで二回目なんです。実は一回目はタイでとり行ってますので。この日は主に親類・親戚、身内だけでアキラを送ったんだけけど、東京からわざわざルーさんが来てくれて、ありがとうございました。また当日、わざわざお花を送って下さいましたアキラの御友人の方々、本当にありがとうございました。その日は朝から雨が降っておりました。アキラが親戚と会ったのは、兄タニケイの結婚式が最後なんだよね。もう6年も前のこと!だから親戚連中はアキラが写真をしていた事を全く知らなかったんです。まぁアキラって親戚付き合いがほとんど無かったんで。しかし「アキラを送る会」では、まだ実感がなかったんだけど福岡で本葬をする時にお坊さんがお経を唱えると、何とも言えず涙が出てきました。お経を聞いてるとアキラがいないって本当なんだなぁと、そう考えると涙が出てきて。今、アキラは福岡県小竹町のお寺の納骨堂に母と一緒に眠っています。近くへお越しの際は、お参りに来て下さい。



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