雀バカな僕らにもどる
■9月のお題:私が一番雀バカだったころ
麻雀を覚えたてのころはサルのように毎日やりたいものです。
連続○時間やった、大事な用があったのにすっぽかしてやった、
麻雀のせいで留年した、人生踏み外した、婚期を逃した、
ああ、気付けば私ももう25じゃないの。
あれ、何の話だっけ。
と、いうわけで、麻雀に熱中するあまりやらかしてしまったエピソードを投稿してもらいました。
みんな私以上にバカ。しかも取り返しのつかない人もけっこういるっぽい。
ああ、よかった。私はまだ取り返しがつくもんね。ね?そうだよね?そうだと言ってくれええ。
●は管理人コメント
★は優秀作品です。プレゼントゲットおめでとう!
投稿者:Satoru
何と言っても大学1年の頃です!
毎日1限開始前に教室にいるのに、授業が始まった時は何故か雀荘。
晩御飯をオバチャンに作ってもらって終電で家に帰って「くたびれた〜。」
でも親は知っていたんだろうな(まさか勉強とは思っていまい)。
●毎日1限前に学校に行っている時点で、まだ更正の望みがあります。
投稿者:以蔵
あれは中二の春の一日。
放課後、覚え立てで毎日のように打っていた私はその日も
当然のように野球部をサボリ同部の友人と共に麻雀へ。
校門へ向かうと見覚えのある人影が、「おいOO!今日も麻雀か?」それは監督。
「お前麻雀と野球どっちが好きなんだ?」問われた私は即座に「麻雀です」と答えました、、、
一緒にいた友人は練習へ行きましたが、私はその日で退部。でも後悔はしていません!
●あなたが失ったもの。
夕焼けの中で練習する仲間たち。
遠い遠い地平線。白いボール。
グラウンド上の熱い戦い。黄色い声援。
ときメモ級の甘酸っぱい初恋。
「センパイ、ずっと見てました・・・」
あ〜あ。
投稿者:山下 誠
べつに覚え立ての頃ではないのですが(昨年)、
嫁さんの実家の新潟に帰っているときに
ちかくの「さかえ」で朝2時くらいまで打って
嫁さんの両親にえらいあきれられました。
その後はやはり・・・居心地悪かったです。
●嫁さんの両親?
まあ別に自分の親じゃないし、オッケーオッケー。
自分の親でもオッケーオッケー。
投稿者:たか4
雀バカだったころ・・・。それは、鳴きバカだった頃・・・。
仲間内でやる時は、アリアリルールの鳴き赤ドラ扱いOKで、
赤4(伍萬伍索各一枚、伍筒二枚)なので鳴きが横行。
タンヤオ赤4で満貫の四枚などが当たり前で、
メンゼンで仕上げるよりも、赤が一枚でもあれば鳴け!という、
ほとんどの仲間に麻雀を教えてきたO(仮名)が言ってたそうで、
メンゼン派の私もつられ鳴きをするほど荒れていました。
いつものように麻雀を打っていると、見るポン・出るチー派の総帥O(仮名)が、
いきなりの三鳴きで見え見えのバカ混一色テンパイ直後、
私による五面チャンのオープンリーチに対し誤ツモをして4000-2000を払ったものの、
失った物が多く、彼と誰も麻雀を打たなくなった。
まぁ、そもそも後付けでルールを加えて行くO(仮名)は嫌われもんだったからなぁ。
O(仮名)は、今は何やってんだろう・・・。
●雀友は友達ではありません。
「雀友」という独立したグループです。
私には雀友はたくさんいますが友達はいません。
別に全然ヘーキ。
投稿者:けんた
大学時代にバイトしてた雀荘で人が足りないという理由で
48時間ぶっ続けでメンバーをして、その後6時間客で打たされました。
その2日半でバイト代の残りが300円でした。(麻雀で負けた)
帰りの小田急線で新宿〜箱根を2往復して家に帰ったのが翌朝。
その時はじめて前日が付き合ってた彼女の誕生日だったと思い出しました。
今思い出してもバカです。(24歳 ♂)
●箱根はいいところですね。彫刻の森には思い出があります。
投稿者:みつを
まあじゃんのせいで留年した?
それは僕のことを言っているんですか?
大学は某東京大学に現役ストレート(ひんしゅくか?)だったのに、
卒業して振り返ってみると、1、2、2、2、3、4年と2年生を3回やって
6年在学いたしました。
当時のメンツはバイト先の知り合いなのですが、
それはそれはもうきっついメンツで・・・。
今は麻雀のメンツが集まらない田舎に就職して、
余生を送っています。はあ、麻雀してえ。
●122234かぁ。1を持ってきて変則三面にしたいところですね。カベだし。
投稿者:あやしゆうき
大学の講義サボってその上4日連続で打ち続けました。
3日目には周り全部が黄色っぽく見え、あやしい動悸が襲ってくるなど命の危険を感じたり・・・。
ちなみに後日講義に出た時には、留年の危険も感じました。
●私の先輩は九連をテンパってクモ膜下で倒れ、ICU(集中治療室)に入りました。
本当にシャレにならない命の危険なのに、周りの人は「上がってもないのに死にかけた」と
笑っていました。やはり雀友は友達ではありません。いや、私も笑ったけどさ。
投稿者:WAG
一番雀バカなのは「今現在」。
12年のブランクを埋めるかのように毎日プレステ・パソコン+雀荘三昧。
旦那には「そんなに好き?」とあきれられ、
一緒にやってる友人には「なんで未だに点数計算できねーんだよ」とあざけられ、
意地になって勉強までしている。
大学受験や就職活動の時より熱心なのが哀しい。
時々、「30半ばに何やってんだろ私」と考えるが、
今日も仕事の休み時間に井出名人のテキストで計算問題をやりながら
「だって好きなんだもーん」と開き直る始末。
仕事でのポカはまだないけど、家事の手抜きはひどくなる一方で、
この前も東風荘に行ってて晩飯を作るの忘れてた。
これで離婚されたら理由は誰にも言えない。
●いいなあ、それでもOKな旦那さん。
毎週土曜日にサンマで朝帰りしてもいいかなー。←しつこい
投稿者:MARCH
え〜っと、今です(笑)
月に一回大会を開いてるんですけど、前回の大会で、
国士テンパイした〜!!と思って雀卓を見ると、
一索がとっくの昔に四枚見えていました(^-^;
それを見ていた抜け番の人が流局後に
『イーソーが無きゃ、間にあわんでぃ♪』
とプッチ○ニの替え歌を歌ってくれました(^-^;
替え歌ができるくらい、うちらのメンツは雀バカかも!?
●ゴマキになりたい。でもヤスダケイはパスかな。
★投稿者:しほた
今も十分バカですけど、一番バカだったのは、
4年前の大学一年の頃だと思います・・・。(今も大学生だけど・・・)
実戦の回数は少なかったんですけど、寝てもさめても麻雀のことばかり考えていて、
一人きりになると、「ロン、4000オール(チョンボ)」とかバカなことつぶやいていました。
今から考えても、とってもバカだったと思います。おわり。
●アンタほんとに面白い!そしてほんとにバカ!(笑)
前回に引き続きプレゼントしちゃいます。
投稿者:鴨頭
私が一番雀バカだったころ
→負けても痛みを感じなくなった今の自分。
逆に負けた方が鴨屋のネタが増えて嬉しいと思っている自分が怖いです。
鴨屋を作った時は負けることがあんなに痛かったのに・・・。
●あるね〜、それ。
チョンボした瞬間、「あっ、このネタおいしいかも」などと場況を正確に記憶し始める私。
いいからチョンボ料払えよ。
投稿者:かときち
私が一番雀バカだった頃、それは大学の1年のときであります。
あるとき、いつものように徹夜で打ち続け、夜が明けても打ち続け、
昼くらい(開始から既に20時間ほど経過)にやめましたが、結果は、
一番浮いた人・・・+15P
一番へこんだ人・・−20P
ということになり、文字通りの徒労を味わうことができました。
「No.1(当時よく行っていた早稲田大学近くの雀荘の名前)の一人勝ちだ〜」
と4人でつぶやきながら、近くの弁当屋で買ったから揚げ弁当を食べたのでした。
●No.1!懐かしくて一瞬涙が出そうになりました。
何度あそこで夜を明かしたことか・・・。
私の青春の間違いの第一歩はそこらへんから始まっています。
投稿者:らぐびーモーモー
学校で部活の合宿があったときに図書館のロビーで麻雀をしていたところ、
数十分後に数人の先生に囲まれていた。あの頃は若かった。(あっ!一年しか経ってない!)
そういや受験の前日も麻雀をしていたような・・・。
●雀カードではなく雀牌でやってたとしたら、かなりのツワモノっすな。
投稿者:某予備校講師
とある小さな塾で講師をやっていた頃。
塾のとなりに社長の家があったので、
そこでよく夕食やお酒をごちそうになりました。
で、夕食の後は朝まで麻雀というのが定番でした。
すごかったのは、夏期講習や冬期講習のとき。
午後1時から5時まで授業をした後、
社長の家で夕食を食べて朝まで麻雀。
家に帰って寝た後また塾にきて授業。
そして社長の家で夕食を食べて・・・
という生活を講習期間中ずっとやってました。
給料を麻雀で回収しようとするとは、
なかなかいい社長でした^^
●いい社長さんだ。
そんな人ならきっとサンマで朝帰りしても怒らないだろうな。
その社長さんは独身ですか?←ほんとうにしつこい
投稿者:安太郎
飯場生活をしていた頃、そこは電力事情が悪くて夜はいつも停電していた。
しかし麻雀を覚えたばかりの頃だったからやりたくてしょうがない。
それで卓のヨスミにローソクを立て、目をこすりながら毎晩の如く打ちまくってた。
(モーションを大きくするとそれだけで炎がゆれて目がちらつく)
今ド近眼になっているのはこのせいなんだろうなあ。
●飯場でローソク・・・阿佐田哲也の世界だぁ。
阿佐田先生の「東一局五十二本場」で泣いた私。
ここらへんから青春の間違い第二歩が始まっています。
投稿者:ルールうんちくおやじ
K島T夫プロのかっこよさにあこがれて、何を勘違いしたのか
プロまうじやん とかって雑誌の小間使いになってしまった。
友人・家族・親戚に人生ノ落伍者の烙印を押され、現在にいたってしまった。
5歳下の従兄弟に年収でダブルスコアのコールド負けを喫してしまった。
人生の楽しみは、中野のバッタ市場で古いファミコンソフトをさがし、
百円前後で買って楽しむこと。ちなみに本体は3百円程度で購入可能。
●生きていればきっといつかいいことがあります。
しかし、憧れる相手をちょっとだけ間違ったかもしれませんね。
アカギに憧れている私が言えたもんじゃありませんが。
投稿者:たぬソファーのお友達
就職逃した。親方雇って。とほほほほほ。
●ラッキー!もう一年遊べる!
何事も前向きに考えましょう。
たぬはそんな人だらけです。
投稿者:若者雀
20歳の時!セットで36時間やった。死ぬかと思った。
半年間クルーをやってたこともありまして、その時は仕事で12時間、
その後そのまま客として12時間、家に帰って8時間寝た後12時間というのもありました。
就職してからも週5日!!
●私の最高記録は21歳のころにフリーでやった48時間です。
このころになるともう間違い第何歩だかわからなくなっています。
投稿者:たかと
麻雀やりすぎて大ポカと言うのとはちょっと違うけど・・・かなりやりこんだから起こる現象?
友人の実話ですが、その日もいつものメンバーと麻雀打ってたけど、
その日はなぜかそいつが馬鹿ヅキ完全1人勝ちの状況。
そしてついに、あの事件は起こった!
11巡か12巡くらいにそいつがツモ上がり、手を見てみると、
何と純正チューレンポウトウ!打ってたメンバー全員から歓声!
このまま終わればよかったのに・・・
気分よく帰っていったそいつから次の日電話。
なんと帰りがけに原付で事故り、しかもかなりひどくて入院が必要な骨折でした。
そのためにそいつは大学前期の単位が4でした。
みんなの頭には、あのジンクスが・・・
みなさんくれぐれも気をつけましょう。
●いいよ、骨ぐらい。純正チューレン上がらせてくれよ。
ああ、もう人生間違いっぱなし。
投稿者:おやつ
部室でそばに彼女がいるにもかかわらず無視して麻雀し続けたらめっちゃ怒られた(笑)。
●へっ。自慢話にしか聞こえねえな。←すさんでいる
投稿者:22なのにまだまだ学生
雀バカだったっていうか、ずっとバカです。
春に福岡から東京に研修に行って一番に観光に
行った所がたぬでした(そのあとベガにも行ったけど・・・)。
ろくに観光もせず雀荘周り、楽しかったなーーーー。
●関西の友達のところに遊びに行ったときに、
待ち合わせまで数時間あったのでふらふらと雀荘に入った私。
そこはルールもまるで知らないブーマンの店でした。
大雑把にルールを教えてもらい、
コテコテ関西人のオヤジ(ヤーさん風)に囲まれ、
終わってみればなぜか4万浮き。
帰りはダッシュで駅に向かったことを覚えています。
21歳の冬の出来事でした。
投稿者:Cam
中学生の頃から、役は知ってた。打つだけならできた。
でも中学生の、それも女子が麻雀を打つのは難しい世の中だった。
高校に入って、ゲーセンの奥に脱衣麻雀というものがあることを知った。
学校帰りにゲーセンの最奥に向かった。(18歳未満は禁止だと知らなかった)
50円玉を入れて2巡目で役満を上がられた。
悔しくて手持ちの千円札を50円玉20枚に換金した。
残り1枚のところで8人目の女の子のセーラー服を脱がすことに成功した。
顔を上げるとギャラリーが奇異な目で私を見ていた。
自分もセーラー服を着ていたことに、その時初めて気がついた。
●中学生のときのセーラー服を20歳ぐらいのときに着てみたら、
家族全員に「AV女優みたい」と言われました。どうなのよ、その家族。
投稿者:生涯浪人
私が東京で大学生をしていた頃の話です。
夏休みで実家に帰ろうとしていた日、せっかくだから麻雀を打ってから帰ろうと思い、
諭吉さん一枚と少々の小銭をもって雀荘に向かいました。
普段はそこまでへこまないんですが、その日はさんざん!
四半荘で4ラスをくらい、実家に帰るのをあきらめなければなりませんでした。
2ラスをひいた時点で帰ればいいのですが、やっぱり熱くなってしまうものですね。
●先に切符を買うのです。さもないといつまでも帰れません。
(何か身に覚えがあるらしい)
投稿者:ya−P
麻雀覚えたての頃、負けまくってたのにやりまくってたのがバカだった。
半荘1回で−191はかなりばかだった。
●飛びナシだと時々すんごい数字になりますよね。
私はそれを「生まれてきてすみません状態」と呼んでいます。
投稿者:彦様
学校の試験中、合計20冊を越す麻雀漫画や戦術書を買って、むさぼるように読んでいた。
●戦術書って、読んだ瞬間は「そうだったのか!」って開眼するんだけど、
実戦で役に立ったためしがありません。私だけ?
★投稿者:木村真琴
〜雀村のころ〜
高校の時、村林ってやつの家に毎日いって麻雀してた。
そいつのあだなはジャンムラ。
そいつの家のことそのものもジャンムラって呼んでた。
テスト期間中も「明日政経だからよゆうでしょ。」
「英語もあんじゃねーかよ。」「もう無理でしょ。」
とかいいながら打ってたのがなつかしい。ちょっとおセンチ。
●ああ、なんだか心に響きます。ジャンムラ。
気が付けば高校時代ははるか遠くに。
投稿者:ばんぞう
朝まで麻雀を女4人でやっていて、6時から開ける筈のコンビニを
7時近くに開けてしまいました・・・。めちゃ怒られたし〜!!
24時間営業なら大丈夫だったのになぁ・・・。
麻雀ももちろん巻けました。いいトコなしです。
●24時間営業だったら何がどう大丈夫だったんだ?
投稿者:シンタローマン(22)
2年ほど前から麻雀を覚えてからというもの、ほぼ毎日雀荘通い。
土曜の夜に彼女が遊びに来ても、ちょっと友達に会ってくると言って、
結局朝の6時まで帰らなかったり。(すぐにふられた)
正月は12月31日に雀荘に入り、出てきたのが1月2日。
家に帰らず雀荘に入り浸る生活を続けていました。今思うと病気ですね。
しかし最近は仕事も変わり、それをきっかけに3日に1回ぐらいに
抑えられるようになりましたけどね。
●しかし最近は仕事も変わり、ほとんど打てなくなりました。
って来るだろう普通は!その流れだと!
3日に1度じゃ全然変わってないっつうの。
投稿者:クランコ青7
あれは一浪しているときの二次試験の後期日程の試験日の前日でした。
友人から「明日麻雀やろう」との連絡が入ったのです。
試験当日7時に目を覚まし、試験を受けに行きました。
2時半頃に試験が終わったとき、体は試験の緊張感でくたくた。
しかし意識は「打てる〜」だったのでそのまま麻雀、久しぶりということでそのまま徹夜。
ここまではありがちなのですが、そのまま次の日も朝で切り上げることなく、
さらに夕方まで打ち続けました。
体の疲れもピークを通り越して半分惰性だけで打っていると、友人からリーチがかかりました。
私は朦朧とする意識の中勝負するか降りるか考えていると、
友人の牌が透けて見えました。牌の裏側が透明になったのです。
その上私の勝負しようとしていた牌が当たり牌だったのです。
もちろんそのまま降りましたが後にも先にも牌が透けて見えたのはあの時だけです。
ちなみにその後20時間近く眠り続け、目が覚めてから最初のしょんべんは赤かったです。
後期試験はものの見事に落ちて結局3浪しましたとさ。
●ま、スケルトン流行ってるし。
アカギもスケ牌で血抜き麻雀してたし。
最先端をいってたということでしょう。
投稿者:yoshi
私が一番雀バカだった頃・・・それはnow!今です。
この前も月曜日から雀荘に行き、夜の11時頃に終わったときに先輩が
「もう一回だけやろうよ」と言って来て、断れない私。
遅くなり過ぎ終電がなくなって近くのサウナに泊まって次の日は仕事にならない・・・
これで勝っていたら文句はないけど、そういった時に限って負けているんだよねぇ〜。
結局もう一回だけといった先輩はこの半チャンのおかげでプラスに持っていきました。
あの先輩を絶対に今度はこてんぱんに沈めてやる!!!
あぁ〜・・・見事に今!雀バカ人生まっしぐら!!!
●パチンコや競馬を適宜混合すると、より素晴らしい人生が開けると思います。
投稿者:はっしー
平日に朝6時まで麻雀してました。会社は9時から・・・。
ちょっとだけ寝ようと布団に入ったけど、最後の半荘が
納得いかなかったので、どーしても眠れない。
ちくしょーってことでプレステ2をON!!ゲームで麻雀再開。
結局ボコボコにされ、そのまま寝てしまい、会社は当然遅刻・・・。
とほほでした。
●リーマン雀士は辛いですな。OL雀士も辛いです。
どうして毎日会社に行かなくちゃいけないんだろ。
投稿者:ニルス
私が一番雀バカだったのは、やはり大学一年の夏休みでしょう!
麻雀覚えたてで、二ヶ月連続の徹マン天国(地獄かな?)
毎晩9時から朝9時まで61日・・・若かったな〜
そういえば、年越し麻雀大会もやりました。31日の夕方から
2日の夜12時まで、その後は丸一日寝てましたね〜。
そんな私も、もう30才。最近はせいぜいもって10時間くらいが、
集中力の限界です。(T-T)
●まだ25ですが、7時間ぐらいしか持たなくなってしまいました。
この調子でいくと30になるころには麻雀をやめられるかもしれません。(ムリ)
投稿者:クロコダイルすぱっつ
僕が一番麻雀にはまっていた頃は中学三年生のときでした。
受験勉強もさながら友達の家に行きよく徹マンをしていました。
●中学生雀士といえば、14歳で麻雀デビューしたアカギ。
あなたもチキンランで海に飛び込めばアカギになれます。
いねえよ、そんな中学生。
投稿者:河童仙人
猿だったのは大学生の頃ですね。
ゴールデンウイークに5日間寝ないで打ったことがありました。
正確に言うと打ちながら寝てたんで120時間起きてたわけじゃないんだけど。
最後の方はオープンリーチに一発で振るのはあたりまえ、
ドラが5種類(4カン流れに気づかない)あったり、
5暗刻(多牌してる)がでたりしておよそ麻雀では無くなってました。
しかも、みんなして、意味のない奇声をあげるかと思うと
次の瞬間には寝てたりしてもう完全に○チガイの集まり。
今ではもうできないけど、楽しかったね〜。
●「河と合わせて五暗刻」ということはよくあります。
じっと手を見る。
投稿者:シン
大学受験に失敗した俺は浪人中にいつのまにか麻雀に走ってました。
予備校には出席カードを通しにいってるだけで毎日麻雀!
それだけじゃあきたらず、フリー雀荘にも行きました。
麻雀を覚えたのは高2のころ。
普通の人よりだいぶ遅いけど、飲みこみは早かったらしく、2年間無敗でいました。
はじめて行ったフリー雀荘でも1位×5、2位×2と圧勝!!
今はほどほどに打っていて、初心者の友人に教育中です。
●2年間無敗?桜井さんまであと18年ですね。
投稿者:taka
中学校1〜2年!!
覚えてからはそりゃ狂ったように打ちましたよ!!
坊主頭のクセに「バカホンだけや。」とか「打つ(ぶつ)」とか言うてました。
修学旅行では部屋で打てないので、ベランダで打ったりしてましたなぁ。
4人とも坊主なんやけど。
●麻雀始めて15年になりますが、ナマで「ぶつ」という人を見たことがありません。
今度たぬで言ってみてください。
投稿者:りえじょ
海外駐在員として米国にいるため、当然ほとんど面子が集まらず、
この5年間で牌をにぎった回数は片手未満。
自然と、パソコン上の麻雀ゲームで満足する毎日になっていた。
ある日、いつものように麻雀ゲームで遊んでいたところ、
どうやらそのゲームのバグらしく、
下家が私のあたり牌を出したにもかかわらずロンできず、
その後、対面が出した牌で下家があがる、という現象が発生。
思わず、「これ、バグじゃん」と口にしたのを、
たまたま通りかかった上司(日本人)に聞かれてしまった。
仕事柄「バグ」という言葉に敏感な上司に見られてしまい、
業務時間内にゲームやってることがばれてしまった。
●そんなあなたのさらに雀バカなところは、こうしてわざわざ投稿してくることです。
アメリカまで来て何をしてるんだ、俺。しっかりしろ、俺。(代弁)
投稿者:でぶ1
Uターン就職希望だった私は、県都の大学に通う友人の下宿に泊まり込み、
最終面接ラッシュに臨んでました。
ある日1社内定を貰い、何故かお祝い麻雀大会が始まったのです。
翌日第1志望の面接だった私は適当に付き合うつもりが、
明方に国士を振り込んで熱くなってしまい、翌昼まで負けを広げていきましたとさ。
当然面接はすっぽかし、幸か不幸か始めにかすった会社に今も元気に通う俺。エライ俺。
●私も就職活動真っ盛りのころに最もフリー雀荘にはまってました。
志望分野の会社は見事に全部落ち、何となく受けた会社に今も勤めています。
でも今となってはこの会社でよかったと思います。これもまた縁。
投稿者:でぶ1
学生時代、下宿で熱出して寝込んでたら、「一人どーしても足らないから」と先輩に誘われました。
「絶対やだ」
「じゃ、お前があがった時、熱が40度超えてたら役満にするからさ・・・」
私は小脇に体温計をはさみ、上半身裸で徹夜で頑張りましたが、
ローカルルールの恩恵にあずかることもなく、見事肺炎になりかけました。いったい・・・。
●小脇に体温計+上半身裸はまさにアホだ・・・。
大体、40度以上あったら勝ってもうやむやにされてたんじゃ?
投稿者:アントニオ
新宿歩いてはや3年、俺も15歳。
ありとあらゆる雀荘を餌にして、今日ももうける5000円。
そろそろ銀玉親方とも打ちたいなあ〜〜〜。
いつでも、役満くらわせるぜ〜〜〜〜〜!!
●新宿には遠足で来るのかな?飴あげるからおうちに帰んなさいね。
投稿者:黒屍無僧
俺が雀バカだった頃、友人も雀バカだった・・・
その友人の友人も雀バカになっていく・・・
中学3年に覚え、高校3年間は雀雀雀雀雀・・・
明日がテストであっても雀、友人が盲腸で入院しても雀、
教習所に入学して予約を入れた日も雀(そして取れたのは9ヶ月後)
ゴルフの後は雀(これ基本!!)
雀荘たぬへ行っても雀(そりゃそうだ)
今は・・・仕事仕事仕事・・・全自動がほしい・・・
そうだ、たぬへ行こう・・・J○東海♪
●結局免許は取れたんですね。
「教習所代にしなさい」といって親がくれたお金を、
ギャンブルで使い切った私よりはマシでしょう。(そして今も無免許)
投稿者:EAB
一番バカだった頃:ご多分にもれず大学生の頃
これはちょっと良くないなと思った時:
珍しく朝からガッコに行ったら授業が休講で、部室に寄ったら先輩がいて、
「1、2、3、4!」(4は自分)とか指を指されて雀荘へ。
まぁ次の授業までまだあるしちょっとならいいか、が運のツキ。
好調に勝ってしまったもので抜けられずそのまま夜中まで。
その時点で負けが込んで結局徹夜。
翌朝、出席を取る授業があって一時限だけ出て、
よせばいいのに部室に寄ったら今度はタメと後輩がいて、
その夜の呑み会まで雀荘にいて、呑み会が終わった後また行って...。
家に帰ったら丸二日経っていて親に怒られるというか
どこに居たのか不思議がられた時。かな。
まぁ管理人さんの日常と言ってしまえばそれまでですが。
●雀荘って宿泊施設だと思えば激安ですよね。
激安で済むかどうかは場合によりますが。
投稿者:morrow
あれは、高校3年生の文化祭のとき。
うちのクラスは企画で燃えてました。僕とO君を除いて。
朝7時から夜7時までみんなはがんばってました。
しかも、なぜか僕は企画責任者。サボりたい人ナンバーワンなのに。
そこにケータイに電話が・・・暇でお強い雀友から・・・
結局、僕は麻雀を取りました、O君とともに!!
そして、それからとっても肩身の狭い半年間でした。
●高校なんて卒業できりゃいいんです。
卒業してから一回もクラス会に呼ばれなくても、痛くも何ともないです。
投稿者:伊野氏課長
大事な用を忘れてしまったその時に、大体やっているのが麻雀です。
ああ何も知らずに楽しく打ってたんだなあ・・・単位(大学の)返してくれ、勝ち分返すから。
●「麻雀さえしてなければ・・・」という風に考えるのは不毛です。
そう思いながら今日も麻雀しているのが関の山。
投稿者:伊吹雅也
今日「たぬ」に行くと、ここ10日間で8回目です。
行ってない2日間はセットで徹マンでした。
無論夏休みが終わってから大学には行ってません。
これぞ「駅前休学」。
●たぬの常連で1年間皆勤した人を知っています。
でも誰にも誉められてませんでした。
ちゃんと学校や会社に行こうよ、みんな。
投稿者:坊や利
私は中学生ですが、学校が午前中に終わると友達を呼んで麻雀をします。
また、休日も麻雀です。麻雀をするようになったのは、親父が原因です。
小5のとき親父に麻雀を一から叩き込まれました。
私が一番雀バカだったころは、今現在です。
●私も父親が原因です。
父は今でも「どうして麻雀なんか教えちゃったんだ・・・」と悲しそうにいいます。
いいかげん諦めればいいのにね。←半分他人事
投稿者:がむ
おそらく現在(大学4年)。
大学1年のときより圧倒的に打つ時間は減っているものの、腕が落ちている上に、
いまさら覚えようとしている初心者をカモろうとして、初心者特有の切り順が
意味不明なところに初心者が知っている数少ない高い役を振り込んでしまったこと。
その上徹マンの後にスネークどんのようにゲーゲー吐いている自分。
昔は徹マンのあとに授業にもいけたのに、今は就職活動にさえいっていない。
●「相手が初心者だから勝てなくて〜」という初心者ってよくいますよね。
男なら黙々と勝ってほしいものです。
え?私?女だからいいの、言い訳しても。
雀バカな僕らにもどる