徒然なるままに |
書きとめておきたい事を、気のむくまま・・・
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| 自己責任(2004・4・20) |
イラクの人質事件に関して、最近、よく「自己責任」という言葉が聞かれるようになった。まさか、政府の与党幹部から、この言葉を聞くことになるとは!・・・ギャグかと思った。(実際、笑ってしまった)。自己責任をとらない代表のような方々から、こんな発言を聞くなんて、一体、日本はどうなっているの?日本の教育は間違っている・・あ、でも、あたりまえか、だって、首相をはじめ、国づくりの基礎にいる方々が見本になってくださっているのですものね。 日本のいやなところは、誰か(大体は弱い立場の人間)を攻撃することによって、自分の立場に正当性をもたせようとするところ。多数の側につき、「みんなの言ってることが正しい」と自分で思考する前に保守体制にはいってしまうところ。もともと、日本の国策なんて、アメリカについていきさえすればOKという、思考の放棄のように思える。 この、見えない、「みんな」というものがなんであるのか。「皆様に迷惑をおかけして・・」・・じゃ、その皆様って具体的に誰なの。 今回解放された理由で、イラク人は、日本人に対し、いい印象をもっている、ということが、たびたび語られた。私は、日本に対する、親日というものを築いた大部分が、名もなき人々の・・今回は皮肉なことに、人質になってしまったということでその存在がクローズアップされることになってしまった・・3人のような方々の地道な活動によるものだと信じて疑わない。彼らは、私のように、思っていても、行動できない、臆病者のかわりにいってくれた方々です。世界の人たちが解放をよろこぶなか、「よかったね」より先に、自己責任だの、費用を負担せよという声のでる日本に絶望的な思いがします。あの、パウエル氏の「危険だからといって誰も助けることをせず、リスクをおわなければ、世界は前にすすまない」の言葉を聞いた時のショック。あの、アメリカにいわれた・・・だから、アメリカって、今は、正直、はっきり言って嫌いだけど、スゴイ。 話がもどります。「責任-responsibility」の本来の意味は、「応答可能性」ーある種のよびかけに応えられるかということだそうです。 「イラクの惨状を見て救ってほしい」と願う人々の人道的要請に応えるべく現地へ行き、内発的な「人間の責任」をはたそうとした人質たち。政府、与党のいう責任とは、「民間人はイラクに行くな」という「権力の指示」に従う責任。 人道的要請への魂の応答と権力の指示への従順さとどちらが重いのか・・新聞のこの言葉、私は、なんの力も、勇気もないけど、いつも、心にとどめようと思ったのでした。 私の自己責任ー個人の考えがどうであれ、アメリカの政策をいちはやく支持した日本という国の国民であるという自覚を持つこと。テロというリスクを立派に背負いきり、万が一、イラクのような惨状に日本が陥ったとして、誰も助けにきてくれなかったとしても、間違っても、恨み言を言ってはいけない。(みんな、自己責任をはたしているだけなのだから)でも、きっと、アメリカは助けてくれると思うよ。 国民が危険にさらされた時、国家というものが、どういう態度をしめすのか、忘れてはいけない。誰が、どんな発言をしたのか、決して、忘れてはならない。 イラクでの死者、何百人、何千人とひとくくりにされた単なる数字、自分の感覚を麻痺させられてはいけない。その人、ひとり、ひとりに、今回の人質の家族や、事件に心を痛めてた人のような存在があり、こんな死をのぞんでいたわけではないことを、決して忘れてはいけない。 |
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| ♪音楽にまつわる・・・つれづれ・・(2004・3・8) |
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ライブにいった。 歌が始まるとまず、その歌唱力に魅了された。 こころがストレートに声にのっていく。なんていうか、音楽学校で、発声法を習って、勉強をしてというのではなく、多分、自分の出会ってきたものの中から、表現したい世界を見出し、それをなんとか形にしたいと思ってでてきたのが、彼女の「うた」なんじゃないのかしら・・・と感じた。感性の鋭さ、精神の芯がスーッと通ったような強さ。すごい魅力と、可能性を持った人だ!と私は、勝手に感動した。MCからにじむ人柄、歌の世界・・・聴衆としての私は、彼女が表現したいであろう世界を、すっかり自分の中にも作り上げていた。 ・・・しかし、ずいぶん、キレイに響くな・・・・ ライブが終わり・・・途中から感じ始めたちょっとした違和感(?)心にかすかにひっかかる疑問の影が、ちょっとばかり、私を落ち着かなくさせていた。わからない、その正体。「なんだろう、なんだろう」−私の悪い癖、理由をさがしてしまう・・NO,作り上げようとする(愚か者!)その時は、どんな理由をつくったっけ?・・・そうそう、「きっと、まだ年齢的にこれからだから、年数を重ねなければできないこともあるはずだ」「ながれる風のような世界」 作品をどう捉えようが、個人の自由。ましてや、答えがあるはずもないものであれば。でも、私の(作った)理由は、私を安心させるものでもなければ、心にも落ちていかなかった。 音響の仕事をしている知人が、ものすごいタイミングで、興味深い話をしてくれた。 単発で、あるミュージシャンと仕事をした時の事。 音を聞いた時、なるべく手を加えず、最低限におさえて、なるべく生の音に近いものをお客さんに届けたいと思ったそうだ。(で、実際、それでとおした) 演奏を終えたミュージシャンが知人に言った言葉は・・「久しぶりに、自分のギターの音を聴きましたよ」!!! 私が感じていた違和感の正体・・・・ さあ、なんでしょう?ー私は、わかった。終わり。って言ったら「コラッ」と怒られそうなので・・・ 私が、聴衆として作り上げた「彼女ワールド」は、よどみなくながれるー多分、大多数の観客が、心地よい響きだと感じる音ではなくーもっと、ゴツゴツというか、ひっかかりのある音。キレイな音ではなく、彼女の感情が反応したような、心の振れ。 彼女のありのままに一番近い音を自分は聴きたかったのだと思うんです。 |
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| ♪「芸術見る目、育てたかった」〜地方のホールのあり方を考える〜(2004.2.24) |
富山市が芸術監督制をホールに採用していたということは、新聞の記事を読むまで知らなかったのだが、この取り組みが、道半ばにして、方向転換を迫られるということになった現実。このことは、同じ地方に住むものにとって、また、ある意味、芸術にかかわりを持とうとする人間にとっては、とても複雑な感情を抱かせる。 ―記事の内容を要約すると、ホール建設当時、富山市は、「劇場都市」を目指し、名門音大、桐朋学園大の誘致を進め、併せ、ホールを率いる人材を探していて、結果、豊富な経験と人脈をもった芸術監督を迎えることができ―超一流の公演を実現し入場率も7割を超えたという。 ―では、なぜ、このような成果をあげながらの取り組みが、方向転換をせまられたのかー「本物を愛する市民を育てたい」とする芸術監督と、「地域住民の満足を優先すべきだ」とする富山市の意識の開きが大きくなったことが理由だとしている。「芸術を根付かせた」との評価がある一方で、「本格的すぎる」「市民を置き去りにしている」との批判を呼んだとも記されている。 なんと言ったらいいか・・本格的すぎる!?(これの、一体どこに文句があるのか?)・・・感想はやまのようにあるけど・・一番思ったのが、富山市は、なぜ、「劇場都市」をつくろうと思ったのか?その理由が、純粋なものではなかったのではないか。本当に、芸術を根付かせたい、という情熱があれば、自分たちが迎えた芸術監督をもう少し、擁護するがわにまわるべきだと思う。人の意識を変えるということは、そうそうすぐに結果がでることではない。監督が言うように、目の肥えた市民をひとり、またひとりと増やすことこそが大切。彼らが、文化を支え、未来を開くのだから、と。このような、地道な活動(なかなか目に見える結果のでない)は、所詮、効率や、面目をおもんじる行政とは、なじまないものだったのかもしれない。皮肉なことに市民参加型の企画を望む市に対し「レベルを下げたくない」と難色を示し、自らの「独走」でおこなった企画は、東京からも大勢の演劇ファンが足をはこんだという。 ・・ただ、人がいつも、一流ばかりを望むかといえばそうともいえないと思う。一杯1000円のコーヒーを静かな名曲の流れる喫茶店でいつも飲みたいとは限らない。時には、マックのような店で、騒音をBGMに、煮詰まったコーヒーにミルクと砂糖をたっぷりいれて飲みたい日だってある。選択肢の広さは、また、公共ホールの重要な要素だ。 山形のことは、今は考えたくない。こんな議論さえおこる気配もない。一流の公演をやってるよ、だって、外国ですごく活躍しているっていっていたもん・・・ 芸術を愛している人たちが山形にもたくさんいるって最近わかって、とってもうれしい。その気持ちに誠実に、あきらめることなく自分のできることを積み重ねていけば、「変われる」と信じたいな〜。 |
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| この日の先に・・ |
2004・2・3。陸上自衛隊本隊、イラクへ。この先になにが待っているのか、想像がつかない。多くの国民が反対しているにもかかわらず、その国民の代表者たちの集まりであるはずの場所、国会で、驚くはやさで、物事が次々に決められていく。決められていくという言い方は、あたっていない。たぶん、アメリカに追随して、この戦争を支持してしまったあの日には、もうすでに青写真は、できあがっていた。”あの日”は、歴史のなかに、過去、何度も訪れていたはずだ。人間は、そのたびそのたびに、そのチャンス、戦いを回避する、人間の存在を認め合うという機会を逃し続けてきた。 テレビでは、国の代表者が、相変わらず、理解しがたい演説を声高に叫んでいる。派遣される自衛官を前に長官が、言葉をのべる。「この豊かな日本の生活は、中東の安定なくしてはなりたたない。だから、諸君は、みんなの生活を守るためにも、任務をまっとうしてきてほしい」と。 そうだったのか、そんなことのために、あの人たちは、命をかけて、家族を残してイラクへとむかうのか。私たちは、いつから、他人の命をかけてまで、自分たちの便利で快適な生活にしがみつくような汚い人間になってしまったのか。生まれて、1年にも満たないうちに失われてしまう命もあるのに。 私は、こんな思いを抱えても、思うことしかできない。爆弾を身体にまきつけて霞ヶ関に飛び込む勇気なんてもたない。ただ、平和を願う事しか、できない!テロ、自爆ー暴力で解決することは許されることではない。でも、命をかけているんですよ、彼らは。−なぜ!? |
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| ♪2003.12.14 |
その響きは、すぐに、あたりの空気にひろがっていった。その音は、まっすぐに、聴いている私のところに飛び込んできた。語りかけてくる。「いいんだよ、大丈夫。それでいいんだから」・・・そんな風に言ってる?その音色に包まれていると、なんかとっても安心できる。この世に心配事なんか、まるでひとつもないかのように・・・心配すること自体が、とても、意味のないことのように思えてくる。美しくて、あったかい。そして、どこまでも優しい。今まで、そんな風に言ってもらえる事をずっと待ってたみたい・・・。気がつくと、涙がこぼれていた。もし、隣に友人が座っていなければ、きっと、大声で泣いていたにちがいない。ーそう、この文のタイトルは、「音楽を聴いて泣くということ」−そう決めた。 音楽を聴いて泣く・・そんなのよくあるよ、珍しくないって思う?そう、私もかなり。・・(音楽に限ったことじゃないケド)けれど、この体験がどうして私の心にこんなに刻まれているかといえば。。。その音は・・ピアノ。歌詞がない。どんな状況を表した曲であるのか、テーマも、予備知識も私には、まったくなかった。その人は、曲について、一切語らず、静かにピアノを弾き始めた。パワーではなかった、私の心を揺らしたのは。「北風と太陽の」それこそ、旅人のマントを脱がせた太陽の力のように、聴く人の心に寄り添うようなもの。その時そこにあったのは、確かに、”音楽”だけだった。演奏者の存在すらその時の私は忘れていた。 今年も、残りもうあとわずか。2003年、たくさんわかったことが増えた。そのひとつが、”自分が、本当にしたいことは、なんなのか。自分のたどりつきたいとこは、どこにあるのか。そのためにすべきことは?自分にうそはついてない?後悔しないでやれるんだね”そんな問いかけは、本当に大切なことで、折に触れ、取り出してみるべきだという事。来年、そして、もっと先の先の課題まで抱えて歩ける自分は、幸せ。 |
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