お弁当の歴史・その1

中学生時代から幼稚園弁当を作っていた頃まで


加熱できる弁当はいいか悪いか?《中高時代のお弁当の思い出》

中学、高校時代は、給食がなかったので、当然のようにお弁当でした。私立ではあったけれど、いわゆる「学食」がない学校だったので、弁当を持っていかないと確実に喰いっぱぐれる。申し訳程度に菓子パンなどは売っていたが、食欲旺盛な時期に毎日そういうわけにもいかない… そこでカウンターパンチを食らったのが「母親」である。

私は当時片道1時間の電車通学をしていたので、逆算すると家を出るのが7時ちょい。(7時15分の電車に乗らなければいけない…というのはなぜか覚えている)すると、弁当を作るために一体 何時に起きていたのだろうか?このへんは、自分でお弁当を作りだして案外時間と手間がかかり、そのために早起きをしなくてはいけないということを体験したので、やっと今になって母親に感謝をするものです。学校ですから、そうそうさぼるわけにもいかないのですね。

当時、冬になると、ヒーターでお弁当を温めることができる設備があったので、2時限が終わってから先着順で乗せます。あまり早いと熱くなりすぎるので、時間的にはこの位が丁度よかったからです。もちろんあぶれると冷たい弁当を食べる事になるので、皆必死で置いたものです。

ところで、当時私は基本的には漬物、おしんこの類は一切だめでした。今はなんとか 野沢菜漬けなどの葉物なら食べられるようになりましたが。しかし、なぜか(食べられないのを知っている筈なのに)たまに入るのが沢庵漬け。これが温まると…蓋を開 けた時のあの強烈な臭いは今でも忘れられないもので、御飯いっぱいにその味(臭い?)が移って…後は想像にお任せします。(^_^;) 温めた時には御飯、おかずは柔らかくなりますので食べやすくなりますが、どうしてもだめだったのは「下に敷いてあったレタス」でした。温めるという理由だけではな いにしろ、今お弁当を作っていてやったことないのは生レタスだったりします。

その後、年がたつにつれて段々家をでる時間が遅くなり(いい加減になってきたわけではなく、学校に行くための交通機関が整備されてきて短時間で行けるようになったのです)高校に入ったあたりから朝御飯は自分で用意していた(といっても、パンとコーヒーと目玉焼きだったけど)ので、すこしは母親の苦労も楽になっていったので はないか…と思っています。

現在(平成7,8年頃)、横浜の公立中学では給食がありません。色々な市民団体などが毎年「公立中学校にも給食を!」というような署名を回してきます。(ほとんど効果はないようです が)お弁当、給食ともども賛否両論はあります。確かに作れない親もいます。はっきり言って大変です。梅雨時や夏は食中毒の心配もしなければなりません。けれども、少なくとも自分が弁当を作る立場になったときに、朝早く起きてお弁当を作ってくれた母親にしみじみ感謝をしている自分に気がついているのもお弁当の一つの長所なのではないのか…と。最近になって、母校にも学食が導入されたそうです。大学が完全移転したので、その空いている場所を利用してやっているそうです。月日はたったのですね。


安い!美味い!量が少ない・・のが珠に傷《学食の話》

高校を卒業して進学した先には学食があったので、毎日弁当を持っていった訳ではありませんが(毎日授業があったわけでもないし)、お金がなくなりそうとか、時間的に学食に間に合わないと 言うようなときにはお弁当を持っていきました。ここの学食は、(定食に限りますが)さすがに栄養科があるだけあって味や栄養のバランスなんかは結構よいものでした。なによりも、御飯と味噌汁がめちゃうまくて安い。よくやったのは、おかずだけ持っていってごはんと味噌汁だけ買う。これだと 200円しないのでビンボーだった時にはとても助かります。おかずはそのころに 親が弟の弁当を作っていたのでそのおかずを失敬していたわけです。まあ、でも・・・量は少なかったですね。(って、私が単に当時から大食いだっただけの話かも)

そのころの唯一のお弁当は、オケ練に出る前に食べたでかいお握りでした。結構評判になったものです。どういう評判かはよくわかりませんが…

学食といえば、当時出入りをしていた某男子校モードの国立大学の学食に行ったとき、安くてボリュームがあることに真剣に驚いたものです。カレーの分量で大論争になるなんて、信じられないなあ・・・・と。ちなみに、そこの学校は朝バイキングもあったそうです。学校によって様々だなあとマジに思います。


弁当作りは甘くない!《通勤用弁当を作りだした頃》

実際に自分でお弁当を作り出したのは約10ン年前、結婚をしてから。なんでも某会社の社員食堂がいまいちらしいので、とにかく毎日お弁当を作って欲しい…という要望があったから。最初は「弁当なんてたいしたことはない」と、たかを括っていたけど、やはり毎日の事になると大変。今のように手抜きのコツがわかってくればともかく、慣れぬ毎日の食事作りと、お弁当のネタを考えるのにほとんどいつでも料理の事しかかんがえていない…という状態になり、半年位は「食事ノイローゼ」状態。何年か後に転職した時、「これで社員食堂で食べるようになれば弁当を作らなくても済むかな?」と、密かに考えていたのだけど…それは甘かった。結局いまだに作っている訳です。(多分、最後まで続くような気がする)

ちなみに、現在使っている弁当箱は初代のアルミ製の物。始めのうちは、プラスチック製の物を使っていたのだけど、留めるところがだめになったり、色が染み付いてし まったりして3つほどだめにしてしまった。夏になり、プラスチックはなかなか冷めないのでアルミと併用してみたところ、冷ます手間が簡単なのと、汚れの落ち具合から少し高かったが思い切ってアルミ2つに替えたのです。

その弁当箱もすでに10年近く使っているので、だんだんへこんできたが全然こわれないのでもう少しこの弁当箱で付き合ってもらおうと思っている。あと、この弁当箱の替えパッキンが比較的近くで手にはいる事も長持ちをしている理由かもしれない。 せっせと買いますから、どうか欠番にだけはしないでくださいね(^_^;)>パッキンのメーカーの方

※この5,6年後にすべてプラスチックの弁当箱に変えました。昔ほど汚れが付かなくなったのは、素材が良くなったせいなのかもしれないなと思っています。

冬になるといわゆる保温ジャーを使おうか?と何度か話もしていたけれど、結局一度も使うことなくアルミでずうっと通しています。保温ジャーは、暖かく食べられるの はよいと思うのですが、いわゆる雑菌の繁殖する温度などの点ではどうなんでしょうね?


お飾り弁当なんて好きくないもん《幼稚園弁当を作っていた頃の話》

世間では「幼稚園の弁当は飾ることがよい」と思われている節があります。確かに幼稚園弁当の本を見ると人参の花で飾ってあったりするし、御飯に絵が書いてあったり するけれど、嫌いなものはなにをやっても嫌いで残してくるし、ご飯に絵が書いて あっても持っていくときに縦にしてしまうからずれてしまう。だから、あまりそんな ところに凝るよりも、おかずを充実させてあげたほうがよっぽどよい…と、言うような内容が、小林カツ代さんの本に書いてあった。(この方は、私が料理の師と勝手に 仰いでいる3人の中の一人です。他は、栗原はるみさん、魚柄仁之介さん。)

ちなみに、ポンキッキーズでたまにやっている「お弁当クッキング」は大嫌いです。 テレビに出るために必死になって考えているのだろうけど、5年間、毎日やってごらん…と思いながら見ている。(見なければいいという話もあるが、なかなかそうもいかない)

我家の幼稚園弁当は、並べるとわかるのだけど、内容は大人とほとんど同じ。並べ方がちょっと違うだけ(これは、弁当箱の形状のせい)。ただでさえ忙しい朝に「子供向け」「大人向け」の全く違う内容の弁当を作っているほどヒマはない。素材同じで、仕上がりをちょっとアレンジすればよいという話もどこかにあったけれど、さすがに毎日考えると大変なので、3回に1回位はバリエを考えます。でも、よく考えてみると夜御飯を「大人向け」「子供向け」に全く分けることなどほとんどないのだか ら、あまり「子供用だから…」なんて気負う必要はないはずです。 と、あまりにもそっくりなお弁当の言い訳をしてみたり…

あとは、我家の子供達は超小食なので、みあったサイズの弁当箱だとあっというまにスペースがなくなって入らなくなってしまう…と言う話もあります。だから、おかずの品数にこだわっても入らない。(^_^;)

ところで、我家の幼稚園弁当5ケ年計画もあと3カ月で終わりです。始めの頃は、週に4回お弁当だったのではっきり言って大変でしたが、2年前から幼稚園の方針が変わり、給食が導入されたので、週に2回になりました。これは劇的変化でした。特に、月曜日が給食の日になったのはとても助かります。出かけて疲れて帰ってきた時 に、明日幼稚園の弁当がないと思うだけで、とても気が楽になります。(といって も、大人の弁当はあるわけなのですが…)

そのうちにデジカメを買ったら、このコーナーに写真を載せようとは思っているので すが、間に合うかどうかはわかりません。1度、原寸と縮小形を並べた写真を取ってみたいです。笑えるほど色気がない弁当なんです。 あと3カ月で弁当作りは一つになります。その3年後に今度は中学の弁当作りが始まって2つになります。こうやってお弁当の歴史は増えていくわけです。完全に作らなくなるまでに、あといくつの弁当箱を潰すことになるのかは…わかりませんが。