チベット再び・・ラサ・ツェタンつれづれ

 初めてチベットを訪れたのは'94の4月だった。キリマンジャロ登山をするつもりがツアー中止となり、どうせなら標高が高くて秘境っぽい所へ行こう、と いった不純な動機であったことを正直に白状しなければならない。それでも、 河口慧海のチベット旅行記はすべて読破してから旅に出た。

  コースはラサ・ギャンツェ・シガツェを巡るごくごく普通のもの。パンコル ・チョエデの凄まじい破壊の痕も、「文革の所為」と片づけられ、すっかりそ れを信じて帰ってきた。しかし、黒いまでに蒼い天空と極彩色の寺院は、私の 身体奥深くにある「何か」を喚び醒ましていたに違いない。

  あれから4年。私の旅のスタイルは、当初のトレッキング志向から、モンゴ ル・ブータン・シッキム・アムド・ダラムサラと、気がつけばチベット文化の 世界を順に巡るものに変化していた。「ネーコル-チベット巡礼-(毎日コミュ ニケーションズ刊)」の著者、伊藤健司氏は、アジアを旅した自分の軌跡を 「チベットという巨大な仏塔のまわりをうろうろコルラしていた」と表現し た。その言葉を借りれば、まさに私も地球規模のコルラを続けてきたのだ。

 この夏、再び私は円弧の中心点を目指した。前回とは異なり、チベットの文 化と歴史を学び、片言ながらチベット語も話せるようになった。そのことが本 質的な理解の助けになるか、バイアスになるか。残念ながら、見たくないもの をたくさん目にしてしまった、というのが正直な感想だった。

 今回の旅は、成都経由でクンガ空港に入った後、ツェタン、サムイェと訪問 して最後にラサに入った。映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」の影響 か、ツアーグループは25名を越えた。大人数で動くことの是非は別として、大 型バスは悪路を走れないため、雨の多い夏場のチベットでは予期せぬ立ち往生 を強いられる危険があることを覚悟して欲しい。昨年訪れたアムドでは、路肩 決壊でバスが横転しそうになり、手渡しリレーで石を積んで事なきを得た、と いう経験もあるのだから。

・ミンドゥリン寺 --名刹の現状--

 クンガ空港からツェタンに向かう途中、ヤルツァンポ南岸の谷間を遡った所 にある。小さな集落の中、僧侶も参拝する者もあまり見かけない静かな雰囲気 だった。ニンマ派南流の総本山だが、徹底的に破壊され、昔のまま残っている ものは3階の壁画の一部に過ぎないとのこと。往時の規模がどのようなものだ ったのか、短い滞在で知る術はない。

・ツェタン・ゴンパ --拝観券に驚く--

 古代チベット王国の故地は、ありふれた中国風の田舎町といった印象。青ガ ラスで外壁を飾る建物は中国のあちこちで見かけるが、ここでもそのチープな 流行は健在だった。
 街の東側、ガンポ・リの麓にあるツェタン・ゴンパ周辺には、昔ながらのチ ベタンの家並みが残っている。村の寺院といった雰囲気だが、修復途中らしく 真新しい白木の部分がある。中に入ると若い僧侶が拝観券を売りに来た。ちゃ んと印刷された立派なもので10元ナリ。こんな所でもちゃんとシステムができ ているのだと思うと、何とも複雑な気分になる。

・チョンギェ --不似合いな経済特区--

 ツェタンから古代チベット王国の陵があるチョンギェまでは、折からの雨で 道路のあちこちが決壊し、トラックをヒッチしてようやく行くことができた。 川に沿って開けた農村風景の中をのんびりと進むうちに、チョンギェの手前で 妙なゲートをくぐった。経済開発特別地区といった意味合いらしいが、周りの 風景とはおよそ似合わない。帰国後に調べたところ、実際にこの地区に何らか の産業を誘致する政策らしい。そのために「チョンギェ」に当てはめる漢字も 印象の良いものに変更したとのこと。いやはや・・。

・ユムブ・ラカン --子供と拝金主義--

 ニェティ・ツェンポ王が天上より降りてきた伝説の地で、またぞろここも破 壊された。それでも、近年再建された「チベット最古の様式」の建物はツェタ ン観光の定番コースらしい。
 山麓にバスを停め、ユムブ・ラカンへの道を登りにかかると、どこからか子 供たちが歌いながらやってくる。服装もきちんとしているし、親切に手を引い てくれたりする。微笑ましいものと眺めていた。だが・・帰り際にチップを要 求してきたのは何としたこと!
 生活のため、とはどうも思えない。観光客と接しているうちに妙な事を覚え てしまったのか。拝金主義はこんな田舎まで浸透しているのか。

・タントク寺 --安らかなる寺--

 これもツェタン郊外の有名スポット。真珠のタンカが有名な寺だが、周囲の 集落に溶け込んで気持ちがいい。門前でのクチクチ(物乞い)攻撃はあったも のの、境内には地元の参拝者もおり、僧侶の生活の匂いも感じられる。生きた 信仰の場として機能しているように思えたのだ。
 バターランプの揺らめく中、寺男の導きでターラ菩薩の前に祈りを捧げた。 結縁の印に橙色の襷のようなものを戴いた。安らかな寺の良き思い出である。


・サムイェ --難行苦行の参拝--

 寺院の配置が曼陀羅を表現しているのは有名だが、クンガ空港に飛行機が降 り立つ前、窓の外を注意深く眺めると上空から全容を見ることができる。実際 には渡し船でヤルツァンポを渡り、さらにトラックに乗り換えて詣でるのだ が、これが大変な難行苦行だった。
 折からの雨で増水した川幅は予想外に広く、2時間弱をかけてやっとのこと 対岸に着く。この間、川風に吹きさらしとなるので、雨に降られると大変なこ とになる。上下セパレートの合羽と、荷物の防水のためにザックカバーを用意 すると良い。チベットで雨に降られることなど全く予想していなかったのが甘 い考えであったことを思い知らされた。逆に、晴れていれば間違いなく日干し 状態になるだろう。水面の照り返しは想像以上にきつい。老婆心ながらしっか りとした日焼け対策と日傘・帽子・水分補給の用意を奨める。
 更に悪路と水たまりを容赦せず走るトラックの荷台は、ディズニーランドの スプラッシュマウンテンよりも余程凄い。絶叫の連続を保証しよう。そして、 途中遙かにサムイェの大本殿ウツェの金瓦を望んだときの感動も忘れがたいも のだ。ただし、トラックは停まってはくれないので、感激に浸る余裕などは全 くない。
 さて、やっとの思いでたどり着いたサムイェだが、境内には犬がたむろして おり、弁当など食べ始めようものならたちまち囲まれることとなる。再建され た巨大な伽藍は確かに見事だが、今ひとつ生気を感じなかったのは、疲れ果て ていて心の余裕がなかったためか、今にも降り出しそうな天気のせいなのか。 いったん門外に出て、喘ぎ喘ぎヘポ・リの丘に登り、伽藍が次第に曼陀羅の形 になるのを見るほうが余程心に残っているのだ。

・ラサに近づく --ラサにかかる虹・ポタラの暗雲--

 ヤルツァンポの川幅は、キチュとの合流地点に近づくに連れてとてつもなく 拡がる。そして、いよいよラサに向けて橋を渡ろうとする頃である。ラサの方 向に虹がかかった。ポタラと微笑むダライラマ法王に虹がかかっているポスタ ーをよく見かけるが、ラサにかかる虹というのもなかなか良いものだ。しかし ・・
 ネタンの大仏を過ぎ、いよいよ彼方にポタラのあるマルポリが見えるか、と いう頃である。左手の山裾にある工場であろうか。煙突から大量の煙が吐き出 され、それがあたかもラサの上空を暗く覆っているように見える。暗雲垂れ込 めるポタラなんて冗談じゃないと思ったが、悪い予感は当たってしまった。

・ポタラ --撮影一部屋ウン百元--

 我々観光客は紅宮の裏から入るのだが、中はギャミの観光客で押すな押すな のラッシュ状態。それをかき分けてチベタンの巡礼がランプにバターを注いで 回る。しかも以前は原則撮影禁止だったはずだが、部屋毎に撮影料ウン百元と のこと。こんな法外な金でも払う奴がいるのだろうか。
 更に、である。西大殿の真上の区画はチベット医学の薬草か何かの展示スペ ースになっているようだ。紅宮の一室は博物室とかで別料金をとっていたが、 とても入る気にはなれない。極めつけは紅宮屋上である。ここも別料金の上 に、チュバを貸し出して写真撮影などをやっている。
 もう何も云うまい。すっかり疲れて気力もなくなり、逃げるように白宮に移 る。法王の居室と玉座を拝み、足早にポタラを後にした。玉座にカタを捧げよ うとしたとき、チベタンのおじさんがカタを丸めて玉座まで届くように投げる 方法を教えてくれたのが、せめてもの思い出である。
 ポタラの麓、ショルの官庁街跡は次々と区画整理されている。正面の広場は まるでミニ天安門前広場で、周りには火鍋城とカラオケ屋。聖都ラサの面影は ジョカンの辺りにしか残っていないのか。

・ノルブリンカ --法王のバスルーム--

 ノルブリンカは夕方のせいか、人影はまばらだった。閉める間際だったため か、法王のバスルームには鍵がかかっている。しかし、ものは頼んでみるもの である。係のおじさんが中に入れてくれた。簡素なバスタブと洋風便座。たっ たそれだけだったが、私には十分だった。今回はこれで満足するとしよう。例 えノルブリンカ内に典型的中国風土産物屋が建っていたとしても、である。

・終わりに

 旅の終わりにジョカンに詣で、バルコルをうろついた。門前にはタルチョや カタ・サンなどを並べて売っている。カタを求めようと「こん かつぇ れ? (いくらですか)」。答えは「にしゅ んが(25元)」。いくら何でも高すぎ る。他をあたっても同じ値段。
 もう一回りをしてチュバを買い、ついでに帽子をかぶって再びカタを求め
る。今度は何と1枚2元になった。
 そのときの私の格好は、いわば西洋人がキモノを着て浅草を歩いているよう なもので、決してチベタンになりきっていた訳ではない。チュバ一枚が店のオ バチャンの心を開いてくれたのか、たまたま正直者だったのか。もし、前者で あれば、こんな嬉しいことはない。そうであることを願いつつ、ラサの街を後 にした。

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