パタゴニアの話を少々。

 前回の年末年始にアフリカのKilimanjaro(5895m)に登ったので、自力でこれ以上高い山に登ることは事実上不可能。おまけに昨年末のネパールでの雪崩騒ぎでトレッキングには行きずらい雰囲気になった。何となく次は南米かなと思っていた。南米と言ってもペルー・ボリビアのインカ遺跡にするか、アコンカグア(アンデス最高峰)のベースキャンプまで行ってみるかと思ってたけれど、ふとパタゴニアの文字に気をひかれた。

 パタゴニア・・南米大陸南端の地。荒涼とした平原と年中吹きすさぶ南極からの烈風。氷河に削られ、鋭くとがった岩峰。高いところが無理ならば可能な限り最果てに行ってみようと思った。

 成田からダラス・マイアミと乗り継いで1日半かかってアルゼンチンのブエノスアイレスにたどり着いた。整然と区画され、札幌を大きく歴史のある街にしたようなところ。「南米のパリ」の名前にふさわしい素敵な街だった。昼飯は名物の肉料理を食べに行く。店先のショウウインドウでは羊?を丸ごと開きにして炭火の周りに刺して炙っていた。大統領宮殿「カーサ・ロサーダ」前の広場では婦人たちが記念塔の周りをぐるぐると歩いている。軍事政権時代に子供を連れ去られた母親たちの抗議集会「5月広場の母たち」の集まりだった。

 

 ここは治安が良く、夜遅くまで人通りが絶えない。この晩はタンゴショウで有名な「カサ・ブランカ」に出かけ、超一流の歌とダンスに陶酔した。

 

 飛行機で、マゼラン海峡のさらに南、フエゴ島にある世界最南端の街ウシュアイアに向かう。予想に反して好天気。知床のウトロあたりに来たような感じ。ホテルは高台でビーグル水道を一望できる。同宿のアメリカ人?ツアー客はさらに南極までのクルーズを楽しむとのこと。ここは究極の最果てツアーを楽しむ世界各国の金持ちが集まって来るために意外なほど大きくてきれいな町並み。3日間の滞在中、海峡クルーズやハイキングを楽しんだけれど、道東のどこかにいるような気分だった。しかし、ここは南緯55度、9時過ぎに燦々と輝く西日を見ながら夕食を食べことになる。朝は早起きして(4時くらい)朝焼けを待った。すぐ裏山が氷河を抱くカールになっており、あたかも北アルプス・穂高の涸沢のようだった。

 

 一旦マゼラン海峡をこえて大陸本土のリオ・ガジェゴスまで飛び、マイクロバスで氷河国立公園の入口・カラファテまで走る。周りはパンパと呼ばれる大草原がつづく。行けども行けども同じ風景にいつしか眠り込んでしまった。


 カラファテはポプラ並木のある気持ちの良い田舎町。札幌の郊外を思い起こす。丁度大晦日なので夕食はおしゃれをしていった。事前にエージェントからこの日のために服を用意しておくように言われていたのだが、別に大したセレモニーもなかったので無駄な荷物を増やしただけだったようだ。それでも、午前0時のカウントダウンの後は誰彼かまわず乾杯の嵐。酒が少ないと見てホテルのスタッフがシードルをおごってくれた。外へ出るとサザンクロスがおぼろに輝いていた。

 

 翌朝早く近くの湖畔にフラミンゴを見にいった。昨晩、ホテルのロビーでキリマンジャロで一緒だった斉藤氏に偶然再会。彼も別のツアーでトレッキングに来ている来ている由。早速お互いに情報を交換したのだが、そこでフラミンゴのことを教えてもらったのだ。実は成田からの飛行機でも前のツアーで一緒だった人と会った。このようなことは今回が始めてではない。これからも辺境へ行く度に誰か知り合いに会うに違いない。

 氷河国立公園はその名の通り広大なパタゴニア南部氷床の末端が幾つもの湖に落ち込むのを見ることができる。その中で、世界中でも最も凄いとされるペリト・モレノ氷河を見に行った。氷河湖は氷河が削ってきた岩の粒子が浮遊しているため独特の青緑色をしている。湖畔を奥へ奥へと向かうと氷の固まりが次第に多くなるのだが、まるでポリバケツのような青い色をしている。やがて遠くの谷間が白いもので埋め尽くされているのが見えてきた。長さ数十km・幅数km・末端の高さが100mの膨大な氷の固まりだ。それが時折湖に地響きをたてて崩れ落ちる。太古に降った雪が再び水に還る瞬間である。対岸の展望台で2時間ほど眺め続けた後、ゴムボートで氷河に近づいた。好天続きで氷が緩んだのか、目前で氷河か何度も崩れるのを見ることができた。紫外線の照り返しですっかり日焼けをしてしまった。 

 「カラファテ」とはこの付近に多い潅木のこと。その実を食べたならば再びここに帰ることができるとか。丁度花が終わり、青い実が付いている時期だった。瓶詰めを記念に買い求めた。

 

 再び広大なパンパを走り、チリへと国境を越える。氷河に削られ、塔のように切り立った山、パイネ山群をめざす。途中、頭上にコンドルが飛んできた。翼幅2mほどの鳥はほとんどはばたきもせず、悠然とパイネの山にとけ込んでいった。ロッジに着くと「ニャンドゥ」と呼ばれる小型のダチョウが寄ってくる。誰かが餌をやったために居着いてしまったのか。

 パイネは動物の宝庫で、必ずつがいでいるガチョウ「カウケン」や、ロバのようなシカのような「グアナコ」の群れなどをたくさん見ることができた。特に、「グアナコ」は授乳中の親子や交尾中のつがいもいた!! 

 パイネは天気が激しく変わる所とのことだが素晴らしく天気に恵まれた。幾つもの氷河湖の後ろにそそり立つパイネの塔・パイネの角が絵葉書のような風景を見せる。天気が良すぎたのか主峰パイネ・グランデ山上の懸垂氷河が崩れ、標高差1000mほどの全層雪崩が見られた。また、雪が解け出した洪水で橋が流され、濁流をゴムボートで渡る一幕もあった。最奥のグレイ氷河へ歩いて行く途中から体がもっていかれるほどの強風。やがて霙が激しく降りだしてすっかり濡れてしまった。

 この日は夕刻パイネを出てからプエルト・ナタレスまで移動した。日本海の寂しい港町といった風情で、波止場に面したホテルに着いたのは9時過ぎだった。翌朝、郵便局のポストに葉書を出すため街を歩いた。人影少なく風が強かった。首の黒い白鳥が港の冷たい波にゆられていた。街を出てから振り返ると街が面しているウルティマ・エスペランサ(最後の希望)湾に虹がかっている。最後の希望に虹とは何とも云えない組み合わせ。

 プンタ・アレーナスに向かって再びバスで南下する。潅木と草原が果てしなく続く。途中の牧場で昼食をとった。ここは羊7000頭を飼っていたが、昨冬の大雪で6000頭が死んでしまったとのこと。アメリカ南部を思わせる豪華な館には古いピアノがあった。もう弾く人もいないのだろうか。チューニングはかなり狂っていた。羊の毛刈りを見たのだがどうも手際が悪い。そうこうするうちにバリカンで傷つけられた羊が暴れ出す。小屋の中は羊特有の臭いが凄い。いやはや・・・。

 食事は別棟でバーベキュー。大きな炭の炉でチキン・ラムとチョリソー(南米のソーセージ)を焼いてくれる。好きなものを取り分けてくれるので、おいしいチョリソーを頼んだのだがラムも乗せてくれた。これ臭くて嫌だな、と思ったのだが大違い。柔らかくてとてもおいしかった。考えて見ればラムは本来高級料理だもの。

 プンタ・アレーナスの手前の海岸にマゼランペンギンの営巣地がある。石炭の積み出し埠頭があるだけの寒々とした荒野。相変わらず強い風が吹きすさぶ。ペンギンを脅かさないよう、声高に喋ることは禁じられている。バスを降り、砂浜を200m ほど歩いただろうか。すぐ先の草むらをペンギンが歩いている!海岸近くの草むらに穴を掘って巣にしているらしい。次はパイネでも見かけたニャンドゥの親子連れ。親の後になり先になりヒヨコがチョロチョロ走っているのが何とも可愛い。そうこうしているうちに右に左にペンギン!ペンギン!波打ち際にはいるわいるわ・・ペンギンは南極の氷の上にいるもんだと思っていたので、あまりにも目の前近くにいると面食らった。海からあがってきたペンギンは海岸で寝そべって体を乾かし、巣穴までよたよた歩いていくらしい。逆に打ち寄せる波に向かってよたよた歩いていったかと思うと、あーら、あっと云う間に波間に消えていってしまった!

 マゼラン海峡の街、プンタ・アレーナス。海峡の栄光とともに栄え、パナマ運河の開通と共に表舞台から去った。公園のマゼランの銅像の台座には彼らのおかげで絶滅に追いやられたパタゴニア先住民の像がある。アラカルフ族の足に触ると航海安全のまじないになるとか。幾多の人になでられてぴかぴかになったその足にそっと触ってみた。

 ここはフリーポートなので街には免税店ばかりが目立ち、お目当てのマーケットは見つからない。どうも生活臭のない街だ。背後は小高い丘に住宅が立ち並び、海峡を隔ててフエゴ島が霞んで見える。どことなく寂れた雰囲気は小樽を思い起こさせる。パタゴニアはその昔ユーゴスラビアからの移民を受け入れた土地だとか。地球の裏側で戦乱に疲弊している彼らの故国に思いを馳せる。

 相変わらず風は強く、空は曇っている。マゼラン海峡の岸に下りてみた。広々としてて、宗谷岬からサハリンを望むような気分。最果てを実感した。

 サンチアゴまではラン・チリ航空に乗る。チリはヨーロッパからの移民とインディオの混血であるメスチソと呼ばれる人々が多数を占める。しかし、飛行機のスチュワーデスは白雪姫の様な国内の選り抜きの美人(たぶんヨーロッパ系)をのせているとか!ツアーのメンバーは写真を撮ったりしているうちに調子に乗ってコックピットに入り込み、クルーにポーズさせて記念写真を撮る奴まで現れた。眼下は雪を抱くアンデスの山々。

 やがて飛行機は急旋回・急降下にはいる。サンチアゴはアンデスに抱かれた盆地にあるために着陸が難しい。そして大都会の吐き出すスモッグのため、たちまちアンデスの峰々は見えなくなってしまった。サンチアゴはブエノスアイレス同様、整然と区画された美しい街。歩行者天国のアウマダ通りの両脇にはカフェーが並び、大道芸を披露したりフォルクローレを演奏したりしている。大聖堂前のアルマス広場はお祭り広場の様だった。

 翌日は市内観光。サンチアゴにはどうしても行ってみたい所があった。大統領宮殿「モネダ宮」。かつて1970年、サルバドール・アジェンデは南米で初めて選挙による人民連合政府を樹立したが、3年後ピノチェトによるクーデターでモネダ宮は空爆され炎上した。アジェンデは降伏を拒んで自ら銃をとって抵抗し、ここで最期を遂げた。ピノチェトの背後にはチリでの権益を失うことを恐れたCIAがいた。その後宮殿は修復され、今ではピノチェトも退いて民政に移管したが、周囲のビルの壁には銃弾の痕とおぼしき傷が残っていた。

 中央市場に行ってみる。野菜・果物・果てはインカの怪しげな薬草まで売っている。どこの国でも魚売場は威勢が良いようで、鮭のような見慣れたものから巨大なウニやフジツボまで売っている。日本人がウニを好きなのを知っているようで盛んに声をかけてくる。買ったものをその場でさばいてくれる食堂もあったが、時間がなくて立ち寄ることはできなかった。

 サン・クリストバルの丘に登る。藻岩山のてっぺんに観音様(ここではマリア様)の像があるものと思えば宜しい。ロープウェイとフニクラール(ケーブルカー)で登れるが、ロープウェイはスキー場のゴンドラの様なもので夏場はサウナ状態だとか。展望台にはいかにもキッチュな観光土産が売られていて、どこの国でも考えることは同じなんだなと思う。

 麓の店でラピスラズリを買った。チリとアフガニスタンでしか採れない青い石。ここはまた銀細工や銅の産地としても有名。初めて海外でクレジットカードを使ってみた。考えてみれば、今までカードの使えないような国にばかり行っていたなあ。

 ここで、ツアーの一行と別れて単独行動をする。まずは、フニクラールに乗るためにもう一度サン・クリストバルへ。木製の簡単な車体だが、周囲には動物園等もあることから家族連れが次々と乗り込んでくる。窓がない吹きさらしのために意外と涼しくて快適だった。

 次は地下鉄に乗って再び中央市場へ。ブエノスアイレスで木製の地下鉄に乗り損ねたので楽しみだった。もっとも、ここの地下鉄は札幌と同じゴムタイヤで自動改札だったけれど。肝心の市場はもう閉まっていて、代わりに近くのスーパーマーケットを覗いた。実は、市場の周りには皿のように大きいハンバーガーがあり、この日の夕食は自由だったこともあって、それを目当てにやってきたのだ。市場がおしまいなので周りも店じまい。結局アウマス広場に戻ってこちらのハンバーガーショップ街を物色。ところが同じ店にピザを売っていたので海老のたっぷり載ったやつを注文。本当は広場に腰掛けてビールと一緒に食べたかったのだが、「テイクアウトにしてくれ」のスペイン語がわからずに店内にて食べた。ブエノスアイレスから街のピッツェリアの看板が目についてしかたなかったので、感激もひとしお!

 もう一つたべたいものがあった。こちらでは「チリモヤ」という果物があって、そのアイスクリームがおいしいそうな。街のショップで見つけてかじりながら散歩する。今まで行ったところは衛生状態が悪くて、なまものを買って食べるなんて考えられなかった。それを考えるとなんて幸せなこと!

 帰国のため、再び長い飛行機のたびが始まる。マイアミにて実家に国際電話。これも初めてなのだが公衆電話からとても簡単にかけられるのでびっくり。ダラスでハンバーガーショップを見つけ、チリで食べられなかった分を取り返そうとした。だがしかし・・ベーコンバーガー+ポテト+コーラで$6.10も高いが問題は味。アメリカ人とはなんとまずいものを食べているのだろうか!

 ダラスではエンジントラブルで離陸が遅れる。そういえば行きのマイアミでもエンジントラブルで別の便に振り替えとなったし、アメリカン航空は最近コロンビアで墜ちたし、ノースウエストで使った中古の機材を使っているとの話もあるし。どうも気分が良くない。帰りは偏西風に逆らって飛ぶので時間もかかり、とても退屈。機内スタッフはラン・チリの母の母ぐらいが2人・男性が2人。成田で着陸態勢にはいってから30分ほど上空旋回を繰り返す。その間、何度もエア・ポケットに落ち込んで揺すぶられる。散々に疲れた。

 成田から京成に乗る。車内で他人の読む新聞のタイトルを覗く。「橋本首相」・「岡本太郎死去」!?いやはや・・・・。

 今回の旅行は内容テンコ盛りだったせいもあり、バス移動が中心でハイキング程度しか歩けなかった。やはり、可能な限り自分の足で歩いた方が実感がある。観光よりはトレッキングの方が性に合っているようだ。次回はどこへ行こうか。あれこれ考えるのもまた楽しいものだ。

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