技術ボランティア [ 会報第3号 ]

1998.12.1

発行者・青木与志夫

編集者・中島良一

※PDF版の会報はこちらです。
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〜目次〜

天井は見飽きた

技ボラたちと出会って
 ・
自己紹介
 ・
私にとっての、技ボラ
 ・
大学で

 ・技ボラで学んだこと  ・技ボラで期待すること

座談会「簡易環境制御装置はこうしてつくられた」(その2)

 ・図面は作らない?
 ・
K-ECSのこれから
 ・
キット化か、量産化か

ことぶき日記(第3回)

風祭通信
 
合体、そして自爆・・・

お知らせ

monologue クマッキーさんが語る

技ボラたちと出会って  くまっきーさんのトレードマーク

kumacky@onosokki.co.jp

■技ボラで学んだこと

あくまでも障害者の自立を目指す
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技ボラに入ったとき、福祉工学を学んできた私にとって、新鮮だったのは障害者の自立を助ける機器を開発していることである。例えば、障害の持つ子供がスーパーファミコンを楽しむために、自分でカセットを交換できる機器を開発していた。

福祉工学は障害者の自立より、介護福祉士など老人や障害者を世話する人が仕事を効率よくするための工学である。技ボラは、障害者が自分で行動できるために、機器を開発している。私が今までみてきた工学の名称にはない。ここで、私は技ボラでやっている工学をライフサポート工学と勝手に名づけている。

 

大学で知った工学の定義
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技ボラでやっているライフサポート機器のイメージを私なりに考えたい。そこで、工学の定義を述べようと思う。

工学を最初に、そして非常に適切に定義したものの一つに1828年の英国土木学会の憲章があり、これには、工学とは「自然界の主要な動力源を人間の利用と利便のために支配する技である」とある。この定義は現在でも正しいし、十分なものといえる。

確かに、多くの人間がエネルギーを利用し、豊かな社会で生活できるようになった。しかし、その人間は障害者も含むのだろうか?まわりを見る限りそうとはいえないようである。例えば、パソコンは多くの人々が使っている。誰でも使えるキーボート、簡単に操作ができるメニュー式のOSなどが広まっている。しかし、使うことのできない人間もいる。その人間はもちろん障害者である。マウスをクリックすることさえできない人間もいる。そういう意味で、現状の社会には自然界の動力―エネルギーを利用できない人間―障害者が多く存在する。

Impairment...

Disability...

Handicap...

考えるくまっきーさん

「障害」の定義
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次に、障害の定義を考えよう。障害者とはなんだろうか。障害を持つ人間ともいえる。この障害の定義は何だろうか。障害という言葉の意味は三つある。障害の意味によってライフサポート機器のイメージが異なると思う。英語でいえば、Impairment、Disability、Handicapである。これらの意味は国連保健機関(1986年)では次のように定めている。

Impairmentとは永続的または一時的な病的状態であってそのため機能が低下することをいう。

Disabilityとは実りのある日常生活を送るための機能的能力(Functional ability)の低下をいい、それは精神的そしてあるいは(and/or)身体的障害の結果であるに止まらず障害に対するその適応の結果ともいう。

Handicapped personとは遺伝的あるいは老人になったために、または病気あるいは事故のために身体的あるいは(and/or)精神的健康が一時的あるいは永続的に損なわれ、そのために自立、通学、あるいは雇用が阻まれたひとをいう。

つまり、Impairmentは障害そのものであり、DisabilityはImpairmentのため能力の低下である。そして、handicapは能力の低下によって社会的に不利な状況をいう。

 

障害の定義を踏まえたライフサポート機器
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まず、Handicapをなくすためのライフサポート機器を考えてみよう。Handicap−社会的不利な状況から考えてみよう。私個人的に、世界に張りめくられているインターネットでほぼ解決にむかうだろうと思っている。つまり、このライフサポート機器はパソコンである。例えば、通学、通勤ができない身体でもインターネットのバーチャル世界を利用すれば自宅勤務ができる。実際に寝たきりの障害者のなかにはもバーチャルの世界でソフトハウスを経営している人もいる。バーチャル世界は障害のある身体を取り除かれた精神のみの世界なのである。

例えば、私のような難聴は耳の聞こえない身体が取り除かれ、チヤットというバーチャル世界で精神が残る。そこで、会話という不慣れを解消したり、俗語を知ることができる。また、メーリングリストは寮生活のミーティングのように苦労することなくみんなの考えを知ることができ、皆と一緒にやっているんだという充実感、満足感が得られる。鉛筆やペンを持てない障害者もパソコンがあれば文章や絵画で表現することができる。このように、パソコンは社会的に不利な状況―Handicapを解決する可能性がある。

しかし、障害者がパソコンを使い切れていない。これは、Disabilityという障害が解決していないからである。Disability−能力の低下を、いかにして補助していくかを考えるのは技術ボランティアのテーマであると思う。Disabilityを補助するには、ローテク、ハイテクにこだわらず、道具そのものが大事だと考えている。能力の低下を補助していくには、機能的能力をエネルギーと置き換えて考えるとよい。

例えば、ボタンを押しにくいというDisabilityを考えてみよう。もし、指を動かす力が少しだけ残されているのなら、てこ式でボタンを押すことが近道である。また、補聴器も大きい声で聞こえるなら、普段の音を増幅すればいいのである。つまり、残されたわずかな機能的能力というエネルギーを増幅する機器(道具)を考えるのである。

また、完全に能力がなくなったら他の機能的能力を使えばよい。例えば、手や指でマウスのクリックができないのなら、頭をうごかす機能的能力を利用する。つまり、エネルギー変換である。エネルギーの変換や増幅は道具の基本的な仕組みである。

最後に、Impairmentをなくす、つまり障害を病気とみなして治療していくのに必要な工学的技術はあるのだろうか?簡単な例としては、義足や義手、人工内耳などがあげられるだろう。つまり、障害者がサイボーグになることである。人工内耳はある意味ではサイボーグの一部だと考えている。なせなら、能力というエネルギーは人間によるものではないからだ。機器がエネルギーを発しているのなら、私はサイボーグだといいたい。

 

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オリジナル:Prowler7010 最終修正日: 1998/12/22
編集:yossy.aoki 最終修正日: 2006/11/18