店仕舞いをした。百五歳だった。
何事も、始めがあれば終わりがある。誰でも知っている。
しかし、現実に起こってみると、愕然とするものだ。

宇都宮にあったその本屋は『うちやま集英堂』と言った。




この建物は、清水建設に依頼して建てた、
火災に強い鉄筋コンクリートの店舗だ。

昔からの店舗は、米軍機の空爆に遭い全焼。

集英堂書店の初代は、内山港三郎(万延元年生まれ)。
一寸見には怖い感じだが、新しいものに敏感な人だった。誰よりも先に自転車を入手したり、思い立つと町内の子供達に幻灯を見せていた。


二代目内山馨は、日本橋の丸善洋書部に勤めていた。栃木県でも一番古い集英堂書店に、初めて、和書とは異なった匂いのする洋書を置き、今までの本屋のイメージを変えた。


昭和五十三年、その嫁の内山トクが三代目になった。『徳孤ならず必ず鄰あり』という論語が好きな人で、店員からもお客さんからも大変好かれてた。


四代目は、長女である内山ツネ。内山ツネは、すでに(株)集英堂楽器の社長でもあった。



■■2004年 春■■


2004.05.28

建物内部のゴミ出しが行われていた。

■■2004年 夏■■

前を通りかかったら、管理物件という看板がついてた。
■■2005年 5月■■


2005.05.15

大通りから見た感じは変わらないが
住居部分は取り壊しが始まっていた。

中を覗いても、何もない。


一週間経って…


2005.05.21

建物全体を幌で覆われてしまっているが
本格的な取り壊しはまだのようだ。

■■2005年 6月■■


2005.06.04

集英堂 最後の砦 うちやま集英堂。
もうすっかり建物は無くなり、
瓦礫の山となってた。


2005.06.09

幌で隠している部分も、かなり低くなって
全体が見渡せるようになった。


2005.06.16

解体はすっかり終わって整地していた。
2004年の3月、うちやま集英堂書店(元の集英堂書店)はこの世から消えた。
あと数ヶ月もすれば建物も姿を消し、

「さて、この角地には何の店があったかな?」

などと、道行く人に言われるだろう。


もしもどなたか、どうしても、もう一度この建物に会いたいと思われる方がいらしたら、
東京・町田市にある町田市立国際版画美術館へご案内させていただきたい。

ここには、葛飾北斎、棟方志功など一万五千点余りの版画が収蔵されているが、
その中に、『SHUEIDO SHOTEN』というハイカラなタイトルで、
版画家川上澄生先生のお作品として、集英堂書店は存在している、


永遠に…

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