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画像の入れ替え等により、トップページから外した画像を記録しておきました。 折りに触れて復活することもあるかと思いますが、とりあえず第一線は引退、ということでご了承ください。 容量の関係上、大きな画像へはリンクしていません。 必要な方はご連絡ください。
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<驟雨>「馬の背を分かつ雨」 という表現にぴたりと当てはまる激しい降雨である。 30分くらい続いた後、徐々に弱まっていったが、なかなか止むことがなかった。 幸い、撮影地は晴れていたので助かったが、直下に居ればひどい目に遭っていたところである。 撮影中、写真で雨を表現するならどうするか、いろいろと考えを巡らせていたが、思い浮かんだのは、水面の波紋を捉えるなど間接的な手法ばかり。 絵画(版画)であれば広重の東海道五十三次「庄野」など直接的に雨足を描いた成功例はある。 しかし、写真で表現するとなると意外に難しく、風景写真としても成立しにくいことに気がついた。 そういう意味では、この写真は直接的撮影に成功した貴重な例と言えるかも知れない。 |
<雲海> 展示期間:H16.6 - H16.9.15 大雪山は学生の頃から何度も通っている思い出深い山域である。 入山中、一度も陽光を見ることなく退散したこともあったが、それでも行くたびに何かしら素晴らしい風景に出会っている。 運がいい、というべきだろう。 この写真は緑岳から大雪湖方面を臨んだもの。 天候が安定していれば、ここはいつも雲海で埋まっている。 近くまで来れば必ず立ち寄ることにしているが、日が照りはじめるとたちまち消えてしまうので、早起きが鉄則である。 |
<レンズ雲> 展示期間:H16.6 - H16.11.29 この時は久しぶりの山行で、鏡平に着くなり、そこから先へ進む気力も体力も使い果たしてしまった。 欲も得もなく、小屋の中で泥のように眠りこけていたが、夕刻ごろに何やら騒がしい話声で目が覚めた。 外へ出てみると、槍ヶ岳の方に、まるで宇宙船のようなレンズ雲が浮かんでいた。 しばらく眺めていたが、ほとんど動かず、いつまでも同じところに浮かんでいる。 不思議な気持ちがして、飽かずに見ていたが、日が沈んでしまうと、みるまに茜色に染まりだした。 辺りがどんどん暗くなる中、この雲だけがますます輝きだし、まるで自分がどこか別の惑星にでもいるような感覚にとらわれた。 |
<千沼ケ原> 展示期間:H16.9.16 - H17.1.31 千沼ヶ原(せんしょうがはら) と呼ばれる高層湿原の一角。 さすがに池塘は一千個もないが、広大な湿原が広がる東北ならではの山上風景である。 ときおり音もなく霧が通過し、幻想的な雰囲気に包まれる。 時期が良ければキスゲの黄色い群落に出会えていたかも知れない。 全体が緑色に染まる中、池塘の周囲に群生したモウセンゴケの赤色が印象的であった。 |
<朝焼> 展示期間:H16.6 - H17.4.3 朝焼けは美しいだけでなく、登山者にとってはその日の天気を占う上で重要である。 うまくいえないが、天候が回復するときの朝焼けと下り坂のときのそれとは明らかに異なっているように感じる。 科学的な分析をすれば、何らかの説明はつくのかもしれない。 この写真の朝焼けは非常に美しいものであったが、何か晴れやかでないものを感じていた。 果たして、この日はその後一度も晴れることなく、夜には嵐になってしまった。 |
<湖北夕景> 展示期間:H17.4.3 - H17.6.1 写真には、伝えたい主題を直截的に写すとうまくいかない場合がある。 夕日などはその例だろう。 いくら夕日がきれいだからといって、太陽を望遠撮影するのは止めておいた方がいいだろうし、といって普通に撮ったのでは何か納得のいかない場合が多い。 こんなときは、太陽そのものは画面には入れず、その太陽に照らされている何か、例えば雲や山や、この写真のように湖面などを切り取ることにしている。 こうすることによって、うまくいけば、写真を見る側の 「想像する力」 を借りて、時には太陽のまぶしさまでも表現できることがある。 写真は、湖畔沿いにある小さな山から、日没を待って撮影したもの。 雲間から太陽の光が洩れ出すと、湖面が一気に華やかになり、赤銅(しゃくどう)色のさざ波が美しく輝き始めた。 この写真では、画面の外にある太陽の暖かさが伝われば、撮影者の意図は達成されることになるが、いかがだろうか。 |
<田園風景> 展示期間:H16.6. - H17.8.28 撮影行の帰りに、なんとも美しい田園風景に出会った。 田植えを終えたばかりの水田に茜色の空が映え、今日という日が穏やかに過ぎていったことを告げていた。 普段は撮影のために身近な山へ向かうことが多い。 山の方がシャッターチャンスに恵まれる確率が高いからである。 けれど、ときどき思いがけずこのような里の風景に巡り会うことがあり、何か得をしたような気分になる。 それに、里の美しさには山のそれとは違って何かしら安心感があり、心が和んでしまう。 多分、身近に人間の営みを感じるからだろう。 |
<積乱雲> 展示期間:H17.8.28 - H17.11.29 夏の雲がもくもくと成長してゆく様子は見ていてすがすがしい。 何の制約も受けず、持てるエネルギーを一気に解放しているように見えるからだろう。 近づきすぎると雨に遭うが、遠くから眺めている限り、何かのアトラクションを見ているようで飽きることがない。 特に、夕刻まで活動が続いているとオレンジ色に輝いて迫力満点の姿となる。 ただ残念なことに、夕方頃には最盛期を過ぎていることが多く、夕焼けに染まる立派な積乱雲に出会える機会はそんなに多くはない。 ところで積乱雲に付随する雲には面白い形のものが多い。 よく見かけるのはベール雲・頭巾雲などで、湿度の高い層があったりすると生じやすい。 現れてはすぐに消えるので、よく見ていないと見逃すことになる。 天井(圏界面)に突き当たって広がっているように見える雲は、鉄床(かなとこ)雲、アンビル、庇(ひさし)などと呼ばれている。 他にアーチ雲やロール雲、乳房雲、漏斗雲、(和訳を知らないのでそのまま記すと)wall cloud、shelf cloudなどが知られている。 このうち漏斗雲は発達すると竜巻になる雲(あるいは竜巻そのもの)で、危険ではあるが非常に魅力的である。 出会いたいような出会いたくないような、なんとも悩ましい気持ちにさせてくれる雲だ。 |
<ヌプツェ> 展示期間:H17.11.29 - H18.3.18 ヒマラヤの秀峰ヌプツェに迫る夕暮れ。 就寝の前に薄暗くなった戸外へ出て、思わず出会った光の世界である。 洗濯物がたちまち板のように凍りつく寒さの中、「シャクルトンの脱出行に比べれば何ということもない」 と自分に言い聞かせ、暗くなるまでしばらく見入った。 こんな光景を見ていると、ここでは信仰心というものが極く自然に生まれてくることがよく理解できる。 暗い谷底から光輝く頭上の高峰を仰げば、敬虔な気持ちになる他ないのだ。 |
<桜> 展示期間:H18.3.18 - H18.6.4 桜を見かける頃になると、季節の節目ということを強く感じる。 新緑や紅葉も現象的には似たようなものだが、やはり卒業や新学期の季節と重なっているためか、桜に対する思いが一番強い。 何もかもリセットして、新たな世界へ飛び込んでいく覚悟のような雰囲気も伝わってきて、張りつめた、それでいて穏やかな、何とも不思議な気持ちにさせてくれる。 桜の写真は、ありきたりだが青空をバックに撮るのが一番いい。にごりのない紺碧の空が背景にくると、この季節に対する思いにぴったりと当てはまるからだ。 |
<虹> 展示期間:H18.6.4 - H18.8.28 虹を見ると、子供の頃 「どうして冬には虹が出ないんだろう」 と不思議に思っていたことを思い出す。 雪に光が射し込んでも虹が出る訳もないのだが、当時は雨も雪も同じようなものだと思っていたのだ。 ところで、虹といえば、普通は、七色・夕立・夏・入道雲などがすぐに頭に浮かぶのではないだろうか。 しかし、そんなイメージからは随分離れた、ちょっと変わった虹がいろいろと知られている。 例えば、月虹。 月の光によって虹が出るそうである。 また、白虹というのもある。 その名の通り白く見える虹で (虹と言っていいのか疑問もあるが) 、水滴の粒が小さいときに現れる。 霧虹とも呼ばれている。 いずれも神秘的なイメージだが、残念ながら出会ったことはない。 一度くらいは撮影に挑戦してみたいものだ。 |