第六章

「さて」

 月の猫は剣を手に立ち上がった。

「どうする? わたしと戦って死ぬ? それともこの城と共に消去される方がいい? もうまもなくよ」

 テティスは無言で剣を取った。勝つことは難しそうであった。しかし、このまま、この真実をジェダイトに告げることなく終わることはいかにも口惜しかった。
 今度は先ほどのような居合いの奇襲は意味がない。テティスもマントを脱ぎ、月の猫に向き合った。
 なんの前触れも言葉もなく、月の猫の攻撃が始まった。重力の大きな地球上での斬り合いにも動じない。相当の鍛錬を積んでいるものと見えた。
 テティスも懸命に受けたが、劣勢は否めない。敵の切っ先が手足をかすめる頻度が高くなってきた。汗が飛び、息が乱れた。
 転機が訪れたのは鋭い突きをかろうじてかわした瞬間であった。月の猫はのどに何かが突き上げるような声を上げると激しくせき込んだ。毒素に冒された身体で激しい剣戟を続け、ついに限界を越えたものと思われた。
 突きの体勢が乱れた。
 テティスはそのたったひとつのチャンスを逃さなかった。彼女は剣を思い切って捨てると体勢の乱れた月の猫の腕を取り、そのまま背後へ回り込んだ。
 テティスの脳裏に以前ジェダイトから聞いた月王国の武道試合の批評が思い起こされていた。
 ……重力の小さい月では基本的に投げ技、そしてそれに対応する受け身が存在しない。したがってどんな達人でも地球上ではここが弱点になる可能性がある……

「えええいっ!」

 テティスは無我夢中で月の猫に背後からしがみつくと、訓練を思い出し、必死で手と足を極める。そして渾身の力を込めてその身体を抱え上げ、そのまま自分の身体ごと後ろに倒れ込んだ。

「あっ…ああああーっ!」

 月の猫は思いもかけぬ技に為す術がなかった。予想通り、月の猫は受け身を取ることができず、二人分の体重を乗せて、後頭部をしたたかに石造りの床に打ちつけたのである。
 倒れてもなお抱きしめていた月の猫の肢体からぐったりと力が抜けるのを感じ、やっとテティスは勝利を確信した。薄氷の勝利であった。テティスは懸命に息を整えた。
 月の猫は、古城の消去が近い、と言っていた。それはおそらく事実であろう。テティスは脱出のルートを頭の中で確認した。そして何か証拠を持ち帰るべきか、と辺りを見回したときであった。

「逃げて、……早く!」

 弱々しい声、それは今倒した月の猫からであった。

「えっ?」
「……ほんとにもう時間がない……急いで……」

 先ほどとの口調の違いにテティスは横たわったままの月の猫の顔を覗き込んだ。そして気づいたのである。

「……額の三日月の紋章が……消えつつある……」
「…そう、今のわたしは…銀水晶の支配を離れて……お願い、生きて、そして、銀水晶を倒して!」
「なんですって?」
「あれは…銀水晶は…月の砂も地球の海の水も全て呑み尽くして、そしてまた旅立ってゆく……そう、あのときと同じように……わたしたちのマウ星系を滅ぼしたときの……ように」
「滅ぼした? 何を言っているの? 銀水晶っていったいなんなの?」

 テティスは思わず月の猫を抱き起こして聞いた。だが月の猫は寂しそうにかぶりを振った。

「わからないわ…それは銀河の中心部から芥のように流れてきて…わたしたちの星系に取り付いた…栄養分の少なかった故郷はあっというまに衰退し、それはあらたな宿主を求めて再び旅立った。わたしたち選ばれた一部の種族を連れて…ね」
「…では、月の一族というのは…」
「月に元来住人などいない…全て銀水晶が伴ってきた虜囚よ……おそらく王家の者でさえ……」

 テティスの顔から血の気が引いていた。月の猫は苦しい息の下で呟いた。

「……月なんかに流れ着かなければよかった……月の砂なんて無ければよかった……あのままエナジーが尽きるまで銀河をさまよっていればよかったのに……」

 そこまで言って月の猫は思いだしたようにテティスを急かした。

「逃げて、早く。まだ間に合うかもしれない!」

 月の猫はやっと自分で身体を起こすと広間の彼方の窓を指さした。

「あそこから脱出できる。…海へ!」
「あなたも…!」

 テティスの言葉に月の猫は寂しげに微笑んだ。

「わたしはここで死に、また転生して……銀水晶に支配される定めよ……」
「わたしはテティス。せめて名前を……」
「わたしはルナ……哀れな月の猫」

 テティスは走った。そして、飛んだ。母なる海へ……。
 その耳にルナの最後の言葉が残っていた。

「まだこの星は強い生命力を持っている……間に合うかもしれない……お願い、わたしたちに替わって、銀水晶を、あのバケモノを滅ぼして……!」

 テティスが跳躍してまもなく、城は光と共に消滅した。テティスは懸命に水をくぐった。
 そして、重傷を負って漂う彼女を救い上げたのは、ジェダイトによって放たれていた物見の小舟であった。
 港に急送されたテティスは霞む目にジェダイトを認めた。

「ジェダイト……さま……」
「今、医師がくる……口をきくでない」
「……月の砂……海の…滴……銀水晶は…災いでございます……」
「しゃべるなと申しておる」

 テティスの記憶はここで途切れている……。

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