著者のプロフィール
1945年4月 埼玉県熊谷市で生まれる。
第2次世界大戦終戦間際で本土空襲の真っ最中、熊谷の町は終戦の前日8月14日爆撃され町は炎に包まれ多数の犠牲者が出ました。この時、紀夫は防空壕の中で必死に子を守る母親に抱かれて、親の心配をよそに空襲で焼かれる家並みを見てキャキャ笑っていたという。
1961年4月 熊谷高等学校入学。
質実剛健、ばんからの気風が残る男子校。
ガラン、コロンと音を響かせながら下駄履き通学。このお陰で水虫を知らないで過ごせました。水泳の授業の時は6尺ふんどし、学年別に色分けがしてあり、我が学年は赤、すなわち赤の6尺ふんどしで泳ぎました。水泳パンツなんか無くても手拭い1本で泳げる、いい時代でした。
1964年4月 気象大学校入学。
学費は一切かからず、逆に給料をもらって勉強できるという、ナイスな大学。当時は全寮制。昼は授業で、夜は酔っぱらってグランドを駈け、夜遅くまで駄弁り、軽音楽バンドを作りラッパを吹くなどなど、青春を満喫しました。
あっ、授業も人並に受けました。
1968年3月 気象大学校卒業 気象庁の現場へ。
以後まじめな国家公務員としての生活、お天気屋としての生活が始まりました。
盛岡、東京、成田、名古屋、岐阜、長野、鹿児島、熊谷と移り住みました。「住めば都」と人が言うように、人柄、気候、その土地土地の良さは住んでみて初めて分かります。これからもいくつかの町で生活することになると思いますが、たくさん経験できることは幸せなことだと思います。ただし家族にとっては迷惑な話かも知れません。
2006年3月 気象庁定年退職
これまで印象に残っている仕事は、富士山測候所勤務です。夏冬通して交替で富士山頂に勤務する、やさしいけれど、厳しい自然とのたたかいがある富士山勤務。雄大な自然、岩、雪、氷、強風、寒さなど自然の素晴らしさ、そして怖さを教えてくれた富士山頂でした。
「自然を、地球を大切にする生活」がモットーです。
現在の趣味はランニング。10キロ、ハーフ、フルマラソンと各種の大会を駆け巡り、青春ならぬ壮年を満喫しています。どこかの大会でお会いした時はよろしくお願いします。
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