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楽しくも、苦しい過酷なレース。でも、今年も完走できました。(^‐^)
5年連続出場で、4勝1敗、完走率80%になりました。
思えば、
1995年、職場の仲間のイッキさんにそそのかされ(?)、50歳で初出場。なんとか、4時間29分35秒(814位)で完走。
浅間神社前の階段を這うように登り、ゴールで「あなたまでが完走」と言われ、背中をたたかれたのを今でも鮮明に覚えています(実際には最後から4番目)。以後、年甲斐もなく、「富士登山競争症候群」にかかりました。
1996年は、練習不足のため7合目付近の岩場で両足けいれんのためダウン。時間内にはいることの厳しさを知りました。
1997年、年齢制限が55歳未満に引き上げられ、初めて実年齢52歳で出場。
4時間26分30秒(854位)でフラフラのゴールでした。
1998年、大会前に夏風邪を引き必ずしも万全な体調ではありませんでしたが、走り出してからは思いのほか快調で、4時間22分16秒(760位)でゴールできました。
今年、1999年は54歳、公式に出場できる最後の年になりました。一応、富士山については区切りをつける年でしたので、なんとしても完走したいと考えていました。
体力的な衰えを何となく感じていたため、4月から富士山本番に向けて事前調整に万全を期しました。
登谷山をホームコースにして毎週のように山道を走り、各種の大会で距離を走ることにしました。このため、きだるまさんやジュンさん達と赤城山登山ラン、坂道の多い奥日光、北軽井沢マラソン参加など、いつもの年より事前練習をきちんと心がけました。
大会当日は、気象庁の天気予報通り晴れて、気温が高く、しかも日曜日の大会となったため、混雑が激しく、スタート後はズルズルと遅れてしまいました。それでも馬返しは予定より2分遅れで通過できました。
山道に入ってから、例年のように足がつりそうになったため、歩幅を短く、ひたすら歩く、省エネ歩きに切りかえました。次々に後続の人に抜かれましたが《このままでも時間内に入れる》と自分に言い聞かせて歩きました(このあたりが5回連続出場の味でしょうか)。
5合目下で順調に元気に登って行くジュンさんに声をかけられました。あっという間に置いて行かれました。
5合目は予定より3分の遅れで、多くの人に抜かれてはいるが順調に来ている事を確認しました。
しかし、6合目から7合目の岩場では、つりそうになる足をかばいながらの登りのため、鎖のあるところは鎖を伝わって、無いところは上の岩にしがみつきながらの4つ足登山になりました。8合目関門のある本8合の小屋は目の前にあるのに、5分、10分と予定時間をオーバーして、時間ばかり過ぎて行くのには焦りました。
8合目関門通過が3時間54分を過ぎ、制限時間残り35分になってしまいました。
これまでの大会で8合目から山頂までのタイムで最も良かったのが36分台、とにかくきわどい時間になりました。ここでイッキさんの激励を受け、気持ちを切り替える事ができました。《残り山頂までは足がつるような岩場は無い、自分の足に適したガラ場、自己記録で完走》と。
8合目からは必死でした。登山者の方には迷惑をかけたかもしれませんが、少しでも遅い人が前にいると、体を前に持って行って先に出させてもらいました。腰、背中がギシギシ鳴り、バランスは崩れるで、まさに限界そのものの状態でした。
頂上直下になり、上から残り5分、そして4分とのアナウンスが聞こえ、残り3分のアナウンスの時にやっと時間内完走を確信でき、苦しいなかでもジーンと熱いものがこみ上げてきました。
この大会では同じ職場の仲間のサポートが大きな力になりました。。6合目上のKさんのところで飲んだオレンジジュースのうまかったこと、両足がつりそうでぎりぎりの状態で登っていた7合目上でHさんのポカリスエットと消炎スプレーに助けられたこと、完走がきわどく、自分で持っていた水を飲む時間も惜しい気持ちで登っていた8合目で、Fさんが差し出してくれた麦茶により、新たな力がわいて、山頂まで突っ走れたこと等、多くの人に助けられての完走になりました。
公式戦最後の年、制限時間ギリギリとはいえ、完走できて心の底からうれしく感じています。
富士登山競争、心を引き付ける、魅力の大会です。
記録:
中の茶屋 39分03秒
馬返し 1時間06分06秒 (800位)
(27分03秒)
五合目 2時間10分05秒 (975位)
(63分59秒 +175位)
八合目 3時間54分43秒 (849位)
(104分38秒 −126位)
山頂 4時間28分20秒 (808位) (33分37秒 −41位) |