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| 芳川町(ホウガワチョウ) 町名の由来について 『はままつ 町名の由来』神谷昌志著 静岡新聞社 発行 昭和63年7月より。 |
| 芳川町は浜松市に合併前の浜名郡芳川村大字都盛の一部にあたる大橋前と西神出にあたる。 芳川村時代、村の中心であったため、昭和29年市に合併した翌年の昭和30年10月に、旧村名 をとって芳川町とした。町域の西境を芳川が流れ、たすきをかけるような形に国道1号線と国道150 号線が走っており、市東南部の要地となっている。 芳川は二級河川で、市街地を南流して江ノ島町 地先で馬込川に合流している延長9.52Kmの水帯である。 起点は左岸が上新屋町地内、右岸が 中田町地内だ。この川は昔は葭川(ヨシカワ)と言われていたようで、両岸に葭が群生していたため 川の名となったようであるが、それが何時の頃からか芳川となった。明治初期の浜松県記録のなかに 天竜川と大井川を1等河とし、太田川、都田川など15の河川202等河とする…と書かれた文書が残さ れている。この15の河川のなかに、芳川の名が明記されており、浜松県が在奥していた明治4年〜 明治9年の頃には芳川の文字が認知され使用されていた事が判る。芳川村は明治22年の町村制 施行にともない17カ村が合併して成立したもので、役場が都盛におかれた。 芳川村は発足当時は 長上郡であったが、明治29年から浜名郡となった。 |
| 浜松市芳川町から、出土の銅鐸について。 『銅鐸』 日本古代史を解く銅鐸の謎 藤森栄一著 毎日出版文化賞受賞 (株)学生社 発行 昭和39年8月初版発行より。 |
| P−111 静岡県和田・芳川 低湿地からも、突線文鐸が発見されている。 発見地の貴重な写真が掲載されています。 (私が小学校のころ、社会科の野外受業でここを訪れて、銅鐸に興味をもつきっかけになりました。その後ずっと忘れ、社会に出てから、ふと思い出し又興味を持つようになりました。
村井) P−260 銅鐸集成によると、芳川近辺から出土した銅鐸は以下のごとくである。 浜名郡芳川村都盛参野 平地 河中より発見、二ケ入子 明治一年 総高 64.5 突線 六区突線帯文 「掛川史稿 古今要覧稿」P76・75・62 浜名郡和田村永田木船 平地 明治四一年 総高77cm 原始絵画あり 木船大明神の旧社地 浜名郡浜松南方海浜 平地 総高90cm 浜名郡五島村松島 |
| 浜松市芳川町から、出土の銅鐸について。 芳川村 教育會報 昭和8年度より。 |
| 出土地 静岡県濱名郡芳川村都盛堤通(学校北方芳川西岸) 出土品持ち主 全村都盛参野桑原虎雄 出土状況 当時天竜川決壊流水芳川に入り右岸の田畑川欠となり流失し川底亦深まるこの時西岸地表より瓦石の如きものありて小口を表はせり当時安松の人横井菊次郎、柿澤兵衛の両人之を見て奇異に感じ発掘す、鎌首を西にして2個重りて出づ当時の地主桑原を眞清之を収む今に家賃として蔵するものは小なる方1個にして他は明治6年東京博物館に出品の際不明となる。 形状及大さ形状挿絵のごとく鐘状をなし高さ二尺二寸紐高六寸五分身高一尺五寸五分口径六寸三部精密なる模様あるもやや原始的な気分も含まる。 |
| 浜松市内発見の銅鐸 浜松市史1 浜松市役所 昭和43年発行より。 |
| 銅鐸は全国で三百口余発見されている。 静岡県下では現存しないものも含めて24口発見され、 内2口の特殊な小銅鐸を除く22口は、掛川以西の遠江地方に集中している。浜松市内からは、4カ所で6口の発見が知られており、内4口の銅鐸が現存している。 伝三方原出土銅鐸 天明七年(1787年)三方原から銅鐸が出土したことが、『銅鐸図記』という本に記 されている。現在その所在は不明であるが、記録によると総高一尺九寸五分(59cm)とあり、形式は後述する芳川町と和田町で出土した銅鐸と同類であったらしい。出土地点も明らかでない。 浜松南方海岸出土銅鐸 東京大学理学部人類学教室に、大型の銅鐸に付属していたと推測される渦 巻状の飾耳の破片が所蔵されている。渦巻状の飾耳は紐の上端に付くもので、昭和40年(1965年)2月に出土した、引佐郡三ケ日町日比沢の銅鐸と形式的には同類であることが知られる。出土地点については、正確な位置がわからない。南方海岸といえば、中田島砂丘地帯であるから、本銅鐸は砂丘の一角に埋蔵されていたのであろうか。 浜松市和田町永田・木船出土銅鐸 明治41年(1908年)3月6日、天竜川駅の西方、木船神社の祠が建っている西側の畑を切り崩していたときに、2口の銅鐸が発見された。いずれも保存状態は悪く2口の内一方は紐が折れている。現在、東京国立博物館の所蔵品である。 浜松市芳川町ツツミドオリ出土銅鐸 明治元年(1868年)7月、旧芳川村都盛で河川氾濫のあと堤の中腹から、大小二口の銅鐸がいれこになって発見された。発見された地点には現在、銅鐸発見地という石柱が建てられている。二口のうち大きい方の銅鐸は行方がわからなくなってしまったが、三尺くらい (約90cm)あったといわれる大型の優品だったらしい。小さい方の第二号銅鐸は、現在東京国立博物館の所蔵品となっており、総高64.2cmという大きさである。 |
| 銅鐸に関する本の紹介 『銅鐸』藤森栄一 著 学生社 昭和49年11月5日 発行 毎日新聞文化賞受賞 『銅鐸』藤森栄一・桐原 健 著 学生社 1997.5.15 発行 『銅鐸の谷』大野勝美 著 制作 丸善名古屋出版センター 平成6年10月発行 『銅鐸の絵を読み解く』 国立歴史民俗博物館 小学館 1997.3.21 発行 『銅鐸の謎』 大羽弘道 光文社 昭和49年5月31日 発行 『銅鐸の挑戦』 原田大六 著 5巻 六興出版 昭和55年9月30日 発行 『青銅の神の足跡』 谷川健一 著 小学館 1995.4.20 発行 ---------------------------------------------------------------- 『まぼろしの邪馬台国』 宮崎康平 著 講談社 昭和44年12月8日 発行 |
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