笹ヶ瀬隕石・玉薬師如来・蒲郷 蔵福寺・かじやま

遠州・遠江 隕石・天隕石・天降石・隕鉄・石質隕石・星石・神石・隕星・流星石
宇宙からの訪問者・宇宙からの贈りもの・宇宙からのたより・隕石落下

静岡県天然記念物・(ささがせいんせき)

『笹ヶ瀬隕石』

静岡(駿河)県浜松(濱松)市 篠ヶ瀬(笹ヶ瀬・蒲郷 笹箇瀬)町 
増福寺(蔵福寺)・益順・
六所八王子明神

江戸時代・玉薬師如来出生記(元禄元年正月十二日昼前)
塩尻(宝永元年正月十二日夜)・遠江統志(元禄三年正月十二日)・
(尾張藩士 天野信景翁 著 1661〜1733  志本尻・志保之里・紫保慈理)

旅篭町平右衛門記録(宝永・寶永元年正月十二日)・
鸚鵡籠中記(元禄十七年・寶永元年正月十二日)
(朝日定右衛重章 著)

天文同好会 浜松スペースハンタークラブ

笹ヶ瀬隕石について
    昭和30年4月19日県指定天然記念物 
    静岡県教育委員会
この隕石は、元禄元年(1688年)正月12日正午
近く増福寺の西南畑中へ落下したと当時の住職
益順の記録にあり、また天野信景の随筆集 
塩尻、および浜松における古録集 平右衛門記録
にも記載されている。日本にある約70個の隕石
中、最古のもので長径8.6cm、短径7.3cm、
厚さ4.8cm、精先細扁平拳大、全面に細かい
粒状の突起があり、重量695g、比重3.58、
成分はニッケル、鉄、硫黄等である。県下では
最初の発見、かつ唯一の隕石で、現在浜松城内
の郷土博物館に陳列されている。

(注、現在は浜松科学館で展示)
笹ヶ瀬隕石について
    昭和30年4月19日県指定天然記念物 
    静岡県教育委員会

増福寺には、江戸時代に落下した隕石が伝わっ
ています。落下の年代は、寺に残る文書「玉薬師
如来出生記」
の1688(元禄元)年をはじめ、「遠江
統志」の1690(元禄3)年、「旅篭町平右衛門記録」
および「鸚鵡籠中記」の1704(元禄17)年などの記
録があります。
この隕石は拳ほどの大きさで、全
面に細かな凹凸がみられます。1950(昭和25)年
まで、「玉薬師如来」として寺の本道に安置されて
いましたが、現在は浜松科学館で一般に公開して
います。
隕石データ 長径8.6cm 短径7.3cm 厚さ4.8cm
重量695g 比重3.58 成分ニッケル 鉄など
浜松市教育委員会
浜松市篠ヶ瀬町 増福寺前 旧(昭和時代)の立て看板より
(昭和55年撮影)
浜松市篠ヶ瀬町 増福寺前 現在(平成時代)の立て看板より
(平成17年撮影)

笹ヶ瀬隕石落下(695g)推測再現図(浜松から名古屋迄が約100Km、福井県が200Km)
(突入角度30度は仮定・推定・暫定・詳細は不明)・突入方向は亥(北西から北北西)
(満月のように光って落下・鳥騒ぐ)(落下速度が速いと燃え尽きやすいので、ゆっくり落ちて来た方が隕石になりやすい。)
(落下直前・地上から約20〜25Km附近からは、空気抵抗により、垂直状態で落下したと思われる)
(美保関隕石…突入角度 約20度 6.38Kg、 櫛池隕石 突入角度 約35度 約4.5Kg、 根上隕石 約40度 325g)
*本「惑星間塵」山越和雄 著 地人書館 昭和59年6月 発行によると、 1950年代 チェコスロバキアに落下した隕石
「プリプラム」は、突入速度 20.9Km/s
、 1970年1月 アメリカに落下した隕石「ロストシテイ」は、突入速度 
14.2Km/sと記載されている。
*笹ヶ瀬隕石と思われる歴史史料・資料・記録を探しています(是まで調べた史料は下記に有り。)
これ以外の史料・突入角度について・他等ありましたら、ぜひ教えて下さい。(一番下側にメールアドレス画像有り。)
(浜松から200Km範囲内が有力記録ある可能性有り)
*上記画像は Google Earth MAPを利用させていただき作成しました。
*笹ヶ瀬隕石落下は、かなり広範囲(浜松から200Km以内は目視可能)だったと思います。
*浜松からの史料…笹ヶ瀬隕石 玉薬師如来出生記・旅篭町平右衛門記録・引佐町史料 宮田日記・
 遠江統志・嶽南史
*名古屋からの史料…塩尻・鸚鵡籠中記(元禄十七年甲申一月十二日昼落下、鳴音嶋田之宿迄聞こえる。)  
*随筆「降る話」塩尻…近江 増福寺とある。

増福寺 所蔵 篠ヶ瀬隕石記抄 玉薬師如来出生記(一部) 元禄元年正月十二日 益順記録
(同じ和紙に書かれたもの別にあり、塩尻・遠江統志・口伝筆記)
増福寺 開基 天正年間(1573〜1591)
玉薬師如来出生記
元禄元年戊辰の天、正月十二日天晴れ風静かに波平かにして一点の雲もない。時は正午近く西北の
方に紫の雲現れ空中震動雷の様な響がして天地も崩れるかと面われたが、それは何の声かわからな
い。その鳴り音がまだ止まぬ中に一目見ると当寺の西南方36.7間を隔てて空中から畑中へ何か落
ちた様だが忽ちどこからともなく沢山な鳥共が来て飛び舞った。そこえ行って見ると大きい穴があいて
その土中三尺余りも埋まって玉が見出された。これを取り出し持ち帰って香花を供えて礼拝供養した。
附近の善男善女はこの玉を拝もうと集まってくる者日々夜々絶えなかった。私は考えたがどうも判らん
ので村の氏神六所八王子明神に祈願しどういう玉かと伺った処不思議にも仏知力なす処か同十五日
の夜半声あって玉薬師如来と称えよとの神のお告げがあった。そこで御領主の武運長久国家安寧当
山鎮守並に郷中鎮護のため玉薬師如来として当寺へお祭りする事とした。お前立の金仏の薬師如来
は私が若い時師から頂いた金仏であるが師の言によればこの金仏は傳教大師の時の金仏で私に授
与されたものである。 正月大吉日 常楽山増福寺現住益順 謹記
*元禄元年戊辰の天、正月十二日=1688年2月13日
*宝永元年正月十二日=1704年2月16日
遠江統志  天明二年正月書写 東山天皇四年庚午正十二日辰刻落下 
蒲郷笹箇瀬蔵福寺門前堀窄者 治郎兵衛 五太夫 竹三郎 新兵衛
今はそも誰にかくさむ事もなし 天もる影のわが身なりせば 益順夢詫
塩尻  巻之三七  甲申正月十二日の夜遠江國笹ヶ瀬増福寺といふ僧坊の前へ鳴動して隕たるもの
あり夜明て見れは金色の物也始めは黄金降しなんと俗説多かりしか石にて有しかは寺に納め佛前に
置しとそ  春秋僖公十六年正月隕石於宋といへる類なるへし星落て石となる事天文家の説也
星宿は落る事なし中天に行はる流火隕て凝結し石となる光物の落てなるを史に天鼓鳴といへり
(尾張藩士 天野信景翁 著 1661〜1733  志本尻・志保之里・紫保慈理とも書かれる。)
鹽尻 上巻 巻之三七  甲申正月十二日の夜遠江國笹ヶ瀬増福寺といふ僧坊の前へ鳴動して隕たる
ものあり夜明て見れは金色の物也始めは黄金降しなんと俗説多かりしか石にて有しかは寺に納め佛前に
置しとそ  春秋僖公十六年正月隕石於宋といへる類なるへし星落て石となる事天文家の説也
星宿は落る事なし中天に行はる流火隕て凝結し石となる光物の落てなるを史に天鼓鳴といへり
(尾張藩士 天野信景翁 著 百巻本 随筆 鹽尻 上巻 帝国書院刊行 明治40年6月30日 発行
編集者 村瀬兼太郎)
降る話 李家正文 著 一誠社版 昭和九年三月十日 発行
甲申正月十二日の夜、近江國笹ヶ瀬増福寺といふ僧坊此の前へ鳴動して隕たるもの隕ちたるもの
あり。 (鹽尻 巻十三
嶽南史  第2巻 P475 室町幕府時代 隕石 寛正5年(1464)正月十二日、
遠江國笹ヶ瀬村の天空、夜に入て鳴動すること甚だしく、暫くにして増福寺僧坊
の前に墜落する物あり、其音また甚しかりければ、人皆恐れて出で見る者もなし。
夜明るに及び、金色燦然とし、て四方を射れば、遠近集り来り金塊となす。(塩尻)
笹ヶ瀬村は敷智郡にあり、天竜川の西にありて、東海道を距ること遠からず。
(他の史料と年代大きく違い有り、何かの間違いだと思われる。)
蒲のふるさと 鈴木伊平 著 昭和46年9月1日 印刷 
蒲のふるさと年譜 寛正5年(1464)正月篠ヶ瀬に隕石落下す。(注、元禄元年・宝永元年には記載なし。)
(多分、上記 嶽南史から引用したため?、間違いが生じたのでは…。)
旅篭町平右衛門記録 寶永元甲申年正月十二日畫之九ツ時分ヨリ當地郷笹瀬村蔵福寺之地中之
内江、天ヨリ玉壹ツ落申候、此玉四角ヨリて御座候由、いかさてんもく(天目茶碗)程御座候而、貫目
三百拾六匁程御座候而、其玉當御城主本庄安藝守様江戸ニ被成り御座御時、江戸江参候由、
(浜松市史、史料編1 昭和32年 P152 より転載)
鸚鵡籠中記  元禄十七年甲申一月十二日(1704年2月16日)遠州浜松領、西安間村蔵福寺へ、
今日昼比乾(イヌイ・北西)の方より地震のごとく鳴出し、二度夥敷(オビタダシク)鳴り、三度めに成程
少き黒雲出。其内より丸き玉出、蔵福寺の畑へ落。其所之地形二尺斗窪(バカリクボミ)候由、其後
黒雲は如鳴神之響渡り、海辺へ飛行候。 玉は蔵福寺取上げ、紙に包、新敷足折りにのせ、仏前に
上げ、番人付置被申候。 玉の大さ一尺廻り程も可有之、重き玉之由。色は黒め黄色之由。右の鳴音
嶋田之宿迄聞へ、尤(モツトモ)遠方にては雷之様に取沙汰有之。 朝日定右衛重章 著
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笹ヶ瀬隕石の落下記録です。 遠州のニュースが(今日)とは、江戸時代では考えらませんが、筆者は
常に日記に余白を余しておいて、後日の伝聞を付け加えていました。また、鸚鵡籠中記の記事は、
他のものはみな符号していますし、事件の年代も近く、後に尾張徳川家に大切に保存されていることを
考えると、記事の信憑性はかなり大きいと思いますので、あるいは落下年代は鸚鵡籠中記が正しい
かも知れません。 
東亜天文学界 天界 第874号 1998年3月号 鸚鵡籠中記に記録された天文現象 平澤康男
東亜天文学界 天界 第834号 1994年11月号 元禄御畳奉行の記録  篠田皎
「金沢 変異記」千葉市 渡辺美和氏からの提供史料
元禄十七年正月十一日暁星落る事声有鳴動ス 十二日石を三河国**村に落ス事有其音如雷京
へ慥に聞ユ。(三河国**村を、浜松で調べたところ「最勝村」、だが、三河内に「最勝村」が現在
見つかりません。) (2009.10.12 追記)
『近世日本天文史料』大崎正次 編 原書房 1994年(平成6年)2月26日 発行 
p366 「元禄元年正月十二日 丙戌(1688年2月13日) 遠江笹ヶ瀬に隕石
【玉薬師如来出生記】遠江国笹ヶ瀬増福寺住職益順記録文書  元禄元戊辰之天,----
群集来日々夜々無怠. 中略 正月大穀旦常楽山増福寺現住益順? 臾謹記
【塩尻】三十七 宝永元年正月十二日の夜,---(元禄カ) 
『日本暦学史』文学博士 佐藤政次 編著 駿河台出版社 1971年7月30日 発行
p283 「塩尻」巻三七に、「甲申正月十二日の夜、遠江國笹ヶ瀬の増福寺という僧坊の前へ鳴動して
隕たる」ものあり、以下略。 「玉薬師如来出生記」の紹介記事有り。 隕石年表には、元禄1年1月12日 
西紀1688.2.13 遠江笹ヶ瀬鳴動して物落つ。
『明治前 日本天文学史』日本学士院編 発行者 財団法人 野間科学医学研究資料館 1979.10.1 発行
p470 「塩尻」巻三七・「玉薬師如来出生記」の紹介記事有り。明治十八年火災にあい、表面が損傷。
この隕石は昭和二十五年四月に確認され、これは現在学界に知られている最も古い隕石である。
(平成20年現在は3番目に古い隕石。)
趣味の天文学 天文學と傳説 彗星と隕星 P214 永澤譲次 著 雄風館書房 
昭和十一年十二月七日 発行 壹圓六十銭
鹽尻には、甲申正月十二日の夜、遠江國笹ヶ瀬増福寺といふ僧坊此の前へ、鳴動して隕ちたるもの
あり。 夜明て見れは金色の物也。始めは黄金降しなんと俗説多かりしが、石にして有しかば、寺に
納め佛前に置しとぞ云々。とあつて、この隕石は今でも寺に保存されてゐる。

★ 遠州(遠江) 増福寺(蔵福寺)に落下した、笹ヶ瀬(篠ヶ瀬)隕石落下記録一覧表
出典 落下年 月日
時刻
落下地点 著者 注釈
嶽南史 寛政五年
1464年
正月十二日 
夜に入て鳴動
(塩尻)
増福寺門前 嶽南史刊行会
濱松市元城町 開明堂
昭和6年10月
他の史料と年代
に大きなズレ有。
何かの間違いでは?
玉薬師如来
出生記
元禄元年戊辰
1688年
正月十二日
正午前
當山當未申之方面 益順記録 昭和4年頃、軸巻物
より筆者しておいた
物を淨。
原本;笹ヶ瀬四郎兵衛氏
保管、現在なし。
玉薬師如来
和讃
宝永元年
1704年
正月十二日
夜中しんの闇
和田村 笹ヶ瀬村蔵福寺門前 篠ヶ瀬安五郎
昭和二年三月
遠江統志 東山天皇四年
(元禄三年)
1690年
天明二年 正月書写
正月十二日
午前8時頃
笹箇瀬
不明 遠江統志なる史料
探しているが不明。
口伝筆記 元禄六年
1693年
正月十二日 今の用水池
の北
滝沢海雲
(明治34年〜
昭和37年)
(1901-1962)
昭和6年頃、
寺の口伝を記す。
旅篭町
平右衛門記録
宝永元年
1704年
正月十二日
九ツ時分
(正午頃)
笹瀬村
蔵福寺之
地中之内江
平右衛門?
宝暦二年頃
成立?
1752年?
宝永元年は、隕石
落下年ではなく、
江戸へ持参の年
では?。
鹽尻 甲申
宝永元年
1704年
正月十二日の夜 近江國
笹ヶ瀬
増福寺といふ坊の前
天野信景 随筆 降る話
李家正文 著
一誠社版
昭和九年三月十日 発行
塩尻 寶永(宝永)
元年
1704年
正月十二日
の夜
遠江國
笹ヶ瀬
増福寺といふ坊の前
天野信景
(寛文元年〜
享保十八年
1661-1733年
巻37に
「甲申天より石隕し事」
という記事あり
塩尻記録 寶永(宝永)
元年
1704年
正十二日
ノ夜
増福寺前 塩尻よりの転写? 天明二年は随筆
塩尻が門人の手により塩尻百巻本として
編された年。
随筆
鹽尻 上巻
甲申
宝永元年
1704年
正月十二日
の夜
遠江國
笹ヶ瀬
増福寺といふ僧坊
の前
天野信景 巻37
明治四十年六月三十日
発行 金参圓
村瀬兼太郎 著
帝国書院
鸚鵡籠中記 元禄十七年
宝永元年
1704年
今日昼
(正月十二日
昼頃)
遠州浜松領、西安間村蔵福寺 朝日定右衛門
重章
鸚鵡籠中記
(中身の記録かなり
正確)
引佐町史料
第十一集
宮田日記・
清水日記
元禄十七年申
宝永元年
1704年
正月十二日
玉落なる
中郡の内
恒武村寺の
内え五貫目
程成玉の様
成物落
富田日記
(元禄五年〜
宝暦九年
迄の記録)
恒武村は、
増幅寺に近い。
五貫目は大きすぎる。
(1貫=3.75kg)
郷土 和田 宝永元年
1704年

正月十二日
増福寺門前 昭和八年
七月発行

和田小学校
住僧 宗源が
玉薬師として祀った
のに始まる。
笹ヶ瀬隕石関係 年表
増福寺(蔵福寺)開基 天正年間(1573年〜1591年)
笹ヶ瀬隕石落下記録(玉薬師如来・塩尻・遠江統志・
旅篭町平右衛門記録・鸚鵡籠中記)
元禄元年(1688年)・元禄三年(1690年)
宝永元年(1704年)・天明二年(1782年)
*上記より下記迄の間、空白。(記録史料不明) (1783年から1884年の間、史料不明)
増福寺(蔵福寺)火災により焼失 明治十八年(1885年)
玉薬師如来和讃(篠ヶ瀬安五郎によって昭和二年作) 昭和二年(1927年)三月
笹ヶ瀬隕石 静岡県天然記念物に指定される 昭和三十年四月十九日(1955年)


*以下の本(遠州地方郷土史に関する本)内、笹ヶ瀬隕石隕石に関する記述が有る本の紹介。
濱松市史 史料編一 昭和32年12月20日発行 旅篭町平右衛門記録
笹ヶ瀬村隕石之事
嶽南史 嶽南史刊行会
濱松市元城町 開明堂
昭和6年10月10日
隕石 寛政五年正月十二日 (塩尻)
『土のいろ』集成 第十巻  昭和33年93号 昭和35年100号 篠ヶ瀬増福寺の玉薬師如来和讃 (渥美静一 著)
浜松の史跡 浜松史跡調査顕彰会
昭和51年3月発行
増福寺の笹ヶ瀬隕石(篠ヶ瀬町)
元禄元年正月十二日・塩尻・平右衛門
笹ヶ瀬隕石資料集 関連資料特集
昭和56年12月23日発行
天文同好会 浜松スペースハンタークラブ発行 絶版

*以下の本(遠州地方郷土史に関する本)内、笹ヶ瀬隕石隕石に関する記述が無い本の紹介。
(笹ヶ瀬隕石に関する記載はないが、浜松近辺の社会情勢・時代背景(隕石落下年代調査)を知るのに参考になり。
浜松近辺の時代背景 笹ヶ瀬隕石落下年代・浜松近辺の年表 出典
本庄家譜 松平家文書
元禄十二年〜享保八年
元禄十五年・元禄十六年・宝永元年の部分
笹ヶ瀬隕石に関する記載は無し。

出典(糸井文庫 本庄松平家文書 京都府舞鶴市所蔵)
静岡県史 資料編9
近世1 平成4年刊
静岡県
随庵見聞録
(鶴見町の斉藤重道が正徳四年 1714年に筆写)
随庵  延宝八年(1680年)六月十一日出発、
浜名湖周辺を調査。
はままつ歴史発見
神谷昌志 静岡新聞社
遠江國風土記傳 巻第五
内山真龍著
(寛政十一年刊)1799年
第五章 長上郡・第二節 郷村・笹箇瀬 蔵福寺
あるが、笹ヶ瀬隕石に関する記載はなし。
復刻版・昭和55年
(有)日本佛書センター
製作
遠江 七号 『遠江統志』の名前に近い、『遠州一統志』が記載
されているが、 笹ヶ瀬隕石に関する記載は無し。
浜松史跡調査顕彰会
昭和59年3月発行
遠江新風土記 第1・2巻 笹ヶ瀬隕石に関する記載は無し。 笹田康次 著
遠江文化会
昭和62年・64年発行
はままつ歴史発見 笹ヶ瀬隕石に関する記載は無し。 神谷昌志 著
静岡新聞社・昭和62年発行
遠州の史話 笹ヶ瀬隕石に関する記載は無し。 神谷昌志 著
静岡新聞社・平成2年発行
みつの春・濱松店日記 笹ヶ瀬隕石に関する記載は無し。 浜北市教育委員会
平成十三年二月発行
駿國雑志 笹ヶ瀬隕石に関する記載は無し。 阿部正信 著
吉見書店 昭和52年5月発行
増訂 武江年表 1 元禄元年(1688年)・ 寶永(宝永)元年(1704年)
笹ヶ瀬隕石に関する記載は無し。
平凡社 1981.3.1 発行
定本 武江年表 上 元禄元年(1688年)・ 寶永(宝永)元年(1704年)
笹ヶ瀬隕石に関する記載は無し。
筑摩書房 2003.10.8 発行

『笹ケ瀬隕石資料集』浜松スペースハンタークラブ発行(昭和56年12月発行)絶版
江戸時代(元禄元年1688年)、笹ケ瀬村 増福寺(当初は蔵福寺と書き、蒲郷笹箇瀬にあった。)
(現在の、静岡県浜松市篠ヶ瀬町)に落下した隕石。
先年までは落下年代の確かなものとしては、日本最古であったが、現在では3番目になっている。
増福時は、明治18年火災にあい全焼。
昭和25年、日本天文研究会会長 神田茂氏によって世に紹介された。 
落下年代は寺の記録『玉薬師如来出生記 元禄元年正月十二日』
(1688年2月13日 11時から12時ころ)とされている。 しかし寺には、複数の古文書(書写)
があり、さらに近年別の史料(鸚鵡籠中記)などが見つかり、それぞれに落下年代の相違がある。 
遠江統志(元禄3年 1690年)・口伝筆記(元禄六年 1693年)・
旅篭町平右衛門記録(寛永元年 1704年)・塩尻(1704年)・塩尻記録(宝永元年 1704年)・
鸚鵡籠中記(元禄十七年 1704年)、これら年代の違いについて各地の専門家・HSHCが
現在調査している現状であるが、決定打となる史料がなかなか発見出来ない。
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『隕石』宇宙からの贈りもの 島正子著 東京化学同人 1998年5月発行
この本の中には、マウンダーミニマム(太陽活動が静かな時、丁度笹ヶ瀬隕石落下年代)について、
書かれている。マウンダーミニマムの時代に落下している隕石は2個のみである。
(そのうち1個が笹ヶ瀬隕石である。)さらに隕石中に含まれる、宇宙線生成核種・質量39のアルゴン
と比較すると銀河宇宙線の強さがわかるとの事。笹ケ瀬隕石を分析すると良い研究材料になるが、
わが国の特殊事情により研究試料として使用されていない。
(静岡県県指定文化財になっているため切断する事出来ない。)
★日本に落下した隕石の古記録(記録に残っている最初の記録・現物は無い)
天平寛字八年九月十八日(764年10月17日) 星恵美押勝臥屋ノ上ニ落ツ
続日本紀・日本紀略 (日本天文史料 下巻 神田茂編) 
★日本に落下した隕石リスト 石質(球粒)隕石(41個のうちの3個のみ紹介。)
1 直方     861年5月19日 福岡県直方    0.472Kg  石質(球粒)隕石
2 南野    1632年9月27日 名古屋市南区  1.04 Kg  石質(球粒)隕石
3 笹ケ瀬   1688年2月13日 静岡県浜松市  0.695Kg  石質(球粒)隕石
誠文堂新光社 天文年鑑 2005年版 隕石(米田成一) P−214より。
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直方隕石(のうがた・のおがた)…昭和54年(1979年) 地元のラジオ放送局の放送から、
隕石の存在に気が付き調査され、村山定男氏により確認された。世界最古の隕石である。
桐の箱に入ったこぶしくらいの「直方隕石」があり、箱の裏には「貞観三年四月七日二納ム」
(861年)と墨で書いてある。
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南野隕石…寛永9年(1632)9月27日(旧暦8月14日)夜子下刻(午前0時頃)落下、
東京国立博物館にある尾張名所図絵付録小治田真清水にも落下の様子が記録されている。
この隕石は代々、塩田の庄屋村瀬家に保管されてきたが、文政12年(1829)喚続神社に寄進され、
明治14年(1881)に箱を作って社宝にした。社宝のためほとんど人目にふれることはなかったが、
氏子の間では口伝えに、空から降ってきた石と伝えられていた。隕石と確認されたときは日本最古、
現在は日本で2番目に古い隕石である。昭和51年(1976)に学会に知られた。
(参考記事…月刊 天文と気象1977年2月号 日本最古の隕石・南野隕石始末記)
(参考記事…月刊 天文ガイド 1980年4月号 直方隕石の確認 村山定男)
『笹ケ瀬隕石落下年代に関して』の調査資料。
『笹ケ瀬隕石資料集』浜松スペースハンタークラブ発行(昭和56年12月発行)
隕石落下史料に関する疑問点と落下年代の推定 浜松市 小和田稔
『笹ケ瀬隕石落下年代に関して』の調査資料。
東亜天文学会発行『天界』1994年11月号、
『元禄 御畳奉行が記録した笹ヶ瀬隕石』 京都市 篠田  皎
『笹ケ瀬隕石落下年代に関して』の調査資料。
東亜天文学会発行『天界』1998年3月号、
『鸚鵡籠中記』に記録された天文現象 元禄時代の名古屋城お畳奉行の日記より 
名古屋市
 平澤康男
『笹ケ瀬隕石落下年代に関して』の調査資料。
『新版 遠州天文発掘行』1998年3月31日発行
笹ケ瀬隕石新資料の発見 
浜松市 小和田稔
『笹ケ瀬隕石落下年代に関して』の調査資料。
東亜天文学会発行『天界』2000年3月号、
『笹ヶ瀬隕石落下年代の改訂に関する中間報告』 浜松市 村井陽一
『笹ケ瀬隕石落下年代に関して』の調査資料。
東亜天文学会発行『天界』2002年3月号、
『笹ヶ瀬隕石落下年代についてお願い』 京都市 篠田  皎
『笹ケ瀬隕石落下年代に関して』の調査資料。
静岡新聞社 2003年7月10日発行
『石は語る 畑に届いた宇宙の贈り物 笹ケ瀬隕石』(小和田・村井) 静岡新聞社
『笹ケ瀬隕石落下年代に関して』の調査資料。
東亜天文学会発行『天界』2004年3月号、
『時は元禄・天からの届き物』 笹ケ瀬隕石に関する新事実の発見 
茨城県つくば市 松江千佐世
『笹ケ瀬隕石落下年代に関して』の調査資料。
東亜天文学会発行『天界』2004年6月号、
『笹ヶ瀬隕石の落下年代に関する論考』 京都市 篠田  皎
『遠江國風土記傳』 内山真龍著(寛政十一年・1799年)
巻第五 第五章 長上郡 第二節 郷村 笹箇瀬 蔵福寺には、隕石に関する記載ありません。
復刻版 昭和55年 日本佛書センター製作
『笹ケ瀬隕石落下年代に関して』の調査資料。
引佐町史料第十一集 富田日記・清水日記礎石集 昭和54年3月31日発行 引佐町教育委員会
元禄十七年申 正月十二日玉落なる中郡の内 恒武村の内え何共しれぬ石共金共見分けならぬ
五貫目程成玉の様成物落申候沙汰なり
(今まで図書館などで、笹ヶ瀬隕石に関連する資料を探していたが、やっと新史料出てきた。
ただ、年代はこれまでの史料と一致しているが、恒武村・五貫目?が問題である。 
落下年代説…元禄元年・元禄三年・元禄十七年などがある。 平成17年5月 村井)
静岡県内に落下?した隕石記録。
『真龍日記』(静岡県天竜市)文化14年(1817年)3月4日
正月十七日
夜五ツノ中刻 天変 火光玉東方ヨリ西方ニ飛 玖延寺背山ノ方ヨリ渡ケ嶋村ノ原ニ
至テ散テ落ル時三ツニ成 是ハ二俣横町ニテ見届大谷ノ天ヨリハ南天ニ當火光落散テ地雷ト之
新版 遠州天文発掘行 真龍日記の隕石落下記録 (村井・小和田)
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『駿国雑志』1817年(文化十四年)11月、有渡郡廣野村(現在の静岡市広野)
天気晴れ、牛の剋計り、轟音を響きして、西南の庭上に落ちる物有り。卵兵衛奇とし、
是を拾ふに小石也。其熱事火の如し。
(静岡地学 第83号 2001年6月 静岡市広野に落下した隕石を探して 寺田昭)
(東亜天文学会 2002年4月号 静岡隕石(仮称)の落下について 篠田  皎)
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『大毎』新聞 明治30年(1897年)3月14日
静岡県引佐郡鳶の巣山の内字渋川の寶緑石と云へる所去八日午後二時頃鳴動し其響恰も
雷のごとく地盤の震動すること凡二三分間にして煙の如きもの天に立ち昇り二里余を隔りたる
地よりも能く之を望見するを得たりと云う。
東亜天文学会 天界 第789号 1991年2月号より。隕石が三個落ちた年 篠田  皎
新版 遠州天文発掘行 引佐町の隕石落下記録 小和田稔
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『土のいろ』1921年(大正十年)3月、浜松の南郊・米津海岸に隕石落下
米津隕石 薄片の検鏡…此の隕石は、大正十年三月浜松の南部米津海岸に落下し、
砂中一間半の深さ迄埋没したもので、西遠高校長岡本氏が採集され、その一部を余に寄与
されたので、物理学的・化学的・鉱物学的研究をして天覧に供した。
この隕石は比重が2.663で、金属鉱(物)の至って少ない隕石に属する。
『土のいろ』…集成 第四巻 1982年3月ひくまの出版(復刻版)
(HSHC内で史料の裏付け作業・確認をしたが、現在同定する資料見つかっていない。)

流星・隕石に関連(掲載)する本(一部紹介)
*笹ヶ瀬隕石資料集 浜松スペースハンタークラブ 発行 昭和56年12月発行 絶版
 (国会図書館・静岡県立図書館・浜松市中央図書館・浜松市天文台に寄贈して有り。)
*石は語る 静岡新聞日曜版 笹ヶ瀬隕石 静岡新聞社 2003年7月 発行
*隕石 宇宙からの贈りもの 島 正子 著 東京化学同人 1998年5月25日発行
*隕石 宇宙からのタイムカプセル F・ハイデ 著 野上長俊訳 シェプリンガー・フエアラーク東京
*隕石の科学 島 誠 著 玉川選書 1977年2月発行
*気仙天隕石物語 日本最大の隕石と長円寺 昭和54年6月 発行
*流れ星・隕石 藤井 旭 あかね書房 1996年 発行
*隕石目録 神奈川県立生命の星・地球博物館 平成8年1月 発行
*隕石コレクター リチャード・ノートン著 江口あとか訳 筑地書館 2007.6.15 発行
*流星塵とその測定法 顕微鏡でみる天文学 森久保 茂 銀河書房 昭和61年8月 発行
*鉄の歴史と化学 田口 勇 著 裳華房 1995年1月 発行
*星の古記録 斉藤国治 著 岩波新書 1982年10月 発行
*新版地学教育講座 太陽系と惑星 隕石が語る太陽系の歴史 地学団体研究会
 (東海大学出版会 1995年 発行)
*太陽系の化学 (隕石の多様性・始源的隕石・分化隕石・隕石の形成期間と相対年代・
  隕石の宇宙線照射年代と落下年代) 海老原 充 著 裳華房
*流星にむかう 長沢工 著 地人書館 昭和47年1月 発行
*流星観測ガイドブック 日本流星研究会編 誠文堂新光社 1974年11月 発行
*流れ星の文化誌 渡辺美和・長沢 工 著 成山堂書店 平成12年3月 発行
*近世日本天文史料 大崎正次 編 原書房 1994年2月 発行
*甲子夜話続編 全8巻 東洋文庫369 平凡社 1980年 発行
*鸚鵡籠中記 朝日文左衛門 

★ 隕石に関する本の紹介
書籍名 著者 発行所 発行年代 笹ヶ瀬隕石に関して掲載(有・無し)
雲根志(復刻版)
(石に関する専門書)
今井功 築地書館 昭和44年(1969年)
11月10日
安永2(1773)年前編を発行、
安永8(1779)年に後編を、
享和1(1801)年に三編を発行。
笹ヶ瀬隕石に関して掲載無
珍しい隕石の話 加瀬 勉 岩波書店 昭和四年(1929年)
六月十五日
笹ヶ瀬隕石に関して掲載無
宇宙塵・隕石 島 誠 紀伊国屋新書 昭和32年(1957年)
5月31日
玉薬師如来出生記 記載有り
隕石の科学 島 誠 玉川選書43 1977年2月1日 薬師如来記 記載有り
惑星間塵 山越和雄 地人書館 昭和59年6月20日 笹ヶ瀬隕石に関しては掲載・無し

宇宙のエメラルド・蒼き地球を永遠に(天文堂) ・ 星空への情熱よ、いつまでも…!(HSHC.Y.H)
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