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増福寺 所蔵 篠ヶ瀬隕石記抄 玉薬師如来出生記(一部) 元禄元年正月十二日 益順記録
(同じ和紙に書かれたもの別にあり、塩尻・遠江統志・口伝筆記)
増福寺 開基 天正年間(1573〜1591) |
玉薬師如来出生記
元禄元年戊辰の天、正月十二日天晴れ風静かに波平かにして一点の雲もない。時は正午近く西北の
方に紫の雲現れ空中震動雷の様な響がして天地も崩れるかと面われたが、それは何の声かわからな
い。その鳴り音がまだ止まぬ中に一目見ると当寺の西南方36.7間を隔てて空中から畑中へ何か落
ちた様だが忽ちどこからともなく沢山な鳥共が来て飛び舞った。そこえ行って見ると大きい穴があいて
その土中三尺余りも埋まって玉が見出された。これを取り出し持ち帰って香花を供えて礼拝供養した。
附近の善男善女はこの玉を拝もうと集まってくる者日々夜々絶えなかった。私は考えたがどうも判らん
ので村の氏神六所八王子明神に祈願しどういう玉かと伺った処不思議にも仏知力なす処か同十五日
の夜半声あって玉薬師如来と称えよとの神のお告げがあった。そこで御領主の武運長久国家安寧当
山鎮守並に郷中鎮護のため玉薬師如来として当寺へお祭りする事とした。お前立の金仏の薬師如来
は私が若い時師から頂いた金仏であるが師の言によればこの金仏は傳教大師の時の金仏で私に授
与されたものである。 正月大吉日 常楽山増福寺現住益順 謹記 |
*元禄元年戊辰の天、正月十二日=1688年2月13日
*宝永元年正月十二日=1704年2月16日 |
遠江統志 天明二年正月書写 東山天皇四年庚午正十二日辰刻落下
蒲郷笹箇瀬蔵福寺門前堀窄者 治郎兵衛 五太夫 竹三郎 新兵衛
今はそも誰にかくさむ事もなし 天もる影のわが身なりせば 益順夢詫 |
塩尻 巻之三七 甲申正月十二日の夜遠江國笹ヶ瀬増福寺といふ僧坊の前へ鳴動して隕たるもの
あり夜明て見れは金色の物也始めは黄金降しなんと俗説多かりしか石にて有しかは寺に納め佛前に
置しとそ 春秋僖公十六年正月隕二石於宋一といへる類なるへし星落て石となる事天文家の説也
星宿は落る事なし中天に行はる流火隕て凝結し石となる光物の落てなるを史に天鼓鳴といへり
(尾張藩士 天野信景翁 著 1661〜1733 志本尻・志保之里・紫保慈理とも書かれる。) |
鹽尻 上巻 巻之三七 甲申正月十二日の夜遠江國笹ヶ瀬増福寺といふ僧坊の前へ鳴動して隕たる
ものあり夜明て見れは金色の物也始めは黄金降しなんと俗説多かりしか石にて有しかは寺に納め佛前に
置しとそ 春秋僖公十六年正月隕二石於宋一といへる類なるへし星落て石となる事天文家の説也
星宿は落る事なし中天に行はる流火隕て凝結し石となる光物の落てなるを史に天鼓鳴といへり
(尾張藩士 天野信景翁 著 百巻本 随筆 鹽尻 上巻 帝国書院刊行 明治40年6月30日 発行
編集者 村瀬兼太郎) |
降る話 李家正文 著 一誠社版 昭和九年三月十日 発行
甲申正月十二日の夜、近江國笹ヶ瀬増福寺といふ僧坊此の前へ鳴動して隕たるもの隕ちたるもの
あり。 (鹽尻 巻十三) |
嶽南史 第2巻 P475 室町幕府時代 隕石 寛正5年(1464)正月十二日、
遠江國笹ヶ瀬村の天空、夜に入て鳴動すること甚だしく、暫くにして増福寺僧坊
の前に墜落する物あり、其音また甚しかりければ、人皆恐れて出で見る者もなし。
夜明るに及び、金色燦然とし、て四方を射れば、遠近集り来り金塊となす。(塩尻)
笹ヶ瀬村は敷智郡にあり、天竜川の西にありて、東海道を距ること遠からず。
(他の史料と年代大きく違い有り、何かの間違いだと思われる。) |
蒲のふるさと 鈴木伊平 著 昭和46年9月1日 印刷
蒲のふるさと年譜 寛正5年(1464)正月篠ヶ瀬に隕石落下す。(注、元禄元年・宝永元年には記載なし。)
(多分、上記 嶽南史から引用したため?、間違いが生じたのでは…。) |
旅篭町平右衛門記録 寶永元甲申年正月十二日畫之九ツ時分ヨリ當地郷笹瀬村蔵福寺之地中之
内江、天ヨリ玉壹ツ落申候、此玉四角ヨリて御座候由、いかさてんもく(天目茶碗)程御座候而、貫目
三百拾六匁程御座候而、其玉當御城主本庄安藝守様江戸ニ被成り御座御時、江戸江参候由、
(浜松市史、史料編1 昭和32年 P152 より転載) |
鸚鵡籠中記 元禄十七年甲申一月十二日(1704年2月16日)遠州浜松領、西安間村蔵福寺へ、
今日昼比乾(イヌイ・北西)の方より地震のごとく鳴出し、二度夥敷(オビタダシク)鳴り、三度めに成程
少き黒雲出。其内より丸き玉出、蔵福寺の畑へ落。其所之地形二尺斗窪(バカリクボミ)候由、其後
黒雲は如鳴神之響渡り、海辺へ飛行候。 玉は蔵福寺取上げ、紙に包、新敷足折りにのせ、仏前に
上げ、番人付置被申候。 玉の大さ一尺廻り程も可有之、重き玉之由。色は黒め黄色之由。右の鳴音
嶋田之宿迄聞へ、尤(モツトモ)遠方にては雷之様に取沙汰有之。 朝日定右衛重章 著
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笹ヶ瀬隕石の落下記録です。 遠州のニュースが(今日)とは、江戸時代では考えらませんが、筆者は
常に日記に余白を余しておいて、後日の伝聞を付け加えていました。また、鸚鵡籠中記の記事は、
他のものはみな符号していますし、事件の年代も近く、後に尾張徳川家に大切に保存されていることを
考えると、記事の信憑性はかなり大きいと思いますので、あるいは落下年代は鸚鵡籠中記が正しい
かも知れません。
東亜天文学界 天界 第874号 1998年3月号 鸚鵡籠中記に記録された天文現象 平澤康男
東亜天文学界 天界 第834号 1994年11月号 元禄御畳奉行の記録 篠田皎 |
「金沢 変異記」千葉市 渡辺美和氏からの提供史料
元禄十七年正月十一日暁星落る事声有鳴動ス 十二日石を三河国**村に落ス事有其音如雷京
へ慥に聞ユ。(三河国**村を、浜松で調べたところ「最勝村」、だが、三河内に「最勝村」が現在
見つかりません。) (2009.10.12 追記) |
『近世日本天文史料』大崎正次 編 原書房 1994年(平成6年)2月26日 発行
p366 「元禄元年正月十二日 丙戌(1688年2月13日) 遠江笹ヶ瀬に隕石
【玉薬師如来出生記】遠江国笹ヶ瀬増福寺住職益順記録文書 元禄元戊辰之天,----
群集来日々夜々無怠. 中略 正月大穀旦常楽山増福寺現住益順? 臾謹記
【塩尻】三十七 宝永元年正月十二日の夜,---(元禄カ) |
『日本暦学史』文学博士 佐藤政次 編著 駿河台出版社 1971年7月30日 発行
p283 「塩尻」巻三七に、「甲申正月十二日の夜、遠江國笹ヶ瀬の増福寺という僧坊の前へ鳴動して
隕たる」ものあり、以下略。 「玉薬師如来出生記」の紹介記事有り。 隕石年表には、元禄1年1月12日
西紀1688.2.13 遠江笹ヶ瀬鳴動して物落つ。 |
『明治前 日本天文学史』日本学士院編 発行者 財団法人 野間科学医学研究資料館 1979.10.1 発行
p470 「塩尻」巻三七・「玉薬師如来出生記」の紹介記事有り。明治十八年火災にあい、表面が損傷。
この隕石は昭和二十五年四月に確認され、これは現在学界に知られている最も古い隕石である。
(平成20年現在は3番目に古い隕石。) |
趣味の天文学 天文學と傳説 彗星と隕星 P214 永澤譲次 著 雄風館書房
昭和十一年十二月七日 発行 壹圓六十銭
鹽尻には、甲申正月十二日の夜、遠江國笹ヶ瀬増福寺といふ僧坊此の前へ、鳴動して隕ちたるもの
あり。 夜明て見れは金色の物也。始めは黄金降しなんと俗説多かりしが、石にして有しかば、寺に
納め佛前に置しとぞ云々。とあつて、この隕石は今でも寺に保存されてゐる。 |