1993年3月


「監督」03/11 09:29

 ふと、海老沢泰久の「監督」を読んでみようという気になった。斎藤や野地も彼はいいと言うし。いままで読まなかったのは、単に広岡がきらいだったからなのだが、ヤクルトが冗談のような優勝をしてしまったので、安心して読もうかなという気にもなろうというものである。でも、すでに本屋には見当たらないのである。ということで,読まないような気がする。

 というわけで、最近読んだ本のおすすめは、寿岳章子の「日本語と女」(岩波新書)です。日本語での使い方や呼び方などから、女性がどのような位置にあったかや、その後の変化の分析をするという本である。でも、そんなに本格的に分析しているわけではない。まず最初の女性のことばということは、けっこう小説を書く上で参考になるので、野地や額賀さんなんかも読むといいと思った。演歌やフォークソングでの女性に描き方の分析はまあ、予想通りというか、演歌もフォークソングも弱い私を守ってとか、じっと耐える女性ばっかりだったりする。でも1975年の分析なので、今、ドリカムや寺田恵子なんかをみると、どうなるかなあとも思ってしまう。後半の京都の農村において、水道をつくるために女性がいかに運動してきたかというのは、なかなか感心してしまう読み物である。というのも、農家の嫁は普通はそんなことには口出しすらさせてもらえなかったのであるから、それが言いにくいことをどんどん家庭においても言うように意識を変えていったということである。けっこう体力が必要である。80年の時点ですでに、妻が夫のことを他人に対して「主人」と言うのをためらうようになった人がふえてきたという。最後は夫婦喧嘩についてであって、喧嘩もしなくなったら離婚だということである。なんせ古い岩波新書なので(黄版)、在庫は切れているかもしれないけれど、読んでも面白い本なので、古本屋で見たら買いです。
 あとは、エレイン・ショーウォールター編の「新フェミニズム批評」(岩波書店)を読んだな。おもしろかったけど、すすめたりはしない。最近彼女の「女性自身の文学」という評論がみすず書房から出たのだけれど、6000円以上もするので、なかなかである。ペドロ・アルモドバルの「ペティ・ディプーサ」(水声社)は、映画と同じようなノリの笑える本です。薄いのですぐに読めます。今はようやく本棚から発見した佐藤春男の「厭世家の誕生日」(岩波文庫)を読んでいます。この人、谷崎とのことでちょっと話題だよね。大江健三郎の「壊れものとしての人間」(講談社文芸文庫)と鷺沢萠の「海の鳥・空の魚」とスーザン・ソンタグの「ラディカルな意思のスタイル」(晶文社)も読んだ。「ニューゴシック」(新潮社)ももうすぐ読み終わる。映画はね、「魚のスープ」と「ポイズン」を見た。「魚のスープ」はなかなか良かったけど「ポイズン」はおもしろくなかったぞ。あと,以前から見たかったJ.L.ゴダール監督の「彼女について私が知っている二,三の事柄」も見た。ゴダールだったな。

 本棚もようやく買ったし,昨年の反省から,大きなリュックサックも買った。これで山に行ける。


「こちら葛飾区水元公園前通信97」03/17 14:47

 円が高くなっている。おかげで、最近外貨預金を始めたかみさんは、元気がない、というほどでもないが。

 いきなり変な出版社から、オクタビオ・パスの「大いなる日々の小さな年代記」という本が出たので、つい買ってしまった。原著は1990年の政治論集である。以前「くもり空」という本で、東欧はユーゴスラビアを除いては自由主義に向かうと書いていたのに、そのユーゴがいちばん悲惨な状況になってしまったもんな。その後の見解には興味があった。まあ、あまりふれていなかったけど。


「秋刀魚の味」03/23 09:30

 昨日、18日、テレビでやっていた小津安二郎監督の「秋刀魚の味」を見てしまった。山下志麻が可憐だった。岡田茉莉子がぷりぷりしてかわいかった。岸田今日子もかわいかった。という時代なんだなあと思ってしまった。中村伸郎はわからなかったな。で、セリフがなんかみんな棒読みみたいな感じで変だったけど。親に対する言葉使いとかが妙によそよそしいセリフなのに、心情的にはあまり尊敬もしていないようなところが、当時の親子は形式的な面と心情的な面での乖離が大きかったのかなあと思ってしまうのでした。今は言葉使いもそんなによそよそしくならないもんね。中薗は背筋がぞぞっとして見ていられないと言っていたな。ぼくはけっこう楽しんで見てしまったけど。
 ふと思ったのだけれど、この映画って、封建的な形式と現代的な自我の谷間にあるような気がする。だからセリフに違和感があるのかもしれない。

 明日は温泉だ。釣りもする。今回はオキアミを用意したぞ。何が釣れるのか知らないけど。

 という間に、帰ってきました。土曜日は異常に寒い一日で、しんどかったです。釣れたのはベラ(みんなつれた。久保庭さんは大物を釣った)、カサゴ(小さいのですべてリリース)、アカギス(そういう魚がいるらしい)、メジナ(大関と水野が釣った)、メバル(魚をさばいて、ウロコなどを海に捨てたら、それがコマセになった集まってきた。ぼくのさおにかかった。)といったところです。魚がすれていないので、けっこうかかった。でも調理のしようがないので困った。大きなベラとアカギスはサシミに、あとは塩焼きや鍋にしたけど、携帯用コンロでは限界があるのであった。塩焼きがおいしいな。そういったことで、温泉とビールであった。
 修善寺のなな番のそばはおいしかった。わさびが一人1本ついてくる。自分でおろさなくてはおけない。このわさび、当然使いきれないから、持って帰ることになる。よって、日曜日の夕食はおさしみということになる。葉も炒めて食べた。

 近所の酒屋でキリンのコープランドがあったので、つい買ってしまった。これはけっこうおいしいビールなのでうれしい。


「TARZAN」03/26 09:29

 TARZANという雑誌の最新号の特集は「お腹」である。お腹に脂肪がつくメカニズムにはじまって、脂肪をとるストレッチ体操とかも載っている。参考までにと思ってストレッチ体操のところを読んでいたのだが、最後にきて笑ってしまった。こうしたストレッチをしても腹筋がつくだけで、お腹の脂肪はとれない。脂肪を燃やすためには、長い時間歩いたり自転車に乗ったりすることが有効であるということだ。つまり、夏を前にたくましくてすっきりしたお腹やウエストをつくるストレッチだったというわけだ。しかしまあ、夏を前にお腹の脂肪をなくすということは、ぼくにとって重要である。以前、野菜と果物の特集は買ったけど、今回はどうしようか、ちょっと考えてしまった。

 ところで今月のSFマガジンを見て,黒丸尚の訃報(「ニューロマンサー」、「ソフトウェア」などの訳者である)が載っているのでびっくりしてしまった。うーん、訳の強引なノリは嫌いではなかったな。やりすぎることもあったけどさ。まだ41才だったそうだ。ギブスンの次の作品はどうなってしまうのだろうか。あと、ムアコックの短編が載っていたので、図書館で読もうと思うのであった。遠い昔、SFマガジンの時間SF特集のときに載った「時を駆る種族」の続編である。

 ブライアン・フェリーの「TAXI」は、全部カバーなんだけど、ブライアン・フェリーの曲にしか聞こえないところがすごい。プレスリーのカバーはしているし、トラディショナルの「アメイジング・グレース」とか、なかなか強引にアレンジしている。でも新しいものはないので、おすすめはしない。悪くはないけどさ、「アバロン」や「ボーイズ・アンド・ガールズ」には及ばないな。


「重力の虹」03/31 09:30

 とうとうトマス・ピンチョンの「重力の虹」(国書刊行会)のTが出た。Uは5月に出るとのことである。これはまずいと思い、その前に読もうと思って同じピンチョンの「V」(国書刊行会)のTとUを買いに本屋に行った。そうしたら、ルーディ・ラッカーの「思考の道具箱(原題Mind Tools)」(工作舎)が出ていたのでそれまで買ってしまった。これだけでも1万円をこすというのに,斎藤推薦の「ゾウの時間 ネズミの時間」と「十九、二十」まで買ってしまった。びんぼうになった。ということで、「重力の虹」はまだ買っていない。最近読んだ本は、中平まみ「シュガーコオトを着た娘」(角川文庫)、原田宗典「しょうがない人」(集英社文庫)、奈良ナントカ(忘れた)の「チンドンジャン」(集英社文庫)、辻仁成「クラウディ」(集英社文庫)である。中平まみは30代、40代の男女が10代の男女のような恋愛をするので、それ自体は貴重だと思うけれど、相手の男が見事なくらい貧相に描かれているのもすごい。だから早く別れちゃえと思いながら読める。でもそんなにおもしろいわけではない。原田宗典はおもしろかったな。奈良ナントカはちょっとおもしろかったけど。辻仁成の小説って、ロックの歌詞をそのまま行くような感じで、妙になっとくしてしまうけど、主人公にガールフレンドがいるのは許せない。どうせ絶望するなら、いない方がいいのにと思ってしまった。朝日新聞の文芸時評で大江健三郎が立松和平を例外として他の若い作家の多くは現実に対するリアリティーから遠ざかっていると書いていた。でもどうなんだろうな。書き出すと長くなりそうだけど、日本の若い世代にとって、現実のリアリティーって矮小なものにされてしまっているのかもしれないと思う。日本にいる外国人によって、新しい小説が書かれるかもしれないとも思う。

 土曜日はアーニ出版主催の「エイズ・教育・人権」というテーマの討論会を見に行った。今回のFU−MOの小説がエイズをテーマにしていたためだったんだけれど、動くゲイオ・レズビアンの会の人やロスから帰ってきた人の話なんぞも聞けて有益だったな。日本製のコンドームは薄くていいけど、やぶれそうでこわいとか,エイズをふせぐためには、コンドームの2枚重ねをするとか。ゲイの人は恋人募集中だとかレズビアンの人はまだ父親に知らせていないとか。個別にしてしまうと伝わらないけれども、いろいろな話があったのである。最後までいられなかったのが残念なのだけれど、その理由はスパイク・リー監督の「マルコムX」を見るため。これは3時間以上もあって疲れる。内容からは2時間でいいなと思う。映画じゃなくって、マルコムのメッセージが全面に押し出されるフィルムであった。メッセージ自体はパワーはあるんだけどな。映画は最初のダンスシーンで終わりである。内容がないものではないので、否定はしないけど、映画としてのはばがないと思ったのでした。


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