1994年2月


「こちら葛飾区水元公園前通信125」02/01 10:32

 会社に行くのもあと2週間くらいである。ちょうど仕事がない時期なので、こうして休んでいたりする。このあと、失業中にはフェリシアの編集やトーキングヘッズの原稿を書いたりなどができるな。ぼくが退職する日からまた仕事が忙しくなるので、課長が困ったような顔をしていたが、役員が決めたことなのでしかたない。ところでこの退職の日付だが、ぼくの前の上司が送別会の案内と一緒に、勝手に退職の日付を決めて社内に流してしまったことによる。今さら変えるのも変なので、そのままということに。けっこういいかげんな会社である。今のぼくの上司はぼくのことを嫌っているので、ぼくのいるセクションが忙しい今月後半のことも気にしていないようだ。いない方がいいと思っているんだろうな。なんたって、職場でこの半年、お互いを無視していたもんな。
 昨日、会社の同僚と話していて、「やっぱりお金とそれに見合う我慢という関係よね」ということを言っていたけど、まあそういうもんだよな。もっとも、かみさんは今の会社を退職する予定はないので、夫の方が退職するというめずらしいケースになったかもしれない。

 昨日は、香港に遊びに行っていた同僚から、セーラームーンのあやかしの四姉妹のTシャツをもらってしまった。セーラームーンはまだ中学生なので、大人のあやかしの四姉妹やエスメロードやなるちゃんのおかあさんが好きです。どうでもいいか。

 先日は東京国際ブックフェアに行ってきた。あんまりおもしろくなかったな。サンシャインでやったときは、けっこう在庫一掃セールとか復刊とかやっていたのにな。宗教関係の出版社のパンフはなかなか笑えていい。橘出版というのは占いの本を出している。というより、予言と自分の運命を変えるということだから、星占いなどの全般というわけではない。「読めば開運、橘出版のベストセラー」である。アニメビデオ「ミラクルサイキッカー・セイザン」シリーズに「神だのみ入門」シリーズである。「大祈願」神社で開運する法である。CDもあって、「組曲 大除霊」は20000円もする。「瞬間の邪気がはらえるレコード」というのもある。すごいなあ。聖母の騎士というのは、当然キリスト教関係の出版社なのだが、家庭用祭壇の広告なんかも載っていたりする。データハウスのブースには上田哲が来ていたぞ。こたつで来場者にかこまれて話していた。がんばれ上田哲。岩崎書店の「ジャングル」という絵本を衝動買いしてしまった。中薗はサウジアラビアやイランの出版社のパンフをもらってよろこんでいた。

 ビデオがあるおかげで、深夜の映画も録画して見ることができる。先日「北京的西瓜」を見ていたら、びっくりしてしまった。最初のシーンで八百屋の前をちんどん屋が通るのだけれど、このちんどん屋のおじさんが、実は金町駅にいるなぞのコスプレおじさんなのであった。べつに、11月ごろにこのおじさんがちんどん屋だということはわかっていたのだけれど、こんなところに出没しているとは。このちんどん屋はこの映画の中で何回か登場するのであるが、そのたびに感心してしまった。金町は偉大である。
 ついでに「ウルトラQ 星の伝説」も見たな。つまんなかったけど、どうして日本でこんなに怪獣がつくられたかわかるような気がした。このことは次号のフェリシアに書こうと思った。

 いとうせいこうの「ワールズエンドガーデン」(新潮文庫)はつまらないので怒ってしまった。テーマとしては、自己啓発セミナーとか倉庫跡のディスコとかが流行っていた時期なので、わかる気もするんだけど、なんかそういうテーマを並べただけの本という気がして。「ノーライフキング」はおもしろかったのにな。自己啓発セミナーで壊れてしまった人が議論を繰り返すけど、何のことかよくわからないという本なのであった。そこに70年代の学生運動や連合赤軍の影も見えるけれど、それっていとうせいこうにとってリアリティーあるのかなあ。あるかもしれないけど、それがファナティックな宗教信者と重なると、何かテーマがずれてしまう気がする。宗教というのは自分のアイデンティティを支えるものなんだけれど、それは学生運動と共通点はあると思う。でも、今の自己啓発セミナーとは関係ないと思う。
 小谷真理の「女性状無意識」(頸草書房)は、巽孝之の本よりはわかりやすくていい。さすがに夫婦だけあって、文体に悪影響は見られるけれど。読んでおもしろいのは、最後の章で、ここで日米同時発生のやおい文化について書いている。アメリカには「K/S」フィクションというものがアンダーグラウンドにあるそうだ。これはカーク船長とミスタースポックを主人公としたやおい小説である。これを女性のための女性によるポルノグラフィーとして分析している。この章を立ち読みするくらいならおすすめするのである。
 鷺沢萠の「葉桜の日」は、今文庫で出ている彼女の本の中ではたぶんいちばんいい本です。三和土とか濡れ縁とかいう言葉がよく出てくるので、何か日本なんだなあと感じてしまう文です。主人公は男性にしているので、べたべたした感じもないし、とても気分良く読めました。それだけなんだけど。

 イザベラ・アジャーニ主演の「可愛いだけじゃダメかしら」は、主演女優が頭の悪いふられた女性をやっているのが楽しいだけの映画です。きっとアジャーニが目的じゃない人が見たら怒るな。後半の急な展開にはびっくりするけど。
 パトリス・ルコント監督の「タンデム」が地味な映画だということは、前回書いた気がするな。今週はピーター・グリナウェイの映画をレイトショーでリバイバル上映するので、見に行くつもりである。場所は銀座テアトル西友。「ZOO」と「数に溺れて」と「建築家の腹」は見たい。そういや中野バイオが年賀状で「プロスペローの本」がいいなって書いていたな。で、ただ修正がねって。「ベイビーオブマコン」には修正が少ないって教えてあげよう。

 さて、洗濯が終わったので、アイゼンを買いに行こう。


「こちら葛飾区水元公園前通信126」02/04 14:37

 「親指Pの修行時代」というのは、足の親指がペニスになってしまうという話で、そのくらいのことはみんな知っていると思う。これが外反拇指になったりしたらたいへんかなあとか思って、読み始めた。まだ読み始めただけである。
 そういうわけで、今日も仕事はひましている。部長が下痢で休みなので、静かな1日になりそうである。

 今年は新年そうそうびっくりした。お年玉付年賀はがきで、3等が当たったのだ。下5桁である。びっくりしたな。あっ、これおしいじゃんとか言いながら、よく番号を確かめみたら、おしいのではなくそのものの番号だった。ふるさと小包セットだ。100種類の中から選べるんだけど、今回は富山の日本酒を選ばせてもらった。大吟醸が2本である。とてもうれしい。ところで小包がとどいて中をあけてみるとびっくり。のし紙がついていて、そこには上に「お年玉」、下には「郵政省」と書いてある。すごいなあ。こんなことはもうないかもしれないので、のし紙は冷蔵庫のドアにマグネットでとめてあるのであった。

 夕べ(1日)は借りたセーラームーンのビデオを見たのだけれど、あやかしの四姉妹がリフレッシュして人間になる話を続けて見たわけだ。この姉妹はやはりいいキャラクターだったなあとしみじみとしてしまった。おかげでとても気持ちよく眠れたな。

 きのう、渋谷に買物に行く途中で、SFマガジンの1月号と文学界の村上春樹ぶっく及んだ。前者はコニー・ウィルスの「女王様でも」という短編を読むため。これはヒューゴー・ネヴュラのダブルクラウンなんだけど、内容というと、月経SFである。そのまんまである。女王様でも月経はあるのである。でもウィルスという人は、選ぶテーマさることながら、話のアクセントのつけ方とか、人物設定とかがうまいよなあと思ってしまった。そういう小技で読ませてしまうから、どちらかというと短編がいいのかなあ。機会があれば読むといいと思う。一部のフェミニストにはつっこみが足りないと言われるかもしれないけど、別にいいじゃん。あとは、村上春樹の「氷男」「緑色の獣」という短編を読んだのでした。どちらも女性が主人公で、それぞれが氷男や獣と出会う。氷男は氷の中に過去を閉じ込めていて、それはいつも暗く冷たいものである。羊男と同じように、それは別に自分の過去というわけではないのだけれど。緑色の獣はただいじめられるために存在している。主人公が切り刻むことを思い描くだけで、獣にとっては苦痛なのだ。いずれもアレゴリーなんだけど、その具体的な形だけがダイレクトに伝わってくる。きっと村上春樹の次の短編集はおそろしく疲れるものになると思う。それはようするに島本さんのいない世界、独身のまま、教科書の編集を続ける世界なんだと思う。

 昨日(2日)はピーター・グリナウェイ監督の「建築家の腹」を見た。グリナウェイの映画の中では、きっともっとも地味だと思う。テーマは死かな。舞台はローマ、何も建築しなかった18世紀の建築家の展覧会を開催するためにやってきた、アメリカの建築家の腹が異常をきたし、やがてガンだとわかって死を宣告される。妻は愛人を作り、彼に仕事すら奪われるんだけれど、お腹の子供は建築家のもの。そういう話です。でもおなかがぶよぶよという映画でした。眠くなったな。来週は「ZOO」,再来週は「数に溺れて」を見に行く予定である。

 昨日(3日)は節分であった。会社で豆を撒きたいと係長が言ったけれど、豆を買って酒を飲んで終わってしまった。

 今日(4日)は昼休みにアンケートのおばさんにつかまってしまった。ビールのアンケートで試飲をして500円の図書券をもらった。多分キリンのアンケートだと思うけど、アサヒの新しいZみたいな味わいが強いくせに軽い、炭酸やや弱めのビールだった。ところでサッポロの味わい工房はまずいということで、かみさんと意見が一致した。


「こちら葛飾区水元公園前通信127」02/12 09:10

 今週の日曜日は、佐藤さんに付いて、西沢渓谷に行った。あんまり寒くないのは良かったな。でも早起きはいやだ。8時2分のかいじで塩山まで行ってから、タクシーである。遠いので、移動だけで疲れた気もする。そんなわけで、雪が美しい渓谷でした。水は上流の鉱山のために、銅イオンが混じっていて、青みがかっているのである。きれいといえば、とてもきれいであるが、当然魚なんかはすんでいない。通行止めの札があって、あまり奥まで行けなかったのが残念ですね。
 次はクロカンと温泉と、ゲレンデスキーということになる。しかしいつまで失業しているのだろうか。遊んでばかりいるとお金がなくなる。ははは。4月からは地味に暮らそう。

 榎田さんに負けないようにCDのレヴューもしようか。リック・ウエイクマンの「カントリーエアズ」の旧盤がとても欲しかったのだけれど、どうやら再発されたようで、昨日(7日)に買ってしまった。以前、再録音盤を買ったのだけれど、妙に装飾音が耳障りで、それはそれでリックらしいのだけれど、どうしても気にいらなかったのである。旧盤では、演奏がゆったりしていて、音に厚みがある気がするのだ。一つ一つの音がどっしりしたピアノの音なのである。同じ人が同じ曲を同じ楽器で演奏しているのに、全然違うんだな。これは旧盤がロックではなくてニューエイジミュージックのシリーズの1枚として作られたこととも関係するかもしれない。リラクゼイションのためというか。再録音の方がいつものリックらしいし、つまりノリがポップミュージックしているというのかな。悪くはないんだけど。C・W・ニコルの「ウイスキー」というのは、ようするにニコルがウイスキーを片手にウイスキー民謡を歌っているCDなのである。きっと部屋でウイスキーを飲みながらパブの気分を味わうためにはいいと思う。もちろんこういうときにバーボンやテネシーウイスキーを飲んではいけない、と思うけど、人の好き好きだからな。グレンフィデック、グレンモーレンジやプラウズオブアイレイなんかがいいな。電気グルーブの「カラテカ」を聞かされてしまった。隣の部屋でかけていると、ベース(打ち込みですが)の音ばかり良く聞こえる。これはラップとはどう違うのだろうか。歌詞も含めて、気持ちいいけれど。会社の人に借りたのだけれど、テクノとやおいが好きな彼女は、駒田とは気が合うかどうか、わからないな。コバルトの新人賞に出すはずが、ワープロのプリンターが壊れてだめだったという人である。スティーヴ・ライヒも気にいってくれたし。ライヒといえば、1200円と安かったので、「シックスピアノズ、木管楽器・声・オルガンのための音楽、風・弦楽器・鍵盤楽器のヴァリエイション」の3曲が入ったCDを買ってしまった。最初の2曲は、以前買った3枚組のレコード「ドラミング」に入っている曲である。ヴァージョンも同じ。好きな曲なので、CDで聞けるのはうれしい。最後の曲は84年の曲で、よく知らなかった。「シックスピアノズ」については、ピアノサーカスによる演奏のものもあるのだけれど、何となく音が軽い気がしていたのだ。ぼくはけっこうピアノの音が好きなのかもしれない。それもみもふたもないようなピアノが。

 さて、あと1週間で失業である。今日(8日)はやっぱり会社に行っていない。朝、いちもの時刻に起床して洗濯と掃除をしたら、午後である。図書館に行き、買い物をしてから、銀座の酒蔵で酔鯨の純米吟醸生を買った。生協でトイペを買い、戻ってくると夕方である。1日が早い。こんなことで主夫ができるのだろうか。酔鯨は最近は居酒屋が買いしめてしまって、なかなかお店にははいらないとのことである。ましてや小鼓に四季桜はなかなか。基本的にはこの3種類の酒があればいいという人なのですが。
 ということで、これから履歴書も書かなくてはいけないな。


「こちら葛飾区水元公園前通信128」02/21 10:58

 今週はなかなか悲惨に始まった。トイレの下水管がつまったのだ。このところ流れが悪いなあと思っていたら、土曜日(12日)、水があふれ、かみさんはあわてふためき、脱力してしまった。これからお客がくるというのに。この客というのは、前にいた会社(といっても、やめたばかりだけどね)の同僚で、そのうち一人はぼくと同じ日に退職することになっている、食欲魔神のリカちゃんであり、もう一人はすっかりセーラームーンにはまって人生を狂わせてしまったまゆみちゃんである。そういう人がいるって、以前のメールに書いたよね。目的は、まゆみちゃんによれば、「くりいむれもん」を見て大人になるということだそうだ。亜美ちゃんシリーズが借りられなかったのがくやしかったらしい。まあ、それはいいとして。トイレの水は一度はひいたものの、翌朝はついに動かない状況になり、お客にはずいぶん不自由をさせてしまった。翌朝は水元公園のトイレを利用することになる。そして外出したあと、夕方戻ってくると、玄関の前のトイレの下水のふたが持ち上がっていて、中味がはみ出していた。そのあとの中薗の行動は、何かに憑かれたように、うんこをふたをあけた下水管の中に押し込んでいるというようすであり、結局は大家のところに向かった。大家さんも何とかするとか言って来たのだけれど、下水管の元の部分がつまっていてどうしようもなく、月曜日に水道屋を呼ぶということになったのである。実際に来たのは火曜日だったのだけれど。それまでは、このアパート全体のトイレはつまっていたのである。雪とうんこの日々であった。
 雪といえば、中根さんか庭でクロカンをしたとか。ぼくもスキーがあれば、水元公園でやりたかった。本当に広い公園にだれもいなかったもんな。足跡もない。入口近くでそり遊びをしている親子は1組いただけだ。そういや、道路はアイスバーンになっていて、先週西沢渓谷で使ったアイゼンを再び使うことになるとは思わなかったな。でもあって良かったとも思った。

 かようなわけで、めでたく会社を円満退社まして、水曜日からは専業主夫のはずである。でも遊んでばかりいて、家事をあまりしていないなあ。水曜日は候孝賢(ホウ・シャオシエン)監督の「戲夢人生」とピーター・グリナウェイ監督の「数に溺れて」を見、プールで泳いだ。木曜日はナムコワンダーエッグで、健康診断のために休みをとった中薗と遊んでた。金曜日は幕張のマックエキスポに行ってしまった。それぞれについてはあとで書くとして、マックエキスポは、ぼくには何とも言いようのないイベントでした。別に斎藤を冷やかすために行ったのではなくて、編集の募集広告ではけっこうマッキントッシュでDTPをするっていうのが多くて、それでなのです。でも、そういうもんですかあという感じだなあ。18禁のコーナーが変でしたね。アダルト物のわりにはブースに暗い感じがない。マックでジャンケンをやって女性を裸にしたり、ディスプレイの裸の女性を、はねぼうきでくすぐったり、選んだ女性に選んだ大人のオモチャで遊んでもらったりというわけである。あとはダンジョンをくぐりぬけて女性を覗くというのもあったな。いちおうモザイクなんかも入っていてね。ビデオが直線的なポルノグラフィーだとすれば、物語を自分で組み立てられるCD−ROMは立体的プルノグラフィーといえる。でもだからどうなのって言われたら困ってしまうけど。これをズリねたにするのはいいけれど、大切なマックを汚さないようにしなくちゃね。

 さて、今週の「数に溺れて」と先週の「ZOO」で、グリナウェイ監督の映画はあらかた見たことになる。どんなに幻想的な舞台であっても、死か現実としてやってくるというのが、一貫したトーンです。「建築家の腹」では、主人公はガンで死を宣告される一方で、愛人をつくった妻の腹には彼の子供が宿っている。「ZOO」では、白鳥が自動車(マーキュリーという車にも意味はある)にぶつかることで、主人公の双子のそれぞれの妻は死ぬ。そのとき彼女たちは妊娠していたのだが。またこの自動車を運転していた女性も片足を失う。双子はこれ以降、偏執狂のように、いろいろな動物の死体が腐敗していくところを撮影していくという映画である。リンゴやエビから始まって、魚やワニなどの腐敗のようすはなかなか、うっときてしまう。双子はいつも対称的に座るし、バックも同じようにできているから、変な映像だし、とにかくヘンタイ映画している。「数に溺れて」は、シシーという名の祖母、母、娘がそれぞれ夫を溺死させるという映画ですが、何とも言いようのない死体に浮く夜のプールとか、女性たちに検死をごまかすように依頼される検死官の不幸さとか、その息子も変だし、気持ちのいい映画だな。検死官はいろいろなゲームを考えるのが趣味だけれど、45人クリケットとか変だよな。画面に数字が隠れていて、1から100まである。全部は見つけられなかったけど、これで映画の進行もわかったりする。そういや「ZOO」では動物をAからZまで言っていたっけ。Zはゼブラであり、おそらくはゼウスでもある。そこで、映画の最初での白鳥にぶつかる自動車事故が関係するのかなあ。「ZOO」と「数に溺れて」は「コックと泥棒…」以降の派手さはないけれど、悪趣味さというか、変人がたくさん出てくる点とかではすごく楽しめる映画です。ビデオで見ても損はしない。
 「戲夢人生」は、舞台は日本統治下の台湾。そこで生まれた主人公は、占いの結果、「しんどい人生を送る」となり、父をおじさん、母をおばさんと呼ぶようにそだてられるところから始まる。やがて成長し、布袋劇という人形劇の仕事につき、戦局の拡大にともなって、京劇をしたり、日本軍のために台湾皇民化運動に協力するような人形劇をやらせられ、やがて戦争が終わるというところまでを描いた映画です。映画は淡々と進むだけなんだけれど、ひとつは細かいエピソードにひきつけられて、退屈しないで見てしまったこと。そしてときどき入る、現在の主人公らしき老人が登場して語る部分の映像はものすごくいいんだな。昔の話をする老人と言ってしまえばそれまでなんだけれど。ときどき入る日本語には複雑な気持ちを感じてしまう。2時間半があっという間なんだけれど、特に大きなドラマのない映画なので、人によってはつらいかもしれないな。英語のタイトルはマペット・マスターなのである。

 松浦理英子の「親指Pの修行時代」(河出書房)は、おもしろいことはおもしろい。設定からして足の親指がペニスになってしまった女性の話だし、それがフリークセックスショーに同行するはめになるのだから。さすがに長い小説なので、途中少しだれるところもあるけれど。でもじゃあどうなのかって詳しく説明するのもむずかしいな。
 村瀬春樹の「怪傑ハウスハズバンド」(晶文社)は、おすすめの本である。村瀬氏はライブハウスを経営していたのだけれど、妻とともにある時点で転機を考える。家を建て、サラリーマンを始めるのだけれど、そこでふと思うのだ。妻もまた仕事をしている。家事はすべて妻がやっている。会社は忙しい。疲れてくる。かくして、ハウスハズバンドになり、キャディのパートを始め、さらに社員として配管工になる。会社員もたいへんだけれど、主婦も大変であり、楽そうに見えるけれども、家事と仕事の両立なんて疲れるし、男にとってもそうした女性を犠牲にした上での生活なんていいわけがないという考えになり、やがて主婦もまた経済力があった方がいいのではということで会社に勤めだすということになる。彼らの結論は、1つの家庭に2人の主人と2人の主婦が、合計2人いる状態がベストということになった。もちろん、百の家庭があれば百のスタイルがあってもいいのだけれども、そういう意味ではこれはあくまでも彼らの結論。でも現実としては、女性に犠牲を強いて暮らしている、あるいはその状況を当然と思うように教育されている人がどれだけいるか、ぼくは知らない。そういう人たちのために発想の転換をするようにこの本がある。たとえば妻が外に働きに出ようとして、夫から家事をいままで通りきちんとこなすならいいよと言われることがいかにひどいことか。中薗とも話したけれど、この本の結論はうちと似ていると思う。ぼくは専業主夫になる気はないけれど、それは経済力のためだけではなく、村瀬氏も同じなのだけれど、家にいるだけではつまらないからだ。でも、専業主婦になりたい女性もけっこういるし、それは否定しないけど。自分の人生だもんね。ということで、もし子供ができたら、また会社をやめるか休職すると思う(おっと、まだ就職していないな)。そんな風に思うのでした。この本の圧巻は、何といっても家を建てるユミコさん(妻)のパワーである。
 香山リカの「おかしくってもダイジョーブ」(早川文庫)も読んだな。短いエッセイが集まっている本で、そのときどきの出来事について考えてみたいとは書いてあるけれど、書いてあるわけではないという本であった。
 内田春菊の「ファザー・ファッカー」(文藝春秋)は、実父、母、養父とみんなひどい人ばかりでとても悲惨な話なのだけれど。学校の成績だって学年で1番でも当然という顔をされるし、まああとは想像できるでしょ。で、物心がつく頃から16才で家出をするまで、ひどい生活が続くというだけなので、つい一気に読んでしまう。でも、この小説のいちばんつまらないことって、自伝的であることだなと思うのであった。自伝的という文句がつくからこそ売れたのだろうけれども、逆に自伝的という意識がこの小説の構成を平板な感じにしてしまったのだと思う。自伝的ということでこんなひどい(主人公の境遇が)話を書くということで、ただただあきれるのではあるけれども。そして同居人とは別の男性の子を妊娠し出産するといったことをしてしまう強さも納得できるのだけれども。内田春菊のまんがのヒロインはしばしば徹底的な人間不信と信頼との間で大きくゆれるし、そのときおり見せる憐れむような悲しいような眼差しはぼくにしても受け止めるのがつらかったりする。「水物語」のような傑作を書く作家が、自伝的ということで平板に16才までを記述することが、おもしろくないのである。かといってデュラスの「愛人」のように書けばいいとも思わないけど。自伝的ではなくてもそのエッセンスだけを再構成すればいいのにな、と思うのであった。


「こちら葛飾区水元公園前通信129」02/22 09:39

 主夫業はけっこういいかげんにやっている。子供がいないと楽である。そう思ってぼうっとしていると、時間がたつのはけっこう早い。
 昨日(21日)は、履歴書や職務経歴書を作ったり、証明写真をとったりとかしているうちに過ぎてしまった。今回は履歴書をたくさん出させていただいたのだけれど、これは単に就職のためだけではなく、こういう機会でもないと他の会社をのぞいたりしないからなのだ。そういうわけで、行く気のないところにまで送ってしまった。でも写真やら郵送料がかかるなあ。

 ナムコワンダーエッグのことを書いていなかったね。二子玉川園にあるアミューズメントパークである。広さは花やしきくらいかな。アトラクションはシューティングゲームを中心としているから、巨大ゲーセンである。おすすめは「ギャラクシアン」で、これは円形に並んだ椅子に外を向いて座り、水平360°のスクリーンにうつる宇宙船を打ち落とすものである。椅子全体も動くし、けっこう楽しい。打ち落とした数によって、A〜Eランクの表示がなされる。けっこう楽しくないのが「ドルアーガの塔」で、これはトロッコのようなものに乗って、化け物をうつゲームなのだけれど、これがなかなか当たらない。3回もやってしまったけど。「ミラーナの館」の性格診断はけっこう当たっていたりするんだな。鏡の迷宮の中で、質問に答えていくだけなんだけどね。まあ、所詮はコンピュータですが。食べ物はなかなか悲しくなるけれど、まあビールもあるんでいいかというところ。他にもミクロ化して宇宙船のパイプの増殖するウイルスを撃破するゲームや、いわゆるお化け屋敷などもあります。空いているときに行ってギャラクシアンを5回もやってビールを飲んで帰ってくれば満足するかもしれないというところでした。2回は行かないと思う。

 「石坂浩二のサラダ図鑑」、「石坂浩二のおつまみ図鑑」(講談社)を読んだ。料理の本を読むのはそうきらいではない。ただし、つくるかというとそういうことは滅多にない。ではどうするのかというと、ほとんどは見るだけ。あと少しだけ、調理の基本を知る。豆腐は葛湯で加熱するとすがはいらないとか、はくさい4分の1をこんぶのだしでゆでるとき、芯から先に入れていって、だしのこんぶはあとでサラダにまぜてしまうとか。で、あともっとも読んで楽しいのが、料理に対する考え方を書いた文だったりする。醤油にこだわるところに納得したり、どういうときにどんな料理をつくるかとか。そういうことではけっこう楽しい本だったな。でもおつまみはめんどうくさいし、サラダの方が使えそうだったな。

 さて、今日はこれから図書館で温泉について調べてくる予定である。


「こちら葛飾区水元公園前通信130」02/24 10:29

 ようやく会社から離職票をもらいまして、職業安定所(最近ではハローワークという)に行きました。この離職票がないと、職安に行ってもしょうがないのです。これは会社をやめると10日以内に会社がくれるそうです。で、受付で紙を渡されるのだけれど、これが求職票。そして求職相談の窓口に行ったあと、失業保健の手続きをします。でもこの日から7日間は待期期間、次の3か月は給付制限期間でして、失業手当はもらえません。ぼくの場合は5年以上会社を続けたので、180日分はもらえることになるので、6〜11月ということになります。さらに、いろいろ条件はあるのですが、途中で就職すれば、再就職手当も出ます。でも、求人票を見ると、変種なんてほとんどないですね。こうなると、困ったときにお金をもらいに行くところですね。ちなみに編集というのは、職業の分類からいくと、その他の技術者ということになります。

 そういうことで、今日は面接のために日本橋にある会社に行くことになっている。勤務希望地ではあるが、さてどうなることやら。期待はしないようにしよう。

 昨日(22日)リック・ウエイクマンの「ナイトエアーズ」を買った。ピアノトリロジーの3枚目である。これはとてもよい。旧盤の「カントリーエアーズ」に近い出来である。夜のゆったりした感じがあって、メロディーはややクールな印象を与える。新盤の「カントリーエアーズ」や「シーエアーズ」のようにちゃかちゃか弾いている感じがない。これからの愛聴盤にはなるな。

 本はね、エイモス・チュツオーラの「薬草まじない」(晶文社)を読んでいる。これはほかのチュツオーラの小説にくらべてえらく評判が悪いのだけれど、その理由は簡単で、読者の想像力の限界を刺激しないことである。たとえば頭が4つあって、その頭の一つひとつに町がのっているような怪物は出てこないからである。そしてその割りには長いからね。さらに、チュツオーラの作品はすべて主人公があるきっかけからブッシュの中、すなわち人の入らない世界を旅していくものなのだけれど、今回の旅のきっかけは妻の不妊(もっとも原因は主人公の方にあるのだけれど)を治すために女薬草まじない師のところに向かうというもので、あたりまえの動機すぎるからかも。「やし酒飲み」では、死んだやし酒飲みを連れ戻しに行くという動機で、この方がおまぬけでいい。次号のトーキングヘッズ叢書5はチュツオーラの特集なのだけれど、「薬草まじない」を読めばすべてチュツオーラの邦訳は読むことになるにもかかわらず、また違うことで原稿を書いたりしたら、おまぬけだな。


「こちら葛飾区水元公園前通信131」02/26 09:20

 昨日(25日)は前の会社にいたバイトの女性の送別会だったのだけれど、けっこう飲み過ぎてしまった。いかんなあ。

 今日(26日)の朝日新聞に変な記事があった。
 オランダの北西部でこのところトップレスの女性集団による窃盗事件が続発、住民を驚かせている。犯人グループは東欧出身とみられる女性ばかり六人。突然ブラウスを脱いで上半身裸になり、店員がショックで金縛りになっているすきにレジから現金を盗むという手口。これまでスーパー三軒、ドラッグストア一軒を襲い、一万ギルダー(約五十五万円)以上を奪ってまんまと逃走している。「出来過ぎた話なんですが、混乱しているうちにやられちゃったみたいで」と警察当局。目撃者はいたものの、なぜかロクな情報がないという。(AP)
 すごいなあ。

 ということで、おととい(24日)は入社面接をした。英語のテストまでされてしまったぞ。覚悟はしていたけど、やっぱり英語は苦手だ。仕事はあまり面白くなさそうな会社だったけど、金回りだけは良さそうだったな。医薬品の情報誌の会社だもんな。

 「ウルトラマンパワード」も見たぞ。これはアメリカで作られたウルトラマンである。ロスアンジェルスの科学特捜隊(違う名称だけど忘れた)が活躍する話だ。第一話はバルタン星人、以下ケムラー、レッドキング+チャンドラー+ピグモンと続く。見たのはこの三話までで、4月になれはテレスドンとガボラがレンタル開始だそうだ。科学特捜隊のメンバーは5人で、男性の隊長と男女2名づつの隊員である。ウルトラマンに変身するのはこのうちの日系人のケンイチ・カイ隊員(ケイン・コスギ)である。これがなかなかやる気なさそうにしているんだな。他の隊員のが目立つ。とりわけ2人の女性隊員がすごくきれいで、見ていてうれしくなってしまう。いやあ、いいんですよ。怪獣の造形はかつての日本のものと比較すると、グロテスクさが強調されていて、レッドキングとかなかなか怖い顔である。また、ウルトラマンと比べてとても大きく作られている。バルタン星人は全体がシャープな印象で、はさみが細長く、頭が小さくデザインされている。隊員が「エイリアンが出現しました」などと言っていると、そういえば宇宙人はエイリアンだよな、と納得してしまいます。このバルタン星人を追ってきたのがウルトラマンで、彼がケンイチの身体をかりて地球に滞在するんだけど、このウルトラマンの声がなんとショー・コスギだったりします。ケムラーの話では笑えるシーンが一つ。怪獣の姿を基地に送り、そこでコンピュータを使って同定する。で、「これはケムラーです」ということになる。何で知っているのかというと、「27年前にアジアで大暴れしています」ということである。そりゃそうかもしれない。別にすごく面白いというわけではないけれど、女性隊員がきれいなので、次も見ようと思うのであった。


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