1995年9月


「こちら葛飾区水元公園前通信228」95/09/03 17:10

 昨日、9月2日は久々に山に行った。金曜日につい上司につきあってしまい、アルコールが抜けきっていなかったので、軽くトレッキングということで、丹沢の東のはじ、仏果山・経カ岳に行ってきました。700mくらいですから。
 本厚木からバスで50分、撚糸組合前で降りて登る。入口にはオナガがたくさん飛んでいたな。シンプルだけどきれいな鳥だ。あと、キセキレイもいた。
 この山を登っていて悲しいのは、左手にいつも厚木の街が見えること。何だか山に来た気がしない。
 てなところで、仏果山のてっぺんで一休み。季節柄かな、チョウはたくさ見た。クロアゲハにジャコウアゲハ、キチョウやタテハチョウの類にセセリチョウやシジミチョウの類も。アサギマダラもいたな。アゲハチョウの仲間ってなかなかひらひらしていていいな。好きです。昆虫はあまりくわしくないのだけれど。
 下りはススキが思いっきり繁っていて、足元が見えなくてつらかったな。仏果山から少し下る尾根はむちゃくちゃ細い道だったし。
 山を降りると舗装された林道に出るのだけれど、ここから経カ岳に登ることになる。舗装された道路に出てしまうと、気持ちが安心してしまうだけに、これはつらい。しかも急な上りだったもんな。まあ、あっという間に山頂に出るんだけどさ。
 山を降りてバスを待つのだが、ここに酒屋がないのが、とっても悲しかった。

 原稿を書く都合で、笙野頼子と松浦理英子の対談集「おカルトお毒見定食」(河出書房)を読んだ。実は松浦はボーボワールとか読んでいたんだ。しまった、と思った。でもイリガライの話が出てこないんで良かった。脱男根中心主義ということではまとまりそうだな。

 てなわけで、今日3日はかみさんと水元公園の駐車場でテニスをしたりしていた。自動車が少ないので空いている。なかなか暑くてビールがうまい。

 伊藤潤二の「棺桶」は、駒田が勧めるようにおもしろい。でも、ホラーじゃなくってコメディだよね。笑えるって。
 あとは、今更ながら吉田戦車の「火星ルンバ」(スコラ)はいい。説明するまでもなく、火星の話なのだが、ほんとに、すっかり忘れていたセンス・オブ・ワンダーという言葉を思い出してしまった。昔のSFは火星人が出ても誰も何とも思わないという、何でもアリだった。そのまま何でもアリでやっていくという正直さがいい。ぼくたち自身が実はずっとセンス・オブ・ワンダーを拒否して、整合性ばかり求めてしまっていたんじゃないかな。

 駒田の映画評を読んでいて、やっぱり「恋人たちのアパルトマン」をほめてはいけないと思った。あれはやっぱりオープニングからして古い演出だし、アレクサンドル・ジャルダンの考え方って、若い人なのに妙に老人臭くていけない。でも、この映画には確かにぼくもはまったのだが。
 駒田にはビデオで「欲望の翼」と「ウエディング・バンケット」も是非見てもらいたい。それぞれレオン・カーウェイとアン・リー監督の映画。「欲望の翼」はぼくはとても好きになれない映画なんだけれども、かみさんも石川も絶賛しているのだ。いったい何がいけないんだろう。あと、駒田が「ウエディング・バンケット」のようなゲイをテーマにした映画をどう見るかも興味があるのでる。
 先日も、記者クラブの受付をしている女性とルイ・マル監督の「ダメージ」の話をしていて、彼女は、情事を知った息子が死ぬ場面で泣けたと言うのだけれど、このシーンでぼくが見た時が客席から笑いが漏れていた。ぼくもかみさんも笑った。映画を見てこんなに反応が違うことって、けっこうあるんだなって思って、それでね。ルイ・マルは、特にコメディ映画においては、「五月のミル」とか「地下鉄のザジ」とか、好きな監督なんだけどなあ。


「こちら葛飾区水元公園前通信228.5」95/09/09 09:07

 イエスのトリビュートということなら、まず買うのだが、うれしいのはイエスのとりわけ好きな曲「世紀の曲がり角」を、これもとりわけ好きな女性ボーカルのアニー・ハズラムがカバーしているということなのだ。もう、これだけで買いだなって。ギターはもちろんスティーブ・ハウ。
 このCD、「TALES FROM YESTERDAYS」というタイトルで、プログレ専門のMAGNA CARTAと言うレーベルが出している。他には、ピーター・バンクスがセルフカバーで「アストラル・トラベラー」をやって・ひさびさにハードなギターを弾いたり、パトリック・モラーツが「SOON」をやったりしている。ジョン・アンダーソンじゃない人が歌うイエスの曲というのも変なものだなあと、けっこう昔のハードロックっぽいノリで気にいっています。他にピンクフロイドやジェネシスのトリビュートもあるみたいだな。

 ヴィム・ベンダース監督の「リスボン物語」は、さしたるストーリーはないのだが、映像を見ているだけでけっこう幸せな気分になれる映画なのだ。淀川長治がほめていたので不安だったのだが。友人の映画監督に突然リスボンに呼び出された録音技師のウインター氏だが、行ってみると当人はおらず、フィルムが残されているだけ。彼は友人を待ちながら、音を集め、フィルムに入れていく。子供がビデオカメラをもってうろうろしたりとか、マドレデウスというポルトガルのバンドの音楽がとてもいいし、サントラは買うよなっていうところだ。どの新聞の映画評でも映画のための映画ということになっているが、ウインターさんの録音の苦労を見ていると、そうだよなって思うのだ。
 映画館には「ベルリン 天使のクマ」の色紙が飾ってあった。これはもりろんヴェンダース自身によるものだけど、クマの絵がなかなかいい。

 リチャード・コールダーの「デッド・ガールズ」(トレヴィル)というSFが出た。サイバーパンク以降のナノテクSFということになっているのだけれど、どっちかっつうとコギャルSFである。主人公はシャンプーってなところだ。でもけっこうおもしろい。
 あとは、エマ・サントスの「去勢されなかった女」(書肆山田)という、精神病院を往復していたフランスの作家の本とか読んだな。
 松田は伊藤比呂美と石内都の「手・足・肉・身体 HIROMI 1955」(筑摩書房)を買っただろうか。他に買うような奴はいないと思うけど。今回は別に伊藤のヘア・ヌードが見たくて買ったわけじゃなくって、石内都ってとっても好きな写真家だからなんだけれど。昔、東京都写真美術館で見たときのインパクトが強くて。同じことを感じた編集者が石内にエッセイを書かせて、写真と合わせて「モノクローム」という本をつくり、同じく詩人は写真をとってもらいたくて、この本をつくったという次第。ただ、今回の写真について言えば、多くの読者は伊藤についての情報を持ちすぎているから、写真のインパクトはないかもしれない。でも、石内都なら、ぼくも撮影されてもいいかとも思ったりする。
 ところで、吉田戦車の「火星ルンバ」(スコラ)を読んでいて、センスオブワンダーを思い出した。SFって何でもありだったんだっけって。

 駒田はセーラームーンが高校生になったかどうか気にしているけど、受験という雰囲気はまるでないので、これは高校生だと思ってもいいような気がする。原作は高校生になっているのだが、うさぎと亜美ちゃんが同じ高校というのはどうしたって理解できない。かみさんは原作の方がおもしろいと言うが、ぼくはテレビの方が好きだ。

 COOPのコンーンフレーク野菜はあまり甘くなくておいしい。というところで。


「こちら葛飾区水元公園前通信229」95/09/15 12:58

 イエス関係が続くけど、先日はジョン・アンダーソンの「デセオ」のリミックスCDが出ていて、やっているのはディープ・フォレストなど。まあ、つい買ってしまった。変なCDだな。
 あと、マドレデウスのCDを2枚、うち1枚は「アイーダ」という「リスボン物語」のサントラ、あと「陽光と静寂」。ギターとチェロとアコーディオンと女性ボーカルというポルトガルの音楽ということで想像できるでしょう。とても気持ちいい。
 スペインのMi Chicaという男女のデュオのCDも買った。女性はいちおうアイドルっぽい線を狙ってるけど、けっこうどすこいという感じである。スペイン語もそれはそれで気持ちいい。

 先日は、富士総研の「持続可能な開発」のセミナーに行ってきた。メルセデス・ベンツ・ブラジルのおっさんが来て、いかにベンツは天然素材を使っているかを話してくれた。これは話だけはけっこう感心する。プラスチックはひまし油製、タイヤは天然ゴム、染料には一部インディゴ、プラスチックを強化したりヘッドレストの詰め物にはジュートなどの天然繊維。でもこれらを栽培しているのはブラジルの農家だ。これでブラジルが豊かになるならいいけど。貧困が環境破壊の大きな原因の一つではあるから。でもまあ、あんまりガソリンを無駄遣いはして欲しくない。
 コンセプトは畑でとれるベンツ、これは笑ってしまったけど、まあ、そうだな。あと、パーツもリサイクル可能だし。
 他に北海道産も木材100%を目指す建築会社木の城たいせつ社とか、伊那で環境を考えた産業をしているKOA社のおっさんが来ていた。100年もつ家というのは、よく考えればあたりまえなんだよな。昔の家なんて、20年や30年で建て替えなかったと思う。
 ただ、今の日本の職環境と土地の価格では、定住自体がむずかしいと思う。
 在宅勤務ができて、田舎に住める時代がくるといいな。

 今週の映画は、蔡明亮監督の「愛情萬歳」だ。石川は何かしらないけど、これはーとか言っていたな。でも、なかなか暗い映画だぞ。新聞の映画評風にいえば虚無的な愛情に生きる3人の若い男女ということになる。まあ、映画自体の出来はともかく、見ているのがつらい。だから説明はしない。
 この監督、つらい青春時代を過ごしたというような感じだ。女性に相手にされなかったりとかさ。

 今週の本はトリン・T・ミンハの「女性・ネイティヴ・他者」(岩波書店)だ。ベトナムのフェミニストで作家で映像作家でもある作者の、タイトルにそったエッセイを集めた本。
 言語としては、今の言葉は男性の言葉であり、それを女性が使うというのは、どうも、という。manに対し、付属がついたwomanであり、日本語でいえば彼に対して彼女となるところだろう。3人称の代名詞を使うのに苦労しているし。
 白人がベトナムやアフリカに対して第三世界というが、それも差別だという。さらに、未開という設定の社会構成をそういう未開という認識で研究していく男性の学者(レヴィ=ストロースなど)を告発する。フェミニズムは白人女性のものであり、有色人種の女性は人種差別と女性差別に引き裂かれる。
 最後は祖母から母、娘へと語り継がれる物語についてだけど、このへんはむずかしいな。
 サブタイトルはポストコロニアリズムとフェミニズム、とても地味だけど、映画のカットがふんだんに使ってあって、白人のフェミニストよりも広い視野に立っている点でもいい本だな。

 今日は雨だな。映画「マディソン郡の橋」で、メリル・ストリープがめずらしくきれいな映画という評がある。あまり好きな女優じゃないんだけど、写真とか見ると、そこそこ映っているので、たしかにそうかもしれないと思う。だからと言って、多分、映画館では見ないだろうけど。

 国立科学博物館で人体の神秘展を見てきた。プラスチネーションを見るのが目的だったんだけど。これは死体の水分を樹脂を置き換えて、半永久的に保存できるようにしたもので、スライスしたり、パーツの標本にしたり、全身標本にしたりと。特にこの全身プラスチネーションの場合、内部が見やすいように適当に筋肉とかとってあるから、まるでゾンビである。こまたの趣味だよなって思った。
 死ねばみんな死体になるのである。


「こちら葛飾区水元公園前通信230」95/09/26 06:54

 どうにかトーキングヘッズの原稿を書き終えたのでほっとしている。松浦理英子は好きだけど、あらためて何か書こうと思うと困ってしまう。好きな作家ってそういうもんかもしれない。

 先週の映画は、S・エリオット監督の「プリシラ」。Sはステファンだったような気がするが、忘れた。で、これがなかなかの傑作なんで、おすすめしてしまおう。
 3人のおかまが、そのうち一人の妻の依頼でホテルでショーをするために、オーストラリアの砂漠をバスで走っていくという話なのだが、このおかまのうち年とった人はテンス・スタンプだったりする。で、おかまの3人がけっこうきれまくっていて、バスが故障しようが平気だし、ど派手どころじゃないかっこで歩きまわるしってな具合。アバやヴィレッジ・ピープルのナンバーが流れて盛り上がるし、けっこうほろりとさせるシーンまで用意してあって、なかなかやられたっていう感じのロードムービーだ。キワモノの映画のようでいて、ちゃんとつぼにはまっているのだな。アカデミー衣装デザイン賞はだてじゃない。
 昨日はNHKでやった「よいおっぱい・悪いおっぱい」を見た。もちろん原作は伊藤比呂美と西成彦。主演の嵯山ゆりが何となく10数年後の内田有紀みたいでよかった。前半は妊娠から出産までで、なかなか身も蓋もなくて良かった。後半は育児で、まあそれなりに楽しめたけど、かみさんは「他人の育児を見て楽しいかぁ」と怒っていた。別にいいじゃんと思うんだけど。心の狭いやつだ。
 「死刑台のエレベーター」も録画してあるのだが、まだ見てないな。

 今週の本は4冊。モンゴ・ベティの「ボンバの哀れなキリスト」(現代企画室)は、言ってしまえばセクシズムとレイシズムの小説。1930年代、宣教師をしたう少年による語りで話が進む。白人はカメルーンを植民地とするが、宣教師も自分がそれに加担していることに気付く。でも自分の黒人蔑視には気付いていない。まして、女性蔑視には。ネイティヴの宗教を否定しようとするのはおせっかいである反面、熱心なキリスト教の信者となるのはもっとも虐げられている女性ばかりである。植民地問題はフランスが撤退した後も黒人による黒人支配が続くが、こうした黒人文化によることは否定できない。どころか、アフリカにおける女性の立場の弱さは日本以上なのだから。
 ウィル・セルフの「コック&ブル」(白水社)は、「コック」という、若い妻にペニスが生える話と「ブル」というラガーマンの膝の裏にヴァギナができるという話を収録
した本。ヴァギナができたブルが何となく女性っぽくなっていくのがおかしい。「コック」はけっこうホラーである。妻のペニスに犯される夫というのはけっこうなさけないぞ。特にすすめはしないけど、そういう本です。
 ル=クレジオの「パワナ」(集英社)は19世紀、クジラの楽園を発見してしまったおかげでクジラの減少に一役かってしまって辛い思いをする海洋学者兼捕鯨家とインディオの捕鯨船乗組員の回想による短編。けっこう捕鯨の残酷なシーンがあって、欧米の捕鯨は許せないと思う。だって油をとるためだけにクジラをとるんだもん。日本のことも考えて欲しい。
 カルロス・フエンテスの「アウラ・純な魂」(岩波文庫)はおすすめである。だって安いもん。それでけっこうメキシコのゴシック小説が読めるんだから。ラテン・アメリカといえばマジックリアリズムという連想になるが、その期待は満たされる。

 今日月曜日からプールに行ってしまった。けっこうとばしたので、ちょっち疲れたな。
 ところで、日曜日にソフマップで中古のオアシスのノートワープロを買った。どうしてもトランスポータブルでは大きいし、ぼくの場合テーブルで打つことが多いし、通信ならプリンターはいらないしってなところである。微妙なキーの位置の違いになかなか慣れないけど、持ち運びに便利でいい。これで各自1台ずつワープロを使える状況になったのでめでたい。
 しかしこういうことを書くと、きっといっそパソコンにすればいいのにと思う人は少なくないだろうな。たしかに、コマーシャルとか見てると、THINK PADとかいいなあとは思うけどさ。でも、CDプレーヤーすらなかなか買わなかったことを考えれば、まあぼくが不自由はない程度でなるべく広げないでやっていることは理解してもらえるんじゃないかな。
 新しいワープロの今のところの不満は、画面禁則がないことだな。これはちょっとつらい。内蔵モデムは2400で、実はこれでもいままでよりグレードアップだったりする。


戻る