「こちら葛飾区水元公園前通信289」送信日時96/11/02
10:08
今週は雑誌の締切りがあったり、岩垂環境庁長官のお別れ会(記者クラブ主催)があったりと、忙しいのであったが、その結果、実はまだ原稿を半分も仕上げないまま連休に突入したわけであった。
でも雨だなあ。
岩垂長官は社民党の元議員。今回の総選挙では小選挙区ということで立候補しなかった。彼はこの制度に反対していたもんな。ということで、NGO的活動をするとか発現しているが、実のところこれから何するか未定であった。
実は彼は川崎公害訴訟などからずっと環境問題と取り組んできたという、めずらしく環境のことがわかっている環境庁長官であった。ということで、北川石松、鯨岡兵輔途並ぶ長官という評価だそうだである。
ただ、この日はそういうことよりも、環境のスペシャリストとして議員をやってきて、長官という身分で一区切りつけるということの、彼の重さを何となく感じてしまったのであった。
環境庁では、次の長官はまたろくでもない自民党の何も知らない人になるだろうから、仕事がやりにくくなるとしている。
今週はY・B・マングンウイジャヤの「香料諸島綺談」(めこん)を読んだ。これはインドネシアの小説で、舞台は主にスラウェシ島とイリアンジャヤに挟まれたハルマヘラ島周辺。16世紀末から17世紀初めにかけてだ。
本書の副題は「鮫や鰹や小鰯たちの海」となっている。当時、オランダやポルトガル、イギリスなどが丁字などの香料を求めて東南アジアで悪事をはたらいていた。もともと住んでいる漁民は力を持った王族に搾取され、従わないと滅ぼされて女性などは奴隷になってしまうという世界だったが、これにさらに強いヨーロッパの船が出現したという構図。ここから鮫、鰹、鰯の例えが出てくる。
運命に弄ばれる鰯の視点を中心とした群衆劇だけど、つないでいくエピソードがすごく力強くて、引き込まれるのである。たとえば馬鹿正直と呼ばれる船大工が自分の村を滅ぼした王族の人と会うシーン。王族はヨーロッパに対抗するために優れた船が欲しいのだが。このときの毅然とした船大工の態度は、なかなかくるものがあります。
さらに全体がメタフィクションとなっている、すなわち、1980年に女子学生が書いた小説ということになっている。実はこうした辺境の村のことが、歴史においては重要な意味を、知らずのうちに持ち、影響を与える、それは何ら無意味なことでもない。何か鶴見良行や網野善彦みたいだけど。
そういうことで、好みに大きく左右される小説なので、薦めはしないけど、ぼくはけっこう気にいっている本でした。
忙しいと言いつつ、レイトショーでジャン・ラム監督・主演の「天空小説」を見てきした。コピーショップの兄ちゃんが主人公。いつもあまり会えない恋人と電話で話す。ところが、ある日話していて、恋人に「私のほくろの位置を覚えている?」とたずねられて答えられず、あたふたしてしまうまぬけな話。同じ商店街にはおもちゃ屋のにいちゃんもいて、こっちはバービー人形に恋しちゃってるという。なかなか見ていて辛い気持ちになる映画だったな。薦めないけどさ。
今日は雨、一日、ウィザードリィをやっている気がするなあ。
「こちら葛飾区水元公園前通信289.5」96/11/02
23:06
今日はショックなことがあった。
近所のバッティングセンターが11月4日で閉店してしまうのである。
休日はまずここに行って、身体をしゃきっとさせるのが良かったのになあ。すごくショックなのであった。
あとはあんまり言うことないな。ロザベス・M・カンターの「Oの物語」(レターボックス)は、マイノリティ(女性、障害者、黒人、ちょっと変わった人など)がいかにして全体から差別され、その状況に苦しむかっていうことがあまりにもわかりやすく描かれた絵本なんで、機会があったら読んでね。といったところかな。マイノリティは不要な努力を強要され、できて当然と思われ、などなど。できないと○○だからって思われるもんね。心当たりがあるのでは。
「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の100巻も出たぞ。インターネットとPHSがよくわかる本だ(ホント)。水元公園の対岸の三郷公園でキャンプはするし、なかなかローカルな部分も捨てがたい。ついでに「ジョジョの奇妙な冒険」の50巻も出たな。
どうでもいいけど、昨日の「料理の鉄人」のイタリアのおばさんはすごかったぞ。歌って踊れる料理研究家で、陳の存在感がまるでなかった。彼女が主演するNHKの「今日の料理」は必見である、と書いてしまったからといって、いつも見てるわけじゃないんだけど。
しかしGUTSのメディカル・センターの看護婦の制服はちょっとセクシーすぎるぞ。こねで就職してるし。
「こちら葛飾区水元公園前通信290」送信日時96/11/14
07:07
今夜のBGMは喜納昌吉&チャンプルーズのベストアルバム。急に「ハイサイおじさん」が聞きたくなって。出たばっかりのベストだったし。ノリがいいので聞いてしまう。もはや世界的なミュージシャンなので、どうのこうのと書くことはないな。
それよりも、今日はひさびさに大手町のプールに行ったら休みだったことの方がショックが大きい。水元のプールが休みなもんでさ。
現在、J・G・バラードの「女たちのやさしさ」(岩波書店)を読んでいるのだが、なんかいままでの小説の舞台裏を読んでいるという気がしないでもない。
ナワル・エル・サダーウィの「女性に天国はあるのか」(未来社)は、エジプトのフェミニスト。イスラムの女性がいかに抑圧されているか、最近のアフガニスタンのニュースなどからご存じではなかろうか。まあ、そういうことなんだけれど、彼女の場合、視野はそこに止まらない。階級社会での男性への抑圧、政治闘争、などなどが描かれる。問題はそれらすべてが同じ視点で短い作品として並べられていること。続けて読んでいくと、何なのか捕らえることができなくなってしまう。あと、読みにくいのは、これらの作品は読んでいくと結末がわかる。わかるから書いていない。そういった意識的書き落としがある。
「供述によるとペレイラは…」はアントニオ・タブッキの新刊(白水社)。舞台は第二次世界大戦の前のリスボン。当時、スペインでは内戦が起こっており、ポルトガル政府はフランコ政権を支持していた。要するに、イタリア・ドイツ側ということである。一方フランスは市民を支持していた。そういう背景である。ペレイラは非政治的な新聞の文芸欄の編集長。非政治的ということは、体制側ということだが、当人はそれに気付いていない。ある日、地下活動家と出会い、ノンポリのまま彼に協力はする。そういうわけで、本人の思想は関係なく巻き込まれていくのだが、もっとも巻き込まれていく間に意識も出てくるのだが。という話をなにげなく読んでいたのだが、解説で気付いたのだが、今の先進国は保守化の傾向にあり、イタリアでも右翼政党が躍進したりしている。そういった背景に対する危機意識がタブッキにはあるのではないか、という。たしかに、まともな神経ならそういうこともあるだろうな。これまでの幻想的な作品とは違って、社会派のタブッキというのは、でもやっぱり「供述によると」という文で始まるあたり、マジカルな文章なんだけどね。
斎藤綾子の「ルビーフルーツ」(新潮文庫)も読んでしまった。女性のためのポルノグラフィー。読むと、けっこうセックスの場面とか気持ちよさそうに書いているのだが、それではすまない。最終的に印象に残るのは、痛みであった。主人公はわりとマゾだったりするからなのかなあ。あるいは、他者によって解放されるというか。そういった意味では山田詠美と逆のポジションかも。ぼくにしてみれば、エッチな場面で勃起した性器をそのまま無理やり引っ張られて痛いなあってな感じかな。基本的にレズビアンで、男性の描写なんていいかげんだしなあ。
加門七海の「平将門魔法陣」(河出文庫)は、作者の誕生日が1月20日だったんでうっかり買ってしまったもの。裏表紙にそう書いてあるんだもん。で、これ、小説かと思ったら、違ったかもしれない。荒俣宏の「帝都物語」が好きな作者が、うっかり将門のはまってしまって、首塚とかを尋ね歩き、地点を結んで「おお、これはやはり封印するために、北斗七星の形に並んでいるんだぁ」とか、まあそういう怪しげな話をしていくという、アテにならない本なのだが、もうただ道楽とよた話としか思えないところが、楽しいといえば楽しい。だって真面目にならなくっていいんだもん。でも、読むと怒る人は絶対にいるから薦めない。
あと、もう終わるけど、ジョン・セイルズ監督の「フィオナの海」を見た。アザラシがかわいかった。でも変な映画だったな。アイルランドの海の景色はきれいだけど。どうもセイルズって社会派というイメージがあって、そのイメージを裏切る映画ではあったのだが。関係ないけど、始めて岩波ホールで映画を見たんだっけ。あそこっていつも何故か混んでるから、避けていたんだけど。
実は夕べはロフト・プラスワンでメンズリブとおたくの話を聞きながら遅くまで酒を飲んでたのだけれど、その話はまたいずれ。
「こちら葛飾区水元公園前通信290.5」送信日時96/11/21
07:09
来月、大阪に行くのだが、まだ宿泊場所を決めてない。前回の出張なんか当日大阪で決めたもんなあ。いいかげんな奴だよな。密かに、源ケ橋温泉に行きたいと思っているのだが、知っている方、正確な場所を教えて下さい。
福居ショウジン監督の「ラバーズラバー」、見ました。細川さんはスチールとしてクレジットされてるのね。映画というより、オブジェを延々見せられるというものでした。けっこう見るのがつらい、というか不快なものがあって。それはそれで、製作の意図にはまってるんだろうな。
ロラン・バルトの「表徴の帝国」(ちくま学芸文庫)は、丁寧な解説がついているけど、これを読むとかえって混乱する本であった。70年の日本でバルトが発見したものを、その旅を再現する。そういう小説ではないか、そう感じるのである。