「こちら葛飾区水元公園前通信264」送信日時96/05/01
00:42
宮下あきらの「天より高く」。プレイボーイに連載中のまんがだ。闇と破滅の世界の大魔王が引退を決意、息子のヨミとソラのどちらかに地位をゆずることにしたのだが、その判定条件として、大魔王の再婚相手となる大和撫子を連れてくるというもの。かくして二人は地上に降りる。ヨミとソラにはそれぞれ、一つ
だけ特殊な能力が使えるようになっている。ヨミの場合は自由に金を作りだすこと、ソラの場合は動物と話せること。
兄のヨミは「男塾」の邪鬼を思わせる、クールな存在なのだが、一方弟のソラは下半身に節操がない。といっても、横山まさみちじゃない。というか、これがいやらしくないのである。何といっても、登場シーンからしてペガサスとまぐわっているくらいだからね。
ぼくが宮下あきらのまんがを支持してしまうことにはわけがある。というのも、主人公にとって重要なものは自由と個人の尊厳だからだ。
彼は元々、本宮ひろ志のアシスタントだったのだが、本宮が「男一匹ガキ大将」や「俺の空」のように権力指向が強いこととは対照的に、宮下の場合、どちらかというと半権力指向になる。「男塾」でも、個人がリーダーのために死ぬということはなかったが、本宮の場合、リーダーのために死ぬ人間が出てくる。
「空より高く」の場合は、あくまでヨミとソラという二人が軸になっているため、リーダーというものは元から存在しないのだが、基本的にそれぞれ自由な存在であり、枠を意識しないという点は共通している。これをベースとして、好き勝手やってくれているというものなのである。最初のエピソードは、女系一族の孫娘は自由に生きたいためにあえて男装している。だがその母親は娘に自由な女性として生きて欲しいと思っていた。そのためにネックとかるのが祖母の存在である。孫娘は母親の気持ちを知らないのだが。そんな中で、ソラは孫娘の自由のために一肌ぬぐということなのだが。やっていることはほとんどお笑いの域に達していて、特に1巻のラストは、やっぱり、と思うけどなかなか笑えるというわけ。
とにかくベースがしっかりしているだけに、いやらしさが残らず、とことんばかばかしくやってくれるというわけだから、ぼくはおすすめしてしまうのだ。
スーパージャンプ連載中の「世紀末博狼伝説サガ」も、ギャンブルでとことんおばかなことしてくれるわけで、ある意味では格闘でおばかなことをし続けた「男塾」よりも安心できるし、あとはこのテンションをどこまで保ってくれるかが問題。ジャンプではよく打ち切られたもんな。今でも、「鳴呼!!毘沙門高校」での不沈空母仲曾根のセリフ「国民ってな、税金を払ってこそ国民って呼べるんじゃねえのか」は傑作だと思うんだけどなあ。
しかし、こういうおばかなまんがを、こうやってまじめに紹介すると、少しも面白く
なさそうだね。
休みの間に「ゲテ食大全」(データハウス)を読んでしまった。公園の葉っぱから、カタツムリ、ゴキブリ、ミミズ、カブトムシ、セミ、アリ、ドバト、セキセイインコ、イヌ、ネコまで食べるという、レシピ付きの本。いちおう、エスカルゴはカタツムリじゃん、とか、イナゴが食えてゴキブリが食えないわけはないといった理論的思考はしてセレクトしているが、まあ、できれば食べたくないものがほとんど。その中では、フジツボは食べてもいいかなって思うけど。アオイソメはウニのような味がしてうまいというのが気になる。たしかに、ゴカイの類を食べる地域もある。でもなあ、やっぱりちょっとやだな。
「エコエコアザラク」をビデオで見たけど、佐藤嗣麻子監督で、吉野公佳の美少女ぶりがいいなあという、でも菅野美穂もいいかって、そういう映画じゃないか。血みどろシーンはなかなか抑制がきいてるし。ビデオで見る分にはいいかな。
「こちら葛飾区水元公園前通信265」送信日時96/05/07
05:20
今は夜中の3時です〜
鈴木が立ちションしています〜
という歌が昔、あったことをつい思い出してしまった。
でももう4時半近く、こうなると夜中とは言わない。朝である。
駒田と同じで、つい酒を飲むと眠くなってしまって、こうなるんだな。
というよりも、本を読んでいると眠ってしまうという方が正確かな。先日、図書館のリサイクルコーナーで「ついでにとんちんかん」という、えんどコイチのまんがを何冊かもらってきて、それを読んでいたのだけど。いやあ、なつかしくってさ。
この4連休はけっこうごろごろしてすごしてしまった。4日に山に行ったくらいかな。今回は、丹沢方面、といっても東のはじの鐘ガ岳という、標高500メートル少しの低い山。中薗のペースに合わせるということで。でも、温泉にも入れるので、家族で軽くハイキングにはいいかもしれない。したがって、参考までに。
本厚木駅のバスセンターから、広沢寺温泉行きのバスに乗って、広沢寺温泉入口で下車。バスを待つのがめんどうなときは、七沢温泉行きに乗って、七沢温泉入口で下車して歩くという手もある。
バス停から広沢温泉方向に歩いていくと、やがて鐘ガ岳登山口というのがある。
この山のいいところは、頂上に神社があるのだけれど、ここまでの道のりに1丁目から28丁目までの石が立っていること。最初のいくつかは菩薩付きである。こういう目標があると、気分的に楽なはず。
坂はなだらかな登りが続く。ただし、最後に350段近くの石段があるけど。
山頂の見晴らしは良くない。でもまあ、あきらめる、と。
帰りは広沢温泉、山の神トンネル方向に降りる。こっちはやや急な下りが続くので注意。30分も降りると、舗装された道路にでる。ここからしばらく、林道の下りだ。
途中、大釜弁財天のしるし、というか石が建っている。このしるしのあと、川を渡ってすぐに、日向薬師方向に曲がる道がある。この道を右に入って、上っていく。と、弁財天があるので、おまいりしたい人はする、と。
さらに少し登ると、日向山方向に入る山道があるので、これを登る。なお、中薗はこのあたりで、また山道に入るのか、っていう感じで、ぷりぷりと怒りだした。でもまあ、登りはごくわずかなので、となだめる。
上った先、日向山ではなく、七沢温泉方向に降りていくこと。こっちもけっこう急な坂なので注意。
七沢温泉の場合、入浴のみ、900円〜1000円という旅館があるので、ここで温泉につかって、疲れをいやして帰るというわけである。男女別浴の露天風呂なんかもあるし。
帰りは、もちろん七沢温泉からもバスがあるが、少ないので七沢温泉入口のバス停まで歩くことになる。ここにコンビニもあってビールも買える。
トータル、4時間のハイキング、交通の便はいいし、丹沢の場合、二次林とはいえ広葉樹林が多いので、気分良く歩ける。
連休にしたことは、あとはガス台を新しくしたこと。使い方が悪いので、ちょっとこわい状態になっていたし。
東水元キャッチボール同好会を作ったこと。ぼくが会長でかみさんは名誉会長。ただいま会員募集中である。かみさんはカーブを覚えて、けっこう楽しそうであるが。
6日には、釣りに行った。といっても、実は江戸川放水路の河口まで自転車で走っていくのが目的だったから、予想通り釣果はなし。帰りは陸風の逆風で、しんどかった。
地ビールなるものを飲んだ。西武に赤坂ビールと深大寺ビールがあったので。ピルゼンタイプで、酵母が生きている感じがする。アルトのような味わいだな。やや酸味があって。でも下面発酵なんだけど。喉越し云々というものじゃないので、たくさん飲まなくてすむかもしれない。
鶴見良行の「ナマコの眼」(ちくま学芸文庫)を読み終わり、鶴見の本を2冊、買った。ぼくの歴史観は、鶴見と網野善彦のよって形成されている。なんせ日本史も世界史も2だったもんな。
ビデオで録画した中原俊監督の「桜の園」を見た。これは傑作、面白かった。ストーリーは説明するまでもなく、原作は吉田秋生。抑制がきいていて、女子高生の子供っぽいところとそうじゃないところが出ているし。でも、女子校の先生にはなりたくないと思った。あんなにいるとちょっときもちわるい。
アニー・ハズラムの「STILL LIFE」という古いCDも買った。クラシック音楽に歌詞をつけて歌うという企画で、バックはロイヤルフィル。でも、あくまで企画物だなって、ちょっと思った。
清原なつのの「花岡ちゃんの夏休み」と「真珠とり」を探している。いつかは見つかるだろう。「まんだらけ」には清原なつのの本そのものがなかった。
連休の間に作った料理は、魚入りスープビーフンともつなべ。魚は今回はタラをメカジキを使った。ムニエルにしてからスープに入れるというのがみそ。体脂肪を燃やすためにレッドペッパーを使う。
こうして、連休が終わっていくのであった。
「こちら葛飾区水元公園前通信266」送信日時96/05/13
23:39
今日は新大久保の古本屋で清原なつのの「花岡ちゃんの夏休み」を買ったのでちょっとうれしい。あとは「真珠とり」だけだ。いや、仕事であっち方面に行ったら、つい寄ってしまって。
土曜日は、野村、その同僚、かみさんと4人でテニスをしました。ほんとうにひさしぶりでコートでテニスをしました。早朝から、まあ、何というか。いやあ、テニスはむずかしいですねって。脚が痛いですよって。こうして使ったカロリーはしっかりお昼に補給されてしまうところが悲しいのだが。
テニスの後遺症はまだあって、ちょっと脚が筋肉痛だったりしますが、それでも今日はプールに行ったし、それでちょっと楽になったかな。
今週の本は、まず村井吉敬編の「マンガで読む東南アジア」(ちくま文庫)、何となく肌触りとしてタイ、インドネシア、フィリピン、マレーシア、シンガポールがわかるという本。まんががおもしろいわけではなく、それをもとにした解説が大部分なのだが。
アントニオ・タブッキの「レクイエム」(白水社)を読むと、タブッキって中編作家なんだなあってしみじみと思ってしまう。長くもなく、短くもない話なのだ。短編集の「逆さまゲーム」の場合、どうしてものりきれなかったのだが、本書では主人公が半日リスボンをうろうろしていろんな人と出会うだけという話で、それが「インド夜想曲」などと同じく、えもいわれぬ不思議な旅行感覚を刺激してくれて、ほんっと、タブッキのリスボンを旅するって感じ。こんなに気持ちいい本はないって。今月の最大のおすすめですから。
「筒井康隆の文芸時評」(河出文庫)は解説にあるように、スピード感が売りの本。時評で取り上げている作品なんてだいたい読んでいないものだし、読まれるという期待も、きっと、ないと思う。それはもう、今月のネタですっとばしていく、という本。それだけ。
キャシー・アッカーの「わが母;悪魔学」(白水社)が面白いかと言われると困ってしまう。よくわかんないし。今回の本では、彼女の憎悪はどこに向けられているのかなって考えるけどさ。「イグアナの娘」じゃないけど、娘を愛せない母親と愛されない娘っていう話、アッカーにもあてはまるのかな。ブッシュ大統領(当時)に向けられる憎悪は明らかに、アメリカの保守的・父親的存在だけどさ、つまり中絶禁止とか言うような。その他にもいろいろあるんだけど、やっぱりよくわからん。ごめん。
布施英利の「脳の中の美術館」(ちくま学芸文庫)は、彼の博士論文をやさしい言葉で書いたものってな具合。人間の身体構造はこの5万年変化していない、したがって美術に関する身体構造も変化していない、というのが前提。そこで目の構造、および脳の構造をもとに、美術作品を鑑賞していく。新鮮な視点だし、ふむふむと思ってしまう。でも、この時点ではまだ、思うだけなんだと思う。
今はさくらももこの「そういうふうにできている」(新潮社)を読んでいる。
映画もいろいろ見ているのだが、テオ・アンゲロプロスの「ユリシーズの瞳」はやはり、「アンダーグラウンド」を見てから考えたいなって。どっちもボスニア=ヘルツェゴビナが舞台の映画だもんね。
「南京の基督」の徹底した倒錯のしかたもいろいろと書きたいけどな。何たって、日本人の作家の役をレオン・カーウェイが、中国人の娼婦の役を富田靖子がやっているし、その構造は、「Mバタフライ」じゃないけど、日本と中国の関係として、侵略するものとされるものという関係があるもんな。富田靖子は性病に感染するのだけど、これも当時からしてエイズのような扱いだし。しかも、物語は常に主人公の作家の視点で描かれるが、よく考えてみれば娼婦にならなければ暮らせず、病気の男も受け入れなければならず、あまつさえ病気になってしまう女性の視点だったらたまんないな。でも、そういう視点を出さないからなおのこと、見ている者の深層に娼婦の悲惨さが残るかどうかは、これはやっぱりわからない。おまけに、中国人の娼婦が信仰するのがキリスト教だったりするのだから、倒錯もなかなかきている。多分、彼女は自分が天国に行けると思うことで救われているんだけど。ただ、見ている方は彼女をマグダラのマリアと重ねるかもしれないけれど、彼女はどうなのかよくわかんないな。この映画、キャストが、中国人女性と日本人男性だったら、中国人にはたまらなく不快な映画だったろうな。倒錯することで、見ることができ、できればその影にある構造も見て欲しい、といったところだろうか。ちょっとつらい映画である。
「とまどい」はよくわかんない映画だった。エマニュエル・ベアールが好きだからいいけど。クロード・ソーテ監督の前の作品「愛を弾く女」もよくわかんなかったけど。
NHKのアジア映画劇場ではパレスチナの映画「三つの宝石の物語」も見たけど、つらい気持ちになってしまう。舞台はガザ、少年と少女の恋物語なんだけど、この舞台ではそうは幸福になれないんだよな。
今夜のBGMはエブリシング・バット・ザ・ガールの「WALKING WOUNTED」でした。いつものけだるい音楽にひたすら変なドラムが入りまくっていて、どうしちゃったんだろうというものです。それではまた。
「こちら葛飾区水元公園前通信267」送信日時96/05/18
06:22
今週は1冊だけ、ロバート・キース・ワレスの「瞑想の生理学」(日経サイエンス社)である。
これはけっこう変な本。簡単に言うと、瞑想は身体にいい、というわけで、ヨガの瞑想をすれば、喘息は良くなる、精神が安定して犯罪が経る、動脈硬化も良くなる、等々。すごいのは、都市に瞑想している人がたくさんいると、その影響が現れて、犯罪も減るという。こういうことを、量子力学まで持ち出して説明するという。
まあ、だからといっておもしろいわけじゃないので。まあ、何より、安定した精神が大切って思ってくれれば読む必要はない本ですから。
エミール・クストリッツァ監督の「アンダーグラウンド」を見た。3時間近い映画。ストーリーはというと、舞台はユーゴスラビア、第2次世界大戦にドイツ軍の侵攻によって、というか、まあそんなことで地下に閉じ込められた人たちがいる。50年後、ユーゴはやっぱり戦争している、というわけだ。まあ、この間、いろいろあるのだが、くわしくは説明しない。だってこのいろいろを話しちゃね。
戦争から戦争までの50年、これをすっかりおバカにやってくれるわけだ。とはいえ、戦争しているわけで、そうそう無事なわけがない。愛人を横取りするわ、チンパンジーを追ってどっかいっちゃうわという。親友にひどいことしたあげく、ラストシーンで「許す、でも忘れない」というセリフがすべてっていう。
最初から最後まで、ブラスバンドの音がなかなかにぎやかで、そのラストにはつい泣いてしまった。
テオ・アンゲロプロス監督の「ユリシーズの瞳」もまた、サラエボが出る映画。話はギリシャから始まる。
幻のフィルムを探す監督A(ハーヴェイ・カイテル)が、アルバニア、マケドニア、ルーマニア、セルビア、ブルガリアなどに行ったあげく、最後にボスニアにたどりつく。
アンゲロプロス監督は、寓話という形でギリシャがどこにあるかを描く。それは「こうのとり、たちすさんで」のときはアルバニアとの国境だった。それが今回はバルカン半島全体。
「ユリシーズの瞳」は完璧な映画である。3時間、映像に釘付けになる。
ロードムーヴィーというには、あんまりな状況である。とりわけ、サラエボは。でも、このサラエボも、霧が出ると、戦争ができないから、お祭りになる。このシーン、なかなか。
だが、ではこの2本の映画、どちらを選ぶかというと、ぼくは迷ったあげく、「アンダーグラウド」を選ぶ。同じ3時間近い映画で、途中だれてしまう部分もある映画であっても、その圧倒的パワーは「アンダーグラウンド」の方が上なのだ。
言ってみれば、「ユリシーズの瞳」はオマリーの貴重な追加点となるタイムリーヒットだとすれば、「アンダーグラウンド」はミューレンのサヨナラホームランみたいなものである。「ユリシーズの瞳」のラストではぼくは息がつまってしまう。泣くことはない。
今週は喜国雅彦の「月光の囁き4」を買ったけど、もう、精神的SMというか、そこまでやる、というか、泣きたくなってしまった。悲しくなって、夢まで見てしまった。そこまでさせるなんて、傑作ですね。「悪魔のうたたね1」も読んだし、これもすっごく好きなんだけど、同じことやって、それで、ぎりぎりのところで笑いにしない、この緊張はすごいんではないか、と。
あと、今日は明智抄の「砂漠に吹く風」を買ったけどまだ読んでいない。
「こちら葛飾区水元公園前通信268」送信日時96/05/27
03:38
うちにあった、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」1〜98まで、すべて図書館に引き取ってもらった。水元図書館にはまんがコーナーがあるのだけれど、半分はこうした寄贈によって成り立っている。おかげで、こちらもいろいろと借りて読んでいるというわけ。でも、借りるより寄贈した方が多いけど。
今週は、まず、スーザン・ソンタグの「反解釈」(ちくま学芸文庫)を読んだ。もう30年も前の本で、ビートルズなんか今をときめいていたりする。当時のソンタグは30歳になるかならないかくらいで、本書でさっそうとデビューしたわけ。
本書では、ソンタグはいわゆる「この作品が何を言わんとしているのか」といった論議はしない。そうではなく、映画や演劇、文学作品のスタイル、あるいはシチュエーションについて、それが現代のどこに位置しているか語る。「戦艦ポチョムキン」のクローズアップの意味、ベケットの戯曲の世界、等々。こうして彼女のペンはばったばったと作品を切っていくという、当時としては気持ちのいい本、だったのだと思う。
本書で今でも読まれるべき最大に重要なのは、おそらく「<キャンプ>について」というエッセイ。キャンプという言葉、最近では巽孝之の評論でしか使われない言葉だが、このほとんど死語となってしまった言葉の当時の勢いがよくわかる。正確に言うなら、どの時代でもそうなのだけれど、何か元気のいい部分で定義できない動きについては、わけのわからない言葉をつけるというのが普通。たとえばサイバーパンクとか、ヌーベルバーグとか。30年前、たとえばオノ・ヨーコなどがハプニングと称する作品を制作していた。これは演劇ではなく、簡単なシナリオがあって、客はいるけど、何が起こるかよくわからんといったものだった。こうした、今でいえばジャンクアートのようなもの、演劇、小説、映画、とにかくキャンプなのである。
キャンプの場合、制作している側も、何だかよくわかっていない。低俗なものをどんどん取り込む。まさに、「反解釈」のレベルで論じられる現在だった。
とまあ、そういう本。ソンタグの次の本は「ラディカルな意思のスタイル」(晶文社)となる。ほんとに、彼女はゴダールの映画やベケットの芝居にのめりこんでいくんだな。そうして30年が過ぎる。
島田雅彦の「植民地のアリス」(朝日文庫)は、特におもしろい本じゃないと思うけど、島田にしては素直な文章だった。いつも悪意を剥き出しにする人なのに。いちおう紀行というジャンルになる。しかし、ここで語られているのは、旅に出て悪意の殻をはぎとってしまった島田の姿。だから、ケニアに行っても択捉島に行っても、その土地のイメージがわいてこない。別にすすめない。
「酒文化通信5」(新宿書房)も読んだ。座談会「縄文の酒」は、結論から言うと、酒はあったのかどうかわからんし、どんな酒かもわからん。でも、噛み酒だったと思う。噛み酒というのは、穀物などを噛んで唾液で糖化させてから発酵させるという、ちょっとこれは飲みたくないな、というもの。ブドウなどの果実であれば、その必要はないけど、そういう酒はあったかどうか。
最後に、今月の日経サイエンスはけっこう読んで楽しい論文が多いと思う。他の星にいる生命を探る望遠鏡とか、琥珀に閉じ込められた虫とか、交通渋滞は解消できるかとか、ナノテクの現在とか、いろいろ。数学レクリエーションはモノポリーだし(でもこれはあんまりおもしろくなかったけど)。そういうわけで、読んでいると眠くなってしまうのである。(先月号の付録の蛍光塗料の百武彗星は部屋にかざっているし)
「こちら葛飾区水元公園前通信268.5」送信日時96/05/28
07:22
月曜日から午前様というのは、ちょっとつらい。昨日は接待で二次会はないという話だったのにな。
二件目のピアノバーで、そこのホステスが出演する演劇のチケットを買ってしまった。イギリスのフェミニズム・演劇だというから。彼女はさらに秋にはベケットの芝居もさんぼんだてでやるというし、こうなると、どうしても行くって言ってしまうが、持ち合わせがなくて、上司に少し借りてしまった。