「こちら葛飾区水元公園前通信277.5」送信日時96/08/01
07:07
今週は雑誌の締切りで、忙しい。でも、今日も中学校のプールに行った。
今日は料理をしていて指を切ってしまった。右手の人指し指なので、つらい。でも、なぜか、ワープロを打つ速度はそう変わらなかったりする。かえって、速い気もするなあ。なんでかなあ。
今週の本は、まず、ドーキンスの「遺伝子の川」(草思社)、これはなかなか眠くなる本であった。基本的には、ドーキンスを知っている人には、そうかあという本だし、知らない人も、生物はDNAの乗り物だって言うじゃん、と言えば納得いくか、という。でもそれは情報が流通する原則のようなものではないかと思う。ケアンズ・スミスの本を読むとそう思ってしまう。
原田宗典の「東京困惑日記」(角川文庫)は電車の中で読まない方がいい。笑ってしまうからだ。はっきり言って、電車の中で本を読んで笑っていたら不気味である。
その点、森敦の「天に送る手紙」(小学館ライブラリー)は、心が洗われるような本でいい。短いエッセイを集めた本なんだけどさ。死の直前まで書かれていたんだって。まあ、「月山」とかにつながる内容だけど。すすめはあいないけど、そういうもんです。
今週の映画はパトリス・ルコント監督の「大喝采」、損も得もしない映画だったけど。老人3人がいい味だしてるといったところかなあ。ミシェル・ブラン(「仕立屋の恋」の人)に髪の毛があるので笑ってしまう。髪があるとちったあ若く見えるというのは事実だなあ、と。これもすすめはしない。
「こちら葛飾区水元公園前通信278」送信日時96/08/06
21:43
先週の土曜日は、予定では石川と釣りに行くはずであった。いろいろ不幸なことがあって、一人で葉山まで行ったのだけれど。もうほとんどゴンズイばっかり釣っていた気がするなあ。けっこうでかいゴンズイも釣れたんだけどね。2枚におろして焼いたけど、そう悪くない。ゴンズイって、知らない人のために説明すると、海にいるナマズのなかま。ひれにナイフのようなとげがあって、注意が必要だが、みそ汁の具にするとだしがよく出てうまい。群れになっている。とりわけ子供のゴンズイの群れがゴンズイ玉と言って、潜っているときにこれにつっこむとえらい目に合う。てなわけで、あとは塩焼き用のベラとかキヌバリ(ハゼの一種)とか釣って、シッタカ(巻き貝、しょうがとみりんと醤油で煮るとうまい)をとって帰ってきた。でも、この日の葉山の水はにごっていて良くなかったな。
同じ頃、石川は少し手前の元町でギンポとキヌバリを釣っていたそうである。
先月は、図書館から借りてきた本ばかり読んでいたので、買った本にほとんど手がついていない。こんなに積ん読本が増えたのはひさしぶりのことである。その上、現在、埴谷雄高の「死霊III」(ローマ数字の3だ、出ない人がいるだろ)などというやっかいな本を読んでいるからなあ。今月はがんばって買った本を読むことにしよう。願わくば、たいした新刊が出ませんように。
水元キャッチボール同好会では、最近バッティング練習ということで、バッティングセンターに行ったりしている。中薗でもどうにか球が前に飛ぶようになった。
というわけで、キャッチボールをし、バッティングセンターに行き、銭湯に入ってビールを飲みたいという人は、いつでもOKである。声をかけるように。
というわけで、相変わらず、中学校のプールに通うのであった。中山さんは毎日来ているそうである。最近、引っ越したのだけれど、引っ越し先の隣の住人が同じ年齢のバツイチの女性で、こんど一緒に三浦海岸に行くのだとはりきっている。カタギの女性はいいなあ。とか。
中学校の開放されたプールは無料のくせに空いていて、1コース1人といった状態であるが、昨日は17歳の女子高生ががしがし泳いでいて、おじさん、負けちゃうよな状態であった。
てなわけで、「こちら葛飾区亀有公園前派出所99」は、軍事将棋とかカタ屋とかが妙に懐かしいのであったが、これについて知らないという人は、このメールを読んでいる人の中にどのくらいいるのだろうか。
「こちら葛飾区水元公園前通信279」送信日時96/08/11
13:33
昨日も釣りに行った。今回は石川とである。まあ、キヌバリとかベラとかギンポとか、そんなものであるが、まあこのあたりはどうでもいい。ちょっと悲しかったのは、潜ってもあまりいい状態じゃなかったこと。まあ、イシダイとかメジナとかボラとか泳いでいるんだけどね。まあ、海で泳ぐのも、今年はこれが最後だろうな。
今週のおすすめは九月乃梨子の「ちびさん」(祥伝社)、主人公は幼稚園に通う男の子、ちゃる君。はっきり言って、キャラクターとしては「・・・点点点」の庭子や山本君と同じだけど、まあ、こういうのほほんとした主人公と付き合うっていうと、人間、何だかのんびりした気分になっていいもんです。ある意味では庭子ちゃんと山本君が結婚して子供ができてってなところかもね。でもって、強力なのが幼稚園の同級生の銀子ちゃん。粗暴な親にして粗暴な子という感じで、そういえばこんな女の子いたよなあっていう記憶も蘇ってきたりして。
おすすめの本はもう一冊、伴田良輔の「女の都」(河出文庫)である(この名前、山上たつひこの「半田溶助女狩り」を思い出してしまうな)。性の冒険家ウィヘルム・リヒャルト博士が語る回想を、200点の写真とともにまとめた本。といっても、この博士、実在とは思えないのだけれど、それはまあいい。伴田自身が博士に出会って、ばらばらの原稿をまとめたということなのだが、文章は短くって、写真がメイン。とはいえ、この写真、ただものではない。テニスラケットでオナニーしていた女性が産んだ、テニスボールのような子とか、猫との間に生まれた子とか、SMありレズビアンあり雰囲気は20世紀前半のヌード写真という、おまぬけな写真におばかなキャプションがついている。というわけで、とにかく笑える本なのである。エキゾチックな魅力も捨てがたいのだけれども。
埴谷雄高の「死霊III」(講談社)は、別にすすめたりはしない。というか、章を追うとにわかりやすくなっている気もして、それは結構なことなんだけどさ。最後の審判ということで、では私たちはどういう罪の上に生きているのか、ということなのだが。動物は他の生物を食べることで生きている。そこで、キリストに食べられた魚、釈迦に食べられた豆が最後の審判で彼らを裁くのだが。でもね、生物ってそういうもんだと思っているので、そういうことはぼくはちっとも罪だと思っていない。生まれるにあたって、何億という精子の競争に勝ってきているといってもね、だから何だと言われてもこまってしまう。死んだ精子のことを考えろと言われても、ねえ。以前、埴谷はテレビで「桜の花が散る。そのとき、5枚のうちまず一枚が散る。そのとき残された4枚は何を感じているのか、そのところを考えないと」などと言っていたけど、それは桜の問題ではなく、結局は人間の精神の反映でしかない。そうした、「花は散る」という論理の中で、自分の存在がどのような意味を持つのか、そういうことだとは思うのだが。ドーキンスから一番遠いところにある本ではないか、と思うのである。
あとは、原田宗典の「平凡なんてありえない」(PHP文庫)も読んだ。コンスタントに笑えていいなあ。
今週のダマサレタは、スティーヴ・ハウの「HOMEBREW」というCD。イエスが好きだとはいえ、かように騙されてしまうのであった。
だまっされなかったのは王菲の「浮躁」、何かもうホンコン・ポップというより、良質なポップミュージックになってきちゃったなあ、という。コクトー・ツインズも曲を書いているとか、そういうことじゃなくって、北京語の心地よさというわけでもなくって、言語なんか関係ないところで、気持ちいい音になっちゃったなあってなとこ。もうアイドルじゃないんだなあって。まあ、今から思えば、彼女にとってテレサ・テンのカバーがターニング・ポイントだったかなあって。ジャケットを見ても、ルックスで売ろうとか、そういうものじゃなくなってるもんな。シンプルで趣味のいいデザインという感じ。それがそのまま内容を反映している。
そういや、先日、「週刊金曜日」を読んでいて、ひさしぶりに一政祐輔教授という名前を見てしまった。何でも、御用学者として、ITER(国際熱核融合実験炉)の苫東誘致へ向けてのヒアリングで「トリチウムは、大丈夫ですよ。水爆実験のときなんか大気中のトリチウムは今の800倍だったんだから」ってなことをしゃべってるらしい。まあ、元気そうである。原発は反対だけど、核融合はよくわからんな。まあ、日本が誘致するというのは、また別の問題なんだけど。それに、実用化されるとしても、まああと100年くらいかかるかもしれないし。だからといって、トリチウムが大丈夫だとは思わないけどさ。内部被爆した場合、けっこうやばかったような気もするんだけどな。
「こちら葛飾区水元公園前通信280」送信日時96/08/14
09:57
今週のちょっとだまされたまもしれないは、巻来功士の「瑠璃子女王の華麗なる日々」(スーパージャンプコミックス)。この人って、昔、少年ジャンプに気持ちいいSFをかいていたような気がして、で今回はSMというわけでどんなもんかいと思ったが、思ったより絵が下手だったなあという感想。暗い過去を持つSMの女王様が事件に巻き込まれ、解決するという話で、キャラクターはおもしろいし、登場人物もSMにはまっていくんだけど、なあ。
伴田良輔の「独身者の科学」(河出文庫)はついでに読んでしまったけど、「女の都」同様、予想外に笑えて良かった。ちんちんやまんこの絵とかキスの写真とかよくもこんな変な絵を、つまり古い写真からエッチまんがまで、ディヴァインからソフィア・ローレンまで、謎の広告から江戸の体位まで、とにかく独身者に関わるものを集めたという。おばかな本です。すいません。
山口椿の「エロスの館」(河出文庫)は、彼のエッセイとエロチックな絵を集めた、これもすぐに読める本。絵を見ていて思ったのだけど、シリアスなエッセイに対応するきれいな絵なのだから、モザイクは似合わないなあ。
ふつうの小説のお話もします。ジャン・エシュノーズの「マレーシアの冒険」(集英社)は、抜けた味わいがありますが、おすすめしません。エシュノーズの小説って、50ページくらい読んでも、舞台がころころを入れ代わるので、何が起こっているのかつかめなくって、なかなか小説に入っていけなかったりします。しかも、細部が妙に書き込んである一方、意識的書き落としもあるし、とぼけた感触にだまされてしまいます。でも、こういう味わいのフランスの小説って、やっぱり好きだなあ。
渥美清が亡くなったことについては、いちおうこの通信でも書いておきます。
映画「男はつらいよ」は、「こち亀」と同様、葛飾を全国にあまりにも有名にしてくれたもので、車寅次郎という人物は両津勘吉と同様、行き方をあこがれさせる人物でした。山田洋次もまた、かつてはどこにでも寅さんのような役に立たないような人物がいて、でもそういう人物のおかげでなごやかな雰囲気になったりしていたか、そういう人って必要なんだけどなって、言っています。でも、世の中、効率化しちゃって、いなくなっちゃったよなって。そういう人物がスクリーンの上にだけでもいるっていうことは、必要なことだったんだろうって思う。作品としては、何本か見ればいいのだろうけど。子供の頃、テレビドラマだった記憶もあるし、8作目あたりのポスターでは寅さんが一升瓶を持って歩いていたから、もうそういう人っていうイメージが強い。何たってフーテンなんだから。フーテンなんて死語なのにね。
日曜日に柴又・帝釈天に行ってきました。まあ、そう言われるほど人がつめかけているわけじゃなく、いつものような賑わいでした。思ったのだけれど、帝釈天の参道は短く、「男はつらいよ」という映画がなけでば、全国のどこにでもあるような小さな門前町にすぎないところです。そこが、これから「男はつらいよ」という映画が忘れられていく中で、どのように変化していくのかなあって思うのです。実はこの参道のお店、けっこう好きなんです。豆専門店(ここのゆでた赤えんどうや青えんどうはビールのつまみにぴったり)とか、佃煮専門店(まあ、めずらしくはないけど、イナゴがいつでも買えると思うだけでうれしい)とか、芋専門店(スウィートポテトね、それに芋アイスとかさ)なんかもがんばってたりして。升酒を飲ませてくれるとこもあるし、団子だけじゃないのだ。そういうものが、ひっそりと生き残ってくれるとうれしいなって。それとも、さびれていくのかなあ。
柴又というのは、下町というイメージかもしれないけど、実際には江戸のはずれ、田舎です。川向こうは矢切、ねぎの名産地、どころか金町も同様に金町ねぎという品種があるくらいですから。どのくらい江戸のはずれかというと、川崎大師や王子稲荷みたいなもんでね。何でこんなことを書くのかというと、今、C・W・ニコルの「黒姫通信」(講談社文庫)を読んでいるからなのです。彼が黒姫を自分の家とし、日本人になったように、ぼくもすっかり葛飾の人になってしまったなって。本籍もここになってるし。金町の駅前にはいつも百々ちゃんがいるし(ももちゃんと読む。知らない人のために説明すると、職業はちんどん屋で映画「北京的西瓜」にも出演している老人。いつもちんどんメイクで駅前に立って、演歌をバックに掃除したりしている。駅の名物的存在)、水元公園はあるし。別に人情が厚いとは思わないけど、でもまあ住んでいてあくせくしないところはいいなあ、と。そういう中でも商店街の店は相変わらず減っているし、変化はしているのだが。そういう中に、柴又があって、そこは「男はつらいよ」で有名だなって、そういうもんだなあって。
渥美清という俳優・コメディアンについては、語る言葉を持たないけれど、車寅次郎については、実はずっと昔に失っていたものだったのかもしれないという気もするのです。そして、気がするのではなく、本当に失ってしまったのだとも。そして、そういう存在は、でもやっぱり葛飾でひっそりと息づいているものだとも。百々ちゃんとかプールで泳ぎまくる中山さんや商店街のおじさんたちとか、ハーラムショップとそこに食料を買いに来るイスラム系の人たちとか。
いい悪いじゃなく、そういう空気の中で生活していて、この通信をかようなタイトルで送る、そういうことなのではないかと、あらためて思うわけである。もう、すっかり葛飾・水元になじんじゃったなあって。生まれた練馬・石神井でもなく、育った足立・西新井でもなく、水戸でも品川・大崎でもなく。でも、また別の地に住んで、同じようなこと言ってるかもしれないけどね。
合掌。
「こちら葛飾区水元公園前通信280.7」送信日時96/08/20
06:39
「猫が行方不明」という映画を見ました。そのまんまの映画です。主人公クロエを中心に、この他愛ない事件にかかわる、壊れ行くパリ11区の人々の描かれ方がいいです。特におすすめはしませんけど。ちょっとほのぼのします。かみさんに言わせると、恋人ができないという話ではないか、とのことです。でも、協力的なおばあさんたちもなかなかだし。けっこう好きです。
近藤ようこの「花散る里」(白泉社)もなかなか良かったし。
「こちら葛飾区水元公園前通信281」送信日時96/09/01
14:50
マックス・エルンストの「カルメル修道会に乳ろうとしたある少女の夢」(河出文庫)「百頭女」ほどはおもしろくなかったです。テリー・ギリアムのアニメみたいなコラージュのシュールさが、もう少しわかりやすくなった分だけ。
タハール・ベン=ジェルーンといえば、「砂の子供」(紀伊国屋書店)なんだろうけど、これはまだ読んでいなくて、「賢人モハ、気違いモハ」(現代企画室)を読んだ。これはモロッコの小説というか詩というか。北アフリカにおいてフランスというのは支配者であり、ある種の文化を運んできてしまったものなんだろうな。多くの民族がまったく異国の言葉であるフランス語によって共通語化されてしまう、といった状況とかさ。そうすることで、国際社会の中に出ざる得ない、このギャップは日本にいてはわからないかもしれない。まあ、日本人も英語帝国主義に侵されつつあって、インターネットがそれを助長しているけれど。
山上龍彦の「鶏−とり−」(河出文庫)は、これを小説で読むとなあってな気も少しする。この作者、元は漫画家だったって知ってると思うけど、あの絵でダイレクトに伝わるものが、文章にすると。要は、ブロイラーが巨大化してあばれる話なわけだが。カリカチュアされた人物についても同様でねえ。山上が小説に向かったのは、これが個人的な作業だからなのかもしれないな、とも思った。
原田宗典の「十七歳だった」(集英社文庫)も読んだ。十七歳も恥ずかしいけど、ぼくなんて二十七歳も恥ずかしいような気がして。
小林恭二の「日本国の逆襲」(新潮文庫)は、日本に対する悪意がすごく気持ちいいけど、そこで描かれる日本はちょっとステロタイプかなという気もする。たしかに醜悪な国ではあるけどさ。
中原・佐川のよる「ウイルス進化論」(早川文庫)は、ウイルスは生物ではなく、遺伝子を運ぶベクターであり、これに感染することで生物の集団が一斉に進化したとするもの。事実、O−157などは、赤幕ロだか何だかの遺伝子を組み込んだ大腸菌だという話だから、まあそれなりの説明にはなる。でも、生殖細胞に感染させないことには、遺伝子が保存されない気もするのだが。あまりおもしろい本ではなかった。
長沼毅の「深海生物学への招待」(NHKブックス)の方がずっと面白かった。深海といってもメインは熱水などが沸きだすところで、硫化水素を代謝して生きる生物群の話。地球のあらかたの生物は光合成によってできるエネルギーをもとに生きている。でも深海には温泉から出る硫化水素からエネルギーを得ている生物もいる。そもそも地球上の最初の生物はこうした代謝をする硫黄細菌だったと言われているし。木星の衛星に生物がいるかもしれないと言われるのも、その星の温泉にこうした生物がいるかもってなところだ。「スキズマトリックス」に出てきたのを、覚えているかな。
今月、もう一冊読んだのは、ジル・ドゥールズ&フェリックス・ガタリの「千のプラトー」(河出書房新社)なのだが、きっとこれについて書くと長くなるかもしれないな。二段組570ページだもんな。でも、「アンチ・オイディプス」とこの本を読めば、怖いものなしだぞ。
C・クラピッシュ監督の「猫が行方不明」の原題が「みんながそれぞれの猫を探している」というような意味だそうで、主人公も猫と一緒に恋人も探していたな。同居人はゲイの男性だっりとか、まあ変な映画ではあるけど、おすすめはしないけど、けっこうかわいい映画であるから許してしまう。ヒロインが特別かわいいわけでもないけど、でもいい。どんどん壊されていくパリの下町といった風情がなかなか悲しいけど。
トラン・アン・ユン監督の「シクロ」は「青いパパイアの香り」から一転してベトナム現地ロケたっぷりの二時間におよぶ疲れる映画。シクロというのは、自転車によるタクシーみたいなもんで、主人公の仕事。姉には中国人ヤクザの恋人がいるんだけど、なかなか屈折した愛だったりする。ヤクザはかたぎの女をまともに愛することができるような場所にいないおかげで、自分の本心とは裏腹にってなところだ。ラストに西洋人向けのリゾートホテルが映し出され、カメラが移動してベトナムの町になるんだけど、そういう映画なのかなあ。
セックスピストルズの「勝手に来やがれ」は、元気はあるしテンションも高いし、でも、「勝手にしやがれ」があればいいやっていう気がするCDである。ピストルズの再結成は、もう単なる金もうけだということで、それがふさわしいのだから評価するし、その演奏がCDとなって残るのも、けっこう気分がいい。その間に横たわる19年という時間は何だったのかと言われると、何だったんでしょうね。今でも「アナーキー・イン・ザ・UK」がリアリティーがあるというのは、何の進歩もない19年だったということでしょうか。
ジョン・ロットンとジョン・アンダーソンは十代のぼくに決定的な影響を残しているんだけどね。それが何だって言われても困ってしまうのだけれど。
小林昭二が亡くなったなんて信じられない。そりゃ、最近はあまり活躍してないけどさ、やはりキャップといえば「科学特捜隊」の小林昭二か「ザ・ガードマン」の宇津井健かというくらいだったもんな。立花レーシングチームのおやっさんもはまってたもんな。
そのウルトラマンといえば、9月7日から「ウルトラマン・ティガ」がはじまるとか
。隊長が高樹澪だとか、黒部進の娘も出演するとか、そういうことだそうである。
「こちら葛飾区水元公園前通信281.5」送信日時96/09/04
07:12
岩本隼の「ゴンズイ三昧」(新潮社)を買った。このナマズに似た魚をうまいとおもっているのはぼくだけじゃなかったらしい。ゴンズイ汁はうまい。
「こちら葛飾区水元公園前通信281.6」送信日時96/09/05
23:31
今日は「リベラ─ナポリな女たち」を見てきた。3話のオムニバス映画だけど、始まっていきなり歌う司祭にはあぜんとする。まあ、ばかな話ばかりですが、そのばかさがいいです。ストーリーは説明しちゃうとつまんないよね。ビデオで見てもいいような映像だけどさ、アルモドバルを彷彿させる映画ってなところだ。主演女優もおばさんだし。リベラとはイタリア語で自由ってなところ。第3話のヒロインの名前でもある。
次号のトーキングヘッズがP・K・ディックの特集なんで、「流れよわが涙、と警官は言った」を読んでいるのだけど、これってけっこういらいらする本なんだね。