「こちら葛飾区水元公園前通信337」送信日時97/12/06
18:43
今頃もなって、柾悟郎の「ヴィーナス・シティ」を読んだのだけれど、最初に言ってしまうと、話そのものはわりとメロドラマというか、まあ、そんなところだけど、それにヴィーナス・シティそのものもいわゆるハビタットみたいな仮想都市とでもいうのかな。そこでは、自分の性別を変えることもできるわけだから、当然ジェンダーの問題は発生する。でも、そのあたりのことは、今はいい。
90年代初めの書かれたこの小説の背景はというと、舞台は日本。この国が世界の頂点にあり、欧米人はちょうど今のアジア系の外国人のように日本で仕事をしている。言ってしまえば、日本企業と日本の通貨が強いという。まさか90年代後半には、日本はこんなに凋落するなんてってなところで、感慨深い。ただ、「ヴィーナス・シティ」において、日本は強いけれども、それは日本人を少しも幸福にしていないというのもおもしろい。この状態は今も同じだな。
ということは、90年代を通して、日本のポジションこそ変化しているが、日本というシステムは変化していない。そのことが、仮想都市に反映されていくということが、妙におもしろいのではないかということなのである。
ところで、本書はかつて星雲賞を受賞している。この本の中の日本をどのように当時のファンは読んだのかなあ。
今週はあとは、スージー・ベッカーの「大事なことはみーんな猫に教わった」(小学館文庫)を読んだ。なかなか学ぶところが多かった。
それから吉田戦車の「歯ぎしり球団」(スコラ)も読んだ。ひさびさにおもしろかった。野球というテーマがあるからかえって、その枠の中でどんなふうにはずしていくかということが問われる。その結果たるや、読んでね。
「こちら葛飾区水元公園前通信338」送信日時97/12/15
22:47
今週は柴田徳衛の「東京─その経済と社会」(岩波新書)を読んだ。発行が1958年1月だから、40年前の本である。当時の東京の成立過程とさまざまな問題を論じた本なのだが。
図書館のリサイクルコーナーにあったのでもらってきたもので、まあ、昔の東京の雰囲気がわかればおもしろいな、ぐらいだった。ところがちがうのである、これが。
40年前の東京というのは、高度経済成長前夜。戦後の混乱の中から、無秩序に発展してしまった、カオティックな都市なのである。そして、本書で語られる問題はほとんどが解決されることなく、40年後にかなり「今日的」な危機として語られている。
大まかな枠としては、サンフランシスコ講和以降、それまでの民主的な雰囲気が一転して日本を社会主義の防波堤にするべく政策が転換していく。→このことが、現在の日本人をしてついに民主主義を学ぶ機会を逃してしまったことと、相変わらずのアメリカ依存体質につながる。
地方自治体と政府との予算の関係もすでに構築されている。地方には公共事業で建設業を経由してしかお金を落とせない、予算も政府ににぎられているという状態。このことが、地方をして国依存体質を形成し、地方にお金を持ってくる議員が当選する。これも変わっていないことだ。
東京においても、選挙では保守政党が強いが、その背景は自営業などを通じた地域社会の「ボス」による票のとりまとめがある。しかも、東京の人口は急に増加したため、人口あたりでの議員定数は少なかった。
利権と汚職とかも、40年間進歩しなかった。大工場が下請け、孫請けを利用する構造というのもある。これは、自社があぶなくなったとき、下請けなら取引をやめることで、切ることができるからだが、この構造も大きくは変わっていない。むしろ、アジア全域に拡大している。
以上のようなことは、何を今更と思うだろう。でも、こうした構造が、40年間放置されていること自体、あらためて驚くし、その欠陥も指摘されているというのに。本当に、日本が制度疲労しているというのは、このとき決定していたのだろう。
変わったこともある。交通については、ずいぶん改善されている。たとえば、当時、数寄屋橋には堀を埋め立てて作った「高速道路」という名の建物があった。今の西銀座デパートのことだが、当時は自動車が走っていなかったのだ。東京の周囲を走る私鉄はすべて山手線によって止められ、その内部は国鉄に乗りかえる必要があった。今では地下鉄と相互乗り入れしている。
東京都の特別区が自立しようとして制度を変えようとしている。特別区であるということは、区ごとにばらばらに開発せずに整合性を持たせることが可能ということで、理解できる。ただ、もうそういう必要がなくなってきたということなのだろう。
アニタ・ガネリの「光る生物」(白水社)は、そのまんまの絵本。深海魚とかコウモリダコとかキノコとか。なかでもすごいのは鉄道虫。甲虫の一種なのだが、雌は成虫になっても幼虫と同じ姿のままである(こういう昆虫もいるのだ。ミノガ、つまり蓑虫の雌もそう)。で、本では明示してないけど、ホタルのなかまなのだろう、光るのである。だが、お尻だけじゃなくって、体節がすべて光り、頭はオレンジに光るから、まるで夜の列車なのだな。で、鉄道虫である。
付録の深海魚夜光ポスターは、部屋に貼っておくと気持ちいい。
朝日新聞で連載している内田かずひろの「ロダンのこころ」が好きなので、「シロと散歩」(竹書房)も買ってしまった。でも、シロがあんまり頭良くないので、ちょっと悲しくなる。犬だからしょうがないのだけど。まあ、ロダンも同じなんだけどさ。
飛騨高山ビールも飲んだ。日曜日に光ケ丘で野球をした帰りに西武で購入したもの。ヴァイツェンは何となくバナナの香りがして、なかなか中薗は気に入っていたみたいだが、ぼくはむしろさっぱりしたペールエールがいいな。あと、ダークエールもあまりダークではなく、軽め。スタウトはまだ飲んでいない。価格は330mlで650〜700円もするので、おすすめはしない。
京都会議は開会式だけ見に行ったのだが、そこでカメラを持って歩いていたら、女性に「日本人ですか?」と声をかけられた。まったく、こういうことって何度目だろう。声をかけてきたのは、産経新聞の姫路支局の記者。まあ、ぼくも時間があれば、せっかくお近づきになったのだから、などと考えるところだが、名刺を交換して別れてしまった。どうでもいいんだけどさ。当日、ジーンズ姿だったのがいけなかったのかなあ。
図書館で「魔法陣グルグル」の1と2を借りたのだけれど、絵がすっかり気に入ってしまった。で、3以降を予約しておいた。水元図書館はまんががたくさんあっていいなあ。
というわけで、日曜日は「ストリートファイター」というおばかな映画を見て寝てしまったのだが、ラウル・ジュリアはこれが遺作かと思うとかわいそうになってくる。キャミイ役のカイリー・ミノーグはいいかもしれない。本田はハワイ出身だし、強引に最後はみんなゲームと同じ姿になるところが、苦労がしのばれていい。
「こちら葛飾区水元公園前通信338.1」送信日時97/12/19
14:30
今週はイエスの「Open Your Eyes」を聞いた。10曲めまでは聞きやすいけど、だから何だと言われると困るようなものである。ボーカルが前面に出ていて、個人的にはイエスはポップなところが好きだったから、それはそれでいいのだけど。でも「ロンリー・ハート」のようなめちゃくちゃな曲(ヒットしたけどさ、構成からいくと、実は未完成のままなんじゃないかっていう、その強引さのこと)じゃないんだよな。ハウのギターとジョンのボーカルだけっていう曲もあって、それはそれでいいんだし。でも、こじんまりしすぎていて。まあ、「KTA」の新曲はしまりがないって思ってたから、何か矛盾する気持ちではあるけど、そんなもんである。
11曲目(日本盤だから12曲目なんだけど)の「The
Solution」は、演奏時間が23分もあるという。大作だと、そんなふうに思った。でも、違ったのである。じゃないというのがいいね。曲としては数分で終り、残り10数分にわたって、ほとんど鳥の声だかなんだか静かな音が流れていて、ときおり収録曲のワンコーラスが聞こえるという。いや、実は家庭の事情でボリュームを小さくしていたので、何だかよくわからなかったんだけどさ。タンジェリン・ドリームじゃないんだからって、でも、怒る人もいるだろうけど、このくらいまぬけなことをしてくれないと、楽しくもない。
ジェイムズ・ティプトリーJrの「いっしょに生きよう」と「リリオスの浜に流れついたもの」、ジーン・ウルフの「ツリー会戦」とコニー・ウィリスの「もうひとつのクリスマス・キャロル」を読んだ。SFマガジンの12月号である。
ティプトリーって、「たったひとつの冴えたやりかた」のような共生ネタってけっこう書いている。心と身体の矛盾がテーマなのかなあ。「いっしょに生きよう」の共生体にもジェンダーがないし、それが人間の男女にとりつくわけで。逆に言えば、ジェンダーと本質的な、あるいは肉体的な性差、そのテーマがずっと続いていたのかなあって思う。
コニー・ウィリスって、本当に小手先が上手な作家で、今回はディケンズを下敷きに、ほのぼの話をつくっている。読んでそれなりに面白い。でも毒にも薬にもならないんだよなあ。
あと、ジュディス・メリルの追悼原稿がいくつか掲載されていた。メリルといえば、やっぱり「イングランド・スウィング・SF」が訳されていないのが、残念なんだよなあ。年間傑作選は12で終るのだけど、その先にこのアンソロジーがあって、ちらっとは読んだけどさ、ここでメリルにとってのSFがほんとうに終るような気がしてて。
芦原すなおの「スサノオ自伝」(集英社)は、スサノオを借りた教養小説であった。もともと香川出身なんだけど、そういうのをストレートに書くのではなく、スサノオに見立てる。だから、スサノオの感性が現代にいるかもしれない、影の主人公の感性の成長ということになる。でもね、設定として優しすぎるスサノオっていう気持ちもわからないではなく(このあたりが、芦原の描く現代の成長小説なんだろうけど)、それによって運命に翻弄されるストーリーも、ちょっと退屈だし、見立ては評価するけど、後に書かれる「青春デンデケデケデケ」の完成度には及ばない。まあ、それがいいのかもしれないけど。
「こちら葛飾区水元公園前通信339」送信日時97/12/29
10:53
「月刊BIMY」の1月号は藤岡弘のインタビューだ。父親が軍人で沖縄に住んでいて、でもって「仮面ライダー」を見て育った少年が後にアメリカでアクション俳優になる。そして藤岡弘に会って感動するという話がなかなか泣かせる。
さて、「少女革命ウテナ」が終わってしまいました。くわしく説明するのは次回にするとして、結論から言えば、再放送があったら見なさいと言っておく。日本で初めてのレズビアン・フェミニズム・アニメの傑作ですから。ラストはほとんどフランス映画みたいだったもんな。アメリカの大学のアニメ研究会ではどういう反応があるか、水野にレポートしてもらいたい気もする。音楽もひたすら大仰だしさ。
今年最後の本はまず、山口椿の「湘南少女歌劇団」(徳間文庫)。ポルノグラフィという割りにはハイブロウな話題が多く、スポーツ新聞の読者は困ったかもしれない。でも、うっかり通勤電車で読もうと思って鞄に入れていたぼくはもっと困った。朝から読むものではない。何より、ふんだんに収録された森園みるくのイラストのおかげで、人前で本を開けない。
アラスター・グレイの「ほら話とほんとうの話、ほんの十ほど」(白水社)も読んだ。スコットランドの作家。収録作品数からして十以上あるあたりからして、本書のノリがわかるというもの。
マリー・ダリュセックの「めす豚ものがたり」(河出書房新社)は、フランスのベストセラーらしい。ロラン・バルトとセックスピストルズの中間という表現にひかれてかった。でもタイトルは何かあまりうつくしくないよね。でもね、そのまんまの話だったからしかたがない。女性がぶたに変身するんだもん。1月には来日して、東京国際ブックフェアのイベントで松浦理英子と対談することになっているが、親指Pを思わせないでもない作品だから、いい組み合わせかもしれない。
以前から探していたダニエル・ペナックの「奔放な読書」(藤原書店)が今年最後の読書となった。ペナックといえば、「人食い鬼のお愉しみ」(白水社)がすごくおもしろくって、それも外国文学だけじゃなく、ミステリー界でも好評だったもんな。来年1月にはミステリーの第二作「カービン銃の妖精」も白水社から出るというし。ということで、「奔放な読書」は、高校教師でもあるペナックによる読書論なのだが、言ってしまえば、本を読むのはそう難しいことではないということ、おいしいところだけを読む権利があるということ、だからそう難しく考えないで、ということになるのだろうか。