「こちら葛飾区水元公園前通信312」送信日時97/07/05
12:31
なかなか今日(5日)も暑いのだが、あまり気にしていない。今年の夏もエアコンなしである。暑いのは苦手ではない。考えようによっては、無料でサウナに入れるようなもんだから、得した気分にすらなれる。ビールもうまいし。
テレビで「みすてないでデイジー」が始まった。原作はぼくの苦手な永野のりこである。いい悪いは別にして、苦手なのである。であるが、アニメを見ていて、これはひょっとすると、現代的な「O嬢の物語」なのではないかと思ってしまった。
どういう話かというと、人とのコミュニケーションが得意ではないテクノ君が同級生の女の子を好きになるのだが、その感情というのが自分で理解できない。自分の空想の中で女の子を勝手にデイジーを名付け、所有しようとする。ようするに監禁しようとするわけだが、まあ、監禁してしまえば話は終わるわけで、そうならないということは失敗するわけである。ほとんどストーカーの話である。デイジーをカプセルに閉じ込めようとするときのテクノ君のセリフがすごい。
「安心して、もう大丈夫だから。たとえ君が内蔵一つだけになっても、見捨てたりしないから」ってか。
見方によっては、ほとんどホラーになってしまう話なのだが、きっと実際にホラーだと思って見ている人はいないだろうな。
視点がテクノ君であるから、見ている方はその心情をつきつけられる。にもかかわらず、そうした心情を反映させるのが、デイジーの視点だから、倒錯した「O嬢の物語」になってしまう。テクノ君の一方的なディスコミュニケーション的な愛によってデイジーという人格が形作られているからだ。もうこうなると問答無用の愛である。ひょっとしたら、そういう幻想だけが漂っているにすぎない。所有されるというマゾヒスティックな形態の中に、抵抗できずにはまっていくデイジーの存在が、幸福かどうかで、好き嫌いが別れるんじゃないだろうか。
今週は、いきなりスティーヴ・ライヒの「WORKS 1965─1995」を買ってしまった。10枚組みである。ライヒを知らない人のために書いておくと、現代音楽のうちでもミニマルミュージックと呼ばれる分野の人で、80分間打楽器がポコポンと続く「ドラミング」とか、そういう曲だったりする。まあ、これは極端だけど、「SIX PIANOS」のように六台のピアノが微妙に旋律をずらしながら進行していくっていうのは、けっこう気持ちいい。さすがにまだ全部聞いていない。でもまあ、こういうものは人にすすめるものではないな。まあ、流しておくと快感ではある。たまたま今週、山野楽器でセールをやっていて、輸入盤は10%オフだったということもあったけ
ど、それでも15000円だったな。まあ、昔、「DRUMMING」のレコード3枚組が7500円も(今、CD2枚組でもっと安くなってるけど)したから、まあずいぶん安くなったもんだと。
おすすめはブラジリアン・ラブアフェアの「DILENE」。イタリアのラテンミュージックのバンドで、今回が3枚目。夏はラテンだよなあって。女性のボーカルがトーンが高いくせにちょっとかすれていて、独特の味わいがある。ブラジルの本場の音楽と違って、音がシンプルだったり(例ジョイス)、重かったり(例ミルトン・ナシメント)することもないし。この季節には、ほんとにいいです。まあ、冬でもラテンを聞いているんですけど、最近。
斎藤美奈子の「妊娠小説」(ちくま文庫)も読みました。おもしろかったです。そういえば、昔、二編も妊娠小説を書いていたことまで思い出してしまいました。まあ、過去はどうでもいいですけど。
日本の小説には、望まない妊娠をめぐる作品が数多くあり、それを分析していくっていうもんだが、まあ、今日はくわしく書きません。しかし小説の主人公ってそろいもそろって避妊していなくって、これじゃ「あんたバカァ」なんて言われてもしかたないですよね。あらかたの作家がボケに見えてきたりもしますが。
あとは、トマス・ヘッチェの「夜(NOX)」(白水社)とか、小泉武夫の「食は胃なもの味なもの」(中公文庫)とか椎名誠の「アド・バード」(集英社文庫)とか、SFマガジンのル=グイン特集とか、莫言の「秋の水」とかを読んでいました。
そうそう、「少女革命ウテナ」の話の設定が気になるので、ついうっかりコミックスまで買ってしまいました。でも結局よくわかりませんでした。どういうわけか学園には世界の果てから選ばれた決闘者がいて、決闘に勝っていくとやがて世界の果てに行けるという、こう書いても何だかよくわかんない話なんです。あまりにもよくわからないので、つい気になってしまうのです。
今日はとても天気がいいので、水元キャッチボール同好会の活動です。
ビールは最近は、サッポロの限定醸造ビールを飲んでます。麦芽100%の黒ビールとか、小麦を使ったヴァイツェンビールとか。限定醸造とか、そういう言葉に弱いんです。
昨日(6月30日)は清水建設に取材に行った。砂漠を緑化する仕事をしている人で、主にクウェートなんだけど、サウジなんかもやっているとかいう。
ぼくが、「大林組でサウジで緑化の仕事をしている友達がいるんですよ」とか言ったら、
「それ、杉本さんでしょ」とか言われた。けっこう砂漠緑化の世界はせまいのかな。
「こちら葛飾区水元公園前通信312.1」送信日時97/07/07
07:27
都議選が終わった。共産が増えたのはいいけど、自民が増えたのはやだなあ。まあ、閉塞状況がいっそうはっきりしてきたみたいだもんなあ。
みんなろくな政治してないのに、どうして自民党に投票するのかなあっていつも思う。「うちは自民党だから」とかよく考えもせず、プロ野球かなんかと間違えているのかもしれないとも思う。
公園からヤマモモをとってきて、ヤマモモ酒をつくった。梅酒みたいなもんだけど、秋くらいには飲めるでしょう。
昨日は野球をしたので、右の腕はちょっと筋肉痛である。朝の8時からだったのでまだよかったけど、それでもかなり暑かったもんな。そっちの方が体力を消耗させた。10時とか12時とかからやる人たちはけっこうしんどいだろうなあ。
「こちら葛飾区水元公園前通信312.7」送信日時97/07/10
07:19
今日はひさびさの雨ですなあ。
「聖母エヴァンゲリオン」を読んだ。思いっきり深読みというもんだなあ。
昨日、トヨタの環境フォーラムというイベント、今日は人口白書のシンポ、明日はNGOのつどい、そういやおとといは淳君事件に関する緊急集会で衆議院議員会館に行ったっけ。そういう日が続いている。
「こちら葛飾区水元公園前通信」送信日時31397/07/22
07:05
おととい、立石にあるアフリカ料理屋に行った。立石というのは葛飾区役所のあるところである。何でこんなところに、とも思うのだが、こんなところにギニア料理の店があるのである。やや塩辛かったけど、おいしかった。そんなに香辛料も強くないし、ごはんのかわりにキャッサバのおもちで食べるカレー(とーり─=ふーふー)はなかなか腹にたまる。ギニア風ぎょうざは春巻の皮にたまごとオクラを混ぜたものを巻いて揚げたもの。オクラはアフリカ原産の野菜だし、カレーにはピーナッツソース、これが基本である。駒込のガーナ料理屋もそうだったな。
ということで、そのうちまた行くつもりである。和久井は覚悟するように。そのときはご案内します。
「聖母エヴァンゲリオン」について、言うことはないかというと、そうですねえ。この本は小谷真理が普段考えていることを、「エヴァンゲリオン」に乗じて書いたというところではないだろうか。この本を指して「エヴァンゲリオンをレイプしている」と言ったのは小浜章子だった。でも、「エヴァンゲリオン」は、そういう要素が多いからしょうがない。誤解を恐れずに言えば、ぼくは「エヴァンゲリオン」を評価していない。謎さえあればいいというもんじゃないし、引用により成り立っているところでは、本質が常にはぐらかされる。戦略的にこれまで設定されなかったものを導入し、人物を造形していく。こうした作業の結果として出来上がった作品が、なんらかの需要、その背後にある現在を反映していないはずはない。結果として、「エヴァンゲリオン」について語るということは、その引用について語ることに他ならない。だから小谷が「ガイノ革命ウテナ」という本を書いても同じ内容になる気がする。もちろん「うてな」が萼という意味だと知っていてこれを書いている。
「エヴァ」は本質的には14歳の少年の孤独で暴力的な内面を描いたものだし、それ以上でもそれ以下でもなく、だからこと評価されるべきなのだろうと思う。その内面は多くの視聴者からも遠くなかった。その中で、女性として「エヴァ」を引用するのは、そう突飛なものでもないし、ましてSFの造形の深い作者なのだから。
などと思ってしまったわけである。そしてなお、ぼくは「エヴァ」にだまされてしまうのである。
橋本純の「百鬼夢幻」(光栄)を読んだ。ぼくの一番好きな画家というのは、河鍋暁斎なのだが、世の中には彼に魅かれる人は他にもいる。そういう人が暁斎をモデルに本を書き、現物を持ってぼくの前にいたら、それは買ってしまう。
暁斎の絵については、以前も書いているけど、幕末から明治にかけて活躍した、狩野派というにはあまりにはずれた日本画家。完璧なデッサン力とイマジネーションを備え、化け物の絵もたくさん残している。
本書は暁斎にかかわる五つのエピソードから構成されているが、その前提というのは、暁斎が化け物を画くにあたって、実は妖怪の類を見ることができたというもの。この能力が暁斎をかっぱやむじなとの交流をほのぼのと描くというものである。なまじ暁斎を知らないと、このほのぼの具合が妙に楽しめていいかもしれない。文章も全体に説明が多く、このあたりは読んでいてすっと入ってこない部分なんだけど、舞台が舞台だけに仕方ない。個人的には、山本昌代のような文章が好きなんだけど。それよりも江戸から明治に移り変わる形のエピソードの設定が、なかなかいい構成になっていて、このあたりも読みやすくする一員かな。
個人的には暁斎はもっと性格が悪いような気もするけど、この小説の中ではみんな善人ばかりだし、そのあたりも、小説を読んでいて、楽な気持ちになれるところなんだろ。と、こう書いてしまうのも、すべてはぼくが暁斎を好きなせいなんだけど。
全編を通して出てくるかっぱのかわたろうは、寿命が長いから、暁斎の死後も生きているはず。きっと、上野が住みにくくなって、牛久沼にでも引っ越し、小川芋銭と遊んでいたんじゃないかと、そのように思うのですが、いかがでしょうか。
暁斎は酒飲みだし、実際酒で死んだようなもんだけど、酒飲みだからぼくが好きだというのが、渡久地さんの指摘で、それはきっとそうなんだろうなあと、かように思うのである。
昨日(21日)は、とうとう食器棚を買った。台所がバージョンアップした感じだ。食器が整理できるので、いろいろ使いやすくてうれしい。
「こちら葛飾区水元公園前通信314」送信日時97/07/26
09:57
今日は土曜日だが、天気がこんなんで、うちでごろごろするしかないかって思ってたけど、よく考えたら、「トーキングヘッズ」の原稿を書かなきゃいけないんだね。次号はウイリアム・ヴォルマン特集。翻訳がどっと増えて、なかなか豪華絢爛で厚い本になりそうです。出たら買ってね。
とにかく最近のおすすめ本が辺見庸の「もの食う人々」(角川文庫)なのである。世界の人が何を食べているか、その状況を知るために、彼は取材に出るのである。文化ではなく状況であるということに注意して欲しい。かくして、バングラディッシュで残飯を食べ、チュルノブイリの食堂でも食べ、択捉島でフキを食べ、ソマリアで砂糖黍をかじり、韓国では元従軍慰安婦と食事をとる、ってな具合である。生きるためには食べる。何を食べるかは、何しか食べられないか、と重なる。食べることで見えてくる世界もある。ルポルタージュの傑作なのだな。ハードカバーで出たときも話題になったけど、文庫になった現在、読み頃である。
前回、アフリカ料理のことを書いたけど、似た意味で、エスニック料理を食べるっていうのもいいなって思ってる。食べるという行為の中で自分と他社をどれだけ重ねることができるか、どこまで想像力を使ってその向こうを見ることができるか。それは料理だけじゃなく、エビの向こうにアジアを見たりしてもいいのだけれど、せめてそういう感性だけは、養わなきゃって思っている。
大原まり子の「戦争を演じた神々たち2」(アスペクト)は、素直に評価できないかもって思ったりした。神々たちとくどいほどの複数形であるにもかかわらず、そこには大原という神しか存在しない。というか、それぞれの短編は精緻な彼女の宇宙を構成する1ピースであって、それは物理的のみならず、もっと主観的な登場人物の内面までも含んだ宇宙として存在する。ほとんど暴力的なまでに内面の宇宙が提示されていくと、この世界を共有できない人間にとっては、読むのが苦痛だろうなとすら思えてくる。同じ傾向が、最近の毎日新聞や文学界の連載にもあるような気がしてならない。ただ、それをまったく否定するつもりはなく、宇宙の構成に何らかの形が見えてくれば、違ってくるのだろうけど。というのも、なお、価値は世界に何ら干渉し、あるものにとってはもはや手の届かない存在である神々たちこそが、世界そのものである一方、なお神々たちの手の届かない内面の宇宙が存在する、それが宇宙そのものであるということになりはしないだろうか。一つの素粒子から超銀河団まで、結局は同じヒルベルト空間の1点に過ぎないという事実によく似ている。
あとは、何となく北野安騎夫の「電脳ストーカー」とか、野村克也の「野球は頭でするもんや」とか読んだな。
桜井亜美の「ガール」(幻冬舎文庫)の話はしたっけ? 前回が援助交際小説だったから、今回はオヤジ狩り小説ってなものだ。読者としては、どんどんオヤジを狩っていく女性の存在は、読んでいて気持ちいい。でもね、前回もそうだったんだけど、援助交際とかそういうものが、実は小説においては衣の部分に過ぎない。ストリーテリングの展開の過程で、どうして援助交際するか(前回で言えば、知的障害のある兄弟の存在とか、今回なら実の父親を処分しちゃう友人とか)というようなドラマを作り過ぎている気がする。そんなむずかしいことしなくても、もっと主人公のバイタリティを描けるのになって思う。そのあたりがすごく、つまらないと思う。
最近、全然映画を見ていない。ぼくが忙しかったりかみさんが忙しかったり。しょうがないので、ビデオを「ミュリエルの結婚」なんかを見たりしているな。
そういえば、「Xファイル・サード」だが、けっこうテレビでは放映しなかったエピソードも少なくない。そういうものに「731」、およびその前編にあたる「二世誕生」というのがあって、ビデオを借りて見た。いやあ、やっぱり日本のテレビ局は放映する勇気がないかもしれないよなあ。マルタと呼ばれた捕虜に人体実験、果ては生体解剖までしていた(とモルダー捜査官が説明してくれる)旧日本帝国陸軍731部隊が、宇宙人を使った実験もやっていたという話なわけで、ぼくとしては是非放映して欲しかったけど、右翼や政治団体(自民党みたいなものも含む)なんかが怖いのかもしれない。メイン・ストーリーに関わるエピソードなんだけどな。もっとも、出来はあまり良くないけど。というのも、731部隊の残虐性などが生かされていないもんな。結局、アメリカ国防省の方がよっぽどひどいことしてるってわけだし。
釣りといえば、先週は江戸川河口でハゼを釣った。あまりたくさんは釣れなかったけど、そのうちまた行きたいと思っている。ハゼの天ぷらが食べたいという人がいれば、一緒に釣りに行きましょう。