「こちら葛飾区水元公園前通信371.1」98/11/02
01:27
今週の「ウルトラマンガイア」はとてもいい話だった。レスキュー部隊の「チーム・シーガル」が活躍するのだが、チームリーダーのセリフがなかなかいいんだよなあ。今回はビルに取り残された人の救出がメインなんだけどさあ、「レスキューってな、苦労した末に遺体を運ばなきゃならないこともあるし、せっかく助けた人が自分の腕のなかで死んでいくこともある。それでも、たった一つでも命を助けようとする、そういう仕事なんだ」とかさ、そんな感じ。
ところでさあ、「ガイア」って、「エヴァンゲリオン」を参考にして作っているような気がしない? よくわからないけど突然に怪獣(のようなもの)が出現するようになり、それを予測して密かに「シグ」という組織がつくられていたり。あるいが出てくる怪獣(のようなもの)も、いろいろと変な設定になっていて、巨大洗濯機とか、構成する物質が波動の関係で同時にたくさん存在したり、熱を出しながら急速に質量を増やしたり、巨大な目玉だったり、古代生物の怨念が物質化したりと。まねをしてるんじゃなくって(本質まではまねしていない)、あくまでエッセンスのいくつかを引用してるというかさあ。そんな気がする。
「女たちのフランス思想」で言い忘れたこと。この本で述べられていることは、あくまでフランス、あるいは西欧中心であるということ。その限界を著者も編者も意識している。おそらく、ポストコロニアリズムなどの観点から批判されるものだろう。また、アメリカのフェミニズムはそうして批判にさらされてきた。そうした問い掛けは、日本におけるフェミニズムに対しても従軍慰安婦問題なども含めたかたちでなされている。もちろん、そうした発想はフランスでもあってしかるべきだし、ましてシクスーもクリステヴァもイガライもフランス出身ではないのに。そこでは同じ形でマグレブが存在するのだろうが、そこは射程外のままだ。というわけで、ぼくはこれがすべてだとは思っていない。
さいごにおばかな話。先日、有楽町の駅前を歩いていたら、メンソールのあるものをくばっていた。ぼくももらったんだけど、最初はガムかなあとおもった。だが、ガムではなくゴムだった。メンソール入りのゼリーのついたコンドームである。しかしなあ、こんなもん使ったら、ちんちんがすーすーして涼しくなって、ちょっとやだな。
「こちら葛飾区水元公園前通信372」98/11/12
12:26
「この人の閾」がどうして気持ちいいかっていう話だったね。
単純なことなんだけどさ、男女がいて、別にラブアフェアがないっていうことだけなんだけどさ。
話はこうだ。仕事で小田原まで行った主人公が、先方がいないために時間が空き、そこに住んでいる女友達を訪ねる。彼女は大学のときの先輩だったかな。夫も子供もいる。そこでの会話なんだけど、閾というのは、彼女の達観したような生活、たとえば厚いむずかしい本を読むのだけど、それは読んでてもなかなか終わらないから、だから別に感想を残すわけでもないし、彼女の記憶の中だけに存在する体験となる。誰にでもありそうなささやかな達観したような生活の断片に触れる、それだけなんだけど。
でもね、この話も相手が男じゃだめなんだ。ラブアフェアには行かない手前の所のセクシュアリティとでもいうのかなあ、そういうのがすごく気持ちいいし、好きだし、自分でもいくつかの小説で書いたものだし。そういうことなんです。
あとはモンガーン・セローテの「生まれてくるものたちへ」(スリーエーネットワーク)なんかも読んだ。これは81年に発表された南アフリカの小説。第一部は主人公が新聞記者からある事件をきっかけに解放戦士になるまで。第二部は主人公も含めた、60年ごろから80年ごろまでの黒人解放運動のシーンの連続。
第一部がおもしろい。主人公はばりばりの記者というわけではない。むしろ、人種差別の壁に阻まれて、やる気をなくしている。給料はすぐ飲んでしまうし、理学療法師の妻リリーにどうしようもない男のくせに愛されてるし、なのに別の女性のところに行ってしまったりする。そんなだらしない姿を見せつつ、そうした人間の本質的な部分によって、第二部の解放運動が担われていく。いや、それではフェアではないな。出てくる女性はリリーを含め、なかなかできた人たちばかりだし、セローテ自身、結局は自分たちを生み、支えているのが女性だという意識(ぼくはこうした意識は多少はいやらしいのではないかと思って、素直に肯定したくないのだけど)があるのではないだろうか。
でも、あまりおすすめする本ではないです。
こういう本が好きだということでは、「深海生物図鑑」(同文書院・北村雄一著)を読んだ。光の差さない200mから10000mを超す深海の生物について書いた本で、その多様性にはびっくり。ここではマグロもカツオもない。でも、豊富だし。でも、だんだん深くなるにしたがって、変な生物になってくる。やたらと口がでかいウナギとか、クラゲみたいなタコとか、巨大なヨコエビとかさ。いいなあ。
ティム・モーズの「イエス・ストーリーズ」(シンコーミュージック)も読んでしまったと言っておこう。イエスというバンドのメンバーのインタビューで構成されたバンドの歴史やアルバムのコメントなどで構成されている。どうしてピーター・バンクスが30年も前のBBCの音源をプロデュースしたのかという気持ちもわかる。いろいろ裏話が読めるのだけど、まあ、どうでもいいです。
シンコーミュージックといえば、「ミュージックライフ」が終刊しましたね。別に読んでないからどうでもいいんだけど、高校生の頃とか一時期買っていたこともあってさあ。懐かしいというか。あのころがキッス(今でもある!)とかベイシティローラーズとかクイーンとか、そんな時代だったんだよなあ。
だよなあといえば、イエスに戻るのだけど、さっきまで、ジョナサン・エリアスの「レクイエム・フォー・ザ・アメリカ」を聞いていた。オープニングからジョン・アンダーソンが歌うし、チャーリー・シーンとマーティン・シーンの詩の朗読もある。聞いていて、この人がプロデュースしたのがイエスの「結晶(UNION)」だったなあ、同じ音だなあなどと思ってしまった。
そういえば、パスカル・ローズの「ゼロ戦」(集英社)について、まともに紹介してなかったな。主人公(女性)の父親は第2次世界大戦で沖縄のあたりでカミカゼのおかげで死んだ。そこで妊娠中の彼女の母親は戦後、フランスに移り住む。主人公は自分の父親が死んでいることがうまくつかめない一方、同時に死んだカミカゼのパイロットにエクスタシーを感じ、恋い焦がれる。現実の男なんかどうでもいいという。何だか、マルグリット・デュラスがJ・G・バラードと合体したような小説で、それで、おもしろいのかと言われれば正直なところよくわからない。よくわからいけど,そういうものなので、なかなか説明する言葉が見つからなかった。
「こちら葛飾区水元公園前通信373」98/11/25
04:54
原作・脚本ポール・オースターの「ブルー・イン・ザ・フェイス」のビデオを見た。「スモーク」という映画と同じ設定で、三日間でつくってしまった、けっこうすちゃらかな映画なんけど、いろんな人が出ていて、ルー・リードとか、そんなんだけど、電報配達人のマドンナがなんだか、すごかったなあというものだった。
でも、舞台はブルックリンのたばこ屋なんだけど、ハーヴェイ・カイテルもなかなかいい味出してるんだけど、やっぱりタバコが嫌いなので、あんまりほめてあげない。
オースターといえば、「孤独の発明」(新潮文庫)も読んだけど、これもおすすめしない。ニューヨーク三部作では、とにかく孤独な部屋というのが出てくるわけで、まあ、その裏舞台というか、その舞台のマテリアルというか、そんな内容が後半に入っていて、ちょっと重くてわかりにくくて、すっきりしてなくて、書く方やオースターのファンのとっては大切なのかもしれないけど、楽しい読書とはいえなかった。前半は父親についての話で、その父親が死んで、そのあと始末をしている場面から、さらにその父親の人格形勢に関係する祖父の話までたどられていくのだけど、こっちは読んでいておもしろい。でも、後半ほど重要じゃないらしい。
結婚生活が苦手な父親だったみたいで、子供のこともどうでもいいみたいな人として描かれている。
で、そういう父親が現代の日本において存在し、それが援助交際の原因となっているというのが、速水由起子の「あなたはもう幻想の女しか抱けない」(筑摩書房)なんだけど、何だか基本的には、ぼくがいつも言っているようなことしか書いていない本だと思う。
最初は東京電力のエリートOL殺害事件からはじまって、その、いわゆる大企業の女性総合職のしんどさから、続いて、いまどきの結婚生活、援助交際、おたくなどの微変態へと流れていく。
まあ、男女関係ということでは、もはや規範は存在しないし、援助交際では、男性が持っていた、不特定多数とのセックスのアクセス、心と身体は別というものが拡大されたということだし、そこにフィジカルな部分でしか自分の存在理由が認められない、精神的に家庭に押しつぶされる子供の像を見る、それが男性の場合、さらにセックスをするという快楽も不要となって、幻想の女性、ビデオでもロリータ系アニメでも、あるいは何でもいいや、そんなところでマスターベーションしててもそれなりにセクシュアリティは保たれるし、とまあそんな具合なのである。
いまだに古い家庭幻想を持っている人には受け入れがたいかもしれないけど、そういう人はもう取り残されていくだけだし、そうじゃない人にとっては、目新しくないんじゃないかな。でも、読む分には、多少はおもしろいけどさ。
山形浩生が訳したので読んだのが、「クルーグマン教授の経済入門」(メディアワークス)で、訳文は、なかなかかたくなくていいです。本屋で立ち読みしてみて下さい。経済学の真面目な本なのに、こんなのアリ?ってなもんです。
ポール・クルーグマンは経済で大切なのは生産性と所得配分と失業だけだと言う。そのシンプルな数学だけで、あとは、たいして重要ではないらしい。貿易赤字なんて、GDPのほんのわずかの部分でしかないし、ファイナンスも表面の問題でしかない。
生産性が向上すれば、回転するお金も多くなるし、とかそんなもんです。失業はインフレを抑えるし、そんなこんなでアメリカの70年代から90年代にいたる経済で何が起こったかはわかりやすく解説してくれる、便利な本です。で、じゃあこれからどうするのというと、結局わからなかったりして。
クルーグマンがどういう人かは、日本への処方箋ということで見てみると、彼は軽いインフレ傾向に導くことを主張する。ヘリコプターでお札をばらまけばいいなんて言ったりもするけど。インフレによって、貯蓄を消費にふれさせるということ。そしてインフレと景気回復によって負債を整理するということらしい。
たしかに、インフレは必要だと思う。言ってしまえば、負債は日本銀行がお札を印刷することでしか解決しないんだけど、そのことがリンクしていかないと、単にぼくたちの資産が目減りするだけで終わるということでもある。一方、インフレが起きても、経済が良くなるという信頼感がないから、これ、すごく警戒するよね。
政府がさ、景気対策でお金を使う、銀行救済でお金を使う、これって全部、政府の借金。返す見込みはない。インフレになれば、景気回復による税収増と合わせて返せるかもしれない。でもね、お金を使って景気回復しなかったら、借金だけ残る、そうしたら、あとは急激なインフレが起こってしまって、資産の目減りはとんでもないレベルになりかねない。で、まあ、このまんまぐらいでもいいんじゃないの、ともクルーグマンは考えていそうだ。とにかく、すごく良くなることはないし、効果のない公共事業なんてやらない方がいいしってなもんだ。
あと、将来について、これは日本もアメリカも同じなんだけど、アメリカの好景気はいわゆるベビーブーマーの世代が支えていて、そこで生産力が大きくなっている。でも、これが高齢化した場合、どうなるってのかな。そこはよめないみたいだ。
あと、ぼくはだんだん環境に対する経済的価値がもっと評価されるべきだと思ってるし、そうならなかった場合のつけは大きいとも思ってるんだけど、そういうのも考慮すれば、ますますわからないよね。
何だか、夜中に書いてるから、クルーグマンについての文章はけっこういいかげんまもしれない。でも、ようやく眠くなってきたからいいや。