休眠蔵を復活させた”脱サラ”蔵元 「曽我鶴・萩の蔵」


 日本酒の蔵元の休造や廃業が耐えない中、あえて脱サラして7年間休醸していた蔵を復活させた人がいる。蔵の復活に取り組む蔵元は、元日立製作所のエンジニアという萩原吉宗さん(57)。復活した蔵は、静岡県掛川市にある株式会社曽我鶴・萩の蔵酒造である。
 萩原蔵元の、地酒復活への想いやこれからの展望などをうかがった。

 現場への想いが“酒造り”への道

 萩原さんが日立製作所を退社したのは2002年55歳のとき。「そろそろ定年が近くなってきて、違うことをやってみたかった」という。そのこと以上に、退社の前年から、研究開発の現場を離れ、管理部門に配属になったことが、きっかけとなっている。
 萩原さんは1947年静岡市生まれ。日立製作所に入社したのは、1972年のことだった。最初は東京都国分寺市にある同社中央研究所に勤務、マイクロコンピュータの研究開発に従事した。代表的な成果は、世界初のマイコン制御のエアコンで、これは「コンピュータしろくまくん」として製品化されているので、覚えている方もいるだろう。また、電源が切れてもデータが消えない不揮発性メモリ内蔵型マイクロコンピュータの開発は、その技術が後にICカードやJRのスイカに生かされている。
 1989年に東京都小平市にある半導体事業部に異動し、設計部門、技術開発部門の部長として、現在のデジタルカメラ、携帯電話などに広く利用されているシステムLSIの製品化を行ってきた。
 転機は2001年。同じ半導体事業部の企画部門に異動し、これまでの研究開発中心の仕事から、当時不振だった日本の半導体事業の再生シナリオなどを検討する、デスクワークと会議の続く仕事となった。このときから、第2の人生として、酒造りを考えるようになったという。半導体事業の再生よりも、日本酒の再生の方がより強い関心があったということになる。何より、デスクワークよりも現場で仕事をしていた方がいいというのが萩原さんの想い。まさに、第2の「プロジェクトX」に突き動かされたのだ。

 まず隣町の蔵で造りを体験

 萩原さんが酒造りをする上で、大きな力となっているのがお兄さんの存在だ。お兄さんは、静岡市内で専門大店型の酒販店「にしきや」を営む萩原義満さん。その紹介で、当時、休醸中だった曽我鶴を知ることとなる。
 曽我鶴は創業100年以上という歴史を持つ蔵で、今でも蔵の建物は古風なたたずまいを残す。最盛期は3000石を生産していたという。だが、日本酒の販売が不振となり、7年前に休醸。「曽我鶴」という掛川市唯一の地酒は、中身は委託醸造となっていた。
 一方、萩原さんはこの曽我鶴の経営者として参加するにあたって、その前年、掛川市の隣の菊川町にあって「小夜衣」などを造る森本酒造で、かつての曽我鶴の小田島健次杜氏らとともに蔵に入り、萩原さんのお酒として「萩の蔵」を造ったのだ。このとき、森本酒造の森本社長は、萩原さんたちに自由にお酒を造らせるだけではなく、経営者としての実務なども教えてくれたという。
 このとき醸造した日本酒はおよそ80石。純米吟醸以上のクラスについては、目指していた味となり、評価も上々だったことから、昨年10月より、いよいよ曽我鶴の蔵での酒造を開始したということだ。
 再開にあたって、社名をこれまでの株式会社曽我鶴から、株式会社曽我鶴・萩の蔵に改めた。地元に定着している曽我鶴という酒銘を残しつつも、萩原さんの酒として新たに全国に売っていこうという気持ちが込められている。

 日常的に飲む酒は端麗辛口で

 今期、仕込んだお酒は150石、タンクに10本である。今年1年で売り切ることができる量として、この生産量となった。うち9本のタンクが特定名称酒となる。普通酒をあえて残したのは、地元の曽我鶴ファンのためだ。実際に、萩原さんが営業で酒販店や料飲店をまわると、どこでも地元のお酒の復活を喜んでくれたという。
 新しい曽我鶴・萩の蔵はどんな酒なのか。萩原さんは、お酒の味は自分の好みとどういう客が対象かで決まる、と前置きした上で、
「日常的に飲む、本醸造から純米クラスは淡麗辛口でくどくない酒、純米吟醸から大吟醸はできるだけ華やかな酒、それもうまみとコクのあるまろやかな静岡らしい酒にしたい」
 と話す。かつてお酒の消費者だった立場から、感じることを、市場の想いとともに素直に出して行きたいということである。
 実際に、蔵元が「いい感じに仕上がっている」というしぼりたて原酒を試飲してみた。純米吟醸は、まだ若い刺激を残しつつも、香りを抑えたまろやかな甘みとコクを持つお酒になっていた。原酒なのに重さを感じさせない。一方本醸造は、同様の若さがあるが、軽い辛口になっている。もう少し時間がたち、アルコール度数を調節したときには、遥かに飲みやすい淡麗辛口の酒になっているだろう。
 蔵を案内してもらったときに、かつて曽我鶴として醸造していたときからタンクに残っている本醸造原酒を飲ませてもらった。同じ杜氏によるお酒である。飲んでみると、古酒独特のひね香がほとんどなく、うっすらと褐色を帯びた中に蔵元が言うまろやかさが強く感じられるものだった。ということは、曽我鶴・萩の蔵は新酒もいいが、それ以上に“秋上がり”が楽しみということになりそうだ。
 蔵内には曽我鶴時代の大吟醸古酒などが貯蔵されているが、今のところ販売予定はない。
 蔵元に、どんな肴が合うか聞いてみた。
「春先はシラスが上がってくる。それと、焼津に上がってくるマグロなんかいいよ」
 とのこと。取材後、実際に試してみたが、海の物との相性がとても良かったことを付け加えておく。

 地元向け「曽我鶴」 全国向け「萩の蔵」

 蔵を再開するにあたって、実兄が酒販店を経営しているのは強みなのかどうか。蔵元は「それは確かに有利な点だ」と応える。現実に、提携する酒販店があることで、ある程度販売が見込めるということが一つ。実際に、PB商品を出している。しかしそれだけではなく、酒販店を通して消費者の声を聞くことができるということは、より重要だ。同時に、兄弟ということから、安易に下手なお酒を出せないという緊張感もあるとも。
 製品のラインナップは、地元向け「曽我鶴」と全国向け「萩の蔵」の各ランクのお酒を軸に、地元を意識して造ってきた本醸造クラスの「掛川城」とそのかつての城主から名前をとった吟醸酒「一豊」。来年のNHK大河ドラマは「山内一豊の妻」ということもあり、期待しているという。
 また、女性客に的を絞った「酒楽々(しゅらら)」は、奥さんと娘さんが考えた酒銘。試飲販売をしたときに、吟醸酒クラスを買っていくのは決まって奥さんの方だという傾向から、やわらかいネーミングにこだわった純米吟醸クラスの酒である。
 今期は10月入蔵、11月から造り始めたが、設備には使えないものもあり、それを入れ替えながらという、まさに走りながらの操業だった。蔵元自身、平日は営業の合間に、土日は蔵につきっきりという、休みがない冬を過ごしてきた。そしてこれから、本格的に売っていこうというところまで来た。
 目標は、数年のうちに生産量を倍増させ、採算ベースに乗せること。日本酒が売れないといっても、小さな蔵にとっては主要な問題ではない。自分の酒の顧客をしっかりとつかみ、安定的に供給できれば、どうにかやっていけるということだ。もちろんそのためには、新しく市場を開拓していくことが前提となる。
 最後に、蔵元に消費者としておいしいお酒はどうかと聞いてみた。
「最近飲んだうちでは、開運の純米吟醸はさすがにおいしかった」とのこと。実は「開運」を造る土井酒造場のある静岡県大東町はこの4月に掛川市と合併し、新しい掛川市となる。したがって、曽我鶴・萩の蔵が掛川市唯一の蔵であるのもあとわずかのこと。それだけに、どうしても意識してしまうのかもしれない。でも、こうした競争があってこそ、より高品質のお酒になっていくこともまた事実だろう。


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