FRANCE

NORMANDIE ROMANE
ノルマンディ地方 (1)L'Abbaye-ayx-Hommes:Saint-Etienne
サン・テティエンヌ男子修道院)Caen
(2)L'eglise Saint-Nicolas(サン・ニコラ教会)  Caen
(3)L'Abbaye-aux-Dames:la Trinite
ラ・トリニテ女子修道院)Caen
(4)L'eglise Saint-Pierre(サン・ピエール教会)Thaon
(5)L'eglise Saint-Sulpice(サン・シュルピス教会)Secqueville-en-Bessin (6)L'eglise Saint-Pierre(サン・ピエール教会)Rucqueville (7)L'eglise Priorale&Le prieure de San -Gabriel(サン・ガブリエルの教会と小修道院)Saint-Gabriel-Brecy
(8)La Cathedrale Notre-Dame(ノートルダム寺院)bayeux 特別篇 La tapisserie de bayeux (9)L'eglise abbatiale Saint-Georges(サン・ジョルジュ修道院教会)Saint−Martin-de-Boscherville
(10)L'eglise Notre-Dame(ノートルダム教会)Jumieges   地図帳(カンを中心に)   地図帳(ルーアンを中心に)
L'Abbaye-ayx-Hommes:Saint-Etienne (サン・テティエンヌ男子修道院)Caen

参考資料


Zodiaque
Normandie Romane1
Zodiaque
Promenades en Normandie
ゾディアックのノルマンディ版第1巻(左)はノルマンディの西/カン近辺の教会を訪れた際に使いましたが、東のルーアン方面は2巻目にと分かれています。
第2巻は未入手ですが、ルーブル美術館の書店で見つけたポケット版(右)にルーアン付近が含まれていて助かりました。
フランス語は少々かじった程度のお粗末なもので、当然読むまではいきません。地図と見取り図に巻末の英語の要約くらい・・・。

ノルマンディはフランス・ロマネスクのなかでは地味な存在ですが、実際に訪れてみると、その歴史や風土に根ざした確固たる建物の重さがひときわ印象に残りました。

左の表紙はThaonの聖ピエール教会

パリから列車でカンへ。列車が走りだして1時間もすると、緑豊かな野にノルマンディの典型的な木組みの農家が見えてくる。アルザスの木組みの家より素朴で力強い感じがする。眺めていると、パリを離れて田舎に来た喜びがふつふつ沸いてきた。

カンに降り立ってタクシーを待つ列に並ぶが一向にタクシーは現れない。諦めて目の前のトラムに乗り、教えてもらったとおりに3つ目の停留所で降車。しかしホテル近くの目印の城はまだずーっと遠く。簡単な数字の聞き間違えとは「情けないな」とつぶやきながら、2泊分の小型キャリーを引きながら徒歩で15分くらいのホテルに辿り着いた。

一休みした後、カン市内西にある徒歩10分ほどの男子修道院へ。途中、古本屋でゾデアック叢書がショーウィンドウの片隅に10冊ほど積んであるのを発見。重くなるので帰途1冊だけ購入した。

修道院の建物は大きな広場に面して建っている。現在は市役所?公共の事務所になっていて、回廊から教会(SAINT-ETIENNE)には直接入れない。回廊にはあと何日かで開催されるツール・ド・フランスの宣伝看板が立ち並んでいた。いったん外に出て、3層に張り出したアプシスや4つの細い尖塔を持つ威容の後陣(13世紀)を眺める。ぐるっと回って教会の西正面を見学。



ノルマンディ公ウィリアムの発願が1063年、完成は女子修道院より遅く1077年に献堂。ランフランが初代修道院長に任命された。ランフランは後にカンタベリー大司教になったので、サンテティエンヌに模してカンタベリー大聖堂は建てられた。

正面の2つの塔はノルマンディ・ロマネスクの典型であるが、すでにゴシックの趣がある。入り口テュンパティムと回廊は17世紀に改築されたもの。都市部のロマネスクはいくどかの改築を経て、ロマネスクの素朴さからは遠くなるのは仕方ない。しかし、この周辺で大きな勢力を持ち、フランス革命や世界大戦の戦火をくぐり抜けた現在の姿はやはり感動的であった。


   

内部も予想通り大アーケードを持つ壮大な空間。写真ではやや身廊が狭く圧迫感があるのは奥行きの110mという長さと3層の壁面の高さのせいと思う。 2006.6

   L'eglise Saint-Nicolas(サン・ニコラ教会)  Caen 
SAINT-ETIENNE教会から5分ほど路地を歩いてSAINT-NICOLAS教会へ。内部は見学できなかったがSAINT-ETIENNE教会と同時期に建設され、ロマネスク様式の塔の上のゴシック期に加えられた尖塔は凝ったデザインでテティエンヌにそっくり。1792年、革命の際に損害を受け荒廃していたが、1971年に修復が始められたとのこと。現在は工事も終わり、静かな住宅地にひっそり建っている。玄関柱廊の柱頭彫刻などを撮影。 2006.6

    




  L'Abbaye-aux-Dames:la Trinite(ラ・トリニテ女子修道院)Caen

翌日バイユーから戻り、駅からタクシーで女子修道院へ。付属のLA TRINITE教会はあいにく葬式の最中だったので、遠慮しながら内部の見学。ウィリアム公によって男子修道院とともに設立されたが教会堂はこちらのほうが先に1066年に完成。大きな広場に面して、ファサードに2つの塔を持ち堂々たる姿。壁は男子修道院と同じ3層式であるが、上部のクリアストーリーと呼ばれる窓が大きく、明るい日差しが差し込んでいた。ウィリアム公と王妃マティルドはそれぞれ自分たちが建立した男子、女子それぞれの教会の内陣に埋葬されたという。

  

交差部の塔が優雅なデザインで女子修道院らしい。ファサードと同じに三角の尖塔を乗せないほうが良かったのに・・・。
   

カンは第二次大戦中のノルマンディ上陸作戦の際に戦場となり、町は壊滅的ともいえる爆撃を受けたが、男子、女子修道院は比較的町はずれなのが幸いだったのか、被害を免れた。

初夏らしい爽やかな一日だった。これで計画通りの初ノルマンディ訪問が果たせ、満足。徒歩で数百メートルのホテルへ戻った。
2006.6


★ノルマンディ・ロマネスク巡りの宿
 CAEN/BEST WESTERN HOTEL LE DAUPHIN☆☆☆

夕陽が照りつける街をお茶したり、さくらんぼや木いちごなど買って宿に戻った。夕食は疲れたのでホテルのレストランへ。あまり期待しないで席に着いたのだが、近くのひとたちの食べているものを見ると結構いけそ〜・・・と30€のムニュを注文。今回の旅で一番美味な食事だった。アミューズ2皿!蟹の前菜、牛肉の主菜、チーズとデザートはワゴンサービス。食前酒のシャンパン、グラスワイン、コーヒーと〆て50€はパリの半額くらいかも・・・満腹、満足。

一人旅でも帰り道の心配も無く、美味しいものがいただけるのはこういうお宿。B.W系は家族経営で良いレストラン併設のところが多い(特にフランス)のでおススメ。レストランとレセプションは本館(写真左)、宿泊したのは棟続きの別館。部屋も広く、バスタブ付。くつろげました。


    



  L'eglise Saint-Pierre(サン・ピエール教会)Thaon

パリから列車でカンへ行き2泊。カンからバイユーまでの往路をタクシーを使って4教会を巡った。朝10時にフロントでタクシーを呼んでもらい出発。地図を出して説明。運転手さんは初めはこの教会、次はここと順番を言ってくれて安心したのだが・・・。最初のTHAON(タンと発音するらしい)で迷いに迷ってしまった。雨の日だったら完璧ぬかるみにはまっただろう。小川の淵の車がようやく一台走れるかというような農道を行ったりきたりしてようやく発見!小川にかかる木橋を渡ると教会の後背部。

  

Zodiaqueの「Normandie Romane1」の表紙を飾っていて、その見事なほどの鄙びたロケーション、たたずまいに惹かれていたので、辿り着いた時はホントに嬉しかった。ここはバスは入らないし、事前に役場に訪ねても今は見学不可と断られただろう。というのは内部は床を2〜3メートル堀り下げ調査中だったから。側面の入り口を入ると3人の若い男女が地下墓の発掘をしていた。手元には骸骨がゴロゴロ・・・。心の中では「ひえ〜っ!祟られないかなぁ」などど怯えながらも(実は小心者なの)、明るく「ボン・ジュール!」(汗)東洋人のおばさんがいきなり入ってきて、びっくりしたようでしたが、内部入り口には木の仮設テラスがあり、そこからは下へは降りないでよとゼスチャー。(骸骨の近くになんか行きませんよ〜)  右の写真:後陣側

     

参考見取り図によると11世紀の創設で最近壁は補修されたようだ。変形の失われた側廊があった関係か外壁の彫刻のまわりには穴が開いている。壁に残る黄や緑の色はほとんど苔むした状態。地下の発掘が終わったら、教会内部の修復はある程度なされるだろう。おおっぴらに見学が可能になるのはいつのことになるのか?とにかくこの時の私は写真も撮らせてくれて、ラッキーだった。
左の写真:後陣側  右の写真:よくわからない柱頭彫刻

        

しかし、なんともいえない古色蒼然とした風情、教会の傍らに打ち捨てられたように石棺が2.3個。THAONの街からも離れた森のなかに残された教会は謎めいた雰囲気もあり、今までのロマネスク巡りのなかでは最も特異な印象を受けるものとなった。
2006.6
    



  L'eglise Saint-Sulpice(ン・シュルピス教会Secqueville-en-Bessin

幸運だったタンの見学の興奮も覚めやらないまま、車は小さな村はずれのSaint-Sulpice教会に到着。しかし、墓地教会なのに敷地入り口の扉は固く閉ざされ、周りは高い塀に囲まれている。通りがかった人も今日は閉まってるというので諦めて、ノルマンディらしい複雑な尖塔を持つ教会を遠くから撮影。張り出し後陣はなく、シンプルな教会本体にマッチしない交差部の鐘楼(上部は13世紀)。いささかバランスが悪い。参考書の見取り図で確認すると、そのためか写真右の内陣部は後の時代に付け加えられたようだ。何度かの改築の後、1944年の爆撃でダメージを受けたが、復興された。
2006.6

    



  L'eglise Saint-Pierre(サン・ピエール教会)Rucqueville

ついていたり、ついてなかったり、ロマネスク巡りも人生と同じ・・・と悟ったことを考えながら
次の目的地へ。小さな村の割合新しい住宅の並ぶ区域に
サン・ピエール教会が建っている。

教会自体は小さくめだたない建物なので、運転手さんが隣の家の庭先で洗車をしている方に確認。今日は開いてるようだというので、喜び勇んで教会の裏側から敷地に入ろうとすると、柵が・・・どきっ!でも開いた!
教会に足を踏み入れた瞬間になんともいえないやすらぎを感じた。私独りが見学者、おまけに小さな教会は柱頭も低いところにあり、美しい8つの柱頭彫刻群をゆっくり観ることができた。
だた、写真の写りは良くなく、残念。


  

   

「エジプトへの逃避」「マギの礼拝」などお決まりのもののほかに珍しい主題のものもある。
上右の写真ピンボケですみません。パンフレットには「
Le Salut d'une ame」とあり、2天使と中央のマンドラにヌードの女という構成。こういうテーマのものは初めてお目にかかった。辞書をチェックしたら、Salutは挨拶のほかに救済の意味があるそうなので、愛の挨拶よりも愛の救済と言うほうが宗教的な意味があるようだ。
ステンドグラスが床に映って綺麗。 帰ろうとして、ポツンと置いてあった寄進の箱に気がついた。コインをいれて感謝の印とした。2006.6

   



L'eglise Priorale&Le prieure de San -Gabriel(サン・ガブリエルの教会と小修道院)Saint-Gabriel-Brecy

4つ目の教会はSAINT-GABRIEL、ここは門に鍵がかかっていた。隣接する農家の庭に奥さんがいたので尋ねたのだが、鍵はここにはないというので諦め正面からの外観だけ写真に撮る。
この後訪問した少し離れたところにあるSaint-Gabriel小修道院の独立した教会として1058年に創建された。当時は大きな教会と回廊も造られた。16世紀まで残っていたのだが、18世紀には手入れもされないままに放置され、内陣と大小のアプシスだけを残して崩壊。現在は手前身廊部分と塔を付け加えられている。肝心のロマネスクの後陣部分は見えないのが残念だった。今は墓地教会として使われている。向かって左の回廊のあったところは、民家が建ち、前庭の花畑には色とりどりの夏の花が咲いていた。

    

中に入れなくてがっかりしている私に運転手さんが少し離れたところに古くて綺麗な建物があると慰めるようにいうので、そこへ行ってみた。花で飾られた敷地に古い塔や建物数棟。近所の子供たちも犬と遊んでいた。看板に
Ancien Prieure de St-Gabriel・・・ということはさっきの教会と関係が?

ここの資料は持って行かなかったので帰国後ガイドブックでチェックしたところ、上にも記したが教会と同様に11世紀の創設。塔は15世紀のもの、JUSTICE TOWERと呼ばれている。それで地下には牢獄もあるそう。今は園芸スクールとして活用されている。敷地のあちこちに人間と同じ大きさの農夫や修道士の人形が置かれてるのが珍しかった。
2006.6

   



La Cathedrale Notre-Dame(ノートルダム寺院)bayeux

大聖堂は現在は混在したスタイルになっているが、創設は古く1077年にさかのぼる。正面の鐘楼は15世紀に付け加えられた。内部の大アーケードのアーチは細やかに美しい幾何学模様で飾られている。壁面には幻想の動物なども彫られている。ここの見所は11世紀のクリプト。
でもたまたま一緒に入った日本人のツアー客はあっと言う間に居なくなってしまった。

  

クリプトは3つの小さな祭室に分かれ柱頭彫刻も11世紀のもの。上部の奏楽の天使のフレスコ画(15世紀)はかすかに残っている。ここも暗く写真はピンボケ。

   

バイユーといえばタペスリーということで先にマチルデ王妃のギャラリーを見学した後に、大聖堂裏側のレストランでランチ。観光客の多い店だったが、ハムやチーズの入ったガレットとオレンジとレモンソースのクレープのノルマンディの名物を選んだ。安くてとても美味しかった。

この街はカンより観光客が多い。イギリスから近いし、タペスリーにも表現された歴史的事実?もあり、そちら方面からも気軽に訪れる人たちで賑わっていた。だから英語もフランスの田舎にしては良く通じる。
 2006.6



☆バイユーの街☆

カテドラルからバイユー駅まで、道に迷いながら歩いた。まっすぐ駅に着いていれば観られなかった素敵なエリアもあり、楽しい寄り道。幸い夏の観光シーズンで、列車の本数も多く、待ち時間も少々でカンに戻れた。
下左:カテドラル裏のレストラン  右はシャンブルドットと呼ばれるフランスの民宿。前庭にお花が咲き乱れた館風の建物。こういうところにも泊まりたかった。


  

小川沿いのレストラン。左の屋根に登っている泥棒?は人形。隣は水車小屋。

   



特別篇 La tapisserie de bayeux
バイユーの町に到着して、まず目指したのはマチルデ王妃のギャラリー。カンから途中4教会を巡ってきたので、正午を過ぎていた。。やや空腹ながら、ここを見学するまでは落ち着かないので入館。
しかし、ウイリアム征服王のタペスリーの見学は順路に従って行くと実物の展示場までが遠い。修学旅行の生徒さんたちに混じって説明版を読むのに時間がかリ、疲れて途中でギブアップ。ようやく、たどり着いた本物の展示室には日本語ガイドのイヤフォンがあり、「さっきの苦労はなんなの〜」(と恨めしい・・・)

      

ウイリアム征服王がイギリスを支配するまでのストーリーが延々と(力の誇示、その知略、その神がかりな運命・・・)織り込まれている。(正確には刺繍された絵巻物)
物語の激しいバイオレンス(戦争場面が多い)には似つかわしくない優美な色調、シンプルな表現は美しい。
8色の糸で刺繍され、写真の参考図でも判るように3層にわかれた場面が展開する。これは凄いアイディアだと感嘆。
上と下のレベルに幻想的な動物や伝説的なエピソードを織り込んで、征服の血なまぐささを、悪く言えばごまかしているような感じ・・・笑。

勝利者のみが真実で美なのかと、800年という長い時間を経てきた現在を、人間の争いの歴史を考えてしまう。誰もがそういう想いにとらわれるに違いない。血も流さずに倒れている刺繍された兵士たち・・・。 2006.6
    


  
L'eglise abbatiale Saint-Georges(サン・ジョルジュ修道院教会)Saint−Martin-de-Boscherville

前年の2006.6に初めてノルマンディ・ロマネスクを目的にカン周辺を巡ったのに続いて、パリのオペラ鑑賞の合間に日帰りでルーアンを訪れた。ルーアンの大聖堂や美術館を見学の後、駅前からタクシーで30分ほどの St-Martin-de-BoschervilleにあるST-GEORGES修道院へ。
ここはフランス革命のときに被害を受けなかった幸運な聖堂。今はセーヌ河畔の貴重なモニュメントになっていて、見学者も多く、一部有料になっている。創建は1080年から1125年、典型的なノルマンディ・ロマネスクのスタイル。教会の裏は広い庭園になっていて、ここから教会全体の均整のとれた姿をを眺め、至福のときを過ごした。といってもタクシーを待たしているので、のんびりもしていられない。


      

教会の内部は明るく、広々。ミサ用のベンチに木の囲いが設置されているのが珍しい。冬の厳しい寒風が想像された。大アーケードの柱頭彫刻はサムソン?2007.6

   



  L'eglise Notre-Dame(ノートルダム教会)Jumieges

昼食の後、ようやく午後2時からオープンしたルーアン美術館を見学。この時点でかなり疲れてきたので、郊外のロマネスク聖堂めぐりはパスしようかと悩みながらブックショップへ。するとなにげなく手にした小冊子の表紙にVital -Luminais「Les Enerves de Jumiegesジュメージュの弱者たち」が・・・このとき初めて 訪問を予定していた廃墟の修道院Jumiegesとこの絵画の繋がりを知った。



やはり行くべきだと決意。駅に戻り、タクシーと交渉。2教会を回ってもらうことにして出発。
上記のSaint−Martin-de-Boscherville から、蛇行する セーヌ 河畔に沿ってまた30分ほどでAbbeye deJUMIEGESに到着。

ブックショップを兼ねたところでチケットを買うと修道院側の扉を開けてくれる。10メートル先に廃墟になった教会が
木々の緑を背景に建っている。
もとは7世紀に建てられていた古い教会を10世紀にWilliam Longsword公が建て直し、ベネディクト派の教会になった。
貧者のため救護所として、また学問の中心としても認められていたという歴史がある。
この権威のある修道院の最後はフランス革命での破壊によるという。1793年には競売にもかけられたほど。
しかし、現在は国家の遺産として大切に守られている。

    

     

ルーアン美術館の「Les Enerves de Jumiegesジュメージュの弱者たち」は札幌の展覧会(1993)にもきていた。帰国後、もしやと本棚を探して、カタログを発見。ルーアン美術館のスタッフの解説を翻訳したものがあり、「ジュメージュに流れ着く廃足者たち」というタイトルになっている。Enervesエネルヴェは「神経質な」とか、「腱を焼き切られた」という意味もあるそうです。(アクサンを略してます)

画家リュミネのこの絵画は歴史家オーギュスト・ティエリーの著作「メロヴィング王朝史話」を典拠に描かれた。クロヴィス2世(在位634〜57)の二人の息子は父に対して謀反を計画したため、王妃バチルドの命により、廃足の刑(腱を焼き切られた)に処され、筏に横たえられセーヌに流された。伝説ではこの後、ルーアン下流のこのジュメージュ修道院の修道士に助けられたことになっている。

ルーアン美術館で購入した小冊子(2007.3発刊)では、何故このような伝説ができたのかという視点で書かれたもの。どうやら廃足者二人の並んだお墓が元ではないかと推定している。しかし、このお墓は13世紀のものであり、くだんの二人の王子という可能性はないとのこと。
廃墟の修道院と二人の王子が流されていく悲劇の場面がオーバーラップして、なおさらにドラマティックなロマネスク体験になった。2007.6