ユダヤ思想古典研究からの発想:ギルボア研究所
このページの文章・データの無断使用をお断りします。利用されたい方は事前に「てしま」迄ご連絡ください。
#60
天地創造のさいに、蚊は人よりもまえに創造された。
(出典、『タルムード』サンヘドリン篇
人類は万物の霊長だという。だが、だからといって、人類が、世界をわがもの顔に支配してよいわけではない。
ユダヤ教の伝説によれば、神が人間を創造しようと思ったとき、まず天使たちに相談した。天使たちはたずねた。
「人間って、どんなもので、どんなことをするのですか」
神は人間がどんなものか説明した。人間はこれこれ、しかじかで、いろいろ良いこともするが、仲間をころしたり、生き物をいじめたり、自然をはかいしたりなど、悪いこともする。
三分の一の天使は反対した。しかし三分の二の天使が賛成したので、神は人間の創造にふみきった。
ただし、人間が創造されたのは天地創造の最後の六日目であった。
その理由のひとつは、もし天地創造のさいしょに人間を創造していれば、あとになって、「わたしは天地創造のはじめから、神さまのパートナーで、この世界も半分はじぶんが作ったのだ」などと、いばったりするかもしれない。
そこで、神は天地創造の四日目に、空をとぶ鳥と、水のなかをおよぐ魚をつくった。五日目に、地上のあらゆる生き物を創造した。
もし人間が、じぶんは万物の霊長だといって、いばるようなことがあれば、ほかの生物たちが、「そんなにいばるな。わたしたちのほうが人間よりもさきに創造されたのだぞ」と、人間をけんせいできるようにした。
その証拠に、神は、人間を創造したさいに、かれに「すべての生き物を治めよ(レドゥー)」と命じている。「レドゥー」ということばのもともとの意味は、「下れ」である。
人は、ほかの生物や自然にたいして、頭ごしに命令し、支配する権限はあたえられていない。人はつねに相手の立場まで下りて他者を治めなければならない。
#59 人間は最初に一人しか創造されなかった。
(出典、『ミシュナ・』サンヘドリン篇4)
聖書によれば、人類が経験したさいしょの悲劇は、アダムの長男カインが、その弟アベルを殺したことである。
まだ、地球上にこどもは兄弟ふたりだけしかいないのに、そのうちの一人が、もう一人を殺してしまった。
ユダヤ教の伝説によれば、そのとき、神はカインに殺人の罪の重さを分かってもらうために、カインにたずねた。
「おまえは、なぜ、わたしが、さいしょにアダムひとりしか創造しなかったか、分かっているかい」
「いいえ、わかりません」
聖書の物語では、神は天地創造のさいに、人間以外の動物はすべて雌雄ペアで創造した。大自然でさえも、昼と夜、太陽と月というぐあいにペアで創造した。人間だけはさいしょにアダムひとりが創造され、あとからイブが創造された。
そこで、神はカインに説明した。
「いいかい。おまえたち兄弟も、また、おまえたちの母のイブも、まだこの世界にいないときに、たまたま、おまえがライオンだったとしよう。そして弟アベルがアダムだったとしよう。そしてライオンがアダムを殺したとしよう。
そうすると、どうなるかい。地球上にまだ人間はいるかい」
「いいえ、アダムひとりだったのですから、もう人間はいないことになります」
「おまえは、ほかにも父母などがいるから、人間の尊さに気づかなかったのだ。
な〜に、弟アベルひとりくらい殺しても、まだ人間はほかにもいるさ、などと考えないでほしい。ほんとうは人間ひとりが、全人類の価値に匹敵するわけだ。それを知ってもらうために、わたしはアダムひとりしか創造しなかったのだ」
「ふ〜ん、そうだったのですか」
「それに、みんな同じひとりの親から生まれてくれば、『おれの親父は、おまえの親父よりも偉いんだ』とか、おたがいに競いあう必要もないからね」
わたしたちは、二度とカインとアベルの悲劇をくりかえしてはならない。
#58
● 背 徳 行 為 ●
利益を得るために公職につく者は姦通者にも劣る。
(出典、『ミッドラシュ・ペシクタラバティ』 )
公職いうことばがある。
どうも「職」という文字が、日本では公職にたいする誤解を生んだように思える。なぜかというと、「職=生計のためのしごと」と考えるせいか、公職を利用して、じぶんの財産形成にはげむ政治家が多いからである。
英語では公職をシビル・サービス(市民の務め)という。もともと、サービスとは手弁当で奉仕することである。したがって、公職につけば一財産つくれるなどというのは、もってのほかである。国家にせよ、市町村にせよ、じぶんたちが住んでいる社会は、じぶんたちの手で管理運営する。それが、西洋では、ポリス(都市国家)以来の市民の伝統である。
西洋では、もうひとつ市民の務めがある。それはミリタリー・サービス(兵役)である。これも、じぶんの住んでいる国や州は、じぶんの手で守るというポリス以来の伝統である。そして、どちらの公務も、私利私欲のために濫用されてはいけない。そんなことがあれば、社会全体の秩序や安全がおびやかされるようになる。
社会学者のマックス・ウェーバーによると、政治家や公務員が政治や行政をじぶんの生計の手段にしてしまうのは、もともと、かれらが裕福でないからなのである。
だが、金持ちが政治家になっても、かれらはかれらで、じぶんの権力をしめすために、むらがってくる利権屋に公共の仕事を配分し、行政をゆがめてしまう。
けっきょく、政治や公職の腐敗というのは、物質的なまずしさもさることながら、公務につく人びとの心の貧困が、いちばんの原因のようである。
ラビたちは、利益をもとめて公職につこうとする者は姦通者にも劣るという。姦通とは、他人の配偶者と不倫をおこない、他人の所有にあるものを横領しようとする行為である。これは聖書では、殺人罪とならんで、死刑の対象であった。
日本の政治家に、公職をけがすということは、それくらい重大な社会的犯罪だと知ってもらいたいものである。
#57
人は他人を計る秤によって計られる。 (出典、『タルムード』メギラ篇21)
一時期、日本の企業では「顧客満足」という言葉が流行のように叫ばれた。
これは、売れる車と売れない車の違いを明確にするために、米国のマーケティング会社が開発した市場調査に始まっている。
最初、日本にこの手法が紹介された時、ほとんど誰も興味を示さなかった。
というのは、まだ日本のビジネスは好調で、企業は人手不足で、お金があまった個人や企業が土地を買いあさっていた。そのうち日本人が全米の主要都市のビルを買い占めるのではないかと囁かれるほどであった。
ところが、1990年ごろから不景気が少しずつ忍びより、商晶が売れなくなりはじめた。
そこで、なんとかお客様を自社に呼び戻そうと、苦しまぎれに借りてきたお題目が「顧客満足」であった。
しかし、とつぜん「顧客満足」をスローガンに掲げたということは、じつは、お客様を大切にしてこなかったと白状していたのに等しい。
もちろん、それまでも「お客様の立場に立って考えなさい」という発言はなんどとなく繰り返されていた。
だが、企業のほうは、お客様の気持ちになったつもりで、いつも「つもり」の自己満足にふけっていただけである。
その反動で、お客様のほうでも、そういう身勝手な企業の商晶やサービスを購入することをためらいはじめた。この結果が、売り上げの低迷から、やがて売り上げ減少へと後退し、バブル不況へと発展したわけである。
繁盛している企業ならば、常にお客様を大切にしているはずである。なぜなら、ビジネスは、お客様があって初めて成立するからである。
他人を計るというのは、ものかげで他人を悪く言ったり、心の中で他人を軽んじたりする行為である。相手に分からないだろうと高をくくっていても、誠意のない行為は、いつか本人にはねかえってくる。
まずは、自分が買い物をしたりするさいに、売手の対応がそれでよいか考えることから、顧客満足は考えるべきである。
#56
かごの鳥は言う、
「あなたは私の餌が十分かどうか見るが、私がとらわれの身であることは見ない」
(出典、『ミッドラシュ・コヘレットラバ』11)
人は誰でも自由を望む。
他人に服従するのは、その他人のもとで生活の安全が保護されるとか、まともに事をかまえても勝ち目がないと分かっている時である。
幼いころ、私も近所のがき大将のしりにくっついて、グループで行動していた。彼の命令に皆は従う。そのかわり、よその集団とトラブルが起きれば、彼が相手のリーダーと話し合って解決していた。
今考えれば、そういう子供の世界の集団の運営の仕方にも、政治のミニチュア版があった。
ところで、服従は、自分で納得したうえでの行為であるが、世の中には、本人の自由意志がいっさい認められないで、他人の命令にしばられている人もいる。その典型が奴隷である。
あるいは、第二次大戦前の日本の女性の地位である。
奴隷は、いっさいの人格、つまり社会的権利を認められず、人間でありながら他人の財産の一部であった。昔の日本の女性は、政治的にも経済的にも独立した権利がなく、法律では「準禁治産者」とされていた。これは、事実上、精神障害者に等しいあつかいだったのである。さしずめ、女性はかごの中の鳥のように、かわいいとか、きれいだとか観賞されるばかりであった。彼女らが不自由な境遇にあることは、まるで男たちの関心外だったのである。
そればかりか、家族でありながら、自分の娘を遊廓へ売り飛ばす親さえもいた。売られた女性は性の奴隷とされた。日本人が日本人を奴隷にしていた。だからこそ、その延長線上で、大陸へ進出した日本軍が現地の女性を慰安婦にして、平気だったのである。おぞましい限りだ。
そういう束縛された奴隷や婦人たちが、自由と人格的独立を求めて立ち上がったのが、近代という歴史である。
だが、ユダヤ人たちは、今から三千年以上も前の紀元前2300年ごろに、それまで奴隷であったエジプトから集団脱出して自由人になった。それ以来、自由の大切さを記念して、毎年、ペサッハという祝節を7日間もする。
そういう伝統もあって、ユダヤ人の間では自由の意識が非常に強い。
自由‥‥。それは大空を自由にはばたく鳥の心境だ。人が空を飛びたがるのは、無意識のうちに不自由な現実に気付いているからかもしれない。
そういえば、人類で初めて空を飛んだ「鳥人」リリエンタール、彼はユダヤ人であった。
#55 あなたの目をそらすや否や、富はもう無い。
(出典、旧約聖書・伝道の書)
お金というものは、まことに使い方がむずかしい。いっしょうけんめいに貯めよう
としても、なかなか貯まらない。それでいて、使わないで机のひきだしの中などに眠
らせていると、気がつかないうちに価値が減っている。
1970年から85年までの15年間の物価上昇のしらべてみると、賃金の額面が
約四倍に、理髪代が四・五倍に上がっている。つまり、1970年から机のひきだし
にしまっていた千円は、15年後には250円〜220円の価値に減っているわ
けである。
こういう事実を観察すると、十年後までに百万円貯金ができるようにと積み立てる
よりも、毎年十万円ずつ使っていくほうが、ロスがないように思える。
では、いま使えばいいのかというと、いざという時に困らないために、やはり少し
ずつでも貯めておかなければいけない。
そして、いざお金を使うとなると、あっというまもなく、大金が消えてしまう。
いや、使わなくても、ぬすまれたり、火災でぜんぶ灰になってしまうこともある。
あるいは戦争にまきこまれて、すべてを失い、身体だけが唯一の財産になる場合も
ある。どうすれば、お金持ちになって、なおかつ財産をまもることができるか。
二千年も世界各地をてんてんと流浪し、生活の場をかえてきたユダヤ人にその秘密
を求めようとする日本人がおおい。
しかし、ほとんどのユダヤ人は、びんぼうな庶民である。ユダヤ人の悲喜こもごも
な生活を描いたドラマ『屋根の上のヴァイオリン弾き』のなかで、主人公テビエがか
たる夢は、「もし金持ちなったら、りっぱな家に住み、庭でにわとり、七面鳥、あひ
る、がちょうを飼い、女房がひるねできるようにする」ことであった。
一八世紀から一九世紀にかけて世界一の大富豪になったのは、ユダヤ人のロスチャ
イルド一族であるが、彼らといえども、今ではむかしの面影はない。
だが、考えてみれば、お金をうむのは個人の知恵と努力である。知恵と努力がと
まった瞬間から、お金は失せる。だから、たといお金から目をそらしても、知恵と努
力だけは持ちつづけなければなるまい。
#54 金銭を好む者は金銭をもって満足しない。 (出典、旧約聖書・伝道の書)
ビジネスとは、いったい何でしょうか。
たいていの人は、この質問にたいして「ビジネスとは儲けることだ」と答えます。
だが、ほんとうにビジネスとは、儲けることなのでしょうか。
日本で「ビジネス」ということばが市民権を得たのは、一九七〇年代になってから
のことで、まだ二十年そこそこです。それ以前は、もっぱら商売とか仕事、取り引き
ということばが使われていました。
「商売」というと、なにか儲けばかり考えているような印象がある。「取り引き」
といえば、裏取り引きを連想させる灰色のイメージがあったりする。そこで、代わり
に、国際性を感じさせる「ビジネス」というカタカナことばが登場したのです。
だが、どんなに用語や外見をかえても、いまのところ、日本のビジネスマンの心ま
で変わったかどうかは疑問です。その証拠に、かれらはいまもなおビジネスとは利益
追求、儲けることだと答えます。
たしかに、儲けは必要です。しかし利益ということばには、二通りの意味がありま
す。英語でいえば、プロフィット(profit)とベネフィット(benefit)です。
プロフィット(利潤)ということばの語源「プロ」は、前進という意味です。これ
は前に進めば進むほどよいという、量を問題にしています。
では、利潤はどこから手に入るかといえば、お客様からです。お客様にしてみれば
商品の値段が安いにこしたことはありませんが、お客様が求めているのはベネフィッ
ト(恩恵)です。語源の「ベネ」は、良いという意味です。良いというのは、なにか
を基準にして判断します。つまり、こちらは、お客様がほんとうに良いもの、役立つ
ものだと認めてくださる商品を提供しようという、質を問題にするのです。
そういうお客様の大事なベネフィットを忘れて、売手の利潤ばかり追求したのが、
バブル経済の実態だったのです。その典型が、ベルギー・ダイヤモンド事件とか、茨
城カントリークラブのゴルフ会員券乱売事件などです。だが、飽きることをしらない
強欲な利潤追求の結果はどうだったでしょうか。
いまもう一度、ビジネスとは何かを問いなおしてみることが大切なようですね。
#53
じぶんが所有していもので満足できる人こそ、もっとも富める人である。
(出典、ミシュナ「アボット」)
むかし、むかし、ラビ・エリエゼル・フルカノスいう人がいました。
二十二歳になっても、まだ聖書の勉強をしていませんでした。父親が金持ちで広い
畑をもっていたために、いつも畑仕事に追われていました。ある日、山を耕していた
途中で畑にすわりこんで泣きはじたので、父親がたずねました。
「おまえはなぜ泣くのだ。山地は石が多くていやか。では柔らかい畑を耕せやせ」
エリエゼルは柔らかい畑にうつっても、またすわりこんで泣きました。
「おまえはなぜ泣くのだ。柔らかい畑もいやなのか」「いいえ・・・・・ 」
「では、いったいどうしたいのだ」「ぼくは、聖書を勉強したいのです」
「何だって、勉強だと。とんでもない。おまえはもう二十二だ。早く嫁をもらって、
おまえのむすこを学校にやったほうがいい。それよりも、仕事をしあげろ」
エリエゼルが畑の仕事をしあげると、牛が足を折ってしまいました。
「しめた、ぼくのために牛の足が折れた。もう畑仕事ができない」
そういって、かれは家出し、そのころ有名だったラバン・ヨハナン・ベンザッカイ
のもとへ入門しました。
三年後のこと、無断で家出したエリエゼルを勘当するため、父親がエルサレムに上
京してきました。その日、ラバン・ヨハナンの家では大宴会でした。エリエゼルの父
がきたというので、先生は父フルカノスのために席をしつらえました。
宴もたけなわになったころ、先生はとつぜんエリエゼルにスピーチをせよと命じま
した。命令なので、かれは断りきれずに話はじめました。かれは珠玉のようなことば
を、火のようにあつく話したのです。みんな時間をわすれるほどでした。
説教がおわると、感激した父フルカノスがたちあがり、
「みなさん、わたしはむすこを相続から外すためにきましたが、いま決心を変えまし
た。わたしの全財産をエリエゼルにゆずります」と宣言してしまったのでした。
エリエゼルはいった、「ぼくは聖書の勉強だけを神様にねがった。もし金銀をね
がっていたら、神様はぎゃくに聞き入れられなかっただろう」
もちろん富も大事であるが、それ以上に大切なものが人生にはあるはずである。
#52 急いで得た富は減る。少しづつ蓄える者はそれを増すことができる。
(出典、旧約聖書・箴言)
たいていの人は、一度は宝くじを買ったことがあるだろう。
ある冬のこと、大阪の梅田をあるいていると、すごく長い列の人垣ができていた。
四人縦列で数百メートルもあっただろうか。単純に計算しても、その時そこに立って
いた人だけでも二千人はくだらないと思われた。
何があるのだろうと、前のほうを見ると、宝くじ売場があった。ならんでいる人に
きくと、この売場からは特賞がよく出るという。
考えてみれば、これだけの群衆が同じくじ売場に殺到するのだから、とうぜん誰か
が当たるはずである。だが、発想を変えてみると、ほとんどの人びとは外れるために
ならんでいるといってもよい。事実、特賞が当たる確率は二百五十万分の一である。
前後賞を加えても、八十三万三千三百本は上位の高額賞金をもらえない。一獲千金を
手にいれる前に、ほとんどの人が富をうしなうようになっているわけである。
わたしも幾度か買ったが、いつも、末尾の残念賞しか当たらない。つまり、連番で
十枚買って一枚は当たるが、九枚はむざむざごみ箱行きとなる。
そんなわたしだが、一度だけ大当りしたことがある。それもラスベガスでのこと。
あれは、たまたま飛行機の乗り継ぎかなにかで、ラスベガス空港に下りたときのこと
だった。二十五セント硬貨をいれて回すスロットルマシンがあったので、一度はやっ
てみようと、コインをいれて機械をまわした。
すると、なんとしたことか一回目で大当たり、チンザラザラザラ・・・・、止めどなく
コインが溢れ出てきた。受け皿に入りきれずに、床にまでポロポロこぼれ落ちる。
わたしはすっかり狼狽してしまった。それと同時に、こんなに出るのならば、もっ
と当たるかもしれないと思って、その大金をもとに、こんどは腰をすえてスロットル
マシンを回しはじめた。・・・・・・だが、・・・・・・飛行機に搭乗するまでに、そのお金も、
そして僅かばかりのわたしのポケットマネーも・・・・消えてしまった。
もちろん、この広い世の中には賭博につよい強運の人もいるかもしれない。だが、
一生を強運だけでつらぬき通すことはむずかしい。やはり、お金というものは、こつ
こつと溜めながら、じっくり考えて増やすのが一番安全なのであろう。
#51 登 校 拒 否
二人の生徒が学校を欠席した。一人が罰をうけた。
もう一人は恐ろしくなったので、欠席した。
(出典、ミッドラシュ・ベレシートラバ48)
さいきん登校拒否が話題になる。これはサボリではない。さぼるのは、学校以外に
別におもしろいことがあるからだ。だが、登校拒否は、生徒にとって、学校がひたす
ら苦痛の場になってしまっている場合におきる。むかしは先生の体罰がこわくて生徒
は登校拒否をした。いまは校内暴力やいじめが原因で、登校拒否をする子がいる。
じつは、あるとき、わが家のむすこが登校拒否症状をしめした。かれは学校へ行く
のが好きな子であった。ところが、とつぜん学校に行きたくないと言い出した。
「○○ちゃん、なぜ学校へ行きたくないの」
「・・・・・・・・・・・・」
「だまっていたのでは、何もわからないでしょう。あなたは学校が好きだったのに、
いったいどうしたの」
「・・・・・ う〜ん、・・・・・ いじめられてるの」
「どんなふうに」
「・・・・・ う〜ん、・・・・・ 休み時間とか帰りに・・・・・ みんなに待ちぶせされて」
子供はポツリ、ポツリしか話さない。親に話して学校にねじこんでもらっても、先
生はどうせ何もしてくれない。先生が「みんな仲良くしなさい」とお説教をすれば、
「おまえ、先生にいいつけたな」と、さらにひどくいじめられるからだ。
だまりがちになる子供から、それでも何とか、いじめの全容を聞き出した。
そして、わたし自身が校長のもとを訪ねた。学校は、最初そういう事実を隠そうと
した。そこで、こちらが教育委員会に訴えるつもりだと強硬に主張したら、ようやく
学校は問題の解決にのりだした。
事件のもう一つの原因は、担任が特定の生徒を甘やかし、クラス全体が秩序を失っ
ていたことだ。この担任は、その後、別の学年をうけもって、またおなじような事件
がクラスに起きた。いまでは、先生の指導力のなさも登校拒否を招いている。
#50 富
いつも百円もっているほうが、めったにお目にかからない万円札にまさる。
(出典、イーディッシ語のことわざ)
むかし、むかし、あるところにふたごの兄弟がいました。
兄のなまえはエィサヴ、弟のなまえはヤコブといいました。
エィサヴは狩猟がすきで、いつも野山にでかけて鹿や鳥を追っていました。弟のヤ
コブはどちらかといえば遠くにでかけるよりも、村の牧場で羊を飼ったり、家にくる
老人や先輩の話に耳をかたむけ、おとなの生活の知恵をきくのがすきでした。
ある日の夕方、羊飼いの仕事をおえてヤコブが家にもどり、じぶんの夕食の準備を
していました。ちょうどそこに、兄が狩猟からかえってきました。
エィサヴは弟が食事をつくっているのを見て、
「おい、その豆の煮物をおれによこせ」といいました。
豆の煮物は、いまでも中近東では常食です。塩ゆでした熱い豆にヨーグルトをかけ
て、ハッサなどの野菜といっしょに柔らかいパンでつつんで食べます。ふーふー冷ま
しながら、熱い豆を食べるのは感激です。ヤコブもきっとそんな食事をつくっていた
のでしょう。でも、いきなり横から食事をよこせとうのは、あまりに勝手です。
そういえば、ほとんど同時にうまれたにもかかわらず、兄のエィサヴは長男だと
いって、いつも威張っています。当時、ユダヤ人の長男は父の財産を相続するさいに
弟の二倍もらえることになっていました。これを長子権といいました。
そこで弟のヤコブは交換条件をだしてみました。
「兄さん、あなたの長子権とひきかえなら、この豆の煮物をあげましょう」
「いやー、ありがとう。おれは空腹で死にそうだ。おやじはあの通りぴんぴん元気に
している。いつ手に入るか分からない長子権なんかよりも、この熱い、おいしそうな
豆のほうがいい。」といって、エィサヴは長男の権利を弟ヤコブに売ったのです。
こうしてユダヤ人の先祖であるヤコブ、別名イスラエルは、アダム以来の名門の家
系をつぐことになり、お金では買えないものを豆の煮物一杯で手に入れました。
人生は、あせって高望みするより、手もとの豆一杯の活用が大切である。
#49
教 師
甘い物は入る場所がちがう。
(出典、タルムード・メギラ篇7)
満腹になっても、おいしいものがあると、また食欲がでてくる。入る場所がちがうとはいうが、入る場所は同じである。
ほんとうのところは、おいしさに釣られて、食欲がうごき、ついでに胃液のぶんぴもよくなって、順調に消化できるというわけである。
このことわざを引用したバビロニアのアバイェは、四世紀前半に活躍している。1700年もまえから人間の心理はすこしも変わっていない。
アバイェは、ユーフラテス河の中流の町・プンベディタにあったユダヤ学院の院長になった。この町は、現在のバグダッドの西五十キロほどにあって、くだものも野菜も豊富である。とりわけ、甘いなつめやし(デーツ)が特産であった。
かれは幼くして両親をなくし、叔父のラッバのもとで育てられた。ラッバは、ユダヤ教の歴史上でもまれに見る理論家で、はやくからプンベデイタの学院長であった。したがって、アバイェは叔父のもとで、最高のユダヤ教の教育もうけていた。
あるとき、ラッバの命令で、贈り物をとどけに行った。先方ではアバイェを大歓迎して、六十皿ものごちそうでもてなしてくれた。帰宅してアバイェは報告した。
「家を出るとき、ぼくは満腹だったのに、あちらに行ってみると、そこの料理があんまりおいしいので、六十皿ぜんぶ食べちゃった。とくに最後の肉鍋は最高で、食べおわっても、まだ皿を食べたいほどだった。
甘い物は入る場所がちがうというが、ラッバのもとでタルムード六十巻の勉強をしていたときは、もう満腹になるほどでした。でも、先生がちがって、料理のしかたもちがうと、おなじメニューでもぜんぜん新鮮で、どんどん消化できるんですね」
おなじことを習うのでも、たまには先生をかえて味付けをかえると、生徒は食欲を出して、積極的に勉強しはじめる。生徒がよろこんで勉強するかどうかは、教える側のくふうしだいである。タルムードは教える者を戒めていう、「もし授業が生徒の歯が立たないほど難しいなら、それは教師が適切な指導をしないからだ」(タアニート篇)。
#48
学者とは誰か。質問されて慌てない人である。
(出典、ゾハル第2巻201)
ユダヤ人は学問をおもんじる。だが、学問をおもんじるというのは、学者ならばだれでも尊敬するということではない。借り物の知識をどれだけ知っていても、とうてい実用にたえない。そこで、どこまで実際的な問題にたいしょできるかが、学者をはかる基準のひとつとなる。
タルムードは、どういう教師がのぞましいかについて実例をあげている。
* * *
ラブ・イツハクは、最初ラミの学校で勉強していた。しばらくして、かれはラブ・ シェシェットのもとに移った。
ある日、ラミはむかしの弟子に出会ったので、一言いやみをいった。
「県知事がわたしに握手されるとき、わたしに最大級の栄誉をあたえてくださるのだがね。わたしを捨てて有名な先生のところへ君が出ていったのは、県知事にでもなるためだったのかね」
ラブ・イツハクは容赦ないことばで返事した。
「わたしが先生をかえた理由はかんたんです。ユダヤ教の法律について質問しても、あなたは何も判例をごぞんじでなく、ただ理屈で憶測されるばかりでした。
あなたから教わった後で、それと反対の意見をミシュナなどの文献の中からわたしが見つけると、あなたは何ひとつ答えられませんでした。
ところが、新しい先生は、わたしの質問にいつも適切な判例を引用して答えてくださいます。たとえ、矛盾する見解を発見しても、それぞれの長所短所を明快にしめしてくださいます」(ゼバヒーム篇96)
* * *
単細胞のあたましか持っていない教師のもとで勉強をつづけると、生徒の知識が増えないばかりか、視野もひろがらない。そんな教師は、生徒のほうがさっさと見限ってしまうのが正解である。生徒に拒否されれば、あるいは教師も育つかもしれない。
タルムードとならぶユダヤ教の聖典『ゾハル』によれば、あらゆる分野の書物を読み、自分の専門以上にその他のことを知っている人を英邁(えいまい)という。
#47
学 習 方 法 「 夜に朗読、昼に学習。」
(出典、タルムード・ メギラ篇4)
イスラエルには世界中からユダヤ人がもどってくる。ことばがちがう世界中のユダヤ人を結びつけているのは、共通語のヘブライ語である。
ヘブライ語はけっして難しいことばではない。イスラエルに半年も住めば、ちょっとした会話は何とか通じるようになる。だが、新聞をよんだり、テレビやラジオのニュースが正しく理解するには2年くらいかかる。そのあいだに単語数で3000語ほど身につけるわけである。これで、たいていのことは分かるようになる。
もっとも、これはヘブライ語にかぎったことでない。英語でも日本語でも、どの国 語でも3000語こなせれば、日常の用事に事欠かなくなる。
しかし、語学マスターの秘訣は、小説や物語の文章をまるごと暗唱できるようにすることである。
むかしラビ・アシィという人は、先生からおそわったことを、その場で40回くりかえして復唱し、完全におぼえたという。(タルムード・メギラ篇7b参照)
ヘブライ語の「ミシュナー(学習)」ということばは、もともと「シャナー(反復する)」という意味である。なんども声にだして、耳と口とをつかって身体にきざみこむ。これが学習の土台なのである。
そのさいラビたちは、お経をよむようなメロディーで朗読し、声にあわせて身体を前後にゆする。音声と身体のリズムにのせて、むずかしい聖書の教えも暗記暗唱してしまうのである。
もっも効果的な学習方法は、よる寝るまえに、いちど教科書やテキストを大きな声で朗読しておく。つぎに、翌日おもむろに細部にわたって問題点を研究したり、整理したりする。こうすると、前夜の朗読のおかげで勉強しなければならぬことの全体がわかっているから、翌日とてもスムーズに頭にはいる。
この方式で、もしあなたが中学の英語の教科書三年間分を、四十回大声で朗読し、教科書の文章を暗唱できるようになれば、海外旅行でこまらなくなる。
#46 もし少し分かるならば、最後にはたくさん分かるようになる。
(出典、シフレ・デベィ・ラブ79)
世界じゅうの国語のなかで、いちばんむずかしい国語は、中国語、アラビア語、つぎに日本語だという。
これらのことばは、じっさいに国語として使用されてきた歴史がながいために、表現や用法などが発展し、ふくざつ多様になっている。したがって、正しくつかいわけるのが容易でないから、むずかしいのであろう。
しかしあなたは、世界のことばの中でもむずかしいとされる日本語を読み、書き、そして話すと、ぜんぶできる。ということは、あなたは語学の天才であり、語学の才能があるということを意味してはいないか。
しかも、この日本語をマスターするのに、まさか、あなたは国語辞典をもって生まれてきたわけではない。
「マンマ。プップー。ブーブー。ポッポー。ワンワン。ニャンニャン・・・・」といったかたんな単語からはじまって、気がついてみると、いつのまにか日本語で日常の用事をこなせるまでに、話せるようになっていたのである。
それにはゼロ歳からはじまって2〜3年はかかった。とはいえ、なにも予備知識がなかったのに、現実に、あなたは一つのことばをマスターしているのである。これは驚くべきことではないか。
とかく、教育をうければうけるほど、ひとは最短距離でものごとをマスターしようとする。それも落ちどなく仕上げようとする。だが、これはむりな注文である。
「マンマ。プップー」から現在の知識になるまで、なんども周囲の人びとの言っていることの意味を理解できなかったり、まちがって受けとめたりしたはずである。それでも、じっくり時間をかけたので、あるレベルの理解にまで到達できたわけだ。
ましてや、もし最初にすこしでも知識があれば、あるいは山勘をはたらかせて1つでも分かることがあれば、あとはずっと楽にはかどる可能性がある。
それが人間の能力なのである。われわれは人間のこういう知的能力を信じて、もっと積極的にしらない分野のことでも挑戦すべきではないだろうか。
(45)
ひまじん10人の閑人を養えない町は滅びる。
(出典・メギラ篇4)
日本の歴史をふりかえると、外国から侵略された経験がほとんどない。これは島国で外部から攻撃を受けにくかったからだと、説明されることが多い。
しかし、イギリスのようにローマやノルマンに征服された歴史をもつ島国もある。日本は、外国からみて征服したいほど魅力ある資源をもっていなかったから、それほど侵略の対象にされなかったのではないだろうか。
だが、日本人どうしは、いくどもはげしい戦争を国内でくりかえしてきた。また明治以降は四度にわたって外国と戦争をくりかえしてきた。
その後の世界の歴史をみても、各地でいくつもはげしい紛争がつづいている。
どうして人類は戦争をやめないのだろう。どうしたらみんなが平和な社会を実現できるだろうか。平和を愛するユダヤ人自身もまた、戦争の泥沼にまきこまれている。あえてユダヤ人のことばから、平和の実現へのヒントをさぐってみると ヌゥゥ
「平和は力で維持できない。相互理解によってのみ維持される」 (アインシュタイン)
「平和は、慈善とおなじく家庭からはじまる」(イスラエル第2代大統領ベンツビー )
「真実のない平和はいつわりの平和である」 (ラビ・メンデル)
「エルサレムは知識人どうしの嫉妬によって滅んだ」(ミドラシュ「タヌフマ」)
考えてみれば、人と人とのかかわりや関係が、平和をおおきく左右している。人びとがおたがいに相手の立場を尊重しなければ、平和は実現しない。
タルムードは、町や村に十人のひま人がいなければ、その町は滅ぶという。ひま人とは、労働に従事しないで、もっぱら聖書や古典の勉強をしている者のことである。現代では、さしずめ芸術家や学者である。
町中が商売や生産、つまり利益追及ばかり考えていると、心がすさんで争いが多くなり、町は内部から分裂もするし、外部から敵につけいらせる事態にも発展する。
だが人びとが、芸術家や研究者など、文化の担い手を大切にする平和な心をもっておれば、争いにまきこまれず、それぞれの文化を歴史に継承させることができる。
(44)
共同体は不滅である。
(出典、タルムード・テムラー篇15)
人には寿命がある。フランス革命のころ、偉大な数学者コンドルセは、科学と理性の進歩によって人間の寿命もさいげんなく延びるだろうと予言した。
そして最近は、医学の進歩のおかげで、人間の平均寿命はぐんぐん延びている。すこしはコンドルセが予言した人類の理想社会に近づいてきた感じである。
しかし、寝たきり老人にでもなると、ベッドに釘付けになったまま、いつまでも死ぬに死ねない。こうなると肉体にとっても精神にとっても悲劇である。
歴史をふりかえってみると、人類はさまざまな方法で不老長寿を手にいれようと努力してきたことがわかる。
バビロニア神話の英雄ギルガメッシュは不死の生命を得ようとして神々の国にまで旅する。
聖書の神話では、アダムとイブがエデンの楽園の中にはえていた生命の木と知恵の木に手をのばし、知恵の木の実だけを取って食べたところで発覚してしまう。
中国では、秦の始皇帝は部下をつかわして東のはてから仙人の不死の薬をとりよせたという記録がのこっている。
ウィスキーの「オールド・パー」は、一六三五年に百五十歳の高齢でなくなった実在のトーマス・パー老人の長寿にあやかっての命名である。
エジプトのピラミッドを建造したファラオたちが、肉体をミイラにして長期保存したのは、死後ふたたび地上によみがえる日があることを期待したからであった。
ユダヤ人は、メシア(救世主)が地上にあらわれる日に死者が復活すると信じている。だが、もし復活しても、そこにユダヤ人の仲間が待っていなければ、それこそゴーストタウンに戻ってくることになる。
そこで、ユダヤ人は、たとえ自分が死んでも、仲間たちが生きのこって、ユダヤ人の生活と文化の伝統を守りつたえてくれるよう配慮しあってきた。おかげで、ユダヤ人は二千年の流浪の歴史にもかかわらず、民族として共同体の生命をこんにちまで保ってくることができた。民族という共同体が不死であれば、新しい世代がつぎつぎに
先輩の精神をうけついで発展させ、精神の不滅を実現しているのである。
#43
変化は機会である。
(出典、ピーター・ドラッカー『未来企業』p.427)
人間というものは、わりと保守的である。新しい事件や珍しいものがあると、首をだしてのぞくが、それをすぐに自分の生活に取り入れるかといえば、あれこれ理由をつけてたいてい辞退してしまう。おいしい部分だけをつまみ食いするのは賛成だが、生活の一部とはいえ新しいシステムや機械を採用するのは、他人が支障なく使っているのをみてからでないと決心できない。
しかしながら、みんなが保守的になったのでは社会全体の進歩が失われてしまう。どこかで、だれかが新しいものを創造し、新しい時代をきりひらいて行かなければならない。
社会全体のいとなみや、個人の生活を変えてしまう大きな力をもった創造的行為を
「イノベーション(革新)」とよぶ。たとえば、人や牛馬の力にたよっていた生産方式を機械力に変えた蒸気機関の発明。馬車も不要にした鉄道や自動車。とおく離れている者どうしで直接会話できるようにした電話。暗いろうそくやランプにとって代わった電灯。人類の永年の夢であった空中旅行を実現させた航空機の発明。さいきんの例では、ラジオ、テレビ、ビデオ、コンピュータ、ファックスなど。
しかし、科学技術の発明だけがイノベーションではない。日本人の娯楽を変えたパチンコやカラオケも、若者の生活のスタイルを変えたコンビニエンスストアも、いずれも立派なイノベーションである。
イノベーションは人々の生活のしかたを変えてしまうから、それにともなって経済的地殻変動をおこし、多大な経済効果をうむ。だから、日本の経済人はひとつおぼえの合言葉のように、「いまこそイノベーションが必要だ」と唱える。
だが、日本企業にイノベーションの重要性をおしえたドラッカー(彼もまたユダヤ人のひとりであるが)は、そういう性急な態度をいましめている。
「社会や市場を変えようとするイノベーションはほとんど失敗する。イノベーションは変化を利用することによって成功する。それには、1)外にでる。2)仕事に必要な情報をみつける。3)つねに学習する。4)視野をひろげ既成概念に疑問をもつことを怠ってはいけない。変化をみつけた者に機会(チャンス)が訪れるのである」
#42
データは何も語らない。データは解釈しなければならない。
さらに創造的に想像力を働かせて利用しなければならない。
(出典、セオドール・レビット『マーケティングの革新』p.198)
データとは、資料のことであるが、もともとは「与えられた事実」という意味だ。
このことばの主、セオドール・レビットはハーバード大学の経営学教授である。かれは家族とともにドイツからアメリカに移住してきたユダヤ人であり、兄のデービッドは一族が保有する企業のトップ経営者である。兄弟がそれぞれの分野で名声と地位を確立している。
兄弟の父親は菓子職人だったので、小さなベーカリーを開いて家族を養った。とくにドーナッツが好評で、とても作るのが間に合わない。
つまり、レビット家にとって最初のデータは、ドーナッツが売れるという事実があった。そこでレビット家のものは考えた。
「ふつうは、みんなで手分けして支店を増やしたりする。でも家族が力をあわせても、1日につくれるドーナッツの量はおのずと限界がある。どうしたらいいかな」
「う〜ん、 ヌゥゥ:ネ 人手に限界があるんだから、機械につくらせたらどうだろう」
「それはいい考えだ」
さっそく家族で考えて、いちどに大量のドーナッツを製造する機械を発明した。おかげでレビットの店はさらに発展した。それを見て、同業組合の仲間から、ぜひそのドーナッツ製造装置を売ってほしいという依頼が殺到した。
仲間をたすけるのはいいが、こんどは、へたすると機械を売った先が、自分の競争相手になりかねない。
いろいろ考えたすえ、ドーナッツ製造装置だけでなく、味つけなどの秘訣もいっしょに提供し、ライセンス契約で販売することにした。こうすれば同業他社を敵にまわす心配がない。これが発端となって、レビット家は食品製造機械のメーカーに転身してしまった。
兄のデービッドは、海で養殖するのが常識である海苔の陸上養殖に成功している。
[海苔→植物→水と日光が多ければよく育つ]という発想からである。
物事の表面だけを見るのでなく、その裏の意味も考えてみる。ここに創造的なヒラメキがある。
(41)
もし両方の目で見なければ両手で取ることもない。
(出典、イーディッシュ諺集)
ユダヤ人には科学者、思想家、芸術家が多い。アインシュタイン、デュルケム、フロイト、ベルグソン、マルクス、カフカ、マーラー、シャガール ヌゥゥ。
科学と芸術とでは、おたがいに違う世界のように見える。科学は理論的・体系的に実証する世界である。芸術は感情的・個性的に表現する世界である。
日本の科学者・寺田寅彦は、「世には、科学を誤解して、ただ論理と解析で固めあげたもののように考えている人もいるが、決してそうではない。科学者も芸術家も、観察力と直感、それに総合力と想像力が必要である」といっている。
自然科学上の重要な発見の多くは、直感的にひらめいた解答をもとに、あらためて理論をくみたて、研究データをあつめて証明していったものである。数学上の発見や理論もさいしょは数学者の直感にもとづくことが多い。
しかし、日ごろから物事を観察し、そこに発生している現象に注意をはらっていなければ、そうした偉大な直感はこない。いっけん何の関係もないような出来事のあいだに相互の関係を見いだし、一つの体系に総合していくわけである。
芸術においても、直感やインスピレーションは大切にされる。だが、そこでも観察力とデッサン力は、才能以前の基礎である。たとえば、演奏家としての心得をピアニストのホロビッツが、つぎのように語っている。
「よい演奏をするためには、その作品を書いた作曲家と、その作品がうまれた時代の絵画・詩・音楽など生活全般について研究することが欠かせません。どんなに演奏技術がすばらしくても、もし演奏しようとする曲の作曲家の一生について何もしらなければ、ピアノはただの打楽器になってしまいます」と。
思想も、人間のいとなみについての深い洞察と思索の中からうまれる。
英語で「セオリー」といえば理論のことだが、もともとはギリシャ語で「セオレオ、眺める」の意味である。
周知のように、日本企業の国際競争力をたかめる原因のひとつとなった品質改善運動は、仕事の現状を観察することから始める。科学で、芸術で、また日々の勤労で、
大きな成果をあげたければ、まず物事をじっくりながめることである。
2003/11 (40)
創 造 的 発 想
「彼らの時々」とは何を意味するか。 (出典、タルムード・メギラ篇2)
ヒトがほかの動物ともっとも違っている点は、言語能力であろう。
民族や国民によって、ことばの発声と音韻がちがうし、同じような音でも意味する内容がまるでことなる。日本語の「あら〜」は驚きの表現、アラビア語の「アラー」は神。日本語の「う」は鳥の一種の名前、英語の「ウー」は求愛するという意味。英語で「バイト」はかむことだが、ヘブライ語で「バイト」は家を意味する。
しかし、音声や意味がちがっていても、ヒトはそれを翻訳して、正しい意味を共有できる能力をもつ。たとえば、「おはよう」「サバッハアルヘル」「グッドモーニング」「ボケルトブ」それぞれ朝の挨拶のことばとして日本、アラビア、英米、イスラエルで使いわけることができる。
それにしても、日本語の構造は他の国の言葉とずいぶんことなる。英語では「わたしは・飲みたい・水」だが、日本語では「わたしは・水を・飲みたい」だけでなく、「水を・飲みたいのよ」と主語不在になる。
日本人は英文を書くとき、何を主語にしたらよいかまよう。ぎゃくに英米人の日本語作文では、文中に主語がひんぱんに出てきて、読むのがわずらわしくなる。
だが、これは行為の主体者を明確にし、行為の責任者がだれであるかもはっきりさせる。他方、日本語は主語を婉曲にするため、日常の問題でも、日本人の社会では責任者がだれかあいまいになる場合が多い。
ところで、英語にもヘブライ語にも「複数形」がある。複数形というのは、単純に単数のものと複数のものがあると区別するだけでなく、どういう複数の状態なのかについて詮索することも可能にする。
タルムード「メギラ篇」の一節では、時間の複数形と、「彼らの」という所有格代名詞の複数形とが問題になっている。どういう時間、どういう彼らなのか、そんな僅かなことから膨大な議論に発展する。そんなささいな相違に着目するかどうか、これが創造的発想のひとつのヒントである。日本語にも複数形がほしいものである。
38// 幼児は三歳でアルファベットを教えてよい。
(出典、ダルケイ・モシェ)
最近では、日本でも幼児教育の大切さがさけばれるようになった。
感受性がつよい幼児期におぼえたことを、人は一生わすれない。優秀な子供と、そうでない子供の差は、幼児期にどういう教育をうけたかによる場合が多い。
ユダヤ人は子供が五歳になると、「ヘデル」というユダヤ教の学校にかよって聖書の勉強をはじめる。それも、いきなりヘブライ語で聖書をよむ。
ヘブライ語は昔からユダヤ人のことばだった。といっても、じっさいにヘブライ語でユダヤ人が生活するようになったのは二〇世紀になってユダヤ人がイスラエルに国を再建してからである。
イエス・キリストの時代に、ヘブライ語はすでに日常語ではなかった。二千年も前からユダヤ人にとってヘブライ語は古語であった。だが、アメリカのユダヤ人の子供も、ロシアのユダヤ人の子供も、みな聖書はヘブライ語でまなぶ。
そのために、かれらは三歳でヘブライ語のアルファベットをおぼえはじめる。
「デービッド、隣のお兄ちゃんはもうヘデルで聖書の勉強しているのよ」
「ぼくも、ママ、はやくお勉強したい」
「だったら、字をおぼえなきゃ。ほら、これはヘブライ語のアレフ(A)よ」
「これ、ア〜レフ、ね。ふ〜ん、アレフか。ママ、こっちの字は」
「これは、ベイト(B)よ」
「ふ〜ん、ベイトか。それで、これは」
「これはね、ギメル(C)よ。アレフ・ベイト・ギメルでヘブライ語のABCよ」
「ふ〜ん、アレフ、ベイト、ギメル ヌゥゥ:ネ 。アレフ、ベイト、ギメル ヌゥゥ。ママ、ぼく、もうアレフ、ベイト、ギメルをおぼえちゃった」
「そう、デービッド、偉いわね。じゃ、ごほうびにビスケットをあげるわ。ほ〜ら」
「あれっ、ママ、これもアレフ、ベイト、ギメルだよ。ほら、このビスケット、アレフの形をしているよ」
目で見て、耳で聞いて、頭で覚えて、舌でも確かめる。これがユダヤ式の幼児教育の方法である。
39// 幼児をおどすな。幼児は鞭で罰すか、それとも許すかである。
(出典、ミシュナ「マセホット篇」2)
幼児期の教育は人間の社会性の基本となるだけに、教え方にも気をつかう。
知識や理屈を教えるさいには、物事の背景から説明することが大切である。なぜ文字ができたか。なぜ勉強するのか。なぜ算数が必要か。なぜ時計をつかうのか ヌゥゥ。
いろいろ説明しても幼児が理解してくれないときは、いったんあきらめて、別のテーマに関心を向けさせるしかない。
社会の道徳とか約束事、つまり善悪を教えるさいにも、最初に、なぜそれが大切なのか分かりやすく理由を説明する。
「モイシェ、安息日にお絵描きをしちゃだめよ。神様だって、安息日にはクレヨンも粘土もさわられなかったのだからね。さあ、いい子ね、お絵描きは明日にしてね」
まずは優しく事情を説明して、エチケットやルールを守ってもらうようにする。
しかし、頭で分かっていても、つぎにまた行動が違反してしまうことがある。あるいは自分で約束したことを破る場合など、ユダヤ人の親は子供をようしゃなく叩く。
「モイシェ、なぜ夕方のお手伝いを忘れたの」
「だって、ヨシと遊んでたから」
「でも、夕方のお手伝いまでに帰るからっていう約束じゃなかったの」
「う〜ん」
「う〜んじゃないでしょう。約束は守るのよ。さあ、お尻をだしなさい」ペンペン!
善悪のけじめは身体でおぼえておくことであって、頭だけの知識だと不十分である 。そのために、ときには体罰も必要である。善悪は、人類すべてに共通することであって、個人的な好き嫌いとか。趣味で左右されるべきことではない。善悪を身体でおぼえることこそ、帝王学のはじめである。
だが、「そんなことをすれば、罰があたるよ」とか、「えんま大王に舌をぬかれるよ」などと言って、ことばで脅すことは慎むべきである。
威嚇や脅迫は、のろいに等しい。それは反発をまねくか、あるいは相手を萎縮させるばかりで、なにも進歩につながらない。
大人も、自分の幼児時代はどんな叱り方だと納得できたか思い出してほしい。
37/ 今日は学校でよい質問をしたかい。
(カーク・ダグラスの母親のことば)
ユダヤ人は貯金と教育に励む。貯金と教育には共通点がある。お金を手に入れるのは、一獲千金というわけにはいかない。知識をいっきに全部おぼえるという訳にもいかない。
しかし、少しずつでも貯金しつずければ、いつの日か小さくても自分の家を買うことができるようになるだろう。貯金があれば、出産、病気、事故 ヌゥゥなど、まさかの時にこまらないだろう。あるいは子供の教育費にもやくだつだろう。
教育も少しずつ勉強する以外に、これといって容易な方法があるわけではない。貯金はたまっていく途中で、金額がわかるから楽しいが、勉強はどれだけ身についたかすぐには結果がわからない。
だから、ユダヤの母親は子供が学校から帰ってくると、「きょうは学校で何を勉強したかい」と聞く。カーク・ダグラスの母親も、彼が学校から帰ってくると、毎日おなじ質問で少年時代の彼を迎えていたという。ちなみに、彼は本名、イスラエル・ダニエロヴィッチである。
「え〜と、きょうは理科を勉強したよ」
「それで、理科は何を勉強したのかい」
「う〜んと、蟻の生活についてだよ」
こういう母子の会話が、そのまま学校で勉強したことの復習になる。
「それで、きょうはどんな良い質問をしたの」。これはユダヤの母親の口癖である。
彼女らは子供に「ちゃんと勉強したかい」などとはいわない。
勉強のよしあしを決めるのは、まじめに授業に出たかどうかではない。課題をどれだけこなしても、受け身の勉強ではよい質問はできない。せいぜい「先生、ここが分かりません」である。
よい質問とは、「なぜ○○は△△なのですか」である。ユダヤ人は幼いときから、なぜの疑問をもって考えるように母親から習慣づけられている。物事をうのみにしないで、いったん自分なりに疑問をもつ。そんな疑問とはばひろい問題意識とがユダヤ人の物の考え方の根底にある。
36. 人間は最初に一人しか創造されなかった。
(出典、ミシュナ・サンヘドリン篇4)
聖書の物語では、神は天地創造のさいに、人間以外の動物はすべて雌雄ペアで創造した。大自然でさえも、昼と夜、太陽と月という具合にペアで創造した。人間だけは、最初にアダムひとりが創造され、あとからイブが創造された。
そして、人類が経験した最初の悲劇は、アダムの長男カインが、その弟アベ ルを殺したことである。まだ、地球上にこどもは兄弟ふたりだけしかいないのに、そのうちの1人が、もう1人を殺してしまったのである。
ユダヤ教の伝説では、神はそのとき、殺人の罪の重さを分かってもらうために、カインにたずねた。
* * * * *
「おまえは、なぜ、わたしが、最初にアダムひとりしか創造しなかったか、分かっているかい」
「いいえ、わかりません」
そこで、神はカインに説明した。
「いいかい。おまえたち兄弟も、また、おまえたちの母のイブも、まだこの世界にいないときに、たまたま、おまえがライオンだったとしよう。そして弟アベルがアダムだったとしよう。そしてライオンがアダムを殺したとしよう。そうすると、どうなるかい。地球上にまだ人間はいるかい」
「いいえ、アダムひとりだったのですから、もう人間はいないことになります」
「おまえは、ほかにも父母などがいるから、人間の尊さに気づかなかったのだ。な〜に、弟アベルひとりくらい殺しても、まだ人間はほかにもいるさ、などと考えないでほしい。ほんとうは人間ひとりが、全人類の価値に匹敵するわけだ。それを知ってもらうために、わたしはアダムひとりしか創造しなかったのだ」
「ふ〜ん、そうだったのですか」
「それに、みんな同じ一人の親から生まれてくれば、『おれの親父は、おまえの親父よりも偉いんだ』とか、おたがいに競いあう必要もないからね」
* * * * *
わたしたちは、二度とカインとアベルの悲劇をくりかえしてはならない。
35. 「人は金の心配がなければ、仲間を大事にする。金の心配があると、仲間を粗略にする」
むかしCという友人がいた。はぶりのいい男であった。
ひさしぶりに会ったというので、かれは六本木で食事をおごってくれて、赤坂でさらに接待をしてくれた。当時も今もわたしは金持ちではないが、そのころは、まったく素寒貧だったので、かれが連れていってくれたレストランも、またクラブも、わたしには竜宮城のように見えた。おなじくらいの年齢でありがら、かれとわたしとでは、月とすっぽんほどにもちがう生活の内容だ。いささか羨ましく思えた。
かれは小さいながらも会社を経営し、事業を順調にのばしていた。そういう会社経営の知識は、わたしには皆目わからないだけに、Cの活躍ぶりがわたしの目には驚異に映った。
その後も、なんどか御馳走になった。そのたびに借りがふえる思いであった。
あるとき、Cから電話で、ぜひ相談にのってほしいプロジェクトがあるので、夕方でいいから、かれの会社に来てほしいと頼まれた。
Cの会社にいってみると、大型リゾートクラブ開発の件で、資金がショートしかけているという。そういう開発計画があると、わたしも前まえから聞かされていたが、計画は順調に推移していると言っていたので、わたしは無関係だと思っていた。
「資金は予定の九割まで集まったが、あとの一割がなんともならない。ぜひ、きみにも出資してもらいたい」
そう言われると、友人としてかれを見殺しにはできなくなる。わずかばかりのお金ではあるが、わたしの虎の子の一部をCに用立てした。
返済の約束日がきたが、かれの会社はすでに倒産していた。しかも、そのあと判明したいろいろな情報を総合してみると、どうやら、同時期に、かれは知人・友人からその手口で借りまくって、約束日のまえに計画倒産をはかったらしい。
だが、お金がないから、友人を十分にもてなして上げれないのは仕方がないとしても、友人を食い物にするとはもってのほかである。
つまり、友情は、どこまでもお金と無縁であることが望ましい。
34. 敵を作るのはやさしく、友を得るのはむずかしい。
(出典、ミッドラシュ・ヤルクートシモーニー)
学校生活と会社生活の相違点は何か。
人間関係である。学校でも、友人と仲良くするにこしたことはない。だが、学校での生徒評価は、まず学業の能力が第一であって、人間関係はそれほど問われない。
ところが、会社では人間関係が第一である。もし人間関係がうまくいかないと、どんなに仕事の腕がよくても、チームワークのできない一匹狼におわってしまう。これは、まちがいなく本人の総合評価をさげる。それに、社会人は、老齢になって隠退するまで、ずっと、仕事をしつづけなければならないだけに、人びととうまく協力していけるかどうかは、ひじょうに大きな問題である。
聖書には、いくつも主人公たちの友情をつたえている記事がある。なかでも、ひときわ
美しい友情は、ダビデと王子ヨナタンの友情である。ヨナタンは、ダビデの主君サウルの息子である。かれは、父サウルのダビデへの嫉妬にもかかわらず、終生、ダビデへの友情をつらぬく。
ヨナタンの悲劇的な戦死のしらせを聞いたとき、ダビデは友人の死をいたんで、
「ああ、勇士は戦いのさなかで倒れた。きみのわたしへの愛は、女の愛にもまさり、たぐいないものであった」と、挽歌をうたった。
ふたりの友情は、はじめて出会ったときから、決定的なものであった。それは、人為的にきずいた友情ではなく、火花がとんで、瞬時に分子結合した結晶であった。真の友情は、あんがい、そうした直感的出会いにはじまることが多い。
だが、忘れてならないことだが、サウルも最初はダビデを重用したのである。ところが 、イスラエルの女たちがダビデの武勲をたたえて、「サウルは千人を殺し、ダビデは万人を殺した」とほめたために、一転して、ダビデを嫉妬するようになった。わずかなことで、サウルの自尊心がきずつき、ダビデへの憎しみに発展したのだ。
すくなくとも、人は最初の出会いから相手を憎むことはない。敵を作ってしまうのは、ささいな不注意で、相手をきずつけてしまうことからの場合が多いのである。
33. 不幸に耐えることができない者は幸福を見ることもない。
だれも不幸にはあいたくないと思う。だが、なぜ不幸があるのか。ラビたちは、それは幸福に出会うためであるという。
あるとき、ラビ・エリエゼルが病気になった。ユダヤ教の長老らが見舞いにきて、くちぐちに慰めのことばをのべた。たとえば、ラビ・タフロンはこういった。
「あなたはイスラエルにとって太陽よりも尊い。なぜなら、太陽はこの世だけしか照らさないが、あなたはこの世をも、あの世をも照らす光をくださった」
ラビ・エリエゼルは、タフロンの見え透いたお世辞には知らぬふりをして返事もしなかった。
ところが、エリエゼルの弟子、ラビ・アキバは、「幸いなるかな、不幸にくるしむ人びとよ」といった。
これを聞いて、ラビ・エリエゼルは病床に身を起こし、「おい、その理由を聞かせてくれ」と命じた。そこで、ラビ・アキバは聖書を引用しながら、説明した。
「聖書には、マナセ王が神の目のまえに悪をおこなったと記されています。また、聖書のべつの箇所には、ソロモン王の格言集がまとめてあり、『これは、ヒゼキヤ王の部下たちが書き写した』と報告されています。
ご承知のように、ヒゼキヤはマナセの父でした。ですから、ソロモンの格言や聖書を部下たちに教えただけでなく、とうぜん、むすこマナセにも教えたはずです。
だが、父ヒゼキヤがむすこに教えたいっさいの教訓も、その他さまざまの教育も、かれの役には立たず、かれは悪事にはしります。
そのため、マナセの時代に国内がみだれ、外国との戦争にも負け、かれは捕虜になってバビロンに引かれていきました。そこで、『かれは不幸にあってはじめて、神をもとめ、神のまえに身をひくくし、神にいのった。すると、神はかれの祈りを聞き、かれを再びエルサレムにつれかえり、王位を回復させた』と記録されています。
つまり、不幸に出会って、はじめて何がいちばん大切なのか分かったのです。だから、幸いなるかな、不幸にくるしむ人びとよ、なのです」
この説明を聞いて、ラビ・エリエゼルは「もっともだ、もっともだ」と同意した。 不幸は望ましくないが、そこを通って、じつは幸福への道を発見するのである。
32. 困難とは、汝がそれを乗り越えねばならぬことを意味する。
人生には、いろいろと苦しいこと、つらいこと、困難なことがある。そのたびに、大きな壁のまえでたたずんでしまう。
20世紀に、世界にもっとも影響をあたえたユダヤ思想家といえば、フランスのアンリ・ベルグソン(1859--1941)と、イスラエルのマルチン・ブーバー(1878--1965)であろう。
ベルグソンは、創造的行為がエラン・ヴィタール(生命の跳躍)にはじまることを指摘した。ブーバーは、「我と汝」の対話が人間の存在をささえる自覚となっていることを、人びとに気づかせた。
思えば、わたしがイスラエル留学をこころざした理由のひとつは、マルチン・ブーバーに学びたかったからである。
1963年の春、イスラエルに到着してまもなく、わたしは、エルサレムに住んでおられたブーバーに面会する機会をゆるされた。
当時、先生は85歳の高齢で、すでに大学で講義されることはなかった。それでも、すくなくとも直接、先生の謦咳にふれることができたのは、わたしにとって、たいそう幸せなことであった。
面会の最後に、これからわたしが留学生活をつづけるうえでの座右銘を与えてくださるように、お願いをした。
「きみ、座右銘をひつようとするほど、なにか困ったことがあるかね」
「いいえ、とくに困ったことはありません。イスラエルの人は、みんな良い人ばかりで、困ったことがあれば、いろいろ助けてくださいます」
「そうだろう。みんな助け合って生きているからね。それに、もしきみが困難にであったとしても、困難は、きみがそれを乗り越えなければならないことを意味しているんだから、がんばることだね」 そういって、先生は励ましてくださった。
先生が語ってくださった最後のことばこそは、じつはわたしのための貴重な一言であった。それ以来、イスラエルでも、アメリカでも、わたしは困難にであうたびに、ブーバー先生のことばを思いだし、幾多の困難を乗り越えてくることができた。
31. 絶望は馬鹿者の結論である。 (出典、ディズレリー著『アルロイ』)
人間がほかの動物とちがっている点のひとつは、おそらく絶望である。
犬や猫、あるいは猿や鳥は、人間のように、絶望のはてに自殺したりしない。動物の世界でも、野牛が集団で崖から海に飛び込んだり、いるかが群れをなして砂浜に迷いこむという、いわゆるスタンピード(殺到)現象はある。だが、これが意識的自殺行為かどうかは疑問である。
社会学者デュルケムによると、自殺がふえる原因として、個人と共同体とのきずなが親密でないことが考えられるという。
人口10万人あたりの自殺率(1980年調査)は、デンマーク=23.6、西ドイツ=21.7、日本=18、イスラエル=6.5、イタリア=5.6である。
この事実は、日本人の生活の孤独化がすすんでいることを示している。もし周囲の人びととの社会的きずなが深ければ、自殺したくなるような絶望にひんしても、自殺を回避するための、なにか良い方法や知恵もみつかったかもしれない。
ユダヤ人のあいだに、わりあい自殺者がすくない理由は、ひとつは家族やユダヤ人社会とのつながりが深く、おたがいに助けあっているからである。それに、かれらは想像力がゆたかで、窮地脱出のためのいろいろな方法を考える。わたしたちだと、たいてい、壁のまえで立ち止まってしまう。かれらは、前方に壁があると、左右に抜け道はないか、地下にトンネルはないか、真上にジャンプが可能ではないかと考える。それでもだめならば、そっくり引っ返してみる。解決は、意外なところに、意外な方法で、みつかるものである。
英雄ダビデは主君サウル王に追われて、国内をてんてんと逃げまわった。水一滴もないユダの荒野にかくれても、サウル王はしつこくダビデをとらえようとする。考えあぐねて、ダビデはついに敵国ペリシテに亡命を決意する。かれは、かつてペリシテの大将ゴリアテを倒しているから、これは危険きわまりない賭けだ。しかし、窮鳥も猟師の懐に入れば、これを殺さずのたとえ通り、かれは敵将アキシの配下にくわえられ、亡命に成功した。それがダビデの政治生命の転機であった。
頭をつかって、最後まで最善をさがす。それが知恵ある者の生き方である。
キリストのことばに、「金持ちが天国に入るのは、らくだが針のあなを通るよりもむずかしい」という。これは、じぶんの全部の財産をもって天国に入ろうとするのは無理だという戒めである。
だが、もし金持ちがほんきになって天国に入ろうとしたら、どういう結果になるだろう
か。おそらく、髪の毛一本だけは、針のあなを通して、天国にもちこめよう。しかし、あとは全財産も全身体も、針のあなの前にのこすことになろう。
つまり、金持ちであればあるほど、死後、その財産のすべてが、そっくりこの世にのこされる。そして、富の全容があきらかになる。
なかには、財産をかくす者もいるかもしれない。たとえば、税務署の目をごますとか、法定の遺産相続人に財産をわたしたくないとかいう場合である。でもどのみち、だれかには遺産の総額がわかるはずである。
しかし、どんな巨大な富をのこしても、ほとんどの富豪は人びとの記憶から忘れさられてしまう。たとえば、去年の日本のトップの高額所得者がだれであったか、いったい幾人のひとが知っているだろうか。去年のことさえも、人びとの関心の対象から消えてしまうのであれば、十年前の富豪となると、もはや忘却のかなただ。
こう考えると、富をもつことがはたして有意義なのか疑問もわく。
もとより、富を否定してよいわけではない。富があれば、じぶんの思うままに欲求をみたすこともできよう。あるいは、多くのまずしい人をたすけ、さまざまな良い事業を実現することもできる。
しかしながら、いちばん大切なことは、その人がどれだけ無形の富をのこすことができるかであろう。
日本の歴史上でも、いまなお人びとに記憶され、慕われ、その精神的遺産の泉の中から、無限に現代への宝をあたえ続けている人は、聖徳太子、柿本人麿、弘法大師、親鸞、千利久、松尾芭蕉など、ほんとうに数えるほどしかいない。しかも、これらの先輩たちがのこした富の偉大さがわかったのも、むしろその死後のことなのである。 富とは何か。あらためて考えさせられるテーマである。
数年前のこと、ある会社の社長がわたしに会いたいと申し込んできた。
「現在、うちは90人の会社ですが、来春、新人60人を採用するのです」
一瞬、わたしはじぶんの耳を疑った。えっ、そんな、ばかな ヌゥゥ。
年商20億円の会社が、どうやって60人も新人をやしなえるか。単純に見積もっても、60人で人件費が2億円よけいにかかる。そんな余裕があるはずはない。 それに60人も新人がいたのでは、先輩社員たちの足手まといになって、たちまち会社全体が自滅する ヌゥゥと、わたしは内心おもった。
「そこで、じつはお願いなんですが、先生にその60人をなんとか教育していただきたいのですが。それも、出来るだけはやく一人前になるように ヌゥゥ」
ええっ、わたしがかれらを教育する? そんなことは不可能だ。ふつうは、新人が一人前になるのに3年はかかる。それなのに、大量の新人を短期間で一人前に仕上げてほしいとは。そんな教育は、前例がない。いったい、どうする ヌゥゥ。
わたしは、返答のことばもないまま、いったんは別れた。
それから一ケ月、いろいろ考えた。なぜ不可能だと思うのか。他のだれがこんな無茶な依頼を引き受けるか。だれも受諾しまい。だったら、わたしが受諾するか......。
だが、それなら、ぜひとも成功させなければならない。つまり、一年以内に、職種職務をとわず、かれらが、じぶんの給料をじぶんの仕事で稼ぎだせるように、育てなければならない。それには、最低どれだけのことを教えればよいか。そして、わたしは何を教えることができるか ヌゥゥ。
わたしは、かれらが自立できる最低限度の条件を洗いだし、それに必要な課題を前倒しにならべた、つまり、目標からスタートして、現実の状況につなぐ方法をカリキュラムにした。ぎゃくに、かれらにしてみれば、じぶんたちに出来る課題からスタートして、一年以内に先輩社員に追い付くことができるわけである。
一年後、新人60人全員が、じぶんの給料をじぶんで稼げるようになっていた。
学生時代によんだ本によれば、東京の増上寺の墓地を整理したときに、徳川家の墓地も整理の対象となった。
そのさい、徳川幕府後期の将軍のミイラ化した遺骸をしらべたところ、柔らかいものばかり食べたとみえて、歯の摩耗が少なく、それでいて歯槽膿漏などがひどく、相対的に短命だったと報告されていた。
もとより、人の寿命が長いか短いかは、食物が堅いか柔らかいかだけに左右されるものではない。しかし、よくかんでいるか、それとも、十分にかまないまま、まるのみしているか。これによって、その人の健康度はずいぶんちがうという。
ところで、ユダヤのことわざでは、「歯でよくかめる人の足は強い」という。これはどういう意味であろうか。
ご承知だと思うが、物事の考え方には帰納法と、演繹法とがある。
帰納法というのは、個々の事実をもとに推理をひろげて法則をさがしだす方法である。自然科学の研究や実験は、主としてこの方法で理論をきずいていく。演繹法というのは、幾何学の応用問題をとくときのように、基礎となる真理や法則をもとに、個別の出来事の妥当性をたしかめていく方法である。
それに加えて、物事をぎゃくの方向からチェックしていくと、あんがい真実か嘘かも自然とわかってくる。
このことわざの場合だと、もしある人の足が弱いとしたら、どういう原因が考えられるか。体重がおもいか、病気で足をいためているかであろう。体重がおもいとすれば、運動不足になっているであろう。病気で足をいためていても、運動不足になっているであろう。運動不足になっておれば、いきおい消化のよい柔らかな食事とか、美食が多いであろう。柔らかな食事も美食も、よくかまずに食べれる料理が多いであろう。十分かむことがなければ、とうぜん歯は弱くなるものである。
八十歳、九十歳まで生きている長寿の老人のかたがたを拝見すると、例外なく、みんな歯がたしかである。じぶんの歯で食物をかむ。そして。じぶんの足であるく。これは、何にもまさる長寿のひけつである。
27. 少量だと良いが、多量だと悪い八つのもの、
旅行、セックス、富、労働、酒、睡眠、熱い飲み物、薬。
(出典、タルムード・ギッティン篇七〇)
健康を守るというのは、けっして容易でない。
医学が進歩した現代においてさえ、健康を維持するために、人びとはあれこれ苦労するのだから、衛生環境がなにかと不備な古代においては、なおのこと大変だったであろう。
ユダヤ人はむかしから健康と衛生に気をつかってきた。中世のヨーロッパでペストなどの伝染病が大流行したときも、ユダヤ人の病死者はひじょうに少なかった。
そのため、ぎゃくに周囲のキリスト教徒から、ユダヤ人が元気なのはキリスト教徒の子供の血をすすっているからだとかいうデマが、まことしやかに流されて、ユダヤ人はあらぬ誤解を受けるはめになった。
ユダヤ人が伝染病にかからなかった本当の理由は、かれらが毎食前、かならず手を洗う習慣を守っていたことによる。その習慣は、宗教上のいましめによるものであったが、そのことが、かれらの保健衛生に役立っていたわけである。
タルムードには、ここそこに医学的な所見や保健衛生の助言などが残っている。そのなかで、日常、健康のために注意しなければならぬことを列記した意見が、冒頭に紹介した
「健康八訓」である。その理由はといえば、
1/ 旅行:
ちょっとした旅行は気分転換によい。大旅行は道みち危険が多い。
2/セックス:
適度のセックスは熟睡にみちびくが、過度にふけると精力が衰える。
3/富:
ある程度の富は生活の心配をのぞくが、多すぎると管理に神経を使う。
4/労働:
朝から夕方までの労働は心身を健康にするが、重労働は病気のもとだ。
5/酒:
少量の酒はストレスをやわらげるが、酔っ払うとトラブルをまねく。
6/睡眠:
適度の睡眠は疲労回復によいが、眠りすぎると怠惰な豚になる。
7/熱い飲み物:
少量の熱い飲み物は身体を温め血行をよくする。多いと脈拍を速める。
8/薬:
少量の薬は病気を治すが、大量の薬はもちろん身体にとって毒になる。
かんたんな事柄だが、こういう点に気をくばって、じぶんの身体と健康を大切にする。それが、あすの創造的な仕事の活力となっていく。さあ、実行しよう。
むかし、ユダヤの国にふたりの偉大なラビがいた。ひとりは、シャマイ。もうひとりは、ヒレルといった。
シャマイは、戒律を厳格に守ることを人びとに要求した。ヒレルは、戒律もだいじにしたが、まず人びとに愛の実行を教えた。
あるとき、シャマイのもとにひとりの外国人がたずねてきた。
「先生、わたしはユダヤ教に改宗したいのですが、そのために、まず、わたしが片足で立っているあいだに、ユダヤ教のおしえを説明してくださいませんか」
この申し出を聞いて、シャマイはその外国人を叩き出してしまった。
つぎに、かれはヒレルのところに来た。そして、おなじ質問をした。
すると、ヒレルはにっこり笑って言った。
「よろしい、君が片足で立っているあいだに、ユダヤ教のおしえを説明しよう。いいかい、『汝の欲せざることを、汝の隣人におこなうなかれ』だ。あとは、全部その解説や応用だ。さあ、わたしといっしょにユダヤ教の勉強をしよう」
このヒレルの考えを延長していけば、じぶんがじぶん自身に許していることは、他人にも許さねばならないという結論になる。
これを、わたしたちの日常の例で考えると、たとえば、こういうことである。
たいていの人は、「ぼくの三日坊主は癖だから、仕方がない」などと、言いわけをして平気でいる。しかし、よく考えてみれば、三日坊主というのは、じぶんがじぶん自身に対して約束したこと、あるいは誓ったことを、みずから破る行為にほかならない。つまり、じぶんを欺いた結果になるのである。
それでいて、他人が約束をやぶったりすると、「あの野郎、約束をやぶったなァ」と立腹する。他人に約束をやぶられて腹をたてながら、じぶんがじぶんへの約束をやぶった時には、それを咎めないというのでは、矛盾している。
極端な例をあげれば、泥棒さえも、じぶんが盗まれるのは不愉快なのである。
したがって、もし自己を大切にしたいならば、まず、じぶん自身を裏切らないようにすることだ。それをしないで、他人に要求するばかりでは、片手落ちである。
現代日本でもっとも封建的な社会のひとつは、病院である。
医者は、なにしろ古代からめんめんと続いている由緒ある職業だ。そのむかしは、西洋では外科医と理髪屋が同じ職業だった時代もある。理髪店のまえでくるくる回っている赤と青のだんだらもようの理髪マークは、もともと動脈と静脈を表した外科医のしるしである。つまり、理髪屋も、医者も、ひじょうに古い職業なのである。
理髪屋の場合、へたな理髪店とじょうずな理髪店とのちがいは、整髪がおわって店から出てくる客の頭をみれば、ひとめで分かる。
しかし、医者の場合は、名医とやぶ医を見分けるのはむずかしい。名医に治療してもらっても、死ぬ人は死ぬ。やぶ医者にかかっても、なおる患者はなおる。
わたしの知るかぎりでは、名医は、診断が正確であるばかりか、患者がじぶんの力でなおるように仕向ける。したがって、患者にあたえる薬の量もすくない。それでいて、患者への同情が人一倍である。
ところが、医者のなかには、真実を患者に告げないものがいる。だが、そういう場合でも、患者の目はだませない。なぜならば、ユダヤの別のことわざでは、「医者にじぶんの病状をいつわって言う患者は、じぶんをだますだけだ」というからである。じっさい、患者は、じぶんの病状をいちばんよく知っている。それどころか、他人の病状や、場合によっては、その治療方法まで知っている。
なぜかというと患者はひまである。毎日、長い時間を病気とばかりつきあってはおれない。だから、病院の待合室でも、また病室でも、患者どうしよく観察している。だれがどういう病状であるとか、病気の進行ぐあいはどうなるとか、どこまでくればもう治らないか。長期入院の患者になると、どの病気のときは、どういう食事をたべて、どういう薬をのめばよいかまで、しぜんと知ってしまうのである。
もし、あなたが大きな病気で入院することがあれば、同室の患者とはやく仲良くなることである。かれらは医者以上に、病気についてよく知っているものなのだ。
公職ということばがある。
どうも「職」という文字が、日本では公職にたいする誤解を生んだように思える。なぜかというと、「職=生計のためのしごと」と考えるせいか、公職を利用して、じぶんの財産形成にはげむ政治家が多いからである。
英語では公職をシビル・サービス(市民の務め)という。もともと、サービスとは手弁当で奉仕することである。したがって、公職につけば一財産つくれるなどというのは、もってのほかである。国家にせよ、市町村にせよ、じぶんたちが住んでいる社会は、じぶんたちの手で管理運営する。それが、西洋では、ポリス(都市国家)以来の市民の伝統である。
西洋では、もうひとつ市民の務めがある。それはミリタリー・サービス(兵役)である。これも、じぶんの住んでいる国や州は、じぶんの手で守るというポリス以来の伝統である。そして、どちらの公務も、私利私欲のために濫用されてはいけない。そんなことがあれば、社会全体の秩序や安全がおびやかされるようになる。
社会学者のマックス・ウェーバーによると、政治家や公務員が政治や行政をじぶんの生計の手段にしてしまうのは、もともと、かれらが裕福でないからなのである。
だが、金持ちが政治家になっても行政をゆがめてしまう。かれらはじぶんの権力をしめすために、むらがってくる利権屋に公共の仕事を配分してしまうからである。
けっきょく、政治や公職の腐敗というのは、物質的な貧しさもさることながら、公務につく人びとの心の貧困が、いちばんの原因のようである。
ラビたちは、利益をもとめて公職につこうとする者は姦通者にも劣るという。姦通とは 、他人の配偶者と不倫をおこない、他人の所有にあるものを横領しようとする行為である。これは聖書では、殺人罪とならんで、死刑の対象であった。
日本の政治家に、公職をけがすということは、それくらい重大な社会的犯罪だと知ってもらいたいものである。
ユダヤ教の特徴をひとくちでいえば、呪わない宗教だといえる。
三千年以上もむかし、モーセがイスラエルの民をつれてエジプトを脱出し、シナイ半島をへて、約束の地であるカナンをめざしつつ、ながい旅路を進んでいた。
いまのヨルダン南西部のあたりにあったモアブの国にさしかかったとき、モアブの王バラクは、モーセたちの進路をさえぎろうとした。
しかし、武力ではイスラエルの民に勝てそうもない。バラクは思案したあげく、北のユーフラテスのほとりにいた有力な魔術師ビルアムをまねいて、イスラエルの民を呪わせようとした。呪いで敵を退散させようとしたのである。
ビルアムは、モアブ王のたのみとはいえ、なぜか気がすすまなかった。だが、何度もたのまれて、ようやく南のモアブに行く決心をした。
モアブにつくと、さっそく王に案内されて、山の上から、はるか遠くにイスラエルの民がいる様子を眺めた。
翌日、イスラエルを呪うために、山の上にいけにえの牛や羊を用意して、呪いの儀式がはじまった。ビルアムは牛と羊をころし、その血をまぜあわせ、イスラエルのほうにむかって血をふりかけ、おもむろに呪文をとなえはじめました。
やがて、神がかり状態になって、ビルアムのくちから神のお告げが聞こえました。
「バラクよ、立って聞け。 神が呪わないものを、どうして呪うことができよう。神が祝福するものを、どうして呪うことができよう。イスラエルを祝福する者は祝福され、イスラエルを呪う者は呪われるであろう」
なんと、神のお告げは、イスラエルを呪おうとするバラクをいましめる内容だったのである。バラクはかんかんに怒って、魔術師ビルアムを追い返してしまった。
このエピソードは、ユダヤ人の心にふかい感銘をあたえた。他人を呪ってよいかどうかは、神が決めることであって、わたしたち人間がかってに手をくだしてはならないことなのである。なぜならば、呪いは、人をころす行為にひとしいからである。
人びとを幸せにする行為、これだけが、誰でも自由に行使してよい権限である。
むかし、むかし、ユダヤの国にソロモンという賢い王様がいました。ある日、ふたりの遊女が王様のところに裁判をお願いにきました。まず、ひとりの女が訴えをのべました。
「王様、わたしはこの女といっしょに住んでいますが、先日、わたしは赤ちゃんを産みました。その三日後に、この女も赤ちゃんを産みました。
ところが、この女はじぶんの赤ちゃんの上にねてしまったので、夜中のうちに、その子は死んでしまったのです。そして、夜中にわたしが眠っているすきに、わたしの赤ちゃんを取って、じぶんのベッドに入れ、じぶんの死んだ子をわたしのベッドに入れたのです。 ヌゥゥ:ネ 今朝になって、わたしが、朝、赤ちゃんにおっぱいを飲ませようとすると、赤ちゃんが死んでいるじゃないですか。しかし、よく見ると、それは、わたしが産んだ赤ちゃんじゃなかったんです」
もうひとりの女はいった。「いいえ、生きているのが、わたしの赤ちゃんで、死んだ子はあなたの子です」
ふたりの遊女は、おたがいに生きている子がじぶんの子だと言って、ゆずらない。そこで、ソロモン王は役人に命じた。
「では、刀をもってきなさい。そして、生きている子をまっぷたつに切って、この女たち に半分ずつわけてやりなさい」
すると、生きている子の母親は、じぶんの子がかわいそうで、たまらなくなり、「ああ、王様、生きている子を殺さないでください。赤ちゃんをその女に上げてください。けっして殺さないでください」と頼んだ。
ソロモン王は、「この女が実の母親である。赤ん坊をこの女に渡せ」と命じた。
* * *
聖書のこの物語が下敷きになって、日本では大岡越前守の名裁判物語ができた。人は、じぶんを守るために、あるいは、じぶんにとって大切なものを守るために、嘘をつく。だが、嘘はやがて、どこかで、それが真実でなかったことが判明する。それよりは、はじめから真実をはなすほうが、はるかに安全である。
21. あなたの息子に職を身につけさせよ。さもないと将来泥棒になる。
(出典、タルムード・キドゥシン篇29)
ユダヤ人は教育に熱心な民族である。もちろん、日本人も、ユダヤ人にまけずおとらず教育に熱心である。
しかし、日本人の教育の熱心さとユダヤ人の教育の熱心さとは、どこかちがう。
ユダヤ人の家庭では、子供たちにしたい放題にさせている。親もあまり叱ることはない。叱るのは、せいぜい保育園にかよっているころまでである。これは、イスラエルのキブツでもそうだったし、ニューヨークのラビの家庭でもそうだった。
やりたい放題にやっているようだが、それでも大学を卒業するころになると、まともな生活になっている。なにか、ユダヤ人社会全体が、ひとつの人間教育システムで動いているのではないかと思われる。かれらは、大人になると、しぜんに社会の責任を分担することをわきまえて、じぶんの責任で行動するようになる。
ところが、日本の場合は、子供のときに厳格に育って、大人になっても無数の規制の枠をはめられている。それでいて、守るべきことを守らない大人が多い。
これは、どこに原因があるのか。さっするに、教育の目的が日本とユダヤとでは、違っているからではないか。
日本人は、就職に有利だから子弟に教育をあたえる。そうはいっても、どこに就職するかとか、どんな仕事をしたいかということは、あまり考えない。ただ、ひたすら子供を学校にいかせ、よい成績をとることを問題視する。
ユダヤ人は、子供が好きな分野の仕事を発見するために、あれこれ学科を体験させる。かれらは、自立できる職業を念頭におきながら、進路選択の一環として、学問をあじわうのである。
冒頭の格言は、ラビ・ユーダのことばだが、この他にも、ラバン・ガマリエル三世によれば、「この世の仕事をしながら学問をする、それが最高だ。どんなに学問をしても、じっさいの職業を身につけていないと、最後はすべての努力が無に帰すばかりか、罪をもまねくであろう」という警告もある。
実務と学問との両立は、ユダヤ人がつねに理想として実践してきた道である。学問のない実務は生活の潤いを欠き、実務のない学問は他人への依存をうむからである。
ラビたちは、気をまわしすぎるなという。あれこれ、気をまわしても、それが無駄になってしまうことは多い。結局、また最初からやりなおさなければならなくなる。 気をまわすというのは、本質的に、早合点や、おせっかいと変わらない。あなたが一方的な憶測で他人に提案をして、結局、親切がむだになったことはないだろうか。
「D子〜っ、あら、顔色がわるいわね〜」
「う〜ん、あの〜、ちょっと頭がいたいだけなのよ」
「あら、そ〜お。だったらさ〜、薬をのんだら。わたし、鎮痛剤ならあるわよ」
「ああ、よけいな心配しないでっ。わたし、薬はのまないことにしてるんだから」
この場合は、D子が薬をほしいかどうか聞いてから、そのうえで、おもむろに鎮痛剤をもっているから、分けてあげようかと提案すべきであった。
そして、早合点というか、相手の言っていることの先まで読むのが行き過ぎると、ビジネスでは、おうおうにして顧客の気分をはなはだ害することになりかねない。
「きょねん買ったスーツには、こりたわ」
「あら、さようでございますか。では、こちらは、いかかでしょうか。レイヨン百%ですから、つやがあって、とてもよろしいんですよ」
「ふ〜ん、でもレイヨンって、すぐよれよれになるのよね」
「それは仕方がありません。でも、これはデザインもよくて、すごくお似合いです」
「そ〜おっ。似合っても、一年ぽっきりで、すぐよれよれになって、終わっているのよ。きょねん買ったスーツもレイヨンだったのよ。それじゃ、こまるのよ!」
こんな会話のやりとりをしたセールス担当者のもとには、もう二度とおなじお客様はもどってこない。かりに、お客様は右の最後の発言をしていなくても、内心でそういう気持をもったかもしれない。
相手がどんな問題をかかえていて、それをどのように解決したいかまで、じゅうぶん聞かないで対応してしまうと、こちらのせっかくの親切もむだになる。
友人にたいしても、お客様にたいしても、いや、同僚や家族にたいしても、ていねいに話を聞いてあげてから、こちらも行動するようにしたいものである。
成功ということについて、人はさまざまな考えをもつ。
「わたしは、成功なんて別に関係ない。人生は平々凡々に生きればよい」
「わたしは、ぜひ成功したい。成功して、大金持ちになりたい」
「成功? そんなことは考えたこともない。どうせ、わたしは何をやっても無駄だ」
だが、そもそも、成功とは、どういうことなのだろうか。
日本語の「成功」とは、「功を成す」と書く。つまり、功績とでもいうべき結果があるかどうかが、問われている。結果によって成功の度合いを計るわけである。
したがって、日本人にとっては、成功の度合いを計りやすい出世が、その人の人生の成功度の目安になることが多い。
ところで、出世とは、もともと出家とおなじ意味であった。家を出、世をすてて、僧になることだった。しかし、貴族以外には栄誉栄達の道がなかったむかしの日本では、お坊さんになれば、朝廷から手厚い保護をうけ、社会的に高い地位につくことができた。そこで、いつしか出家=昇進=社会的成功=出世となった。
しかし、英語で「サクセス(成功)」というのは、「サクシード(つらぬく)」ということが第一の意味なのである。途中で、弱気になって投げ出さないこと、これが成功の本質なのである。つまり、英語の「成功」は、途中のプロセスを重視する。
これは、ヘブライ語の「ハツラハー(成功)」もまったく同様である。
ということは、人生の成功とは、金持ちになるとか、出世するとかよりも、まず無事に 一生を生き抜くことをいうのである。
そのためには、他人の世話にならないで、じぶんで毎日の生活を一歩づつ確実にすすめることができることが先決である。だから、ユダヤ人は子供たちに学問ばかりでなく、まず職業を身につけさせるようにしてきた。
キリスト教社会では、十六世紀の宗教改革以後になって、ようやく、修道院でお祈りに 明け暮れる宗教家よりも、職業をもつ市民のほうが偉いということに気づいた。 しかし 、ユダヤ人はすでにローマ時代から、こういう実際的な考え方で仕事にはげんできた。それが、ユダヤ人のなかから多くの成功者が輩出した背景となった。
どんなことでも、最初はとてもむずかしい。だからといって、入り口で立ち止まったままでは、そこに何も進展はない。
ここに紹介する、世界最大のコンピュータメーカー・IBMの創立者、トーマス・ワトソンの場合も同様だった(ただし、かれはユダヤ人ではない)。
17歳のとき、ミシンやピアノを馬車につんで、近くの村々を行商してまわって以来、かれの一生は、セールスマン精神にみちたものであった。
22歳で、キャッシュレジスターの販売会社・NCR社に就職した。
それまで、いろいろセールスの経験があったとはいえ、事務機の販売はどうも勝手がちがって、最初の2〜3週間はまったく1台も売れなかった。
ある日の夕方、今日も一台も売れなかったことを支店長に報告した。
すると、支店長はもうれつに怒り、大声でどなりつけた。どなられながら、ワトソンは 内心で、もう会社を辞めようと思っていた。
ところが、叱りおわるやいなや、こんどは一転して、やさしいことばに変わった。「ねえ、ワトソン君、それにしても、セールスは谷もあれば山もある。落胆するな。明日、わたしも君のセールスに同行するよ。わたしだって、いつでも百発百中で成功しているわけじゃない。失敗するかもしれん。でも、死なばもろともさ」
翌日、ふたりは最新のキャッシュレジスターを馬車につんで、見込み客を訪ねた。支店長は、みずからお客と商談をし、どういうふうに話を展開させれば、お客に同意してもらえるか、じっさいに示した。そして、その場で売り込みに成功した。
何回かさらに支店長とセールスに同行してもらっているうちに、ワトソンは事務機販売 のポイントをマスターすることができた。
これが教訓となって、IBM社では、セールマン志願者が入社すると、まず最初に徹底 的に商談の模擬演習をおこない、顧客訪問のさいの不安をとりのぞくのである。
最初はなにごとも大変なだけに、てきせつな指導は大切である。
とはいえ、ユダヤ人はどんなことでも、最初は難しいことを承知のうえで、物事と取り組む。失敗してあたりまえ。そう考えるから日本人のように緊張しない。緊張しないから、いろいろ実験もできる。そのうちに日本人を追い抜いて、前のほうを走りだしていることが多いのである。
タルムードには、「象を針の穴に通すのか」という一句がある。このことばの由来は、ラビたちが、ある面倒な問題について議論したときのことである。
ことの発端は、ある人が友人に農産物を見張ってくれと預けた。さて、この管理をどうするかというのが、ラビたちに投げかけられた課題であった。
ひとつの方法は、見張りをたのまれただけであるから、たとえ農産物が盗まれる事態になっても、手を触れないで、じっと傍観するというやり方である。
しかし、それでは、あまりに無責任である。だが、農産物を四六時中、ずっと見張っておくのも大変である。そこで、ラバン・シモン・ベンガマリエルの裁定で、その場合は裁判所の許可を得て、代金を保管しておけばよいという結論になった。
つうじょうの議論は、ここでピリオドである。ところが、タルムードは、そういう前例をもとに、その応用篇も議論する。
そこで、上の判例をもとに、では、財産を友人にあずけた人が外国で捕虜になり、帰ってこない場合は、管理している財産をその人の妻や子供に引き渡すべきかというケースが、こんどは議論の対象になった。
第一の解決は、本人の死亡が確認されたならば、引き渡すべきだという結論で、これについては、ラビたちのあいだに反対者はなかった。
だが、本人の死亡が確認できない場合どうするかについて、意見が二つに割れた。
プンベディタ学派のラッバは、管理人は財産をその捕虜になった人の妻と子供らに引き渡せと裁定した。しかし、この判決だと、あとで本人が生還したときに所有権の回復の点で、問題がでるおそれがある。
日本人の社会では、夫婦のあいだや、親子のあいだの財産管理は、いわゆる「どんぶり勘定」方式であって、だれが何を、どのように所有しているか、あまりうるさく詮索しない。
これと対照的に、ユダヤ人の社会では、妻は夫から独立した財産権を行使できる。だから、もし、夫の生死不明のまま、その財産を妻と子に引き渡せば、財産の所有権は、妻と子に渡るばかりでなく、名義も権利もそれぞれ別べつに移転する。場合によっては、子はその財産をもったまま、独立してしまう可能性もある。
これは、現代におきかえれば、ある人の死亡が確認されないまま、所有権をその人の兄弟に移転したのと、まったく等しい。
兄弟といえども他人だ。そうなれば、あとで本人がひょっこり帰ってきたときに、財産を返せといっても、いったん他人の手に財産が渡ってしまったものは、そうかんたんに返せない。その結果、たとえ家族・肉親といえども、あとで紛争がおきる可能性は否定できない。
そこで、スーラ学派のラブ・シェシェットは、同様な問題を裁判したときに、捕虜になった本人の死亡が確認されない場合は、財産の引き渡しは、たとえ家族といえどもこれを許可しないという判決をくだした。
すると、シェシェットの弟子のラビ・アムラムが先生に、「でも、財産を引き渡して、処分してしまうという判決もありましたね」と、ひとくち余計な発言をした。
これを聞いて、先生のシェシェットは、弟子をたしなめて言った。
「きみはプンベディタの仲間かい。象を針の穴に通すのか。そんなことをすれば、かえって、問題をこじらすだけじゃないか」と。 *
* *
ユダヤ教で、こういうわけで、難しい問題をむしかえすような場合に、「象を針の穴に通すのか」とききかえす。
同じような比喩として、キリスト教の教祖、イエス・キリストは、「金持ちが天国に入るのは、らくだが針の穴を通るようなことである」といった。
イエスもユダヤ人であったから、きっと同様な発想をしたのであろう。
だれでも、安楽に生活できればどんなに良いだろうと思う。それには、まず衣食住のうちの「食」の心配がいちばん大きい。なにしろ、一人のひとが一生のうちに食べる食物の量は、だいたい貨物列車一本分に満載した食糧に相当するといわれている。食糧を入手することは、アダムとイヴがエデンの楽園から追放されて以来、ずっと人類の課題である。
ユダヤ人は、むかしエジプトで奴隷になっていた経験がある。奴隷は、主人が命じた労働さえしておけば、食事の心配はいらない。食事のめんどうは主人がみてくれるからである。しかし、自由人は他人のせわにならないで、自力で生活しなければならない。それには、賃金がやすくても、ともかく仕事をすることだ。他人の慈悲のすがっていると、いつかは他人の奴隷になってしまうかもしれない。
* * *
ところで、西暦二世紀にガリラヤ湖畔の町チベリヤで活躍したラビ・メイールは、ミシュナのなかに三百三十回も名前が出てくるほど、高名な学者であった。
しかし、かれの生活はひじょうに貧しかった。ばつぐんの腕をもつ、とびきり優秀な写経師であったが、そういつでも写経の仕事があるわけではない。だから、毎週わずか三セラで生活していた。それも、食費に一セラ、生活費に一セラをつかい、残りの一セラはもっとびんぼうな学生を助けるためにつかっていた。
それを知って、学生たちがラビ・メイールにたずねた。
「先生、お子さんたちのためには貯金をなさらないのですか」
ラビは答えた。
「もし、子供たちが、正直な人物になったら、その心配はいらない。聖書のなかでダビデ王は、『正しい人が捨てられ、その子孫が乞食するのは見たことがない』といっているではないか。もし、かれらが正直な人物にならないのであれば、そんなふとどきな奴のために、どうしてわたしが財産を残さなければならないのか」
正直に生きれば、家族をやしなうだけの収入はなんとか見つかるものである。
フィロンは紀元前二十年ごろに生まれ、紀元後四十年ごろにアレキサンドリアでなくなったユダヤの哲学者である。
かれは、ユダヤ教の聖書の意味をギリシャ哲学で説明しようと試みた。ことに、ユダヤ的「知恵」の概念をギリシャ的に発展させ、かれ独自のロゴス論をきずいた。それは、のちにキリスト教のロゴス思想に深い影響をあたえた。
フィロンは、アレキサンドリアの名門の出身で、ひじょうに裕福であったから、はたして、かれが人生に絶望を感じたことがあったかどうか不明である。
しかし、「絶望する者は人にあらず」というかれのことばは、フィロン自身が絶望と無縁ではなかったことを示唆している。
そもそも、人間をさすギリシャ語の「アンスローポス」は、目でみる者の意味だ。前方を見、下を見、上を見て、何があるか見つづける。どこかに幸せはないかと探しつづける。それが人間なのである。だから、目があるかぎり、望みをすてるわけにはいかない。
あるいは、ヘブライ語の「アダム(ひと)」は、大地(アダマー)から取り出された者の意味である。つまり、アダムは大地という物質の一部分にすぎない。しかし、神の霊がふきこまれて生命ある者となった。それは、同時に、人がかってに生命を処分してはならないことを戒めている。
英語の「マン(ひと)」の語源は、マインド(考える)である。どういう状況に置かれても、マインド(頭脳)をつかって、何かよい解決方法はないか考える。考えることこそ、人間の本性だというのである。
日本語の「ヒト」は、ヒトツになる者、つまり、おたがい一つになって助けあい、くるしいことも、たのしいことも、いっしょに分けあって生活する者の意味である。別の説明では、ヒトとは、日を止め(時間を知って)、規則正しく生活する者の意味だともいう。生活のペースを乱さずにあゆむことも、失敗予防には欠かせない。
こうして、人間ということばの深い背景をさぐってみると、フィロンではないが、わたしたちも、絶望が人間の本性にふくまれていないことに気づく。
14. 墓穴に入るまで人は希望と勇気をもたなければならない。
(出典、イーディッシュ諺集)
人はその一生のなかで、いちどは死にたいと思うほどの、苦難や不運を経験することがある。
病気で、事業の不振で、研究の壁で、あるいは最愛の者を失って、またあるいは人間関係の摩擦にたえかねて、死を望むことがある。
わたくしも幾度か「死にたい」という気持ちにかられたことがある。
一度は高校時代に、父に誤解され、一方的に叱られた時であった。そんなに誤解されるのであれば、死んだがましだと自殺を決意した。
夜、こっそりと家をぬけ出し、当時、飛び込み自殺の名所だった長崎県の西海橋めざして、自転車で自殺しにでかけた。
しかし、途中の山道で力つき、自転車もろとも道路わきに倒れ、意識が遠くなってきた。そのとき、どこか遠くから、兄の声が響いてきた、「佑郎!死ぬな〜!」
終戦後、中国からいっしょに苦労してひきあげてきた愛する兄の声がした。
その声に呼びもどされるようにして、我に返った。
いや、一方では、死を恐れて自殺しきれない臆病な自分との葛藤も、まだ心の奥に残っていた。
自転車をたてて、さて長崎に進むべきか、それとも家に引き返すべきかと逡巡しているところに、一台のトラックが通りかかって、わたしの前で止まった。
泥まみれの姿を不審に思って、運転手が下りてきた。どこの者かと尋ねた。熊本だと答えると、送ってやるから乗れといわれて、わたしは、言われるまま、トラックの助手席に乗りこんだ。
助手席からガラス越しに前方の暗やみを見つめ、わたしは終始無言だった。
だが、わたしの心のなかには、複雑な挫折感が渦を巻いていた。一度は自殺を決意したにもかかわらず、今こうして、見知らぬ運転手さんの善意に便乗して決意を撤回しようとしている自分。
それは、情けなく、おぞましい敗北の自己像であった。
夜明け前に、こっそり家にしのびこみ、翌朝はなにくわぬ顔で朝食をそそくさと済ませ、学校に行った。
その後、数日は、まだ心のなかは、やりきれない思いでいっぱいであった。
現状のままでは何を言っても、父の誤解は解けそうにもない。さりとて、もう一度自殺をする勇気もない。
考えつく選択は、言い古された言葉だが、死んだ気になって本気で生活してみることだ。
そこから私の新しい出発が始まった。
学生であったから、まず勉強をきちんとしなければいけないと自覚した。勉強ができなければ、何をいっても、父には申し開きできないと思った。
なにしろ、そのころ、わたしの成績は学年500人中、470番か490番であった。だから、そこからはい上がるのは、大変だった。卒業まぎわには、なんとか席次だけは上位になったが、支離滅裂の学力だけに、大学入試には落ちてしまった。
一年間浪人して、翌年、なんとか大学に合格した。入学できたとき、こんどは何としてでもトップになろうと、心にちかった。
といっても、べつにガリ勉したわけではない。一年生のときは、しばらく馬術部にいたので、毎日朝夕は馬の世話であけくれ、勉強の時間はそんなになかった。ただ、大学への往復二時間を徒歩でかよい、道みち、ドイツ語の単語や動詞変化を声にだして暗唱した。
授業は最前列にすわり、教授の迫力をうけとめるようにした。あとは、どの授業も一ケ月分ほど予習して、授業が復習になるようにした。
当時熊本大学では1年生の学年末試験の成績を教務部の前の廊下に張り出していた。
試験発表の日、恐る恐る成績を見に行った。この辺かなと思うあたりを探すがない。左端のほうへどんどん行っても自分の名前がない。
これはてっきり落第したのかな、と一瞬不安が横切った。念のために右のほうへ順上がりに眺めていった。
すると右端のトップにわたくしの名前があった。トップになるには、そんな大それた努力を必要とするわけでないことを知った。ちょっとした工夫を地道にたゆまず続けるだけのことなのだ。むきになって努力すると、かえって疲れてしまう。そして途中で投げ出してしまう。
気負わず、焦らず、気楽に他人よりちょっと先を歩けばいいのだ。それによって、人生のポジションはちがってくるものである。
その後も、いっそ死んでしまえば楽になるのにと思うような問題に、二〜三度、遭遇した。しかし冷静になって、よくよく考えると、死んで解決できる問題など無いことに気づく。
自分に非があっての問題ならば、おのれの行為を改めればよい。自分に非はなく、他人に非があるために生じた問題ならば、おのれの所信をつらぬいて、自己の正しさを立証すればよい。
いずれにせよ、問題が解決できなくて苦しさのあまり自殺するのは、人生からの逃亡である。
苦悩をこえて、そこに新天地を発見する。これが人生なのである。
13. 汝の立つ所こそ世界の中心なり。 (出典、タルムード・ブラホット篇8)
パリのエトワール凱旋門のうえに立つと、真下の広場から放射状に道路が広がっているのが見える。ああ、ここが世界の中心なのだと思ってしまう。
事実、ナポレオンはじぶんの住む花の都パリを世界の中心だとした。そして、じぶんが中心だという考えは、おのれの意思を通して、周囲の人びとや、他民族を支配しようフランス帝国再建を考えた。これは自己中心主義のおそろしい点である。
たまには、じぶんは世界のはてに立っているのだと考えてみてはどうだろうか。
とくに都会の人は、じぶんの住んでいる町が世界の中心、国の中心だと思いやすい。だが、都会なら、何でも近くて、便利かというと、かならずしもそうでない。ちょっと買い物に出るだけで、片道一時間とか、一時間半とか、きちょうな時間をついやしてしまう。それでいて、何も目的のものを入手できずに、むざむざ空手でかえってくることも、けっこうある。
あんがい、都会こそへき地であり、世界のはてなのかもしれない。
いなかにおれば、それなりに自給自足して、たいして不便を感じない。不便を感じなければ、他人をうらやんだり、他人とあらそったりすることもない。
しかも、建物がないから、どこまでも、じぶんを中心に四方を見渡せる。
いやそればかりか、人があるくところ、どこでも頭上にお天とうさまが照っている。夜になれば、山をあるこうと、野原をすすもうと、右にまがろうと、左にそれようと、どこまでも、お月さまが追っかけてくる。人間が中心でなければ、太陽や月がつきまとうはずがない。これは、人に自信を与える、いなかならではの体験である。
もしあなた都会に住んでいて、何をするにもお金と他人のサービスに依存し、なおかつ、ほんとうは自給自足できていないのであれば、あなたは、むしろ世界のへき地にいるのではないだろうか。できれば、いなかを訪れて、真の意味での世界の中心とはどういうところにあるか、よくよく考えなおしてみることだ。
人が立っているところは、どこであれ、その人には世界の中心のはずである。
12. 不公平の現実
「正しい人は悪人を、賢人は愚か者を、金持ちは貧乏人を、
それぞれの能力で隣人を助ける義務がある」 (出典、ゾハル・第一巻208)
世の中はけっして公平なものではない。不公平が現実である。
もし、みんな均質でみんな同じ機能であったら、これほどつまらない世界はないであろう。いかに美術館にすばらしい絵画がかかっているとはいえ、もしぜんぶ同じ絵であるとしたら、たちまち幻滅である。
むしろ、不公平であっても、人びとが、それぞれの個性と能力の長所を提供して、短所をおぎなうほうが、社会の有機的密度がたかくなるのではないか。
ミッドラシュのなかに、つぎのような小話がある。
ある婦人がラビ・ヨシにたずねた。
「なぜ神はかしこい者に知恵を与えて、なぜおろか者に知恵を与えないのですか」 「そうだね。たとえば、金持ちと貧乏人がお金を借りにきたとしよう。あなただったら、どちらに貸すかね」
「もちろん、金持ちに貸します」
「それはまた、どうしてだね」
「だって、先生、もし金持ちがそのお金を事業に投資して、しかも失敗しても、まだ他にも財産をもっているでしょうから、それを処分して借金を返せるでしょう」
ラビ・ヨシは、すかさず彼女に説明した。
「いやー、神様の場合もまったく同じだよ。もし知恵をかしこい者に与えれば、それをいろいろ活用して、もっと価値をたかめるだろう。だが、もしおろか者に知恵を与えても、きっと馬鹿なことにつかって知恵をなくすだろうからね」
たとえば、知識のない者に、いきなり高度のコンピュータを与えても、その活用方法がわからなくて投げ出すのと同じである。
まずは能力のある者に知識でも、財産でも、正義でも、それぞれ与えて、社会に役立つように活用してもらう。かれらには、また、そうする社会的義務がある。
そして、他方では、能力のない人も、できる範囲のなかで、すこしずつ不得手なことを克服していくように努力する。これが、社会を改良の原理のはずである。
(11) 汝の家の扉を貧しい者のために閉ざすな。
(出典、デレック・エレツズタ)
ユダヤ人の社会ではごく自然におこなわれるが、日本の社会で、さいきん失われてしまったのが、喜捨(ツダカー)である。これはイスラム教のサダカ(慈善)とまったく同じである。じぶんの収入や財力のなかで余裕のある部分を、公共や福祉のために喜んで捨てる。それが慈善や喜捨の本質である。
いつのころからか、日本人は喜捨をおしむようになった。むかし、まだ貧しかったころには、もっとみんなが助け合っていたように思う。
ユダヤ人は、貧しいからといって、喜捨をしないわけではない。むしろ、「収入が少なければ、喜捨につとめよ」というくらいである。かれらは貧乏でも、収入がゆるす範囲で喜捨につとめる。だから、金持ちになっても、喜捨はやめない。
ニューヨークのブルックリンに、ハシディズムというユダヤ教の一派の指導者で、ラビ・モイシェ・ヘシェルという宗教家がいた。
あるとき、ラビは心臓病の手術のためにマウント・サイナイ病院に入院した。同室の患者もユダヤ人であった。かれはラビよりもさきに入院していたにもかかわらず、手術をうけていなかった。ラビはたずねた。
「あなたは、どうしてまだ手術を受けないのですか」
「う〜ん、じつは手術代をはらえるだけのお金がないものですから」
それを聞いて、ラビはしばらくして言った。
「そのお金は、わたしが払ってあげましょう。わたしより先に手術を受けなさい」
あらかじめ疾病保険に加入していないで、米国で入院すると、おそろしく高額の治療代の請求書がくる。たぶん、ラビ・モイシェ・ヘシェルは、同室のユダヤ人のために全額手術代をはらうことになったのであろう。かれは、じぶんの手術を見送って、同室の貧しいユダヤ人にさきに手術をうけさせた。
その後、じぶんが手術を受けるためのお金を工面するため、いったん退院しているあいだに、ラビは自宅でなくなった。
じぶんのいま持っている富のなかから弱者を助ける。それが喜捨の精神である。
(10) 隣 人 愛
汝の隣人を汝自身のごとく愛せよ。
(出典、旧約聖書「レビ記」19章18節)
右のことばは、一般に、キリストのいましめとして知られている。これが出発点となって、キリスト教では、隣人愛の実践と社会奉仕の精神をおしえる。
しかし、これは、がんらい旧約聖書のなかのユダヤ教のおしえである。ユダヤ人がこのことばの意味を考えるさいは、つぎの二つのことを問題にする。
第一は、他人を愛するまえに、じぶん自身をほんとうに愛しているかである。
とかく、だれでもじぶん自身を愛していると思っているようだが、たいていは甘やかしているだけなのではないか。もし、そうであれば、このことばの意味は、他人をも甘やかせということになる。
第二に、なぜ隣人を愛しなければならないか。それはどのように愛するかである。 参考までに、前後の文章を引用してみよう。
「あなたは、兄弟を心で憎むな。あなたの同僚をよくよく諌めなさい。かれのために罪を負うな。復讐するな。あなたの同胞にうらみをもつな。あなた自身のようにあなたの隣人を愛せよ。」(レビ記19章17〜18節)
つまり、ここで教えているポイントは、隣人にたいして自制心のある理性的行動をするようにしなさ
いであって、かならずしも隣人への奉仕ではない。
ラビ・アキバはいった、「聖書でもっとも重要な戒めは、汝自身のごとく汝の隣人を愛せよである。なぜならば、この戒めがあるおかげで、じぶんがはずかしめられたから、仕返ししようと人びとは言わなくなる」。
ラビ・タヌフマがさらにおぎなって、一言くわえた。「もし、そういうことをすれば、神をはずかしめることにもなるからね。なぜなら、人は神のイメージに似せてつくられたのだから」と。
つまり、あなたも隣人も、神のイメージをやどす尊い存在なのだ。だから、たがいに尊敬しあっていかなればならない。そして、節度ある社会的行動をこころがける。 それが、「汝自身のごとく汝の隣人を愛せよ」の原点の意味なのである。
(9)快楽とは
本人の意に反してやって来た快楽は快楽でない。
(出典、タルムード・ペサヒーム篇二五)
祭りなどの行事は、世界中どこの国でも、ごちそうが出る機会でもある。ユダヤ人の社会でも、祭りはごちそうをたのしむ。とくに、春のペサッハ、冬のハヌカ、早春のプーリム、この三つの祭りでは、ごちそうの指定がうるさい。
ペサッハ(過ぎ越しの祭り)は、モーセがユダヤ人の先祖60万人をひきいてエジプトから脱出した記念の祭りである。別名、除酵祭といい、この祭りがつづく一週間のあいだ、いっさいイーストの入ったパンや食品はたべれない。ぱりぱりの特大クラッカーと、わさびやレタス、これが主食となる。エジプト脱出のさいの、あわただしい食事の記念である。ユダヤ人は三千年以上も、こういう粗食をごちそうに仕立ててきた。
どんなに粗末な食事でも、そこに感激があれば、最高の料理になる。他方、どんなに豪勢な料理でも、それが強制されたものであると、これは苦痛となる。タルムードは、外部から強制された快楽を、だんこ排除しようとする。
その第二の例が、じつはハヌカ(奉献祭り)である。これは、紀元前164年に、ユダヤを支配していたセレウコスの軍隊を撃破し、ユダヤ人が独立をかちとり、エルサレムの神殿を神に奉献しなおした記念の祭りである。
ことの発端は、ギリシャ系王朝のセレウコスが、ユダヤ人に、ギリシャ式の全裸でスポーツ競技をさせたり、豚肉をくうという風習を強制したことへの反発であった。いかに、それがギリシャ人の好みであっても、ユダヤ人にとっては、はずかしめそのものだったのである。そういうことへの反感がつもりつもって、ユダヤ人の蜂起となったのである。この祭りでは、豚肉への反発で、牛乳とチーズ、それにパンケーキをたべて、食事の純潔を強調する。質素でも、じぶんたちの口にあう食物が、いちばんのごちそうである。
そして、プリム祭り、これは、ユダヤ人の絶滅を計画したペルシャの大臣ハマンの陰謀を未然にふせいた記念のまつりである。そこで、陰謀家の耳に注意せよというわけで、「ハマンの耳」とよぶ三角形の菓子をたべる。
何であれ食べ物は、それが楽しみかどうかは、まことに本人しだいである。
(8) 快 楽
少なめに食べ、控えめに着よ。しかし素敵な家に住め。
(出典、ミッドラシュ・ベレシートラバ20)
アダムとイブが、エデンの楽園を追われて以来、人間の生活のなかに文明というものがはじまった。それは労働と食事と、衣服と家にはじまる。
楽園時代は、食事の心配はなかった。仕事は、いちおう、神から命じらて、楽園の管理をしていた。だが、ノルマがあるわけではなく、いたって気ままであった。
楽園を出て、エデンの園の東に住むことになったとき、さいしょに必要になったのは衣服である。はだかで恥ずかしいというのも、衣服が必要な理由のひとつだった。もうひとつは、危険予防である。楽園には、およそ危険などというものは、何もなかった。しかし、楽園の外は、無防備でいるわけにいかなかった。
つぎに心配したのは、食糧の確保であった。野菜やくだものが豊富な夏は、それほど食糧の心配をする必要がないが、秋・冬となると、そうはいかない。そこに真剣に労働と取り組まなければならない事態がはじまった。
しかし、家をどうしたかについては、一言もふれていない。
中近東の夏は、戸外で寝たほうがすずしくて気持よい。テヘランなどでは、ほとんどの家がベランダに寝椅子をならべ、家族全員が、すずみながら寝る。
きっと、アダム夫婦が楽園を出たときも、夏だったのであろう。雨も8ヵ月以上ふらないから、野宿でまにあう、だから、家について心配しなかったのだろう。
しかし、ほんとうは家こそが、もっとも大切なものなのである。
その証拠に、アルファベットのABCの本来の意味をしらべると、A=アレフ(子牛)、B=ベイト(家)、C=ギメル(らくだ)、D=ダレット(戸)、E=ヘーイ(両手を上げて追い払う姿)、F=ヴァヴ(釘)、G=ザイン(武器)である。家畜を飼って、家をたて、らくだも持って、戸をしめて、両手で敵を追いはらい、釘をうちつけ、武器で守るという物語になるではないか。
勤勉に労働し、食事や衣服をひかえて、その倹約分で家畜(動産)と家(不動産)をりっぱにしていく。これが、文明をきずくための第一歩なのである。
(7)預かった宝石は返すべきか。
(出典、ミッドラシュ・ミシュレイラバ 28)
人の死はつねに悲しい。わけても、愛する者をうしなった家族の胸の内は、たとえようのない空虚である。その心にぽっかり空いた穴をうめることは、まことにむずかしい。うかつな慰めは、かえって逆効果になって、いっそう悲しみを増す。結局は、残された遺族自身が、みずからの力で悲しみを克服するしか、ほんとうの解決 はない。
そうは言うものの、身にしみて嬉しいのは、知人や友人たちの心あたたかい慰めである 。
ユダヤ人の社会では、人が亡くなると、一週間のあいだ、毎朝、毎夕、その遺族の家を友人たちが訪れて、十人以上で追悼の祈りをささげる。食事の世話をはじめ、日用の仕事もみんなで助けてくれる。せめて七日間は、遺族の心の整理がつくまで、とっぷりと悲しみに浸ってもらおうという配慮である。
そういう気持もあるからだろうか、ユダヤ人の文献には、人の死の前後にかんする記録が多い。数多くのエピソードのなかで、もっとも心をうつのは、ラビ・メイールのけなげな妻のことばである。
* * :
ある安息日の午後、ラビ・メイールが、シナゴーグでいつものように聖書講義をしていた。そのあいだに、かれの幼い二人のむすこが、家でとつぜん亡くなった。
妻は、むすこたちをベッドに寝かせ、それぞれの遺体のうえにシーツをかけた。彼女は、聖なる安息日をけがさないために、悲しみをこらえ、平静をよそおっていた。 暗くなって、安息日もおわり、ラビ・メイールが帰ってきた。
「むすこたちは、どこだい?」
「シナゴーグに行きましたけど」
「そうかい。かれらをシナゴーグでは見かけなかったけどね」
彼女は、それにかまわず、新しい週を迎えるためのワインを杯についで、夫に祝祷をとなえてもらった。ラビ・メイールはまたたずねた。
「それにしても、むすこたちはどこに行ったのだい?」
「どこかの家に行ったのでしょう。じきに帰ってきますよ」
そういって、彼女は夕食のしたくをし、とりあえず夫とふたりで食事をすませた。夕食 後、彼女は夫にたずねた。
「ねえ、質問があるんだけど、うかがっていい?」
「いいとも。どうぞ、たずねなさい」
「あのね、先日、ある人がきて預け物を置いていったのよ。そしたら、さっき来て、あれを返してと言ってきたの。ねえ、それは返すべきなの?」
「そりゃあ、預かり物は、もちろん返すべきだよ」
そこで、彼女は夫につげた。「もし、それがあなたのお考えに反することだったら、わたしは絶対に返さないわ」
そして、彼女は夫の腕をとって、二階の子供部屋につれていき、夫をベッドに近づかせ、静 かにシーツをはいだ。ラビ・メイールはむすこたちが死んでいるのを見た。そして、大声で泣きだした。
すると妻はいった。
「ねえ、あなたが、こんなに泣くのは、さっき言われたおことばに反するじゃありませんか。『預かった物はその預け主に返せ』って言われたばかりですよ。こどもたちは、神さまがわたしたちに預けたのではなかったのですか。聖書には『神あたえ、神とり去りたもう。神をほめたたえよ』と、教えてあるではありませんか」
* * *
この気丈夫な妻の名前は、ベルリヤーといった。タルムードのなかで珍しく名前が記録されている女性である。いちばん悲しかったのは、彼女自身であったはずだ。しかし、悲しみをこらえて、まず夫をはげまし、夫に心の整理の方法をしめそうとしたのであった。
(6)バアルシェムトブの死に方
死とは、わたしが一つの扉から出て行き、もう一つの扉の中に入ることだ。
〜バアル・シェム・トブ〜 (出典、『シブヘィ・バアル・シェム・トブ』)
*******************************
17世紀の東欧のユダヤ人たちの生活は悲惨であった。
かれらは、たびたびロシアのコサック兵やフメルニツキーに襲撃されていた。その惨状 は、ちょうど、1993年に、ボスニアのイスラム教徒住民がセルビアのキリスト教徒から包囲砲撃され、住宅をやかれ、村を追われる様子とよく似ていた。
18世紀になって、ようやく、そうした迫害の嵐がおさまったものの、ユダヤ人たちの生活は、以前にもまして貧しくなり、心のなかは、以前にもまして荒んでいた。 そのとき、東欧のポドリアのメズボズの村に、心やさしいひとりの教師が現れた。ラビ・イスラエル・ベンエリエゼル、通称、バアル・シェム・トブであった。
かれは、生活につかれきった人びとの心に、励ましのことばを語りかけた。
「友らよ、きみたちの魂のなかに神の火花が宿っている。いな、万物のなかにも神の火花が閉じ込められている。きみたちは、その火花を天にかえす聖なる任務をになっている。それには、まず、きみたちが心をもやすのだ」と。
かれは、しだいに大勢のユダヤ人を教化し、やがて東欧全体のユダヤ人の心に希望の火をもやすハシディズム運動へと発展していった。
かれは1760年の春、過ぎ越しの祭りのあとで健康を害した。それから7週間、それでも、どうやら五旬節(シャブオット)の祭り近くまで、なんとか体調を維持していた。
五旬節の前夜は、いつものように徹夜でトーラーの勉強会をし、かれは人びとのために講義をした。だが、朝になると、弟子たちをあつめ、臨終の準備を指示し、かれのために祈祷をささげてくれと命じた。そして、「あと二時間の余裕だ」といった。
しばらくして、かれは弟子たちにいった、「わたしはじぶんのことを心配しない。わたしは、じぶんがこの扉を出て、すぐに次の扉にはいることを、はっきりと知っているのだから」と。
さらにしばらく、弟子たちと語りあったあと、また祈祷文をとなえるよう命じて、じぶんの上にシーツをかけてくれと頼んだ。そして、いつもの礼拝のときと同じように、はげしく身体を揺り動かして祈りつつ、やがて静かに息をひきとった。
かれにとっては、死はほんとうに隣室にうつるような出来事だった。
(5) 人間と死
***********************************
死は、富める者の恐怖、貧しい者の願望。
(『セフェル・ハシャアシュイム』7)
***********************************
一般的に、ユダヤ人の自殺率は低い。1865年のオーストリアの資料では、人口10万人あたりのプロテスタント・キリスト教徒の自殺率が100に対して、カトリック教徒74、ユダヤ人33であった。
第2次大戦中にアウシュビッツ収容所などで、死と隣あわせですごしたユダヤ人たちのなかでも、自殺した人はひじょうにわずかであったという。ほとんどの人は、ガス室で殺される最後のさいごまで、生きる可能性にのぞみをつないだ。
なぜかといえば、人にいのちを与えるのも、人からいのちを奪うのも、それは神が決定することである。神がゆるさなければ、人はじぶん勝手に死ぬわけにいかないと、ユダヤ教では考えるからである。死にたくてもじぶん勝手には死ねない。そこにユダヤ人の葛藤がある。
そして、この葛藤の原型は、旧約聖書の「ヨブ記」の主人公ヨブに見られる。ヨブは、事業の破産と、みずからの病気になやむ。「ヨブ記」には、かれが苦しみのあまり、めんめんと死を切望するようすが描写されている。
「墓に下れば、悪人も暴れることをやめ、疲れた者も休息を得る。捕虜もいっしょに安らいでいる。追い使う者の声を聞かない。奴隷も、その主人から解放される。なにゆえ、神は心の苦しむ者にいのちを与えているのか。このような人が死をのぞんでも、死はあたえられない」(ヨブ記3章)
反面、これはヨブが金持ちで順調だったときには、考えてもみないことであった。仕事が順調にいっていると、死にかんしてなど、考えてもみたくない。商売が儲かっているのに、事業なかばで、じぶんが先にいくなんて、まっぴらごめんだ。たぶん、そういう気持で、死ぬことを恐れたであろう。
早かれ遅かれ、いずれ死はわたしたちに訪れる。そのとき、どう死と対処するか。これは、いまから各自が考えておかなければならない課題である。
(4) 人 間 創 造
***********************************************
天地創造のさいに、蚊は人よりもまえに創造された。
(タルムード・サンヘドリン篇38)
************************************************
人類は万物の霊長だという。だが、だからといって、人類が、世界をわがもの顔に支配してよいわけではない。ユダヤ教の伝説によれば、神が人間を創造しようと思ったとき、まず天使たちに相談した。天使たちはたずねた。
「人間って、どんなもので、どんなことをするのですか」神は人間がどんなものか説明した。人間はこれこれ、しかじかで、いろいろ良いこともするが、仲間を殺したり、生き物をいじめたり、自然をはかいしたりなど、悪いこともする。
3分の1の天使は反対した。しかし3分の2の天使が賛成したので、神は人間の創造にふみきった。ただし、人間が創造されたのは天地創造の最後の6日目であった。
その理由のひとつは、もし天地創造のさいしょに人間を創造していれば、あとになって、「わたしは天地創造のはじめから、神のパートナーで、この世界も半分はじぶんが作ったのだ」と、いばったりするかもしれない。
そこで神は天地創造の4日目に、空をとぶ鳥と、水のなかをおよぐ魚をつくった。6日目に、地上のあらゆる生き物を創造した。もし人間が、じぶんは万物の霊長だといって、威張るようなことがあれば、ほかの生物たちが、「そんなにいばるな。わたしたちのほうが人間よりもさきに創造されたのだぞ」と、人間を牽制できるようにした。
その証拠に、神は、人間を創造したさいに、かれに「すべての生き物を治めよ(レドゥー)」と命じている。「レドゥー」というヘブライ語のことばのもともとの意味は、「下れ」である。
人は、ほかの生物や自然にたいして、頭ごしに命令し、支配する権限はあたえられていない。人はつねに相手の立場まで下りて他者を治めなければならない。
(3) 両耳を通りにむけよ。 (イーディッシュ諺集)
*************************************************
ユダヤ人のなぞなぞに、「なぜ耳は二つ、目は二つ、そして口は一つか」というのがある。
この答えを知人たちに求めると、たいていは、耳が二つないと音が立体的に聞こえないし、目が二つないと物の位置が正確に把握できないからである。口は声を出すだけだから一つあれば足りると説明する。
それは、もっともな答えであり、科学的にも正しいように思える。しかしなら、このなぞなぞが求めている答えは、もちろん、そういうものではない。
正解は、口でしゃべる前に、物事を耳で二倍よく聞き、目で二倍よく観察せよというために、耳と目が二つずつあるというのである。
これは、いい仕事をするうえで、ぜったいに必要なこころえである。
一例を紹介しよう。米国に、ポール・コーポレーションという、産業用フィルター製造の会社がある。同社は、一九七四年から十年間で売上高が六倍、利益高が十五倍というめざましい成長をとげた。そこまで同社を発展させたのは、アブラハム・クラスノフ現会長である。
クラスノフ会長は経理畑の出身で、技術屋ではない。同社の経営が左前になったときに、会社再建のために社長として株主から送り込まれた。しかし、彼は経費削減を唱えるよりも、まず産業の動向をよく観察し、人々の話によく耳を傾けた。そして短期間のうちに、油圧オイル用と化学薬品用のフィルターしかつくっていなかった同社を、ハイテク用フィルターのトップ・メーカーに返信させたのである。
クラスノフ会長はいう。
「ビジネスで成功するためには、通りに耳をかたむけることです。つまり、人の話に耳をかたむけることです。お客や社員、社外の専門家など、あらゆる人の話をよく聞いているうちに、技術革新の動向や、市場のニーズがわかってきます。 また、じっさいに、ユーザーの仕事やさまざまな製品を見て、どこで、どんな問題をかかえているかを観察して、お客の問題に答えられるようにすることです。それがビジネスに成功するための秘訣です」
多くの人は、ついつい、じぶんがしゃべることに夢中になって、他人から学んだり、物事を観察したりすることを忘れてしまっている。そのため、世間の動きが目にとまらず、せっかくのビジネス・チャンスを逸してしまうのである。
(2)
「値段が下がったら、買え」
(タルムード・ベラホット篇63)
* * * * * * * * * * * *
タルムードはユダヤ教の律法集である。その主な目的は、宗教上の規則や戒律についての研究であるが、それを出発点として、実生活のさまざまな事件や問題を解決していこうとする。
経済活動にたいするタルムードの関心の原点は、愛の精神と公平の実践とが出発点となっている。
だから、「値段が下がったら、買え」という一方で、市場の安定価格の維持ということに商人が配慮するように指導している。
たとえば、ラビ・アッバ・バルアッバの事例である。かれは、じぶんの畑でとれた農産物の初物を、真っ先にあえて安い値段で市場で売った。ふつうは、初物を高値で売るのが常識である。しかし、ラビ・アッバ・バルアッバが初物を安値で売れば、最盛期になって、おなじ作物を出荷する他の農夫は、それよりも高い値段をつけることはしない。これは、消費者の利益を考えた行為である。
ところが、そのむすこのサムエルは、初物が市場で高値をつけるのを待ってから、おもむろに自分の畑の初物を最安値で市場にならべた。(バババトラ篇90)。
タルムードは、父アッバの行為は正しいが、むすこサムエルのとった行為は、市場を混乱させるといって非難している。たしかに消費者に安く提供することは大切だ。だが、いったん需要と供給のバランスが確定したものを、とつぜんの安値提供で混乱させると、すでに高値で買った消費者に不公平感をいだかせるし、他の売手にもパニックをきたすからである。
タルムードは、商人は、いったん商品にある値段をつけたら、たとえチャンスがあっても、それ以上に値上げしてはならないと命じている(キドゥシン篇30)。
また一方では、消費者にたいして、買う意志がないのに、「これはいくらですか」と商人にたずねてはならないとも戒めている。売手は、つねに商品が売れることを望んで、精一杯の努力をしている。だから、かれにむなしい期待をもたせるようなことをお客は言ってはならないのである。
売手も、買手も、誠意をもって交渉する。これがビジネスの基本である。
(1)
「商人のまえでは、まず他の商品を欲しそうな顔をして見せよ」
(出典、ミッドラシュ・テヒリーム12)
* * * * * * * * * *
古代のギリシャやローマの市民は、経済活動や実業にはげむことを、いやしいものと蔑み、実務は奴隷にゆだねていた。とくにアリストテレスは商業を軽蔑した。
その影響もあって、ヨーロッパで、経済活動が日のあたる場所を得るようになったのは、産業改革以後のことである。
これと対照的に、ユダヤ人の社会では、実務をこなせることが、社会人としての尊敬の第一歩であった。たとえ学問にすぐれていても、実務知識は不可欠だった。
つぎの、ラビ・ヨナタンの物語は、そのへんの問題を考えさせる。
あるとき、かれはレンズ豆を買おうと思って、いなかの親戚にその値段を問い合わせた。すると、自分の町ではこれこれの値段で売っていると書き送ってきた。ずいぶん割安の値段だったので、すこし遠かったが、その町まで買い出しに行った。
町に着くと、あいにく親戚は留守だったので、ラビ・ヨナタンはひとりで市場に行った。いろいろの店をみてから、ある商店に入った。すると主人はいった。
「レンズ豆はいま品薄で値段が高いのです。小麦なら安いのですがね」
しかたなく、かれは言われるままに高い値段で豆を買った。あとで、親戚をもういちど訪ねて、その話をした。すると親戚は、ヨナタンに忠告した。
「あんたは商売の経験がないね。豆を欲しくても、まず他の商品を欲しそうな顔をして見せるものだよ。そうすれば商人は豆なら安くできると言うのに」
これを値切りの秘訣と解釈するか、もっと応用範囲をひろげて、交渉の技術と解釈するかは、読者しだいである。
ちなみに、ゾハルという別のユダヤ教の本では、交渉の仕方をつぎのように教えている。「人に資金援助を頼むときは、まず他の話題について話せ。あなたの要求を、とうとつに切りだしてはいけない」。
タルムードに、わざわざ、こういうエピソードが伝えられているというのは、商売や取り引きの秘訣も、学問を考えるうえでひじょうに参考になるからである。
このページの文章・データの無断使用をお断りします。利用されたい方は事前に「てしま」迄ご連絡ください。
[2004年てしまゆうろう]手島佑郎: