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日本における牛乳の三角パックの歴史

 古すぎてだれも使い方を知らないので鉄のかたまりを見に来るつもりでいらしてくださいと製造課のKさんはおっしゃった。鉄のかたまりということばから赤錆びた剥き出しの鉄骨をイメージしつつ、それでもこの目で実物が見てみたいと西多摩郡日の出町までやってきた。エントランスホールに入ると正面奥に銀色の光。吸い込まれるようにして日本初のテトラ・クラシック充填機に近づく。美しい形を生み出す機械はかくも美しいのか。気配を感じてふりむくと、Kさんが静かに立っていらした。ものをつくる人はなぜこんなに高貴なんだろう。


   


 第2次世界大戦中の1944年。スウェーデン政府はびんより経済的で衛生的、しかも持ち運びに便利な牛乳容器の開発を提唱した。これを受けて、ルーベン・ラウジング博士を中心とするグループが研究・開発に取り組み始める。7年後の1951年、最小の材料で牛乳を包む画期的な四面体容器、テトラ・クラシック(当時はまだこの名前ではなかったけれど・・・)が誕生した。森林資源を豊富に有するスウェーデンにとっては、紙パルプの有効利用に通じる有益な発明だとされ、歓迎されたのである。

 発表から1年もたたないうちにテトラ・クラシック容器入りクリームがスウェーデン全土に広がる。1954年には牛乳を詰める充填機が稼動を始め、自国で市民権を得たテトラ・クラシックは、やがて海外にも輸出されるようになる。

 1956年。大阪で開かれた第3回国際見本市において、日本で初めてテトラ・クラシック充填機が紹介された。日本市場導入が検討されていたなか、協同乳業の引き合いもあり、デンマークの乳業機器メーカーが展示・実演を行ったもの。このときの充填機は、協同乳業の三鷹工場に納入される。協同乳業は当時、会社設立3年目で“先取の精神”にあふれ、近代的な東京工場を設立。この工場に8台のテトラ・クラシック充填機を設置した。


そして日本で初めての紙容器牛乳「名糖テトラ牛乳」が発売されることになる。
(下の写真は昭和32年の広告。協同乳業(株)のホームページより。)



「テトラ・クラシックは時代を先取りしすぎたんです」とKさん。
現場にいる人の言葉には重みがある。

紙容器は多くの長所をもちながらもその商品特性を生かす市場が形成されず、
びんにとって替わるほどにはならなかった。
とくに、当時はまだ牛乳販売店以外の冷蔵流通網が整っておらず、これが決定的な要因となり、テトラ・クラシック充填機は協同乳業(株)から再リースされていたものも含めてほとんど撤去されることになってしまった。


 しかし、その“時代を先取りしすぎた”三角牛乳に、協同乳業(株)は誇りと愛情を持ち続けている。だからこそ、私は協同乳業(株)のホームページを手がかりにして、三角パックを調べ始めることができたのだと思う。

 さて、日本においては苦難の中でのスタートとなったテトラ・クラシックであったが、この頃からスウェーデンのテトラパック社が日本市場の分析を始め、数度の見本市出品や食品メーカーとの折衝の結果、「代理店を通さず、すべてを自分たちが直接に行う」ことを決心。充填機、包装材料、流通機器のシステム・セールスを基本としているテトラパック社は、自らの手で月日をかけて努力を積み重ねる以外にこの苦難を抜け出すことはできないと判断したのである。欧米から見れば格段に少ない牛乳消費量も、拡張の余地が大きいという逆転の発想をもって対処し、日本にテトラパックが浸透するには10年かかるという予測のもと、日本市場への取り組みを決定。



1962年、日本テトラパック株式会社が誕生。従業員は4人。事務所は、赤坂のビルの1室であった。


今、私の手もとに、『日本テトラパック25年史』という冊子のコピーがある。
1962年から1987年までの日本テトラパックの歴史を綴ったもの。
1964年生まれの私は、まるで自分の歴史を読むようにこの冊子をめくった。

時代背景にぴたりと寄り添いながら成長していった日本テトラパック。
その歴史を語るときのキーワードは、まさに私の生きてきた時代のキーワードである。


東京オリンピック(1964)

新幹線、高速道路、地下鉄などの建設ラッシュ。
第1次産業従事者が第2次、第3次産業に激しい勢いで吸収されていく。
大都市圏への人口集中が加速度を増し、
都市生活者の増加→欧米風朝食の普及→牛乳消費という図式が定着。
東京オリンピックの会場では、大会関係者に
テトラ・クラシック容器入りの「クロレラヤクルト」が無料で配られた。


高度経済成長期

流通形態が変化し、牛乳販売店主体からスーパーマーケット販売へ。
経済は活況を呈し、「人手不足」が慢性化。
サービスに対する価値が上昇。
流通の合理化、販売の合理化が強く求められる。
日本万国博覧会でテトラ・クラシック容器入り牛乳が全面採用される。


公害問題の深刻化

乳業メーカーは、びん容器の洗浄から出る工場排水対策を推進する一方で、
そのために使用する水、電気使用量の削減などの観点から、
びん容器から紙容器への変更を図る。
公害問題は食品の安全性、空き缶公害といった容器の問題にも波及。
紙容器は清潔で安全な上、空容器の処理も簡単で焼却による公害も出ない
という特徴が一段と高く評価され、テトラパックの紙容器が生活の中に定着していく。


オイルショック

乳業メーカーは省力化、省エネルギー化を一段と強化。
さらに、大量生産、大量流通を図るために、
「ワンウェイで、軽い」という紙容器特徴を高く評価するようになった。


健康食品ブーム

1970年代後半から、生活意識が健康志向へと向かい、
価値観の多様化が問われ始めた。
牛乳、乳製品、ジュースの消費が伸び、
野菜ジュースや豆乳なども登場する。
日本テトラパックは、来るべく80年代の多様化時代を予測し、
新形状、新容量の容器開発に取り組む。
利便性を追い求めたテトラ・ブリック200ml容器のストロー付きなどの登場は、
自動販売機と結びつき、新たな市場を拓いていった。

やがて日本経済は安定成長期に入り、
生活の豊かさを物質ではかるだけでなく、
心の豊かさを重視する方向へと変化していく。





この冊子は1987年で終わっている。
あれから13年。
もし、これから12年後に50年史が綴られることになったとしたら、
ここには描かれていない新たな歴史のキーワードが加わっていることだろう。
インターネットで「牛乳パック」や「テトラパック」を検索してみると、
そのキーワードの一端を垣間見ることができるような気がする。
ワンウェイ容器が手放しで歓迎されていた時代は終わり、
牛乳パックは飲み終わったあとのものが話題に出ることのほうが多くなった。

Kさんはおっしゃった。
「使い捨て容器は難しいんです。お客様の手に渡って、お客様が飲み終わるまでは完璧でなければいけないけれども、飲み終わった瞬間にゴミになりますから。」
乳業メーカーにとって、包材というのは中身と同じくらい大きな意味をもつものなのだ。

もとはといえば、形から発したテトラ・クラシックへの興味であった。
しかし、液体食品を流通・販売するための紙容器の使命、
それをまっとうするための人々の努力、くふう、研究、失敗、幸運、戦略、成功、・・・・・・
を垣間見た今となっては、「空間充填形であること」(しかもおそらくまちがい)にのみ注目し、それを“牛乳屋さんの知恵”と捉えていた自分の浅はかさを知る思いがする。

テトラ・クラシックの大きな特徴は、
容器がつくられて中身が充填され、製品ができあがるまでが連続工程であったこと、
製品の充填と容器のシールが液面下で行われることにあった。
この原理は、直方体型容器にも受け継がれている。



 「三角牛乳をつくる機械の製造が打ち切りになったんだってね。ニュースで言ってたよ。」という話を耳にしたのが昨年(1999年)の暮れのこと。ちょうどそのころ、関東協同乳業も三角牛乳の製造を打ち切ったことになる。なぜ協同乳業の東京工場を訪れたあと、すぐに関東協同乳業に見学に行かなかったのだろうと悔やんだ。日本で、四面体容器は21世紀を迎えられないのだろうか。

 もちろん、直方体型のテトラ・ブリックや屋根型のテトラ・レックス、その他様々な紙容器、あるいはこれから開発される容器で、テトラパック社は今後も活躍を続けることだろう。時代の要請に応えて商品も移り変わるのであれば、テトラ・クラシックが消えるのも、また自然なことなのかもしれない。

 協同乳業の東京工場には、週2〜3回の割合で見学者が来るという。小・中学生や、大学の食物科の学生さんなどが団体で訪れるそう。「みなさん、やはりエントランスホールのテトラ・クラシック充填機に感動されるのではないですか?」とうかがったところ、「いや、見学に来る方は、三角牛乳をあまり知らないようなので・・・・・・」とのことだった。

 なお、正確にいうと「テトラパック」は会社名であり、テトラパック社の製品にはそれぞれテトラ・○○○と名前がついている。三角牛乳のパックは、日本に輸入されたときにはテトラ・スタンダードという商品名であったが、現在はテトラ・クラシックに変わっている。もちろん、「テトラパック」という社名の由来は四面体容器にあるのだと思う(テトラはギリシア語で“4”の意味)。会社のトレードマークも三角牛乳をモチーフにしているように見える。

 テトラ・クラシックが消えても、その社名に、あるいはトレードマークに、四面体容器は生き続けている。


 そして私の記憶の中にも。


 このページは、日本テトラパック(株)からいただいた資料、協同乳業(株)の方からうかがったお話をもとに、tamami個人が作成したページです。文責はtamami個人にあります。