2001年7月の日記

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7月1日(日)晴れ

 今日は暑くなる。朝起きた時からはっきりと判った。窓の外には陽光が溢れている。北関東の地方都市は朝晩まだ過ごし易いが、今日は違う。気温が上昇してくる様が肌で判るほどだ。

 灰色の車に荷物を積み、南へ向かった。北関東の自宅から南関東にある実家に向かう道は、水田の中を真っ直ぐ走って行く。途中で紋白蝶の大群に遭遇した。道路に沿って何百メートルかに渡って道端に咲く名も知らぬ白い花の周りを数え切れないほどの紋白蝶が狂ったように羽根を打ち振りながら飛び回わる。まさしく「乱舞」というに相応しい。思わず、「桃源郷」という言葉が頭に浮かぶ。走って行く灰色の車のフロントガラスに向かって何十匹という紋白蝶が飛び込んで来ては風にあおられて後ろに飛んでいく。黒いアスファルトの道、白いベルトのように続く花の茂み、その外に広がる緑の水田。視界を覆い尽くすように乱舞する紋白蝶。ほんの数十秒を無限に思える程の長い時間に感じる。夢の様な景色だ。

 実家に近づくに連れ、車の数が増え、車の流れが滞り始める。エアコンを効かせても強い陽射しと回りからの熱気でじっとりと汗ばんでくる。久しぶりに南関東の暑い夏の洗礼を受けた。陽射しが眩しい。

 

7月2日(月)晴れ

 蒸し暑く寝苦しいほどの夜が明け、また月曜の朝がやってきた。睡眠不足で重い体を布団の上に起き上がらせるだけの事にかなりの体力を消費する。体はじっとりと汗ばんでいた。シャワーの蛇口をひねると最初に冷たい水が目を覚ましてくれる。すぐに水が熱いお湯に変わり、さらに神経を活性化させた。

 寒さに凍える冬の朝に比べれば、夏の朝は数段良い。タオルで体を拭うと生きる気力が湧いてくるようだ。台所の冷蔵庫を開け、牛乳の一リットルパックを取り出した。グラスに冷えた牛乳を注ぎ、喉を鳴らして飲み干す。リモコンでTVの電源を入れると、女性アナウンサーが今日は晴れて暑くなる、と笑顔で告げていた。

 観葉植物の一つもない殺風景な事務所の中は程よく冷房が効いていて暑くはない。机の周りを片付けて外に出ると日が落ちて風が涼しくなっていた。北関東の朝晩は意外に過ごし易い。うに色のクルマの幌を開けて走り出す。ドアの上縁に肘を乗せると涼しい風が半袖Tシャツの袖口から入り込んできた。月が明るい。

 

7月3日(火)晴れ

 一日中日光が差さず、ひんやりとした空気が心地よい地下駐車場から、うに色のクルマを昇りかけの太陽の下に引っ張り出した。早朝はまだ風が涼しい。しかし、陽光は容赦なく空気を暖め始めていた。むき出しの腕や顔に熱を感じる。今日も暑い一日になるのは間違いない。

 目の前に青い車が現れた。うに色のクルマの前を同じ方向に走って行く。幌を下ろしているからばかりでなく車高を落としているようで、ワイド感が強調されたリアスタイルだ。丸いテールランプが光るのと同時にトランクリッドにビルトインされたLEDのハイマウントストップランプが光る。こんな青い車とつるんで走るのも悪くない。しばしのタンデム走行を楽しんだ。だが、もしもこれがこれよりもっと明るい色の深夜青に輝くクルマだったら、なお素晴らしいランデブーになる筈だ。

 仕事が長引き、いつもより遅い時間に事務所を出た。ロッカールームを出る人達の群れが広大な駐車場の中に消えていく。それと引き換えのように駐車場から次々と車が群れを成して出ていった。月明かりの下では神秘的な光景に見える。

 

7月4日(水)晴れ

 一晩中扇風機の風に当っていた体は乾燥しきっているかと言えばそうではなく、目覚めると体は汗に濡れていた。我慢できず跳ね起きて冷たいシャワーを浴びると意識がハッキリしてくる。今日も暑い一日になるのは避けようもない事実だ。着替えとタオルをラケットバッグに突っ込み、家を出る。こんな朝でも地下駐車場はひんやりと心地よい。うに色のクルマのリアトランクにラケットバッグを放り込み、幌を下ろすと走り始めた。

 いつもの壁打ちコートには人影もなく、昼間の熱気がまだ残っていた。ボールを打ち出す前から汗が噴き出してくる。脱いだTシャツをフェンスにかけた。今日はスライスを多めに練習する。アプローチショットを思い浮かべながらキャリオカステップを踏んだ。糸を引くように飛び、バウンドしてから滑るスライスが理想だ。

 クラブのナイターコートは今夜も蟲の大群の攻撃を受けていた。照明を見上げると無数の細かい羽虫やカナブン、カメムシが光の中を群れ飛んでいる。スクール終了後、スクール生の4名でゲームをした。短い時間だったが試合の緊張感が暑さを吹き飛ばす。思い切りサービスを打ち込んだ。

 

7月5日(木)晴れ

 梅雨の雨は嫌なものだが、この時期に晴天が続くとかえって不安になってくる。一階ロビーから、さらに階段を降りていくと、一日中日が射す事のない地下駐車場は少しひんやりとした空気を静かにたたえていた。今日も定位置にうに色のクルマが停まっている。フロント側から近づいて行くと、愛敬のあるファニーフェイスで迎えてくれた。

 屋根を開けて地下駐車場から出ていくと、まだ高い位置に上がっていない太陽が、それでもかなりの火力で室内を炙る。走っていると走行風がドア上端に突き出した左肘の袖口を通って体を冷やしてくれるが、信号で停まるとそれも期待できない。エアコンのスイッチを入れた。心地よい冷気が足元とステアリングに添えた右腕に感じられる。近代的なエアコン付きのクルマに感謝する瞬間だ。

 オープンカーの最大の楽しみを、春と秋のそのままで気持ち良い季節の中を走ることとすれば、冬の寒い時期に上半身を冷たい風に晒しながら下半身はヒーターの熱で温まって走ることと、夏の暑い時期にこうして露出した部分をエアコンの風で冷やしながら走ることは、それに次ぐ楽しみと言える。もっとも、真夏の昼間ともなるとこんな悠長な事は言っていられない。

 

7月6日(金)晴れ時々雨

 今日も関東地方全域晴れまたは曇りの予報だ。梅雨明けの気圧配置のように梅雨前線は関東地方の北に張付いている。夕立以外雨は降りそうにない。うに色のクルマの幌を下ろして走り出した。小さなトランクスペースにはラケットバッグを積み込んで、足にはハードコート用のテニスシューズを履いている。風はまだ涼しい。

 夕方金網入りの曇りガラスを通して、空が暗くなってきたのが判った。久しぶりの雨になる。そんな予感は的中した。夕立の様な大粒の雨ではないが細かい雨が暗い空から乾いた地面に降り注いでくる。金曜日の楽しみの壁打ちを諦め、後回しにしていた仕事を片付け終えた頃に雨は上がっていた。

 うに色のクルマで夜の田舎道を走って帰る。帰り道の途中で少し寄り道をしてガソリンスタンドで給油した。ざっと概算で1リットル当り11km程度走っている。悪くない燃費だ。さらに遅くまで営業しているスーパーマーケットで食料品などの買い物を済ませる。中に入っているパン屋が遅い時間には50%引きになるのが得した気分にさせてくれた。家に戻ると食事の用意を始める。週末の始まりをワインで祝う事にした。

 

7月7日(土)晴れ

 七夕の朝、いつもより少し遅い時間にセットされた目覚ましで起きた。土曜日の午前中に練習があるのは久しぶりだ。町から少し離れた工業団地の中に野球のスタジアムを含む公園があり、テニスコートも全部で8面用意されている。金網に囲まれたコートの中には夏の陽射しが容赦なく照り付けていた。僅かな日陰に荷物を置き、練習を始める。たちまち汗が流れ出し、肌にTシャツが張付くのを感じた。たっぷりと水分を補充しながら3時間の練習とゲームを終える。

 宇都宮市内の中華料理店に移動してサークルメンバーでランチを楽しんだ。12名で丸テーブルを囲む。中華料理はこのぐらいの人数で食べるとちょうど良い。先ず軽くビールや烏龍茶で乾杯し喉を潤した。焼き餃子、豚肉の角煮、エビチリなどポピュラーな広東風料理7品目が大皿に盛られて並ぶ。料理の乗った回転台を回しつつ、皆で小皿に取り分けて食べると話も弾んだ。

 満腹で家に帰るとシャワーを浴びて昼寝を楽しむ。優雅な週末だ。開け放った窓から意外に涼しい風が通り抜けて午睡にちょうど具合が良い。夕方のテニススクールまでの2時間あまり、気持ち良く眠った。プールから帰った子供の気分だ。

 

7月8日(日)晴れ

 今日も目覚ましで週末にしては早い時間に叩き起こされた。少し離れた街まで試合をしに出掛ける事になっているのだ。ミルクティーを入れ、トーストと、ヨーグルトなどの簡単な食事を摂ってから急いで家を出た。

 会場には近隣からすでに多くのテニス愛好家が集まってきている。適当な場所にグランドシートと折り畳みパイプ椅子とクーラーボックスで陣地を作った。一日楽しむ準備が整う。最初は4組ずつに別れてのリーグ戦だ。ミックスダブルスでは過去に勝った事があまりない。沢山試合経験を積めるようにリーグ戦の大会を選んで参加したのだ。同じリーグの中に顔見知りの名前がある。少しやり難い。

 リーグ戦の第一試合、最初のゲームだ。ボレーボレーもしておらず、全くアップしない状態で試合に入る。体が硬い。右手が思うように動かないのが判る。だが、相手も変わらない状況だ。最初の相手のサービスをブレイクするが、直後のサーブをブレイクバックされてしまった。続けて二つ取られて1−3。早くも劣勢だ。ここで、再び、相手男性のサービスをブレイク。今度はキープする。相手女性のサービスもブレイクして4−3と逆転した。

 相棒のサービスをキープできず4−4。ここで、これまで二回ブレークした相手男性にキープされてしまう。ここが一つの敗因だ。4−5。チャンスでポイントが取れない。さらに決定的な敗因。二度目のブレイクで4−6。チャンスボールのミスが多すぎた。また同レベルの相手に負けてしまう。メンタルの弱さを露呈した試合だ。

 第二試合はかなりの熟練ペア。女性は日々練習しているようで簡単なミスが少ない。キープ、キープで1−1、しかし、二つ取られて1−3。最初の4ゲームで1−3というのが多い。もう一つ取って2−3。だが、健闘もそこまでだった。三つ取られて2−6。第一試合より少し体が動くようになっていた。

 第3試合は顔見知りのペア。本来なら強豪だが最近忙しくて月に一度程度しかラケットを握れないという男性のミスが多く、二試合目に当った熟練ペアに同じスコアで負けてしまっていた。チャンスはある筈。しかし、現実は厳しかった。ミスを誘われて、気が付けば0−6。この日最低のスコアだ。負け方が悪すぎる。これで4位トーナメント行きが確定した。冷たいビールがいつもより苦く感じる。

 4位トーナメントが始まるが、試合順が後の方なので、待たされて疲れてしまう。去年は4位トーナメントでは一勝を挙げている。今年も一度は勝って帰りたい。その思いで試合に臨む。相手はハードヒットしてくる男性とつなぎ球の女性のペアで両方とも確実性に欠けていた。ところが確実性に欠けていたのは相手ばかりではなかったのだ。なぜこんな、、、と思われるミスが続き、戦い方さえ間違えなければ勝利も難しくない筈の相手にあっさり負けてしまう。得ゲーム数も定かに覚えていない程のショックだ。3っつか4っつ。どちらかだった。収穫がなく課題ばかりが目に付いた4試合を終えると暑さも手伝ってぐったりと体力を失っていた。そそくさと荷物をまとめ、撤収する。帰り道は辛く長かった。

 

7月9日(月)晴れ

 早朝の風は爽やかだ。屋根もサイドウィンドウも下ろしたうに色のクルマの中は気持ち良い風の通り道になる。

 ビデオに撮っておいた全英テニス女子決勝戦を再生した。ビーナスという名を持つ彫像のようにしなやかな筋肉をまとった女性と相対的に少女のように華奢に見えるエナンという女性が闘っている。ビーナスの男性並みの速さを誇るサービスは強力で何本ものエースでゲームを奪った。しかし、エナンもその細腕からは信じられないようなシングルハンドのフォア、バックでビーナスを追いつめミスを誘う。ビーナスが攻め、エナンが耐えるという構図だ。二人とも表情が変わらない。

 1セット目はビーナスが取り、そのまま押し切るかと思えたが、2セット目はエナンがワンチャンスをものにする素晴らしい集中力で取返した。2セット目を奪いガッツポーズを作ったエナンの集中力、攻めの姿勢がごく僅かに緩んだように見える。驚くべき事にビーナスはここで更にペースアップした。ギアを一段上げたように畳みかける。ごく僅かな緩みも逃さない猛獣の様に襲い掛かるビーナスにエナンは気おされた様に失点を重ねた。流れは二度と変わらない。

 引き続き中継の男子決勝戦を見る。後ろで束ねていた長い髪を切ったラフターと故障でしばらくグランドスラムから遠ざかっていたイバニセビッチの戦いだ。前者はサービス&ボレーを得意とし、後者は時速200キロを越えるビッグサーブの持ち主だ。どちらも芝のコートに合ったプレイスタイルと言えるだろう。

 試合は予想通りの展開で進んだ。予想外だったのは肩に故障の不安が残る筈のイバニセビッチのサービスが大きく崩れなかった事と、リターンが非常に良かった事だ。イバニセビッチは速いサービスをセンター、ワイドと打ち分けてエースを重ね、鋭いリターンでラフターのボレーをかなりの確率で封じ込めるのに成功している。しかし、ラフターもダブルフォールトを足がかりにブレイクし、素晴らしい反応と頑丈そうな体つきに似ず柔らかいタッチのボレーでポイントを奪い、拮抗したゲームに持ち込んだ。

 試合は両者譲らずファイナルセットに縺れ込む。どちらにもチャンスが訪れた。だが、その度に一方がしのぎ切り、ついにどちらかが2ゲーム連取するまで続く消耗戦になる。果てしなく続くかに思われた素晴らしい試合も必ず終わり、勝者と敗者が決定する瞬間が訪れた。

 ファーストサービスが入らなくなったラフターは苦しみながらもなんとかキープを続けていたが、イバニセビッチの予測力と鋭いリターンがついにラフターのサーブ&ボレーを破る。後1ゲーム。イバニセビッチが得意のサービスで1ゲームキープすればウィンブルドンに挑戦を始めてから14年目にして初めての優勝だ。

 イバニセビッチはサービスエースを決めたボールを何度もボールボーイに要求し、天を仰ぎ、胸の前で十字を切って神に祈る。しかし、エースの後にダブルフォールトが続き、何度かチャンピオンシップポイントを逃した。デュース。デュース。

 イバニセビッチの中で何かが変わる。その瞬間を確かに見た。口元を歪め天を仰ぎ神に祈るのを止める。イバニセビッチの表情にどこか穏やかといって良いほどの柔らかさが生まれた。無心。勝利を渇望し、欲望の炎に焼き焦がされていた心にその修羅場を通り抜けた後の静寂が訪れた瞬間に違いない。炎を断ち切ったのか、封じ込めたのか、それは判らない。だが、サービスに付いたイバニセビッチの表情から焦りの色が消えた。アドバンテージを握っても変わらない。静寂の中で放たれたサービスにラフターのリターンはネットに掛かった。喜びが爆発する。長い戦いは終わった。

 

7月10日(火)晴れ

 まだ梅雨明けの発表はされていないが、北関東の地方都市は朝から晴れていた。うに色のクルマの幌を下ろし、サイドウインドウも全開にして走り出した。地下駐車場から地上に出ると、早朝の陽射しは眩しいが肌を焦がすほどではなく風も心地よい。日曜日に購入したサングラスをケースから取り出した。大きなプラスチックレンズは茶色系の薄いミラーコーティングが施され、偏光性と紫外線不透過性を与えられている。レンズ自体が顔のカーブに沿って湾曲しており横方向からの陽射しも遮ってくれるので運転には都合が良かった。しかし、可視光透過率が35%とやや高めなので直接太陽が目に入るような状況では眩しさを完全には押さることが出来ない。真夏のテニス用にはもっと可視光透過率が低くいものが必要だ。

 カーラジオからはいつもと違うパーソナリティの声が聞こえている。これで二日目だ。毎朝聞いて習慣になっている男の声と違うことが妙な違和感となり、落ち着かない。穏やかで柔らかいトーンで心に切り込んでくるような激しさが感じられなかった。朝の声としては意気が上がらないことおびただしい。中途半端な意識の覚醒のまま、走り続けた。会社が遠い。

 

7月11日(水)晴れ

 関東の梅雨明けが発表された。夕立も少なく空梅雨と言っても良さそうだが、各主要ダムの貯水量は90%程度あり、すぐに水不足になる心配はないとアナウンサーは告げている。早朝のまだ穏やかな陽射しの下へうに色のクルマを走らせた。カーラジオから昨日と同じ男の声が流れる。いつものパーソナリティーは早めの夏休みを取ったようだ。

 定時に会社を出ると肌にまとわり付く様に湿度の高い関東の夏の夕暮れに迎えられた。うに色のクルマの幌を下ろして走り出すと風が心地よいが、シートが日中貯えた熱を体に伝えてきて暑い。エアコンを入れて冷たい風を補った。

 壁打ちコートにはすでに二人の男がいた。一人はプリンスの初期のデカラケを使っている。もう一人はヨネックスでサウスポー。最近見かけるようになった顔だ。挨拶をして真ん中に入る。3列は少々窮屈だが仕方がない。ストロークを中心に練習する。バックのトップスピン、スライスを重点的にだ。小一時間ほど経った頃、デカラケの男が「広く使って下さい」と言い残して去る。その数分後、サウスポーの男が「全面使って下さい」と言い残して去った。言葉の通り思う存分自分を振り回す。汗でTシャツが絞れる程になった。

 

7月12日(木)晴れ

 南からの高気圧が梅雨前線を追いやってくれたお陰で関東は今日もまばゆい夏の陽射しに覆われていた。早朝に家を出なければならないデメリットは夏にはメリットに変わる。まだ気温が上がる前の心地よい空気を切り裂いてうに色のクルマで走って行く。

 仕事が長引いて遅くなった。健康な空腹を感じる。今日は何を作ろう。帰り道でメニューを考えた。冷蔵庫の中身を思い出しながらメニューを組み立てる。どこか駒を並べないでお互いの頭の中の将棋盤の上で戦う将棋のようだ。頭の中には架空の将棋盤とその上の駒の配置がくっきりと浮かぶ。そして次に指す手を考える。冷蔵庫の中の配置を透視しながら献立を考えるのと実に似ている。

 結局は好みが勝つ。ベーコンとにんにくを炒め、固めに茹でたパスタを加えた。ゆで汁を少々加えるのを忘れない。さっと炒めた後、溶きたまごと少量の牛乳、そしてミックスチーズを混ぜたものをフライパンに加え、余熱でからめる。カルボナーラ風パスタの出来上がりだ。冷やした白ワインと頂く。旨い。

 

7月13日(金)晴れ

 13日の金曜日。ジェイソンは今日もどこかで暴れているのだろうか。日本は、少なくとも北関東の地方都市は至って平和だ。朝から晴れていて暑い。かなり気温が高いようだ。ただ風が有るので過ごし易い。

茹だるような暑い一日も仕事をしていればあっという間に暮れて行く。夕方になっても今日は北関東に涼しい風は吹かなかった。日中の暑さの余韻を引きずりながら日が落ちた後も気温はなかなか下がって行かない。早くも寝苦しい夜を予感させる。

 今日は夏の野菜を使ったメニューにしよう。心はすでに決まっていた。カレーかパスタ。少し考えた。明日の夜は友人を招いての晩餐だ。カレーは出番が無い。となると、今日限りで食べきれるメニューが良い。結局、好みのパスタにする。今が旬のナスとピーマンとトマトを刻んでニンニクとオリーブオイルと合わせて炒める。ベーコンも加えて油を出す。しめじも加えてみた。ナスとトマトが醸し出す夏の香が最高だ。湯で上がったパスタを絡ませると、絶品の一皿に仕上がった。冷やした白ワインとともに頂く。旨い。

 

7月14日(土)晴れ後曇り一時雨

 目覚ましを止めて起き上がるとカーテンを開けた。開ける前から判っていたが、今日も晴れてかなり暑くなりそうだ。昨日から準備しておいたものをクーラーボックスや大き目のトートバッグ等に詰めていく。かなりの大荷物になった。灰色の車との間を二往復して全てを積み込む。

 朝の太陽が既に強烈な陽射しで地表を炙り始めている。車のガラス越しに肌の露出した部分を容赦なく熱気が襲い、たちまち皮膚が焼けていくのを感じた。エアコンの風量を上げて対抗する。リアシートに荷物を満載した灰色の車の中は、何とか過ごし易い温度に保たれていた。しかし、これ以上の攻撃には耐えられない。

 鬼怒川の広大な河川敷に作られた広い公園に到着した。土手沿いの未舗装道路を走りテニスコートの近くにクルマを停める。エンジンを停止しドアを開けると一瞬で強力な熱気に包まれた。荷物を車から降ろし、一度コートのそばに運んだだけで汗が噴き出してくる。二往復して荷物を運び終わり、テーブルやパラソルを広げていると、それだけでTシャツの色が変わるほど汗が流れた。ネットを張ると準備は完了した。隣のコートに知り合いが来て練習を始めた。相棒と二人でアップを始める。

 隣のコートは大勢の人が集まって盛況だが、こちらのコートは人が来ない。遠方からのゲストは渋滞に捕まっているようだ。それでも相棒との2人から3人、4人、6人と午前中になんとか半分の人数に達した。いつもの顔、懐かしい顔、ボールを打ち始めると、流れる汗も肌を焦がす陽射しも全く気にならない、素晴らしい時空の共有感覚に浸ることが出来る。ラリー、エース、ミスショット、その一球一球がたまらなく愛しい。テニスは素晴らしい。

 お昼近くなった。ランチの準備を始める。とはいえ、やる事はたいしてない。カセットコンロにかけて熱したフライパンに、買っておいた有名店の冷凍餃子を並べていく。5人前を並べ終わり、若干火を通した所で、ポットに用意したお湯を餃子が軽く浸る程度に注ぐ。後は、蓋をしてお湯が全て蒸発するのを待つだけだ。コンロの前に座ると後から後から汗が流れてくる。だが気持ちの良い汗だった。フライパンと蓋の隙間からしゅうしゅうと湯気が漏れる。蓋を開けてみると大量の湯気と共に蒸し焼きにされてふっくらと膨らんだ餃子の姿が見えた。皮が半分透き通って中の具が薄く透けて見え始めた。順調だ。安心して、蓋を閉める。

 その一方でかき氷を作る。安物の手回し式かき氷機は安定が悪く取っ手を回すと台がぐらぐら揺れた。台を押さえる係りと取っ手を回す係りの二人の作業になる。歯の調整がイマイチな為、木目の細かいかき氷ではなく、カチ割り氷のやや細かいもの、と言った趣きのかき氷が出来ていく。しかし、日向の気温が40℃近いと思われる猛暑の中では、レモンシロップを滴らしたかき氷は正に至上の甘露だ。しばしテニスの手を休め、冷たい氷の食感を楽しんだ。

 餃子の第一陣が焼き上がった。ほぼ申し分ない出来だ。餃子の底はパリッと中身はふっくらジューシィーに仕上がる。予想以上の出来栄えに餃子を皿に盛る作業にも気合が入る。早速試食だ。餃子を口にした人達から「美味しい!」の歓声が上がる。社交辞令と知りつつも、ほっと一安心する。すぐに第二陣の準備に入った。また5人前の餃子をフライパン一杯に並べる。お湯を注いで蓋をすると、やっと試食する余裕が出来た。特製の少々辛目のたれに餃子を浸けてから口に運ぶ。美味い!思わず笑みがこぼれる。流れる汗を拭いながら、今日のオフの成功を確信した。その時、遠くから不吉な音が微かに聞こえてきた。遠雷の響きだ。

 北の空を覆う黒い雲が次第に南に勢力を伸ばしてきた。太陽が雲の後ろに隠れて陽射しが和らぐ機会が増えてきた。何時の間にか暗雲がコートの上空に近づいている。初めて聞く放送が公園内に流れた。雷の接近を注意する放送だ。しばらくゲームを続けていたが、今度は避難命令の放送が流れた。全員が中央の休憩所に避難する。

 直ぐに雨が落ち始めた。大粒の雨が灰色の雲から落ちてくる。コートの真上を境に南側では青空も覗いていた。しかし、皆の期待も空しく雲の範囲が南に広がっていく。雨は激しさを増した。このコートは排水性が良く、かなりの雨量でも水が浮いてくる事が無い。雷が遠ざかり雨が止みさえすれば直ぐに再開出来る。待つ事に決めた。休憩所は予期せぬ歓談の場となる。

 30分程待っても雨は止む気配を見せなかった。じわじわと内蔵が虫食まれるような暗い焦りに堪えながら考える。インドアコートの手配も可能だが、時間が中途半端だ。移動に一時間程度掛かってしまう。せっかく移動してもテニスに残された時間は少ない。隣のコートは片付け始めた。もうしばらく待ち、それでも駄目なら諦めるという選択が最善だ。そう心に決めると雨雲を見上げた。

 雨が降り始めてから1時間強、雨は降り出した時と同じように唐突に上がった。コートの状態は問題ない。すぐに再開できる状態だ。ゲームの途中からリスタートする。青空が見え薄日が差してくる。雨と雷は気まぐれに移動していった。コートにボールを打つ快音と皆の声が戻って来る。ラケットを握ってボールを追いながら、天に感謝した。

 人騒がせな雨雲は、もう一度忘れ物を取りに来たように戻ってきて少しだけ雨を落とす。だが大した事はなかった。時間一杯までゲームを楽しむ。片づけを終え、駐車場に集合して写真を撮った。ここで一度解散だ。早く帰る人と別れる。残った者達は温泉に向けて出発した。

 田舎道を30分ほどドライブすると山間の温泉施設に着く。一日の汗と汚れを洗い流し、空の見える露天風呂にゆったりと浸かると、疲れもキレイに流されていくようだ。露天風呂で岩に腰掛けながら、今日初めて会ってプレーした人と話しに興じる。水をたっぷり浴びて汗を押さえてから上がった。休憩所に移動する。この温泉に隣接した牧場で作られているヨーグルトをコップに注いで飲み干した。濃厚な乳脂肪と適度の酸味が絶妙で爽やかな喉越しだ。美味い。

 

7月15日(日)晴れ

 昨夜、夕食を共にし、そのまま泊まったゲスト達の為に朝食を作る。トーストを焼き、お湯を沸かして珈琲と紅茶を入れた。トマトとピーマンの小さい角切りをさっと炒めたフライパンに卵を割り入れ、オムレツを作る。固まってきたところに細切れのナチュラルチーズをたっぷりと散らした。野菜入りのチーズオムレツだ。

 ゆっくりお茶を楽しんだ後、家を出る。灰色のクルマにはラケットバッグとクーラーボックスとボール篭を積み込んでいる。昨日とは川向いになる河川敷のコートに向かった。茹だるような暑さに変わり無いが、人間の方に耐性が出来たらしく、昨日より辛くない。しかし、汗が後から後から流れてくることに変りはない。タオルで汗を拭いながらラケットを握り、ボールを追った。休憩時間には冷えたビールが乾いた喉に最高の御馳走だ。

 楽しい時間にも、必ず終りがある。酷暑のテニスコートを離れ、銭湯で汗を流した。気持ち良いが空腹で目眩がしそうだ。食事に向かう。名物の餃子を店で食べた。餃子とビールが堪らなく合い、一人が何皿も平らげる。そして、友との別れがやってきた。だが、悲しむには及ばない。また必ず会える。手を降り、走り去る車を見送った。

 

7月16日(月)晴れ

 昨日、うに色のクルマを点検に出したので、今日は灰色の車で出掛けた。うに色のマジックがないと、いつもの通勤路は退屈な田舎道に過ぎない。早朝の一人乗りだと寒い程にエアコンが効いた。充実した週末を過ごした後の抜殻のような体を乗せて灰色の車は他の通勤途上車の列の中を進んで行く。この空虚さを埋めるのは次の週末の計画しかなかった。

 降り掛かってくる仕事を払い除け、まだ完全に暗くなる前に事務所を後にする。灰色の車を街に向かって走らせた。行きつけのスポーツ用品店で借りていたラケットを返す。しばらく時間をかけて吟味した後、週末のために新しいラケットを借り出した。どんな打球感を与えてくれるか想像してみる。実際にボールを強打した時の手ごたえが楽しみだ。

 消耗したスタミナを補給する為に夕食の献立はレバーニラ炒めに決めた。レバーを炒めて煙りの上がる中華鍋に、たっぷりのキャベツとニラを加えて炒めた。半個程のニンニクもスライスして炒める。豆腐とワカメの味噌汁に熱々の御飯を添えた。ちょうど良く火が通ったレバーを噛み締めるとわずかな苦味と独得の香りが食欲に火を点ける。旨い。

 

7月17日(火)晴れ後曇り後雨

 灰色の車のドアを開け、小さな紺色の手提げバッグと500mlのペットボトルを助手席に放り込んでから、乗り込んだ。ペットボトルには半分凍らせた麦茶を入れていた。信号待ちで一口、冷えた麦茶を口に含む。通勤路が、いつもより凹凸が少なく、のっぺりと感じられた。灰色の車は世界を平均化して体に伝えてくる。刺激がなく平穏だ。

 総務課から雷の接近を注意する放送があった。停電に備えてこまめに作業中のファイルをセーブする。そんな作業にも飽きた。机の上を片付けて事務所の外に出る。時折空が明るく光り、遠い雷鳴が聞こえた。すぐに雨が降り出すのは湿った重たい空気で判る。ロッカーで着替を済ますと灰色の車に乗り込んで走り出した。

 しばらく走ると雨が落ち始める。突然激しい雨の中に飛び込んだ。ワイパーを最大の速度で動かしても追い付かない程の滝のような雨だ。バラバラとポップコーンをフライパンで煎るような音を立てて周囲で水しぶきが炸裂する。稲妻が黒い雲と大地の間を光の束で接続した。ストロボで動きを止めたように景色が青白く凍り付く。次の瞬間弾けるような轟音が腹の底に響いた。世界の終りのような夕立の中を灰色の車で走り続けた。

 

7月18日(水)曇り後雨

 灰色の車に近づき運転席のドアを開けて荷物を助手席に放り込んだ。実用車にしては低い位置にセットされた座席に腰を落とす。イグニッションキーをひねると、キャブレターエンジン特有のやや長いクランキングの後1.5Lのちっぽけなエンジンが目覚めた。ATのセレクタをD4に入れ、走り出す。

 定時に事務所を出ると空が暗かった。いつもの壁打ちコートに向かう。今日は誰もいない。月曜に借りたプリンスのラケットの感触を確かめながら壁打ちを始めた。悪くない。スピンも良く掛かるし振り抜きも良かった。振動止め無しではストリングスの振動が減衰せずグリップに伝わるが、輪ゴム一個で止める事が出来る。速いペースでラケットを振り回した。

 雨が落ち始める。それほど強くなかった。しかしスクールは中止になるだろう。降りしきる雨の中、壁打ちを続けた。ストローク、スマッシュ、サービスと一時間強打った所で雨が激しくなってくる。ラケットを仕舞い、コートを後にした。満足は出来ない。電話でスクールの中止を確認した。満たされない中途半端な想いを胸に街に向かう。同僚達と語りながらピザを食らいビールで胃に流し込んだ。瞳は暗い。

 

7月19日(木)雨

 昨夜からの雨が幾つもの波紋を広げる水たまりを踏んで門を出た。左手に手提げカバンを持ち、右手に傘と車のキーを持っている。灰色の車は細かい水玉にびっしりと覆われながら待っていた。傘を左手に持ち替え右手のキーでドアロックを解く。座席に腰を滑り込ませてから傘を綴じ、後ろ手でリアシートの足下に置いた。昨夜の酒の余韻が小さな違和感となって頭の片隅に残っている。長い一日になりそうだ。

 午後からは会議が続いた。退屈な議論を聞きながら晩飯のメニューを考える。会議が長引くに連れて、メニューも重く楽し気なものから軽く短時間で出来るものに変わっていく。やっと帰れるようになった頃には、あろうことかインスタント食品になっていた。全くやれやれだ。

 夜になって再び強くなった雨の中を灰色の車で走ってゆく。ところどころワイパーを最速で動かしても前が見えにくい程酷い雨だ。速度を落として慎重に走る。だがやっと溜め込んだ水が尽きたらしい。家に付く頃に雨はほぼ上がった。明日は晴れる。灰色の車のドアを開けた。もう傘は要らない。一続きの雨の最後の数滴がTシャツの肩を濡らした。

 

7月20日(金)晴れ

 出社日だが、そんなものは構うことではない。国民の祝日だ。ほぼいつも通りの時間に比較的強く長い地震で目を醒ました。窓を開けると高い山の山頂から見下ろしたように下界は白い霧に覆われていて見えない。空と地平線の境も全く判らず、自分の近くのもの以外は全て均質の白いスープの様な霧の中に溶けて混じりあっていた。朝霧が創り出した幻想的な光景だ。ゆれ時間の長い地震と濃霧に迎えられた朝は、この世の終りという言葉を連想させる。

 ラケットバッグと一日分の飲料を沢山詰め込んだクーラーボックスを持って家を出た。灰色の車のリアシートに荷物を積み込む。徐々に霧が晴れてじわじわと気温が上がり始めた国道を南に向かった。

 初めて訪れるコートは林に囲まれていた。広い敷地に人気の無いサッカーグラウンドと奇麗なオムニコート4面が整備されている。周りにはこれから整備が進むのかも知れない、今は単なる原っぱと言った方が良い空き地が残っている。近くには関東平野に小高く盛り上がった山が見えた。天気も良く、暑く、素晴らしい夏の一日だ。灰色の車から折り畳みテーブルと大きなパラソルを出して、陣地を作った。夕方まで腰を据えて楽しむ計画だ。

 夏休み初日、三連休初日が重なったこの日は行楽渋滞が酷く、メンバーの何名かは試合開始に間に合わない。到着しているメンバーで先ずは対戦を始めることにした。女子W、男子W、ミックスWの3対戦で勝敗を決めるチーム対抗戦だ。先頭の女子Wを送りだす。この試合を皮切りに各コートで8チームを二手に分けた4チームづつでの総当り戦による予選リーグの第一試合が始まった。

 世話好きでほめ上手な主催者が運営するメーリングリストを通して集まったテニス愛好家達のレベルは高い。経験の浅い我がチームは緒戦から苦戦続きだ。だが、そんなことは始めから分かっていた。団体戦特有の一種独特な緊張感と流れる汗、そして手に汗握る応援。それを楽しめば良い。経験豊富な固定ペアに対し、初めて組んだペアと共に立ち向かう。個人の技術ばかりで無くペアの歴史も大きな壁となって立ちふさがっていた。そんな壁を打ち砕くべく気持ちを奮い立たせてサービス体勢に入る。ボールを2度コートにつき、リズムを作った。トスをあげると奇麗な青い空が見える。ぼろぼろに打ちのめされるかも知れない。しかし、サービスを打ってネットに詰めながら自然に笑みがこぼれていた。

 

7月21日(土)晴れ後夕立

 今日は所属するサークルの練習会兼親睦会だ。河川敷に広大な敷地を持つ公園はマリーゴールドのオレンジ色に彩られていた。テニスコートに入ると何もしていなくても暑さと湿度で大量の汗が流れ出す。午前中は練習から始まった。気が遠くなるような暑さの中でボールを追ってコートを走る。すぐにTシャツは頭から水をかぶったようにびしょ濡れになった。

 昼は親睦を兼ねたBBQだ。タープを二張り広げた下は直射日光が避けられて僅かながら過ごし易い。炭の火起こしで団扇をあおぐ。木炭が発生する熱で地獄のような暑さだ。生ビールサーバーに10L入りタンクがセットされ、冷たいビールが届けられた。グラスを傾けると冷たい固まりが口を満たした、と思うまもなくその冷たい固まりは喉を通り落ちていく。次から次へと流れ込んでくる素晴らしい黄金のような液体を喉を鳴らして飲み干した。

 午後の練習も終わった。灰色の車を相棒に預け、助手席におさまる。スクールを目指して走り出した。先ず大浴場で汗を流す。さっぱりしたところで新しいTシャツにそでを通した。あと3時間のレッスンが待っている。テニス三昧の二日目は大詰めに差し掛かっていた。

 

7月22日(日)晴れ後夕立

 少し遅目にセットした目覚ましで起きた。カーテン越しにもそれと判るほどの真夏の陽射しが、早くも気温をジリジリと上げている気配がする。カーテンを開けると思った通りの青空が見えた。遠くの景色はやや霞んでいる。

 うに色のクルマの主治医から借りていた黒い車に乗り込み、地下駐車場を出た。主治医の待つ工場に向かう。エンジン内部のリフレッシュを終えたうに色のクルマも待っている筈だ。田舎の広い国道を30分ほど走り、工場に到着する。駐車場に黒い車を納め、エンジンを切ると静かになった。うに色のクルマはキレイに洗車されている。しばらく交換したパーツに関して情報交換をした後、久しぶりにうに色のクルマの幌を下ろし、走り始めた。エンジン内部の消耗パーツを交換しただけなので、特に違いはないが破損の不安は解消されている。

 いつものテニスコートに立った。午後の強烈な陽射しが容赦なく照り付けて、猛烈に暑い。しかし、3日連続の日中テニスで体が暑さに慣れてきていた。水分補給さえこまめに行えば、問題はない。夢中でボールを追い、流れる汗を拭った。夕立の気配が近づいてくる。

 

7月23日(月)晴れ後曇り

 連日の熱帯夜で、一日中日が射さない地下駐車場の気温もかなり上昇していた。階段を降りていってもひんやり感がない。うに色のクルマの幌を下ろすと、エンジンをかけて発進した。若干の排気漏れを修理したと主治医が言った通り、音が静かに、しかしより高周波の響きが増えている。排気漏れの混じった太い音も悪くないが、やや固く締まった本来の音を取り戻したうに色のクルマは、さらに良い。

 外の一般道に出てアクセルを踏み込むと吸気音と排気音が美しいハーモニーを奏でた。走る速度やギアの選択やアクセルの開度によってうに色のクルマは様々な表情の音で鳴ってくれる。そして、フロントシールド以外に遮るものの無い、開けっぴろげの青天井から風に乗ってクルマが奏でる音楽が車室内に自由に流れ込み、そして流れ去っていった。

 まるで、うに色のクルマは一つの楽団で、ドライバーは指揮者のようだ。快晴の空の下、アクセルとブレーキとギアとステアリングを駆使して、この表情豊かな楽団を指揮する楽しみに浸りながら田舎道を走っていく。もう早朝とは言えない強い陽射しに晒された腕や顔が熱い。

 

7月24日(火)晴後雷雨

 遠く九州に住む知り合いの叔父さんが突然亡くなった。随分世話になった叔父さんだ。昨年の秋に会った時にはいつもと変わらぬ元気な姿だったというのに10ヶ月後には、あっさり焼かれて骨になってしまう。命の無情を感じた。永年山仕事を続けていた叔父さんの骨は立派なモノで、大腿骨など丸々残っていたと言う。灰になった話は聞いたが、まだふに落ちない。

 北関東では激しい雷雨になった。部屋の窓から外を見る。ほぼ180度見渡せる眺望の良い居間の窓だ。視界を一瞬昼間のように明るく照らし、稲妻が走る。幾つも幾つも、遠く、近く、休むことなく雷が落ち続ける。素晴らしい自然の花火だ。居間の灯を消し、椅子に座って眺めた。全く予想も出来ない光の線を縦横無尽に走らせてみせる自然の脅威に感嘆する。

 一瞬のまばゆい光に在りし日の叔父さんの笑顔が見えた。生涯に渡って山仕事、野良仕事に励んできた男の優しい皺だらけの笑顔だ。稲光と供に笑顔が浮かんでは消え、消えては浮かぶ。さようなら。叔父さん。いつもためらいがちに、でも一生懸命話し掛けてくれたね。僅かな時間だけど一緒に畑仕事で汗を流した日が忘れられない。大好きだったよ。さようなら。

 

7月25日(水)曇一時雨

 曇り空を見上げながら幌を下ろしたうに色のクルマでいつもの通勤蕗を走った。陽射しが無いとてきめんに涼しい。袖を通して入ってくる湿気が雨を予感させた。予想通り、午後の早い時間に雨が降る。遠くでは雷も鳴っている。駐車場でうに色のクルマが雨に打たれている姿を思い浮かべたが、じっと堪えた。

 つまらない会議を抜け出し、定時に事務所を出ると雨は上がっている。駐車場までの路を急ぐ。雨粒を全身にまとってうに色のクルマは待っていた。エンジンをかけ、走り出す。幌は閉じたまま、到着した壁打ちコートには水たまりが出来ているが、構うことでは無い。ラケットと古いボールを取り出し、他に誰も居ないコートで壁打ちを始めた。湿って重いボールを壁に打ちつけるとボールの後が黒っぽい点となって壁に残る。出来るだけ一定の高さに点が固まるように打った。

 雨上りのナイターコートには無数の羽虫が飛び交っている。カナブンやカメ虫も多数混じる。気温は昨日までより低いのだが、その分湿度が酷い。基本練習から汗が吹き出てシャツをぐしょ濡れにしていく。だが怯む訳にはいかない。渾身の力を込めてサービスを放ってボレーの位置にダッシュした。

 

7月26日(木)曇り

 今日も夕刻暗くなる前に仕事を切り上げ、灰色のクルマに乗り込み、壁打ちコートに向かった。二日連続の壁打ちは初めての経験になる。乾いたコートで昨日の鬱憤を晴らすように打ちまくった。いつもより短かめの45分程でラケットを仕舞う。街に向かい、スポーツショップに寄った。週末に試打する為のラケットを借りるつもりだ。夏物のテニスウェアの安売りをしていたので、涼し気なさらさらした素材のポロを2着買い込む。試打ラケットは希望のモノが無かったが次善のモノを選んだ。このラケットの感触をじっくり楽しむつもりだ。

 

7月27日(金)晴れ

 早朝の寝室に目覚ましの電子音が響いた。混濁した意識が徐々にまとまった形を取り始める。ゆっくりと起き上がった。まだ外はやや薄暗い。夏の早い日の出の直前だ。簡単な朝食を摂り身支度を整えると、昨夜のうちに準備しておいた荷物を両手一杯に抱え灰色の車に積み込んだ。既に空は明るい。

 空いた高速道路を南に向かった。途中のSAで仲間の車と合流し、前後に並んで走る。一度高速を降り、流れの速い国道を経由して再び別の高速道路に入った。渋滞も無く快調な走行だ。深い山の中を通り抜け目的地近くのICで高速を降りた。更に30分程山道を走ると目的地の高原に出る。山の斜面に沿って急な坂道を登ると赤土のクレーコートに囲まれた大きなロッジの前に出た。予定時間通りの到着だ。

 コートでは一番乗りの家族連れが既にボール遊びを始めている。3時間半のドライブという一仕事を終えた区切りが必要だ。クーラーボックスから冷えた缶ビールを取り出して、一人でドライブしてきた仲間に一本渡す。二人で缶を軽くぶつけ合ってから喉を鳴らして冷たい液体を流し込んだ。缶を口に付けて上を向くと高原の澄んだ青い空にくっきりと白い雲が見えた。

 九時を過ぎるとようやく合宿のメンバーが集まってきた。久しぶりに会う懐かしい顔が多い。笑顔で挨拶を交わした。ラケットバッグを持ち、靴を履いてコートに向かう。各自で準備体操を始めた。いよいよ合宿のメニューの始まりだ。午前中は基本ショットの練習になる。一面当たり5名なのでほとんど休みがない。

 午前の締めに行ったクロス半面を使った変則シングルスゲームは普段する事の無い練習だ。最初のサービス以外は必ずサービスラインを超えなければならない。つまり、サイドはセンターラインとダブルスのサイドラインの間、前後はサービスラインとエンドラインの間のみが使用エリアになる。サービスコート内に落ちたボールはアウトなので、必然的にボレーは使えずストローク主体に制限される。ストロークをしっかり深く打つ練習になった。タイブレーク方式で昼休みの時間までチャンピオンゲームを楽しむ。

 昼食はピラフとサラダだ。どちらもセルフサービスで食べ放題だ。高原の地場で採れたと思われる生野菜が美味い。キャベツなども香りが強く歯ざわりが良く自然の甘みがある。冷たいビールで喉を潤しながら薫り高く甘いトマトの櫛切りを頬張った。

 午後からはペアでのダブルス形式の練習になる。サングラスが手放せないほど強烈な陽射しが降り注いでいるが、湿度は低く風が爽やかだ。動けば汗が出るが、平地の様に頭に熱が篭もって苦しくなるような事はない。平行陣対雁行陣、平行陣対平行陣など時間を区切って持ち場を変えながら何度も繰り返す。フォアボレーはまだ良いが、バックボレーが上手くいかない。打点が良くないのか面がオープンになり過ぎてボールが浮いてしまう。ネットの高さスレスレに滑るようなボレーを打ちたい。しかし、この日はついにバックボレーのポイントを掴む事は出来なかった。

 このホテルの風呂は4階建ての建物の最上階に有り、全面ガラス張りの窓からの眺めが素晴らしい。洗い場も浴槽も広々としていて全体的に開放感に溢れている。残念ながら温泉ではないがゆったりとした浴槽に浸かり手足を伸ばすと一日の疲れが体中からお湯の中へ溶け出していくようだ。風呂から見下ろせるコートでは二人の男達がまだ練習を続けていた。

 風呂上がりにはビールが欠かせない。夕食までの一時を風が吹き抜けるテラスで過ごす。夕日に染まる山並みを見ながら飲む冷えたビールは最高の喜びだ。

 

7月28日(土)晴れ

 自然に目覚める朝は爽快だ。平日なら家を出る時間に起き上がり、顔を洗って食堂に向かう。朝食はバイキング形式で和食と洋食のどちらもある。しかし、目当ては生野菜と冷たい牛乳だ。キャベツとトマトが何もつけなくても甘くて美味い。そして牛乳は濃厚で良い香りがする。どちらも昨夜の酒が吹き飛ぶ鮮烈さだ。卵が旨いのかオムレツも良い味だ。ケチャップが合う。最後は熱い珈琲で締めた。

 早めの朝食後、早速コートに出て相棒と練習を始める。まだ奇麗なクレーコートに足跡とボール跡を刻んでいくのは気持ちが良い。40分ほどの朝練で一汗流した。時間になると初日と同じ様に全体での練習が始まった。一つのコートに最高でも7名以下の小人数なのでほとんど休みが無い。午前中の3時間弱を基礎練習で過ごすとかなりの充実感が得られた。

 昼飯はマーボーライスとサラダだ。朝に引き続き生野菜をたっぷりと皿に盛る。美味い野菜が取り放題なのは実に嬉しい。冷たいビールが乾いた体に染み込み、生野菜のほのかな甘みが疲れを癒してくれる。誰もいない大広間にごろりと横になると体が宙に浮かんだように気持ちが良い。座布団を枕に30分ほどの昼寝を楽しんだ。

 午後も昨日と同じようにダブルス形式の練習を中心に行う。サービスダッシュ、リターンダッシュを含めてボレーボレーの反復練習だ。ボレーが少しでも浮くと決められてしまうので気が休まる時が無い。前半は部外者同士での練習に実業団テニス部のコーチが一人付く形で進むが、後半は部外者組対テニス部組の対戦になった。さらに厳しくなる。それほどボールが浮いていない様でも決められてしまうし、ミスも少なく簡単には決めさせてくれない。その代わり、たまに先手を取って相手を動かして決められた時の喜びも大きい。最後はタイブレーク形式のチャンピオンゲームを楽しんだ。

 3時間半の練習時間はあっという間だ。体が慣れたせいか、まだ打ち足りない。まだ元気の有りそうな人を誘って、そこからさらに30分ほど乱打した。行き付けのスポーツショップで借りてきた新しいウィルソンのハイパーハンマーを試してみる。これはウィンブルドンでエナンが使っていたオレンジ色が派手なラケットだ。現在使用中のラケットより飛びが良い事に加え、高地の影響もあるのか、思ったより飛び過ぎてしまい、しっくり来ない部分もあったが、スイートスポットの広さは利点だ。

 脱衣所で汚れた服を脱ぎ、たっぷりと汗をかいて埃まみれになった体にシャワーを浴びる瞬間はたまらなく気持ち良い。髪をシャンプーで洗い、石鹸で体を洗い流すと生まれ変わった様な気分になる。広い浴槽に浸かると大きな一枚ガラスを通して夕焼けに染まる山並みが正面に雄大に見える。黄昏時の空の色、雲の色、そしてそれらの色が微妙に変化していく様は言葉にならない程素晴らしい。しばらく湯船に浸かったまま見愡れていた。

 風呂上がりにはもちろんビールが欠かせない。乾ききった喉に冷たくほろ苦い液体がぶち当たる感触はビールの醍醐味だ。アルコールが胃を刺激して食欲が湧いてくる。夕食に向かう。今夜は炉端焼きだ。囲炉裏の炭火の上で、串刺しのエビ、アユ、牛肉、ネギ、しし唐などを焼いていく。冷たいビールに良く合う肴だ。五平餅に味噌をつけて焼くのも香ばしくて美味い。締めは焼きおにぎりを使った雑炊だ。オレンジシャーベットとコーヒーで口直しする。

 食後30分ほど休んだ後に、一部屋に集まっての宴会が始まった。ビールやチューハイを飲みながら色々な事を語り合う。合宿ならではの楽しみだ。こうして合宿の二日目の晩も更けていった。

 

7月29日(日)晴れ

 早朝、裏の林にカブトムシを取りに行く者達が起き出す音で一度目が醒めた。目を閉じていると再び眠りに吸い込まれる。次に目が覚めたのは平日に起きる時間だった。しかし、気分は全く異なり、実に爽快だ。

 相棒が朝練を誘いに来た。ラケットバッグを抱えてコートに出る。既に二人の男が練習を始めていた。隣のコートでアップから始める。始めた時間が早かったので一時間半掛けてサービスまで一通りの練習を終えた。隣のコートの男二人はさらに1時間早く始めており、朝だけで2時間半練習したという。素晴らしい体力だ。確かに高原の早朝練習は気持ちが良い。これなら毎日でもやりたいぐらいだ。理想の練習環境と言える。しかし、クレーで服やラケットやボールが汚れてしまうのは欠点だ。

 朝食では美味しい生野菜と牛乳をたっぷり摂る。スクランブルエッグとソーセージというありきたりのメニューでも朝練の後ではご馳走だ。コーヒーを飲んで一休みする。今日で合宿も最終日となり、昼までの3時間を使って二チームに別れての紅白戦が組まれていた。軽くミニストロークでアップした後、すぐに試合が始まる。試合形式は6ゲーム先取デュース有で行われた。

 これまでの練習の総仕上げになる筈の試合だが、どうも動きが良くない。疲れが溜まっているのか体が重たく感じられる。コート4面で20人足らず。ほとんど休む暇無く試合に入る。調子が出ないまま何試合かが過ぎていった。結果は1勝3敗。実業団クラスを相手に回して仕方の無い部分もあったが、完全燃焼しきれない後味の悪さが残る。3時間は考えるまもなく過ぎてしまった。

 最後の昼はカレーライスだ。たっぷりのサラダと少な目のご飯、そしてカレーに良く合う冷たいビールで合宿最後の食事を皆と楽しんだ。食べ終わった後は展望風呂で汗を流す。最後に風呂に入れるのは非常に有り難いサービスだ。二日半に渡った合宿を反芻しながらゆっくりと風呂に浸かって疲れを癒した。これからまた230キロを越す距離のドライブが待っている。

 参加した面々と礼を交わし、再会を誓い、それぞれの車を見送った。2日振りに灰色の車に火を入れ、窓の土埃を丁寧に濡れタオルで拭ってやる。荷物を積み込んで出発した。しばらくは合宿の出来事を相棒と話していたが、すぐに相棒は夢の中にいってしまう。行きと同様、カーステレオの音楽を聞きながら独りのドライブが始まった。

 

7月30日(月)晴れ

 地下駐車場への階段をゆっくり降りていった。うに色のクルマとは3日振りの対面になる。二つ目の柱を回り込むと、コンクリート打ちっぱなしの駐車場のそこだけに花が咲いている様に華やかだった。ドアを開けて乗り込む。一度バッテリーが駄目になってから、イグニションキーを回す瞬間僅かだが身構える癖がついた。しかし、何事もなく当然のようにフィアットの実用エンジンは軽い身震いと共に目覚める。幌を下ろすと朝の光が溢れる路上に漕ぎ出した。

 家を出てから数百メートルは北西に進む。大きな交差点を右折して国道に出ると太陽が正面に走ることになるが、その交差点の信号待ちで濃い茶色の偏光レンズを備えたサングラスを装着した。流れの速い国道をカーラジオの音と軽快な排気音と風の音を聞きながら走る夏の朝は、例え通勤でも気持ちが開放される。

 一日中ほとんど外を見る事が無かった。暗い歩道を駐車場に向かって歩いていくと、朝から晩まで続いた長い会議で座りっぱなしの体が不平を漏らす。うに色のクルマの幌を下ろしてエンジンを掛けると夜の静かな駐車場に乾いた低音が響いた。

 

7月31日(火)晴れ

 10日ほど前にエンジン周りの消耗品を交換したうに色のクルマのエンジンは快調そのものだ。コールドスタート時に僅かに発生していた補機ベルトの鳴きも解消されて、問題を感じさせる音は何もなくなった。エンジンに関しては何も不安が無い。しかし、交換後3万キロ近くを後にしたショックアブソーバーの性能が落ちてきた様だ。通勤途中の道に一個所大きなうねりがあるが、そこを通過する時、車体の揺れが「ぶわん」と一発で収まっていたところが、「ぶわんわん」と減衰まで2周期掛かるようになってきた。オーバーホールの時期が近づいている。

 家に帰り、冷蔵庫を開けると野菜室に色々な野菜が少しずつ残っている。これらを一掃する為には野菜炒めが簡単で効果的だ。ニンニクを多めに剥いて叩いて潰してから細かく刻み、油を熱した中華鍋に放り込む。ニンニクが音を上げてキツネ色に染まっていった。薄切りの牛肉を投げ入れて軽く色が変わった所にキャベツと茄子とピーマンを適当に乱切りにしたものを加えて炒める。塩、胡椒、スープで味を調え、最後に醤油を鍋肌から回し入れて香りを付けた。熱熱を頬張ると美味い。


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