目覚ましでいつもより一時間以上早い時間に目を醒ました。まだ布団に強い親和力のある体を無理矢理動かし、居間に出ると、ちょうどカーテン越しに窓の外が明るくなり始める。クーラーボックス、ボール篭、一泊旅行の荷物、ラケットバッグなどを両手一杯に抱えて家を出た。多めの荷物を灰色の車に詰め込んで出発する。10分ほど離れた所の高速のランプの坂を上り、南へと向かった。朝の空いた高速を快調に走らせる。都心に近付くにつれ、車が増えてきた。構造的渋滞で悪名高い都心環状線に入る少し手前から渋滞が始まる。しかし、環状線を抜け、西に向かう高速に乗り入れると再び流れが良くなった。日本一高い山のふもとにある大きな湖の近くのICで高速を降りる。美しい山が間近にそびえている筈だが、雲で見えない。地図を見ながら林の中の細い道を入っていくと、急に視界が開け、テニスコート16面、ゴルフ場、温水プール、ホテル、コテージ、レストラン、分譲マンションなどを揃えた一大リゾートエリアが出現した。ロビーの前の車寄せに近付くと、すでにほとんどのメンバーが到着して準備を始めている。俗世間を離れテニス仲間達と過ごす愉快な週末の始まりだ。
早速テニスコートに集まり、アップを始める。アップが終わるとサービスとリターンの練習を午前中一杯続けた。日頃はサービスとリターンにたっぷりと時間をかけることは少ない。実に貴重な良い練習になった。少し早めの昼食を取る。お陰でレストランは空いており、仲間だけの貸し切りのようだ。チキンカレーは上品な出来栄で、辛さは物足りないが悪くない。サラダバーで山盛りの野菜を取って食べた。ゴマを好きなだけトッピング出来るのが新鮮だ。
昼食後、しばらくゆっくりとしてから午後のコートに向かう。林に囲まれたきれいなオムニコートがリゾート気分を盛り上げてくれる。芝生にシートを敷き荷物を広げると、まるでピクニック気分だ。午後からは4ゲームマッチ(3−3タイブレ)で、次々にゲームを行う。高地ゆえにややボールが飛び過ぎる事を除けば、申し分ない環境だ。時折陽射しが覗く程度で暑さは感じない。むしろ林間を通り抜ける爽やかな風が涼しい程だ。ビールで喉を潤しながら、仲間達とゲームを楽しんだ。快心のショットが決まると笑みが抑えられない。一日の汗を吸い込んだシャツを脱ぎ、大浴場に飛び込むと体が軽くなるように疲れが霧散していく。
部屋に戻り、冷えたビールをグラスに注ぐと一気に飲み干した。口中に広がる爽やかな苦みと喉を冷やし弾ける炭酸の刺激がたまらない。しばらく休んだ所で晩飯だ。タイ・中華バイキングが評判のレストランに移動する。店内はそれほど広くないが、各種前菜、炒め物、蒸し物、焼き物、スープ、ご飯類、麺類、デザートと選ぶのに苦労するほど沢山の器が出迎えてくれた。カリフォルニア赤ワインがお代わり自由というのも気が利いている。まずワインやビールやお茶で乾杯してから一斉に食べ物の器に群がった。取り皿を手に、片っ端から少しずつ取り分ける。すぐに皿が一杯になる。卓に戻り早速料理を口に運ぶと、どれも水準以上の味で美味かった。軽い赤ワインが水代わりにちょうど良い。
汁ソバは4種類の麺を好みで選ぶとその場で湯がいて作ってくれる。トッピングも色々用意されており好みで注文可能だ。澄んだ鶏のスープが美味く、思わず麺を変えてお代わりする。甘辛い焼豚の万頭などの蒸し物もいける。仲間達と語らい、笑い合いながら次々に平らげていくが、それでも食べきれない程の種類があった。最後にフルーツやゴマ団子で締めると舌も胃袋も大満足を通り過ぎてやや苦しい。
動けなくなるまで食べた後も、まだ終わらない。しばらく休むとテニス組、プール組に別れた。コートに出ていくと、黄色いナイター照明が迎えてくれる。抵抗する体を動かし、アップを始めると次第に胃がこなれ体が動き出した。ナイターテニス組は7名だったので、一面はダブルスのゲーム、もう一面はダブルスが終わるまでのシングルスゲーム形式で遊ぶ。ナイター照明は比較的暗めで、距離感が掴みづらいが、照明が目に入って眩む事も少なかった。意外に悪くない。胃が重く動きは鈍かったが、構う事はない。心許せる楽しい仲間たちとコートとボールがある。ラケットを持ってコートに立つだけで幸せな気分になれた。さらにシングルスで走り回ると息は上がるが体の動きは楽になる。最後のダブルスゲームは実力で上回る相手に会心の試合運びで勝利。ペアと健闘を称え合う。
日付が変わる少し前にコートを離れると照明が落とされ、代わりに暗い空に星が浮かび上がった。部屋に戻りシャワーを浴びると心地よい気だるさに包まれる。持ち込んだ酒やつまみを持って集まり、軽く飲みながら語らった。自家製の梅酒も好評だ。やがて眠気に負け、ベッドに潜り込むと朝まで夢も見ずに眠った。
睡眠が不十分な鈍い覚醒だが、顔を洗いレストランに向かう。朝食は和食と洋食のバイキング形式だ。生野菜とスクランブルエッグをたっぷりと取る。朝のレストランは大勢の宿泊客で賑わっていた。コーヒーをゆっくりとすすると目が覚める。荷物をまとめ部屋を後にする。荷物を車やロッカーに入れ、開閉ドーム式のオムニコートに集合した。涼しく、気持ちの良い朝だ。アップを済ませると、週末だけ無料でプロがコーチしてくれるレッスンに出る組とその場に残る組に分かれた。たった一時間のレッスンだが、知らずにミスを増やしている悪い癖をいくつか指摘される。矯正には時間が掛かりそうだが、方向性が示された事は大きい。仲間で参加したレッスンは、基本的なショットの確認が出来て有意義だっただけでなく、笑いに溢れ楽しいものとなった。
レッスンを終えドームコートに戻ると残った組と合流し、二チームに別れての対抗戦を始めた。皆の実力が拮抗していて、競った内容の良い試合になる。見ていても非常に面白い。応援や野次が飛びかい楽しい雰囲気のままゲームが進む。1勝1敗となったところでランチタイムだ。相談した結果、車に乗って近くのほうとう屋を目指す事になる。
昼時のほうとう屋はどこも繁盛していた。二軒ななめ向かいに大きな店を構え競い合っている片方に入る。メニューはシンプルで一種類のほうとうしかないので、それを頼んだ。鉄鍋に入って運ばれてきた量はかなり多い。たっぷりと入った野菜の具とほうとうは味噌味だ。熱いほうとうをすすると汗が噴き出す。すっかり満足した一行は再びコートに戻ってきた。
対抗戦の続きを再開する。運と勢いで3ゲームを連取するもののその後の3ゲームを奪い返されタイブレークも失い破れた。実力からすれば善戦と言えるだろうが、惜しい敗戦だ。
さらに組み合わせを変えてチーム対抗戦の2Rに突入する。今度もそれぞれ競り合った内容の良い試合になったが、再び1−2で敗れ、チームとしては2連敗という結果だ。チームの4敗のうち3敗にからんだ事と、1勝もしていない事が気持ちを沈ませた。気が付くともう夕暮れが近づいてきている。
風呂に入って一日の汗を流すと程よい気だるさと眠気が襲ってくる。ソファーで雑誌をめくっている内にまどろみに引き込まれた。柔らかいソファーに体が吸い込まれていくようだ。
それぞれが思い思いに休息を楽しんだ後、日が暮れてきたリゾートを後にし、高速ICに出る途中の焼肉屋に向かった。富士五湖名物の石焼きビビンバという胡散臭い看板を掲げる店内に入ると、テーブルには炭火焼のコンロが埋め込まれ、掘りごたつの席になっている。注文を取りに来た気さくな男との会話を楽しんでいる内に11名のバラバラな意見がなんとかまとまり、注文を済ませた。さんざん体を動かして楽しんだ後に、肉を焼いて食らう。人間が恐らく原初から備えている欲望に忠実な行為だ。自然に野蛮な気分になる。運ばれてきた肉は流行っている店らしく美味く、これまた美味しい白いご飯と共にぱくつくと、口の中が自然な甘みに満たされた。水すら甘く感じられる。錯覚に過ぎないが、食べた血肉がそのまま体に取り込まれて自らの血となり肉となり力を漲らせてくれる気がした。自然の要求の趣くままに食欲を満たしながらも、仲間達の楽しい会話と笑い声は途切れる事が無い。
時は羽根の生えたように飛んでいく。素晴らしい週末を共に過ごした仲間達と別れる時が来た。また生きる為の生活が始まる。挨拶を交わし手を振り別れ、灰色の車を渋滞の残る高速へと滑り込ませた。
遊び疲れた体には辛い朝だ。いつもより体は布団から強い拘束力を受け、必死に抵抗している。両腕を布団に突き立て、布団から体を引き剥がすように立ち上がった。なんとか起き上がってしまえば、いつも通りの朝になる。カーテンの外の天候は冴えない曇り空で、天気予報は昼過ぎから強い雨の襲来を告げていた。灰色の車を選んで乗り込み、家を出る。日常の始まりだ。早目に机を片付けると事務所を出た。細かい雨が降り始めている。まだ道路が黒く光る所まではいかない、弱い雨だ。定時帰りの帰宅渋滞が収束しつつある幹線道路を時々ワイパーを使いながら走って家に戻り、駐車場に灰色の車を納めた。部屋を見上げると明かりが点いていて、相棒が先に戻っている事を示している。
二日間の合宿で良く食べ、良く飲んだので、今日は肝臓と共に胃腸も休ませる事にする。白いご飯に玉ねぎとワカメの味噌汁。おかずはニラと挽肉を炒め、味噌をベースに味付けした肉味噌を豆腐の上に乗せたものとトマトだ。飲みかけのスポーツドリンクで喉を潤し、久しぶりの自宅での食事をシンプルなメニューで楽しんだ。
昨夜の雨は朝まで降り続いたらしい。路面はまだ黒光りしていて、所々水溜まりも残っていた。うに色のクルマで走り出す。前の車が巻き上げる水煙でフロントガラスに細かい水滴が付いた。信号で停止した時にウォッシャー液を出し、ワイパーで拭う。走行中は風に乗ってキャビンに汚水が降り注ぐから使えない。到着するまでに、これを何度か繰り返した。駐車場にクルマを停め桜並木を歩いていくと、何本かの落葉が早い桜の下の歩道に、濡れた落ち葉が敷き詰められている。すでに何人もの足に踏みしめられた落ち葉の絨毯に足を踏み入れると甘い香りが鼻孔をくすぐった。何か懐かしい匂いだ。すぐに気付く。桜餅に巻いてある塩漬けの桜葉の香りだ。目を閉じると和菓子屋で買ってきた桜餅の包みを開けた時のように甘く柔らかい香りに包まれ、舌は甘塩っぱい桜葉の味の記憶と餡の味の記憶、さらには餅の触感の記憶を蘇らせる。ある筈の無い餡の香りや甘みさえ感じられるようだ。濃い香りに呼び覚まされた記憶を僅かな時間に反芻すると、魔法が解けたように香りは去っていった。急に現実に呼び戻され、軽い戸惑いを感じながら歩道橋を渡る。足元を何台もの車達が走り去っていった。
朝、目覚めて陽射しを見たのは何日前だったか覚えていない。それほど久しぶりの事だった。カーテンの隙間から差し込む陽光がきらきらと輝いて見える。うに色のクルマの屋根を開けると、茶色い偏光プラスチックのサングラスを着けた。定時で机を片付け外に出ると、空は何時の間にかうす暗い雲に覆われている。ここ数日見慣れた空だ。雨を心配したがすぐに降り始める気配はない。うに色のクルマに乗り込み、いつもの壁打ちコートを目指した。一本の木の下にクルマを停めてコートに近づくと、ちょうど一人の男が壁打ちを終え、去る所だ。入れ替わりにコートに入る。最初の一球をゆっくりと始め、次第にペースを上げていく。先日プロコーチに指摘された点を考慮し、テイクバックと打点を確かめながらストロークを中心に練習した。スマッシュも指摘を生かし、打点を前目に取ってみる。今日一日でどうこうなることではない。考えながら打ち続けるだけだ。一時間ほどで程よく疲れ、満足する。水道で顔を洗い、冷たい水を喉を鳴らして飲んだ。
スクールに着くと新しい会員が増えている。以前、市民大会で対戦した事がある。勝った相手なので良く覚えている。相手は覚えていない様だ。
冴えない曇り空の下、うに色のクルマで路上に漕ぎ出す。全開にした窓枠に肘を乗せると、半袖のTシャツの袖から冷たく密度の高い風が流れ込んできて心地良かった。柔らかく澄んだ排気音を聞きながら田舎道を走っていく。田んぼの稲穂が実って何時の間にかすっかり色付いていた。秋の訪れはいつも唐突だ。秋の侵攻は、夏の勢いに隠れて少しずつあちこちで積み重ねられていて、夏の勢力が弱まったと見るや、一気に決起して夏を追い払ってしまう。もう景色にも空気にも夏の残滓はほとんど残っていなかった。秋色に塗り替えられた世界の中をうに色のクルマで走ると、車内の隅々まで秋が浸透していく。夏の終わりだ。会議、かいぎ、会議。開放されたのは日付の変わる二時間ほど前になってからだ。14時間余り閉じ込められた後の開放感よりも溜まった疲労の重みの方が大きい。ゆっくりと歩いて駐車場に向かう。うに色のクルマの屋根を下ろして走り出すと、歩いている内に少しずつ剥がれ始めていた鬱屈を夜の風が洗い流してくれた。晴れ晴れとした気分で、ニンニクとオリーブオイルで炒めたベーコンと卵とチーズを絡めた、茹でたてのパスタを、冷たいビールと共に頬張る。美味い。
定時を少し過ぎてからロッカールームに向かった。白い作業着を脱ぐと、一週間の終りを感じ、気が緩む。灰色の車に乗り込み、壁打ちコートを目指した。何時までこの習慣が続けられるのかは判らない。だが周りの環境が許す限りは止める理由はどこにも無い。10分ほどのドライブで到着した壁打ちコートは曇空も手伝って少し薄暗く、誰も居なかった。ラケットバッグから愛用のラケットと壁打ち用のノンプレッシャーボールを取り出し、最初の一球を壁に送る。ストロークの打点を確かめながら少しづつペースを上げていく。体が暖まって来るとTシャツを脱ぎフェンスに掛けて、上半身裸のままストロークを続ける。汗ばんだ肌に夕暮れの風が心地よい。スマッシュ、ボレー、サービスとそれぞれを短かめに練習し、30分ほどで暗くなってきたので切り上げた。7時まで営業している床屋にギリギリ間に合う。少し伸びて不精な印象を与えていた髪を切り整えた。週末の遠征の為に灰色の車のタンクを満たしてやる。
晩飯には豆腐とシメジと人参の味噌汁、ニラ、もやし、シメジ、キャベツを牛肉と炒めて醤油味で整えた炒め物、豆腐とワカメとレタスのサラダをおかずに白い御飯を食べた。
突然のアラームに叩き起こされると、素早く荷物をまとめて灰色の車に詰め込んだ。今週末の大会を共に戦う仲間が二人到着する。成人4名と一泊分の荷物とテニス道具を詰め込むと灰色の車は満杯だ。近くのICから高速に乗り、北を目指す。北に向かうのは久しぶりだ。若干のパワー不足を感じるものの灰色の車は快調に走る。東北の玄関口に当るICで高速を降りると、県道を使って山の方に入った。徐々に高度を上げていくと高速を降りてから30分程のドライブで目的地であるテニスコートに到着する。すでにメインスポンサーの旗があちこちに翻り、大会の雰囲気を盛り上げていた。受付を済ませると早速今日の試合コートに入り練習を始める。早目に到着したので、しっかりと体を温めることが出来た。開会式で主催者の挨拶を聞き、集合写真を撮った後にいよいよブロック毎に別れ、リーグ戦が始まる。4チームで2面を使い、女ダブ、男ダブ、ミックスの順で3対戦を行う。2つ取った方が勝ちだ。最初に当ったのは地元の年配者のチームだ。女ダブは試合経験の差が出て、ノーアドの連続を全て取られて4ゲームを連取される。徐々に調子を取り戻していくが、そのまま押し切られた。
男ダブも競るのだがチャンスボールのミスやノーアドの一本を取られ苦戦を強いられる。結局一度もリードできないまま敗れた。6ゲーム先取ノーアド5−5タイブレークという短い勝負がシビアに効いてくる。一つのミスが大きいビハインドになった。勝負は決したが、最後のミックスはタイブレークの末に辛うじて取る。0−3の負けは免れた。
次の相手は仙台から来たチームで、ここもほぼ同レベルだが、女性の安定感が一歩上だ。女ダブを落とし、後が無い。しかし、ここで男ダブでミスを減らすことを心掛けて、慎重にプレーし勝利、1−1でミックスダブルスに繋げた。チーム初勝利に貢献したい所だが、相手の女性が上手い。男性は一発こそ強力なもののミスも多く、男性側サイドでは一進一退、女性側のサイドでリードされ、惜しくも敗れる。再び、1−2の惜敗だ。
最後は知り合いの埼玉からのチーム。女ダブは相手の棄権で1勝をもらう。しかし、男ダブはサービスで押し込まれ、1ブレーク対2ブレークで敗れた。最後のミックスに勝負を掛けるが、女性、男性ともに一枚上手で2−2から一気に引き離される。結局3対戦とも1−2と後一歩及ばずリーグ戦は4位で終わった。
試合が終わった後は開放されたコートで交流試合を楽しみ、終了時刻までたっぷりリゾートテニスを楽しむ。緑に囲まれた素晴らしい環境でのテニスは勝敗と関係なく気持ち良いものだ。台風の影響で少し風が出始めたコートを後にして宿に向かう。
判り難い地図に迷いながら急な山道を登り、高原リゾートに隣接するスキー場に程近いペンションにたどり着いた。一日の汗を洗い流し、ヒノキの香りが漂うジェットバスに浸かると疲れが霧散する。風呂上がりのビールが堪らなく美味い。同宿したのは同じ大会に来た若い男女のグループと、ゴルフを楽しみに来た壮年の男性グループだ。口当たりの良いロゼワインで口を湿らせながら、オーナー夫婦の心尽くしの料理を食べる。サーモンのパイ包み焼きはなかなか上品な出来栄えだ。楽しく語らいながら、ゆっくりと時間を掛けて食事を楽しむ。疲れとビールとワインの酔いで一種浮遊状態の様な気持ち良さだ。食事を終えると、ビデオで映画を見たり、本を読んだりと思い思いにくつろぐ。やがて抗いがたい眠気が襲ってきた。部屋に上がりベッドに身を投げると体が布団に吸い込まれていくようだ。明かりを消すと深い眠りに引き込まれていった。
眠りに落ちる前に聞こえていた雨の音はないが、風が吹き荒れる音が聞こえていた。睡眠時間は充分な筈だが、二度寝の後の半覚醒状態でやや朦朧とする。顔を洗って食堂に降りて行くと朝食が待っていた。塩鮭の切り身の焼物、卵焼き、納豆など、朝食の定番が並ぶ。食後もしばらくくつろいだ後、荷物をまとめ、再び灰色の車に詰め込んでテニスコートに向かう。ペンションのある山腹では細かい霧が激しく吹き荒れる風に混じっていたが、山道を降りて行くに連れ霧は晴れ、風が弱まってきた。テニスコートでは、やや風が強いかなという程度だ。今日はトーナメントだ。4位チームは他のブロックの3位チームと当るという苦しいドローになる。女ダブの相手は安定した切れのあるサービスに決めパターンを持つなかなかのペアで最初から苦戦を強いられた。男ダブはキープ、キープ、ブレイク、ブレイクバックと競るのだがノーアド3ゲームを一つしか取れず、リード出来ないのが辛い。結局押し切られ、早くも敗退が決定した。最後のミックスで一矢報いようとするが、チャンスボールのミスや、ノーアドでのダブルフォールトなど、後1ポイントが取れない。0−3という最悪の敗退に沈んだ。
空いたコートで練習試合をしながら、サービス的当てゲームの開始を待つ。雨が落ちてきた。荷物をまとめて車に積み、ラケット一本を持ってインドアコートに入る。サービスラインの内側に沢山の賞品が並んでいた。かなりの確率で賞品が取れそうに見えるが意外に当らないものだ。チームのトップを切ってエンドラインに立つ。持ち球は3球だ。センターの角に置かれたジャグボトルを狙う。速いフラットならばエースを狙えるコースだ。1球目はコードボールで僅かにフォールトする。2球目も僅かに逸れた。最後の一球はスピードを押さえたコントロールサーブだ。良い回転が掛かってボールは弧を描いてセンターコーナーに向かう。パンッと快音を立ててジャグボトルが弾け飛んだ。会心の賞品ゲットに仲間からも歓声が上がる。これで調子付いた仲間は全員何かしらの賞品をゲットし、満足してコートを離れた。
リゾート施設内にある温泉で、広々とした露天風呂にゆったりと浸かると気持ちが開放されていくのが判る。またここに来ることになるという確信を抱きながら帰路に就いた。街まで出て名物の手打ちラーメンを食する。醤油味の鶏がらスープと手打ちの太麺が思いがけず美味かった。
カーテンを開けると見下ろす町は膜を掛けたように一面濡れそぼっていた。細かい雨が霧のように漂っている。TVを点けると全米オープンテニスの男子シングルス決勝戦の放映が始まっていた。10歳の年齢差がある選手同士の戦いだ。すでに絶頂期を過ぎたサンプラスは昨年同じコートで、やはり20歳のサフィンに敗れている。今年も20歳のヒューイットというヤングタイガーの挑戦を受けることになった。若い虎が長年王座に君臨し続けた偉大な獅子に果敢に勝負を挑もうとしている。第一セットは全く互角のまま進んだ。お互いにワンブレイクのままタイブレークに入る。ヒューイットの反応が素晴らしい。サンプラスのショットに押し込まれるどころか跳ね返しさらに強力なショットを返していく。逆にサンプラスの方がスピードに押されていた。タイブレークはヒューイットがモノにした。
サンプラスはヒューイットの若さと素早さと底知れぬ体力に恐怖したかもしれない。それとも、ラフター、アガシとの死闘で燃え尽きたのか。第2セットでのサンプラスに王者の風格は感じられなくなってきた。見たことも無いようなボレーミスが出る。時間だ。TVを消し、灰色の車に乗って家を出た。
朝から雨が降っていた。台風が着実に関東地方に近づいている。昼が雨風のピークになりそうだ。灰色の車で雨の中へ走り出す。ワイパーが必要だ。いつもより少し遅く家に帰る。大鍋にお湯を沸かし、塩とパスタを放り込んだ。オリーブオイルでニンニクとベーコンを炒め、ベーコンに焦げ目がついてきた所で茄子を半月に切ったものを加えて更に炒める。ケチャップ少々と塩、胡椒で味を調えた。茹ったパスタをフライパンに移し、少量の茹で汁を加える。最後に卵を一個全体にからめ出来上がりだ。TVを点け、ビデオ録画しておいた全米オープンテニスの総集編を再生する。冷たいビールで口を冷やしながら熱々のパスタを頬張った。
ビデオを見終わってニュースに切り替えると、衝撃的な映像が映し出されていた。何度も何度も同じシーンが繰り返し放映される。まるでスペクタクル映画の中の一シーンのようだ。マンハッタンに聳え立つ高層ビルに旅客機がスローモーションで突っ込み爆発炎上する。アメリカの国防総省も真っ黒な煙に包まれていた。ついに貿易センタービルがぐずぐずと倒壊していく。とても現実の光景とは思えない。情報が錯綜する画面から目が離せなかった。時を忘れる。
久しぶりに晴れてカーテンを開ける前から外がまばゆい光に満ち溢れているのを感じた。遥か彼方のニューヨークでは多くの人々が眠れぬ不安な夜を迎えようとしているのに、秋の爽やかな気持ちの良い朝に目覚める人もいる。何か不思議な気がすると共に、久方の秋晴れの空がたまらなくいとおしい。うに色のクルマの幌を下ろして走り出すと頭の周りで渦巻く風もきらきらと輝いているようだ。光と闇、日向と日陰、昼と夜、それらは常に対照的なようでいて、類似的でもあり、お互いに分かちがたく密接に結びついている。光と影、この地球上に同時に存在する明暗。それが人々の運命を決定してきた。うに色のクルマは朝の輝かしい生まれたての光の中を快音をたてて走る。
短くなってきた日が落ちる前に壁打ちコートにたどり着いた。上半身裸でバンダナを頭に巻いた男が壁打ちをしている。ベンチでは女性がその姿を見守っていた。ラケットを取り出し、空いている右半面のコートに入り、最初のボールを壁に送る。打ち始めると周りの世界が少し遠ざかった。ボールと壁と地面とラケットが世界の中心だ。気がつくとカップルはいなくなっている。Tシャツを脱ぐと風が肌に心地良かった。
鬱陶しい曇り空が戻ってきた。朝のTVはなかなか進行しない救出活動を苛立たし気に報道している。がれきの下敷きになったまま朝も夜も判らずに救出を待ち続けている人々。死の恐怖や深い絶望や僅かな希望がない交ぜになり狂い出しそうな頭を抱えながら動くことも出来ず、ただ待ち続けている人々。想像すらし難いが気持ちが沈む。うに色のクルマの幌を下ろして走り出すと流れ込む風の冷たさが出口の無い空回りの考えに疲れた頭を冷やしてくれた。いつもと変わらぬ日常を過ごし、事務所を後にする。うに色のクルマで小雨が舞う夜の闇の中を走り抜け、自宅近くの大型スーパーマーケットの閉店時間間際に滑り込んだ。蛍の光が流れる店内で切れた電球の代えを捜し、購入する。隣接する本屋で短時間の立ち読みを繰り返すが、買いたくなる本はなかった。
TVを点けると日常的な番組に戻ってる。鍋に湯を沸かし、適量の塩とパスタを放り込んだ。ニンニクを刻み、ベーコンと共に炒める。そこに適当に切った豆腐とほうれん草を加え、オイスターソースと豆板醤で味を付けた。茹で上がったパスタをフライパンに加えて味を絡めると中華風スパゲティの出来上がりだ。赤ワインの栓を抜く。
午後になり、事務所を離れ現場に向かった。新しいシステムの立ち上げ作業に入る。順調とは言えなかった。時間が過ぎていく。時計を気にしつつ作業を進めるが、いかんともし難くリミットを越えた。壁打ちを諦める。やっと不具合の原因を掴み現場の建物を出ると、すでに大分暗くなっていた。着替えを済ませ外に出ると街灯の少ない暗い歩道を歩いて駐車場に向かう。うに色のクルマに乗り込むと、ヘッドライトのスイッチを入れ、か弱い光芒の中に浮かび上がる立体感の少ない夜の中へ走り出した。帰宅の渋滞に巻き込まれながら地方都市の市街地方向に向かう。閉店時間間際のスポーツ用品店に滑り込んだ。相棒から預かっていたラケットをストリングス張り替えに預け、試打ラケットを物色する。色とりどりのラケットが並べられたラックから原色の赤が強烈な個性を放つウィルソンのラケットを引き抜いた。フェイス面積は106sqiでラケットの長さが27.5inchになる。フェイス面積が95sqiのミッドサイズは見当らなかった。バランスはトップヘビーの部類に入るだろう。軽く振ってみると、ラケットの重みを感じながら気持ち良くスイング出来た。借り出すことにする。
朝ゆっくり目に起きた。朝食を摂るとラケットバッグとたっぷりの水分を準備して車で5分ほどのテニスコートに向かう。県の大会なのに参加者が少なくドロー表にはかなり空きがあるが、出場者のレベルは高い。高レベルのテニスを直接体験できる良いチャンスだ。試合を見ていると同等レベルのペアもいるが、ほとんどが質の違うテニスをしている。同僚と最初の相手とコートに入った。ワンランク上の相手であることは練習の時点で判る。試合が始まると最初のゲームこそ互角に始まったが、チャンスボールのミスで取られ、サービスゲームを落とすと内容は一方的だった。同僚のファーストサーブが冴えた1ゲームを取り、辛うじて団子負けは免れるが、そこまでだ。普通ならここで終わりだが、コンソレーションもある。長い待ち時間の後、戦う相手は知合いだった。観戦して気分だけ県大会選手になっていた我々には互角の相手に思え、実際に相手のサービスをいきなりブレイクした。良い滑り出しだ。ゲーム中も互角に戦い、エースも取れる。内容は押しているように見えた。しかし、ノーアドのポイントをあっさり取られるなどして、結果は敗戦。口惜しさを胸に相棒とナイターで練習する。
朝起きて軽い朝食を摂ると、うに色のクルマの幌を下ろし15分ほどドライブして、運転免許センターに着いた。免許の更新手続きが日曜日にも出来るのは都合が良いが、朝は非常に混雑する。すでに駐車場には沢山の車が停まっていた。申請書を書き手数料の印紙を購入して申請書に貼り付けると、視力検査の列に並ぶ。視力のチェックを受け、ビデオを見て、簡単な講習を受けると、新しい免許が渡された。到着してから1時間半弱だ。平日しか手続きできなかった昔に比べれば悪くない。前回の更新に引き続き5年間有効の免許を手にしてセンターを後にした。一度帰宅してから再びうに色のクルマの幌を下ろして、南に向かう。日曜の昼間の空いた国道を1時間半ほど走り、工業団地の中のテニスコートに着いた。仲間達が薄日の差すテニスコートでゲームをする様をしばらく眺め、一緒に昼食を楽しむ。昼食の後、そこからクルマで20分程のサーキットに向かい、門の向かいにあるスピードショップに入る。ピットにはレース仕様の車が何台も作業を待っていた。チーフメカニックとロールバーの製作について打ち合わせる。うに色のクルマの狭いスペースでもなんとか取り付ける算段が立った。
今日もハッキリしない曇り空の下をうに色のクルマで走り出した。容赦なく流れ込む風は、すっかり秋を感じさせる涼しさだが、まだ半袖Tシャツで充分だ。それに寒さを感じたらヒーターを入れれば良い。雨さえ降らなければ快適なオープンカー生活が楽しめる最良の季節だ。シフトノブに違和感を感じた。僅かなことだが気に掛かる。何が気になるのか一瞬原因が分からなかったが、すぐに気付いた。僅かだがシフトノブの取り付けにガタが出ている。手の中でひねってみると、ガタはさらに増えた。締込みが緩んだのかと更にねじ込んでみるが、逆効果になる。以前も出た症状だ。内部のプラスチックを固定している構造が壊れてしっかり留まらなくなっている。一度分解してから接着剤で固定したのだが、今度は別の部分が破損したようだ。日常の使用やサーキット走行での激しい使用が重なって3年弱ほど経つ。寿命と言って差し支えない。ステアリング、シフトノブ、ペダルといった直接触れて操作する部分の操作性は非常に重要で、シフトノブの微妙なガタだけでもクルマとの一体感が著しく削がれた。新しいシフトノブの購入を検討しなければならない。しかも極めて早急に、だ。
空に雲が多い。陽射しは雲に遮られて散乱し、ぼんやりとした明るさであたりを満たしていた。湿度も高く、朝はまだ気温が低い為に過ごし易いが、段々蒸し暑くなるに違いない。うに色のクルマの幌を下ろし、田舎道を走った。風の巻き込み防止の為の整流版を取り去ったので、風がキャビンの中を自由気侭に通りぬけていく。早目に机を片付けて事務所を後にした。家に帰り、ちょうど同じ頃家に着いた相棒と急いで食事を済ます。ラケットバッグを担ぐと灰色の車に乗り込み、市内に向かった。スポーツクラブの駐車場に車を置くと、最上階にあるテニススクールのコートに上がる。屋内のコートは蒸し暑かった。ボレーボレーのウォーミングアップで汗が流れる。新しいラケットはやや重さを感じるものの扱い難いほどではなく、ストロークで気持ち良く抜けるような打球感が得られた。ボレーの切れも悪くない。110sqiというフェイス面積にしてはスイートスポットが広くなく、芯を外すと途端に力の無いショットになりがちなのは、やや予想外だ。サービスとストロークでは重さが効を奏し、良い回転がかかる。飛びも予想通りでコースや距離のコントロールも非常に良い。気に入った。
カーテンを開けると久しぶりの青空が見えた。光の粒子が空間を満たしてきらきら輝いている。光の中にうに色のクルマを連れ出した。たちまちクルマの中もきらめきに満たされる。秋の柔らかな陽射しを受けながら稲刈りの始まった田んぼの中の田舎道をうに色のクルマは走った。定時で会議を抜け出して壁打ちコートに向かう。誰もいないコートで練習を始めた。新しいフォルクルのラケットで様々なショットを試してみるが、まだ使い慣れたヘッドのラケットほどしっくり来ない。とはいえ、ストロークやボレーのコントロールは良い様だ。振動止めを付けなくても気にならないほど振動が少ないのも美点に感じた。一時間は瞬く間に過ぎる。
ナイター照明が眩しいコートに出た。誰かが来るまでサービス練習を繰り返す。サービスのスピードもややアップした様に感じた。他のメンバーが現れたので軽く乱打する。ストロークではボールを一瞬ホールドしてから弾き返すような柔らかい打球感を楽しんだ。スクールが開始される。ボレーは手首とラケットの角度に注意しながら始める。ハーフボレーの面が合わずネットに捕まることが多い。芯を外すと飛ばない。慣れるにはまだ時間が掛かりそうだ。
今夜は振り替えで強力なサービスと重いスピンのストロークと切れの良いボレーを持つ男が参加した。ストロークのラリーでボールを受けるのが楽しい。普通にラリーしているだけで押し込まれる。低い弾道からは想像できない強烈なスピンで予測よりも高くバウンドするので芯を外してしまう。生き物の様なボールを夢中で追った。
サービスを先ずは打ちっ放しで練習する。元のラケットより良くボールが乗って回転が掛かるようだ。ボールの軌跡の変化がやや大きい。トスさえ良ければほぼ狙ったコースに飛んでいく。問題はトスの安定性だ。たっぷりサービスをウォームアップした後で、リターナーが入ってクロス半面での勝負になる。最初にリターナーを選択した。普段いるメンバーのサービスはおおよそ判っているのでほぼ対処出来る。問題は振り替えで来たサウスポーの男だ。過去にアドコートで受けた時はバック側にキックするサービスに手を焼いた。今日はデュースコート側だ。どんなサービスが来るのか判らない。一球目、予想を越えるスピードと高いバウンドで、フォア側に来たのにラケットの芯を外し、簡単にポイントを許した。結局、この日もレベルの差を見せ付けられて終わった。
どんよりした薄暗い空を見上げた。気温は低く、半袖Tシャツと短パンでは肌寒い。地下駐車場の薄暗がりにうずくまるように停まっているうに色のクルマに乗り込み、ゆっくりとギアを1速に送り込んだ。手の中でがたつくシフトノブが小さな違和感を与える。僅かなガタでクルマ全体が緩くなったように感じられた。1速のまま、ゆっくりと出口へのスロープを上がりながらカーラジオのスイッチを入れる。微かなモーター音とともにリアフェンダーに取り付けられたパワーアンテナが伸びた。ノイズ交じりの音が急速に鮮明さを帯びる。いつもの聞き慣れた声が流れ始めた。スピーカーを純正よりやや高品質なものに交換してから、さらに声に艶がのっている。続いて軽快なビートの効いた音楽が飛び出した。うに色のクルマを通勤車の群れの中に滑り込ませる。午後から夜までの長い時間がほとんど会議で潰れた。細かい雨が落ちてきた空を見上げるが、星も見えない。駐車場までの道を傘を差さずに歩いた。髪や肩が細かい霧の様な雨にしっとりと覆われる。うに色のクルマも街灯の下で濡れそぼっていた。久しぶりに幌を上げたままうに色のクルマを発進させる。しめやかな夜の中を走り出した。
定時に机を片付けて事務所の外に出る。雨が振っていた。壁打ちが出来ないと言うだけのシンプルな事実を受け入れることが辛い。諦めきれずにコートの脇を通った。小雨の域を越え、時折強い雨がうに色のクルマの幌を叩く。水しぶきがあがるコートに、人影は無かった。夕暮れ時の流れが悪い道を市街地に向かう。大きな幹線道路沿いにあるスポーツ用品店で借りていたラケットを返却するついでに練習用のボールを購入する。店内はすっかりウィンターシーズンに向けて改装されていた。テニス用品は隅に追いやられている。寒く長い冬がやってくる、そう思うだけで気分が沈むのを感じた。店を出ると辺りは夜の帷に包まれている。うに色のクルマのヘッドライトを付けて雨の中へ走り始めた。
地下駐車場にクルマを乗り入れると、屋根を打つ雨音が止んで途端に静かになる。決められた駐車スペースにクルマを滑り込ませた。薄汚れ、濡れそぼった車体からウエスで水滴を拭い取ってやる。何度もウエスを絞りながら、舳先でかき分けられる波を表現したかのように微妙なカーブを描いてうねるプレスラインより上を拭き上げた。蛍光燈の光の下でも生来の鮮やかな色を取り戻したのが判る。
カーテンを開ける前から予感はあったが、こんな快晴の空を見たのは、とても久しぶりだ。うに色のクルマの幌を下ろし、光の下に出て行った。空気は涼しく、陽射しは夏の勢いを失い、どこか弱々しい。爽やかな秋の朝を爽やかな風と共に楽しみながら流れの速いバイパス道路を走り、クルマの主治医の元に向かった。表通りから少し奥に入った田舎道の曲り角を曲がるとその小さな工場が姿をあらわした。白いトヨタ2000GTが2ヶ月近く前と同じリフトに吊り上げられている。2台の跳ね馬が心臓を剥き出しにされて調整を受けていた。アストンマーチンDB6が不機嫌に目覚め、陽射しの中に出て行く。空いたリフトにうに色のクルマが吊り上げられた。部品が入荷せず先送りにされていたミッションマウント交換を待つ。本国から届けられたばかりの鉄とゴムで出来た新しいマウントが、4年半、5万9千キロ働き続けた古いマウントの代りに移植された。移植手術は1時間も掛らずに終わる。走り出してすぐに効果が判った。エンジンマウントよりもミッションマウントの違いが大きい。クラッチワーク、シフトワークでパワープラントの揺れが少なくなった。思わず笑みがこぼれる。
「秋晴れ」は「天晴れ」に音が似ている。爽快な秋晴れの下、ラケットバッグとボール篭を持ってコートに出て行くと、ふとそんな取り留めの無い考えともつかない考えが頭をよぎった。空に雲はほとんど見えないが、明らかに夏の陽射しとは異なる穏やかな光が降り注いでいる。風はやや冷たかった。
アップ、ボレー、ストローク、ボレー対ストローク、ボレー対ボレー、ロブ対スマッシュ、サービス対リターンなど、2時間半程の練習をこなしても汗みどろになることは無い。しかし、乾燥しているせいか体が大量の水分を要求した。涼しさに油断して少な目に用意したドリンクがすぐに無くなる。
後半の2時間半は練習ゲームにした。6名で1面なので、ダブルスのゲームが始まると、2名は休憩だ。体はまだ疲れていないし、オーバーヒートも無かった。隣接する壁打ちコートに行き、しばらく壁に相手をしてもらう。連続して体を動かすと、やっと汗が流れ出した。コートに戻って仲間同志の対戦を観察する。良いラリーが何度も出て、面白く、競った試合になった。思わず夢中になる。コートの貸し出し時間が終わるまでに6ゲーム先取で3試合行い、全員が2回ずつゲームを楽しんだ。
二日続きの快晴が天気図の上でも一日中保証付きだ。秋の穏やかな陽射しが降り注ぐ中、うに色のクルマの幌を下ろし、相棒を隣に乗せて走り出した。キャビンに巻き込む風は冷たい。ヒーターを弱く掛けた。空は雲一つない。黄金色に色付いた田圃の中を真直ぐに通る国道を南下して行くと時間の経過と緯度の変化に従って気温の上昇を膚で感じた。学園都市の中を抜け、国際空港のある街を抜けると目的地である海岸沿いの小さな街に出る。夏には海水浴客で渋滞する道も快適に走行出来た。水田や梨畑が周りに広がる。地元の小さなスーパーマーケットの駐車場で友人に電話をかける。長い呼び出し音の後やっと出た友人に道案内を聞く。商店や消防署がある通りから路地に入ると旅行者はまず足を踏み入れることの無いエリアだ。小さな池のほとりには新興住宅地が拓かれている。好評分譲中の赤いのぼりが風にはためいていた。雑木林のある高台の下にちょっとした空き地があり、そこにクルマを乗り入れるとすでに到着してBBQの準備を始めている仲間達の姿が見えた。下は明らかに柔らかめの海砂だが、少し離れた低地には、大規模な土壌改善工事が行われたのか水田が広がっている。
大きなBBQセットにふんだんに炭を並べ、着火剤を置き、ライターの火を近付けると危険を感じるぐらいあっという間に炎が踊りだし、やや強い風に煽られてたちまち炭が熾り始めた。全員が揃うのを待って肉を焼く。直火にあぶられた骨付きチキンがこんがりと色付き、大きな鉄板では次々に牛肉が広げられた。肉の量は充分にも見えたが、男女子供を含め25名の旺盛な食欲を満たすには足りなかったようだ。主催者の家からも肉を持ち出す羽目になった。地場の野菜はただ焼いただけでも甘く、旨い。ホルモンやコブクロの食感と噛み締めるとじわじわと広がるうま味がたまらない。肉と野菜を存分に楽しんだ後に、大きな鉄板の上に大量の麺が放り込まれ、縁日の屋台のような山盛りの焼そばが完成した。それも四方八方から差し出される皿に取り分けて行くと瞬く間に跡形も無く25名の胃袋に消えてしまう。腹が満たされたところで、軽い腹ごなしに少し歩いた場所にある友人の農園で梨狩りを楽しんだ。満腹で腰を屈めて梨棚の下を歩くのが苦しい程だ。デザートの梨を食べると身動きするのも嫌になる。心地よい涼風の中で語らっていると日が傾いてきた。素晴らしい秋の収穫の一日だった。
秋晴れが三日続いた。空が蒼く高い。収穫の秋を存分に楽しみ過ぎて疲れた体と胃袋をゆっくり休ませた。振り替え休日で仕事は無い。目覚めが爽快だ。しかし、家に戻り遊び歩いておろそかになっていた家事を片付けないと収拾がつかない。溜まっていた洗濯物を処理する為に二回に分けて洗濯機を廻し、布団を干し、部屋の隅々まで掃除機を掛けた。買い物に出掛けて冷蔵庫を満たしてやり、やっとお茶を飲む余裕がうまれる。録画してあった女子テニスの決勝戦を楽しんだ。軽い食事を終えると洗濯物干しを相棒に任せ、地下駐車場に降りた。ロールバーの取付を検討した際に取り外したシートバックポケットと自作ウインドストップを取り付け直す。更に前後タイヤの空気圧チェックとローテーションを行う。前後とも少しづつ空気圧が下がっている。リムがわずかに歪んで空気が漏れているのを心配してこまめにチェックしているが、目立った漏れは無いようだ。しかし、うに色のクルマに不相応な薄いタイヤはエアボリュームに乏しい。長距離を走るとわずかながら着実にエア圧が下がるのは心に留めておかなければならない。弛んだシフトノブを交換すると再びクルマがしゃっきりした。
今日も空は高く、穏やかに晴れわたっていた。風が爽やかだ。空気が乾燥しているので気温よりも涼しく感じる。うに色のクルマの幌を下ろし、柔らかい秋の陽射しの下を走り出した。昨日までと特に変わらない新しい一日の始まり。クルマは快調だ。シフトノブのタイプをボール型からガングリップ型に変えて数日経つが、最初の違和感はもう無い。ただシフトノブの質量そのものが軽過ぎた。次の交換では質量も検討要素に入れることに決める。
早目に机の上を片付け、事務所の外に出た。もう辺りは暗くなっている。ナイターコートの明かりを目指してうに色のクルマを走らせた。いつもと日を変えて別のコーチのレッスンを受ける。ここでは球出しで色々なショットを練習させるので、各ショットのレベルをチェック出来るのが利点だ。案の定、ドロップショットやロブなど球出しのボールに対してもきっちり出来ない。一球一球集中し、コースをイメージしながらショットを繰り返した。スマッシュも悪く、ネットが多い。レッスンが終わる頃には課題が山積みになった。
家に帰ると相棒が晩飯を用意して待っている。食事の後、かぼちゃと紫芋のケーキでささやかに誕生日を祝ってもらった。
窓から見下ろすと路面が濡れている。雨は何時の間にか降って、何時の間にか止んでいた。灰色の車に乗って家を出る。一つ年を取って最初の朝だが何も変わりはなかった。雨上がりの田舎道を走る。稲刈りが終わって殺風景になった田んぼの中を抜けて、いつも殺風景な工業団地の中の広い道に出た。街路樹もだいぶ葉が落ちている。定時に事務所を後にしたが、今日はラケットバッグを忘れてしまった。壁打ちも出来ないので、早々に自宅への道を走る。主要な交差点には小さなテントが張られ、アルバイトの学生と思しき若者が交通調査を行っていた。自宅に帰ると睡魔に襲われる。1時間ほど仮眠すると頭の霧が晴れてすっきりした。着替えて家を出る。徒歩で近くの駅に向かった。下りの電車に乗ると5分ほどで、一駅離れたこの地方都市の中心街に着く。長い歩道を歩いて東口に降りると、ちょうど待ち合わせの時間だ。
ほぼ同時に今日のメンバーが集まった。近くの日本酒とワインを飲ませる居酒屋まで歩き、狭い店内の中ほどに居場所を構える。冷たい生ビールで乾杯すると、生き返るような気がした。凝った突き出しが出てくる。途中から赤ワインに切り替えて、終電まで楽しんだ。
深夜ソファで目覚めた。うたた寝のまま眠り込んでいたようだ。ゆっくりと起き上がり、床に足を下ろして立ち上がった。歩き出すと最初の二、三歩は足元がおぼつかない。暗い居間を横切ってキッチンに向かう。冷蔵庫から牛乳の1リットルパックを取り出して、コップに注いだ冷たい牛乳を一気に飲み干した。少し頭がハッキリしてくる。廊下を歩いて風呂場に入り、服を脱ぎ熱いシャワーを浴びるとさっぱりとした気分になった。入れっ放しだったコンタクトレンズを外し、歯を磨く。顔を洗い、時計を見る為にメガネを掛けた。まだ2時間ばかり眠れる。新しいTシャツとトランクスを身に付けると、布団に潜り込んだ。すぐに眠りが訪れる。目覚ましで叩き起こされた時にはベルの音を呪いたくなった。無理矢理布団から体を引き剥がす。起きてしまえば体は自動的に動き、顔を洗い身支度を整え軽い食事をとり、家を出た。うに色のクルマで朝日の中を走り出す。風は涼しいというよりも、むしろ冷たく肌を刺した。秋の穏やかな日差しはまだ低く、東を向いて走るとうに色のクルマの低いウインドシールドの正面を通して眩しい。茶色い偏光レンズのサングラスを着けた。
灰色の空から雨滴が地表へ降り注いでいる。始めは細かい雨だったが、次第に強くなり、灰色のクルマのウインドシールドを叩いた。ワイパーを止めると視界が水の膜でぼやけるのがまるでコンタクトレンズを外した時のようだ。走り出す直前にワイパーのスイッチを入れる。ワイパーブレードが通り過ぎた瞬間に嘘のように前方の景色に焦点が合う。その後をすぐに絶え間なく落ちる雨滴が埋めていく。ワイパーブレードが戻る。雨滴が落ちる。永遠の追いかけっこが目前のウインドシールド上で繰り返された。30分ほど壁打ちをした後で自宅に帰り、徒歩で駅に向かう。地方都市の中心駅から10分程度歩いた場所にかなり繁盛している飲み屋があった。並んでいる人を掻き分けて予約の席につく。まだ人数は半分だったが、主賓が来ていたのでビールを頼み、乾杯から宴会を始めた。人気があるだけあり、イカや胡瓜の前菜から始まって、魚、肉のメインを経て、あんかけ炒飯で締め、甘いチーズのデザートで仕上げられた料理はなかなか美味い。すっかり満腹した。次の店ではワインを軽く楽しみ、最後をカラオケで締め、帰宅してシャワーを浴び布団に潜り込んだのは3時ごろだ。
素晴らしい目覚めとは言い難いが、目覚ましの音で目を覚ました。最後に唄って発散したお陰か酒は残っていないが寝不足は否めない。しばらく布団の中で葛藤が続いたが、15分程で布団を出る決心がついた。相棒を起こし、準備を整えラケットバッグを抱えて家を出る。灰色のクルマで一時間ほど走るとある北の町のテニスコートを目指した。練習開始時刻から30分ほど遅れて到着するとすでに大勢のメンバーが集まって練習を始めている。簡単に準備体操を終えると列に加わる。コーチ役の球出しからロー、ミドル、ハイボレー、スマッシュなどの組み合わせ練習だ。2面で行い、片方の面はかなり速い球を出し、もう一面ではそれよりやや緩い球を出してくれる。交互にみっちり繰り返すと、かなりいい練習になった。午前中の3時間が終わり、昼食はコートサイドに机を並べ、皆で用意された弁当を食べる。主催者が昨夜から用意してくれた地元の野菜ときのこたっぷりの味噌汁と、生ビールサーバーの冷たいビールがついた。爽やかな秋の日差しの下で運動した後に野外で食べる食事は格別だ。味噌汁とビールが美味い。それ以外には何もいらないぐらいだった。午後はゲームを楽しんだ。
朝、家を出ると曇り空が寒々しい。気温も上がらないようだ。灰色のクルマにラケットバッグとクーラーボックスを載せて、車で30分ほどの距離にある大きな公園を目指した。広い駐車場に車を止めると林に囲まれたきれいなオムニコートまで荷物を持って歩く。今日ここで行われるのは隣の県のテニス愛好家との交流試合だ。すでに月例となっているこの交流戦は、主催者同士の人脈を利用して多くの人々が集まってきてレベルも高い。コートサイドに敷物を広げ、荷物を下ろし、軽量なアルミ製の折畳式ディレクターズチェアを広げ、今日一日を楽しむ陣地を作った。簡単にアップを済ませてから4ゲーム先取の交流試合が始まる。ゲームに参加すると半袖シャツに短パンで十分だが、座って観戦していると長袖の上着が必要だ。汗をかいた体が冷えてしまう。レベルの高い試合を見ていると自分も出来そうな気がするのだが、現実は厳しい。ボールから目が離れてしまうからだろうか、頭が動いてしまうからだろうか、ラケットのセンターでボールを捕らえられずミスヒットになることが多かった。人数が多くゲーム数は少なかったが、五分の星を残すことが出来る。終わった頃に雨が降り出した。